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 8月号  2024年


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伊藤伊那男作品


主宰の8句





       













       
             

                        

    

今月の目次











銀漢俳句会/2024/8月号




    
         
   
















   

 

銀漢の俳句 

伊藤伊那男 

◎山陰線に乗って②

 以前から但馬の国、出石(いずし)(兵庫県豊岡市)という城下町を訪ねたいと思っていた。幕末の志士桂小五郎(木戸孝允)が京都から逃れて隠棲していた土地であり、皿蕎麦で知られている。山陰線豊岡駅からバスかタクシーを乗り継ぐ。訪ねてみると出石城は、中世の山名氏の有子山城の麓に築かれた連郭式の小さな山城である。石高は四万八千石というから私の郷里伊那谷の高遠藩と似たような規模で、城下町の佇まいがどこか似ているような親しさを覚えた。
町を歩いていたら入口に山口誓子の句碑を据えた「五萬石」という皿蕎麦屋があったので入った。先々代が誓子の弟子であったという。蕎麦を注文すると染付の小皿五枚に分けられて運ばれてくる。それを数種の薬味を添えた蕎麦つゆで啜るもので、出雲蕎麦や盛岡のわんこ蕎麦と似た食べ方だ。客はあと5皿とか10皿とか追加していく。この町の蕎麦の由来を聞くと、江戸中期、信州上田藩から転封してきた仙石氏が蕎麦職人を連れてきたのが発祥だという。信州との思わぬ繋がりを知って嬉しくなった。その皿蕎麦店がこの狭い城下町に30数軒も営業しているのであるから信州にも無い圧巻の光景である。
 蕎麦は九千年前の縄文遺跡から出土しており、栽培の歴史は古いという。ただしずっと蕎麦掻きや団子で食べられており、今我々が食す「蕎麦切り」の歴史は意外にも浅いのである。蕎麦切りの発祥は1,574年から1,600年の間といわれている。古文書十例の内四例が信州の木曾、塩尻発祥説であるから、これも信州人としては嬉しい話だ。
 信州の食べ方は甘皮まで入れた田舎蕎麦で、汁は辛味大根の絞り汁に焼き味噌を溶いたものである。これが江戸の町に出て白くて細い更科蕎麦となり、鰹節の汁を添えて、洗練された粋な食べ物に出世したのである。私は東京に出てきて、浅草の「並木藪」に入って衝撃を受けた。何とひっくり返した笊の上に箸で数回手繰れば終わる量が乗っているだけである。しかも蕎麦猪口にはごく僅かな汁しか入っておらず、まるでままごとのような蕎麦だな、と驚いた。
 丁度出石の城跡の広場で蕎麦の大食いコンテストを開催していた。今年の優勝者は百七十四皿を空けて、50回近い大会での新記録であったという。私は40歳の食べ盛りの頃、社内旅行で立ち寄った盛岡のわんこ蕎麦屋で酒を飲みつつ118椀食べて優勝した記録を持っている。だがこの旅では病後のせいもあり、私が食べたのは5皿だけであった。
   
一茶忌のぼそぼそと蕎麦喰ひ終る















 



  

盤水俳句・今月の一句

伊藤伊那男 

懸巣鳴く廃銀山の父の墓         皆川 盤水


「伊達郡桑折町」の前書がある。昨年先生の甥の皆川文弘さんの案内で先生の父祖の地を訪ねた。半田銀山は明治期、五代友厚が引き継いだが、舌状地滑りが頻発し廃銀山となった。皆川家は代々この銀山開発に従事していたが、先生の父上が常磐炭鉱の技師として現・いわき市に移った。墓は先生の代にいわきに移したという。旧家があった場所は今は草叢の中であった。地滑りの跡は今も荒々しく地肌を見せており、新幹線からも見える。(平成五十四年作『山晴』所収)













 




彗星集作品抄
  伊藤伊那男・選

 ゴム長で籠へ蹴り込む糶の蛸         山口 輝久
 辻ごとの三本締めや三社祭          辻本 理恵
 目覚めてはさてどう降りぬハンモック     島  織布
 羅に透きゐる安房の波高し          伊藤 庄平
 放課後はりんご並木の袋掛          坂下  昭
 人に馴れ煎餅に馴れ袋角           山田  茜
 薔薇満開クレオパトラの緋をまとふ      我部 敬子
 三味の手を女神興に三社祭          山田  茜
 老鶯や雲に隠れし縦走路           山元 正規
 麦笛に知る望郷のあり処           谷口いづみ
 郷愁を誘ふアルバム花蜜柑          山室 樹一
 桐の花村に赤子の産まれたり         園部あづき
 近づけば目玉大きく金魚鉢          松川 洋酔
 走り梅雨見ずに判押す回覧板         竹内 洋平












 









    
     

彗星集 選評 伊藤伊那男

伊藤伊那男・選


ゴム長で籠へ蹴り込む糶の蛸       山口 輝久
芋蛸南京などといって蛸は日本人の好物である。ユダヤ教・イスラム教などでは鱗の無い魚は食べてはいけないということで禁忌されているようだ。またその形状も異形なのでデビルフィッシュなどと呼ばれているとも聞く。日本人は飯蛸から水蛸まで全部食べてしまう。今では地中海やアフリカからの輸入品も多い。さてこの句、糶の様子を活写している。トロ箱から逃げようとする蛸をゴム長で戻す。いかにも蛸の生態である。

  
辻ごとの三本締めや三社祭        辻本 理恵
俳句に詠むときに神田祭と三社祭をどう詠み分けたらいいのか、といった場合、この句はやはり三社祭の雰囲気である。神田祭にはどことなく雅な趣があり、三社祭には飾らない気迫があるように思う。辻ごとの三本締めというのも浅草らしい雰囲気である。

