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 5月号  2024年




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銀漢季語別俳句集


伊藤伊那男作品


主宰の8句















       
             

                        

    

今月の目次











銀漢俳句会/2024/5月号










       
    





 


   

 

銀漢の俳句 

伊藤伊那男 

◎酒との付合い方

 昨年九月の初めに胆管癌が発症して以来、ほぼ酒を飲まない生活が半年ほど続いている。三十年前の大腸癌の手術の折は、鯨飲馬食以外に原因は考えられないと深く反省し、半年間酒を絶った。今は人生観が変わってきたこともあってか自然体で、飲みたければ飲んでもいいかな、と思っていた。退院した日は取って置きのシャンパンを開けて少々口に含んだ。その後も会食や旅先で盃を手にしている。だがほとんど飲んでいない。胃の四分の一を切除したこともあってか、一昔前の私の胃がブラックホールと言われていたことが嘘のように食べる量は減っているし、肝腎の酒が旨くないのである。内臓の幾つかを切除しているので、残った内臓が新しい役割分担を協議中で、まだアルコールの処理についての合意がなされていないのかもしれないとも思う。
 思い起こせば小学生の頃、人の集まりがあるときはお燗番を買って出て、表面張力で酒が徳利の首に盛り上がってきたところを密かに飲むことから私の酒は始まった。母の寝酒の赤玉ポートワインをよく盗み飲みをした。高校生の頃は鞄にウィスキーのポケット瓶が入っていた。働き盛りの頃は飲むとなれば数軒梯子酒をするのが普通で、日本酒に換算すれば一晩で一升ほどの酒を飲んでしまうことも度々であった。その上で真夜中に締めの焼肉やラーメンを食べたのであるから、病気の神様が放っておくはずが無いのである。
そんな私に今、酒を飲まない日が続いているのは不思議でもあり、何だか義務を果たしていないような気持ちになるのである。先日は友人と馴染みの店に入り、白子や鮟肝などを目の前にしたのだが酒は唇を濡らす程度で、お茶の方がうまいのである。これは何だか自分の存在意義を失ったような悲しさを伴うものである。旅先などで小体な居酒屋を見つけることが喜びだが、「お飲み物は?」「お茶!」などというのは酒飲みの矜恃に関わることで、このあとの私の旅はどうなってしまうのか、と不安に思う。
 先日も京都の酒場で粕汁ときずし(締め鯖)で酒一合を注文したが、これだけで満腹になってしまい、梯子酒をすることもできず、すごすごと宿に入ったのである。何だか喧嘩に負けた犬のようである。馴染みの割烹だと黙っていても刺身やらグジやらがどんと出てくるので怖くて今のところ入れないでいる。人生の伴侶ともいえる酒との付合い方を再構築しなくてはならない時のようだ。
  
 昼酒は少しにとどめ花菜漬   伊那男











 



  

盤水俳句・今月の一句

伊藤伊那男 

宿坊に酒が匂ふよかきつばた       皆川 盤水


句の宿坊は羽黒手向(とうげ)の三光院。先生は昭和四十五年に出羽三山を詣で、その後月山登拝を果たすなど縁を深めている。句は三光院の前庭にかきつばたが咲いている頃の旅である。夜は大広間で酒宴となるのが通例で、酔いつぶれる者が出てくる無礼講である。そんな開放されたおおらかな雰囲気が出ている。同じ旅での〈残雪に大き幣とぶ湯殿山〉はその後〈残雪に大幣の舞ふ湯殿山〉と改作されて湯殿山参道に句碑が建立された。(昭和五十三年作『山晴』所収)










 




彗星集作品抄
  伊藤伊那男・選


 比良八荒湖へ傾く坊の町           川島  紬
 魚一尾さげて漁師の寒施行          中村 藍人
 雨の音させて追儺の箱階段          矢野 安美
 帰りしかいつもの鴨の在り所         深津  博
 玄関にまだ三寒の坐りをり          加藤 且之
 丹前の外湯七湯下駄の音           西  照雄
 山裾の起伏あらはに野火走る         山田  茜
 悴める箸に毀るる母の骨           中山 桐里
 朝まだき地の底蹴つてえぶり舞        松代 展枝
 探梅や日射しを頬に思惟仏          松代 展枝
 野焼く中千曲ひと筋光りゆく         伊藤 庄平
 左義長のおはりにまはりのものを焼べ     北澤 一伯
 春の雪振り塩ほどで上がりけり        半田けい子
 剥製の顔に睨まれ薬喰            鈴木 春水
 手を入れて手袋の形取り戻す         長谷川明子
 三寒のバッハ四温のショパンかな       武井まゆみ
 海鼠腸の瓶を開けば能登の香が        金井 硯児
 春愁の重さがシーソー下げたるか       島  織布
 少年の春愁釣竿浮子(うき)沈み           尼崎 沙羅

   
 







 
 







    
     

彗星集 選評 伊藤伊那男

伊藤伊那男・選

比良八荒湖へ傾く坊の町           川島  紬
比良はっこう(①八講 ②八荒)は① 陰暦二月二十四日から四日間、近江の比良明神で修した法華八講のこと。比叡山の行事であったが、今は途絶えている。② その頃寒気がぶり返し比良山地からの風で湖上が荒れることが多く、この風のことを「八荒」という。比良比叡特有の季語である。「坊の町」というのは比叡山延暦寺の門前町坂本のことを言うのであろう。湖へ向って坂懸りの町である。珍しい季語を配して取合せを綺麗に固めた。なおついでに言うと「湖」は広辞苑でみると「うみ」とは読めない。「みずうみ」または「コ」である。但し「淡海」(近江)、「諏訪の海」と古来から詠みつがれており、琵琶湖と諏訪湖に限っては「湖」を「うみ」と読んでもよいのではないかと、私は思っている。 

