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 9月号  2024年


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銀漢季語別俳句集


伊藤伊那男作品


主宰の8句






     









       
             

                        

    

今月の目次












銀漢俳句会/2024/9月号










   
















   

 

銀漢の俳句 

伊藤伊那男 

◎京の送り火

 8月16日の夜、京都の送火が点火される。
 22歳で京都に赴任した頃は、すぐに青い灯、赤い灯に馴染んでしまったので、歴史や風物への興味が無く、「今日は大文字」と聞いても特別の思いは湧かなかった。だがさすがに年を重ねると様々な感慨が去来するようになる。このところ2、3年に1度位京都御苑の建礼門辺りに立って大文字を拝している。八時の点火から20分位の僅かな時間だが、その間に半世紀前の京都の生活のことや、京都生まれの妻のこと、その妻を見送ったこと、世話になった義母や親戚の方々のことなどが走馬燈のように目蓋を過っていく。1年の節目の一つとなった。私の記憶ではこの日を境にして京都の暑さは納まり、一週間後の地蔵盆の頃には秋の気配を感じたものである。余談ながら「大文字焼き」と、今川焼きや鯛焼きのような呼び方をする人がいるが駄目である。また、一つ火を足して「犬」の字にしようという悪戯者が跡を絶たないというから注意が必要である。
 さて大文字の歴史を簡単に辿ってみる。伝承としては僧空海が疫病鎮めのために護摩壇を築いたことが始まりという説、足利将軍義政が子の義尚の死を悼んで点したという説があるが、いずれも資料の裏付けはない。明確な資料としては万治3年(1660)「そのかみより7月16日の夜、四方の山に松明にて妙法、大の三字、或いは船のなりなどつくる事也」とあり、江戸初期に大文字・妙法・船形の三つが点火されている。左大文字は延宝二年(1874)、鳥居は享保2年(1717)の記録があり、江戸中期には全部出揃っていたことが解る。他にも「い」「一」「蛇」「竿に鈴」「長刀」が出現したこともあったという。
 数年前に銀閣寺の横の登山道から如意ヶ嶽に登ったことがある。中腹に一画目が80メートル、二画目が160メートル、三画目が120メートルの「大」の字に設置された火床(ひどこ)を目撃してその巨大さに圧倒された。この七十五の火床に割木を井桁に組み、その上に薪六百束、松葉百束、麦藁百十束を積み上げるのであるから、その調達や運搬、組み立てには膨大な費用と労力を必要とすることが解る。麓の人に聞くと保存会は地元の旧家の長男だけで構成される誇り高い組織であるという。歴史上点火されなかったのは明治五年(1873)の廃仏毀釈運動から約10年間、太平洋戦争中の3年間だけであったという。そういえば京都では各家庭での迎火や送り火を行う習慣は無い。家々の混み入っている京都のことなので防災の面からも大文字に統一したのではないか……と、これは全くの私見である。ともかく400年以上連綿と継続されてきた鎮魂の火に感謝と祈りを捧げたい。














 



  

盤水俳句・今月の一句

伊藤伊那男 

秋刀魚豊漁盲揚げする上を鳶       皆川 盤水


先生の故郷福島県いわき市は秋刀魚の水揚げでも日本有数の港であった。信州生まれの私の子供時代の頃は塩漬けの秋刀魚しか届かなかった。それも焼いた一尾を二つに割って頭を取るか、尾を取るかで悩んだものである。上京してからは焼いた秋刀魚はよく食べたが、刺身を食したのは四十歳の頃、いわきの料理店であった。この句の「盲揚げ」は盲滅法に揚げるという先生の造語であろうか。鳶の乱舞と合わせて豊漁の活気が伝わる。         (平成七年作『高幡』所収)











 




彗星集作品抄
  伊藤伊那男・選

 形代や穢の嵩に浮き沈み           山田  茜
 苔の花ルーペの中の森に咲く         西田 鏡子
 故郷の鮎の苦味の濁らざる          有賀  理
 木曾谷の身を寄せ合うて梅雨茸        飛鳥  蘭
 夕凪や船板塀の続く路地           清水佳壽美
 夏燕洗ひ張りする母の上           島谷 高水
 捨てかねし父の残せし蝮酒          佐藤 栄子
 食卓は笑ひ合ふ場所古茶新茶         本庄 康代
 ひとひらの錐揉みしたる竹落葉        岡城ひとみ
 琉球の風鈴零す波の音            西本  萌
 早苗田の鏡の中の安曇郡           上野 三歩
 夏に籠り瀬音離れぬ雲巌寺          大溝 妙子
 父の日や健康器具のまた増えて        長井  哲
 天使魚鏡に映る理髪店            播广 義春









 


 







    
     

彗星集 選評 伊藤伊那男

伊藤伊那男・選

形代や穢の嵩に浮き沈み         山田  茜
形代はみそぎ・祓に用いた紙の人形(ひとがた)。これで身体を撫でて(けがれ)を移し、川に流したもの。穢を移したといっても形代の重さに変化があるわけではない。だが、この句では穢にも軽重があり、浮き沈みがあるという。これだけ科学が発展した現代でも形代の習慣が絶えないのであるから、人の心の中は複雑であり、人智を越えたものがありそうだ。 


苔の花ルーペの中の森に咲く       西田 鏡子
 苔の花などという微小なものは日常生活の中では見逃してしまうものだ。だがルーペで拡大してみると完璧で精緻なものだ。美というものは大小ではない。人間が蟻ほどの大きさであったなら苔はまさに鬱蒼たる森林である。そんなことを想像させる句であった。


故郷の鮎の苦味の濁らざる        有賀  理
 鮎の魅力は何といっても腸の持つ苦味である。香気のある苦味が身上である。そもそも鮎の苦味は複雑な夾雑物がもたらすのではないかと思うのだがこの句では「濁らざる」と断定する。濁らざる苦味―なるほどそうであったか。


