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7 月号 | 8月号 | 9月号 | 10月号 | 11月号 | 12月号 | |
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2020年 | 1月号 | 2月号 | 3月号 | 4月号 | 5月号 | 6月号 |
7月号 | 8月号 |
8月号 2020年
伊藤伊那男作品 銀漢今月の目次 銀漢の俳句 盤水俳句・今月の一句 彗星集作品抄 彗星集選評 銀漢賞銀河集・作品抄 綺羅星集・作品抄 銀河集・綺羅星今月の秀句 星雲集・作品抄 星雲集・今月の秀句 伊那男俳句 銀漢の絵はがき 掲示板 銀漢日録 今月の写真 俳人協会賞受賞 俳人協会四賞受賞式 |
伊藤伊那男作品主宰の8句今月の目次銀漢俳句会/2020/8月号
銀漢の俳句伊藤伊那男
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◎森は海の恋人───畠山重篤 宮城県気仙沼市 大震災より以前にフランスで牡蠣の稚貝が絶滅した折、宮城県から稚貝を送ったことがあったという。ルイ・ヴィトン家がそのことを憶えていて震災後、当主が気仙沼まで訪ねてきて畠山さんの養殖所に復興支援を申し出たという。美智子皇太后とも親交が深く、携帯電話でお話しされるようである。震災後、湾の奥の耕作放棄地が一メートル位陥没し汽水湖となった。そこに「どろぼうかっか(ちちぶ)」という鯊が大発生した。そのことを美智子様に話すと鯊の研究家である上皇より「お話をしたい。お茶を飲みにきませんか」との誘いを受けたという。極めて貴重な汽水域であることを直感されたのである。その後周辺の整備にも国土交通省が協力的で、私達が訪ねたときは海と通じるコンクリート製の土手を鰻などの巣ができるような自然の状態に戻す工事などが始まっていた。 私と畠山さんとの縁は二つある。一つは私の娘婿が監督した映画『うみやまあひだ』に出演されたこと、もう一つは銀漢会員の清水旭峰さん(外科医)が畠山さんと親しく、畠山さんが上京された折、度々銀漢亭に案内して下さった縁である。お二人を見ると心の通じ合った武士同士といった趣きである。同人の小野寺清人さんも畠山さんと同郷の縁から植樹祭に合わせて「森は海の恋人俳句大会」の開催を提案している。コロナ禍の為、今年の植樹祭は中止となったが、ごく内輪で形だけ植樹したいとのことでお招き下さり、六月にお訪ねした。報道陣を入れて三十人余りで十本の苗木を植えた。来年は仲間を募って訪問したいと思う。 森に礼海に礼して苗木植う 伊那男
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相撲の歴史を繙くと、出雲の国譲り神話の |
彗星集 選評 伊藤伊那男伊藤伊那男・選傘雨忌の縺れの解けぬ仕付糸 谷岡 健彦
柵を越ゆる水嵩桜桃忌 戸矢 一斗
筍の皮に値を書き朝の市 小山 蓮子
やませ吹く恐山へはなほ遠く 保田 貴子
みちのくに賢治修司や青林檎 堀切 克洋
城攻めの紙魚の行跡江戸古地図 半田けい子
浮かび来て鮑の腕を高々と 小野寺清人
春愁の重さも加へ鐘を撞く 渡辺 花穂
ラムネ瓶ひと口ごとに日に翳す 谷岡 健彦
川挟む妹山背山人麻呂忌 島谷 高水
一列の香を置き去りに草刈機 武井まゆみ
海市より消印のなき葉書かな 森 羽久衣
