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 12月号  2014年

伊藤伊那男作品 銀漢今月の目次 銀漢の俳句 盤水俳句・今月の一句  彗星集作品抄  
  彗星集選評  銀河集・作品抄 綺羅星集・作品抄 銀河集・綺羅星今月の秀句 星雲集・作品抄    星雲集・今月の秀句  伊那男・俳句を読む 銀漢の絵はがき 掲示板 鳥の歳時記 
 銀漢日録 今月の写真



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伊藤伊那男作品

主宰の八句

零余子飯        伊藤伊那男

会ふたびに変る名刺や鰯雲
秋風に巻かれ見知らぬ町かとも
人の世を少しはづれて温め酒
石たたきたたき回つて川暮れぬ
虚栗蹴ればふるさと異郷めく
松手入し過ぎて取り返しがつかず
秩父はも札所いづこも末枯れに
家系図の一人に吾が名零余子飯



        

        
             




今月の目次






銀漢俳句会/12月号










   


銀漢の俳句 

伊藤伊那男 


「銀漢」の俳句       伊藤伊那男

◎ 「井月」を書き終えて
 井上井月についての本をほぼ書き下した。題名はまだ決まっていない。内容は前半が句の鑑賞で、百五十句ほどを選んだ。名句として取り上げたものの他、井月という俳人の人物や生涯の浮かび上るものも取り上げた。後半は井月の生涯を追ったものである。青年期の十年間ほどが記録の残っていない空白の期間であるが、そこは残った俳句から想像して自分なりの解釈を加えた。地名の入った句や、風俗を詠んだ句、食べ物や酒の句などから、江戸、京都には旅人としてではなく、一定期間暮らしたであろうことが想像できる。復本一郎編『井月句集』(岩波文庫)には千三百句ほどが収録されているが、この中から酒と食べ物の句を拾うと、およそ二百数十句に及ぶ。江戸や京都でしか食べられなかったであろう材料や調理法もあり、結構な美食家であったことが浮かび上ってくる。一般に定着している乞食井月のイメージとは違うのである。越後国長岡藩の下級武士の出身であるとすると、学費や生活費、旅費などは一体どう工面したのであろうか……。
 さて、信州に入ってからの生活はだいたい解っているつもりである。諸国を巡って集めた俳諧三部集の序文や跋文、手紙、日記などが残っており、近時発見された文章もある。伊那谷では、そこそこの宗匠として生活の糧を得て、弟子や句友の家に寄食する日常である。卓越した書技、豊富な知識、俳諧師としての能力が井月の財産で、受け入れる側にそれなりの需要があったのである。
 また無欲の人であったかというと、必ずしもそうではなく、40代の初めに俳諧宗匠として、伊那谷を中心とした信州南部を固め、その足で善光寺平を中心とした北信濃を固め、郷里越後へ錦を飾ろうと活動していた節も浮かび上ってくる。最後は江戸に打って出る夢も持っていたのではないか、と思う。だが長岡藩は戊辰戦争で敗北して壊滅した。井月は帰る場所を失い、次第に諦観を持ち始めて、伊那谷での生活へ落ち着いていったのである。
  
落栗の座を定めるや窪溜り      井月

はまさにそれまでの夢は夢として、伊那谷で生涯を終えようとする諦念の表白である。だが諦観の中にやすらぎの気持も滲んでいるように思われる。
 半年間ほど時間を見つけての執筆であったが、かなり熱中して纏めた。吾が郷里を放浪した井上井月のことを考える時間を持てたことは幸せであった。井月入門書として読んでいただき、この俳人の再評価に多少でも役立つことができたら郷里へいくばくかの恩返しをしたことになるかもしれない。「角川俳句ライブラリー」の一書として、近々出版予定である。

 句会では主宰が採ったのに、銀漢誌に投句したら採られなかった。何故か、と聞かれることがある。その答えは
①、投句した句の中にその句よりもよいものがあった。
②、句会では採ったけれど、結社誌への投句では作者の名前が解っているので、その上で評価すると、あなたの作句レベルから見たら褒める句ではないよ、という二つがあり、多くの場合は②である。
 そもそも句会は誰の句であるかが解らないことが前提で、そのために清記作業がある。もちろん長いこと句座を囲んでいると、きっとあの人の句だろうなと思う句もある。だがほとんどの場合は不明である。句会には何十年も句を作っているベテランもいれば、昨日今日入った初心者もいる。俳句という短詩型文芸は、17音しかないために、ビギナーズラックを呼び易いし、ベテランの失策もある。
 句会指導者としては立場上、一定のレベルに達していると思われる句は、できるだけ採りこぼしがないように選ぶことを心懸けるものである。それが初心者の句であれば、類想であったとしても、それは必ず俳人の通る道程であり、褒める。ベテランであれば、内心、この人の句であれば褒めたくないな……と思う。
 そのように、句会には誰の作か解らないまま選句するもの。一方結社誌の選句は、主宰対名前のはっきり解っている投句者との一対一の形での対決ということになり、おのずから選句基準は違ってくるのである。主宰は投句者の俳歴や歩んできた人生を思い浮かべ、作句レベルを熟慮した上で選句するということになる。以上が選句基準の一端である。
 なお「星雲集」の巻頭作品を含めトップ15人の選句について付言しておく。例えば投句中に群を抜いた秀句があったとする。ただし他の句が駄目であれば選抜者の中には入れないのである。選者から見るとまだまだ不安定で安心できないからである。掲載する4句の粒がそこそこ揃っていなければならない。それも数か月はそういう打率の良い状態が続いているかどうかが大切な判断基準である。相撲の昇進基準のようなものが胸の中にあるのだ。休まずこつこつ打率を上げていくことが必要である。そしてその中にぴかりと光る注目句が出たときが「巻頭」ということになる。



       


       



 



  

盤水俳句・月の一句

伊藤伊那男

火祭終へ天ががら空き括り桑      皆川盤水

 盤水先生を囲んで毎年正月の秩父吟行があり、私もすっかり秩父贔屓となり、12月3日の秩父夜祭にも何度か通った。この句の火祭はその秩父夜祭のことである。先生が訪ねた昭和30年代はまだ養蚕業が残っていて桑畑も多かったことであろう。冬場桑の枝を括る。祭のあとの秩父は一気に冬に突入し空っ風の吹く青空があるだけだ。それを「天ががら空き」と把握したところは見事としか言いようがない。
                            (昭和36年作『積荷』所収)




