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9月号 2024年
伊藤伊那男作品 銀漢今月の目次 銀漢の俳句 盤水俳句・今月の一句 彗星集作品抄 彗星集選評 銀河集・作品抄 綺羅星集・作品抄 銀河集・綺羅星今月の秀句 星雲集・作品抄 星雲集・今月の秀句 伊那男俳句 銀漢の絵はがき 掲示板 主宰日録 今月の写真 俳人協会四賞受賞式 銀漢季語別俳句集 |
伊藤伊那男作品主宰の8句 今月の目次銀漢俳句会/2024/9月号
盤水俳句・今月の一句伊藤伊那男 秋刀魚豊漁盲揚げする上を鳶 皆川 盤水
彗星集作品抄伊藤伊那男・選 形代や穢の嵩に浮き沈み 山田 茜
苔の花ルーペの中の森に咲く 西田 鏡子 故郷の鮎の苦味の濁らざる 有賀 理 木曾谷の身を寄せ合うて梅雨茸 飛鳥 蘭 夕凪や船板塀の続く路地 清水佳壽美 夏燕洗ひ張りする母の上 島谷 高水 捨てかねし父の残せし蝮酒 佐藤 栄子 食卓は笑ひ合ふ場所古茶新茶 本庄 康代 ひとひらの錐揉みしたる竹落葉 岡城ひとみ 琉球の風鈴零す波の音 西本 萌 早苗田の鏡の中の安曇郡 上野 三歩 夏に籠り瀬音離れぬ雲巌寺 大溝 妙子 父の日や健康器具のまた増えて 長井 哲 天使魚鏡に映る理髪店 播广 義春
銀河集作品抄伊藤伊那男・選青鷺は雨雲の色身に宿す 東京 飯田眞理子
みづからの絡みより抜け鉄線花 静岡 唐沢 静男 ひねもすを夏の海見て過ごしけり 群馬 柴山つぐ子 感嘆の声がきつかけ牡丹散る 東京 杉阪 大和 歳時記の真中を割りて梅雨に入る 東京 武田 花果 四方の山滴る中の雲巌寺 東京 武田 禪次 雷門出てもぐり込むビヤホール 埼玉 多田 美記 家中に告げてから切る新茶の封 東京 谷岡 健彦 彩雲となり天穹の桐の花 神奈川 谷口いづみ 出荷箱踏みつずらしつ袋掛 長野 萩原 空木 さざなみの鱗めきたる薄暑かな 東京 堀切 克洋 母の日の母の遺影が美しい 東京 松川 洋酔 昭和の日レースのかかる黒電話 東京 三代川次郎 綺羅星集作品抄 伊藤伊那男・選
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読後におかしさが込み上げてくる句である。梅雨入りは六月半ばであるから一年の折返し点の辺り。つまり歳時記でいえば真中の頁前後に入梅の項があることになる。手許の歳時記を開くとまさにそうであった。こんな観点から梅雨入を詠んだ句は初見である。 |
びっくるするより他はない比較である。水の都ヴェネツィアと鳰の浮巣と似ている、と言われれば確かに……。近年の気象変化によりヴェネツィアも水没の危機を迎えているというが、そんな不安も詠み込まれているようだ。 |
年を取ると故郷が懐かしく思い出されるものだ。それも現実 の故郷ではなく、昔の思い出の中の故郷である。その草の香りの中に置く夏帽子と、嗅覚に訴えた手柄である。 |
奈良から平安時代にかけての地方に置いた役所が |
お菊の亡霊が夜な夜な皿を数えるという怪談皿屋敷の舞台は各地にあるらしい。姫路、土佐、松江、それから江戸の番町……。この句は江戸であろうか。番町と呼ぶ辺りは今も坂が多く、細い道の迷路もある。現代でも夏の夜、ふとそんな幻影に捉われることがあるものだ。 |
安居は夏の時期、主に禅宗の寺院で僧達が一室に籠って修行をする行事である。永平寺や総持寺などが想起され、磨き上げた廊下との取合せが美しい。「風自在」に禅問答のような雰囲気があるのが面白いところだ。 |