柳絮舞ふシルクロードの果ての郷 永井 むつ
山焼きの匂ひ鎮める夜半の雨 福原 紅
蛞蝓と浸透圧を勉強す 辻本 芙紗
満州の白夜すべては幻に 伊藤 政三
観音の千手の一手春の塵 市川 半裂
遠蛙桂郎の畦見失ふ 鏡山千恵子
花時計の分から分へ春の蝶 鈴木てる緒
独り居の夕日も畳み更衣 矢野 安美
銀河集作品抄伊藤伊那男・選 山鳥の羽音か妹背山ならば 東京 飯田眞理子
引水の絶えざる響き山女宿 静岡 唐沢 静男 きらきらと細波ごしやあめんぼう 群馬 柴山つぐ子 口にしてよりどつとくる花疲 東京 杉阪 大和 春雷や巫女の挿頭のふと揺れて 東京 武田 花果 風神も雷神も来る端午かな 東京 武田 禪次 田植機の励みの音の鳴り通し 埼玉 多田 美記 潦あればすぐ来る水馬 東京 谷岡 健彦 ゆふさめが冷ます一山仏生会 神奈川 谷口いづみ 笹舟について堰まで春惜しむ 愛知 萩原 空木 かにかくに八十路の坂の老い涼し 東京 久重 凜子 とこしへの一滴としてしたたれり パリ 堀切 克洋 蒼天に攫はれてゆくいかのぼり 東京 松川 洋酔 馬の仔の母のまはりを跳ね通す 東京 三代川次郎 綺羅星集作品抄伊藤藤伊那男・選 磯野家へ二枚のマスク万愚節 東京 多田 悦子
七月やボトルシップに海遠し 長崎 坂口 晴子 花は葉に花にこころを置かぬまま 東京 小泉 良子 突然にバカ殿が逝く四月馬鹿 東京 有澤 志峯 人丸忌挽歌のやうにちるさくら 東京 大溝 妙子 人麻呂忌一畑電車の折り返し 東京 島谷 高水 長命がならんで喰らふ桜餅 大阪 中島 凌雲 翡翠の声舌打ちと聞く夕べ 東京 星野 淑子 鍵盤の象牙の黄ばみ霾ぐもり 東京 桂 信子 亀鳴くを釈迦の耳には聞こゆるか 埼玉 渡辺 志水 日帰りを旅とは言はず葱の花 神奈川 宮本起代子 ほととぎす追うて久女の庇髪 神奈川 久坂依里子 下ろすにはあまりに惜しき百畳凧 東京 小山 蓮子 阿夫利嶺に神の降臨日雷 東京 竹内 洋平 ハーメルンの笛吹き過る町朧 東京 塚本 一夫 左岸に落ひばり右岸に揚ひばり 広島 長谷川明子 鱚十匹釣れば十分竿納む 愛媛 脇 行雲 トマト捥ぐ明日の目星も二つ三つ 東京 相田 惠子 力まずに力抜かずに溝浚へ 神奈川 秋元 孝之 雲の峰まだ捨て切れぬ夢ひとつ 宮城 有賀 稲香 並び順尋ねてみたき蟻の列 神奈川 有賀 理 太薪の時なく爆ぜる時鳥 東京 飯田 子貢 産土神も来ませ子と張る幟綱 埼玉 池田 桐人 九十九折ひと折れごとにほととぎす 埼玉 伊藤 庄平 薫風の勿来関を思ふまま 東京 伊藤 政三 幾重にも吾が影畦に塗りつける 神奈川 伊東 岬 蜘蛛の囲やこれより先は神域と 東京 今井 麦 蕗の葉に包まれ蕗の束届く 東京 上田 裕 背の違ふ椅子を並べて星涼し 東京 宇志やまと 葛切や雨あがりゆく吉野口 埼玉 大澤 静子 畳屋の気骨の肘や風光る 東京 大住 光汪 蜘蛛の子のなかば透く身を風に乗せ 東京 大沼まり子 青大将出でて老人横つ飛び 神奈川 大野 里詩 爺婆で植う姨捨の田一枚 埼玉 大野田井蛙 荷が重き八十路の息の菖蒲笛 東京 大山かげもと 草原を走る鬣風光る 東京 小川 夏葉 ヴィーナスの美しき臍春の雨 宮城 小田島 渚 鮫の背を越ゆる因幡の卯波かな 埼玉 小野寺清人 風鈴を外して迎ふ調律師 神奈川 鏡山千恵子 天平の甍けぶらせ黄砂かな 和歌山 笠原 祐子 雨に尾を垂らししままの鯉幟 東京 梶山かおり 