木曾谷の身を寄せ合うて梅雨茸      飛鳥  蘭
「身を寄せ合うて」がうまいところだ。固有名詞(地名)は何にでも付ければいいというものではない。木曾谷という山に囲まれた狭隘の地であるからこそ「身を寄せ合うて」が生きてくるのである。何もかもが身を寄せるように生きているのだ、ということを強調しているのである。


夕凪や船板塀の続く路地         清水佳壽美
 瀬戸内海に面した小さな漁港なのであろう。「夕凪」という、陸と海の温度差が無くなって無風状態になる現象は瀬戸内の特徴である。廃船の材料を使った塀の路地が続く中の静かなたつきが想像される、郷愁を誘う句である。


夏燕洗ひ張りする母の上         島谷 高水
こんな光景が昭和の時代にはあちこちにあったものだ。 


捨てかねし父の残せし蝮酒        佐藤 栄子
捨てるわけにもいかず毎年夏になると思い出すのだ。


食卓は笑ひ合ふ場所古茶新茶       本庄 康代
団欒風景がいい。老人も孫も。新茶があればなお。 


ひとひらの錐揉みしたる竹落葉      岡城ひとみ
 竹落葉の落ち方を丁寧に観察している。


琉球の風鈴零す波の音          西本  萌
琉球硝子であるのか、貝であるのか、沖縄の海の音。 


早苗田の鏡の中の安曇郡         上野 三歩
田植時の安曇野が鏡中に全部収まったような面白さ。 


夏に籠り瀬音離れぬ雲巌寺        大溝 妙子
 いかにも雲巌寺。動詞にせず「夏籠りや」の方がいいか。


父の日や健康器具のまた増えて      長井  哲
元気な父上の様子が如実。「健康おたく」の老人像が。 


天使魚鏡に映る理髪店          播广 義春
鏡に反映する美しい光景。「熱帯魚」の主季語でいい。



投句稿を見て
  
×枇杷の実を聖書繰るかに剝きてをり
〇枇杷の実を剝くや聖書を捲るかに

切れを入れて「枇杷の実」を「剝く」に直結させる。

  
×魚籠の鮎囮から釣果へと
〇囮鮎釣果となりし家路かな

中七が字足らず。「魚籠」が不要。

  
×青もみぢ葉擦れ囃すや青山河

「青もみぢ」などという言葉は歳時記には無い。最近の鉄道会社の広告である。「もみぢ」は紅葉(もみじ)であり、黄葉(もみじ)である。漢字にしてみれば一目瞭然で「青紅葉」「青黄葉」と色彩も混乱する。「青楓」という既存の季語で十分なのである。流行言葉を使うときは十分の検証をしていただきたい。仮に季語だとしても下五の「青山河」もほぼ夏の季語といってもよく、二つの季語で句の焦点が割れてしまうのである。

  
×寛一の望むに足らぬ五月闇

この句はどうして駄目かというと『金色夜叉』を調べていないからである。「来年の今月今夜のこの月を僕の涙で曇らせてみせる」という台詞があるが、原著では「僕がお前に物を言ふのも今夜ぎりだよ。1月の17日、宮さん、善く覚えてお置き」とある。その日が大事なのである。解った上で、との反論もあろうが、私は季節の整合性があった方がいいと思っている。











 







銀河集作品抄

伊藤伊那男・選

青鷺は雨雲の色身に宿す        東京  飯田眞理子
みづからの絡みより抜け鉄線花     静岡  唐沢 静男
ひねもすを夏の海見て過ごしけり    群馬  柴山つぐ子
感嘆の声がきつかけ牡丹散る      東京  杉阪 大和
歳時記の真中を割りて梅雨に入る    東京  武田 花果
四方の山滴る中の雲巌寺        東京  武田 禪次
雷門出てもぐり込むビヤホール     埼玉  多田 美記
家中に告げてから切る新茶の封     東京  谷岡 健彦
彩雲となり天穹の桐の花        神奈川 谷口いづみ
出荷箱踏みつずらしつ袋掛       長野  萩原 空木
さざなみの鱗めきたる薄暑かな     東京  堀切 克洋
母の日の母の遺影が美しい       東京  松川 洋酔
昭和の日レースのかかる黒電話     東京  三代川次郎

















         





綺羅星集作品抄

            伊藤伊那男・選


相似たり鳰の浮巣とヴェネツィアと   東京   伊藤  政
故郷の草の香に置く夏帽子       東京   大沼まり子
国衙へと続く麦秋東山道        埼玉   大野田井蛙
皿屋敷はこの辺りらし夏の夜      東京   梶山かおり
夏安居や百間廊下風自在        東京   柊原 洋征
文明は大河とともに大出水       東京   保田 貴子
食堂のサンプルに罅西日入る      埼玉   深津  博
掬ひ上ぐ金魚の影を崩しつつ      東京   森 羽久衣
長梅雨や独身寮の鉄亜鈴        神奈川  白井八十八
山酔ひも修行の一つ富士詣       神奈川  大田 勝行
吾がいのち畏るる齢新茶汲む      東京   大山かげもと
豆飯の幸の数だけ豆の数        長野   守屋  明
無口なる父とビールを交はす歳     埼玉   森濱 直之
殉教碑夏のつばめは十字切る      長崎   坂口 晴子
石切りの山垂直にほととぎす      千葉   川島  紬
葉桜や葬るための故郷あり       愛媛   片山 一行
雨降りて滲み出したる牡丹かな     宮城   小田島 渚
昨夜の雨濁りはみせず鮎の川      東京   大溝 妙子
蜂の巣の日毎六角づつ殖ゆる      神奈川  大野 里詩
傘雨忌の人形焼を仲見世で       東京   今井  麦