  
目覚めてはさてどう降りぬハンモック   島  織布
ハンモックは乗るのも一仕事だが、降りるのはもっと厄介である。転た寝のあと少しぼんやりした頭で、さてどうやって降りたものかと思案する。おかしさが滲む。

  
羅に透きゐる安房の波高し        伊藤 庄平
鈴木真砂女と安房に対する挨拶句である。〈羅や人悲します恋をして〉〈あるときは船より高き卯浪かな〉   真砂女の代表句が透けて見えるのである。日本には古来、本歌取という和歌の伝統がある。その観点からするとこの句は言葉がうまく噛み合った秀逸である。

  
放課後はりんご並木の袋掛        坂下  昭
信州伊那谷の一番南の町、飯田市の林檎並木のことである。昭和二十二年に飯田市の大火があり、復興のシンボルとして中学校の生徒達の提案で、大通りに四百メートルにわたって林檎樹が植えられた。今も中学生が施肥、剪定、草取りなどを続けている。袋掛けまでは気が付かなかったが、きっとそういう世話もしているのであろう。

  
人に馴れ煎餅に馴れ袋角         山田  茜
角を落とした鹿が寄ってくる一抹の淋しさがいい。

 
 薔薇満開クレオパトラの緋をまとふ    我部 敬子
その名の薔薇がある。「緋をまとふ」の言い切りがいい。

  
三味の手を女神興に三社祭         山田  茜
これも浅草らしい。粋筋の姐さんが神輿を担ぐ。

  
老鶯や雲に隠れし縦走路          山元 正規
鶯はなかなか姿を見せない。縦走路も鶯も雲の中。

  
麦笛に知る望郷のあり処          谷口いづみ
麦笛は幼少の記憶、故郷の記憶、人生の原点か。

 
 郷愁を誘ふアルバム花蜜柑        山室 樹一
セピア色の写真に故郷を思う。蜜柑の国が生国の人か。

  
桐の花村に赤子の産まれたり        園部あづき
赤子の為にまた桐の木を植えるのであろう。

  
近づけば目玉大きく金魚鉢         松川 洋酔
金魚鉢の丸い歪みが近づいた目玉を大きく見せる一瞬。

  
走り梅雨見ずに判押す回覧板        竹内 洋平
梅雨入の慌ただしさに紛れて……。回覧板とはそんな感じ。


 私の俳句工房
 「春耕」時代は写生派の結社ということもあって、嘱目で作句することが基本で、席題句会はほとんど無かった。「塔の会」をはじめとして超結社句会に参加するようになると、むしろ席題、兼題句会が主流であることを知った。「塔の会」は俳句総合誌などに出る中堅俳人の集りで緊張感が漲っていた。仕事を早く切り上げて六時位に俳人協会の会議室に入ると、黒板に題が書いてある。六時半までの三十分間、様々に頭を巡らせて締切り直前まで知力を絞ったものである。そんな体験から、吟行会以外の句会の場合は、句会の数日前に歳時記から当季の季語を幾つか抜き出して風呂に持ち込む。湯船を出たり入ったりしながら思い出の糸を繰るのである。その題を元に、たとえば、今日は奈良の山辺道を歩いてみることにしよう、などと設定して風呂から時空を超えて瞬間移動する。これがうまくできると句が浮かび上がるのである。ただし肝心なことは思い出を蓄積していないと、空井戸から水を汲むようなもので何も出て来ないのである。つまり作句をするためには沢山の思い出を作り、頭の中の箪笥に整理整頓しておくことが肝要だ。私が「俳句は年季が物を言う」というのは、技法の習得も勿論だが、思い出を貯めた人が勝ちということだ。








 







銀河集作品抄

伊藤伊那男・選


麦秋や平野の尽くる上毛野       東京 飯田眞理子
鎌首を暗みへもたげ蝮草        静岡 唐沢 静男
母の日の幸せといふ荷の届く      群馬 柴山つぐ子
畑隅の堆肥湯気立つ別れ霜       東京 杉阪 大和
毛野国に倒れむほどに麦熟るる     東京 武田 花果
東山道の今は昔に麦の秋        東京 武田 禪次
観音の里のまるごとかぎろへり     埼玉 多田 美記
春闘の写真のために拳上ぐ       東京 谷岡 健彦
お歯黒溝跡をかろがろしやぼん玉    神奈川 谷口いづみ
花ふぶき投網打つごと木曾駒へ     長野 萩原 空木
石鹼の角とれてゆく夜は朧       東京 堀切 克洋
蛙の目借りて返さぬ目借時       東京 松川 洋酔
室町に百味箪笥や菜種梅雨       東京 三代川次郎
















         





綺羅星集作品抄

伊藤伊那男・選

海底を列車で潜る先帝祭        東京   橋野 幸彦
興亡も一炊の夢蒙古風         千葉   中山 桐里
初蝶の唐子に追はれ絵皿より      東京   塚本 一夫
春愉し発掘に似て鯛の鯛        東京   多田 悦子
二杯目は元のせつかち新茶汲む     兵庫   清水佳壽美
日の斑顔に浴びつつ袋掛        長野   三溝 恵子
偕楽も後楽も知る実梅かな       神奈川  有賀  理
黒潮の削る絶壁巣立鳥         神奈川  大野 里詩
最後また平たくされて紙風船      宮城   小田島 渚
山背吹く床下までも浚ふかに      埼玉   小野寺清人
細々とをのこの血筋柏餅        千葉   川島  紬
綿飴の白に濃淡花曇          東京   畔柳 海村
桜鯛鳴門の渦を越えし色        大阪   末永理恵子
逃水の起点は日本橋かとも       東京   鈴木てる緒
紛れ込む鬼女の気配や壬生の面     東京   柊原 洋征
唐崎に朱を覗かせて松の芯       東京   朽木  直
はくれんの錆を遅らす日和かな     長野   髙橋 初風