永き日に倒れしままの砂時計 愛媛 片山 一行 日を溶かす絵 具のやうな柿若葉 東京 我部 敬子 病室の明るすぎるもつつじどき 高知 神村むつ代 子規旧居玻璃戸越しなる柿若葉 東京 川島秋葉男 麦ごはん箸を短く持ちて食む 長野 北澤 一伯 桜蕊降る日の妻の忌日かな 東京 柊原 洋征 蟻の列蟻の屍を後送す 東京 朽木 直 朧夜のこゑかけてほしたれとなく 東京 畔柳 海村 大風に触手をのばす糸桜 神奈川 こしだまほ 髪を梳く鏡に映ゆる柿若葉 東京 小林 雅子 柿若葉照り返しつつ透きとほる 東京 小林 美樹 若葉風外輪山を越え来たる 神奈川 小林 好子 一枚のやがて千枚田水張る 長野 坂下 昭 暗雲へとどきさうなる花水木 千葉 佐々木節子 残雪の見頃と沙汰の浅間山 群馬 佐藤 栄子 美しく箸を使ひて木の芽和 長野 三溝 恵子 一芸の無くて二つ目柏餅 東京 島 織布 平安の時空へ駆くる競べ馬 兵庫 清水佳壽美 貼り紙に仔猫あげます写真付 埼玉 志村 昌 青芝に座して離れてこそばゆし 千葉 白井 飛露 遊び相手無き子と入る菖蒲風呂 東京 白濱 武子 植ゑて直ぐ風を呼び込む早苗かな 東京 新谷 房子 陽炎に踊る影あり石舞台 大阪 末永理恵子 麦飯のおひつをからに丸子宿 静岡 杉本アツ子 桜蘂降つて賑はひ納まりぬ 東京 鈴木 淳子 川風を孕む暖簾や桜餅 東京 鈴木てる緒 走る子の残しゆく香や夏来る 東京 角 佐穂子 産土の杜に置き去り蛇の衣 東京 瀬戸 紀恵 ゆづること近頃おほし豆の飯 東京 曽谷 晴子 いつよりか酒弱くなり初鰹 長野 高橋 初風 ふらここや漕ぎつつ過去を遠くする 東京 高橋 透水 のどけしや太公望は雲を釣り 東京 武井まゆみ 軒風鈴母に呼ばれてゐるやうな 東京 立崎ひかり 一羽から聞分けできぬ囀へ 東京 田中 敬子 大空にまづひとふりの捕虫網 東京 田家 正好 葉桜やまだ友達とよべぬ仲 東京 辻 隆夫 行く末の見ゆる写真や子どもの日 東京 辻本 芙紗 行く春や余白ばかりの日記帳 愛知 津田 卓 はうじ茶の燻る門前仏生会 東京 坪井 研治 汽笛過ぐ賢治のまちの月朧 埼玉 戸矢 一斗 ほととぎす谷戸から谷戸へ郵便夫 神奈川 中野 堯司 春の雷人体模型軋み初む 東京 中野 智子 塵労の巷に遠き座禅草 東京 中村 孝哲 犬吠のその突端の風光る 茨城 中村 湖童 雁帰る方位磁石の針の揺れ 埼玉 中村 宗男 母の日の花ふくらめる日数かな 東京 西原 舞 もう居らぬ洟垂れ小僧麦の秋 東京 沼田 有希 夕闇に山河青ざめ桐の花 埼玉 萩原 陽里 蹼の歩みのどけき池の端 東京 橋野 幸彦 春の雷雁の使ひの遥けくも 神奈川 原田さがみ 神木の筆柿に芽や人麻呂忌 兵庫 播广 義春 はらからに訪はれてをりし安居僧 東京 半田けい子 酒買ひて遠まはりする暮春かな 東京 福永 新祇 許すとは楽になる事新茶汲む 東京 福原 紅 火祭や心の憂さも空へ舞ふ 東京 保谷 政孝 葛桜万太郎忌も過ぎにけり 東京 堀内 清瀬 一軸は風に流れて白牡丹 岐阜 堀江 美州 棙花の左利きから右利きに 埼玉 夲庄 康代 風鈴のやつと一鳴り夕づきぬ 東京 松浦 宗克 一畝の影深くして葱の花 東京 松代 展枝 花桐や長女に生れし幸不幸 東京 宮内 孝子 ひとつぶの麦死してこそ穂をむすぶ 千葉 無聞 齋 親亀に子亀が乗りて法太鼓 東京 村上 文惠 星の数ほどの祈りや聖五月 東京 村田 郁子 亀鳴かずガリレオ裁き受けてより 