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 4月号  2015年

伊藤伊那男作品 銀漢今月の目次 銀漢の俳句 盤水俳句・今月の一句  彗星集作品抄  
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伊藤伊那男作品


主宰の八句
 
春火鉢        伊藤伊那男

銀鱗といふもはかなき鱵かな
馬珂貝の舌三寸を捌かれぬ
春火鉢あればあつたで手をかざす
冴返る切腹矢倉と聞けばなほ
鳴き竜の泣くに間のありあたたかし
富士塚の裾野に拡げ苗木市
野遊のここも遺跡の上といふ
ここもまた神話の山や鳥曇






        
             


今月の目次







銀漢俳句会/4月号












   



銀漢の俳句 

伊藤伊那男 

◎日本橋界隈のこと

 銀漢纏句会の会場は日本橋三越の近くの寿司店の午後の空き時間を借りる。毎月1回三越前駅に降り立つのだが、近時この町は再開発により著しく変貌した。私は日本橋界隈とは縁が深い。就職した野村證券は中央区日本橋1の1、まさに橋のたもとである。2年ほど京都支店に勤めたあと、本店株式部株式分析課に転勤し3年近く勤めた。その後、退職しオリックスに10年勤めたが、バブル期といわれる昭和時代の終りにヘッドハンティングに応じて金融会社設立に参画した。会社所在地は何と、野村證券と川を挟んだ向かい側、昭和通りの江戸橋交差点の角で、住所は日本橋本町一の一であった。ここで2年ほど働いたが業容が拡大したので、神田淡路町に本社ビルを建てた。ところが建築途中に膨らみ切ったバブル景気は急速に萎み始め、本社ビルのお披露目パーティーの日には、私は紅白の幕の影で債務者への返済督促の電話をかけていた。結局1年ももたずに淡路町を退去して元の日本橋に戻った。
 さてその近く室町1丁目の佃煮店「鮒佐」のあたりが芭蕉の日本橋時代の住居跡である。藤堂新七郎家を致仕して江戸へ出た29歳から9年間ほどここを拠点とした。まだ桃青と名告っていた時代である。その後火災を機に深川へ移っていく。時を経て蕪村も日本橋の時の鐘あたりに6年ほど住んでいる。一茶は江戸の中を転々としているが、久松小学校あたりに少しの間住んだことがあるようだ。
 私の会社の裏の路地に割烹店があった。締め鯖や炒豆腐など実にうまいものを出してくれた。その女主人は、正月は久保田万太郎家の年賀客のための料理を作りに毎年詰めていたという。その縁で万太郎の短冊を沢山持っていた。〈雛あられ両手にうけてこぼしけり〉などの短冊を手に取って見た記憶がある。
 私の会社は更にどん底に陥っていき、責任をとって社長は去り、繰り上げで社長になった専務、そして常務も去り、結局取締役の私が最後の社長になった。会社も人形町に近い日本橋堀留町のビルの一室へ移転した。べったら市の立つ宝田恵比寿神社も近かった。そこで会社の自己破産手続きを取ることとなる。
  まだ逃げるつもりの土用鰻かな    伊那男
には何とか生き残ろうとした頃の心境が重なっている。
  夕立の止むときもまた潔し      伊那男
は会社を閉じるしかないと覚悟を決めた頃の句である。
  べつたら市のこの路地会社閉ぢしこと 伊那男
は後年べったら市の席題で詠んだ句で、句会では1点も入らなかったが棄て切れずにいる。
 
 

 




          

      





 



  

盤水俳句・今月の一句

伊藤伊那男
   
朝市に海女がひきずる雪合羽     皆川 盤水

 第一句集『積荷』は、全体的にみると、前半は社会性俳句の影響が濃厚で、進むにつれて風土性俳句への傾斜がみられる。この句は昭和37年、沢木欣一、加倉井秋を氏らと能登半島を訪ねた折の32句の一つである。他の秀句に〈風を引張り網干す海女の腰強し〉〈音もなく枯れ風蝕の海女の墓〉〈蟹を売る能登朝市の雨急なり〉などがある。時に先生44歳。このあと先生は美しい日本の風土へ俳句の焦点を絞っていくのである。
                                 (昭和37年作『積荷』所収)





  
 

彗星集作品抄

伊藤伊那男選

猪鍋へ一つ札所を端折りしと       多田 悦子
残業のサンタに残す聖菓かな       谷岡 健彦
その奥の灯り零るる雁木道        水木 浩生
春風の映るやうにとガラス拭く      相田 惠子
頬白の告ぐる吉事(よごと)や伊勢の宮       武田 禪次
千両も万両もある浜御殿         白濱 武子
メモ用紙の角整へて事務始        宮本起代子
極彩の色を弾ませ手まり唄        武井まゆみ
厠窓より筒抜けの初筑波         上田 裕
にはとりのていねいに鳴く初御空     片山 一行
雪折の音に追はるる柳生道        武田 禪次
道路鏡姿見として雪女郎         堀内 清瀬
牛鳴いて信濃におらが寝正月       萩原 空木
うすうすと色定まりぬ枇杷の花      渡辺 花穂
歓声をうしろに飛ばし橇あそび      笠原 祐子
この町にわが身を託す去年今年      藤井 綋一
もう指が蜜柑を剥いてをりにけり     堀切 克洋
地吹雪に天も地もなき津軽かな      水木 浩生
風吹けば水仙海になだれむと       小野寺清人
その中に八咫のおはすか初鴉       山下 美佐








        








彗星集 選評 伊藤伊那男


猪鍋へ一つ札所を端折りしと       多田 悦子

私にも覚えがあるが、秩父の句であろう。この札所は秩父観音霊場。西国三十三、坂東三十三を加えて秩父を回れば百参りと言って三十四の観音霊場を開いて江戸庶民にアピールしたという。他と違って三、四日もあれば廻ることができることから人気を博したという。だからこそ「一つ端折りて」が生きてくるのである。他の霊場ではこうしたことはできないのだ。「猪鍋」を食べたいばかりに夕暮れの札所を急ぐ俄か遍路をとらえており俳諧味が滲む。「端折りしと」と伝聞のように詠んでいるが、本当は作者も混じっていたのではないか?そういう面白さもある。 
 