産声を聞かぬ年月武具飾る       東京   飛鳥  蘭
河原石どれも仏や彼岸入り       東京   有澤 志峯
泰山木大輪思ふ蕾かな         東京   飯田 子貢
母の日や母の背かとも思ふ人      山形   生田  武
鳴き砂を蟹のさまよふ啄木忌      埼玉   池田 桐人
馬柵に付く昨日に今日の春の泥     東京   市川 蘆舟
ひと息に吹く七色のしやぼん玉     埼玉   伊藤 庄平
早苗束抛る程よき間合へと       東京   伊藤  政
せせらぎは読経の如し水芭蕉      神奈川  伊東  岬
雲丹啜る人差指を匙として       東京   今井  麦
麦刈りて鎮守の森がすぐそこに     埼玉   今村 昌史
花躑躅賽振るやうに落ちにけり     東京   上田  裕
母の日の三面鏡の空広し        東京   宇志やまと
声明に楽譜ありけり朝桜        埼玉   大澤 静子
杉落葉箱根八里は暮れて行く      神奈川  大田 勝行
滞ることなきたつき花は葉に      東京   大沼まり子
歌垣の八十の衢の鯉幟         埼玉   大野田井蛙
毛野国の山並峨々と夏霞        東京   大溝 妙子
如何とも辛き友の訃新茶供ふ      東京   大山かげもと
その影の丈の揃はぬ葱坊主       東京   岡城ひとみ
耳朶へふる金銀砂子雲雀笛       愛知   荻野ゆ佑子
蛙鳴く今宵生まるる子らも泣け     宮城   小野寺一砂
懸けらるる想ひの重さ桜散る      和歌山  笠原 祐子
ぶらんこに立つて空からぶら下がる   東京   梶山かおり
石庭のととのへられて夏立ちぬ     愛媛   片山 一行
恐竜の模型其処此処春深し       静岡   金井 硯児
暴れ川昔語りに麦の秋         東京   我部 敬子
袋角脈動確と二股に          東京   川島秋葉男
三線に足引き留む南風(はえ)の島       神奈川  河村  啓
緑陰や鳥の親子の餌渡し        愛知   北浦 正弘
母の日の午後の仮寝の仏間かな     長野   北澤 一伯
そつと踏む草の膨らみ花筵       東京   絹田  稜
後ろ手に帯を直せる花曇        東京   小泉 良子
光圀の庭葉隠れの梅たわわ       神奈川  こしだまほ
耕運機休ませてゐる苜蓿        東京   小林 美樹
負けん気の空の喧嘩や凧        千葉   小森みゆき
躾糸引けば羽ばたく花衣        東京   小山 蓮子
神風を吸うて色ます五月鯉       宮城   齊藤 克之
ラムネ飲み干し透かしみる青き空    青森   榊 せい子
逃水を追ひ詰めすぎて白髪に      長崎   坂口 晴子
母の日も母は長寿を詫びてをり     長野   坂下  昭
腹這ひて牛の反芻春深し        群馬   佐藤 栄子
初夏の砂浜に置く絵具箱        群馬   佐藤かずえ
王朝の恋は苦しき花あやめ       広島   塩田佐喜子
信長の首塚までの青葉闇        東京   島  織布
袋角弱気のまなこ持ちゐたり      東京   島谷 高水
日の高きうちに沸かしぬ菖蒲風呂    東京   清水 史恵
葉桜やうつてかはりし空模様      東京   清水美保子
白に勝る色無しと知る牡丹かな     埼玉   志村  昌
腕白にふた口に食ぶ柏餅        千葉   白井 飛露
手鏡の見知らぬ顔の五月病       神奈川  白井八十八
半眼の仏のさそふ目借時        東京   白濱 武子
樟若葉揺らすか神宮大太鼓       東京   新谷 房子
薄紙を丸めたやうに罌粟の花      東京   鈴木 淳子
山笑ふ利根の白瀬に魚群れぬ      群馬   鈴木踏青子
永き日や会ふも別れの駅となり     東京   角 佐穂子
御破算で揺るる風鈴珠算塾       千葉   園部あづき
母の日や母の匂ひの遠ざかる      神奈川  曽谷 晴子
ぼうたんの大きな黙の崩れけり     東京   高橋 透水
けふは此の一樹と定め花見かな     東京   武井まゆみ
羅や内ポケットの無き不安       東京   竹内 洋平
天空の画布を滲ませ春の虹       神奈川  田嶋 壺中
母の日や若かりし母アルバムに     東京   立崎ひかり
平安ののどかさかくや花筏       東京   田中 敬子
葉の色に違ひもありて柏餅       東京   田中  道
生涯を逃水追うて終はるかや      東京   田家 正好
母の日の遺影に永遠の母の笑み     東京   辻  隆夫
返事する声の大きく目借時       ムンバイ 辻本 芙紗
古扇今年の風をあふぎ初む       東京   辻本 理恵
風の音水の音きき種えらぶ       愛知   津田  卓
逃水の馬車浮かびゆく二重橋      東京   坪井 研治
枝々に鳥の来てゐる仏生会       埼玉   戸矢 一斗
船旅や茅花流しの隠岐遠し       千葉   長井  哲
親しくも距離はほどほど暖かし     東京   中込 精二
鹿の眼になほ燃えてゐる修二会の火   大阪   中島 凌雲
馬の脚丈不揃ひも村祭         神奈川  中野 堯司
逃水や還らぬ人を追ふに似て      東京   中野 智子
竹を植ゑ猫と暮らせば世捨て人     東京   中村 孝哲
隠れ吸ふ煙草の味や修司の忌      茨城   中村 湖童
肘掛けの肘定まらぬ目借時       埼玉   中村 宗男
涅槃図の釈迦も法話を聞きゐしか    東京   中村 藍人
天竜川(てんりゅう)をしかと跨ぎて袋掛       長野   中山  中
甘茶仏胸のあたりがよく濡れて     大阪   西田 鏡子
赤松の雨の明るさ明易し        埼玉   萩原 陽里
初蝶来今年の今日も黄なりけり     広島   長谷川明子
会へぬ友新茶に寄せて一往信      東京   長谷川千何子
田の神や苗田の続く宇陀郡       兵庫   播广 義春
裏山の鳥も来たれり花祭        埼玉   半田けい子
何となく外に出てみる更衣       埼玉   深津  博
良き昭和母手作りの柏餅        東京   福永 新祇
解かれし帯の如くや花筏        東京   福原  紅
水鏡して翡翠の羽繕ひ         東京   星野 淑子
散髪の椅子の憩ひも目借時       岐阜   堀江 美州
藤棚に風の密語の集まれり       埼玉   本庄 康代
亀鳴くとききて幼は耳元に       東京   松浦 宗克
武者人形どこか欠けたる物ばかり    東京   松代 展枝
対岸のビル眺めつつ潮干狩       神奈川  三井 康有
号泣のごとき喝采若葉寒        神奈川  宮本起代子
咲き次ぐも終ふるも早し春逝けり    東京   村田 郁子
大南風古書に残れる航海図       東京   村田 重子
能登輪島
燕来る朝市通りこのあたり       東京   森 羽久衣
茅花流し何処も水音尾瀬の奥      千葉   森崎 森平
春耕の一打に土地の神起こす      埼玉   森濱 直之
溢れ出る麦酒の泡に力かな       長野   守屋  明
一鍬にたかんなの香の満つる山     東京   保田 貴子
揚ぐる網の形を光れり蛍烏賊      東京   矢野 安美
環状線三廻り四廻りの日永       愛知   山口 輝久
しつかりと返事する子や柏餅      群馬   山﨑ちづ子
花冷えや一枚板の欅床         東京   山下 美佐
ゆふづつの空群青に初鰹        東京   山田  茜
たかんなや我が青春にあるえぐみ    東京   山元 正規
つばめ来る熊野に今もひしほ蔵     東京   渡辺 花穂
紙風船三度ついてはふくらまし     埼玉   渡辺 志水

