若い頃に習った四大文明は、チグリス・ユーフラテス川流域のメソポタミア文明、ナイル川流域のエジプト文明、インダス川流域のインダス文明、黄河・長江流域の中国文明であった。大河に面して文明が発展したのである。だが絶えず治水には悩まされたことであろう。洪水と共に滅びた文明もあったことであろう。この発想も斬新だ。 |
今はかなり精巧な細工になったが、一昔前の食品サンプルは粗雑なものがあった。ショーウインドーの中で埃まみれになっていたり罅が入っていたりしたものだ。そんな町の洋食屋の雰囲気である。洋食といってもカレーやナポリタン、オムレツ位。「西日入る」が哀愁を深めている。 |
夜店の金魚掬いであろうか。薄い紙の網で狙う。掬い上げるとき周りの金魚も逃げ回るのだが、その様子を含めて「影を崩しつつ」と詠んだところがうまい。沢山の金魚が入れられた底の浅い水槽の様子をよく捉えている。 |
独身寮も少なくなってきているようだ。共同生活が嫌われている時代である。何代か前の先輩が残していった鉄亜鈴が行き場の無いまま、また滅多に使われることも無く、食堂の片隅にでも残されているのであろう。今年の長梅雨でまた錆を深めていくのである。 |
富士山は一度登ったが、五合目から上は樹木も水場もなく、砂漠を立て掛けたような山であった。山容がとてつもなく巨大で、次の山小屋の灯が見えていても遠い。「山酔ひ」は作者の造語であるかもしれないが、実感がある。「修行」の言葉に、本来の登山の意味が籠められている。 |
私事だが、今年、大山茶舗から戴いた新茶を喫して〈新茶まで辿り着きたる病あと〉と詠んだ。手術を経て、どうやら生き残ることができた感慨である。新茶という若い雫にはそのような気持を想起させる薬効があるようだ。掲句は茶の世界で生き抜いてこられた方の素直な老境である。 |
その他印象深かった句を次に。
伊藤伊那男・選
子供の頃、鎮守の杜の祭に出る夜店は不思議な世界であった。灯火に使うアセチレンガスの特有な臭が漂い、暗闇の中でそこだけが明るい。でもその明るさも突然途切れて奈落の闇となる。そのあっけ無さが出ているのが面白いところだ。同時出句の〈鮎食むや背に川音流しつつ〉も端正な詠みぶりである。 |
梅は花を楽しんだ上で、その果実も有益な一石二鳥の果樹である。私も毎年梅干を作っているので五月末位の入荷が気になるものだ。この句の梅は自家の梅の木なのであろう。成り年かどうかが解るのである。そんなところを淡々と詠んだのがいい。 |
死者を悼む気持が「灯を細め」に投影しているようだ。蛍袋という植物が光の調節をするはずは無いのだが、そう言わずにはいられないのであろう。無理なく読み手の心にも投影する主観句である。 |
言われてみれば二つ共似ているようである。弔文はまさに生涯に一度だけの、最後の最後の恋文であるといってよいかもしれない。取合せの季語、朴の花の白さと、合掌をしたような形が合っているようだ。 |
私の郷里伊那谷でも蛍は身近な存在であったが、昭和三十年代半ばの高度成長期辺りから急激に減少していった記憶がある。今全国的に知られるようになった辰野町の蛍も、一時期ほぼ絶滅したものを復活させたのである。あちこちからそんな便りが来るのは嬉しいものだ。 |
こんな様子を私も見たことがある。祭好きの町内の旦那、きっと神社や祭の維持に貢献した人なのであろう。亡くなったあとの祭に何としても参加させてやりたいという身内や友人達の思いの深さである。 |