残業のサンタに残す聖菓かな       谷岡 健彦
忙しい父親はクリスマスイブの夜も残業があり、夕食に帰宅できない。母親と子供だけでクリスマスケーキを切り、父親に残しておく。遅くに戻った父は食卓にクリスマスケーキを見る。寝静まった子どもの枕元に「サンタ」としてプレゼントの品をそっと置く。子育て中だった私にもその記憶があり共感した。
 
 
その奥の灯り零るる雁木道        水木 浩生
雁木は雪国における歩道の庇で、いわば日本のアーケード。昨年、越後長岡の町を歩いていて、一部にその名残があり、実際今も使われていることを知った。雪の降る夜、雁木道に面した家の奥から団欒の灯が漏れていたのである。深い郷愁を感じさせる句である。井上井月の〈行暮れて越後や榾の遠明り〉を思い出した。 
 
春風の映るやうにとガラス拭く      相田 惠子
春風には色はないが、色があるように感じられてくる句である。春を待ちかねる作者の思いがそうさせるのであろう。家中の窓ガラスを丁寧に磨きあげる。その心の弾みが素直に表現されているのだ。下五は「窓磨く」とする手もあるが、さて、それでは原句の素直さを損なうかな?
 
        
頬白の告ぐる吉事(よごと)や伊勢の宮       武田 禪次
  
頬白の囀には春を告げる季感があるようだ。「一筆啓上つかまつる」と聞こえるといい、親しまれてきたのである。「吉事(よごと)」はよいこと、めでたいことをいい、古事記などにも使われている言葉だ。そこが伊勢の宮とあうのであろう。おのずから淑気発する句となっている。 
 
千両も万両もある浜御殿         白濱 武子
浜御殿は、東京で言えば新橋と浜松町の付 近に残る浜離宮のようなところであろう。海に面した暖かさから、千両も万両も豊かに赤い実をつけているのであろう。栄華の頂きにある屋敷だけに、この千両、万両が「植物」であるだけでなく、「財貨」を彷彿させるのである。 
 
メモ用紙の角整へて事務始        宮本起代子
メモ用のようなものまで「整へて」に淑気が漂う。

極彩の色を弾ませ手まり唄        武井まゆみ
〈手毬つく極彩色を弾ませて〉としてもいいかと思う。

厠窓より筒抜けの初筑波         上田 裕
めでたいものを「厠」から見るところが俳諧味。 

にはとりのていねいに鳴く初御空     片山 一行
「ていねいに」で鶏も新年を意識しているように思われる。 
 
雪折の音に追はるる柳生道        武田 禪次
剣豪の里であるだけに切迫した気分に臨場感がある。 
 
道路鏡姿見として雪女郎         堀内 清瀬
昔は多摩横山にも出たという。現代の雪女郎の面白さ。 
 
牛鳴いて信濃におらが寝正月       萩原 空木
一茶の「おらが春」の本歌取り。寝正月に落した俳諧味。 

うすうすと色定まりぬ枇杷の花      渡辺 花穂
気付かないほどの花を「色定まりぬ」とした手柄! 

歓声をうしろに飛ばし橇あそび      笠原 祐子
確かに、橇の速さに歓声は常に後ろに……。 

この町にわが身を託す去年今年      藤井 綋一
住めば都というけれど。改めてわが町絵の感謝が・・・・。 

もう指が蜜柑を剥いてをりにけり     堀切 克洋
炬燵の上の蜜柑にはこうした魔力があるようだ。 

地吹雪に天も地もなき津軽かな      水木 浩生
家とは眼と鼻の先の近さで凍死の記事もあった。凄味が伝わる。 

風吹けば水仙海になだれむと       小野寺清人
越前、伊豆等の崖に咲く水仙。「なだれむと」が秀逸。 

その中に八咫のおはすか初鴉       山下 美佐
初鴉の中に神武東征を導いた八咫鴉を見た、見たて.。
 






          


      
    
                 


     
        







銀河集品抄

伊藤伊那男選

頰白の弥陀九体の黙みだす       東京   飯田眞理子
見通しのがらんどうなる冬田かな    静岡   池田 華風
田遊びの太鼓の夕立轟けり       静岡   唐沢 静男
どんど火の落ちて浅間嶺夜も青し    群馬   柴山つぐ子
形まだ影ともならず冬木の芽      東京   杉阪 大和
浄瑠璃寺けふ見し馬酔木の返り花    東京   武田 花果
大川の上げ潮に乗る初荷船       東京   武田 禪次
日記果つ予後三年の生きごたへ     愛知   萩原 空木
初暦叶はぬ夢も吊しけり        東京   久重 凜子
この海の先はアメリカ初日の出     東京   松川 洋酔
派出所は御門の名前石蕗の花      東京   三代川次郎
ひんがしは虚子の遠山初茜       埼玉   屋内 松山









     
   
   





綺羅星集作品抄

伊藤伊那男選 

初湯殿富士の絵に日の廻り来る     東京  飯田 子貢
十字切る身にも沁み入る除夜の鐘    埼玉  伊藤 庄平
雪折れも空爆も知る耳であり      東京  影山 風子
駄菓子にも名前のありて年明くる    愛媛  片山 一行
氷柱折り入れば仏壇だけの家      長野  北澤 一伯
日本の衆生にもまれ初大師       東京  柊原 洋征
新暦画鋲のあとに画鋲さす       長崎  坂口 晴子
富士見坂登りきつたる初御空      東京  島  織布
吾の咳に明かりのつきぬ母の部屋    大阪  末永理恵子
島の湯に常連として御慶述ぶ      愛媛  高橋アケミ
縁側に並ぶお茶請鷦鷯         東京  塚本 一夫
年の湯の石鹸箱を洗ひけり       東京  坪井 研治
御利益を擦り込むやうに初湯かな    埼玉  夲庄 康代
対岸の村のどんどに負けるなよ     長野  松崎  正
故郷の旅人となる松の内        埼玉  森濱 直之