 
                    
 



  
 


彗星集作品抄

伊藤伊那男選

彗星集秀句順位 12月号 平成26年

それぞれの間合を重ね虫時雨      多田 悦子
人形となる菊束の武骨なる       谷口いづみ
橋一つ越えれば千住秋の声       屋内 松山
鶏頭の湿り重たき子規忌かな      武田 花果
目玉だけ物言ふ今日の残暑かな     秋元 孝之
露の世の露つきやすき眼鏡拭く     伊藤 庄平
我が影をつれてくぐりし茅の輪かな   曽谷 晴子
魘さるる黄泉比良坂昼寝覚       權守 勝一
朝顔の数だけ風の生れけり       杉阪 大和
朝顔に太極拳を示しをる        曽谷 晴子
馬の市終りし空のももいろに      坂口 晴子
かぎりなく雲飛んで行き大花野     村上 文惠
鉢替へて狭庭も秋の趣に        小林 雅子
子規の句の多くは知らず獺祭忌     末永理恵子
障子貼る二人暮らしに足りる部屋    杉阪 大和
朝の日を五色に反し鳥威し       笠原 祐子
実石榴や余生にもある反抗期      伊藤 庄平
眼裏のふるさと遠し草の花       有賀 稲香
のぞいたりのぞかれたりも茸籠     坂口 晴子



      
              


          









彗星集 選評 伊藤伊那男

       彗星集秀句 10月号 平成26年
  
それぞれの間合を重ね虫時雨      多田 悦子
虫は秋鳴く虫の総称で、虫時雨は多くの虫が鳴き立てるのを、時雨の音にたとえたものである。松虫、鈴虫、馬追、蟋蟀……。これらの虫は決して合唱の意識を持っているわけではなく、各々が自分達の間合いを保って鳴いているだけなのだ。「間合を重ね」が、一滴の水が大河になっていくような面白さを持つ。

  
人形となる菊束の武骨なる       谷口いづみ
菊人形の準備の菊の束が届く。多分蕾ばかりの葉の多い束であろう。この菊から雅な衣装が縫われていくのだ。姫になるのか、若武者になるのか……ともかく今届いた素材は武骨。菊人形になる前の只の菊を詠んで想像を誘う。

  
橋一つ越えれば千住秋の声       屋内 松山
「千住」の固有名詞が利いた句である。日光街道の出発点、芭蕉の『おくのほそ道』の出立の地である。作者は隅田川のこちらにいる。渡れば芭蕉翁の世界。「秋の声」に芭蕉と曽良の声も混じっているのかもしれない。

  
鶏頭の湿り重たき子規忌かな      武田 花果  
鶏頭と子規というと付き過ぎのように思われるかもしれないが、中七の「湿り重たき」の措辞はなまなかのものではない。その花のぶ厚さの表現に加えて、正岡子規に対する作者の心が混在した、独自の表白になっているのである。子規が硝子戸越しに見た鶏頭――鶏頭の十四五本もありぬべし――を深く読んだ末に出てきた句なのであろう。なお、忌日句に別の季語が重なる事に違和感はない。

  
目玉だけ物言ふ今日の残暑かな     秋元 孝之
夏の疲れが出ているためか、秋の暑さは追い打ちを掛けられたようで身体にこたえるものだ。この句は口をきくのもできなくて、目玉の動きだけで暑さを伝えているという。目は口ほどに物を言うという諺があるが、まさに残暑を目玉で表現したのである。

  
露の世の露つきやすき眼鏡拭く     伊藤 庄平
「露」とだけ言うと、まさに目に見える露で〈金剛の露ひとつぶや石の上 川端茅舎〉〈蔓踏んで一山の露動きけり 原石鼎〉などの句である。一方「露の世」というと〈露の世は露の世ながらさりながら 小林一茶〉〈病床の我に露散る思ひあり 正岡子規〉など、心情を詠んだ抒情句に分かれる。この句は心象句。実際に眼鏡に露がつくはずもないのだが 心につく露である。

  
我が影をつれてくぐりし茅の輪かな   曽谷 晴子
別人格のように影を詠む。茅の輪の季語の配合の良さ。

  
(うな)さるる黄泉(よもつ)比良坂昼寝覚       權守 勝一
古事記の死の世界から逃れてきた昼寝覚。

  
朝顔の数だけ風の生れけり       杉阪 大和
朝顔が一斉に開く早朝の様子を象徴的に捉えた。

  
朝顔に太極拳を示しをる        曽谷 晴子
早朝、見ているのは朝顔だけ。「顔」の字の効果も。

  
馬の市終りし空のももいろに      坂口 晴子
「ももいろ」の売買に絡んだ人たちの思いが宿るようだ。
  
かぎりなく雲飛んで行き大花野     村上 文惠
見上げなくても雲の流れが影で解る花野の広さ。

  
鉢替へて狭庭も秋の趣に        小林 雅子
地植えではなく鉢物で季節の変化を。都会生活か。

  
子規の句の多くは知らず獺祭忌     末永理恵子
上手い句である! 俳句とはそのようなもの。それでいい。

  
障子貼る二人暮らしに足りる部屋    杉阪 大和
夫婦二人暮らしに戻り使う部屋だけを。「足りる」がうまい。

  
朝の日を五色に反し鳥威し       笠原 祐子
回転する光り物の鳥威し。「五色に反し」の把握がいい。
 
実石榴や余生にもある反抗期      伊藤 庄平
突然怒る老人が増えたというが、さて? 「実石榴」がすごい。

 
 眼裏のふるさと遠し草の花      有賀 稲香
地に張り付いたような「草の花」の斡旋で実感が出た。

  
のぞいたりのぞかれたりも茸籠     坂口 晴子
同じ場所にいても巧拙のある茸狩りをうまく捉えた。
 
     

   
       
 
                                           
        