せせらぎの色濃き辺り鮎跳ぬる     東京   飛鳥  蘭
薔薇園の夕日の逃ぐるところなし    東京   有澤 志峯
今昔の簗の話を鮎の小屋        神奈川  有賀  理
鳰浮巣影伸ばしゐる浮御堂       東京   飯田 子貢
出水急位牌二柱二階へと        山形   生田  武
三尺寝さめてホースの水顔へ      埼玉   池田 桐人
谷戸抜けて扇開きに菖蒲園       東京   市川 蘆舟
背比べの柱の傷を超す出水       埼玉   伊藤 庄平
紫陽花や雨の重さを測りをり      神奈川  伊東  岬
すつと引く鮎の背骨や香のさらに    埼玉   今村 昌史
悪相の鮎に蓼摺る夕べかな       東京   上田  裕
筍の焼かれ嵯峨野の胡坐膳       東京   宇志やまと
飛行場跡の広さや蟻走る        埼玉   大澤 静子
夫留守の気安さにをり冷奴       東京   岡城ひとみ
母の日や母の母にも感謝して      愛知   荻野ゆ佑子
仏壇に供へしのちの柏餅        宮城   小野寺一砂
百日紅礎石いづれも煤の跡       埼玉   小野寺清人
梅を干す家業継ぐべく帰郷して     和歌山  笠原 祐子
神気満つ大楠の洞朝涼し        静岡   金井 硯児
滴れる山懐に雲巌寺          東京   我部 敬子
がまがへる跳んで地軸を震はする    東京   川島秋葉男
紫陽花の色の深みや雨集む       神奈川  河村  啓
木漏れ日や揚羽の影を葉にうつす    愛知   北浦 正弘
枇杷の実の大粒の種子包みをり     長野   北澤 一伯
大病の術後一年新樹立つ        東京   絹田  稜
対岸に煉瓦倉庫や蚊喰鳥        東京   朽木  直
葛餅の三角皿は四角にて        東京   畔柳 海村
老鶯や寝釈迦は足の裏揃へ       東京   小泉 良子
一村に音のなくなる出水後       神奈川  こしだまほ
卵ある鳰の浮巣の重みかな       東京   小林 美樹
夏兆す健康器具をまた一つ       千葉   小森みゆき
水音も力を入れし田植どき       東京   小山 蓮子
幸せはいつもの日々や冷奴       宮城   齊藤 克之
夏霧の奥や尻屋の岬馬         青森   榊 せい子 
川風に箸を休めて夏料理        長野   坂下  昭
湯もみ女の赤き蹴出しや夏きざす    群馬   佐藤 栄子
ため息のやうに啼き止む梅雨鴉     群馬   佐藤かずえ
蔵座敷旅の宿なる夏座敷        長野   三溝 恵子
亀の子の水搔く手足まとまらず     広島   塩田佐喜子
健診の香水の香の両隣         東京   島  織布
金婚に二重の鰻重ほほばりぬ      東京   島谷 高水
渋団扇今日の機嫌は良ささうな     兵庫   清水佳壽美
先頭の曲がれば曲がる蟻の列      東京   清水 史恵
さんざめく天井高きビヤホール     東京   清水美保子
夏来る恐竜となる四歳児埼玉      埼玉   志村  昌
空梅雨のなか荒梅雨の一日あり     千葉   白井 飛露
茅花流し坂東太郎は銀鼠に       東京   白濱 武子
外つ国の野球中継明易し        東京   新谷 房子
百年過ぐる父のアルバム黴匂ふ     大阪   末永理恵子
庭下駄を立て掛けて置く梅雨湿り    東京   鈴木 淳子
薫風や番号で呼ぶ岬馬         東京   鈴木てる緒
年金に税金通知梅雨の日に       群馬   鈴木踏青子
葉桜の影を沈めて濠深し        東京   角 佐穂子
蚊遣火の名残の灰の渦のまま      千葉   園部あづき
隣から煎餅にほふ夏芝居        神奈川  曽谷 晴子