子をあやす手で水あやす紙漉女     東京   相田 惠子
介護てふ記録を残す日記買ふ      東京   有澤 志峯
炉話のつづき待ちをり薪をつぐ     静岡   五十嵐京子
岩肌に仏を抱き山眠る         東京   伊藤 政三
宝舟ふねの折りかた忘れけり      埼玉   梅沢 フミ
読みかへす成人の日の名コラム     東京   大西 酔馬
オカリナは縄文の音冬の山       神奈川  大野 里詩
雪折の音としりたる宿りかな      東京   大溝 妙子
息白く阿修羅の登坂走者かな      東京   大山かげもと
初仕事磨きあげたる靴を履き      東京   小川 夏葉
去年今年境にあるや米寿へと      鹿児島  尾崎 尚子
ねんねこの手が天井の龍鳴らす     埼玉   小野寺清人
ぬばたまの闇を抜け行く除夜詣     神奈川  鏡山千恵子
煤逃げに慈眼あまねく九体仏      和歌山  笠原 祐子
肩上げや加賀には加賀の手毬唄     東京   桂  信子
控へ目に鐘撞く午後の初詣       長野   加藤 恵介
凍走る一刀石の切り口に        東京   我部 敬子
書初やちびたる筆をなほつかひ     高知   神村むつ代
福を呼ぶ風を起こせる独楽廻し     東京   川島秋葉男
書初の太筆竜を呼ぶごとく       東京   朽木  直
的中の音の洩れ来る弓始        東京   畔柳 海村
初雪の空に篩のあるごとく       神奈川  こしだまほ
雪折れの甦へらんとする息吹      東京   小林 雅子
初日さす一直線の海の道        神奈川  權守 勝一
冴ゆる夜の柱のひびの泣くごとく    千葉   佐々木節子
蠟梅や薄紙ほどの朝の月        山口   笹園 春雀
マフラーを鏡の中に巻き直す      長野   三溝 恵子
三代の手擦れの跡や糸手毬       静岡   澤入 夏帆
春の鴨世間話のさまに寄る       東京   島谷 高水
食べながら唱へながらの大根焚     兵庫   清水佳壽美
厚着してペリー来し海見てをりぬ    東京   白濱 武子
年用意すませ王子の狐見に       東京   新谷 房子
冬の鳶空青すぎる広すぎる       静岡   杉本アツ子
開け閉てにコツある板戸枇杷の花    東京   鈴木てる緒
衝立をわが城として冬籠        東京   瀬戸 紀恵
日の欠片啄ばむやうに春の鴨      東京   曽谷 晴子
初空へ踏み出しさうな大師像      東京   高橋 透水
年逝くや丈六仏のしづけさに      東京   武井まゆみ
聖菓切る天使の翼折らぬやう      東京   多田 悦子
初神籤松のみどりの下に解く      埼玉   多田 美記
行く鴨に知らぬふりして春の鴨     東京   田中 敬子
襤褸市のぼろ輝かす灯の入りぬ     東京   谷岡 健彦
仕舞湯が初湯となれる鐘の音      東京   谷川佐和子
身の丈の夢たまはりぬ宝船       神奈川  谷口いづみ
華のごとあたりに賀状ちらし書く    神奈川  中川冬紫子
書初のその一点の定まらず       大阪   中島 凌雲
省略を尽しきりたる枯木かな      東京   中野 智子
初護摩や高野六木寂として       東京   中村 孝哲
数へ日の待つことよりも惜しむこと   茨城   中村 湖童
賀状来るその真ん中の吾が名好き    東京   中村 貞代
大空を引つ搔くごとく冬木の芽     愛知   中村 紘子
万巻の蔵書眠れる冬館         東京   沼田 有希
老の身に年玉として湯の旅路      福岡   藤井 綋一
お隣りの又お隣りの落葉掃く      東京   保谷 政孝
駅伝の白息を継ぎ襷継ぎ        東京   堀内 清瀬
隅といふ隅を余さず煤払        岐阜   堀江 美州
燐寸(マッチ)の火ほどの冬芽が二つ三つ     パリ   堀切 克洋
白椿錆びゆく雨となりにけり      東京   松浦 宗克
嬰児の万歳したる初湯かな       東京   松代 展枝
乾坤の闇袈裟懸けに鰤起し       石川   松原八重子
父祖眠る北の空より風花す       東京   宮内 孝子
蒼穹や凩が身を切り刻む        千葉   無聞  齋
椿咲く日うらの花もそれなりに     東京   村上 文惠
年賀状故郷山河を目のあたり      東京   村田 郁子
初富士やこの四辻のこの角度      東京   村田 重子
着ぶくれの群れ奪衣婆に睨まるる    東京   森 羽久衣
短命の託宣流す初湯殿         愛知   山口 輝久
マフラーを編む赤き糸手繰るかに    東京   山下 美佐
風花や木曾御嶽山の苦悶相       群馬   山田  礁
少しだけ幸せ太り老の春        群馬   山田 鯉公
数へ日の今年も遠き家郷かな      東京   山元 正規
香具山に夕日のかかり松納       千葉   吉沢美佐枝
母のゐてはらから集ふ年初かな     愛媛   脇  行雲
ふるさとの風解きほぐし冬田打つ    東京   渡辺 花穂



      



 










銀河集・綺羅星今月の秀句

伊藤伊那男
    

日記果つ予後三年の生きごたへ     萩原 空木
「予後」とは本来は①「罹患した場合、その病気のたどる経過についての医学上の見通し」という医学用語だが、俗に②「病後の経過」にも転用され「予後良好・不良」などとも使われるようになった。俳句ではほとんど②で一般化してきた。さてこの句は作者の名前が前書きの句である。何度も死線をさまよい、三年前には声帯を失い、しかも食べるということができない生活に入っている作者だけに一日一日の重さが常人とは違うはずである。「日記果つ」の季語に配した「生きごたへ」の措辞には何万字かに匹敵する万感の思いが籠められている筈である。 