銀河集作品抄

伊藤伊那男選

鉦叩深き寝入りへ音きざむ      東京   飯田眞理子
啄木鳥や森の奥まで陽の射し来    静岡   池田 華風
秋思かな頼朝配流の地に一と日    静岡   唐沢 静男
月今宵在所の灯りほつほつと     群馬   柴山つぐ子
生盆に据ゑられ一日落ち着かず    東京   杉阪 大和
秋刀魚焼く女の細身火に耐へて    東京   武田 花果
領巾ひろぐやうに棚田を稲雀     東京   武田 禪次
雪渓を仰げば青む身のほとり     愛知   萩原 空木
子の筆に添へし母の字星祭      東京   久重 凜子
雨乞の謂れの山や新豆腐       東京   松川 洋酔
水音や徹夜踊りの果ててより     東京   三代川次郎
百花園秋の七草まで十歩       埼玉   屋内 松山







                 

               








綺羅星集作品抄

伊藤伊那男選 

手のひらを桃のかたちに桃を剝く   東京   飯田 子貢
威銃老いゆく村に活入れて      埼玉   伊藤 庄平
もつと渋くなるぞ大渋柿の青     神奈川  大野 里詩
白桃の転びさうでも転ばざり     東京   我部 敬子
望遠鏡おおづつめきて鳥渡る     東京   畔柳 海村
芙蓉閉づ我が家のひと日見届けて   東京   鈴木てる緒
魂に水吹きかけて菊師去る      東京   高橋 透水
稲妻のいささか荒き米どころ     東京   多田 悦子
剝がすやうに脱ぐ原爆の日の肌着   東京   谷岡 健彦
しつかりと子に拝まする墓参かな   東京   谷川佐和子
朝刊の指先にある涼気かな      東京   塚本 一夫
朝顔の数に始まる日記帳       茨城   中村 湖童
道行の菊人形に水を注す       東京   堀内 清瀬
丸きものあれこれ供へ無月かな    東京   松代 展枝
綻びを風に吹かれて案山子翁     埼玉   森濱 直之
裏木戸も開かれてゐる観月会     愛媛   脇 行雲

心悸とも父母の声とも曼珠沙華    東京   相田 惠子
大西瓜鼓のやうに応へけり      東京   有澤 志峯
白樺のざらつく肌鳥渡る       静岡   五十嵐京子
それぞれに聞き分けてゐる秋の声   東京   伊藤 政三
桃売りの語尾にかすかな国訛     東京   大溝 妙子
階段を踏む足裏の秋の冷       東京   大山かげもと
転勤は子の転校やいわし雲      東京   小川 夏葉
秋草と云ひつつ一人摘みをりぬ    鹿児島  尾崎 尚子
稲妻の槍も刃も衣川         埼玉   小野寺清人
包丁をペンに持ちかふ汀女の忌    神奈川  鏡山千恵子
見るべきは見たりと桐の一葉かな   東京   影山 風子
白槿利休の墓のありどころ      和歌山  笠原 祐子
かりがねの万葉文字のやうに来る   愛媛   片 山一行
実柘榴の裂け目に赫と地獄門     東京   桂 信子
通り過ぎ残像探す吾亦紅       長野   加藤 恵介
灯を入れてより猛々し佞武多武者   東京   川島秋葉男
背へは鳴き向かへば鳴かぬ虫の闇   長野   北澤 一伯
白桃の形のままに剝かれけり     東京   柊原 洋征
天上へ差し出すやうな榠櫨の実    東京   朽木 直
水輪よりみづわ生まるる泉かな    神奈川  こしだまほ
夏の風邪などと侮り病みにけり    神奈川  權守 勝一
秋風をくるくる廻し烏賊乾く     長崎   坂口 晴子
括らるる萩の中より風起こる     千葉   佐々木節子
夏痩せの雀に刻むパンの耳      山口   笹園 春雀
つんつんと地を突きいづる曼珠沙華  長野   三溝 恵子
桃の皮長く引ければ良き事も     東京   島 織布
武蔵野に住み古りにけり後の月    東京   島谷 高水
肩寄するやうな船瀬や野分だつ    東京   白濱 武子
赤蜻蛉青空を来て汀女の忌      東京   新谷 房子
萩の露光そのままこぼれけり     大阪   末永理恵子
反射炉の灰穴抜ける秋の声      静岡   杉本アツ子
酔芙蓉町筋にある夕ごころ      東京   瀬戸 紀恵
みちのくの雲の白さよ桃ふふむ    東京   武井まゆみ
落鮎の瀬音をおほふ山の影      埼玉   多田 美記
無患子の鉄とみまごふ実の重さ    東京   田中 敬子
秋七草水たつぷりの筆で描く     神奈川  谷口いづみ
繭倉に浮かぶ家紋や稲光       東京   坪井 研治
小鳥来る煉瓦作りの方位盤      神奈川  中川冬紫子
蹠にへばりつきたる残暑かな     大阪   中島 凌雲
もとほれば匂ふ潮風秋めきて     東京   中野 智子
十字切るは旅の祈りや帰燕の日    東京   中村 孝哲
花束にして深まれりカンナの緋    愛知   中村 紘子
夜学ありし母校なつかし友いづこ   福岡   藤井 綋一
銀漢を吞み込む坂東太郎かな     東京   保谷 政孝
下駄で地を蹴つて踊りの神を呼ぶ   岐阜   堀江 美州
虫喰ひの痕をあらはに煙草干す    パリ   堀切 克洋
桐一葉風に引導渡さるる       埼玉   夲庄 康代
待合室手相みらるる瀬戸火鉢     東京   松浦 宗克
淡さてふ光りを放ち月見草      長野   松崎 正
老い易き迅さの釣瓶落しかな     東京   宮内 孝子
生命の起源説く書へいなびかり    千葉   無聞 齋
川原には川原の風や花芒       東京   村上 文惠
遠花火音のみ響く坂の町       東京   村田 郁子
島毎に波を違へて秋の海       東京   村田 重子
連鎖することなく秋の蟬の鳴く    愛知   山口 輝久
箱根路の二百十日の旅を終ふ     群馬   山田 礁
知らぬ名も仏花に足して秋の草    群馬   山田 鯉公
仕来りはおほかた省き盆支度     東京   山元 正規
後の月しまひ忘れの濯ぎ物      千葉   吉沢美佐枝
故郷の風の旨さよをみなめし     東京   渡辺 花穂





         


    

    






銀河集・綺羅星今月の秀句

  伊藤伊那男

手のひらを桃のかたちに桃を剝く    飯田 子貢
傷つき易い桃であるから大切に扱う。まさに「手のひらを桃のかたちに」であり、この表現がうまい!お尻の方の皮に軽く刃を入れてそこからそっと剝いていくのだ。他の果物ではこのようなことはなく、桃だからこその表現。 


