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 10月号  2024年


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銀漢季語別俳句集


伊藤伊那男作品


主宰の8句




     


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今月の目次












銀漢俳句会/2024/10月号











   
















   

 

銀漢の俳句 

伊藤伊那男 

◎下部温泉に浸って

 40代に大腸癌の手術を受けた時以来、30年振りに山梨県の下部温泉を訪ねた。
 湯は湯船の岩盤の下から割れ目伝いに沸き上ってくる、30度位の冷泉である。訪ねた日は午前中に身延山久遠寺に参拝して午後二時宿に入った。早速2時間半湯に浸った。夕食後も1時間。2日目に朝、1時間半、朝食後一眠りしたあと2時間、午後2時間、夜1時間。3日目は朝1時間、朝食後1時間半浸り、11時に宿を後にした。結局2泊3日で8回、計12時間半浸ったのであった。
 山梨県には信玄の隠し湯と呼ばれるものが10ヶ所ほどある。そのおおよそは金山開発の副産物として湧出したり発見されたもののようである。甲斐一国の石高はおよそ二十二万石、信長の尾張は五十七万石あり、物量の背景からみても信玄に勝ち目は無い。これを補うために金山開発に注力し、甲州金を産出して軍資金に充てたのである。金を掘り尽くして今、温泉だけが残っている。前述した身延山久遠寺は日蓮宗の聖地の一つである。日蓮は晩年ここに庵を結んだ。9年後病を得た日蓮は療養のため身延を出て武蔵国荏原の弟子、池上兄弟の館に辿り着き、1月足らずで入寂した。これが日蓮宗の聖地の一つ池上本門寺である。
 話は飛ぶが、思い出したことがある。過日青森県八戸市の(えんぶり)/えんぶを見に行った折、根城(ねじょう)という城跡に寄った。そこに身延山久遠寺から移された枝垂桜が植えられていた。その由縁は、根城を築いた南部氏が元々甲州身延周辺の領主であったことに依るという。南部氏は鎌倉幕府の御家人で、日蓮に帰依していた。日蓮は国の先行きを憂いて法華経での救国を幕府に再三進言したが受け入れられず、南部実長の招きで身延山に隠棲したのであった。文永11年(1274)のことである。時を経て鎌倉幕府が倒れた翌年の建武元年(1334)、南部師行は南朝方の北畠親房に就き、八戸に進出、陸奥の地の南朝の根っ子として、根城を築いたのであった。その後、根城の南部氏は三戸(さんのへ)を拠点とした支流の南部氏に呑み込まれた。三戸南部氏は豊臣秀吉の信任を得て盛岡城主となり、幕末まで続く。八戸南部氏は根城から遠野へ移された。戦国の世の習いであるが、その後廃城となった根城に身延山に縁を持つ枝垂れ桜が花開いているのは感慨深いものがある。
 さて下部の湯は冷たいけれど入っているとじわじわと体の芯まで解れてくるようだ。何の成分なのか細かな気泡が身体を包み込む。時々温かな湯にも浸りまた戻る。何度入っても飽きることが無い。極楽の湯である。

   
裸子をひつさげ歩く温泉()   高濱虚子










 



  

盤水俳句・今月の一句

伊藤伊那男 


みちのくの噴湯を高く帰燕かな      皆川 盤水


 
私事だが四十代の頃度々東北地方の山に登り山峽の温泉に浸った。自炊をしながら逗留する湯治温泉がいくつもあった。ガスの使用料が五十円、鍋が二十円とかで貸出しもしてくれる。農作業を終えた人々が骨休めをする本来の湯治場がまだ残っていたものだ。この句は宮城県鳴子温泉郷の間歇泉で知られる鬼首温泉での嘱目。噴湯の上を燕の群が南へ帰っていく。「噴湯を高く」が眼目で帰燕の空の高さも解る。しみじみとした陸奥の秋である。(平成六年作『曉紅』所収)









 