 
魚一尾さげて漁師の寒施行          中村 藍人
 「寒施行」は食糧の乏しい寒中に狐や狸に餌を施すことを言う。今はそんな風習は途絶えており、絶滅季語に入っている。俳句で詠むのは小豆飯や油揚などの餌を想定して詠むのだが、この句では魚を供えたというのが異色であった。かつて港町ではそういう風習であったのか、と妙に納得したのである。


雨の音させて追儺の箱階段          矢野 安美
箱階段といっても若い人には解らないだろう。日本家屋の狭さを補う造作で、階段の下を仕切って抽出しの収納庫にしたものだ。旧街道の宿屋などに残っている。全てが木組みなので豆を撒くと跳ね返る音がそこだけ一際と高かったのであろう。「雨の音」の譬えが面白い。 


帰りしかいつもの鴨の在り所         深津  博
 昨日見た鴨の群れが今日はいない。昨日か今日の朝、北国へ旅立ってしまったのである。その湖面を見詰める作者の一抹の淋しさである。与謝蕪村に〈凧きのふの空のありどころ〉と同じ発想だが、まあこれはこれでいい。


玄関にまだ三寒の坐りをり          加藤 且之
三寒四温は中国東北地方の言葉だが、似たような現象が日本にもあり、低気圧の通過に伴って起きる。その三寒が玄関に居坐っているという。玄関は少し寒い場所なので実感があるし、「坐る」という擬人化表現が面白い。 


丹前の外湯七湯下駄の音           西  照雄
宿の下駄を鳴らして外湯を巡る。名詞だけの構成がいい。 

 
山裾の起伏あらはに野火走る         山田  茜
類型はありそうだが、きちんと詠んでいる。 


悴める箸に毀るる母の骨           中山 桐里 
悲しい場面を冷静さを保って詠んだ。


朝まだき地の底蹴つてえぶり舞        松代 展枝
八戸の伝統芸能「朳」の実景。「地の底蹴つて」がいい。


探梅や日射しを頬に思惟仏           松代 展枝
 調布市深大寺の白鳳仏か。作者自身を仏に仮託したか。

 
野焼く中千曲ひと筋光りゆく         伊藤 庄平
千曲川の固有名詞の効果。川に添う光の曲線が美しい。 


左義長のおはりにまはりのものを焼べ     北澤 一伯
左義長の最終段階の作業に目を付けたのが手柄。


春の雪振り塩ほどで上がりけり        半田けい子
確かに実感がある比喩。料理用語を用いて巧み。 


剥製の顔に睨まれ薬喰            鈴木 春水
 少し落ち着かない薬喰。「睨まれ」に傷みの心が……。


手を入れて手袋の形取り戻す         長谷川明子
 当り前の中からの発見。俳句の要諦を摑んでいる。


三寒のバッハ四温のショパンかな       武井まゆみ
 こういう見方もあったか。音楽での譬えを称えたい。


海鼠腸の瓶を開けば能登の香が        金井 硯児
 このようにして能登地震を悼むことも。復興への祈り。


春愁の重さがシーソー下げたるか       島  織布
重さの無いものに重力を持たせた感覚の良さ。


少年の春愁釣竿浮子(うき)沈み           尼崎 沙羅
 「浮き(●)沈み」の転用。少し無理があるが努力を買う。 




 









銀河集作品抄

伊藤伊那男・選

神将の上ぐる拳や堂余寒        東京  飯田眞理子
竹馬の遠出といふも庭のうち      静岡  唐沢 静男
風二月からつ風てふこの地かな     群馬  柴山つぐ子
歩幅とは合はぬ飛石寒椿        東京  杉阪 大和
光琳の梅の貫禄野梅こそ        東京  武田 花果
三諸へと大蛇のさまに野火走る     東京  武田 禪次
探梅行先に後ろに声のなし       埼玉  多田 美記
抑留の兵士の手記を寒灯下       東京  谷岡 健彦
歌がるた姫はなにかと貌かくす     神奈川 谷口いづみ
歯切れよき車掌の笛や初山河      長野  萩原 空木
豆撒きてやらむ仙臺四郎にも      東京  堀切 克洋
頼朝の墓はひつそり寒牡丹       東京  松川 洋酔
柝のごとく打つ下足札鮟鱇鍋      東京  三代川次郎
















         





綺羅星集作品抄

伊藤伊那男・選

編み進むたびの小揺るぎ毛糸玉     埼玉   中村 宗男
餅花や道幅狭き漁師町         東京   柊原 洋征
鳴く頃に鶯餅はもう終り        大阪   末永理恵子
白味噌と親しき京の三が日       東京   橋野 幸彦
盆梅の置かれ本尊東京へ        東京   森 羽久衣
蕪村忌や三面鏡に顔いくつ       神奈川  三井 康有
神と神話してをりぬ神楽宿       東京   小山 蓮子
いちいちに部屋灯しては福は内     長野   三溝 恵子
豆撒くや母も床より声出して      東京   武井まゆみ
向かひ合ふ鳥の箸置き木の芽和     東京   辻本 理恵
淑気満つ閉めてつながる襖の絵     埼玉   大澤 静子
金縷梅の光あやつる形めく       愛知   北浦 正弘
妻の帰宅を待つやうに春を待つ     愛知   津田  卓