モネの川シスレーの空夏は来ぬ     長野   髙橋 初風
近江路の羽衣となる夏の雲       東京   高橋 透水
母と亡き父へ新茶を汲み分けて     東京   武井まゆみ
蟻殺す我やも知れず病みにけり     東京   竹内 洋平
銭湯の富士仰ぎ見る立夏かな      神奈川  田嶋 壺中
思ひきり宙へ飛ばして鰹釣る      東京   多田 悦子
胴長に紫煙くゆらせ鮎を待つ      東京   立崎ひかり
鈴蘭や小女の頃のゆるぎなる      東京   田中 敬子
青胡桃瀬音しづもる千曲川       東京   田中  道
舌を出すことも運動梅雨に入る     東京   田家 正好
菖蒲葺く旧街道の菓子司        東京   塚本 一夫
胸元に風来る心地夏兆す        東京   辻  隆夫
提灯を吊れば始まる祭かな       ムンバイ 辻本 芙紗
籐椅子の軋み漏らさず母の昼      東京   辻本 理恵
余花散らす名残の雨や光堂       愛知   津田  卓
腹回りゆるき仮縫ひ夏衣        東京   坪井 研治
ハンカチの小さく干され夜の窓     東京   戸矢 一斗
父の日や父に歌はぬ軍歌あり      千葉   長井  哲
球審の右手高々夏来る         東京   中込 精二
一目千本来世の分の花も愛で      大阪   中島 凌雲
鳰浮巣点睛となす淡海かな       神奈川  中野 堯司
梅雨晴に薬草乾くひとむしろ      東京   中野 智子
時計草時差ある国に子は嫁して     東京   中村 孝哲
母の日のわが妻にして畏るべし     茨城   中村 湖童
さゆらぎは田毎の色に早苗月      埼玉   中村 宗男
牡丹咲く寺へ七坂七曲り        東京   中村 藍人
蚊食鳥幾何学的に躱しけり       長野   中山  中
子の出でし家の広さや古茶新茶     千葉   中山 桐里
焦げるほど色付く近江麦の秋      大阪   西田 鏡子
足裏の雲を凹ませ水馬         埼玉   萩原 陽里
浅間から手紙窓から若葉風       東京   橋野 幸彦
木いちごをつまんで旅にある想ひ    広島   長谷川明子
裏木戸の出入りに落ちて柿の花     東京   長谷川千何子
船音に海石離るる海鵜かな       兵庫   播广 義春
あぢさゐや一の鳥居へ百の磴      埼玉   半田けい子
麦の秋山に絡まる単線路        東京   福永 新祇
更衣簞笥と鏡の行き来かな       東京   福原  紅
旅ここち砂丘の辣韮剝く厨       東京   星野 淑子
牛の鈴鳴れり雲湧く大夏野       岐阜   堀江 美州
夏に入るポニーテールの毛先より    埼玉   本庄 康代
水分の小橋の先の植田かな       東京   松浦 宗克
薫風や正座の国の青畳         東京   松代 展枝
望遠鏡より新緑がこぼれけり      神奈川  三井 康有
修司忌の夜空も泣いてゐるやうな    神奈川  宮本起代子
ダービーや国歌に続くファンファーレ  東京   村田 郁子
心太都電の音の窓近く         東京   村田 重子
夏至の雨止んでくつきり遠筑波     千葉   森崎 森平
薄暑光筋なすガラスペンの先      東京   矢野 安美
裏がへりさかしまになり水くらげ    愛知   山口 輝久
花栗の匂へる風の通り道        群馬   山﨑ちづ子
短命の花房藩や卯波寄す        東京   山下 美佐
濃紫陽花泣き出しさうな空のあり    東京   山田  茜
紫陽花や昨日の夢のもう褪せて     東京   山元 正規
怒濤めく読経のきほひ鑑真忌      東京   渡辺 花穂
赤べこの動きにつられ目借時      埼玉   渡辺 志水


















     





銀河集・綺羅星今月の秀句


伊藤伊那男・選

歳時記の真中を割りて梅雨に入る     武田 花果
 読後におかしさが込み上げてくる句である。梅雨入りは六月半ばであるから一年の折返し点の辺り。つまり歳時記でいえば真中の頁前後に入梅の項があることになる。手許の歳時記を開くとまさにそうであった。こんな観点から梅雨入を詠んだ句は初見である。


相似たり鳰の浮巣とヴェネツィアと    伊藤  政
 びっくるするより他はない比較である。水の都ヴェネツィアと鳰の浮巣と似ている、と言われれば確かに……。近年の気象変化によりヴェネツィアも水没の危機を迎えているというが、そんな不安も詠み込まれているようだ。


故郷の草の香に置く夏帽子        大沼まり子
 年を取ると故郷が懐かしく思い出されるものだ。それも現実 の故郷ではなく、昔の思い出の中の故郷である。その草の香りの中に置く夏帽子と、嗅覚に訴えた手柄である。


国衙へと続く麦秋東山道         大野田井蛙
奈良から平安時代にかけての地方に置いた役所が国衙(こくがり)である。この句の国衙は多賀城址であろうか。東山道の終着点である。麦秋の取合せが往古の世界へ誘う。


皿屋敷はこの辺りらし夏の夜       梶山かおり
お菊の亡霊が夜な夜な皿を数えるという怪談皿屋敷の舞台は各地にあるらしい。姫路、土佐、松江、それから江戸の番町……。この句は江戸であろうか。番町と呼ぶ辺りは今も坂が多く、細い道の迷路もある。現代でも夏の夜、ふとそんな幻影に捉われることがあるものだ。 


夏安居や百間廊下風自在         柊原 洋征
 安居は夏の時期、主に禅宗の寺院で僧達が一室に籠って修行をする行事である。永平寺や総持寺などが想起され、磨き上げた廊下との取合せが美しい。「風自在」に禅問答のような雰囲気があるのが面白いところだ。


文明は大河とともに大出水        保田 貴子
若い頃に習った四大文明は、チグリス・ユーフラテス川流域のメソポタミア文明、ナイル川流域のエジプト文明、インダス川流域のインダス文明、黄河・長江流域の中国文明であった。大河に面して文明が発展したのである。だが絶えず治水には悩まされたことであろう。洪水と共に滅びた文明もあったことであろう。この発想も斬新だ。


食堂のサンプルに罅西日入る       深津  博
 今はかなり精巧な細工になったが、一昔前の食品サンプルは粗雑なものがあった。ショーウインドーの中で埃まみれになっていたり罅が入っていたりしたものだ。そんな町の洋食屋の雰囲気である。洋食といってもカレーやナポリタン、オムレツ位。「西日入る」が哀愁を深めている。


掬ひ上ぐ金魚の影を崩しつつ       森 羽久衣
夜店の金魚掬いであろうか。薄い紙の網で狙う。掬い上げるとき周りの金魚も逃げ回るのだが、その様子を含めて「影を崩しつつ」と詠んだところがうまい。沢山の金魚が入れられた底の浅い水槽の様子をよく捉えている。 


長梅雨や独身寮の鉄亜鈴         白井八十八
 独身寮も少なくなってきているようだ。共同生活が嫌われている時代である。何代か前の先輩が残していった鉄亜鈴が行き場の無いまま、また滅多に使われることも無く、食堂の片隅にでも残されているのであろう。今年の長梅雨でまた錆を深めていくのである。