     





銀河集・綺羅星今月の秀句


伊藤伊那男・選

海底を列車で潜る先帝祭         橋野 幸彦
先帝祭は五月に下関市赤間神宮で行われる祭。壇ノ浦に入水した安徳天皇の霊を慰める。句は丁度その折新幹線で下関海峡のトンネルを通過したという。八百年前の悲劇と今日の交通機関の発達とをぶつけた異色の作。


 

興亡も一炊の夢蒙古風          中山 桐里
振り返ってみれば何事も一炊の夢のように過ぎ去っていく。国の興亡でさえも同様だと、歴史を俯瞰した句。黄沙の到来を見てモンゴル帝国の興亡などを想起したのであろう。「蒙古風」だとフビライ帝の事跡に限定されそうなので「霾(つちふ)れり」位にした方が句に広がりが出るように思う。


  

初蝶の唐子に追はれ絵皿より       塚本 一夫
空想力を発揮した楽しい句だ。初蝶は染付けの皿の絵柄の童子に追われた蝶々ではないだろうか? 絵皿の蝶々が抜け出てきたのだ、という。豊かな発想を称えたい。


  

春愉し発掘に似て鯛の鯛         多田 悦子
鯛の鯛とは鯛の胸鰭の辺りにある骨で、兜煮などを食べると発見することができる。魚と似た形の骨で、大きな穴が目のように見えて面白い。お守りにする人もいるという。句は「発掘に似て」という比喩がいい。兜煮を食べるのはまさに発掘の気分。


  

二杯目は元のせつかち新茶汲む      清水佳壽美
お茶好きの私には新茶への思い入れが深い。ああ、またこの季節が来たな、と思う。作者も特別な思いで一煎目を淹(い)れたのであろうが、次からは普段通りのせっかちに。でもそんな気持の一時を得たのも新茶の力である。


  

日の斑顔に浴びつつ袋掛         三溝 恵子
袋掛などという厄介な仕事を誰が思い付いたのであろうか。日本人の勤勉さの極みである。この句はその作業の様子を活写している。上を向いての作業なので葉の間の木漏れ日を浴びる。そんな苦労の様子がよく解るのである。


  

偕楽も後楽も知る実梅かな        有賀  理
水戸の偕楽園の偕楽は「衆人と共に楽しむ」こと。東京文京区の後楽園の後楽は「先憂後楽」(人より先に憂え、人より後に楽しむ)からきている。いずれも梅の名所である。二つの「楽」の付く名園を梅の実で繋げた巧みさ。


  

潮の削る絶壁巣立鳥           大野 里詩
リアス式海岸の切り立った崖は、鳥たちが身を守るために安全な場所なのであろう。「黒潮の削る」に臨場感があるいい写生句である。作者の感情を入れない自然詠は最近少なくなってしまったが、やはり気持のいいものだ。


  