年の湯の石鹼箱を洗ひけり       坪井 研治
日常生活の中の何気無い仕種なのだが、年の湯ともなると違うのである。新年に向けて風呂場も綺麗にしなくてはいけない。でも自分にできることは石鹼箱を洗う位がせいぜいの仕事------。そんな年末の男の感慨が滲む。今の若い人の世代はこれでは家庭が保てないだろうが------。 


故郷の旅人となる松の内        森濱 直之
故郷を離れた者には身に沁む句である。ふるさとだけれどどこかが違う。生活の地としては戻って来ない故郷であればなおさらであろう。訛も少し忘れ、実家にもちょっと気を使い、山河の見方も変ってくる------それが「旅人」。 


氷柱折り入れば仏壇だけの家      北澤 一伯
作者は私の高校時代の友人。近時母上を亡くされた。仕事場は松本市で、郷里は伊那谷なので、今は実家は空家である。長男の使命で時々実家の様子を見に帰るのであろうが、入口には氷柱の列。折って入っても母はいない。「仏壇だけの家」は幼少期からつい直前までのこの家の思い出の全てを象徴する言葉である。十七音の無限をお思う。


十字切る身にも沁み入る除夜の鐘    伊藤 庄平
この句は〈十字切る身にも沁み入る /除夜の鐘〉と切る。というのは作者はキリスト教であり「十字を切るキリスト教徒の身である自分にも寺に響く除夜の鐘の音は身に沁みてくるものだ」という句意だからである。その人でなくては詠めない句、というものがあるが、まさにこの句などはそうしたタイプである。日本の風土との融合。  


 

駄菓子にも名前のありて年明くる    片山 一行
駄菓子というと加藤楸邨の〈鳥雲に隠岐の駄菓子のなつかしき〉を思い出す。あの名句〈隠岐やいま木の芽をかこむ怒濤かな〉の連作の一つである。掲出句は駄菓子を詠んで、それ以来の私の知る秀逸。駄菓子とは安価な材料で作った大衆的な菓子。名前など知らぬまま口にしているのだが、そんな菓子にもちゃんと名前があるのだぞ、という。それは、食べている名もなき庶民というものとも重なってくるのである。その二重性がミソ。 


  

吾の咳に明かりのつきぬ母の部屋    末永理恵子
いくつになっても親は子供の事を思う。違う部屋で寝ている母が、作者の咳を聞きつけて、心配になり、部屋の灯を点して起き上る。そうした細やかな描写である。作者は作者で自分の咳で母を起こしたことを悔やむ。母子の愛情のやりとりが鮮やかに、細やかに詠まれている 


  

島の湯に常連として御慶述ぶ      高橋アケミ
瀬戸内の島に住んでおられる作者である。いつも通う銭湯か日帰り温泉で、これもまた常連と新年の挨拶を交す。「常連として」の措辞に親近感があり、近隣の人々との交流がしのばれるのである。また裸同士であるところにえも言われぬユーモアが漂うのである。 


  

新暦画鋲のあとに画鋲さす       坂口 晴子
画鋲のリフレインが面白く、それも去年と全く同じ穴にさすことで更に面白さが倍増するのである。読んだ誰もがそうそう、これを詠みたかったんだ!と実感するのである。 


対岸の村のどんどに負けるなよ     松崎 正
 喋り言葉がそのまま句になって成功している。私も覚えがあるが、各地区毎に飾りを集めてどんど焼きをする。隣の地区に負けてはならじ、と積み上げる。そんな様子が如実であり、川を挟んだ「対岸」の景にしたのが手柄だ。

その他印象深かった句を次に
  

縁側に並ぶお茶請鷦鷯         塚本 一夫
御利益を擦り込むやうに初湯かな    本庄 康代
初湯殿富士の絵に日の廻り来る     飯田 子貢
雪折れも空爆も知る耳であり      影山 風子
日本の衆生にもまれ初大師       柊原 洋征
富士見坂登りきつたる初御空      島 織布





         

      
      


 
 



 



星雲集作品抄

伊藤伊那男・選

香煙が子を追ひかくる初大師     東京    西原  舞
冬日はやひといろとなり諏訪盆地   東京    結城  爽
抱き上げし子の眼に二つ冬の海    埼玉    中村 宗男
三代の遺影鴨居に年守る       埼玉    戸矢 一斗
まだ重きまぶた開きて初鏡      神奈川   宮本起代子
箒目の深き境内みそさざい      千葉    森崎 森平
剣玉や上下に動く冬帽子       東京    萩野 清司
寒夕焼寄生木の毬高く透け      神奈川   原田さがみ
浄土への平橋反り橋春の鴨      神奈川   久坂衣里子
寝正月枕のくぼみそのままに     埼玉    大野田好記
初日さす路地はいつもの影おきて   宮城    有賀 稲香
母を恋ふ手編みマフラー巻く度に   埼玉    渡辺 志水
山眠る獣の声を閉ぢ込めて      千葉    土井 弘道
熱燗にふるさと訛飛び交へり     愛知    津田  卓
鉄瓶の低く唸りて寒に入る      長野    守屋  明
糾へる藁に節あり注連飾り      神奈川   有賀  理
日記買ふ何を食すか書くだけの    神奈川   伊東  岬
山の気を総身に寒の水を汲む     群馬    鈴木踏青子
ぼろ市やかの人形に見つめられ    東京    田岡美也子
散弾を舌で選り分け薬喰       埼玉    萩原 陽里
訛ごと袋に入れて海鼠買ふ      神奈川   水木 浩生