山酔ひも修行の一つ富士詣        大田 勝行
 富士山は一度登ったが、五合目から上は樹木も水場もなく、砂漠を立て掛けたような山であった。山容がとてつもなく巨大で、次の山小屋の灯が見えていても遠い。「山酔ひ」は作者の造語であるかもしれないが、実感がある。「修行」の言葉に、本来の登山の意味が籠められている。


吾がいのち畏るる齢新茶汲む       大山かげもと
私事だが、今年、大山茶舗から戴いた新茶を喫して〈新茶まで辿り着きたる病あと〉と詠んだ。手術を経て、どうやら生き残ることができた感慨である。新茶という若い雫にはそのような気持を想起させる薬効があるようだ。掲句は茶の世界で生き抜いてこられた方の素直な老境である。


 その他印象深かった句を次に。

豆飯の幸の数だけ豆の数         守屋  明
無口なる父とビールを交はす歳      森濱 直之
殉教碑夏のつばめは十字切る       坂口 晴子
石切りの山垂直にほととぎす       川島  紬
葉桜や葬るための故郷あり        片山 一行
雨降りて滲み出したる牡丹かな      小田島 渚
昨夜の雨濁りはみせず鮎の川       大溝 妙子
蜂の巣の日毎六角づつ殖ゆる       大野 里詩
傘雨忌の人形焼を仲見世で        今井  麦

















                






 

星雲集作品抄
伊藤伊那男・選
秀逸

夜店の灯不意に途切れて引き返す    東京  北原美枝子
青梅を数へ成り年かと思ふ       岐阜  鈴木 春水
喪の知らせ蛍袋は灯を細め       東京  尼崎 沙羅
弔文は恋文に似て朴の花        広島  小原三千代
故郷より蛍再びとの便り        神奈川 横地 三旦
先頭は遺影片手に御輿舁く       千葉  平山 凛語
蚕豆を剝けば弾ける青坊主       静岡  橋本 光子
蹠より夏を迎へる渚かな        神奈川 西本  萌
掛軸に風鎮を足し夏座敷        長野  池内とほる
章魚の目の長方形に哀しみを      愛知  住山 春人
相部屋で分け合ふけむり蚊遣香     東京  伊藤 真紀
身の内に影の生まるる梅雨曇      東京  竹花美代惠
昔ゐた町は迷路に梅雨の月       東京  田岡美也子
葦原を韋駄天走り驟雨くる        栃木  たなかまさこ
聖橋へ登る階段梅雨夕焼        群馬  北川 京子









星雲集作品抄

            伊藤伊那男・選

母の日や何度かけても話し中      東京  井川  敏
どくだみや白く静かに十字切る     東京  一政 輪太
銭湯の湯船にばさと菖蒲かな      広島  井上 幸三
引き抜けば匂も青し蔦若葉       長野  上野 三歩
長竿の探る川底鮎躍る         東京  上村健太郎
えごの花紙垂の如くに家囲む      長野  浦野 洋一
驟雨去り羽繕ひする河鵜かな      群馬  小野田静江
断捨離の遅々と進まぬ五月闇      東京  桂 説子
杉玉の酒蔵の街夏つばめ        埼玉  加藤 且之
赤提灯酒と一文字蚊喰鳥        長野  唐沢 冬朱
夏落葉寺の茶店の力餅         愛知  河畑 達雄
合鴨の親子は何処へ梅雨出水      石川  北出 靖彦
柚の花の香を零しつつ棘の奥      東京  北野 蓮香
熟睡の覚え無けれど明易し       東京  久保園和美
青嵐竜馬の右手何を持つ        東京  熊木 光代
姿見の我と語らふ更衣         東京  倉橋  茂
初夏の香をのせて友より文来る     群馬  黒岩伊知朗
畝続く浅間の嶺へ梅雨の月       群馬  黒岩 清子
母を追ふ小さき木曾馬夏野蹴る     愛知  黒岩 宏行
影描いて光描くなり新樹光       東京  髙坂小太郎
流木に流木絡む出水川         長野  桜井美津江
点滴に時を刻みて梅雨最中       東京  佐々木終吉
焼石の噴火の脅威夏木立        群馬  佐藤さゆり
万緑にぬりこめらるる我もまた     東京  島谷  操
牧開き仔に添ふやうに馬の母      東京  清水 旭峰
干し物の満艦飾や夏来る        千葉  清水 礼子
初蛍一番星の谷戸畷          東京  須﨑 武雄
柿若葉家紋の光る蔵の壁        東京  関根 正義
食細き父の手伸びるさくらんぼ     埼玉  其田 鯉宏
愛宕神社
若葉風出世階段駆け登る        埼玉  園部 恵夏
上水の水嵩増しぬ桜桃忌        東京  髙城 愉楽
五月闇転ばぬやうに隠居坂       福島  髙橋 双葉
郭公の声は遠くの浅間晴        埼玉  武井 康弘
点鬼簿の叙事詩始まる盆座敷       大阪  田中 葵
水芭蕉胸焦がした日鮮やかに       栃木  田中 桂子
砂浜の白靴の先少し濡れ        東京  田中 真美
つくばひに雨確かむる蓮見どき     長野  戸田 円三
ふるさとを吹いてゐるらし草の笛    埼玉  内藤  明
梅雨寒やベルツの像の髭濡れて     群馬  中島みつる
青空を田毎に写す代田かな       神奈川 長濱 泰子
紫陽花の緑に開き白に咲く       京都  仁井田麻利子
簓鳴る三社祭の神楽殿         東京  西  照雄
芍薬のしをるる様も妖艶に       宮城  西岡 博子
夏館海を見下ろす風見鶏        東京  西田有希子
宴跡吹き残したる花の塵        東京  橋本  泰
栗の花匂微かに雨烟る         神奈川 花上 佐都
折りたたみ傘閉ぢるごと蚊喰鳥     長野  馬場みち子
虎が雨愛宕の山に男坂         千葉  針田 達行
足漕ぎのスワン笑むまま梅雨出水    神奈川 日山 典子
桐の花白雲大きく旋回す        千葉  平野 梗華
咲き誇る時より余花のいとほしさ    長野  藤井 法子
阿蘇の牛食み続けゐる夏野かな     福岡  藤田 雅規
庭一面花かたばみに占めらるる     東京  牧野 睦子
青鷺の絵かと見紛ふほど静か      東京  幕内美智子
ラムネ玉青き記憶を思ひ出し      東京  松井はつ子
大鯉の泡一つ吐く初伏かな       埼玉  水野 加代
地に落ちて逃げ足速き毛虫かな     愛知  箕浦甫佐子
横町の酒と十薬夜を匂ふ        東京  宮下 研児
退院の夫は新茶の香の中に       宮城  村上セイ子
一合の酒に酔ひけり星祭        東京  家治 祥夫
五月病と係りの無き齢なり       神奈川 山田 丹晴
真夜中に目覚めひとりの蛍籠      静岡  山室 樹一
日時計の針にたはむる夏の蝶      群馬  横沢 宇内
都電過ぐ四葩の花とおはぎ屋と     神奈川 横山 渓泉
富士塚に登る足下蟻地獄        千葉  吉田 正克
飛石の形さまざま鳥交る        山形  我妻 一男
父の日の何もいらぬと強がりを     東京  若林 若干
法事みなきれいに老けて青楓      東京  渡辺 誠子




