天神旗鼻に日当たる御神牛       東京   飛鳥  蘭
目覚むれば行方不明の宝船       東京   有澤 志峯
読みかけの詩集の続き春の雪      神奈川  有賀 理
水底のやうな空き部屋豆を撒く     東京   飯田 子貢
春帽子玄関に色増やしけり       山形   生田  武
町ひとつ静かに縮む寒月光       埼玉   池田 桐人
蠟梅の香のゆるみなき寺の庭      東京   市川 蘆舟
春めくや神をあなたと呼ぶ祈り     埼玉   伊藤 庄平
麦踏むややや重心を後ろにし      東京   伊藤  政
島畑のところ構はず大根干す      神奈川  伊東  岬
一番星絡めとりたる冬木立       東京   今井  麦
畳屋の無くなる町や針供養       埼玉   今村 昌史
奉拝といふ語建国記念の日       東京   上田  裕
風光る紙飛行機は沖めざし       東京   宇志やまと
蹴躓く長きコードの春炬燵       神奈川  大田 勝行
花蕊に足の縺るる冬の蜂        東京   大沼まり子
長寿なる鬼と二世帯福は内       神奈川  大野 里詩
春兆す糺の森の水みくじ        埼玉   大野田井蛙
寒林に無傷な空の青さかな       東京   大溝 妙子
立春の雨音さとし老の耳        東京   大山かげもと
いつの間に暮れてゐたりし雪催     東京   岡城ひとみ
寒北斗母はあかるく病みたまふ     愛知   荻野ゆ佑子
寒鯉の薄墨のごと揺らぎをり      宮城   小田島 渚
駅前の早送りめく寒暮かな       宮城   小野寺一砂
硬券に鋏をもらひ梅探る        埼玉   小野寺清人
歌枕のその浦風に大根干す       和歌山  笠原 祐子
湯たんぽを膝に乗せ亡き猫のこと    東京   梶山かおり
八度目の辰の凍りて父逝きぬ      愛媛   片山 一行
冬うらら書架に秘蔵のバーボン酒    静岡   金井 硯児
浅春の絵硝子にしむ磔刑圖       東京   我部 敬子
淡海の風向き測り魞を挿す       東京   川島秋葉男
寒施行足らぬと鴉高みより       千葉   川島  紬
黒豹のごときSL春動く        神奈川  河村  啓
脇道へあつさり抜ける探梅行      長野   北澤 一伯
大き手を背に感ずる日向ぼこ      東京   絹田  稜
撫牛の撫でて四温のぬくみかな     東京   朽木  直
相撲取塩撒くやうに豆を撒き      東京   畔柳 海村
ひるがへる成人の日の袂かな      東京   小泉 良子
まどろみのまだ覚めぬまま猫柳     東京   小林 美樹
銀の匙舐めて裏見る冬銀河       千葉   小森みゆき
自分史は句帳で語る冬の虹       宮城   齊藤 克之
「婆抜き」の婆手の内に春を待つ    青森   榊 せい子
お降りのそれほどもなき思案橋     長崎   坂口 晴子
友禅を流して加賀の雪解川       長野   坂下  昭
天窓を覗きゐたるは雪女        群馬   佐藤 栄子
黒猫を隠しきれない春の雪       群馬   佐藤かずえ
大声をあげて搗きをり寒の餅      広島   塩田佐喜子
啄める嘴に二月の光かな        東京   島  織布
ものの芽や小屋から玉子持ち帰る    東京   島谷 高水
白梅に悲しみを置く葬の窓       兵庫   清水佳壽美
毛皮夫人玩具のやうな犬を抱く     東京   清水 史恵
追儺式銅鑼の合図で始まりぬ      東京   清水美保子
武蔵野の名残の森も春めきぬ      埼玉   志村  昌
蕗の薹天麩羅にして少し咲く      千葉   白井 飛露
白濁に殻音掬ふ浅蜊汁         神奈川  白井八十八
大黒の頭巾だぶつく初神楽       東京   白濱 武子
龍の絵馬風にかたかた初天神      東京   新谷 房子
手水場に雀の遊ぶ良寛忌        東京   鈴木 淳子
同じ雀らしきが庭に三ヶ月       東京   鈴木てる緒
八十路半ば日日の尊き睦月かな     群馬   鈴木踏青子
流木に座して見上ぐる春の雲      東京   角 佐穂子
覚えある廊下の染みや寺寒し      千葉   園部あづき
金平糖のころがるやうな初音かな    神奈川  曽谷 晴子
山なみの眩しさに退き風邪の熱     長野   髙橋 初風
春うらら律を呼びたる子規の声     東京   高橋 透水
手袋に挟む片道切符かな        東京   竹内 洋平
地獄絵のおどろおどろし寒詣      神奈川  田嶋 壺中
まだ壁に馴染まぬ暦三ケ日       東京   多田 悦子
一夜にてあらはるる蕾ヒヤシンス    東京   立崎ひかり
読初の式部日記の赤傍線        東京   田中 敬子
凍返るばん馬の足の太きこと      東京   田中  道
鷽替の大きうそより売り切れし     東京   田家 正好
洲崎の名残す弁天月冴ゆる       東京   塚本 一夫
鷹の目の縁に炎の色宿す        東京   辻  隆夫
警戒のわづかに残る兎の目       ムンバイ 辻本 芙紗
煮凝の底に漂ふ鯛の鯛         東京   坪井 研治
裏口のやうで正面雪囲         埼玉   戸矢 一斗
登記簿に甲区と乙区日脚伸ぶ      千葉   長井 哲
今はもう肩借り合うて老いの春     東京   中込 精二
冬至粥大いに吹いて少し吸ふ      大阪   中島 凌雲
赤べこも首すくめゐる余寒かな     神奈川  中野 堯司
ボートまだ眠る形に春隣        東京   中野 智子
春の風邪男濁るる無精髭        東京   中村 孝哲
御祝儀を確と嚙んだる獅子頭      茨城   中村 湖童
北風吹く京浜運河まつすぐに      東京   中村 藍人
幸せは低きところに鉢の梅       長野   中山 中
寒鯉の一尺違ふ今日の位置       千葉   中山 桐里
血縁といふ悲しさの実朝忌       大阪   西田 鏡子
人の子とどこかが似たる子猫かな    東京   沼田 有希
文人の肖像なべて懐手         埼玉   萩原 陽里
水仙の今にも駆け出しさうな風     広島   長谷川明子
早梅や音をたてねば開かぬ木戸     東京   長谷川千何子
国生みの島の楪峰あをし        兵庫   播广 義春
水煙に鳩の旋回春立てり        埼玉   半田けい子
鴨引きて川面ぼんやりしてゐたり    埼玉   深津  博
早や崩れ泣くかに春の雪達磨      東京   福永 新祇
老いてなほ抱負埋めゆく初日記     東京   福原  紅
竜天に登り連凧鱗なす         東京   星野 淑子
空也像は願ひのかたち夜半の雪     岐阜   堀江 美州
せせらぎに聞耳立てて猫柳       埼玉   本庄 康代
寒卵御加護めきたる米寿かな      東京   松浦 宗克
カレンダー一枚繰れば春の音      東京   松代 展枝
初芝居敵役まで晴ればれと       神奈川  宮本起代子
大いなる影の揺らぎて寒鴉       東京   村田 郁子
春立ちぬ睫毛を伸ばす美容液      東京   村田 重子
窓少し開け木の芽風久留里線      千葉   森崎 森平
能面の朧を宿したる眼         埼玉   森濱 直之
侮れぬ重さに積もる春の雪       長野   守屋  明
唇で伸ばす口紅余寒かな        東京   保田 貴子
四方に声四方に打ちけり鬼やらひ    東京   矢野 安美
足抜きの気負ひ失せたり春炬燵     愛知   山口 輝久
子等の声真つ直ぐ届く梅日和      群馬   山﨑ちづ子
一湾をたひらかにして初日影      東京   山下 美佐
魚は氷に上り浦島竜宮に        東京   山田  茜
今は昔絵踏の街の石畳         東京   山元 正規
初鶏の三諸の山に高鳴けり       東京   渡辺 花穂
冬銀河金平糖を散らすかに       埼玉   渡辺 志水