最後また平たくされて紙風船       小田島 渚
富山の薬売りの景品の紙風船であろうか。ひと時遊んだ後空気を抜いて折目に添って畳む。この句は「また」の措辞が眼目。このようなことを繰り返して遊ぶ子供の様子がしっかりと捉えられているのである。


  

山背吹く床下までも浚ふかに       小野寺清人
旅人として味わった山背は夏の涼風であったが、東北地方の農家にとっては死活を制する恐ろしい風である。この句、縁の下まで根こそぎ浚う、という表現は、体験した人でなければ浮かばない。一家のいや一村の存続にかかわる恐怖の風であることを実感させる句だ。










                






 

星雲集作品抄
伊藤伊那男・選
秀逸

卓袱台の脚の低さや昭和の日      東京  橋本  泰
家暗し憲法の日の日章旗        東京  尼崎 沙羅
本堂は花弁の陰や牡丹寺        埼玉  其田 鯉宏
花見茣蓙巻けば余韻のこぼれけり    東京  関根 正義
葬列にこれほどまでの飛花落花     岐阜  鈴木 春水
階段の二段飛ばしや五月来ぬ      東京  北原美枝子
病むとても心は病まず栗の花      群馬  北川 京子
ざわめきは若竹の声嵯峨野ゆく     東京  家治 祥夫
飛ぶごとく男夕立を抜けて来し     神奈川 西本  萌
開衿の風を孕める立夏かな       千葉  平山 凛語
墓に来て囀の中妻のこと        千葉  針田 達行
雨蛙あふりの山を囃すかに       神奈川 横地 三旦
山伏の法螺峰々に山笑ふ        山形  我妻 一男
音のして水の香のして滝近し      長野  戸田 円三
無精髭剃る間も伸びる日永かな     愛知  河畑 達雄





星雲集作品抄

            伊藤伊那男・選


ゆふやみのおほふ遠富士朧なり     東京  井川  敏
錆色のトロッコ軌条夏兆す       長野  池内とほる
夏潮や満珠干珠の壇ノ浦        東京  一政 輪太
再会に笑みが囲める豆の飯       東京  伊藤 真紀
春眠の夢に前生前世(さきしょうぜんせ)かな         広島  井上 幸三
知らぬ間に万緑と化す国境       愛媛  岩本 青山
肺臓の隅の隅まで若葉風        長野  上野 三歩
ダービーや欅並木に馬券舞ふ      長野  浦野 洋一
青鷺の狩一切の気配消し        群馬  小野田静江
花の昼捩子ゆるみゆくオルゴール    広島  小原三千代
四万十の風を吸ひ込む鯉幟       東京  桂  説子
残雪を峰の高さの証とす        埼玉  加藤 且之
袋掛脚立の位置を確かむる       長野  唐沢 冬朱
旅人は余花と言ふらむ今盛り      東京  久保園和美
衣更ふきのふと違ふ風のあり      東京  熊木 光代
駅弁を解く車窓や麦の秋        東京  倉橋  茂
雪の廻廊越えて信濃の出湯かな     群馬  黒岩伊知朗
林間に咲きて孤高の水芭蕉       群馬  黒岩 清子
波音のベンチに二つ夏帽子       愛知  黒岩 宏行
母の日や喋り続ける人も母       東京  髙坂小太郎
頷いて又聞き返す心太         神奈川 阪井 忠太
締めすぎず緩めすぎずに袋掛      長野  桜井美津江
湯煙の町に下駄音花は葉に       東京  佐々木終吉
花菖蒲風の荒さを案じをり       群馬  佐藤さゆり
昭和の日かつてここには遊園地     東京  島谷  操
春眠を覚ます原発再稼働        東京  清水 旭峰
雑木山ぼうとたなびく花の雲      千葉  清水 礼子
日盛や影を短く先立てて        大阪  杉島 久江
懸崖の滴る谷戸の暮しなる       東京  須﨑 武雄
廃校を村の歴史に花の散る       愛知  住山 春人
荒海の富士呑むごとき卯波かな     埼玉  園部 恵夏
今日も無事窓に残花を眺めゐて     東京  田岡美也子
身を屈め橋をくぐりし舟遊び      東京  髙城 愉楽
黄砂降る車に猫の足跡が        埼玉  武井 康弘
散るもよし余生気ままに花の昼     東京  竹花美代惠
見詰めれば厭きることなき花筏     栃木  田中 桂子
花筏風に漕ぎ出す流離譚        栃木  たなかまさこ
草笛や笹の切傷痛痒し         埼玉  内藤  明
雪形に明日を占ふ農夫かな       群馬  中島みつる
藤棚の一斉に咲き緞帳に        神奈川 長濱 泰子
花筏散らして泳ぐ池の主        京都  仁井田麻利子
石垣に戦禍の痕や松の芯        東京  西  照雄
母さんと呼ぶ声永遠にこどもの日    宮城  西岡 博子
戦後八十年や予科練の余花       東京  西田有希子
枕辺に来て春眠を起こす猫       静岡  橋本 光子
風光る欄間に映る木々の揺れ      神奈川 花上 佐都
袋掛脚立とり合ふ年子かな       長野  馬場みち子
白鳩の放たれし朝聖五月        神奈川 日山 典子
もてなしの岩魚の炉挿し沢の音     千葉  平野 梗華
水に浸くる万能と鍬春田打ち      長野  藤井 法子
突風に川面を占むる花筏        東京  牧野 睦子
初鰹まづは呑むべし亡き夫と      東京  幕内 美子
田植終へ田ごと山影映しけり      東京  松井はつ子
地に近きより葉桜となる速さ      埼玉  水野 加代
見紛ふや飴細工かと柿の花       愛知  箕浦甫佐子
京を去んで東の京の走り梅雨      東京  宮下 研児
鶯や湧き水ぬらす山の靴        東京  無聞  益
おかつぱも坊主頭も昭和の日      宮城  村上セイ子
鍬入れてまだ目の覚めぬ蛙かな     群馬  山﨑 伸次
煩悩を一つづつ消し遍路道       神奈川 山田 丹晴
使ひから仔猫を抱き子の帰る      静岡  山室 樹一
浅間山噴煙高き端午の日        群馬  横沢 宇内
雲湧ける五合目辺り五月富士      神奈川 横山 渓泉
麦飯や学徒動員語る父         千葉  吉田 正克
ゆるゆると訪ふ鎌倉の春の海      東京  若林 若干
子の名刺両手で受けて山笑ふ      東京  渡辺 誠子



















