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 6月号  2024年



伊藤伊那男作品     銀漢今月の目次  銀漢の俳句 盤水俳句・今月の一句   
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銀漢季語別俳句集


伊藤伊那男作品


主宰の8句
















       
             

                        

    

今月の目次











銀漢俳句会/2024/6月号










       
    





 


   

 

銀漢の俳句 

伊藤伊那男 

◎愛宕山をめぐって

 妻の実家が京都の嵯峨野の入口にあった。若い頃、年末年始はほぼ毎年転がり込んでいた。一日中酒を飲んでいるのは母上の迷惑になりそうだし所在無いので、早朝から外出し小さな旅をした。京の市中はもちろん、遠くは高野山、近江なども訪ね歩き、私の関西行脚の原点となった。実家の目の前に標高九二四mの愛宕山があった。或る時登ってみようと思い立ち、夜明け前に歩いて山に向かった。奥嵯峨から清滝を経て平野屋のある二の鳥居から登山道に入る。当時既に酒と飽食で肥満体になっていた私には三時間の直登は大仕事で、真冬なのに汗だくで死にもの狂いであった。頭の中も錯乱していたので山頂の社殿などの記憶は全く無い。
 さて、明智光秀のことである。光秀は天正十年五月二十八日に愛宕神社に参拝し、その四日後、本能寺の変を起こす。愛宕山では光秀を主客に連句が巻かれた。
  発句  
時は今雨の下知る五月かな   明智光秀

  脇句  
水上まさる庭の待山      感徳院行祐

  第三句 
花落つる流れの末をせき止めて 里村紹巴

 この連句については後から議論を呼ぶことになる。普通なら「五月雨の今天下の行方はどうなっていくのだろうか」位に理解するのだが「時は今→土岐は今」、「雨の下知る→天の下知る=下知=天下を取る」、いよいよ土岐氏の裔である明智が天下を治める時が来た、と伝わっているのである。脇句の行祐は愛宕山の座首。「水流が強くなって変化の兆しが出ている。変化を待っていますよ」、当代一流の俳諧師の紹巴の第三句は「待っているだけでいいのですか? 傍観を止めて、流れを堰き止めるものを除いたらどうですか」、と解釈できるという。つまり二人は光秀の決起を(そそのか)したというのである。反対説としては光秀の原句は「雨の(なる)なる」、行祐の原句は「()山」であり、後に誰かが書き替えたという。私は冒頭のような見え見えの心情を三人して詠んだとは思えないが、真実は歴史の厚い扉の中である。
 二年前の夏、京都で時間があったので、初めて水尾(みずお)の里を散策してみた。愛宕山の裏側、丹波側で、柚子の里として知られている。清和天皇が隠棲した地で御陵もある。丹波を治めていた光秀はこちら側から愛宕山を登拝している。私も光秀の気持ちを考えながら登ってみようかと随分悩んだが、登りで三時間、京都側への下山で二時間は歩くことになる。しかも炎天下であるから、この飽食の老人には無謀だ、と言い聞かせて山陰線で市中に戻ったのであった。















 



  

盤水俳句・今月の一句

伊藤伊那男 


立ち寄りし札所に夏蚕匂ひけり      皆川 盤水

全句集を見ると夏蚕の句が七句あった。春の季語の蚕の句が一句も無いのは不思議である。「両神山へ」の前書きがある。同じ時であったかは不確かだが、私もこの傾斜畑に張り付いたような秩父の民宿の吟行に参加している。この頃にはもはや蚕飼は廃れていたが、札所もこの民宿も二階は蚕飼用の造りになっており、先生には懐かしい匂いまでが感じられたのであろう。後に〈講宿に瀬の音のする夏蚕かな〉があるが、羽黒の手向(とうげ)集落の嘱目のようだ。
(『随処』『寒靄』拾遺)










 




彗星集作品抄
  伊藤伊那男・選


 曾我物も遠くなりたり花の兄         竹内 洋平
 頬杖に知る春愁の重さかな          中野 堯司
 涅槃絵図嘆きの声に綻ぶか          西田 鏡子
 一言に終はる祝辞の暖かし          塚本 一夫
 ふるさとにのめのめ帰る蜷の道        大野 里詩
 風神と力くらべや凧上ぐる          坂口 晴子
 少し向き合はせるやうに内裏雛        平山 凜語
 甘茶照りして逞しき誕生仏          中村 湖童
 山笑ふときをり鳥を放ちつつ         大沼まり子
 京雛や眉にお公家の憂ひあり         平山 凜語
 猟銃の音に始まる雪崩かな          川島秋葉男
 猿山を風船ひとつ越えにけり         深津  博
 観光バス着くたび濡るる海女の髪       白濱 武子
 箸袋箸置きにして真砂女の忌         本庄 康代
 利休忌や用ゐぬままの刀掛          白濱 武子
 春の雪影あいまいに地に触れり        杉阪 大和
 鷹鳩と化し校搭に群れてをり         坂下  昭
 葉桜の葉脈透くる灯火かな          須崎 武雄
 抽斗の奥に臍の緒春障子           三溝 恵子
 満開にすでに傷みの白木蓮          杉阪 大和 
 


 
 










    
     

彗星集 選評 伊藤伊那男

伊藤伊那男・選

曾我物も遠くなりたり花の兄         竹内 洋平
「曾我物」とは領地争いから父を殺された曽我十郎・五郎の兄弟が、頼朝の催した富士の巻狩の折、仇の工藤祐経を討ち果す物語。今の若い人達には忘れ去られた物語である。この句の味わいは「花の兄」の斡旋。桜の花よりも早く咲くので梅の花のことを花の兄という。こんな季語を使って成功することは無いだろうと思っていたが、この句では蘇我兄弟(兄弟にルビの・・)が裏にあるためか、妙に生きてくるのである。蘇我の地が梅の名所であることも寄与しているようだ。 