卒寿の手床の間飾る鏡餅       東京    秋田 正美
初日射す半島に波体当り       神奈川   秋元 孝之
児の影を長く引きたる冬夕焼     東京    浅見 雅江
島じまの稜線丸き春隣        愛知    穴田ひろし
産声を聞きて笑み入る四温かな    神奈川   荒木 万寿
ひと目みて声の聞きたき賀状かな   愛媛    安藤 政隆
冬晴れの大きな空を背負ひたる    東京    飯田 康酔
春隣鉢植ゑ返す庭の妻        東京    井川 敏夫
妻に付く夫に混みあふ歳の市     埼玉    池田 桐人
裏山の影を盛り上ぐ霜柱       東京    市毛 唯朗
赤城嶺に雲深くして颪吹く      群馬    伊藤 菅乃
七彩の糸花として手毬かな      東京    今井  麦
この年を確と生きたし雪を踏む    愛媛    岩本 昭三
ひとすぢに昇る香煙初不動      千葉    植竹 節子
風速計廻る暗きを年過ぎぬ      東京    上田  裕
アルプスの座の深々と山眠る     神奈川   上村健太郎
犇めきを解きたき日ざし枇杷の花   埼玉    大木 邦絵
寒鰤に出刃刺す母の力かな      東京    大住 光汪
初茜この美しさ夫と見る       群馬    岡村妃呂子
浦賀水道吃水深き冬の海       神奈川   小坂 誠子
駅伝や都大路に息白く        京都    小沢 銈三
かんざしとまごふ小鈴や花馬酔木   静岡    小野 無道
ビル街の門松守衛めきて立つ     東京    梶山かおり
初夢へ丁寧に閨整ふる        東京    桂  説子
田遊びや鼓に合はせ籾を播く     静岡    金井 硯児
初買は巣鴨に赤い肌着など      神奈川   上條 雅代
年始より課する一日八千歩      東京    亀田 正則
餅花や来し方絵巻となりて揺る    長野    唐沢 冬朱
春の風真鶸の群を送り出し      愛知    北浦 正弘
どの顔も穏やかなりき初詣      東京    絹田 辰雄
読初の新幹線の時刻表        和歌山   熊取美智子
年重ね重ね布団で初夢を       埼玉    黒岩  章
去年今年変らぬ空に銀河濃し     愛知    黒岩 宏行
通るたび煽られてゐる古暦      東京    小泉 良子
除夜の鐘重ね年月七十路へと     群馬    小林 尊子
鷹飛びて真つすぐもどる匠の手    東京    斉藤 君子
待春の心に旅の予定あり       神奈川   阪井 忠太
善光寺読経の空の淑気かな      東京    佐々木終吉
何と無く時だけ刻み去年今年     東京    佐藤 栄子
小気味良き音の響きや初箒      群馬    佐藤かずえ
初詣鐘の響きの余韻あり       群馬    佐藤さゆり
落し蓋小さき音たつ外は雪      東京    島谷  操
熊本がどこか知らずに手毬唄     埼玉    志村 昌也
鄙川の何事もなく去年今年      東京    須﨑 武雄
七様の笑顔乗りたる宝船       東京    鈴木 淳子
初雀来て庭の閑われの閑       東京    角 佐穂子
伯母逝くやあふみは雪の粧ひに    愛知    住山 春人
七七忌遺影は笑みて冬座敷      東京    髙橋 華子
あの日より書き込みのなき古暦    福島    髙橋 双葉
鞠始古の夢続きをり         埼玉    武井 康弘
子の帰宅待つ束の間の日向ぼこ    ニューヨーク 武田真理子
佳きことでうめつくしたき日記買ふ  広島    竹本 治美
足跡に幅を合はせて雪の道      三重    竹本 吉弘
小春日の諸々の声やはらかく     東京    田中 寿徳
短日を言ひわけにして一日過ぐ    神奈川   多丸 朝子
雲の嶺をふちどる茜初御空      東京    手嶋 惠子
初富士のなほありがたく据ゑてをり  東京    豊田 知子
蠟梅や覗いてみたき垣の中      東京    中西 恒雄
砂風呂に枕並べて大晦日       神奈川   長濱 泰子
初旅の車窓に我をみつめをり     長崎    永山 憂仔
漬物をあれこれ並べ里の冬      群馬    鳴釜 和子
片減りの奈良の古墨や筆始め     東京    長谷川千何子
来るも良し帰りても良し年賀客    神奈川   花上 佐都
八瀬へ下る分岐に熟るる冬苺     兵庫    播广 義春
終り頃響き澄みゆく除夜の鐘     東京    福永 新祇
うたた寝の脚ままならぬ掘炬燵    東京    福原 紀子
授乳して遠く聞こゆる除夜の鐘    大阪    星野かづよ
山茶花に昨夜の雨溜むお鷹みち    東京    牧野 睦子
若き日の夢のつづきの冬銀河     愛知    松下美代子
柏手に豊作祈り種おろし       東京    松田 茂
暁の孤独に凍ててしまひけり     神奈川   松村 郁子
外套の肩越しにある煤け空      東京    宮﨑 晋之介
高低の差はあれど皆花菖蒲      東京    家治 祥夫
茶柱が立ちてにこやか冬うらら    群馬    山崎ちづ子
初富士や鬼遊びしてつかまらず    静岡    山室 樹一
母偲ぶよすがとなりし切山椒     神奈川   和歌山要子
大鍋の活躍する日大晦日       東京    渡辺 誠子
初夢や蓮のうてなに寄り添ひて    東京    渡辺 文子




















     





星雲集 今月の秀句

伊藤伊那男

香煙が子を追ひかくる初大師      西原 舞
「寺」と「香煙」を組み合わせた句は多数ある。が「子を追ひかくる」の措辞は新鮮である。走り回る子が風を起こしたのであろうか、大香炉の煙が子供を追う。何ともいい光景を切り取ったものである。〈クレヨンがはみ出してゐる年賀状〉は若干の類型感があるが、それはそれでいい。子供の成長は早い。今のうちに沢山詠んでおいてほしい。同時出句の〈ふるさとの大きくからむごまめかな〉〈獅子舞の終まで軽き歯音かな〉も佳品であった。 

冬日はやひといろとなり諏訪盆地    結城 爽
同時出句に〈大注連の諏訪の社や初時雨〉〈寒林に三之柱の鎮みをり〉〈ふるさとや水の動かぬ冬はじめ〉があり、併せて読むと一層味わいが深まるようである。諏訪湖が結氷すると盆地全部が冷凍庫の中のような寒さに包まれ、あたりは蕭条たる枯一色の風景である。「冬日はや」には日照の短かさがあり、「ひといろとなり」には一面の枯れ色が捉えられている。 