星雲集 今月の秀句

伊藤伊那男

卓袱台の脚の低さや昭和の日       橋本  泰
今でこそ見る事が少なくなったが、卓袱台は便利なものであった。多分江戸下町の長屋生活に合わせた家具だったのであろう。私の学生時代にも重宝したものだ。四畳半一間でも脚を畳めば布団を敷く空間ができる。それももう半世紀前のことである。今は畳に座ること自体が厄介なことになってしまった。この句は「脚の低さ」が眼目。具体的にそこまで対象物を観察している姿勢がいい。


  

家暗し憲法の日の日章旗         尼崎 沙羅
日本国憲法が施行されたのは昭和二十二年五月三日。七十七年前のことである。私の子供の頃は「旗日」と言って、祝祭日には家の前に日の丸の旗が掲揚されていたものだが、今はほとんど見ることは無い。当時の家は天井も低く、家の中は暗かったものだ。「家暗し」には、そんな往時の思い出と、憲法改正論が議論されている世相への思いが重なっているのかもしれない。


 

本堂は花弁の陰や牡丹寺         其田 鯉宏
構図の面白い句である。大輪の牡丹が目の前にあり、その先の本堂はその花弁に隠れている。歌川広重の浮世絵の遠近法を駆使した構図と同じである。思い切り牡丹を前面に出したところが手柄である。


  

花見茣蓙巻けば余韻のこぼれけり     関根 正義
花見が終わったあと、宴のあとを片付けながら、直前までの高ぶりを噛みしめているのであろう。花見そのものを詠まず、その後のことを詠んだ、視点の違う句である。俳句にはこのように佳境を少し外した場面を詠む技法がある。


  

葬列にこれほどまでの飛花落花      鈴木 春水
いい追悼句である。慕われた故人であったことが解る。私事だが、妻の母の葬儀の時がそうであった。京都東山でお骨にしたあと、まさに花吹雪の中を帰路についたことを思い出した。美しく凜然と生きた義母であった。


  

階段の二段飛ばしや五月来ぬ       北原美枝子
「五月来ぬ」の季語の生きた句である。最も快適な季節に入ったという弾む気持がよく出ている。具体的な「二段飛ばし」の表現が面白い。もはや私の年齢では難しい仕種になってしまったが‥‥。


  

病むとても心は病まず栗の花       北川 京子
「病は気から」という。もちろん全部がそうだとは言わないが、大きな要因であると思う。この句「心は病まず」がいい。病気になっても気持は前向きである。「栗の花」の取合せが絶対にいいかどうかは解らないが、梅雨入り前の鬱陶しい気候を合わせたのは、かなりいい感覚である。


  

ざわめきは若竹の声嵯峨野ゆく      家治 祥夫
いつもの竹林に若竹が加わって、風の音にも少し違いが出ているようだ。若竹はまだ歩調が合わず、無駄な動きがあるようだ。そこを「若竹の声」と擬人化したことで独自の表現の句となった。


  

飛ぶごとく男夕立を抜けて来し      西本  萌
一物仕立てで貫いたところが、まさに夕立のようで潔い。何だか時代劇の一場面で、丁髷の若い男が宿場を駆け抜けているような面白さである。


  

開衿の風を孕める立夏かな        平山 凛語
社会人であった頃は夏でもネクタイを締めていたが、今日の気象状況では止めた方がいい。立夏の声を聞いたら、この句のように開衿シャツに替えるのがいいだろう。何とも気持の良さそうな句ではないか!


  

墓に来て囀の中妻のこと         針田 達行
悲しい句だが、細やかな愛情も感じられる句である。どんなに仲が良かろうが、死ぬ時は一人というのが人の世の抗い難い節理である。残された者は、故人のことを記憶に留めていることが一番の供養なのであろう。囀に誘われて思い出すことも。


 

雨蛙あふりの山を囃すかに        横地 三旦
「あふりの山」とは相模伊勢原の大山のこと。「阿夫利山」とも「雨降山」ともいい、雨乞の山として知られている。今の青山通りは江戸時代は「大山街道」と呼ばれ、江戸庶民の大山詣の参詣の道であった。雨蛙が囃す、と楽しい仕上りである。


  

山伏の法螺峰々に山笑ふ         我妻 一男
出羽三山の嘱目であろう。盤水先生の常宿であった手向集落の三光院の今の院主粕谷典海さんは、今も山伏姿で法螺貝で迎えてくれる。春の遅い地方だけに「山笑ふ」に万感の思いが籠められているように思う。




















伊那男俳句


伊那男俳句 自句自解(103)
          