「青坊主」は作者の造語であろうか。蚕豆の莢から飛び出す様子を「青坊主」という表現は面白いし、実感がある。剝いたときの独得の青臭さも捉えていて実感がある。こういう独自の表現も時として成功するものだ。 |
跣で砂浜を歩くとその熱量から夏の到来を実感できるのであろう。足の裏から季節の変化を感じ取るという発想と感覚がいい。 |
夏座敷であるから障子戸なども全部開いて風を通す。強い風が入ると床の間の掛軸が大きく揺れる。これを抑える為に重しとなる風鎮を更に重くするのである。夏座敷の中の、人が見逃していたところをしっかりと捉えている。 |
私の経験で言うと生きた蛸(章魚)を料理するのは苦手であった。塩を揉み込んで軟らかくするという作業もさることながら、蛸の目は怖いのである。烏賊の目とも似ているが何故かもっと恐いのである。西洋ではデビルフィッシュとも呼ばれていたという。ただしこの句ではその長方形の目が哀しいという。そのような見方もあったか。ともかく独得の目に着目したところがいい。 |
団塊の世代の我々は四畳半の下宿で相部屋と聞いても驚かない。そんな時代であった。網戸なども無かったから蚊遣火が頼りになる。「分け合ふ」が若き日への郷愁を感じさせるのである。 |
梅雨という湿度の高く、薄暗い気象現象を、人間の身体に持ち込んだのがこの句の手柄である。人間に与える影響を身体の中に「影の生まるる」と詠んだのは独得の感性である。 |
私事だが、指折り数えてみると上京以来九ヶ所を転居している。時に旧居辺りを通ることがあるが、まさにこの句のように「迷路」である。道だけでなく思い出までも‥‥。梅雨の月の朦朧さがこの句の情感を高めているようだ。 |
伊那男俳句 自句自解(104) 生家売るは棄教のごとし鳥雲に
私の生まれ育った長野県駒ヶ根市の家は父母の死後、遠い親戚に貸していたが、その内に買取りたいとの申し入れがあった。兄から、将来私が住むとか時々使うなら残しておくが、どうする? との問合せがあり、売却に同意した。父はもともと天竜川を渡った赤石山脈側の集落の出身で、東京で勤務医をしていたが、終戦後母の実家のある駒ヶ根市で耳鼻咽喉科を開業したのであった。家は一度建て直しているが、前面が医院の棟で、中庭を挟んで奥が住居。渡り廊下で往き来していた。父は生家を弟に託して町に出てきた人であり、私達兄弟も生家を手離すのにわだかまりは無かった。根無し草の系統である。とはいえやはり淋しさはあるもので、その後帰省の折などに時々様子を見に行ったものだ。句の「棄教のごとし」は大袈裟な表現ではあるが、育った家を売るというのは、産土の地を離れる「流離」とも少し違って、「罪」のようなものを感じるところがあるものだ。 鳴くたびに泥吐いてゐる田螺かな
信州伊那谷は、蜂の子、ざざ虫、蚕のさなぎなどを食べる独得の習慣があり、他所から下手物喰いと嫌がられるが、田螺を食べる習慣は無かった記憶がある。私が田螺を食べたのは山梨県であった。瑞牆(みずがき)山へ登山することになり、前夜、同行する友人の夫人の実家に泊めて戴いた。翌日の朝食の味噌汁の具が田螺だった。聞けば横の小川にいるのだという。何とも素朴で新鮮な驚きであった。その後今日に到るまで、一度も食べていない。というのは盤水先生と田螺の話をしたことがあるが、先生に「伊那男さん、ああいう食べないほうがいいですよ」と言われたことが頭に残っているからである。先生は海の幸が豊富ないわき市の育ちであるから泥の中に棲む田螺を食べる必要は無かったのである。それに先生は下手物には一切手を出さない人であった。ちなみに『皆川盤水全句集』を繙いてみたが「田螺」に関する句は一句も見当たらないのである。 |