頬杖に知る春愁の重さかな          中野 堯司
 この句を見ると、太宰治の頬杖を付いた憂い顔の写真を思い出す。「春愁」とは特に理由や原因があるわけではなく、そこはかとない愁いである。果してどんな重さがあるのであろうか。きっとたいした重さではなかろう。それが春愁である。このもったいぶった表現が面白いのである。


涅槃絵図嘆きの声に綻ぶか          西田 鏡子
掛け軸の涅槃図が歳月と共に綻んでいく。経年劣化により当然の成り行きなのだが、この句では絵の中の衆生の嘆きの声によって綻ぶのだという。この見立て、人とは違う視点で対象物を捉えたのは大手柄である。


一言に終はる祝辞の暖かし          塚本 一夫
祝辞は短いのがいい。蘊蓄や自慢話や思い出などが混じるのが厄介である。一言の金言が心に沁みるものである。「暖かし」の季語が効いている。余談だが、私の経験では俳句界の重鎮の祝辞が長いのである。世界最短の詩を作る人の祝辞が長いのが不思議であった。反動であろうか。


ふるさとにのめのめ帰る蜷の道        大野 里詩
「のめのめ帰る」が面白い。志を果たして故郷に帰る人は極僅かであろう。多くは肩身が狭く帰るのである。その気持を「のめのめ」と表現して、蜷の逡巡したような歩みの道と合わせたところに独自性がある。 


風神と力くらべや凧上ぐる          坂口 晴子
 俳句を始めるまでは凧揚げは正月の遊びだと思っていたが、凧合戦などは春の行事だと知った。凧を「いかのぼり」とも読むのは、江戸で凧揚げが盛んになって江戸城に凧が飛んできたので禁止令が出たという。それなら、と町衆は「たこ」では無く「いか」だと言って揚げ続けたことからこの名称があるのだという。「風神と力くらべや」に勇壮な大凧の様子が偲ばれる句である。


少し向き合はせるやうに内裏雛        平山 凜語
雛を飾る人の心ばえが投影した句。 


甘茶照りして逞しき誕生仏          中村 湖童
 甘茶照りの独自の表現がいい。茶渋で逞しくなったか。


山笑ふときをり鳥を放ちつつ         大沼まり子
駘蕩たる春の山の一景である。囀りも聞こえそう。


京雛や眉にお公家の憂ひあり         平山 凜語
公家には公家の苦労も多かろう。幽かに眉に出る。 


猟銃の音に始まる雪崩かな          川島秋葉男
緊迫感のある場面である。やがて雪崩の音も。 


猿山を風船ひとつ越えにけり         深津  博

 動物園の一景であるか。面白い取合せである。


観光バス着くたび濡るる海女の髪       白濱 武子
 観光海女の様子をうまく捉えた。客が来るまで休憩。


箸袋箸置きにして真砂女の忌         本庄 康代
 鈴木真砂女の気さくな性格が出ているような句だ。


利休忌や用ゐぬままの刀掛          白濱 武子
千利休の生涯を暗示するかのような刀掛の取合せ。 


春の雪影あいまいに地に触れり        杉阪 大和
 「影あいまいに」に春の雪の本意を詠み止めたようだ。


鷹鳩と化し校搭に群れてをり         坂下  昭
 啓蟄のあとの温和な鳩。学園に相応しい取合せ。


葉桜の葉脈透くる灯火かな          須崎 武雄
葉桜とは葉の出たすぐの間の季語。葉脈透くるがいい。


抽斗の奥に臍の緒春障子           三溝 恵子
春障子のほのかな暖かさがいい。実家の景であろうか。 
  

満開にすでに傷みの白木蓮          杉阪 大和
開いたかと思ったらもう錆色が兆す。対象をよく見た。 


 





 







銀河集作品抄

伊藤伊那男・選

東福寺
おん丈のままと伝はる寝釈迦かな    東京 飯田眞理子
飴色の潮したたらせ若布干す      静岡 唐沢 静男
初燕何かいい事ありさうな       群馬 柴山つぐ子
酔筆の軸は井月雛の家         東京 杉阪 大和
能登の寺の涅槃団子の鳥けもの     東京 武田 花果
うづ潮をあまた従へ神の島       東京 武田 禪次
川風にひかりの粒の猫柳        埼玉 多田 美記
龍の字が火の粉と空へ吉書揚      東京 谷岡 健彦
塗師の家の開かずの春の障子かな    神奈川 谷口いづみ
渇筆の額も景とし盆梅展        長野 萩原 空木
恋猫に負けてはをれぬ夜とおもふ    東京 堀切 克洋
枝垂梅存外早きしだれやう       東京 松川 洋酔
手摑みで喰ふ豚足や春節来       東京 三代川次郎










         





綺羅星集作品抄

伊藤伊那男・選

丹田に活入れるかに寒卵        埼玉   渡辺 志水
図書館へかよふ晩年風光る       東京   大沼まり子
薄氷はみづの瘡蓋かもしれぬ      愛知   荻野ゆ佑子
雛の酒右大臣とも酌み交はす      長野   坂下 昭
江戸城を守るつもりか残る鴨      東京   白濱 武子
山焼の日延べしさうな風の息      東京   多田 悦子
井月の影も田端の花ざかり       埼玉   戸矢 一斗
日本は百名山の笑ふ国         東京   中村 孝哲
こころもち鴉胸張る建国日       東京   橋野 幸彦
蓋を閉づ栄螺岩戸を立つるかに     東京   保田 貴子
朧夜の傷あるギター部屋隅に      埼玉   森濱 直之
巻き皺にも残る慟哭涅槃絵図      埼玉   萩原 陽里
寒戻る紙を弾きて飲む薬        東京   武井まゆみ
家計簿をつけるも習ひ蜆汁       東京   塚本 一夫
筑波嶺の落し胤とも花かたかご     茨城   中村 湖童
夢二描く女もしやら春の風邪      東京   福永 新祇
三堂に三躯の仏梅匂ふ         東京   山下 美佐
松籟の転調にはか鳥帰る        東京   飛鳥  蘭