  

威銃老いゆく村に活入れて       伊藤 庄平
日本の人口構成が逆ピラミッド型になり、老人が目立つ世の中である。特に農村からは若者が流出するためになおさらである。威銃だけが元気な農村。「活入れて」にこの情況を憂い、また郷里に思いを馳せる作者の気持が滲む。 


もつと渋くなるぞ大渋柿の青      大野 里詩
 もともと柿は渋かったものらしい。突然変異で甘柿ができ、それを栽培して今日に至るのだという。この渋柿、かたくなに渋いのだ。もっと渋くなってやる!と。そうなると、こんな人物もいたことを思い出す。渋柿に仮託した面白さである。


望遠鏡おおづつめきて鳥渡る      畔柳 海村
一度だけ日本野鳥の会の友人につぃて伊良湖岬の鷹渡りを見に行ったことがある。好事家は一週間位泊り込んで、望遠鏡やカメラを構えているという。「おおづつめきて」が的確な比喩である。なかなか鳥にはプライバシーがないようだ。


 

魂に水吹きかけて菊師去る       高橋 透水 
命あるもののように思えるところが、菊人形の本意であろうか。歴史の名場面などが甦るためかも知れない。単に菊に補水するだけなのだが、「魂に」としたことで俄然詩に昇華したのである。菊人形のいのちを捉えた句だ。


道行の菊人形に水をさす        堀内 清瀬
 この句も菊人形のいのちを捉えた句といえよう。近松の心中物の一場面の人形であろう。菊師が補水をするというただそれだけの場面だが、あたかも菊師も登場人物の一人のように見えてくる。「水をさす」には、うまくいっているのに邪魔をする、という裏の意味もあるところが「道行」と重なって、巧みである。


  

稲妻のいささか荒き米どころ      多田 悦子
 稲妻の字の如く、また稲つるびの名のごとく、稲妻は豊穣を約束するものであった。それにしてもこれはひどすぎるのではないか------というのがこの句の滑稽である。他に〈桃を剝くには切りすぎし指の爪〉〈踊子の下駄の前歯の減る早さ〉もどこかにおかし味を滲ませている。


  

綻びを風に吹かれて案山子翁      森濱 直之
 
もう捨て案山子に近い状態の案山子なのであろう。風雨に衣装も綻びが出ている。ここぞとばかりにそこに風が吹く。破れたところが風にはためいて目立つのだ。そうした微細なところを見逃さない観察眼がいい。 


 

芙蓉閉づ我が家のひと日見届けて    鈴木てる緒
 
一日で萎み花を落す芙蓉である。庭からその家の一日の一部始終を見届けて花を閉じる。昨日もまた明日も。平凡な日常生活とはいえ、その一日にも微妙な変化があるものだ。多少の諍いもあろう。誰か訪ねてくることもある。そんな生活を一日だけ見届ける芙蓉。物語性を醸しだした。 


 

丸きものあれこれ供へ無月かな     松代 展枝
中秋の名月には、月見団子、新芋、枝豆、果物などを供える。確かにどれもこれも形は丸いものばかり。それを「あれこれ」と一括りにしている。ところが大きな丸いものである主役の月は出ない。生憎の無月である、と腰を折る。このあたりの俳諧味はなかなかの技倆である。

その他印象深かった句を次に
  

白桃の転びさうでも転ばざり      我部 敬子
剝がすやうに脱ぐ原爆の日の肌着    谷岡 健彦
つかりと子に拝まする墓参かな     谷川佐和子
朝刊の指先にある涼気かな       塚本 一夫
朝顔の数に始まる日記帳        中村 湖童
裏木戸も開かれてゐる観月会      脇 行雲





         
    

        
      

 
 


 


星雲集作品抄

伊藤伊那男・選

カフカ読み了へしベンチに秋の声   東京     結城 爽
篝火の爆ぜて堰切る薪能       石川     松原八重子
もの思ふときはゆるやか秋扇     東京     沼田 有希
人伝てに聞く消息やいわし雲     東京     中村 貞代
辻風に一掃き分の零れ萩       埼玉     戸矢 一斗
預かりし亀騒がしき夏休み      神奈川    多丸 朝子
秋風に自由求むる洗濯物       ニューヨーク 武田真理子
日焼けの子日記まとめて書いてをり  福島     髙橋 双葉
皿の中秋刀魚の骨の一本気      神奈川    曽谷 晴子
散り散りの子を思ひつつ秋刀魚焼く  兵庫     清水佳壽美
秋ふかしねんね根来と児を寝かす   静岡     澤入 夏帆
日差しなほ上げては下ろす秋簾    東京     小林 雅子
墨堤に鳥の羽根落つ木歩の忌     神奈川    久坂衣里子
無花果は薬壺のやうに法輪寺     東京     上田 裕
海光に影散りばめて燕去ぬ      神奈川    上條 雅代
小ざかなも大魚もをりし秋の雲    東京     飯田 康酔
鍵盤の端より端に稲光        東京     市毛 唯朗
桐一葉落ちて一葉の日向かな     神奈川    伊東 岬
天竜の曲り処や稲の花        埼玉     大野田好記
熟れ桃や触るるところの痣になり   東京     梶山かおり
こぼれ萩つき合ひ薄れし隣組     東京     角 佐穂子
六地蔵まもり守られ里の秋      東京     中西 恒雄
大山を手にかかへ居る案山子かな   東京     長谷川千何子
お代りを自分でよそふ海の家     神奈川    宮本起代子
落ち栗の無垢の光を放ちをり     長野     守屋 明