東京 村田 重子 ふるさとのなまりは不意に葱の花 東京 森 羽久衣 犬吠埼けさは卯波が吠えかかる 千葉 森崎 森平 日本丸立夏の風を帆に受けて 埼玉 森濱 直之 母の日の母の背中をさするのみ 長野 守屋 明 蟻行くや山の高さを知らぬまま 東京 保田 貴子 微風を路地へ連れ行く石鹼玉 愛知 山口 輝久 源平の色それぞれに椿落つ 東京 山下 美佐 大粒の紅き苺の悪女めく 東京 山田 茜 職の香の変はらぬ一生更衣 群馬 山田 礁 買物は三日に一度夕薄暑 東京 山元 正規 吉野建の柱の長さ谿朧 東京 渡辺 花穂 |
新型コロナ禍の収束の見通しがまだ立たない状態が続いている。投句の中には「コロナ」とか「疫病」という言葉を使った句が多数見られた。ただしそれらは底が浅い嘆きが中心で、詩情を伴うものは少なかった。その中で「コロナ」とか「疫病」というような言葉を直接使わずに唸らせてくれたのが右の句群であった。悦子句は安倍総理の配ったマスクを『サザエさん』の磯野家を舞台に置き替えたのが痛烈な俳諧味である。それも決して批判はしていないところが大人である。くすぐったい笑いにしているところが出色である。これが俳句の技倆というものである。晴子句はボトルシップを詠むが、当然海水浴も今年はままならない世相であることを暗示しているし、豪華客船から始まった今回の顚末も読み手に想起させる仕掛けである。良子句は花見もできぬまま葉桜になってしまったという抒情。各々作者の作風が明確に出ているようだ。時事問題はこのように詠むものだということを知ってもらいたい。 |
志村けんの不慮の死を詠んだ句である。普通なら採らない句だが、志峯句であると知れば採らないわけにはいかない。何故ならば作者志峯さんは東村山の小中学生時代、志村さんと同期で、新聞配達仲間であったと聞いている。志峯氏はテレビ局の舞台制作の仕事をしていて、そこで「8時だョ! 全員集合」の志村と再会したのだという。俳句には作者の名前という前書がある、というのが私の持論である。この作者だから、この句が残るのだ。思いの深さが違う。 |
「人丸忌」は旧暦三月十八日とされる。その死には謎が多く、梅原猛の『水底の歌』などには私は驚嘆した思い出がある。梅原は石見国に軟禁され、益田沖の鴨島で水死刑にされたと推測するのである。実は官位も高く、藤原不比等の政敵であったのが原因だという。歌格の高さに加えてそのような伝承が絡んで、今も愛しまれる歌人である。妙子句の「挽歌のやうに」はそうした想いが凝縮した抒情味の高い作品。高水句は隣国ではあるが出雲を走る一畑電鉄を配して雰囲気を盛り上げている。神話の続きのような仕立てである。 |
古来日本の詩歌は「掛詞」が重要な役割を果たしていた。近時はそうしたことを古臭いと見る俳人も多いようだが、私は断固として好きである。良き伝統であると思っている。この句は「長命」が眼目。東京の桜餅は向島長命寺の境内で売り出されたのが始まりで、今もある。それを踏まえて、本来の意味の「長命」を重ねて二つの意味を含めているのである。同時出句にも出色のものがあった。〈草萌えて若草山の嵩増せり〉は絶妙な俳諧味。〈蝌蚪どもが蓬萊島を押し上ぐる〉も、実際は有り得ないことなのだが、「蓬萊島」という架空の島だからこそ成立する妙味である。 |
「舌打ち」がいい。翡翠の狙いが外れて、戻った枝の上で舌打ちをしているようだ、という。俳句にはこのようなユーモアも大事である。翡翠の動きを正確に見た上でこのような私感を加えたところを称えたい。 |