          






     





銀河集・綺羅星今月の秀句


伊藤伊那男・選

柝のごとく打つ下足札鮟鱇鍋       三代川次郎
最近の事情には疎いのだが、下町の古い料理店では玄関に下足番がいて、番号の付いた木札を呉れたものである。下足番が打ったのか、客が打ったのか、柝のごとき音に賑やかな店内の雰囲気が彷彿と浮かび上がるのである。 


編み進むたびの小揺るぎ毛糸玉      中村 宗男
 毛糸を編む情景だけを詠んだ句である。実に克明であり俳句的である。自分の感情は一切入れないで毛糸玉の微細な動きだけを詠む。だからこそ読者の思い出を誘う普遍性を持つのである。「物」だけを詠めばいいのだ、という写生の骨法を具現した句である。


餅花や道幅狭き漁師町          柊原 洋征
 情景を鮮やかに切り取って全く無駄の無い句である。人が重なり合って暮らすような小漁港の様子が明瞭である。人一人が通るのがやっとという坂懸りの路地に餅花が枝垂れている。触れざるを得ないほどの近さである。全体的には暗い冬の風景の中に餅花の紅白が光を放っているのだ。


鳴く頃に鶯餅はもう終り         末永理恵子
富安風生に〈街の雨鶯餅がもう出たか〉がある。それに呼応するような面白みを湛えた句だ。まだ笹鳴きの頃に鶯餅が出て、ちゃんと鳴く頃には違う菓子が店頭に並んでいる。風生句と鳴き合うような「もう終り」が愉快である。


白味噌と親しき京の三が日        橋野 幸彦
 珍しい角度から京都を見ている句だ。観光客の絵葉書俳句ではなく、その地に一歩踏み込んでいる。京都の雑煮は白味噌仕立て、正月の花びら餅も白味噌餡、ぬたも白味噌和だ。白味噌は塩分を抑えて短期間で作る正月用の味噌。「親しき」の措辞は発見、と言ってよい。


盆梅の置かれ本尊東京へ         森 羽久衣
東京の展覧会への出品で出払った本尊の壇上に盆梅が置かれていたという。住職や檀家の淋しさを紛らわせる気持、無事の帰還を祈る気持などがよく出ているのである。あり合せに盆梅を置いたという滑稽感が少し滲むところも俳句的なのである。


蕪村忌や三面鏡に顔いくつ        三井 康有
忌日を詠むのは難しいが、この句の蕪村忌が芭蕉忌や一茶忌であったとしたら多分失敗作となるだろう。京都の島原に出入りしたり、あの洒脱な俳句と絵を残した作者だからこその取合せなのである。


神と神話してをりぬ神楽宿        小山 蓮子
まさに楽屋噺である。神楽を演じる役者達が演目の合間に神の面を脱いで四方山話をしているのである。俳句はこのように催事の「隙」と「素顔」を突くのが要諦である。自ずから滲み出るおかし味や悲しみが大事である。 


いちいちに部屋灯しては福は内      三溝 恵子
「いちいち」がこの句の眼目。それは父の部屋であり、母の部屋であり、子供の部屋であり、夫の部屋である。今は使われていないのだが、電灯を点して豆を撒き、消して次の部屋に撒く。各々の部屋に一家の思い出と歴史が残っていて灯を点す度に蘇る。下五の「福は内」の締め方がいい。


豆撒くや母も床より声出して       武井まゆみ
 病臥の母上も作者に励まされて豆撒きの声を上げたのである。しみじみと親子の情愛というものを感じさせる句である。こうした行事を残しておきたい、と思う一句だ。


向かひ合ふ鳥の箸置き木の芽和      辻本 理恵
 機知のある洒落た仕立ての句である。箸置きの鳥が向かい合っている、というのである。料理が木の芽和であるところがよくて、語感から春の鳥が飛び交っている景色に想像が及ぶのである。「向かひ合ふ」の措辞が手柄。


淑気満つ閉めてつながる襖の絵      大澤 静子
物理的には当り前なのだが、句としては発見の句なのである。襖を閉めると左右の絵が繋がる。それによって一気に淑気が立ち上がる。そこに感性の鋭さがある。