建国の日斧一振りの薪の束       東京   有澤 志峯
雪解川井月の筆淀みなし        神奈川  有賀  理
紙風船かしぎて昇る突かれやう     東京   飯田 子貢
この道は職安通り鳥帰る        山形   生田  武

親離れ子離れ難し春炬燵        埼玉   池田 桐人
冴返る何時しか切れし常備薬      東京   市川 蘆舟
かくも擦れかくも澄みゐる踏絵の目   埼玉   伊藤 庄平
身も殻も螺旋二重の栄螺かな      東京   伊藤  政
初音して小谷戸の藪の色めきぬ     神奈川  伊東  岬
草の根に縋りつきたる薄氷       東京   今井  麦
鳥帰る墓所を都心の納骨堂       埼玉   今村 昌史
伊予の夜の鯛の潮も朧かな       東京   上田 裕
紙雛の紙も売られて雛の市       東京   宇志やまと
探梅や戊辰の兵の墓ひとつ       埼玉   大澤 静子
和顔施のお布施の国や花遍路      神奈川  大田 勝行
解く帯の脚にからまる花疲       神奈川  大野 里詩
前触れも終りも知らず春の風邪     埼玉   大野田井蛙
雛壇の鏡が映す我が齢         東京   大溝 妙子
脅かすひと夜の家鳴り春一番      東京   大山かげもと
湯へ降りる階の四五段余寒かな     東京   岡城ひとみ
もう鳥のゐない鳥かご春の闇      宮城   小田島 渚
海胆割かれそれでも歩く二三寸     宮城   小野寺一砂
柴又へ船頭東風に背をあづけ      埼玉   小野寺清人
鶯餅羽根ある如く売切れに       和歌山  笠原 祐子
湯に溶けば潮の香の立つ海雲かな    東京   梶山かおり
島影のひとつ消えたる涅槃西風     愛媛   片山 一行
貝殻の裏のむらさき蜆汁        静岡   金井 硯児
供華の香の満つる彼岸の昇降機     東京   我部 敬子
東風の波将棋倒しに九十九里      東京   川島秋葉男
神木の蘖すでに持つ神気        千葉   川島  紬
風光る千尋の海や富士の裾       神奈川  河村  啓
鳥いよよ嘴の色濃き桜蕊        愛知   北浦 正弘
絵具つく上着をのこし卒業す      長野   北澤 一伯
春浅し鳴子こけしの薄き紅       東京   絹田  稜
鳥帰る呼び名の変はる千曲川      東京   柊原 洋征
麦踏んで雲上ありく心地かな      東京   朽木  直
室町に纏てふ句座鳴雪忌        東京   畔柳 海村
いつ来ても雲雀の空の曇りがち     東京   小泉 良子
逃げ遅れたかに公園の雪達磨      神奈川  こしだまほ
壺焼の殻震はせる滾りかな       東京   小林 美樹
故郷のあまくて大き桜餅        千葉   小森みゆき
背を低め低めに歩き猫の恋       東京   小山 蓮子
雪吊の弦闇に泣く兼六園        宮城   齊藤 克之
人訪ね春泥の靴ためらへる       青森   榊 せい子
殉教の址の青きを踏みまよふ      長崎   坂口 晴子
笹子鳴く尊徳像にひびすこし      群馬   佐藤 栄子
とろとろと脳内溶くる春暖炉      群馬   佐藤かずえ
牡丹の芽時をり風のたかぶれり     長野   三溝 恵子
啓蟄の地へ音たてて雨の粒       広島   塩田佐喜子
打ち揃ひ大和の空を鳥帰る       東京   島  織布
笹鳴や天地開闢てふ山に        東京   島谷 高水
上海
旧正や鶏と乗る夜行バス        兵庫   清水佳壽美
抱けば眼を開く人形春愁        東京   清水 史恵
暗がりにうらなり顔の享保雛      東京   清水美保子
蘖と言へど叢なす茂りやう       埼玉   志村 昌
三寒の図書館四温の動物園       千葉   白井 飛露
選外の字余りの句ののどかなり     神奈川  白井八十八
料峭やロダンの像は背を丸め      東京   新谷 房子
もつこすの系譜花芯に肥後椿      大阪   末永理恵子
梅見茶屋の梅の焼き印ある団子     東京   鈴木 淳子
ご先祖の鴨居にずらり紀元節      東京   鈴木てる緒
酒絶てず孫の受験の日なれども     群馬   鈴木踏青子
年重ね雛を飾るも頼み合ひ       東京   角 佐穂子
涅槃像まこと尊き肘枕         千葉   園部あづき
春の風邪枕の位置の定まらず      神奈川  曽谷 晴子
語部の長老を据ゑ春火鉢        長野   髙橋 初風
平凡に善きことのあり蓬餅       東京   高橋 透水
百千鳥杜のふくらむ宇陀郡       東京   竹内 洋平
持ちあげて枝振り愛づる盆の梅     神奈川  田嶋 壺中
大朝寝幾度も時を確かむる       東京   立崎ひかり
薄氷の川の流れを透かしをり      東京   田中 敬子
山葵田の畝青々と信濃晴れ       東京   田中  道
せはしなき羽音や鴨の引き支度     東京   田家 正好
時計台ありし母校や鳥雲に       東京   辻  隆夫
最後まで忍耐強く出す栄螺       ムンバイ 辻本 芙紗
梅紋の牛の文鎮風光る         東京   辻本 理恵
だれもみな母なき齢春寒し       愛知   津田  卓
階段の踊り場ごとの余寒かな      東京   坪井 研治
戻らぬと決めて住む町忘れ雪      千葉   長井  哲
釣糸を春の流れにまかせきり      東京   中込 精二
二月果つ天竺鼠のごとく駆け      大阪   中島 凌雲
鳴き交はし時あやまたず鳥帰る     神奈川  中野 堯司
梅園に来て夫の死を確かにす      東京   中野 智子
捨て鐘のあとは間遠に春眠し      埼玉   中村 宗男
春闘のなき年金の振込日        東京   中村 藍人
木曾谷の日はあどけなく斑雪かな    長野   中山  中
ひこばえや兄弟二人家継がず      千葉   中山 桐里
風光る常葉の多き御所の庭       大阪   西田 鏡子
敗戦日炎の空を見し記憶        東京   沼田 有希
沈丁の香の弾けたる真くらやみ     広島   長谷川明子
愛想にも方言こぼれ草の餅       東京   長谷川千何子
引残る鴨を突つ切る渡船かな      兵庫   播广 義春
初午や雲へはばたく大幟        埼玉   半田けい子
雛納め天袋てふお旅所に        埼玉   深津  博
魚は氷に上り光を連れて来る      東京   福原  紅
初天神八十路にもある未来坂      東京   星野 淑子
蹲踞に陽の溶け出せり薄氷       岐阜   堀江 美州
げんげんや山頭火なら寝転ぶか     埼玉   本庄 康代
木の実植う何の木なるも知らぬまま   東京   松浦 宗克
楤の芽に故山のかをり残しけり     東京   松代 展枝
望郷の魚氷に上る茜空         神奈川  三井 康有
棘さへも旨し楤の芽揚げてをり     神奈川  宮本起代子
雛の宵重ねし日々の時偲ぶ       東京   村田 郁子
焼蛤九十九里なる汐を吹く       東京   村田 重子
足元の活断層やふきのたう       東京   森 羽久衣
鍬持つ手休むなかれと夕雲雀      千葉   森崎 森平
括られし根の丸々と植木市       長野   守屋  明
蒲公英を踏んで緩べり土踏まず     東京   矢野 安美
寛解の便りに添へて桜餅        愛知   山口 輝久
桜鯛大事に焼いて焦がしけり      群馬   山﨑ちづ子
叶はざる夢をゆめ見て石鹼玉      東京   山田  茜
魚は氷に大江戸線は地下深く      東京   山元 正規
みすずかる信濃の余寒井月忌      東京   渡辺 花穂