草笛のかすかに聞こゆ懐古園     東京     秋田 正美
墓参り垂るる頭に親の声       神奈川    秋元 孝之
梅干すや皺いよよ増す昨日今日    東京     浅見 雅江
露草やきのふの空の色湛へ      愛知     穴田ひろし
煩悩を払ふ古刹や曼珠沙華      神奈川    荒木 万寿
柞葉の母の面影居待月        宮城     有賀 稲香
萩揺るる谷中歩きやいまむかし    神奈川    有賀 理
月白を一茶ゆかりの庭でみし     愛媛     安藤 政隆
こだまにて家族旅行や秋の空     東京     井川 敏夫
遠雷や山刀伐峠へ手をかざす     埼玉     池田 桐人
誰植ゑしサルビアの紅続く道     群馬     伊藤 菅
吹く風に色もありしか大花野     東京     今井 麦
我ねむしちちろいつまで鳴くのやら  愛媛     岩本 昭三
ひぐらしの遠のく(うみ)の眩しさに    千葉     植竹 節子
山門の戦の痕や秋暑し        神奈川    上村健太郎
柔道着竿にはためく雲の峰      埼玉     大木 邦絵
うら返る声のゆくへや秋の蟬     東京     大住 光汪
横綱を負かす飛入り草相撲      東京     大西 酔馬
秋刀魚焼く隣家の庭もけぶらせて   群馬     岡村妃呂子
行き行きて鎌倉古道萩の叢      神奈川    小坂 誠子
うまやより高き一声秋立てり     京都     小沢 銈三
捨畑や枯れ草の根に秋芽吹く     静岡     小野 無道
球音の高く一はけ鰯雲        東京     桂 説子
燃えつきる際の輝き流れ星      静岡     金井 硯児
房毎にひとつ味見の葡萄かな     東京     亀田 正則
田の色は深くなり来ぬ杜鵑草     長野     唐沢 冬朱
満月に座敷一間を明け渡す      神奈川    河村 啓
冬の風鳥の襟元ひるがへす      愛知     北浦 正弘
涼風や登りつめたる展望台      東京     絹田 辰雄
手花火の火花の行方あなどれず    和歌山    熊取美智子
旧姓をいつか忘れて酔芙蓉      愛媛     来嶋 清子
山越えの笛のかすかに秋祭      群馬     黒岩 章
十六夜や潮騒哀し能登の浜      群馬     黒岩 清女
秋の蟬最後の夜鳴きわが部屋で    愛知     黒岩 宏行
十五夜の光り差し込む樹の間より   群馬     小林 尊子
彼岸花糸巻くさまの故郷かな     東京     斉藤 君子
ひたすらに孫に手習ふ盆踊      神奈川    阪井 忠太
日の届く遠き棚田や落し水      東京     佐々木終吉
蜻蛉の尾繫ぐ命を水面へと      群馬     佐藤 栄子
何気ないひと言の幸こぼれ萩     群馬     佐藤かずえ
初もみぢ寄木細工の七福神      群馬     佐藤さゆり
深爪の赤くにじみぬ十三夜      東京     島谷 操
松の葉の一葉一葉に光る露      埼玉     志村 昌也
出来秋に声かけ歩く吾の居て     東京     須﨑 武雄
片かげり見つくる毎に飛び込める   東京     鈴木 淳子
鯊の香か朝の中洲の匂ひ立ち     群馬     鈴木踏青子
秋立つや子らの寝息の澄んでをり   愛知     住山 春人
この海の凪が呑み込む終戦日     東京     田岡美也子
請願の夫再びの秋遍路        東京     髙橋 華子
車前草や共に遊びし友も老い     広島     竹本 治美
藪枯し高みうかがひ幾筋も      三重     竹本 吉弘
道の辺のカンナ日射しを独り占め   ヒューストン 田中沙波子
それぞれの過去をつなげて終戦日   東京     田中 寿徳
日の染みし匂ひをまとひ桐一葉    愛知     津田 卓
和辛子が喝を入れたる心太      東京     手嶋 惠子
後ろから金木犀に抱かれり      千葉     土井 弘道
風にのり少し遠くへ桐一葉      東京     豊田 知子
夕風をひきゐひきゐて赤とんぼ    埼玉     中村 宗男
一叢の芒門辺に客招く        神奈川    長濱 泰子
コスモスの揺れ合うて色重ねをり   東京     西原 舞
白き手の夕闇に溶け風の盆      東京     萩野 清司
向日葵の顎吊り上げて朝日待つ    東京     橋本 泰
天高し鼓笛の調べ何処から      神奈川    花上 佐都
強面の妙義の峯々や夕芒       神奈川    原田さがみ
塀越しに毬栗見ゆる金地院      兵庫     播广 義春
彼方此方に風の塊台風来       東京     福田 泉
星逢や空耳で聞く母の声       東京     福原 紀子
二三粒溝に置きゆく大根まき     愛媛     藤田 孝俊
絵本読む母と子燈火親しめり     大阪     星野かづよ
爽涼や北山杉を過ぐる風       東京     牧野 睦子
墓参り手押しポンプの水清し     愛知     松下美代子
連れし子に今連れられてみかん狩   東京     松田 茂
秋の夜のとみに明るき畳の目     神奈川    松村 郁子
本郷に読書の秋の来たりけり     東京     森 羽久衣
落城の秘話を沈めて水澄めり     千葉     森崎 森平
埋火に現し心を翳しをり       東京     家治 祥夫
秋晴れや寄木細工の秘密箱      群馬     山﨑ちづ子
被爆地の朝の祈りカンナ咲く     東京     山下 美佐 
萩の風心離れぬ思ひあり       神奈川    和歌山要子
教会の尖塔しるき星月夜       埼玉     渡邊 勲
ありのまま質素に生くる茄子の花   東京     渡辺 誠子
染みつきしアルバム見入る夜半の秋  東京     渡辺 文子


      
         


         

  

        






星雲集 今月の秀句


伊藤伊那男

カフカ読み了へしベンチに秋の声    結城 爽
数奇な運命を辿ったプラハの作家、カフカ。学生の頃一応『変身』を読んでみたが、私には全く理解不能で、途中で投げ出した思い出がある。この句の作者は読了したようである。カフカという私には難解な作家だけに「秋の声」の季語が特別のものに思えてくる。新古今集以来の季語がこうした場面で詠まれるところが面白い。同時出句に〈茶柱の二本立ちたる敬老日〉があるが、これはまた何とも穏やかな作風。 


もの思ふときはゆるやか秋扇      沼田 有希
 「秋扇」の季語が生きた句である。どうしようもない暑さではない。扇はむしろ思索のための小道具の趣きである。思いを引き出すため、深めるために、自ずからゆるやかになるのである。