今は保護の為、象牙を使うことは無いので、古いピアノかオルガンであろう。年月を経て黄ばみが出ている。大陸の黄砂が飛来する季節である。微妙な色彩の重なりがこの句の持ち味だ。歳月の重みの表出である。 |
「亀鳴く」は想像上の季語。誰にも聞こえない筈である。この句はお釈迦様であれば聞こえるかもしれぬ、と言う。さて『与話情浮名横櫛』に「死んだと思ったお富たぁお釈迦さまでも気がつくめぇ」の台詞がある。聞こえたかどうか……そんな俳諧味も含まれているようだ。 |
俳句を論理的に評価するのはなかなか難しいことだ。特に取合せの句は各々の読者の共感に掛かってくるものであり、絶対と断言する根拠が薄いのである。読み手の感性として語るしか無いのである。掲出句について言うと私の心に響く取合せなのである。何故いいか、と問われたら、他のどの季語を入れ替えてみても「葱の花」に叶うものは無いと思うから……と答えるしかない。 |
その他印象深かった句を次に
縁日などの屋台の飴細工師の技には舌を巻くばかりである。指先と小さな鋏で様々なものを創出する。注文を聞いてあっという間に兎を作り、紅で赤い目を入れて客に渡される。「棒に飛ぶ」に臨場感がある。「のどけしや」の切れで待ちわびた春の一日を哀惜を持って描き出している。同時出句の〈春雷を夢違へへの糸口に〉は取合せの妙。「春雷」であるところがいい。〈触角にはやも力みの子かまきり〉〈亀の子の次を待てずにすべり入る〉はそれぞれの対象物の特徴を丁寧に詠み取っている。 |
釣れない釣人なのであろう。いやいや釣る気もなく退屈しのぎに糸を垂れているだけかもしれない。浮子よりも水面の雲の流れを見ているようだ。必死にならず、そのように過ごすのが、釣堀の通人なのかもしれない。同時出句の〈かもめ吞む犬吠埼の卯波かな〉は迫力のある場面で「犬吠埼」の地名も臨場感を増幅させているようだ。〈溝浚へ妻に随ふ夫かな〉は今日的風景か。ほのかな滑稽感。 |
更衣も単に薄着になっていくというだけではなく、年相応の服装になっていく、というのがこの句の眼目。珍しい視点で高齢化社会の一景を描いている。 |
俳人は人とは違う角度から物を見る、描くことが大切である。五月鯉を畳むという行為を「尾鰭から」と詠むことで、一歩深入りしているのである。口から空気を吐かせながら畳む様子が如実である。同時出句の〈這ひ上がる数多のつぼみ鉄線花〉も物をしっかりと見詰めた成果である。「這ひ上がる」で蔓性植物の様子を捉えたのである。 |
この奈良坂は東大寺転害門あたりから始まる般若坂であろうか。京に続く坂。上るにしても下るにしても「古代」へ続くのである。実際の風景でもあり、歴史を遡った幻想の風景として鑑賞してもいい。同時出句の〈のどけしや長鳴き鶏の布留の宮〉も同じような味わいを持つ。 |
まんぼう(翻車魚)は不思議な魚で、のんびりした身体つきで海面に浮くという。作者は気仙沼の方で、私もこの地を訪ねるとたいがい食す、親しい魚である。朝寝の心地良さの比喩として面白い。同時出句の〈勿忘草軍属多き島の墓〉〈口きかぬこけしに遠く春の雷〉なども郷里にしっかりと腰を据えた詠み方で好感を持った。 |
まさに春風駘蕩たる句である。あの寡黙な亀でも楽しくて甲羅を脱いでしまうかもしれない、という。「春愉し」の季語であればこれ位の想像を絡ませてもよいだろうと思う。同時出句の〈老鶯のむしろ騒がし山の畑〉は、風流という概念を捨てた詠み方に意外性があってこれも面白い。 |