          






     





銀河集・綺羅星今月の秀句


伊藤伊那男・選

丹田に活入れるかに寒卵         渡辺 志水
寒卵と聞くだけで何やら力を得るように思うものだ。私の記憶では昭和三十年の頃一個十円位であったから、今の値段には感謝すべきである。「活入れるかに」がいい。


図書館へかよふ晩年風光る        大沼まり子
 幾つになっても知的欲求を持っていることが大事だと思っている。私の父は七十歳を過ぎても英会話の教室に通っていた。寡黙な人で日本語を話す相手もいないのにと思っていたが、今はその学ぶ意欲が生きがいだったのだと思う。 


薄氷はみづの瘡蓋かもしれぬ       荻野ゆ佑子
「みづの瘡蓋」とは良く言ったものである。誰も思い付かない比喩であると思う。頭の中だけで作ったのではなく、物を見た上で作者の胸の中で醸成されたものであろう。


雛の酒右大臣とも酌み交はす       坂下  昭
雛壇の前での酒盛りであろう。もちろん家族や仲間と盃を交わすのだが、雛壇の右大臣とも酌み交わしたという。この遊び心がいい。人も人形も混然となった雛祭である。 


江戸城を守るつもりか残る鴨       白濱 武子
 皇居のお濠を見てこういう句が出て来たのが嬉しい。鴨の本当の気持は知らないが、もしかしたら江戸城を守るつもりでわざわざ残っているのかな、という発想が面白い。宮城とか皇城とかでなく、江戸城と、過去の呼び名を配したところがまた味わいである。


山焼の日延べしさうな風の息       多田 悦子
 伊豆の大室山の山焼を見ようとした事があったが、その年は風が強かったり、雪が降ったりで三回位日延べがあり断念したことがある。「風の息」の表現がうまい。同時出句の〈火を拒む一隅のあり焼野原〉も焼野の一つの情景をしっかりと捉えている。


井月の影も田端の花ざかり        戸矢 一斗
 少し説明の要る句である。田端は東京都北区の地名。井月との係わりは、ここで開業した下島空谷医師が芥川龍之介に井上井月の存在を知らせ、感銘した芥川が句集出版を勧めて、世に出ることになったのである。句の「影」にはそのことが含まれており、「花ざかり」は二人の発掘が実って今、周知されたことを寿ぐ挨拶である。


日本は百名山の笑ふ山国         中村 孝哲
いつの間にか深田久弥の『日本百名山』が登山家のバイブルになっている。実はもっといい山が、山ほどあるのに……というシニカルな目がこの句の根底にあり、そこがキモである。深田久弥の笑顔が潜んでいるのである。 


こころもち鴉胸張る建国日        橋野 幸彦
建国記念日は戦前の紀元節。神武天皇即位の日である。私の世代がまさにそうだが、日本神話を学校で教えなくなって久しい。建国記念日の来歴を知っている人はほとんどいない祝日なのである。「こころもち胸張る」に肩身の狭さが出ているのだろう。「天照大神」を読めない日本人が多いというのはどう考えてもおかしいのではなかろうか。


蓋を閉づ栄螺岩戸を立つるかに      保田 貴子
前の句に続いてだが、日本神話を知らなければこの句の「岩戸を立つるかに」も理解できないことになる。天照大神の岩戸隠れを栄螺の蓋に掛けたのだから。句は神話の題材を比喩にした楽しい仕立てである。天照大神は外の笑いで岩戸を開けたのが、この栄螺は……。


朧夜の傷あるギター部屋隅に       森濱 直之
青春時代のギターなのであろう。「傷」は単にギターに残ったものだけではなく、作者の心に残った傷なのであろう。だが身ほとりにそのギターを置いているということは、転じて大事な思い出にもなっているのであろう。「朧」という言葉の持つ朦朧とした思い出のような情感がいい仕上がりにしているようである。 