抱き上げし子の眼に二つ冬の海     中村 宗男
俳句というよりも西洋詩のような感覚の句である。海を背に子供を抱き上げると、双眸に冬の海が映っていた、というのである。では春の海、夏の海、秋の海ではいけないのかというと、どれであっても生きる。ただし冬の海が一番強烈な印象を残すのではないか。風土性、土着性を感じさせる凄味があるようだ。同時出句の〈燗酒やうろ覚えなる李白の詩〉も古典に材を得て堂々たる作風。


 
寝正月枕のくぼみそのままに      大野田好記
そうそう、こんな風だなと思う。昨日のくぼみの上にまた寝転ぶ。幸せだけれど幸先は良くないような‥‥そんな正月の模様が「枕」という「物」を詠んで具体的である。同時出句の〈俎に故郷を映し薺打つ〉は、都会生活の俎の上に故郷の山河や、雪間から七種を摘んだ日のことなどを思い浮かべる心地よい望郷の抒情句である。 


母を恋ふ手編みマフラー巻く度に    渡辺 志水
母を恋う心は幾つになっても変らないようだ。私の育った昭和三十年代の前半までは、まだまだ戦後の貧しさを引きずった時代で、セーターや手袋、襟巻などは母や姉の手編みが普通であった。身に着けるたびに母を思い、母から力を貰うのであろう。


糾へる藁に節あり注連飾り       有賀 理
あれ、藁には節があったか、と一瞬迷った。目立たないけれどあった筈だ。思えば藁仕事はしたことがなかったが、一昔前は農家の方は自分で注連などを綯っていたようだ。「吉凶は糾(あざな)へる縄の如し」という、人生は吉ばかりではなく、また凶ばかりではない、という諺を注連作りに持ち込み、吉凶でなく「節」の存在に着眼点を逸らせたところが俳味である。


日記買ふ何を食すか書くだけの     伊東 岬
一読、楽しい。正直な句である。日記を買って、さて何を書くのか、仕事を退いたあとの方であれば家にいることが多く、とり立てて書き残す材料は少ない。ともかく朝昼晩何を食べたかの記録簿の役割だ。それでもあとから思い出のきっかけになるかもしれない。そうした力の入っていない日記もいい。「日記買ふ」の類例のない句となった。 


散弾を舌で選り分け薬喰        萩原 陽里
この句を見て思い出すことがある。冬の初めに近江の鴨鍋を食べに行った時、一つの鍋からざっと二十粒位の散弾が出た。その季節はまだ内地の狩猟は解禁されておらず、北海道から来るという。あちらは豪快に撃つんですよ、と主が困惑しながら笑った。そうした様子をうまく詠み取っている。「舌で選り分け」が実感で、感情の投入も、無駄な措辞も一切ない、写生句の強さである。 

ぼろ市やかの人形に見つめられ     田岡美也子
ぼろ市は世田谷の旧代官屋敷前に立つ市で、ありとあらゆるものが並ぶ。その中で気になる人形があったのであろう。一旦通り過ぎてまた戻ると、やはりその視線が気になる。人形にも魂があるかもしれないと思うときがあるが、ぼろ市のすべての売物が消えて、その人形の目だけが浮き上がってくる映像的効果を持った句である。  

              その他印象深かった句を次に
三代の遺影鴨居に年守る        戸矢 一斗
剣玉や上下に動く冬帽子        萩野 清司
山眠る獣の声を閉ぢ込めて       土井 弘道
初日さす路地はいつもの影おきて    有賀 稲香
熱燗にふるさと訛飛び交へり      津田 卓
山の気を総身に寒の水を汲む      鈴木踏青子
訛ごと袋に入れて海鼠買ふ       水木 浩生





   







 











新連載 【伊那男俳句を読む】

 伊那男俳句を読む       伊藤伊那男
  
  

回想―句集『知命なほ』の時代(11)    伊藤伊那男

銀漢亭を開店して間もない頃、「銀化」主宰中原道夫さんが花束を抱えてお祝いに駆けつけてくれた。また近隣の「天為」(有馬朗人主宰)発行所の編集部員と思われる女性4、5人が寄ってくれた。俳句の話をしている様子からそれと気付いたのである。中心にいるのは編集長の対馬康子さんのようである。俳句総合誌の写真などで見覚えのある顔であった。ただしあくまでも町の普通の居酒屋で通すつもりだったので、私が俳人であることは自分からは言わないことにしていた。
6月の終りであったか、七夕竹を外に立てて、仲間に書いてもらった俳句の短冊を飾った。それを見た「天為」の編集部員の一人が「ご主人は俳句をやるんですか?一緒にやりましょうよ、教えてあげるから」と声を掛けてくれた。たまたま来店した中原道夫さんが「おいおい、この人は伊藤伊那男さんだよ」と言い、一気に打ち解けたのであった。近くの大手出版社に勤めていた菊田一平さんも私のことを聞きつけて常連になってくれた。開店2年位の頃であったか、もともと親しかった山田真砂年さんとも語らって、店の奥で超結社句会を開くようになった。第2火曜日に開くので「火の会」と称し、メンバーの入れ替えはあったものの今も続いている。
先月には「俳句」誌連載中の「俳句で夜遊び、はじめました」の取材の申し入れがあり、筆者のエッセイスト岸本葉子さんが参加された。その様子は「俳句」4月号に掲載される予定である。この句会は店の営業中に行われるので、私は料理を作ったり、お客と挨拶を交わしたりしながら参加する勝手を許してもらっている。開店して数年した頃であろうか、神田の老舗の居酒屋から流れてきた黒ずくめの男性がいて、誰かが「酒場放浪記」というBSテレビ番組の吉田類さんだという。迂闊にも全く知らず曖昧に挨拶を交わして終わった。その後も度々寄ってくれて、都内の立飲酒場72軒を取り上げた『東京立ち飲み案内』(メディア総合研究所)の1店として掲載された。その出版記念会は銀漢亭で開いてくれた。
同じ頃、毎日新聞夕刊の人気コラム「今夜も赤ちょうちん」の鈴木琢磨記者も名前を名告らずに来店していた。何回目かに名刺を出して「書きたいが、話を聞かせてくれ」との打診を受けた。このコラムは連載終了後『今夜も赤ちょうちん』(青灯社)として発売され、その後、ちくま文庫にもなった。東京新聞は中高年の趣味のシリーズで取材に来た。その担当記者はシリーズが終わったあと、取材した色々な趣味の中から自分の趣味に俳句を選び、銀漢の仲間に加わった。朽木直同人である。