金縷梅の光あやつる形めく        北浦 正弘
 金縷梅(まんさく)は春の先駆けの花。縮れた糸状の黄色い花弁で鮮烈がある。「光あやつる形めく」は実に上質な表現。真先に春の光を操る手品師のような花だ、というのである。


妻の帰宅を待つやうに春を待つ      津田  卓
夫人からみたら迷惑な話かもしれないが、男の心情は良く解る。年を取ると夫婦の関係はこういうところで均衡を保つのであろう。夫人に対する感謝の勲章である。 



   








                






 

星雲集作品抄
伊藤伊那男・選
秀逸

遺影には置くが如くに豆を撒く     千葉  針田 達行
埋火や大志抱きし日の遠く       岐阜  鈴木 春水
盃伏せしほどの富嶽や春夕焼       栃木  たなかまさこ
身の内に小さき火点す寝酒かな     埼玉  園部 恵夏
寒梅のまづ一輪の力かな        東京  渡辺 誠子
白梅の赤の蕾の割れて白        神奈川 横地 三旦
子等去りてそこに未完の雪達磨     群馬  中島みつる
注連縄の形そのまま灰になる      京都  仁井田麻利子
カステラの薄紙剥げば凍ゆるぶ     東京  髙坂小太郎
初恋の従兄も八十路冴返る       福島  髙橋 双葉
吾に羽ありせば春の羽咋まで      東京  清水 旭峰
靴先のとんがつてゐる寒の入      群馬  北川 京子
行く前に既にぼろぼろ遍路地図     東京  桂  説子
としよりを鍛ふる三寒四温かな     広島  井上 幸三
初鏡見たくもあり見なくても良し    長野  藤井 法子








星雲集作品抄

            伊藤伊那男・選


歳時記の母の手擦れや針供養      東京  尼崎 沙羅
山茶花や故郷の家は人の手に      東京  井川  敏
佐吉翁創業の地や針供養        長野  池内とほる
春を待つ登戸駅のドラえもん      東京  一政 輪太
権禰宜の息を継ぎたる初晦日      東京  伊藤 真紀
中のもの温める形冬木の芽       長野  上野 三歩
白魚の命いただく朝の膳        東京  上村健太郎
山茱萸の花に急かされ庭仕事      長野  浦野 洋一

鬼やらひ闇に頑固な祖父の声      群馬  小野田静江
手に干物熱海銀座に余寒なほ      静岡  小野 無道
掌てふやさしき器六の花        広島  小原三千代
産衣から拳の覗く四温かな       埼玉  加藤 且之
盆梅の枝のをかしみ茶の誘ひ      長野  唐沢 冬朱
白梅のどんと寄せ来る香かな      愛知  河畑 達雄
音を出すもの埋めてゆく雪女      東京  北野 蓮香
浅草の参道長き四温かな        東京  北原美枝子
蒼天に片栗の花三毳山         東京  久保園和美
寒雀土沸く如く一斉に         東京  熊木 光代
薄氷を踏まぬ歩幅で歩みをり      東京  倉橋  茂
冬晴や浅間を望む開拓地        群馬  黒岩伊知朗
父眠る母眠る墓蕗のたう        群馬  黒岩 清子
頬は皆茜となりて初景色        愛知  黒岩 宏行
大磯やどんど九つ町一つ        東京  小寺 一凡
人並みの暮し嬉しく豆を撒く      神奈川 阪井 忠太
玄関の土は何処の春野より       長野  桜井美津江
亡き猫の鳴き出しさうな春炬燵     東京  佐々木終吉
大股で渡る飛石春兆す         群馬  佐藤さゆり
もてあます成人の日の袂かな      東京  島谷  操
雨欲しき下総の地よ冬の雷       千葉  清水 礼子
阿修羅とも見ゆる炎やどんど焼     東京  上巳  浩
燕来る木曾路の今にお六櫛       大阪  杉島 久江
耐えて伸ぶる炎一寸牡丹の芽      東京  須﨑 武雄
風花の日陰を少し明るくす       愛知  住山 春人
映画館出づ底冷の雑踏へ        東京  関根 正義
底冷や棺の母の紅淡し         埼玉  其田 鯉宏
札幌に着くや初雪顔で受く       東京  田岡美也子
こちら向く鏡の顔の冴返る       東京  髙城 愉楽
節分の夜も更け邪気が消えてゆく    埼玉  武井 康弘
雑踏に紛れて二月現るる        東京  竹花美代惠
春巻の衣かりつと春隣         東京  田中 真美
雪の嵩ほどにはあらぬ搔き心地     長野  戸田 円三
揺り椅子の時折止まる暖炉かな     埼玉  内藤  明
寒濤にヘリコプターの捜索音      神奈川 長濱 泰子
寂聴の法話に笑ふ雪間草        東京  西  照雄
突然の礫のごとき冬の雷        宮城  西岡 博子
山辺の道幾曲り春を待つ        東京  西田有希子
山巓に神は居はすや冬の雷       神奈川 西本  萌
真つ直ぐに凍滝一本山を割る      静岡  橋本 光子
箸先のごまめ軽しや一の重       東京  橋本  泰
九十は食へぬ福豆ひとつまみ      神奈川 花上 佐都
左義長や彼方に遅き島の便       神奈川 日山 典子
鉾杉の暮れ残りたる年の宿       千葉  平野 梗華
初能に大原御幸の悼みあり       千葉  平山 凛語
初暦まづは予約の医院の名       広島  藤井 淳子
蠟梅のほつほつ庭に香を放つ      東京  牧野 睦子
雪しろのやがて磯石削るらむ      東京  幕内美智子
朳の舞に篝火夜を焦がす        東京  松井はつ子
侘助の衷心のごと開きをり       愛知  箕浦甫佐子
凍つる朝ぽつりと灯る豆腐店      東京  棟田 楽人
春寒し仏間の引戸重くなり       宮城  村上セイ子
鎌倉や五山に響く鐘朧         東京  家治 祥夫
降る雪や口の小さき募金箱       群馬  山﨑 伸次
初富士を望むさねさし一の宮      神奈川 山田 丹晴
今しばし落ち着きたまへ四十雀     静岡  山室 樹一
鳴き声に孤独の影や寒鴉        群馬  横沢 宇内
母在す町訪ねばや西行忌        神奈川 横山 渓泉
土埃纏ふ路地裏春の雪         千葉  吉田 正克
火口湖は魚住めぬ水冬銀河       山形  我妻 一男
ひとときの賑はひとなる春の雪     東京  若林 若干



