  
これも縫初独り居の釦かがる

 妻が死んだのは平成18年1月21日。誕生日が12月28日なので、55歳と1月弱であった。7人の孫の内、女子2名の顔は見ているが、あとの男子5人のことは知らない。人の世の節理とはいえ55歳は無念である。その後私は好き勝手に人生を楽しんでいるのであるから済まないという思いは常にある。妻の死んだあと、杉並の家に妻の残したヨークシャテリアの犬と一緒に暮していた。その頃の記憶はぼんやりとしている。居酒屋の仕事を終えて12時過ぎに家の近くの店でパスタとワインの夜食を取る事が多かった。帰宅して犬の散歩をして寝る。そんな生活であった。服のボタンが取れてしまった時などは厄介であった。この句は正月休みに幾つかの釦を付けたのである。そうだ、こんな「縫初」もあるのだな、と思った。男の悲しい縫初である。そんな生活を五年ほど送ったあと、杉並の家は次女に渡し、私は長女一家と同居することとなり、今日に到る。

針箱は母の密室春隣

 昭和24年生まれの私の子供の頃は、まだ戦後の物資不足の時代が続いていた。衣類も満足ではなく、皆同じ物を綻ぶまで着ていた。膝や肘が擦り切れると継ぎ接ぎをしたもので、皆がそうであったから恥じることもなかった。母の居場所には常に針箱があったものだ。引き出しが幾つか付いていて、箱の上には針山の塔が立っていた記憶がある。引き出しには裁縫に必要な一切の物が入っていたが、他には母のメモ書きや手紙、お金、指輪などが入っていたのではなかろうか。そんな思い出がこの句になった。句の嘱目はやはり「母の密室」の表現ということになろうか。針箱は母の秘密の家、引き出しは誰も入れない母の秘密の部屋だったのであろう。私のような団塊の世代は兄弟が多かったものだ。昭和20年代の貧しい時代の子育ては大変であっただろうと、今にして思う。身を削って育ててくれた母のことを思い出すとき、針箱が一緒に目に浮かぶのである。 










   


 



俳人協会四賞・受賞式





更新で5秒後、再度スライドします。全14枚。







リンクします。

aishi etc
        












銀漢の絵はがき


挿絵が絵葉書になりました。
Aシリーズ 8枚組・Bシリーズ8枚組
8枚一組 1,000円

ごあいさつにご利用下さい。






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掲示板


















               
 
     

「銀漢」季語別俳句集




拡大します。
銀漢季語別俳句集
待望の『季語別俳句集』が3月に刊行されました。









主宰日録  

  



5月

5月20日(月)
4時半起床。ゆっくり風呂。8時発、寒河江の慈恩寺。法相宗、天台宗、真言宗の混交した古刹。御本尊の弥勒菩薩他、30体ほどの秘仏あり。薬師仏、十二神将も重文。雨の中、緑も美しく、法悦。泰明君は車の中。米沢へ。米沢城址近くの「菊太郎 新富」で蕎麦の昼食。城址(上杉神社)見学。会津へ向かう。17時、「会津若松ワシントンホテル」投宿。夕食は皆川文弘さんに聞いた「桜鍋 吉し多」。馬刺、わらび、身欠鰊の山椒煮。根曲筍と鰊煮など。郷土料理の「こつゆ」も。

5月21日(火)
ホテルの朝食佳(納豆蕎麦、温泉卵、味噌汁他色々)。8時発。磐梯山慧日寺跡。門と金堂、薬師仏が復元されており、実に気持ちのいい寺跡。徳一上人廟も参拝。勝常寺を訪ねるが、宝物館は火曜日休館にて薬師仏他の重文3体の拝観できず。ここも最澄と論争をした徳一の寺。白河に出て駅近くの蕎麦「大福家」。白河小峰城を1時間ほど散策。ここも2回目。松平定信の城。16時、宇都宮で解散。泰明君の運転に感謝。買ってきた蕨の醬油漬、温海蕪漬で夕食。

5月22日(水)
8句会ほどの選句。嬬恋村からの山菜(蕨・蕗・独活)の下処理。毎日新聞「俳句てふてふ」の食物エッセイ(独活・筍)を投函。17時から加々美さんの整体。夕食は蕗の山椒煮。蕨と油揚煮、山独活炒め、天婦羅。

5月23日(木)
10時、田町専売ビル。「三田俳句丘の会」の定例運営委員会。昼、とろろ飯。午後、句会。夜、到来の楤の芽、山独活は天婦羅。

5月24日(金)
午後、順天堂医院。血液検査。CT検査。戻って早々に寝る。

6月25日(土)
夜中から起きて「銀漢」7月号の同人会員の選句、選評終了。11時、日本橋「吉」にて「纏句会」。12人。次女、杏子の誕生日にて庭でバーベキューパーティー。孫の莉子の友人も来て計十五人ほど。

5月26日(日)
10時半、成城学園前駅で「宙句会」の面々と待合せ。堀切君の琴葉ちゃんも来て13人。成城の町並を案内。「成城五丁目猪股庭園」「旧山田家住宅」などを巡り、昼時、一旦別れて帰宅。昼寝。15時過、区民会館にて句会。「焼き鳥てん成城学園駅前店」にて親睦会。好天の1日。皆さんから力を貰う。

5月27日(月)
今日は1日気怠い日。机に座っていても仕事にならず、臥して過ごす。

5月28日(火)
朝5時時から「彗星集」の選評を書き、7月号の執筆全て終える。9時過、順天堂医院。齋浦先生と面談。先週の検査の結果は再発なしと。順調と。但し、相当厳しい状態だったのだから、少し弱目にして抗癌剤をもう少し続けてみたいがどうか、と。もちろん従います。それと今回の検査で尿管結石が発見されたと。泌尿器科にも世話になることに。