花見の嘱目で面白いところに焦点を当てている。恐らく最初のうちは揃えていた靴も酔いが進むと共に脱ぎ方も乱れてくる。当然のように宴席も杯盤狼藉、放歌高吟の状態になっていくのである。その予兆のように靴の乱れを詠んだ目配りがよいのである。 |
夏の雷と比べてやや大人しい感じの春雷を微妙な皮膚感覚で捉えている。間をおいて二つ三つ鳴って終る春雷の様子が描き取られているようだ。同時出句の〈なかなかに散り収まらず八重桜〉〈垣越しの卯の花噎せるほど盛ん〉は各々の対象物である「花」の生態をよく摑んでいる。 |
一読楽しい作品だ。日々草は西インド原産。その名の通り、晩夏から仲秋にかけて毎日咲き替っていく。百円で買ったその花の花もちの良さを喜ぶ庶民感覚が楽しい。同時出句の〈向日葵を活けて信用金庫かな〉も明るく好もしい作品だ。信用金庫が一句を成す面白さだが、向日葵の斡旋が盤石だからこそである。訪ねてくる客に正面から向き合っているのである。 |
伊那男俳句 自句自解(55) 鎌倉の公暁の忌なり悴めり
鎌倉時代はざっと百五十年ほど続いたが、源氏三代はというと実は三十年前後と極めて短い。初代源頼朝は怨霊に取りつかれて落馬して死んだという。享年五十二歳。二代頼家は伊豆修禅寺に幽閉され、謀殺された。享年二十二歳。三代実朝は頼家の息子公暁に鶴岡八幡宮境内で暗殺された。享年二十七歳。公暁はその日の内に謀殺。陰暦一月二十七日。享年十九歳。事件の真相は闇の中であるが、ともかく源氏の血筋は絶えた。さて三代の墓はどこにあるのか。頼家の墓は白旗八幡宮にあるが、今我々が目にするのは江戸時代に薩摩藩島津家が建てた供養塔である。頼家の墓は修禅寺の近くに伝頼家墓とされる一画がある。実朝の墓は寿福寺の奥に伝実朝墓とされる矢倉がある。大山の麓、秦野に実朝の首塚と伝えられる森がある。この方が信憑性があると私は思っている。つまり教科書にも残る将軍達なのに墓は不明瞭なのである。鎌倉の闇は深い。まして公暁の墓ということになると……。 世を落ちて青空市の男雛
私の四十代は変化の多い時代であった。三十代の終りの頃バブル期に突入。私はオリックスで住宅ローンや不動産ローンの貸付を担当し、まさに飛ぶ鳥を落とす勢いで業績を伸ばした。当時は銀行ではない金融会社(ノンバンク)が続々と設立された時期で、某不動産会社が金融会社を作ることになり、私にも誘いが来たのである。一口に言うと倍の年収を出すという提示に目が眩んで参加した。高額の支度金もあった。その会社は好調なスタートで、数年間で融資額が四千億円を越え、株式上場の用意も具体的に進めていた。そこにバブル崩壊が直撃し、真逆さまに転落したのであった。加えて若い頃からの暴飲暴食と多分心労が祟ったのであろうか、私は大腸癌、妻は乳癌を発症した。結局最後の社長を務めて会社の自己破産を申請し失業者となった。半年ほどで近所の寺の草毟りや読経などで過した。そのような右肩下りの我が身の姿を男雛に託したのが、この句である。 |
去る3月5日、平成30年度の俳人協会四賞の授与式が京王プラザホテルで行われました。 ご存じの通り、伊藤伊那男主宰が句集『然々と』で第58回俳人協会賞を、同人の堀切克洋さんが『尺蠖の道』で第42回俳人協会新人賞を受賞四、銀漢俳句会から4賞の内二賞を頂くという快挙となりました。2019/4/30/更新 |