人伝てに聞く消息やいわし雲      中村 貞代
しばらく無沙汰であった人の近況を、人伝てに耳にしたという。元気に活躍をしているというよりも、やや不幸な雰囲気が漂う。それは「いわし雲」という季語の持つ一抹のさびしさからであろう。加藤楸邨の〈鰯雲人に告ぐべきことならず〉、安住敦の〈妻がゐて子がゐて孤独いわし雲〉などを想起する。この句も掌編小説のような微妙な心の襞を感じさせる上質の抒情句である。同時出句の〈月今宵あらまほしきは納言殿〉は自由自在な発想の句。 


預かりし亀騒がしき夏休み        多丸 朝子
 孫が夜店で買った亀であろうか。帰省の折にでもその亀を預かることになったのであろう。洗面器の中にでも入れておくと、がさごそと音を立てる。預かった責任もあり、やや困惑した様子が窺われて楽しい。


散り散りの子を思ひつつ秋刀魚焼く   清水佳壽美
子供たちは巣立って各々の生活を営んでいる。作者は秋刀魚を焼くのだが、一匹か二匹。もしかすると一匹を夫婦で分ける、というようなことかもしれない。かっては五匹も六匹も焼いたのだ。立ちのぼる炎を見ながら子育て時代の様々なことを思い出しているのであろう。「秋刀魚」であるからこそ成立する句ということになろうか。 


日差しなほ上げては下ろす秋簾     小林 雅子
秋に入って日を経た頃であろう。もう簾も必要なかろうと巻き上げるのだが、また暑さがぶり返す。そんなことを何度も繰り返すのである。上五の「日差しなほ」の斡旋がうまいところで、秋簾のありようを的確に描き取った。 


 

無花果は薬壺のやうに法輪寺      上田 裕
 無花果の形を薬師如来が持つ薬壺と見立てた句である。医学の発達していなかった時代、人々は薬師如来に頼ったのである。明日香の旅で寺々を巡り、ふと浮かび上った句であろう。法隆寺、法起寺などが並ぶが、どこか寂れて、観光客も少ない、こうした寺の斡旋がこの句には合うようだ。「薬壺」を導き出したのが手柄。


お代りを自分でよそふ海の家      宮本起代子
夏のひとときだけ繁忙状態になる海の家の様子がよく捉えられた句である。「勝手にお願いしますね」と大きな飯櫃を置いてゆく。幾組かの家族が集う宿の朝食の風景であろう。一読、そんな様子が明瞭に読み手に伝わる句である。


大山を手にかかへ居る案山子かな    長谷川千何子
 多分、頂上に大山阿夫利神社のある、神奈川県の大山であろう。秀麗な単独峰である。古くから雨降山とも呼ばれて雨乞いなども行った農事に係わる山だ。案山子がこの山をかかえこむように立っているという。豊作を言祝ぐようにも見えたのであろう。固有名詞の利いた句である。


鍵盤の端より端に稲光         市毛 唯朗
稲光であるから、一瞬のことなのであろうが、ピアノの鍵盤の端から端を照らし出す。白と黒の色彩のコントラストが鮮明である。鍵盤という無機質なものを配したところがこの句を独自のものにしている。一瞬のことなのに「端から端へ」光を追いかけたところがいい。 

その他印象深かった句を次に


落ち栗の無垢の光を放ちをり      守屋 明
六地蔵まもり守られ里の秋       中西 恒雄
皿の中秋刀魚の骨の一本気       曽谷 晴子
こぼれ萩つき合ひ薄れし隣組      角 佐穂子
熟れ桃や触るるところの痣になり    梶山かおり
天竜の曲り処や稲の花         大野田好記
小ざかなも大魚もをりし秋の雲     飯田 康酔
桐一葉落ちて一葉の日向かな      伊東 岬







   




 




新連載 【伊那男俳句を読む】

 伊那男俳句を読む      伊藤伊那男
  

回想―句集『知命なほ』の時代(7)    伊藤伊那男

葬儀の前日は寺に貸布団を入れてもらって家族で泊りこんだ。住職は「こんな綺麗な仏さんに会ったのは初めてだ」と手を合わせてくれた。通夜には酷寒の中であったが六百人以上の方々が弔問に来てくれた。あとから聞くと寺の門に入り切れず、広尾の駅の方へ行列が伸びていたという。精進落しの料理は何度も追加したようである。葬儀社からは、その日に手渡すお茶の包みが不足気味なので、親戚や明日の告別式に来てくれそうな方には渡さないでほしいと、受付に泣きついてきたという。翌日の告別式にも百人以上の方が来て下さり、結局七百五十人位の方々のお見送りを受けたのである。後日住職から「この寺では先代の住職の葬儀以来の人出であった!」と驚かれた。
桐ケ谷の葬儀場でお骨となり、寺で七七忌の回向をしたあと、高輪の新都ホテルに親族、親しい友人に集まっていただき、精進落しの会を行い、葬儀は終了した。
数か月間骨壺は家にあった。しばらくしてお墓をどうしようかということになった。実は三十代の後半、父が郷里駒ケ根市の名刹光前寺の分譲墓地を手に入れた際、たいした考えもないまま、私も一区画入手してあった。妻が「私はそんな寒いところは嫌だわ」と言っていた。私は「あのね、死んだら寒いとか暑いとかという感覚はないんだよ」などと言い返していたのである。光前寺は井上井月の<降るとまで人には見せて花曇>の句が詠まれたところで、天台宗信濃四大寺の一つ。木曾山脈を背にして赤石山脈を一望する高台にある。
いざ墓、ということになると、その妻の言葉が思い出されたし、娘二人も信州には遊びに行くだけでそれほどの愛着はない。私も、将来信州に戻るかといわれたら、「多分ない」ということになる。そんな訳で結局信州の墓地は返却することになった。
娘婿がバブル期に青山梅窓院の墓地を買っていた。両親は健在なのでまだ誰も入っていない。交通はメトロ銀座線の渋谷から二つ目の駅、外苑前で、神宮球場とは反対側の出口を上ると、そこが梅窓院の参道である。青山通りの名を残した、郡上藩主青山家の菩提寺で、近時徹底的に整備をして少しづつ墓地の分譲を行っていた。伊藤家は私が死ねばそれで絶えるので、それこそ小さな墓地でよい。結局段差を利用して壁面を使った墓地に決めたのである。長女一家と同じ墓域になるので、ここなら孫達も将来寄ってくれるかもしれない。
(この項続く)