星雲集 今月の秀句

伊藤伊那男

夜店の灯不意に途切れて引き返す     北原美枝子
 子供の頃、鎮守の杜の祭に出る夜店は不思議な世界であった。灯火に使うアセチレンガスの特有な臭が漂い、暗闇の中でそこだけが明るい。でもその明るさも突然途切れて奈落の闇となる。そのあっけ無さが出ているのが面白いところだ。同時出句の〈鮎食むや背に川音流しつつ〉も端正な詠みぶりである。


青梅を数へ成り年かと思ふ        鈴木 春水
 梅は花を楽しんだ上で、その果実も有益な一石二鳥の果樹である。私も毎年梅干を作っているので五月末位の入荷が気になるものだ。この句の梅は自家の梅の木なのであろう。成り年かどうかが解るのである。そんなところを淡々と詠んだのがいい。


 

喪の知らせ蛍袋は灯を細め        尼崎 沙羅
死者を悼む気持が「灯を細め」に投影しているようだ。蛍袋という植物が光の調節をするはずは無いのだが、そう言わずにはいられないのであろう。無理なく読み手の心にも投影する主観句である。


 

弔文は恋文に似て朴の花         小原三千代
言われてみれば二つ共似ているようである。弔文はまさに生涯に一度だけの、最後の最後の恋文であるといってよいかもしれない。取合せの季語、朴の花の白さと、合掌をしたような形が合っているようだ。


 

故郷より蛍再びとの便り         横地 三旦
私の郷里伊那谷でも蛍は身近な存在であったが、昭和三十年代半ばの高度成長期辺りから急激に減少していった記憶がある。今全国的に知られるようになった辰野町の蛍も、一時期ほぼ絶滅したものを復活させたのである。あちこちからそんな便りが来るのは嬉しいものだ。


 

 先頭は遺影片手に御輿舁く       平山 凛語
こんな様子を私も見たことがある。祭好きの町内の旦那、きっと神社や祭の維持に貢献した人なのであろう。亡くなったあとの祭に何としても参加させてやりたいという身内や友人達の思いの深さである。 


 

蚕豆を剝けば弾ける青坊主        橋本 光子
「青坊主」は作者の造語であろうか。蚕豆の莢から飛び出す様子を「青坊主」という表現は面白いし、実感がある。剝いたときの独得の青臭さも捉えていて実感がある。こういう独自の表現も時として成功するものだ。


 

蹠より夏を迎へる渚かな         西本  萌
跣で砂浜を歩くとその熱量から夏の到来を実感できるのであろう。足の裏から季節の変化を感じ取るという発想と感覚がいい。


 

掛軸に風鎮を足し夏座敷         池内とほる
夏座敷であるから障子戸なども全部開いて風を通す。強い風が入ると床の間の掛軸が大きく揺れる。これを抑える為に重しとなる風鎮を更に重くするのである。夏座敷の中の、人が見逃していたところをしっかりと捉えている。 


 

章魚の目の長方形に哀しみを       住山 春人
私の経験で言うと生きた蛸(章魚)を料理するのは苦手であった。塩を揉み込んで軟らかくするという作業もさることながら、蛸の目は怖いのである。烏賊の目とも似ているが何故かもっと恐いのである。西洋ではデビルフィッシュとも呼ばれていたという。ただしこの句ではその長方形の目が哀しいという。そのような見方もあったか。ともかく独得の目に着目したところがいい。 


 

相部屋で分け合ふけむり蚊遣香      伊藤 真紀
 団塊の世代の我々は四畳半の下宿で相部屋と聞いても驚かない。そんな時代であった。網戸なども無かったから蚊遣火が頼りになる。「分け合ふ」が若き日への郷愁を感じさせるのである。


 

身の内に影の生まるる梅雨曇       竹花美代惠
梅雨という湿度の高く、薄暗い気象現象を、人間の身体に持ち込んだのがこの句の手柄である。人間に与える影響を身体の中に「影の生まるる」と詠んだのは独得の感性である。


 

昔ゐた町は迷路に梅雨の月        田岡美也子
私事だが、指折り数えてみると上京以来九ヶ所を転居している。時に旧居辺りを通ることがあるが、まさにこの句のように「迷路」である。道だけでなく思い出までも‥‥。梅雨の月の朦朧さがこの句の情感を高めているようだ。