二次会・店内に入りきれない人数でしたが,日曜日とあって店の前の通りも通行が少なく,穏やかな天候の下、外に溢れる受賞者の二人や他結社の方々と交流するなど、思い思いにお酒を楽しみながr懇談を深め,何時までも祝賀会の熱気は冷めることがありませんでした。 |
伊藤伊那男 俳人協会賞 堀切 克洋 俳人協会新人賞 2019/3/17 学士会館 銀漢亭(二次会) |
△ 月刊「俳句四季」に受賞の記事が掲載されました。 △月刊「俳句四季」に受賞の記事掲載は5月号(4/20発売)か6月号(5/20発売)のどちらかを予定しています。 |
5月 5月16日(土) 「銀漢亭」閉店の報があちこちに流れ、惜しむ声をいただく。来国の青柳飛さん(米国俳句協会会長)からも。前会長のリー・ガーガ氏他のメッセージも届く。唐沢静男句集第二草稿点検。序文を数項加えて、五千字ほど書く。雨。 5月17日(日) 快晴。今日は散歩、1人にて、はけを下って野川沿いに多摩川の土手まで往復2時間ほど。青柳飛さん経由でニューオリンズの比較文学者で一茶研究者デイビッド・ラヌーさんからのメッセージも届く。NYの月野ぽぽなさんからも労いのメール。「彩の国句会」選句。15時くらいから、庭で遅い昼食兼夕食。 5月18日(月) 9時、「銀漢亭」。まほさん出勤前に寄ってくれる。「こんな日は雨が降るのです」と。10時より解体作業。「銀漢俳句会」の資金移動などで郵便局、銀行など。馴染みの「居酒屋なごみ」は張り紙も無く、連絡取れず。夜逃げ? 老舗の「酔の助」は「ありがとうござんしたおさらばゑ」の張り紙。「大金星」は親しかった元店長井上さん、3月末で退職したと。皆、人生激変。昼、毎日新聞の今井竜さん(「俳句てふてふ」担当)と「咸亨酒店」で昼食。打ち合わせ。「極句会」選句。 5月19日(火) 雨空にて桃子に車出して貰い農家の野菜買う。おかみさんと話すと、24代続いているという。「金星句会」選句。今日は料理、家族に任す。岬さんからの蚕豆! 5月20日(水) 「春耕」への投句を忘れ、升本栄子さんより連絡あり。蟇目編集長にFAX。昼、「銀漢亭」。だいぶ片付いている。業者と打ち合わせ。郵便局他廻る。15時帰宅。柴山さんより放し飼いの地鶏の卵到来。 5月21日(木) 9時半、「銀漢亭」。まほさんが来てくれたところで、解体作業の大将に「銀漢亭」の看板を下ろして貰う。10時半、仲介業者と家主に来て貰い取り壊しの最終確認。今日の夕方で工事は終了の予定。17年、風雪に晒された看板の清掃、取り壊しの時壊れた額を補修。武田さんの「残しておこう」との助言で。と、武田夫妻が発行所に来て、少々打ち合わせ。「ひまわり句会」選句。 5月22日(金) 10時、神保町。ガスの栓ストップに立ち会う。丁度「銀漢」6月号発送日にて、久々、編集の方々と会う。大野田さんも夏の俳句大会の差込用紙を持ってきてくれる。太田勝彦さんから美瑛のアスパラガス到来。 5月23日(土) 孫二人と散歩。農家の野菜を買う。「武蔵野探勝会」「雛句会」の選句。角川「俳句」8月号「コロナ時代の俳人たち」2ページ分書く。 5月24日(日) 「銀漢句会」の選句と短文をてる緒さんに送る。散歩。今日は喜多見駅周辺。駅前の教会跡……あっ、村田脩先生の葬儀で……。ただし木造の教会は無し。角さんにメールで確認すると、協会は成城に移転したと。もう11年近く前だ。午後、次女、杏一家来宅。庭でバーベキューパーティー。杏さん明日で40歳。 5月25日(月) 散歩。