巻き皺にも残る慟哭涅槃絵図       萩原 陽里
涅槃図は鳥獣虫魚を含めた一切の衆生が釈尊の死を悼んで慟哭している図である。その巻物が年月を経て巻き皺を残しているのだが、その巻き皺までもが涙のように思えてくる、というのである。ということは巻き皺は年々増えていくのであるから、慟哭の声は益々増幅して延々と続いていくことになるのだ。卓見の句といってよい。 



 その他印象深かった句を次に

寒戻る紙を弾きて飲む薬         武井まゆみ
家計簿をつけるも習ひ蜆汁        塚本 一夫
筑波嶺の落し胤とも花かたかご      中村 湖童
夢二描く女もしやら春の風邪       福永 新祇
三堂に三躯の仏梅匂ふ          山下 美佐
松籟の転調にはか鳥帰る         飛鳥  蘭















                






 

星雲集作品抄
伊藤伊那男・選
秀逸

豆腐にもツボはありさう針供養     岐阜  鈴木 春水
猫柳合流の瀬々光り合ふ        東京  関根 正義
梅見茶屋風の死角を選りて座す      栃木  たなかまさこ
春雪や修験の山は幻に         神奈川 日山 典子
萩焼のかいらぎのごと斑雪       東京  西田有希子
鞍手綱付けて仔馬は若駒へ       埼玉  園部 恵夏
鈴の音の床に染み入る初神楽      東京  松井はつ子
誰もみな誰かを探す涅槃絵図      東京  伊藤 真紀
湖面割り蜆掻き出す十三湖       埼玉  其田 鯉宏
草薙の剣守る宮冴返る         愛知  住山 春人
道真に都忘れの花あらば        広島  井上 幸三
木々芽吹くけふ満願の百度石      広島  小原三千代
草餅やずしりと重き曲げわつぱ     東京  上村健太郎
はくれんの不透明なる白さかな     東京  桂  説子
足指のよそよそしくて冴返る      群馬  北川 京子
薄墨の草書さながら下萌ゆる      長野  戸田 円三
鳥帰る水面に羽根の走りたる      埼玉  内藤  明
山葵田や浄蓮の滝引き入れて      群馬  中島みつる
朧夜や主にも点く防犯灯        埼玉  加藤 且之
蹲踞に柄杓の安堵春ごほり       長野  唐沢 冬朱
あちこちと磨きたくなる余寒かな    東京  熊木 光代








星雲集作品抄

            伊藤伊那男・選

奴凧袖擦り合ひて逆立ちす       東京  尼崎 沙羅
片栗の花見習ひて腰低く        東京  井川  敏
木曾谷の檜の箸や蕗の薹        長野  池内とほる
冴返る上がり框の武家屋敷       東京  一政 輪太
音ありて春の霰となりにけり      長野  上野 三歩
せせらぎの音のみ聞こゆ柳絮かな    長野  浦野 洋一
白壁に紅梅競ふ長屋門         群馬  小野田静江
春の日の渚の遊びきりもなし      静岡  小野 無道
春愁や今年も縮む吾の背丈       愛知  河畑 達雄
寒明の地割れの残る千枚田       石川  北出 靖彦
剪定の時に思案の鋏かな        東京  北野 蓮香
夕空の粒子となりて鳥帰る       東京  北原美枝子
山葵田の水を集めて水車小屋      東京  久保園和美
卒業す終の別れの友ありて       東京  倉橋  茂
雪解風六文銭の旗靡く         群馬  黒岩伊知朗
お供への今朝の茶柱水温む       群馬  黒岩 清子
蹲踞の柄杓で叩く薄氷         愛知  黒岩 宏行
草餅を邪馬台国に献上す        東京  髙坂小太郎
川の瀬にどんと居直る通し鴨      神奈川 阪井 忠太
薄氷の左右に振れて解け行けり     長野  桜井美津江
故郷の海無き空や蜆汁         東京  佐々木終吉
菜の花の彩りを添へちらし寿司     群馬  佐藤さゆり
入相の鐘もかそけき焼野かな      東京  島谷 操
飯館の休耕田の春田かな        東京  清水 旭峰
春風邪に五日見ぬ間の庭であり     千葉  清水 礼子
蕗味噌や苦味苦手も薬膳と       群馬  白石 欽二
草むすも水漬くも憲法記念の日     大阪  杉島 久江
初燕日にち違はず谷戸の軒       東京  須﨑 武雄
残されし楤の芽にこそ底力       東京  田岡美也子
雛流し岩に足止めされてをり      東京  髙城 愉楽
町空を二廻りして鳥帰る        福島  髙橋 双葉
からからと箸かき混ぜて蜆汁      埼玉  武井 康弘
水温む雨に明るさありにけり      東京  竹花美代惠
野遊や草の香りを教へあひ        栃木  田中 桂子
春愁や鏡をすべて閉づる我       東京  田中 真美
病床のなすこともなき遅日かな     広島  藤堂 暢子
雪洞に揺るる面立ち内裏雛       神奈川 長濱 泰子
顔を出す修行の身とも座禅草      京都  仁井田麻利子
巫女の手を添へて小川に流し雛     東京  西  照雄
修司忌の歌に込めたる片思ひ      宮城  西岡 博子
春愁を友として夜のノクターン     神奈川 西本 萌
湯の町のどこにも坂道春うらら     静岡  橋本 光子
薄氷や屈折率も曖昧に         東京  橋本  泰
布団上ぐる腰に力を春浅し       神奈川 花上 佐都
せりせりと夜半の雨だれ春の雪     長野  馬場みち子
野遊や一つ手前の駅に降り       千葉  針田 達行
寸劇の駆落ち話地虫出づ        千葉  平野 梗華
土手すべる声の合間に雲雀鳴く     千葉  平山 凛語
上げ潮にふくらむ川面桜の芽      広島  藤井 淳子
行きずりの人と褒めあふ寒夕焼     長野  藤井 法子
一飛びで壱岐も対馬も鳥雲に      福岡  藤田 雅規
縁側に追ひやられをり春火鉢      東京  幕内美智子
啓蟄やロバのパン屋も来てをりぬ    愛知  箕浦甫佐子
昼深く魚の跳ねたり震災忌       東京  宮下 研児
春泥の靴北国のスナックに       東京  棟田 楽人
桜もち二階は子規の仮寓とや      東京  無聞 益
空と海相打ち入れて春の海       宮城  村上セイ子
春塵に嘶きて馬涙目に         東京  家治 祥夫
ひとつづつ頂く命蜆汁         群馬  山﨑 伸次
天平の世もかく観しか梅の花      神奈川 山田 丹晴
春雷や動き出したる古時計       静岡  山室 樹一
浅間嶺も一雨ごとに山笑ふ       群馬  横沢 宇内
出払へる漁業組合吊し雛        神奈川 横地 三旦
田搔前畦の流れの水ゆたか       神奈川 横山 渓泉
山葵田を抜けて吊橋秘境の湯      千葉  吉田 正克
魚屋の暖簾なつかし茂吉の忌      山形  我妻 一男
口ずさむ滝廉太郎花の頃        東京  若林 若干
起き抜けの窓の結露の先に春      東京  渡辺 誠子




