伊那男俳句


伊那男俳句 自句自解(104)       
     
生家売るは棄教のごとし鳥雲に

 私の生まれ育った長野県駒ヶ根市の家は父母の死後、遠い親戚に貸していたが、その内に買取りたいとの申し入れがあった。兄から、将来私が住むとか時々使うなら残しておくが、どうする? との問合せがあり、売却に同意した。父はもともと天竜川を渡った赤石山脈側の集落の出身で、東京で勤務医をしていたが、終戦後母の実家のある駒ヶ根市で耳鼻咽喉科を開業したのであった。家は一度建て直しているが、前面が医院の棟で、中庭を挟んで奥が住居。渡り廊下で往き来していた。父は生家を弟に託して町に出てきた人であり、私達兄弟も生家を手離すのにわだかまりは無かった。根無し草の系統である。とはいえやはり淋しさはあるもので、その後帰省の折などに時々様子を見に行ったものだ。句の「棄教のごとし」は大袈裟な表現ではあるが、育った家を売るというのは、産土の地を離れる「流離」とも少し違って、「罪」のようなものを感じるところがあるものだ。

鳴くたびに泥吐いてゐる田螺かな

 信州伊那谷は、蜂の子、ざざ虫、蚕のさなぎなどを食べる独得の習慣があり、他所から下手物喰いと嫌がられるが、田螺を食べる習慣は無かった記憶がある。私が田螺を食べたのは山梨県であった。瑞牆(みずがき)山へ登山することになり、前夜、同行する友人の夫人の実家に泊めて戴いた。翌日の朝食の味噌汁の具が田螺だった。聞けば横の小川にいるのだという。何とも素朴で新鮮な驚きであった。その後今日に到るまで、一度も食べていない。というのは盤水先生と田螺の話をしたことがあるが、先生に「伊那男さん、ああいう食べないほうがいいですよ」と言われたことが頭に残っているからである。先生は海の幸が豊富ないわき市の育ちであるから泥の中に棲む田螺を食べる必要は無かったのである。それに先生は下手物には一切手を出さない人であった。ちなみに『皆川盤水全句集』を繙いてみたが「田螺」に関する句は一句も見当たらないのである。












   


 



俳人協会四賞・受賞式





更新で5秒後、再度スライドします。全14枚。







リンクします。

aishi etc
        












銀漢の絵はがき


挿絵が絵葉書になりました。
Aシリーズ 8枚組・Bシリーズ8枚組
8枚一組 1,000円

ごあいさつにご利用下さい。






















掲示板


















               
 
     

「銀漢」季語別俳句集




拡大します。
銀漢季語別俳句集
待望の『季語別俳句集』が3月に刊行されました。









主宰日録  

  

6月

6月16日(日)
新宿発高速バスにて昼前、富士急ハイランド。高部氏の迎えを受け、吉田うどんの昼食。河口湖の別荘へ。いつもの別棟を借用。エッセイの纏めなど。18時半、伊料理の「リチェッタ」に案内して戴く。いつもながら洒落た料理。戻って歓談。ウイスキーを少々舐める。23時就寝。


6月17日(月)
5時起。鳥の声がいい。7時、ベランダで朝食。高部務氏はゴルフへ。庭の青山椒が今年は豊作。ずい分摘んで下処理。読書。富士急ハイランドの和食レストラン。戻ってウイスキー少々で歓談。23時就寝。

6月18日(火)
7時起。手荒な雨。10時、富士山駅まで送って貰う。高速バスにて帰宅15時。梅1003㌔の水が出来上がり、赤紫蘇を入れる。実に美しい発色!

6月19日(水)
NY在住の月野ぽぽなさんの夫君、木川貴幸氏のピアノリサイタル。青山の「スタインウェイ&サンズ東京」。ぽぽなさんは伊那北高校の後輩。夫君は諏訪清陵高校。

6月21日(金)
娘が映画『オペラ座の怪人』(リバイバル)がいいというので、「109シネマズ二子玉川」へ。見応えあり。

6月22日(土)
11時、日本橋「日本料理 吉」、「纏句会」13人。15時帰宅。

6月23日(日)
終日机辺。「銀漢」8月号の選句。数句会の選句。エッセイなど。メロン佳。

6月27日(木)
岩野歯科。虫歯の治療。夜、薬味たっぷりの鰹の叩き、蒸し茄子など。西瓜、さくらんぼ佳。

6月28日(金)
いよいよ本格的な梅雨か。「彗星集」選評書いて8月号の執筆全部終了。肩の荷が降りる。今日から10回目の抗癌剤服用。

6月29日(土)
17時、「京王プラザホテル」の「コンコードボールルーム」。小川軽舟主宰「鷹」の「創刊60周年記念祝賀会」。来賓70名ほど。全体で300人位?か。大宴会。櫂未知子、藤本美和子さんと臨席。久々、大塚凱君と会う(店のアルバイトをして貰っていた)。

6月30日(日)
「第33回 信州伊那井月俳句大会」の選(応募1,563句)、伊那市へ送る。午後、北村監督の事務所へ井蛙さんと合流。平澤さんを交えて「信州伊那井月俳句大会」の今後の運営についての話し合い。

7月

7月2日(火)
ここ数ヶ月をかけて、関東戦国時代の城跡40城とその時代の歴史についてほぼ一冊分の文章をまとめたものを編集者のIさんに託す。果たして本に成るかどうかは全く不明ながら、自分の中では一区切りを付ける。「魚勝」で小酌。但し私はお茶漬など。