星雲集 今月の秀句

伊藤伊那男

遺影には置くが如くに豆を撒く      針田 達行
 豆撒は威勢の良さと気合が大事だが、さすがに仏壇に対してはそんなわけにはいかず「置くが如くに」撒いた、という。ちゃんと行事は守っていますよ、という報告を兼ねた豆撒である。先祖への畏敬の念をうまく出した。


埋火や大志抱きし日の遠く        鈴木 春水
 人生には前髪しか無い、と聞かされていた。後ろからはチャンスは掴めない、正面から立ち向かえ、というのである。この句は多くの人が抱く感慨であろう。でも消炭ではない。埋火であるからもう一旗挙げることも‥‥。同時出句の〈初氷水のあはひの模糊として〉も氷と気泡と水の混然たる初氷の様子をうまく捉えている。


盃伏せしほどの富嶽や春夕焼       たなかまさこ
 富士山はまさに盃を伏せた形である。特に遠くから見る富士山がそのように見える。配した「春夕焼」もいい。他の季節の夕焼と入れ替えて比べてみても、春の柔らかな夕焼が一番合うようだ。


身の内に小さき火点す寝酒かな      園部 恵夏
 夜の寒さを凌ぐための酒が寝酒。「小さき火点す」が慎ましくていい。日頃飲酒の習慣の無い人が飲む酒であるから、私のような酒飲みには理解できない酒である。


寒梅のまづ一輪の力かな         渡辺 誠子
 対象物をしっかりと見て、その「物」だけを詠み取るという一物仕立てで成功している句である。「まづ一輪の力」の把握がいいところで、寒梅というものの有りように迫っているのである。春の梅との違いを明らかにしている。


白梅の赤の蕾の割れて白         横地 三旦
この句も一物仕立てである。白梅だけを見ているのである。すると白梅なのに蕾に薄い紅色を含んでいることに気付く。その蕾が開くと、紅の気配は全て消え去り、真白い花になるのである。丁寧に対象物を観察した成果である。 


子等去りてそこに未完の雪達磨      中島みつる
 子供の頃に雪達磨を作ったことを思い出す。作っている最中に日が暮れて、母に呼ばれて途中のまま家に帰ってしまったりしたものだ。造り掛けの雪達磨だけが路地にぽつんと残っている。「未完の」の措辞におかしみが残る。


注連縄の形そのまま灰になる       仁井田麻利子
 どんど焼の一景であろうか。注連縄がすっかり燃えたのだが、同じ形の灰がそのまま残っている。厚味のある注連縄ならそんなこともありそうだ。同じ形のままながら違う「物」になっているところにうまく焦点を当てている。


カステラの薄紙剥げば凍ゆるぶ      髙坂小太郎
 かなり離れた取合せだが、この句には感性の鋭さがある。カステラの下に敷いてある薄紙、剥がせば茶色の焼目に混じるザラメの粒が‥‥。何だか心の中まで明るくする香りと甘さと柔らかさ。まさに「凍てゆるぶ」である。


初恋の従兄も八十路冴返る        髙橋 双葉
 この句を見て、私の従兄弟を数えてみた。十九人いる筈であるが、時々会うのは一人だけ。一人鬼籍に入っているが、消息の解らない従兄弟も多い。思えば初恋に近い淡い憧れを持った従姉もいたな‥‥。


吾に羽ありせば春の羽咋まで       清水 旭峰
 能登半島の地震を悼む句である。「吾に羽ありせば」は実に率直で、思いの丈が万人の胸に届く句だ。


靴先のとんがつてゐる寒の入       北川 京子
靴先だけを詠んでいるが、読み手にはそれだけではなく、身も心も「とんがつてゐる」ことが解る。寒の入に立ち向かう心構えが「靴先」に象徴されているのである。 


行く前に既にぼろぼろ遍路地図      桂  説子
四国八十八ヶ所の霊場巡りは若い頃から憧れていたが、未だ果たしていない。全行程千二百㎞というから、早くても一ヶ月から一ヶ月半はかかるはずである。今からでは難しいな‥‥と思う。この句は行く前から地図はぼろぼろだという。これ位のユーモアを持っていれば歩き遍路も完遂できそうだ。 


としよりを鍛ふる三寒四温かな      井上 幸三
 三寒四温は春に近づく頃の冬の季語。寒い日が続いたと思うと急に暖かい日に変わる。確かに年寄りにはきつい試練の気象である。ただし「鍛ふる」と前向きな表現であるところがいい。老いの闘志が垣間見られる。


       
















伊那男俳句


 
伊那男俳句 自句自解(100)
            
静脈の色鎌倉の曼珠沙華

 学生時代から鎌倉を訪ねている。俳句を始めてからは尚更である。鎌倉時代の特にその前半は野蛮極まりない時代である。武家政権を初めて築いた頼朝の死因も墓所も不明である。今の墓所は江戸時代に薩摩の島津氏が建てたものである。結局鎌倉時代百四十年の内、源氏が頭領であったのは三十年ほどに過ぎない。試しに源氏の血脈の一覧表を作ってみたことがある。私の知る限り、頼朝の兄弟から実朝まで、男子二十数名がいるのだが、寿命を全うしたのは一人だけである。それは政子の謀殺を恐れて高野山の僧侶にした貞暁で、四十六歳で自然死をしている。他はことごとく戦死か暗殺、それも一族の中での血で血を洗う抗争の果てである。そんな暗黒の歴史を念頭に鎌倉の谷戸を歩き廻ると地の底からの声が聞こえてくる。鎌倉に咲く曼珠沙華のあの赤い色はこの地に染み込んだ武士の血潮の色ではないかと直感したのである。それも暗い静脈の色と。