6月 6月16日(日) 新宿発高速バスにて昼前、富士急ハイランド。高部氏の迎えを受け、吉田うどんの昼食。河口湖の別荘へ。いつもの別棟を借用。エッセイの纏めなど。18時半、伊料理の「リチェッタ」に案内して戴く。いつもながら洒落た料理。戻って歓談。ウイスキーを少々舐める。23時就寝。 6月17日(月) 5時起。鳥の声がいい。7時、ベランダで朝食。高部務氏はゴルフへ。庭の青山椒が今年は豊作。ずい分摘んで下処理。読書。富士急ハイランドの和食レストラン。戻ってウイスキー少々で歓談。23時就寝。 6月18日(火) 7時起。手荒な雨。10時、富士山駅まで送って貰う。高速バスにて帰宅15時。梅1003㌔の水が出来上がり、赤紫蘇を入れる。実に美しい発色! 6月19日(水) NY在住の月野ぽぽなさんの夫君、木川貴幸氏のピアノリサイタル。青山の「スタインウェイ&サンズ東京」。ぽぽなさんは伊那北高校の後輩。夫君は諏訪清陵高校。 6月21日(金) 娘が映画『オペラ座の怪人』(リバイバル)がいいというので、「109シネマズ二子玉川」へ。見応えあり。 6月22日(土) 11時、日本橋「日本料理 吉」、「纏句会」13人。15時帰宅。 6月23日(日) 終日机辺。「銀漢」8月号の選句。数句会の選句。エッセイなど。メロン佳。 6月27日(木) 岩野歯科。虫歯の治療。夜、薬味たっぷりの鰹の叩き、蒸し茄子など。西瓜、さくらんぼ佳。 6月28日(金) いよいよ本格的な梅雨か。「彗星集」選評書いて8月号の執筆全部終了。肩の荷が降りる。今日から10回目の抗癌剤服用。 6月29日(土) 17時、「京王プラザホテル」の「コンコードボールルーム」。小川軽舟主宰「鷹」の「創刊60周年記念祝賀会」。来賓70名ほど。全体で300人位?か。大宴会。櫂未知子、藤本美和子さんと臨席。久々、大塚凱君と会う(店のアルバイトをして貰っていた)。 6月30日(日) 「第33回 信州伊那井月俳句大会」の選(応募1,563句)、伊那市へ送る。午後、北村監督の事務所へ井蛙さんと合流。平澤さんを交えて「信州伊那井月俳句大会」の今後の運営についての話し合い。 7月 7月2日(火) ここ数ヶ月をかけて、関東戦国時代の城跡40城とその時代の歴史についてほぼ一冊分の文章をまとめたものを編集者のIさんに託す。果たして本に成るかどうかは全く不明ながら、自分の中では一区切りを付ける。「魚勝」で小酌。但し私はお茶漬など。 7月3日(水) 昼、発行所にて運営委員会。諸経費高騰が始まっており、来年の資金繰りはかなり厳しい見通し。 下北沢の「星乃屋珈琲」。「NHK俳句」編集部の浦川聡子さんと「復活開店『銀漢亭』秋の野菜編」の構成他、最終打合せ。あと、銀細工の店をやっている甥(姉の長男)を訪ねて近況報告。姉も元気と。 7月5日(金) 「銀漢8月号の校正作業。武田氏へ投函。数句会の選句。午後、順天堂医院でCT検査。今日は泌尿器科。尿管結石は消滅していると。薬で流れた様子にて一安心。 7月6日(土) 10時、整体の加々美先生。作句(3句会分の構想)。 7月7日(日) 75歳の誕生日に辿り着いた事に感謝。暑い日。2品ほどの料理作り、午後、日暮里の「夕焼け酒場」で「銀漢亭の日 伊那男生誕祭」。とにかく暑い最中、30数名が集まって下さる。八戸の吉田千嘉子さんも。清人さんの気仙沼の海産物、井蛙さんのヴーヴクリコ二本、その他皆様から数々の差し入れあり。また、突然、清水旭峰医師が来られ、大きな花束を下さる、感謝! 3句出しの句会。