7月3日(水)
昼、発行所にて運営委員会。諸経費高騰が始まっており、来年の資金繰りはかなり厳しい見通し。

下北沢の「星乃屋珈琲」。「NHK俳句」編集部の浦川聡子さんと「復活開店『銀漢亭』秋の野菜編」の構成他、最終打合せ。あと、銀細工の店をやっている甥(姉の長男)を訪ねて近況報告。姉も元気と。

7月5日(金)
「銀漢8月号の校正作業。武田氏へ投函。数句会の選句。午後、順天堂医院でCT検査。今日は泌尿器科。尿管結石は消滅していると。薬で流れた様子にて一安心。

7月6日(土)
10時、整体の加々美先生。作句(3句会分の構想)。

7月7日(日)
75歳の誕生日に辿り着いた事に感謝。暑い日。2品ほどの料理作り、午後、日暮里の「夕焼け酒場」で「銀漢亭の日  
伊那男生誕祭」。とにかく暑い最中、30数名が集まって下さる。八戸の吉田千嘉子さんも。清人さんの気仙沼の海産物、井蛙さんのヴーヴクリコ二本、その他皆様から数々の差し入れあり。また、突然、清水旭峰医師が来られ、大きな花束を下さる、感謝! 3句出しの句会。嬉しい誕生日を過す。

7月8日(月)
「銀漢」9月号のエッセイ(大文字の送り火)、自句自解他、執筆。暑い日。終日家。

7月9日(火)
岩野歯科。治療。今日も暑い日。夜、「天為」発行所にて「火の会」11人。今日は弁当持ち寄り。獅子唐とじゃこ炒めの手料理持参。

7月10日(水)
暑さのせいか、気圧のせいか、終日気怠く、集中力保てず、ぐずぐずと過す。

7月11日(木)
体調戻る。小学館「三丁目の夕日」のエッセイ2回分執筆し、伊藤政さんに送る(汀女、子規)。桃旨い。Kさんの句集稿点検を始める。

7月12日(金)
午後、表参道。高坂小太郎さんの3年振りの絵画展。旺盛な創作欲に驚嘆。中では「函谷鉾」「黒鱒」の絵が印象深い。

 7月13日(土)、14日(日)
Kさんの句集稿選句。「銀漢」夏の俳句大会の選句(応募408句)、「本部句会」の選他。素麵、トマト、メロンなどが旨い。

7月15日(月)
このところ時間があると、今村翔吾、本郷和人、磯田道史氏のエッセイなどを読み返している。

7月16日(火)
朝から順天堂医院。採血。齋浦先生との面談。検査結果は問題なし、順調と。今日は、薬局の手続きも早く、成城に戻って町中華店で冷麵食す。買い物をして帰宅。

7月17日(水)
数句会の選句。「俳壇」より9月号の巻頭10句が締切過ぎた未着と。すっかり失念していた。急ぎ10句送る。

7月18日(木)
10時、田町の専売会館にて「三田俳句丘の会」。午前中は運営委員会。午後は句会。夜、麴町にて「銀漢句会」。あと納涼懇親会。

 7月19日(金)
今日から11回目の抗癌剤服用。「俳句てふてふ」の「俳句万華鏡」に食べ物エッセイ投函(新蕎麦・鰻)。麩の鍋(山形の麩、新潟の車麩、宮城の油)。

7月20日(土)
11時半、土呂駅。大野田さんの迎えを受け、蕎麦の「きくち」にて三色蕎麦の昼食の馳走を受ける。13時、盆栽村の和室にて「彩の国句会」(伊藤庄平さん座長)。席題が2つ出て、計7句出句の句会。丁寧な句会、合評など。あと「藍屋」にて親睦会。猛烈に暑い日。久々にお会いする方もあり、楽しい1日。

7月21日(日)
7時45分、新宿バスタ発高速バスにて身延山久遠寺へ。20代の頃訪ねた記憶がぼんやりある。酷暑の中、本堂への約300段の石段の登り降りはなかなかのもの。あと、日蓮上人の御廟所、御草庵跡を巡る。バスと身延線を繫いで下部温泉へ。30年前の大腸癌手術のあと湯治に来て以来。「古湯坊 源泉館」。直前の予約だったので本館は満員で湯治棟に一部屋空きありとて、四畳半のやや寂しい部屋。学生時代の下宿を思い出す。14時半から17時まで、湯に浸る。夕食後、また1時間、入浴。

 7月22日(月)
昨夜は23時頃就寝。今朝5時起床。夜中に一度もトイレに起きなかったのは久々のこと。朝風呂1時間半、体重57㌔は少々落ち過ぎ。一眠りして10時から2時間、入浴。昼食後、昼寝。宿に来た八百屋から桃とトマトを分けて貰う。甲府は気温38度と。15時から17時までまた湯に浸る。夕食後1時間入浴。





     
 
















         
    






今月の季節の写真/花の歳時記




2024/9/26撮影   ヤナギハナガサ   HACHIOJI

 

 





花言葉   「幸運に」


△ヤナギハナガサ(三尺バーベナ)
ヤナギハナガサ(三尺バーベナ)は初夏から秋まで長い期間たくさんの花を咲かせるクマツヅラ科の多年草。ヤナギハナガサの名前は、葉がヤナギのように細長いことに由来しています。現在ではたくさんの苗が流通していますが、最初に日本で確認されたのは1940年代後半ごろの東海地方です。非常に丈夫で繁殖力が強いため、特定外来生物には指定されていませんが、「将来の生態系に被害を及ぼす恐れがある外来種」の中に入っている植物です。




センニンソウ 酔芙蓉 酔芙蓉 秋海棠 タマスダレ
パンパスグラス ムラサキゴテン 葛の花 ボタンクサギ 曼珠沙華
オモダカ 案山子 釣舟草 ヤナギハナガサ










写真は4~5日間隔で掲載しています。 


20224/9/26









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