  平成十五年
東山闇濃くあれば火縄振る
白朮縄まはしてつひに持て余す


  平成十六年
初電話母のうしろに父のこゑ
花の種風にさらはれつつ蒔けり
鶯餅鳴くとき黄粉こぼすらむ
鎌倉や春を寒しと虚子のこゑ
薬売り末黒の匂ひまとひ来る
涅槃図に入りきれざる鳥のこゑ
一喝の喝のやさしき春の雷
ふきのたう喰うて身ぬちの軽くなる


  平成十六年
良寛の村こんなにも雀の子
熱すこし出でしか花のことばかり
初燕たそがれどきのこゑ密に
母の手のあたたかかりし夜店の灯
嘶きて道草癖の祭馬
鳴く前の喉ふるはせて雨蛙
風鈴売音置き去りに路地曲る
うたかたの世の片隅の缶ビール
そのかみの浮名いくつか竹夫人
蝉の穴覗く奈落を見るごとく

  

          




  
   


 


銀漢の絵はがき


挿絵が絵葉書になりました。
Aシリーズ 8枚組・Bシリーズ8枚組
8枚一組 1,000円

ごあいさつにご利用下さい。



    
花の吟行へ出かけませんか・・!











掲示板


















 




鳥の歳時記


    



雀の子


















               



  
             
 
  





銀漢亭日録

伊藤伊那男

12月

 12月31日(水)
10時まで寝る。持参した緑茶。晴。外は椰子の風景。家族の部屋で朝食。読書、うとうとして、午後プールサイド。19時、家族の部屋に小川・清水一家集まり忘年会。ステーキ焼く。持ち寄りの料理あり。紅白歌合戦見る。日本より1時間早く年明け。ホテルの広場に花火が揚がる。京都から持参の年越し蕎麦。

1月

1月1日(木)
10時、ホールにて餅つき大会。振舞い酒の菰樽割り。戻って雑煮で新年会。


1月2日(金)
午後、プールサイドで読書。新年俳句大会選句など。ニュースで日本大雪と。


1月3日(土)
今日も選句、テレビ、酒、プールサイド。夕食、小川・清水一家とホテルのレストラン。終日曇天。時々、シュノーケル。ここに来ないとグアム島に来た気がしない。帰路、韓国料理「世宗」にて夕食。

1月4日(日)
ココパームビーチで1日。潮風に当たり、時々シュノーケル。帰路韓国料理店「世宗」にて夕食。

 1月5日(月)
ホテルのグラウンドに三浦カズ、北沢豪が自主トレに来ているのを見学。午後ウェスティンホテルのプール。イラストレーターの長友啓典さん来て一緒に夕食。

1月6日(火)
夕方の便で成田へ。家族はあと2日間滞在。帰宅すると郵便の山、FAXも沢山。

1月7日(水)
洗濯、宅急便受け取り手配、FAXやりとりなど。仕込みあり。12時、家を出る。「きさらぎ句会」「宙句会」本年初営業にて客多し。有難いこと。

1月8日(木)
年賀状の宛名書きなど。遅れている。発行所「十六夜句会 」、店、堀切克洋君、明日フランスへ帰るとて10人ほど集まって句会。賑やか。家族帰国。

1月9日(金)
家族、午後から甲府の両親に年賀へ。1泊と。慌ただしい人達!店、毎日新聞の鈴木啄磨氏久々。井月本の刊行を喜んでくれる。「大倉句会」12人。

 1月10日(土)
井上井月顕彰会・堀内会長逝去の報、94歳。昨秋、伊那のお屋敷に皆でお訪ねしたのが最後。誠に残念。店のトイレのタンク不調にて入れ替え。クーラーも今月入れ替えと。ああ、金のかかること。運営委員会、昼、「いもや」の海老天、ああ、また胸焼け。「銀漢本部句会」56人と盛況。あと「庄屋」にて親睦会20人ほど。

1月11、12日
年賀状の宛名書き、その他、2月号校正、雑用の2日間。

1月13日(火)
ようやく年賀状投函。新宿駅にて武田編集長に2月号の校正稿渡す。店、礼奈さんが琉球大学生で「銀化」同人の安里琉太君連れてくる。「火の会」10人。「門」主宰の鈴木節子さん飛び入り参加。「春耕」池内けい吾、柚口満さん、俳人協会「新年賀詞交換会」のあと。その他、対馬康子、鳥居真里子さんなど。皆川文弘さん酒持って新年の挨拶に来てくれる。「雲の峰」酒井多加子さんから手製の吊るし柿沢山届く。
 1月15日(木)
冷たい雨の1日。「銀漢句会」、会場が飯田橋だったので打ち上げはその近くとのことで、いつもり少ない数名が来店。全体閑散。「爽樹」環さん井月本出版祝いに花持参してくださり、10冊注文あり。

1月16日(金)
「蔦句会」あと四人。角川新年会あとの本井英、武藤紀子、麻里伊、今井肖子、浅井民子、小島健、山田真砂年 、阪西敦子、新海あぐり、菊田一平、天野小石さんなど。

1月17日(土)、18日(日)
家族、早朝から苗場へスキーに。「春耕新年俳句大会」の選句、選評。全国俳誌協会誌へエッセイ。銀漢新年会用の色紙、短冊。折角墨をすったので20枚ほど書く。