嬉しい誕生日を過す。 7月8日(月) 「銀漢」9月号のエッセイ(大文字の送り火)、自句自解他、執筆。暑い日。終日家。 7月9日(火) 岩野歯科。治療。今日も暑い日。夜、「天為」発行所にて「火の会」11人。今日は弁当持ち寄り。獅子唐とじゃこ炒めの手料理持参。 7月10日(水) 暑さのせいか、気圧のせいか、終日気怠く、集中力保てず、ぐずぐずと過す。 7月11日(木) 体調戻る。小学館「三丁目の夕日」のエッセイ2回分執筆し、伊藤政さんに送る(汀女、子規)。桃旨い。Kさんの句集稿点検を始める。 7月12日(金) 午後、表参道。高坂小太郎さんの3年振りの絵画展。旺盛な創作欲に驚嘆。中では「函谷鉾」「黒鱒」の絵が印象深い。 7月13日(土)、14日(日) Kさんの句集稿選句。「銀漢」夏の俳句大会の選句(応募408句)、「本部句会」の選他。素麵、トマト、メロンなどが旨い。 7月15日(月) このところ時間があると、今村翔吾、本郷和人、磯田道史氏のエッセイなどを読み返している。 7月16日(火) 朝から順天堂医院。採血。齋浦先生との面談。検査結果は問題なし、順調と。今日は、薬局の手続きも早く、成城に戻って町中華店で冷麵食す。買い物をして帰宅。 7月17日(水) 数句会の選句。「俳壇」より9月号の巻頭10句が締切過ぎた未着と。すっかり失念していた。急ぎ10句送る。 7月18日(木) 10時、田町の専売会館にて「三田俳句丘の会」。午前中は運営委員会。午後は句会。夜、麴町にて「銀漢句会」。あと納涼懇親会。 7月19日(金) 今日から11回目の抗癌剤服用。「俳句てふてふ」の「俳句万華鏡」に食べ物エッセイ投函(新蕎麦・鰻)。麩の鍋(山形の麩、新潟の車麩、宮城の油)。 7月20日(土) 11時半、土呂駅。大野田さんの迎えを受け、蕎麦の「きくち」にて三色蕎麦の昼食の馳走を受ける。13時、盆栽村の和室にて「彩の国句会」(伊藤庄平さん座長)。席題が2つ出て、計7句出句の句会。丁寧な句会、合評など。あと「藍屋」にて親睦会。猛烈に暑い日。久々にお会いする方もあり、楽しい1日。 7月21日(日) 7時45分、新宿バスタ発高速バスにて身延山久遠寺へ。20代の頃訪ねた記憶がぼんやりある。酷暑の中、本堂への約300段の石段の登り降りはなかなかのもの。あと、日蓮上人の御廟所、御草庵跡を巡る。バスと身延線を繫いで下部温泉へ。30年前の大腸癌手術のあと湯治に来て以来。「古湯坊 源泉館」。直前の予約だったので本館は満員で湯治棟に一部屋空きありとて、四畳半のやや寂しい部屋。学生時代の下宿を思い出す。14時半から17時まで、湯に浸る。夕食後、また1時間、入浴。 7月22日(月) 昨夜は23時頃就寝。今朝5時起床。夜中に一度もトイレに起きなかったのは久々のこと。朝風呂1時間半、体重57㌔は少々落ち過ぎ。一眠りして10時から2時間、入浴。昼食後、昼寝。宿に来た八百屋から桃とトマトを分けて貰う。甲府は気温38度と。15時から17時までまた湯に浸る。夕食後1時間入浴。 |
△ヤナギハナガサ(三尺バーベナ) ヤナギハナガサ(三尺バーベナ)は初夏から秋まで長い期間たくさんの花を咲かせるクマツヅラ科の多年草。ヤナギハナガサの名前は、葉がヤナギのように細長いことに由来しています。現在ではたくさんの苗が流通していますが、最初に日本で確認されたのは1940年代後半ごろの東海地方です。非常に丈夫で繁殖力が強いため、特定外来生物には指定されていませんが、「将来の生態系に被害を及ぼす恐れがある外来種」の中に入っている植物です。 |