彗星集作品抄
  伊藤伊那男・選

 涙まだ知らぬハンカチ売られけり       深津  博
 父と子の会話短き帰省かな          中山 桐里
 おのおのの水音を腰に鮎を釣る        たなかまさこ
 蚊遣香一夜の夢を守るべし          大沼まり子
 ハンモック羽化する前の深眠り        白井八十八
 陶枕の胡蝶の誘ふ桃源郷           塚本 一夫
 夏潮や簎の通電確かむる           小野寺清人
 三伏や百草丸を十粒ほど           中山  中
 出航へ手渡しで積む西瓜かな         小野寺清人
 必衰といへど明るし沙羅の花         堀江 美州
 真打のすぐ脱ぐための夏羽織         川島  紬
 羅のひと夕闇の匂して            武井まゆみ
 海原に月影を漉く十三夜           高橋 透水
 瞑目のためのまなぶた夕端居         本庄 康代
 争ひつづく鉄砲百合も咲きつづく       堀切 克洋
 囚はれし絵島にも似て水中花         堀江 美州
 壺に挿す鉄砲百合の我に向く         市川 蘆舟
 拭き跡の残る眼鏡や朝曇           保田 貴子
 歌垣の山を映して田水湧く          針田 達行
 明星へ一歩身を寄せ夕端居          谷岡 健彦 











 


 







    
     

彗星集 選評 伊藤伊那男

伊藤伊那男・選

涙まだ知らぬハンカチ売られけり     深津  博
私の若い頃の流行歌「木綿のハンカチーフ」を思い出す句だ。歌手は太田裕美さん。歌の最後は「あなた 最後のわがまま 贈り物をねだるわ ねえ 涙拭く 木綿の ハンカチーフ下さい ハンカチーフ下さい」というもの。都会へ出る若者と、残された若者の広がってゆく心のずれ、あきらめ……当時の自分の思い出にも重なるものであった。この句は決してこの歌を土台にしているわけではない。もっと普遍性を持っているようだ。ハンカチは涙を拭うためのものだ、と決めた強引なところがいいのだ。きちんとしたテーマを持った名作である。 


父と子の会話短き帰省かな        中山 桐里
 私の父は開業医で実に忙しい人であった。尊敬する存在であったが、極めて寡黙な人でもあったので、会話の糸口が見当たらず、二人だけになると困惑した思い出がある。特に電車に乗って向かい合って座った時などは絶望的な気持になったものである。そんなことを懐かしく思い出させてくれる句であった。大人になってから考えると父は子供にも命令することのできない、気の弱い人だったように思われる。お互いの気持が行き違う時期であった。


おのおのの水音を腰に鮎を釣る      たなかまさこ
鮎釣りは囮鮎を使うことや、川の中下流が漁場であることから、川の中に浸って一所から動かない釣り方が多いようである。胸まである胴長を着て、遠くから見ると泰然と立っているように見える。各々の釣り師が水の抵抗を腰に受けて黙々と竿を扱っている様子を詠み取っている。「水音を腰に」の情景の把握が的確である。


蚊遣香一夜の夢を守るべし        大沼まり子
ほぼ当り前のことを言っているのだが、下五の「守るべし」の命令形によって俄然生きてきた句である。表現の勝利ということになろうか。「蚊遣火よこの一夜の夢を守ることがお前の使命である」と命令していることが味わい。「守るべく(く にルビの・)」という作り方もあるが断然「守るべし(し にルビの・)」がいい。蚊取線香に火を付ける時の呪文に使いたい句である。 


 
ハンモック羽化する前の深眠り      白井八十八
ハンモックは楽しいものだ。夢がある。この句はハンモックの網が蚕を包む繭のような役割をしていて、目が覚める時は羽化するときだ……というのである。 


陶枕の胡蝶の誘ふ桃源郷         塚本 一夫
陶枕を手に入れて使ったことがある。当然な.がら堅くて、寝相の悪い私には全く合わないものであった。盧生一炊の夢という話がある。多分陶枕で人生一代の夢を見たのである。この句は絵柄の胡蝶が桃源郷へ誘ったという。もう一度陶枕を試してみようかな、と思った句である。 
 