星雲集 今月の秀句

伊藤伊那男

豆腐にもツボはありさう針供養      鈴木 春水
針供養の針に鍼灸師の針を持ってきたのが手柄である。針供養の台になる豆腐にもツボ(壺)があるかもしれない、というのがこの句のツボ。鍼灸師なら豆腐のツボが解るかもしれないというおかし味、豆腐の擬人化と、俳諧味を十分に発揮した句であった。 


猫柳合流の瀬々光り合ふ         関根 正義
猫柳と早春の光という取合せはよくあることだ。だがこの句の良さは「合流の瀬々」まで踏み込んだところである。合流点は流れが鬩ぎ合って、とりわけ光が乱れ合っているのである。 


梅見茶屋風の死角を選りて座す      たなかまさこ
梅見の頃の風の冷たさを捉えている。少し暖を取ろうと梅見茶屋に入ってみたもののあちこちから風が入ってくる。死角を捜す様子にそこはかとないおかしさがある。 


春雪や修験の山は幻に          日山 典子
その昔、名のある山のほとんどは神の棲む山、修験の山であった。登山は登拝であった。近代になってスポーツとしての登山になったのだが、もう一度神の山であることを見直してもよいのではないか。この句からそう思った。 


萩焼のかひらぎのごと斑雪        西田有希子
「かいらぎ」とは焼成の具合により釉(うわぐすり)がちぢれた様子をいう。萩焼は白い釉薬がムラを作っているのが特長の一つでもある。随分長いが比喩の斡旋のうまさである。 


鞍手綱付けて仔馬は若駒へ        園部 恵夏
 仔馬もしばらくは遊ばせておいても、調教に入る。鞍を付ける頃にはもう仔馬というよりも若駒に成長しているのだ。仔馬から若駒への短期間の変化を適確に捉えている。



鈴の音の床に染み入る初神楽       松井はつ子
 正月の神楽だから特に神々しいものだが、それを鈴の音が「床に染み入る」と捉えた感覚がいい。独自の表現であり淑気を体感で表現したのである。


誰もみな誰かを探す涅槃絵図       伊藤 真紀
 確かにそうだな、と思う。涅槃図の慟哭の衆生の中に祖父母や父母あるいは同胞や友人の面影をついつい捜すものである。そこにも涅槃図の意味があるのかもしれない。


湖面割り蜆掻き出す十三湖        其田 鯉宏
青森県の港町で十二世紀から十五世紀にかけて繁栄したという。十三湖(じゅうさんこ)とも十三湊(とさみなと)ともいう。早春の景なのであろう。遅い春に薄氷を割って蜆を採るのであろう。十三湖の地名が動かない。 


草薙の剣守る宮冴返る          住山 春人
 草薙の剣があるのは名古屋の熱田神宮。日本武尊が姫の許に剣を置いたまま伊吹山に出向いて山の神に負けた神話が残っている。この句は「冴返る」の季語が草薙の剣にも係る点で生きているのである。


道真に都忘れの花あらば         井上 幸三
菅原道真といえば梅の花ということになるが、この句では都忘れを配したのが手柄である。都忘れの名の由来は佐渡に配流された順徳上皇が「この花を見ると都を忘れることができる」と言ったことによるという。道真もこの花を愛でたら配流の慰めになっただろうに‥‥というのである。だが道真はそれよりも大分前の時代の人であった。 


木々芽吹くけふ満願の百度石       小原三千代
一読気持のいい句である。百度石の願掛けを続けて、今日が満願の日だという。芽吹き時というのが何とも気持がいいのである。俳句の要諦をよくよく満たしている句だ。


草餅やずしりと重き曲げわつぱ      上村健太郎
草餅が重い、という句は度々見掛ける。この句がいいのは「曲げわつぱ」である。秋田杉を使った曲げ物で弁当箱などに使われる。この取合せで、香りの強く、ぎっしりと粒餡の詰った存在感のある草餅が想像されるのである。 


はくれんの不透明なる白さかな      桂  説子
 「不透明な白さ」は発見である。白木蓮とは確かにそんな感じであるな、と頷かされる言い切り方が面白い。
その他印象深かった句を次に


薄墨の草書さながら下萌ゆる       戸田 円三
鳥帰る水面に羽根の走りたる       内藤  明
山葵田や浄蓮の滝引き入れて       中島みつる
朧夜や主にも点く防犯灯         加藤 且之
蹲踞に柄杓の安堵春ごほり        唐沢 冬朱
あちこちと磨きたくなる余寒かな     熊木 光代





