  平成十三年
父訪うて目礼交す露のころ
雨雲の追ひかけてくる大根蒔き

 諏訪 御射山

穂屋祭日照雨に萱の匂ひ立つ
柚子捥ぐや夕日しばらく庭にあり
石蹴つて秋思といふは消えやすし
威銃鳴つてふるさと行き場なし
翁忌の何するとなく下町に
大津絵の鬼がしんがり鉢叩
鼬罠和毛残りてゐたりけり
神楽笛つづくうたた寝せしあとも

   平成十三年
一茶忌のぼそぼそと蕎麦喰ひ終る
まつさきに猫がよこぎる畳替
嫁せし子の部屋そのままに古暦
  皆川盤水先生 
冬帽の鍔に手を添へ遠会釈

   平成十四年
良寛の佐渡の母恋ふ手毬唄
御降りといふも信濃のあらあらし
京に降る雪あたたかし蕪村の忌
二上山(ふたかみ)へ羽化さながらの冬牡丹
湯たんぽの醒めぎはの夢はかなかり
寒夕焼消ゆひと幕の下りしごと




                

                              
 




 





銀漢の絵はがき


挿絵が絵葉書になりました。
Aシリーズ 8枚組・Bシリーズ8枚組
8枚一組 1,000円

ごあいさつにご利用下さい。




  


 


       
    
     
     







掲示板







掲示板12月号


【編集部】
* 投句・投稿のお願い
毎月の投句締切15日です。原稿の締め切りは25日です。編集へのご協力をお願い致します。
* 「彗星集」
 今まで投句されていない方も是非挑戦して頂くようにお願い致します。この投句は「新作未発表作品に限ります」ので、併せてよろしくお願い致します。

  「新作未発表作品」とは、各句会(ネット句会も含む)、他の結社誌、「俳句」・「俳句界」・「俳壇」・「俳句α」などの俳句総合雑誌、新聞や各地俳句大会に未発表の作品です。

* 「新星集」
11月号の掲示板でご案内申し上げましたが、来年の1月号より保育園、幼稚園、小学校、中学校のお子さんの「新星集」を立ち上げます。先月号をお読み頂き、是非お子さん、お孫さんの句を投稿して下さい。お待ち申し上げております。
* 「鳥の歳時記」
11月号でご案内申し上げましたが、鳥の歳時記の鳥は各句会で兼題として取り上げて頂けるようになりました。従来の葉書での投句と一緒に掲載の候補句として主宰に選をお願い致します。2月号の鳥は「鷽」と「山鳥」です(12月15日締切)。奮ってご応募ください。
* 「万華鏡」への投稿
内容は問いません。ふるさとのこと、ご趣味のこと、俳句への思い、旅行、映画・舞台鑑賞、本部句会、各吟行会参加の感想等、ご自由にお書き下さい。
文字数:1.000字以内
(但し、掲載の可否、掲載時期等は編集部にご一任下さい)
* 「星の便り」への投稿
会員の皆さまのページです。身近な出来事などご自由にお書き頂き、投稿して下さい。字数は150字以内でお願い致します。
* 「お名前をお忘れなく」
最近頂く原稿にお名前が無いケースがございました。ご自分の原稿類には必ず署名して頂くようにお願い致します。

【句会指導部】 
* 投句で句会参加
遠隔地或いは句会に出席できない方々へ毎月の句会へ投句の機会を設けております。詳しくは杉阪大和同人(TEL 03―3305―8940)へお問い合わせ下さい。現在は、「梶の葉句会」「銀漢萩句会」「早蕨句会」の三カ所で行っております。
* 句会への参加
句会への参加が俳句上達の王道です。「俳句会一覧表」の最寄りの句会へ、ご友人、お知り合いとお誘い合わせの上、是非ご参加下さい。  
* 添削教室
俳句を始めて間もない方、また、初心に戻るべく学びたい方、主要同人による「添削教室」を開設しております。主要同人による丁寧な添削です。添削依頼の原稿(五句前後)の送付先は銀漢発行所です。表書きに「添削希望」とお書き下さい。

【事業部】
* 平成27年の年次総会・新年会、および新年俳句大会についてのご案内を今月号のP34に掲載致しております。新年俳句大会への投句は12月8日が締切(消印有効)でございますので、どしどし投句をお願い致します。
【経理部】
* 平成27年分の会費納入のお知らせがP.100にございます。お振込はお早めにお願い申し上げます。






      







鳥の歳時記


   














みそさざえ








  



             
 
  





銀漢亭日録

伊藤伊那男

8月
8月19日(火)
「火の会」10人。齋藤朝比古さん久々。三笠書房会長、清人さんと。今日は「俳句の日」(八一九)とか。

 8月20日(水)
「雛句会」11人。「三水会」8人。野沢君という高校卒業以来の同期も。その他、「天為」「炎環」の方々などで賑やか。金融会社時代の宮内さん、薮さんという美女も。薮さんはイタリア人と結婚しイタリア暮らし。娘さんと帰省と。同郷の岩波書店OBの今井さん。父上が岩波だったという折田さん夫妻と。夫人の父上は日本オイルシールのオーナー。慶応の私の2年先輩。夫人は東京女学館から成蹊大学と。私の次女・杏と同じコース。二年程先輩。初対面ながら盛り上がってしまう。菅原庄山子さんからまたまただだ茶豆沢山到来す。

 8月21日(木)
菅原庄山子さんより基金3万円到来。「銀漢」誌を楽しみにしていて下さる。有り難し。「銀漢句会」あと16人。池田のりを、初子さんなど。角川書店・滝口さんに井月本の原稿一部渡す。9月末迄に書き上げる約束す。

8月22日(金)
「門」同人会に発行所貸出しにて、13時30分開錠。句会あと9名店へ。鳥居真里子さん座長。発行所は夜、「金星句会」あと8人。谷岡健彦さん第一句集「若書き」上梓。「りいの」主宰檜山哲彦さん夫妻で。堀切克洋君、明後日の便でパリへ戻ると。明日、健康診断にて酒飲めず。