農家の野菜買ったあと、もう一度、散歩。喜多見、狛江方面。今日は16,000歩で、今までで一番歩いたか。須崎武雄さんより青山椒到来。茹でて保存。 5月26日(火) 祖師谷大蔵方面散歩。「オオゼキ」で買い物。7月号の選句。法政大学高柳先生他、「銀漢亭」閉店を惜しむメールや電話。夕食は成城仲間で自由が丘のテツ君の店「イタリアンレストラン Bar UGO」から取り寄せ。 5月27日(水) 12時、水道橋駅に、大和、禪次、秋葉男、井蛙、志水さんと待ち合わせ。周辺の空き事務所、三箇所ほど不動産会社の案内を受ける。広い発行所に移るか模索中。発行所に戻って1時間ほど打ち合わせ。こしだまほさんに日録送る。 5月28日(木) 孫と散歩。7月号の選句、追い込み。「春星句会」選句。夕方かた成城仲間のN氏邸。三家族で食事会。バーベキュー。私は三品ほど用意。21時ごろ退出するが、家族は午前1時ごろまでいたと。NHK俳句より、私と堀切君の師弟コラボの執筆打診あり。 5月29日(金) 散歩。農家の野菜買う。快晴。久し振りにやや二日酔い。清人さんより、気仙沼、畠山さんの植樹祭、ごく内輪でやるのでどうかと誘いあり。 5月30日(土) 「童夢句会」選句。今日は京王線仙川駅まで散歩。7月号の千句稿、大溝、朽木、花果さんへ郵送。夕食は早い時間から庭で。 5月31日(日) 同人集、会員集の選評書き上げ、朽木、大溝さんに郵送。散歩。あちこち歩いてまた仙川駅。帰宅直後に夕立。あちこち紫陽花が色を深めつつあり。 6月 6月1日(月) 「彗星集」選句評書き、芙紗さんに投函。これで7月号の執筆、選句など全部終了。銀行、郵便局他。銀漢亭の保証金返却ありこれにて銀漢亭の業務一切終了。坂口さんより茂木の枇杷。 6月2日(火) 多摩に住む兄が銀漢亭閉店の慰労会をしてくれるというので訪問。医師を辞めた兄は畑を借り、庭にも様々な花や野菜を育て、蜜蜂を飼い、鶏を飼う生活。全部自作の野菜でもてなしてくれる。昼から、庭を眺めながらの酒宴。 6月3日(水) 慶大丘の会の原稿、エッセイなど執筆発送。散歩。野菜買う。あと仙川を下流に沿って岡本八幡神社周辺へ。今日は16,000歩。昨日兄から貰った野菜をつかって夕食用意。 6月4日(木) 「鎌倉句会」選句。孫と散歩。「宙句会」選句。「若葉」伊東編集長より鈴木貞夫主宰の句集『うたの祷り』の評、依頼あり。 6月5日(金) 散歩。久々、「オオゼキ」で買い物。仕込み。「十六夜句会」の選句。井川さんより四国の酒「梅錦」。「きさらぎ句会」選句。 6月6日(土) 8時前の新幹線乗車。一ノ関乗り換え、気仙沼11時半着。小野寺清人さんの迎えを受け、竣工成った気仙沼大橋を渡って和人さんの家へ。父上の法事で兄上信一さんも仙台から来ておられ、早速庭でバーベキューパーティー。海のもののセット、信一さんからの仙台牛舌など。友人の光明寺住職千田雅寛氏、鮪漁師だった村上正治さん、元ニチレイの桜田恒善さん。そこへ外科医の清水旭先生、牡蠣養殖の畠山重篤さん合流。時鳥の声聞こえる。あと、家の中で飲み直し。和人さんから数々の料理。夕方「旅館 黒潮」へ入る。が、夕食がほとんど食べることできず。早々に就寝。 |
△ ムラサキゴテン・紫御殿
花の名は、葉や茎、萼(がく)が全て紫色であることから名づけられました。
葉色が帯白緑から紫紅色まであり、最も多く栽培されるのは、葉が紫紅色で濃いピンク色の花を咲かせるパープルハートです。