伊那男俳句


伊那男俳句 自句自解(101)          
  
露の世とつぶやいてみて露の中
 万葉集に詠まれた「露」の歌では〈わが背子(せこ)を大和へ遣(や)るとさ夜更けて暁露にわが立ち濡れし〉が記憶に深い。持統女帝は我が子の将来にとって邪魔な存在となる大津皇子を冤罪で死に追いやった。大津皇子の姉大泊(おおくの)皇女(ひめみこ)の悲嘆の歌である。俳諧の時代になると、気象表現としての「露」でなく、「露の世」「露の身」「露の命」など、すぐに消えてしまうはかないものの譬(たと)えとして詠まれることが多くなってきた。その最たるものは小林一茶の〈露の世は露の世なれどさりながら〉であろうか。五十歳を過ぎて郷里に戻り妻を得て漸く授かった女児さとがあっけなく死んだのである。一茶は「果敢無い世であることは承知しているが、それにしても果敢無過ぎるではないか……」と嘆く。「露」が比喩だけで使われている句である。私の句に「露」の字が二つあるのは、比喩としての露と、気象としての露の二つを入れたためである。五十五歳で死んだ妻を時折思い出しての嘆息である。

七五三三は祝詞の間に眠る

 私の七五三は昭和三十年ごろのこと。開業医の父は多忙な中、月に一度は電車とバスを乗り継いで生家を訪ねていた。私が必ずお供をする役割であった。七歳の時であったか、父の生家に行った折、父がお参りに行こうかと誘い、二人で集落の産土神で柏手を打ち、裏山から伊那谷を眺めた。今日はお前の七五三で大人になっていく節目の一つだよ、というようなことをぼそっと語ったように思う。日頃寡黙な人で一緒にいてもほとんど話をしたことが無かったので、その時の父の顔と伊那谷の風景が記憶に残っている。普段着で下駄履きで、祝詞も千歳飴もない七五三であった。私には二人の娘と七人の孫がいるので、七五三には九回立ち合っている。私の時と全く違って着飾ってきらびやかである。句は祈禱の間に三歳の子が緊張感と疲れからうとうとしている一景を切り取ったものである。三の数字に捻りを効かせたものである。子供達が幸せに過ごせる時代が続いて欲しいと切に思う







   


 



俳人協会四賞・受賞式





更新で5秒後、再度スライドします。全14枚。







リンクします。

aishi etc
        











銀漢の絵はがき


挿絵が絵葉書になりました。
Aシリーズ 8枚組・Bシリーズ8枚組
8枚一組 1,000円

ごあいさつにご利用下さい。
















掲示板



















               
 
     

「銀漢」季語別俳句集




拡大します。
銀漢季語別俳句集
待望の『季語別俳句集』が3月に刊行されました。









主宰日録  

  



3月

3月22日(金)
辻隆夫さんの句集『梅日和』(北辰社)出版となる。昨日の句会二つと親睦会でさすがに疲れ少々あり。昼寝。辣韮漬を刻み込んだポテトサラダ試作。粒マスタードとレモン汁を効かせて成功。

3月23日(土)
11時、日本橋「吉」にて「纏句会」11人。7ヶ月振りの復帰。午後3時半から北辰社の件で発行所にて打合せ。帰路、祖師ヶ谷大蔵の「高橋茶舗」に寄り、海苔、近江麩など。送ったり、自宅用に購入したり。木曾のすんき漬の蕎麦。

3月25日(月)
10時、熱海駅に唐沢静男君の迎えを受ける。「河津平安の仏像展示館」。奈良末期に那蘭蛇寺があり、その廃寺跡の仏像数10体。奈良から平安時代にここに広大な寺があり、高い文化があったことが解る。戻って網代の唐沢家。洋子夫人もお元気。私の快復を喜んで下さる。頼んでおいた干物、刺身、野蒜など嬉しい。とろろ汁佳し。17時、辞去。終日雨。

3月26日(火)

「銀漢」5月号の選句選評を投函(大溝、朽木、有賀さん)。今日で6回目の抗癌剤服用終了。朝、釜揚白子と粥。じゃが芋の味噌汁。昼、到来の手作りマーマレードでトースト一枚。きんかん。夜桜漬を散らした粥、デコポン。

3月27日(水)
彗星集の選句選評を終えて五月号の執筆終了。昼、兄の家訪問。五日市夫婦と合流。庭の蜜蜂が分蜂直前。鶏もいる。兄がパエリア、ピンチョスなど料理の腕を上げている。酒はやはり飲めず、トマトジュース。6月の旅の打合せ。蜂蜜、卵を土産に戴く。

3月28日(木)
高橋透水さんの句集稿を見る。小学館「三丁目の夕日」の「昭和歳時記」のエッセイ2本(久保田万太郎、橋本多佳子)書く。朝、豆腐と若布の味噌汁とご飯。昼、すんき蕎麦。夜、粕漬の魚とごはん。せとか。

3月29日(金)
夜中から激しい風雨。城巡りのまとめなど。過去40ヶ所ほど巡ったので記憶が絡まっている。改めて歴史と風景の記憶を確かめる作業。

3月30日(土)
兄の家の鶏の卵、巨大。昨日は卵かけご飯、今日は目玉焼丼。明日の集い用に特製ポテトサラダを作る。

3月31日(日)
14時頃、日暮里「夕焼け酒場」。第8回「銀漢亭の日」。30名ほどの方が集まって下さる。能登七尾の牡蠣ふんだんに。酒はまだ飲めず。鎌倉「力餅家」の権五郎力餅(草餅)が旨い。清人さんの焼そば佳し。3句出し句会。皆、私の体調を気遣って下さる。19時退席する。

4月

4月1日(月)
娘2人と「駒形どぜう」で待合せ。一番客で神棚の下。娘2人は飲むは、飲むは! 私はご飯あと、向島土手の桜並木散策。1分から2分咲。娘2人は桜の下で屋台の酒。桜橋を渡って浅草寺参詣。すごい人出。六区のもんじゃ屋に入り、娘2人はもんじゃで酒。私はもはや傍観。夕方帰宅。

4月2日(火)
午後、中川さん来て髪短くして貰う。成城の桜見て歩く。もう三、四分咲。「一宮庵」の桜餅を買う。龍正君17歳の誕生日とてスキヤキ。とろろ芋の海苔包み揚げ(天つゆで食す)好評。久々、思い出して作った料理。

4月3日(水)
今日から7回目の抗癌剤服用へ。天気崩れる。「銀漢」6月号のエッセイ類、伊藤政、白井飛露さんに投函。某氏より台湾土産のからすみが届く。同じ頃、台湾で大地震ありと!