5月29日(水)
T・Tさんの句集、3回目の点検。序文の準備。到来の真たけの筍の処理など。

5月31日(金)
美容師の中川さん来宅。髪を短くして貰う。

6月

6月1日(土)
8時前の新幹線「はやぶさ」。近恵、太田うさぎ、大宮から大野田井蛙さん。一ノ関駅から大船渡線で気仙沼駅。小野寺清人さんの迎えを受け、大島の小野寺一砂さん宅。仙台の信一大兄もおられ、バーベキューの用意が整っている。漁師の菊田志尚さんが牡蠣、ばい貝、ほや、帆立、うになど。信一さんの仙台「味の牛たん喜助」牛たん、和人(一砂)さんの鮪の刺身、平目と塩うに合わせ、烏賊の塩辛、赤皿貝の炊き込みご飯など、何とも……! 日本酒少々、ヴーヴクリコが旨い。時鳥が前の竹藪でしきりに鳴く。読売新聞の松本由佳さん、まほ、政さんも合流。18時、「旅館大鍋屋本館」に投宿。皆さんは夕食に出るが私は就寝。

6月2日(日)
5時前起、ゆっくり風呂。体重58kgに減っている。もう少し食べた方が良さそう。9時半、「森は海の恋人 植樹祭」開始。畠山先生お元気。清水旭峰先生も駆け付けて来られる。植樹会場へは私はバスに頼る。昼、五日市征和さんの迎えを受け、一ノ関駅へ。兄夫婦を迎え、鳴子温泉へ。16時頃「元祖うなぎ湯の宿 ゆさや」へ投宿。隣の共同浴場の「滝の湯」の硫黄泉、実に良し。ゆさやの露天風呂も湯加減、眺望と実にいい。内湯のうなぎ湯もナトリウムのぬめりが濃厚。

6月3日(月)
4時起床。風呂2回。八時半、酒田方面へ。「戸澤藩船番所」から「最上川舟下り」。50分程。船頭さんの歌がうまい。「川の駅・最上峡くさなぎ」に下船。酒田の「川柳」という店でワンタン麵の昼食。「山居倉庫」見学。月山の裏側に廻って肘折温泉「大友屋旅館」。小さくまとまって風情のある古湯。

6月4日(火)
4時起。ゆっくり温泉に浸る。朝市を見てまた温泉。朝食後、共同浴場の「上ノ湯」。9時出発、仙台へ向かう。四ヶ村の棚田を見る。寒河江の「チェリーランドさがえ」(道の駅)に寄る。3週間ほど前に寄ったところ。「ニッカウヰスキー仙台工場宮城峡蒸溜所」を見学。15時過、仙台駅で5日市さんと別れる。五日市さんのお陰の有難い旅。

6月5日(水)
9時、順天堂医院。採血、検尿。今日は泌尿器科。4・4㎜の結石あり。1ヶ月薬を飲み、流す処方。投薬処方の待ち時間が160分と。慣れてはきたものの、ほぼ1日掛りである。帰宅18時。

6月6日(木)
東北で買った蕨を煮る。城巡りの覚書き。40城ほど。関東戦国時代の歴史も纏めてみる。実にややこしい歴史。

6月7日(金)
今日から抗癌剤9回目服用に入る。尿管結石の薬を入れて計8種類を服用。莉子、希望会社への就職試験合格と!

6月9日(日)
孫の怜輔君、劇団四季「ライオンキング」出演最終回。オーディション合格のあと、3年半、計173回の出演。最後、余裕を持って演じ切る。成城中心に仲間150人ほどが来場してくれる。小野寺清人さんも夫婦で来てくれる。

6月10日(月)
8時半、新宿発のチャーターバスにて「銀漢俳句会黒羽吟行」。黒羽観光梁へ。以前、盤水師と来たが、出水などもあったとて大きく変化。あと、雲巌寺。栃木市の会員たなかまさこさんが挨拶に来て下さる。大雄寺へ廻る。茅葺屋根の古刹で黒羽藩大関氏の菩提寺。あと、市民会館にて5句出し句会。披講は帰路のバスの中。21時、新宿着。

  6月11日(火)
16時、発行所。高橋透水さんの句集の最終打合せ。武田編集長、透水さん。あと「天為」発行所にて「火の会」9人。帰宅23時。

6月12日(水)
午前中、岩野歯科。定期検診。午後、加々美先生の整体。気仙沼志尚さんに頼んだ牡蠣、つぶ貝、帆立。梁で焼いて貰った鮎塩焼などで家族をもてなす。
 
 6月13日(木)
俳人協会の「第63回全国俳句大会」の選句。予選通過作品2,000句弱あり。明日締切にて速達で投函。

6月14日(金)、15日(土)
数句会の選句、選評。戦国史の本渉猟。合間合間に昼寝。やや怠惰に過す。



     
 

















         
    






今月の季節の写真/花の歳時記




2024/8/23撮影  ヘクソカズラ    HACHIOJI






 花言葉     「人嫌い」「誤解を解きたい」「意外性のある」


△ ヘクソカズラ
和名の「屁糞葛(ヘクソカズラ)」も葉や茎をもむと悪臭があることにちなみます。
別名の「灸花(ヤイトバナ)」は、花の中心にある紅紫色の部分がお灸のあとに似ていることに、「早乙女花(サオトメバナ)」は、花を水に浮かべた姿が早乙女(田植えをする娘)のかぶる笠に似ていることにちなみます。
その臭いからあまり好かれないヘクソカズラでも、愛らしい花を咲かせる時期があるように、不器量な娘でも年頃になればそれなりに魅力があるということ。


ヒメヒオウギズイセン シマトネリコ ワレモコウ ヤナギハナガサ ハゼラン
センニチコウ 百日紅 木槿 キツネの剃刀 夏水仙
ヘクソカズラ










写真は4~5日間隔で掲載しています。 


20224/8/25







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