菊枕には重すぎる頭かな

 菊枕とはどんなものなのか、初めて知ったのは松本清張の初期の短編小説『菊枕―ぬい女略歴―』であった。まだ俳句を始める前の話で、のちに杉田久女がモデルであることを知った。久女が高浜虚子に菊枕を送ったのは事実である。虚子と久女の関係は難しい。虚子から見ると、弟子の領域を超えてぐいぐいと踏み込んでくる久女は煩わしい存在になっていったであろう。久女から見ると誠意を尽くしているのに句集の許可は出さない、同人は抹消する、仕舞には精神病扱いにして余りにも理不尽である。この溝は埋めようが無いのである。私の句はただ自分の頭が重いので、もし菊枕を貰ってもすぐペチャンコになるだろうという馬鹿馬鹿しい句である。菊枕という高貴なものに庶民的な滑稽味をぶつけてみたのである。だが此の頃、この句の主人公は私ではなく虚子であっても面白いかな、と思うようになった。虚子の頭痛の種の菊枕が「重すぎる頭」に反映できているかもしれない、と。







   


 



俳人協会四賞・受賞式





更新で5秒後、再度スライドします。全14枚。







リンクします。

aishi etc
        











銀漢の絵はがき


挿絵が絵葉書になりました。
Aシリーズ 8枚組・Bシリーズ8枚組
8枚一組 1,000円

ごあいさつにご利用下さい。
















掲示板

















               
 
     

「銀漢」季語別俳句集




拡大します。
銀漢季語別俳句集
待望の『季語別俳句集』が3月に刊行されました。









主宰日録  

  



2月

2月22日(木)
雨続く。先日より娘が、私の目が白濁してきているように思うとて、「砧ゆり眼科医院」の予約を取ってくれる。9時、検診。白内障と。手術を勧められ、病院の紹介状を貰う。久々、祖師ヶ谷大蔵に出て、「オオゼキ」「高橋茶舗」などに寄る。ドトールで一休み。芹のおひたし、島らっきょ、紅鮭の粕漬。到来の屋久島のたんかん旨し! 胆管癌の見舞いに「たんかん」というのが面白いと家族と興じる。

2月23日(金)
4月号の同人集、会員集の選句、選評の追い込み。娘の作った切干し大根煮、卯の花佳し。

2月24日(土)
4月号投句の選、選評を投函。薬のせいか、やや気怠い1日。

2月25日(日)
このところ天気悪し。冷たい雨。彗星集4月号の選句、選評。「銀漢歳時記」の選を投函。これで4月号の仕事全部終了。「第11回井月忌俳句大会」の選句(応募502句)投函。気仙沼から到来の鮪、烏賊、蛸などで手巻寿司。

2月26日(月)
手持ちの仕事を全部終えたので、朝の新幹線で米原。久々、シウマイ弁当を完食。東海道線で膳所。膳所城跡を散策。湖城の風情が解る。大津城は痕跡無し。時折の時雨。三井寺に行くと丁度湖に懸かる大きな虹を目撃。左は堅田辺り、右脚は大津のビルの中であることが確実に解る。旅の恩籠! 17時半、石場の「からっ風」という店に入り、鮒鮓、赤こんにゃくの田楽。瀬田蜆の汁で近江の酒少々。19時半には「スマイルホテル大津瀬田」。2万歩ほどの散策。

  2月27日(火)
4時半起床。朝食しっかり。冠雪の比叡がよく見える。京都から見るよりも心持ち低い。京阪「大谷」下車。「逢坂の関跡」。「関蟬丸神社」は春の雪。三条に出て「とり市老舗」から知人に千枚漬を送る。13時前、「たつみ」で海老天、粕汁、ハイリキ。「賀花」にもちょっと寄る。大丸地下で食料品を少し調達して「ホテルハーヴェスト京都鷹峯」へ。温泉に浸り、のんびり。マッサージ機で身体をほぐす。

2月28日(水)
朝、温泉、マッサージ。快晴。午後も温泉とマッサージ。体重59キロは少し落ち過ぎか。もう少し食べないと。10年ほど前のNHKテレビ「100分d e名著」の「古事記」のテキスト再読。『重ね地図で読み解く京都の「魔界」』を再読。作句。終日宿で過ごす。

2月29日(木)
朝、温泉。マッセージ。10時過ぎチェックアウト。島津製作所の敷地内の小野篁、紫式部の墓。釘抜地蔵の石像寺、北野天満宮の梅は圧巻。町に出て久々「松葉」のにしん蕎麦。喫茶店「ソワレ」。酒を飲む気が起こらず、早めの新幹線で東京へ。

3月

3月1日(金)
4日間留守の間の郵便物の整理。数句会の選句、選評。京都で書きなぐったエッセイなど。5月号の原稿3本まとめる。京都で入手の日野菜の糠漬、すぐきの葉などうまい!

3月2日(土)
5月号の原稿担当に送る。今月は早い進捗。

3月3日(日)
NHK俳句の「復活開店! 銀漢亭」秋の野菜の構想。今日は少し気怠く昼寝など。雛祭。娘と孫の作るちらし寿司がうまい!