4月4日(木)
天気良し。仕事一段落したので桜見物がてら築地方面へ散策。築地本願寺。築地場外は凄い人出。食堂街に変わってしまった。波除神社。聖路加国際病院方面へ。外国人居留地跡。一番の目的は鉄砲洲の「慶應義塾発祥の地」。50年来、来なくてはと思っていたところ。カトリック築地教会聖堂。土産は場外市場の昆布、ちりめんじゃこ、ホワイトアスパラガス。

4月5日(金)
今日は曇天。「銀漢」7月号のエッセイ書く。「高野台句会」「きさらぎ句会」「大倉句会」「十六夜句会」の選句。「銀漢」5月号の校正。

4月6日(土)
校正稿武田編集長に送る。成城の桜並木に露店などが出ていて散策。夜、その桜並木に面した中川家で花見の宴。からすみ持参。子供を入れてざっと30人位はいたか。2時間ほどで辞す。

4月7日(日)
11時過、大久保の「創作和食 がんこ 新宿山野愛子邸」にて乾佐知子さんの『曾良の正体』出版記念会。30数名。私が司会を買って出たもの。15時過まで。良い天気。

  4月9日(火)
終日冷たい雨と風。桜を散らす。夜、8ヶ月振りに「火の会」に参加。ロサンゼルスの青柳飛さん参加。酒飲めず。ポテトサラダ持参す。

4月10日(水)
午後、東京芸術大学 大学美術館の「大吉原展」。2時間ほど。解説を読みつつ巡り、さすがに疲れる。残花の上野公園を巡り、「伊豆榮」で鰻重を食べて帰宅。

4月11日(木)
8ヶ月振りに自転車に乗る。農家を訪ね、ほうれん草、春菊、ブロッコリーなどを買う。農家の若夫人と話。

4月12日(金)
「全国俳誌協会 第30回 全国俳句コンクール」の選句。応募句800余句。筍、静岡産2本買う。筍と若布、ほうれん草のお浸し。

4月13日(土)
白井飛露さんから立派なカタログを頂いた「生誕150年 池上秀畝–高精細画人−展」(伊那谷、高遠町出身)が練馬区立美術館であり、見学、堪能する。遅い昼食を蕎麦。夜、パイナップルとデコポン。

4月14日(日)
快晴。13時から成城学園の「澤柳記念講堂」にて小澤征爾さんお別れの会。征悦氏より挨拶あり、白いカーネーションを献花。祭壇は白いカーネーションと白い蘭。氏とは町で3度ほどすれ違ったことがあり、一度はしばらく目が合ったあと目礼を交したことも。

4月16日(火)
朝から順天堂大学医学部附属順天堂医院。採血、齋浦先生と面談。薬受け取ると終わりが14時近くに。齋浦先生より、「リンパ節に転移が3ヶ所あったから重篤だった。4つだと一番重いステージ。幸い抗癌剤の副作用が少ないからあと半年、抗癌剤を続けるのも選択肢の一つ。5月のCT検査のあと考えよう」と。あと、上野に出て、「法然と極楽浄土」展を見る。2時間ほど。夜、筍ご飯。春菊のお浸し。筍の甘皮の吸い物など。

 4月17日(水)
快晴。農家の野菜買いに。ほうれん草、春菊、スナックさや、菜の花、三つ葉。戻って下ごしらえ。「銀漢」6月号の選句。「三水会」は休むことに。ほうれん草、春菊ととんぶりのお浸し。舞茸と鬼おろし大根のポン酢和えなど旨い。

4月18日(木)
「銀漢」6月号を選句。18時、麹町区民館にて「銀漢句会」。あと近くの中華店で親睦会。帰宅23時過。

4月19日(金)
1日中眠たくて眠たくて机に座ってうとうと、仕事にならず。

4月20日(土)
11時、日本橋「吉」で「纏句会」9人。ここの弁当は旨い。

4月21日(日)
新横浜から京都。特急を乗り継いで兵庫県豊岡。タクシーで出石。出石城跡、桂小五郎居住跡などを散策。山口誓子の句碑のある「五萬石」という出石蕎麦店へ入る。この狭い町に33店の蕎麦店があるというのに驚く。「豊岡グリーンホテルモーリス」に投宿。清潔でいい気の満ちた記憶に残るホテル。



     
 














         
    






今月の季節の写真/花の歳時記



2024/6/20撮影  ウズアジサイ    HACHIOJI




 花言葉    「移り気」「辛抱強さ」「浮気」「無常」

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△紫陽花
アジサイは、日本では梅雨に一番の見頃を迎えるお花です。 お花の色は青紫や赤などさまざまですが、アジサイ本来の色はピンクや赤になります。酸性の土からアルミニウムを吸い上げると、アジサイ内のアントシアニンと結びつき、青色に変化するのです。このように不思議な特徴は、他の植物ではあまり見られません。


ビヨウヤナギ ガウラ グレビレア
ドーンパープル
菩提樹 アルストロメリア
プルケア
松明花 翼果 ヒューケラ カラー コウゾ
ウズアジサイ











写真は4~5日間隔で掲載しています。 


20224/6/27








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