8月23日(土)
8時30分、とよしまクリニックにて健康診断を受ける。昨日、家族、沖縄から戻っており、久しぶりの顔合わせ。子供達真っ黒。13時より、有楽町よみうりホールにて、三輪山セミナーイン東京。武田編集長他、煤逃吟行会メンバーにて勉強会。藤原茂樹「椿は王の木」、石野博信「邪馬台国時代・纏向王宮への道のり」。土曜日なのでくたびれていて、寝たり起きたりひどい生徒。ただし夕方は元気になり、帰路、渋谷で酒場二軒ほど廻り、エッセイの下書きなど。成城の駅に降りると「世田谷区たまがわ花火大会」の花火が大きく見える。21時には寝てしまう。

8月24日(日)
夜中、階下で騒ぎ声が聞こえるのをぼんやり聞く。昨夜は成城の親仲間で食事会があり、その後家で二次会をし、結局お開きは2時頃であったという。とにかく遊び最優先の人達である。朝から井月についての文章、昨夜酒場で書き殴った文章をもとに「銀漢」のエッセイ4回分一気に書く。夜、成城駅の居酒屋。親仲間五家族、20人位の宴会に参加す。往路、今日は調布の花火大会を遠望す。

8月25日(月)
ニュージーランドのジリアンさん来日歓迎会。朽木直、三輪初子さん幹事。18人集合。兼題四句の句会と親睦会。大住光汪君久々。ヴーヴクリコ2本空ける。

8月27日(水)
新潟日報・大日方さん、週刊金曜日・伊達さん。麒麟さん、鈴木真砂女の孫・今田さんと。「卯波」を畳み、コンゴの日本大使館の料理人として赴任と。

8月29日(金)
新宿発9時、あずさ号。茅野駅で大野田好記君の車に迎えてもらい伊那北。「来々軒」のローメン。高校時代、お互いに馴染んだ店。「いなっせ」にて「井上井月顕彰会」の総会。14時より座談会に出席。あとは懐かしい喫茶店「門やません」へ。「俳句」の鈴木編集長、滝口さん、新潟日報・大日方さんを案内してローメン、ソースカツなどで酒盛り。18時より、高橋竹山の津軽三味線。惟然の風羅念仏の再現よし。後、大会賞受賞の「雲の峰」同人会長・高野清風さん、「銀漢」の仲間と焼鳥店。朝妻さんから「森伊蔵」一本届いている。

8月30日(土)
10時より「信州伊那井月俳句大会」の表彰式。選評五分程。昼、小池百人君とばったり会い、喫茶店。午後、当日句の選句発表。唐沢静男君選者。石寒太講演会。終了後、「銀漢」の仲間で天竜川の入舟の舟着場など散策し、「だるま」にて親睦会。「高遠句会」の加藤恵介、三溝恵子さん来てくれる。三句出し句会。ホテル泊。

8日31(日)
大野田、加藤君の車で手良へ。「井上井月顕彰会」堀内功会長の屋敷に寄る。突然ながら庭や井月句を見せて下さる。95歳になられるがお元気。清水庵の井月筆の扁額を見る。高遠そば「ますや」絶佳。六波羅霞松宅跡。三峯川土手散策。青島の橋爪玉斎の子孫を訪い、井月像、作品多数を拝見。上諏訪の片倉館に入り、茅野駅からあずさ号にて帰京。車中酒盛り。睡眠。


9月

 9月4日(木
ずっと原稿書き。家族は早朝からディズニーランド。まだまだ夏休みが続いている。店「十六夜句会」。大野田、酔馬さんゲスト。あと九人店。
9月5日(金)
井月本の原稿書き続ける(井月の酒・食)。夕方、英二郎君と孫二人来る。杏は悪阻酷く、家を出られず。食事会。孫達泊まり。

9月7日(日
「春耕同人句会」中野サンプラザ。終わって「炙谷」にて親睦会。帰宅して井月本原稿を書く。

9月8日(月)
新学期スタート。皆、お弁当を持って学校へ。店「名月句会」。超結社30人。三句出し四句選、内特選一。朽木直さん仕切ってくれる。終わる頃、星野高士さん、山田真砂年さん、「ウエップ俳句通信句会」の後寄ってくれる。

 9月9日(火)
「火の会」10人。西村麒麟君他若手10人位。やはり若者は元気。満月の日。帰宅途中、下を向いていたか、満月を見逃す。

9月10日(水)
発行所「梶の葉句会」の選句。物凄い雨。店、閑散。中島凌雲君来る。店閉めて「大金星」で凌雲君を囲む。

9月11日(木)
午前中、平成俳壇選句、1日遅れで仕上げ。井月原稿の整理、六、七割までは書き下した感じにて、あとは何を書くかなどの調整。高遠、三溝恵子さんより井月の資料到来。先月、訪ねた伊那・橋爪家への問い合わせの回答到来。松山さん、前田さんと。皆川文弘さん来て駄洒落大会。

 9月12日(金)
井月の原稿書き継ぐ。店、閑散。21時過、小野寺清人さんの兄上・信一さん、娘さん、友人の女性弁護士と来店。対馬康子さん来て合流。お開きの後、対馬さん、女性弁護士、清人さんらと餃子屋。

9月13日(土)
午後、麹町会館にて「銀漢本部句会」。18時から一番町分室を借りて拡大編集会議、17名。来年の編集方針についての討議。あと、有志で近くの中華料理店で慰労会。

9月14日(日
8時40分、小田急鶴川駅。久重凜子さんの「早蕨句会吟行会」に招かれて杉阪大和さんと。小野路散策。何と25人。小野路城址、小町井戸、田極家、万松寺谷戸など実に素晴らしい吟行コース。快晴。小野神社を経て小野路宿里山交流館にて昼食。鶴川駅に戻りポプリホールにて句会。あと講話。17時、居酒屋にて親睦会。あと幹部の方々と二次会となったが、どの店も満員にてカラオケ店に。久々歌う!

9月15日(月)
6時起床し、井月本の原稿書きまくる。家族は早朝から奥多摩へ学校仲間と虹鱒釣り、鍾乳洞へ。夜、その仲間と二子玉川の「漁火」という居酒屋。五家族大人11人、子供12人で大騒ぎ。敬老の日ということで私は招待。




          


       

1月号から12月号のせ表紙のグラデーション。



   
    







今月の季節の写真



2014年12月19撮影  万両    HACHIOJI





花言葉   「寿ぎ」「陰徳」「徳のある人」

写真は4~5日間隔で掲載しています。 

2014/12/20 更新


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