 1月19日(月)
伊那北高校同期「三水会」より、出版祝いに胡蝶蘭到来。「演劇人句会」8人。谷岡さん父上急逝と。

1月20日(火)
午前中、寛永寺輪王殿にて井月顕彰会堀内功会長の告別式。あと大野田好記君と「伊豆栄」の鰻で献杯。「吉池」にて店用の乾物など購入。店、告別式帰路の矢島太郎先生が御長女と寄ってくださる。 井月の話、堀内会長の話など。西村和子さんお弟子さん他と4人。対馬康子さんみえて合流。山崎祐子さん。

1月21日(水)
妻の命日。朝、雪がちらつく。〈久女忌は妻の忌やはり雪催〉店、金融会社時代の同僚5人集まる。「三水会」4人。そこへ伊那の小池百人、お嬢さんと寄ってくれるて皆さんに。加藤恵介君、と自家で漬けた野沢菜を届けてくれる。うまい!

1月22 日(木)
旭硝子の古川さん、中国勤務から戻ったと久々。「天為俳句会」あと……など。皆川丈人さん盤水先生の本多数と新年会への祝い金届けてくださる。


1月23 日(金)
発行所2月号発送。あと「門」同人句会に貸し出し。13時半「俳句」3月号の巻頭グアビア「俳人の時間」の撮影。鈴木忍編集長とカメラマン助手。三カットが載ることになる。「門」句会あと「金星句会」。店は「雛句会」13人程。坂口晴子さんの友人、福岡の長淵惠子さん来店。対馬康子さん。沢田和也、黒岩徳正さんなど。水内慶太、新海あぐりさん……など、久々盛況。



1月24日(土)
「銀漢俳句会年次総会新年会」。全国家電会館の年次総会あと湯島天満宮にて祝宴。馬鹿殿スタイルで通す。100人を越える皆さんが集まり盛況。あと銀漢亭に36人来て二次会。あと八人ほどで近くの店……。村田郁子様より新年会の祝い金戴く。

1月25日(日)
昼から妻光代を偲ぶ会。兄夫婦、妻の妹一家。京都から和田ちゃんも。愛媛から取り寄せの河豚など。丸九年となる。

 1月26日(月)
予約も何も無い日。長淵惠子さん来てくださる。三省堂の飛鳥さん久々、5人。清人さん漫画「まるでだめお」の作者・森田拳次さんと。名刺の裏に絵とサインをいただく。店に巾着茄子を届けていただいている新潟の若井新一さん、俳人協会賞受賞を知り祝いの電話。

 1月28日(水)
駅頭にて山田洋次監督とすれ違う。店、井ノ口さん、伊那市長白鳥氏と。市長、高遠の桜の案内のポスター。お多福豆セットの土産いただく。丁度、大野田さんも来ていて皆で高校時代の思い出話など。宮澤、伊勢神宮の河合宮司他と。河合さん井月本の出版祝いとてミキモト製のボールペン(真珠が飾られていて何ともお洒落!)。「銀漢」への基金も。

1月29日(木)
「俳句」編集長の鈴木忍さん「銀漢亭」の一日ママ。第5木曜日が空いているとのことで本日第1回。聞き付けた俳句関係者多数集まる。最後、郡司社長も。次回の忍ママ4月30日。

1月31日(土)
「纏句会」。あと若筍山椒味噌焼、河豚の唐揚げ、河豚と野菜の炊き合わせ。握り。酒は「三千盛」。過労と寒風でヘトヘト。


2月

2月1日(日)
10時間以上寝る。動作緩慢。「春耕同人句会」は休むことに。ただし、3月号の原稿は何としても書かねばならぬ。寝たり、書いたり、何とか仕上げる。家族は新横浜の日帰り温泉へ。久々、酒抜く。というか、飲めず。

 2月2日(月
体調戻る。孫のうち3人、各々スキーツアーへ(乗鞍、木島平、志賀)。店、「かさゝぎ俳句勉強会」あと12人。臼田亜浪と。政三さんが長岡の酒「柏露」を入手。長岡藩最後の奥方の興した酒。大阪の凌雲も参加。あと凌雲、敦子、文子と一杯。

2月7日(土)
三笠書房の押鐘会長より、かねてより一献とのお誘い戴いており、私の都合に合わせてくださり、小野寺清人さんの設営で、16時半、荒木町「しほ瀬」。河豚料理。森崎森平さんも。鰭酒、見事。4回のつぎ酒に耐える!帰路、ついつい新宿で蕎麦屋に寄ってしまう。ああ、また食欲中枢神経が……。会長『漂泊の俳人井上井月』執筆はこの方から話が来たのである。川澄大僧正、井月本読んで下さったと、帰路、声をかけて下さる。あと、いつもの蕎麦店で二次会。

2月8日(日)
春耕新年俳句大会に高幡不動へ。盤水先生の墓前に御慶。石井隆司氏と久々。氏が井上本執筆を勧めてくれたのである。川澄大僧正井月本読んだと声を掛けて下さる。二次会は駅前のいつもの蕎麦屋。朝妻力さん他。

2月10日(火)
權守勝一さん逝去の報。享年85歳。「俳壇」パーティーあと、慶太、真砂年、新海あぐり、一平、佐怒賀直美さんなど寄ってくれる。国会議員のТ先生、久々。苦しい選挙だった!野党ながら勝ったと。井月本の出版喜んでくれる。









           

          
  
    






今月の季節の写真



2015年4月17日撮影   血汐紅葉     TOKYO/HATIOJI


2015年4月20日撮影   血汐紅葉    TOKYO/HATIOJI


 2013年4月23日撮影    血汐紅葉   TOKYO/HATIOJI
上から徐々に新緑へ・・・・・

 『血汐紅葉』とは・・
血汐紅葉は春の新芽時期と秋の紅葉時期は鮮紅色。
夏のシーズンは青葉に変わります。
色は上から下へと移り変わります。



 
去年の2014/6/1撮影。緑色へ・・。  



写真は4~5日間隔で掲載しています。 
2015/4/22更新


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