3月4日(月)
朝、「日産厚生会玉川病院」。紹介状を持って眼科の二神先生を訪問。検査の上、白内障はあるが、視力はあるし、まだ様子見でいいのでは?との診断を受ける。近隣の静嘉堂文庫の岩崎家の墓所・公園を散策。昼、とろろ蕎麦。

3月5日(火)
髙坂小太郎さんの第2回絵画展の記念誌への選句、祝辞稿などの作業。5回目の抗癌剤服用が終了。京都の漬物でのご飯がしみじみいい。

3月6日(水)
数日天気悪し。毎日新聞「俳句てふてふ」のエッセイ。食べ物の季語の解説。「蜆」「桜鯛」の二本書く。この頃、食べ物俳句の依頼多い。秋からの調布の俳句講座も「食物と俳句」。八戸のいちご煮の加薬ごはん。

3月7日(木)
「銀漢」4月号の校正作業。昼、とろろ蕎麦。夜、キャベツを茹でて軽く絞り、武田さんのオリーブオイル、薄口醬油、鰹節で和えるサラダ。干物。デコポン(たんかんは終了)。

3月8日(金)
夜明けに雪。結婚記念日。半世紀ほど前のこと。杏子に付き添って貰い、ドコモショップ。バッテリーが弱っているので新しいものに(らくらくホン)。料金も見直し。何と3分の1位になりそう。赤飯を買う。夜、佐賀嬉野の湯豆腐。

3月9日(土)
牛蒡の料理を一つ試作(素揚げ牛蒡の南蛮漬)。これで「NHK俳句」秋の野菜6品が揃う。昼、四谷の「主婦会館プラザエフ」にて「第11回井月忌俳句大会」。予想より参加者少なく、70人位か。あと隣の中華料理店にて懇親会。久々の顔を見るのが嬉しい。

3月10日(日)
「銀漢本部句会」選句。城跡巡りのまとめなど。「銀漢」5月号の選句に入る。昨夜、帰路の「Odakyu OX」の鮪の半額刺身で手巻寿し。納豆、烏賊刺、貝割大葉、胡瓜などを交えて。

3月11日(月)
「岩野歯科クリニック」定期検診、昼、焼芋とおはぎ。随分嗜好が変わってきた。夜、海鞘と胡瓜。蒟蒻の刺身。粥、鰹のづけ焼。

3月12日(火)
朝、粥、大根おろしとじゃこ、目玉焼、味噌汁。9時前、「順天堂大学病院」。採血、齋浦先生と面談。腫瘍マーカークリアーと。薬局の待ち時間が90分! 新宿「手打蕎麦 渡邊」で納豆蕎麦。冷たい雨。夜、デコポン、バナナ、カレーライス少々。

3月13日(水)
快晴。6回目の抗癌剤服用に入る。午後、下北沢の「星野珈琲店」にて「NHK俳句」の浦川聡子さんと秋号の原稿の打ち合わせ。久々、プリン食す。夜、トンカツ少々と千切りキャベツ、パイナップル、飛騨赤蕪漬。

3月14日(木)
快晴。ポストの横の白木蓮が見事!大根おろしとジャコ、赤蕪漬、舞茸の味噌汁、粥の朝食。昼、とろろ蕎麦。夜、到来の夏蜜柑とシチュー少々。

八戸の伝統芸能「朳」の実景。「地の底蹴つて」がいい。 3月15日(金)
快晴。13時、毎日新聞社。「俳句てふてふ」の今井竜さんを訪ねる。屋上や新聞社の中を案内して貰う。喫茶店にて今後についての打合わせ。次回分の原稿手渡し。豚汁。

3月16日(土)
快晴。通販で取り寄せてみた熊本のキンカンが旨い。

3月17日(日)
快晴。数句会の選句。デコポン、夏蜜柑、せとか……と柑橘類が身体に合う。

3月18日(月)
13時、「京王プラザホテル」にて俳人協会総会、4賞受賞式。久々の方々と挨拶。受賞者の1人の橋本榮治さんとは「塔の会」の同期入会。祝意を述べるのが一番の目的。懇親会には出ないで帰宅。俳人協会の平均年齢77・7歳は危機的な数字。

3月19日(火)
「りいの」終刊号に檜山哲彦氏の追悼文千字ほどを書く。数句会の選句。7ヶ月ぶり位に自転車に乗ってみる。「銀漢」5月号の選句。

3月21日(木)
午前中、三田の専売ビル。「丘の会」運営委員会。昼、とろろ飯。13時から句会。終わったあと神保町。喫茶店で一休みして18時半からの「銀漢句会」に出席。半年振りのこと。皆さん歓迎して下さる。あと「秋」という中華料理店にて親睦会。帰宅すると23時過ぎ。この時間の帰宅も半年振りか。


      














         
    






今月の季節の写真/花の歳時記



2024/5/27撮影   アグロマンテマ HACHIOJI





花言葉     「気持ちがなびく」、「育ちの良さ」、「自然を好む」


△アグロステンマ
アグロステンマという名前は学名「Agrostemma」をそのまま読んだもので、ギリシア語が由来となっています。「agro」というギリシア語は「野原」という意味で、そして、「stemma」という単語は「花冠」という意味です。
グロステンマが開花して、愛らしい姿がまるで野原にある花冠のように見えたことで、このような由来の学名がつけられたのでしょう。
また別名「ムギセンノウ」、「ムギナデシコ」という名前は、アグロステンマの葉が麦に似ているほか、「センノウ」や「ナデシコ」の花にも似ていることに由来して、これらの別名がつけられました。
ちなみにアグロステンマは英語では「corn cockle」。こちらはトウモロコシ畑の雑草という意味です。繁殖力が旺盛で、雑草として嫌われがちな植物ともいえます。


 御衣黄桜  翼果 御衣黄桜  桐の花 ボダイジュ
エゴノキ スイカズラ 栗の花 桑の実 オルレア
ブラシの木 カンパニュラ ビヨウヤナギ アグロマンテマ











写真は4~5日間隔で掲載しています。 


20224/5/30








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