夏潮や簎の通電確かむる         小野寺清人
 素潜り漁の始まりか。珍しい一景。


三伏や百草丸を十粒ほど         中山  中
 御嶽山修行の妙薬。私の机上にも常備している。


出航へ手渡しで積む西瓜かな       小野寺清人
 離島への出荷か。「手渡し」がいかにも西瓜である。


必衰といへど明るし沙羅の花       堀江 美州
 沙羅双樹と間違えられている夏椿。奇妙な程の明るさ。


真打のすぐ脱ぐための夏羽織       川島  紬
落語の寄席の一景。「すぐ脱ぐための」が夏らしい。 


羅のひと夕闇の匂して          武井まゆみ
「羅」が効いて幻想的な雰囲気を醸し出した。 


海原に月影を漉く十三夜         高橋 透水
 欠けたところを愛でる十三夜。「月影を漉く」がうまい。


瞑目のためのまなぶた夕端居       本庄 康代
 縁側のあった家が懐かしい。こんなひと時を持ちたい。


争ひつづく鉄砲百合も咲きつづく     堀切 克洋
  「鉄砲」という言葉をうまく使った。いい時事俳句。


囚はれし絵島にも似て水中花       堀江 美州
 信州高遠に三十年囚われた絵島……確かに水中花だ。


壺に挿す鉄砲百合の我に向く       市川 蘆舟
  「鉄砲」という言葉が植物を離れて異物となる。


拭き跡の残る眼鏡や朝曇         保田 貴子
 朝曇の雰囲気を具体的に描いた繊細な句。上手だ。


歌垣の山を映して田水湧く        針田 達行
 類想はあるかもしれないが綺麗な仕上りである。


明星へ一歩身を寄せ夕端居        谷岡 健彦
 更に一歩端に寄った感じが面白い。

















 







銀河集作品抄

伊藤伊那男・選

禅院は遊山許さず五月闇        東京  飯田眞理子
一つ二つやがて歓喜の蛍狩       静岡  唐沢 静男
沙羅双樹散つてひと日の花と知る    群馬  柴山つぐ子
紅白の深空の山廬青梅に        東京  杉阪 大和
はんざきのなほ生くる身の独り言    東京  武田 花果
八十年の生命継ぎし敗戦忌       東京  武田 禪次
長湯の頭丸太にあづけ河鹿聞く     埼玉  多田 美記
父の日や遺影へならば言へる謝辞    東京  谷岡 健彦
川床に一過の雨も貴船なれ       神奈川 谷口いづみ
農小屋に油の臭ひ走り梅雨       長野  萩原 空木
雨音を秒針として時計草        東京  堀切 克洋
抱卵の鳰の浮巣に舟の波        東京  松川 洋酔
本抜きし書架のうつろや梅雨寒し    東京  三代川次郎



















         





綺羅星集作品抄

            伊藤伊那男・選

垂直に人の立ちたる鮎の川       東京   武井まゆみ
羅を透き通りたる幸不幸        東京   塚本 一夫
病歴は生きてる証花南天        東京   中込 精二
誰一人読めぬ掛物夏座敷        東京   中野 智子
奈良に来て柿の葉鮓を旅はじめ     東京   中村 孝哲
腹割いて寄り目となれる鰺を干す    埼玉   中村 宗男
炎昼の庭石がまん強きかな       東京   松代 展枝
無くなりし町名の文字古団扇      埼玉   森濱 直之
遠雷に戦く卓のグラスかな       東京   小林 美樹
青林檎ペンフレンドの住みし町     千葉   白井 飛露
大顔の昭和のスタア夏の月       愛知   荻野ゆ佑子
炎天やカフスボタンが重すぎる     愛知   山口 輝久
山国の神の小言か青山椒        東京   福永 新祇
喫茶店徐々に日除を伸ばす午後     ムンバイ 辻本 芙紗
短夜や滅びの章へ人類史        千葉   長井  哲
大利根の幅を見せたる出水かな     茨城   中村 湖童
山開神官沓に履きかへて        東京   大溝 妙子

天牛や裸電球吊る屋台         東京   飛鳥  蘭
濁流の爪痕のまま夏来り        東京   有澤 志峯
早苗饗や根曲り竹は鯖缶と       神奈川  有賀  理
絶え間なき行者の唱へ御戸開      東京   飯田 子貢
田植十日立ち直る苗起きぬ苗      山形   生田  武
泣き癖の風鈴の舌啄木歌        埼玉   池田 桐人
百合の香にむせて仏間を開け放つ    東京   市川 蘆舟
ジンに透く止り木の端の熱帯魚     埼玉   伊藤 庄平
どこからもよく見えてゐる金魚鉢    東京   伊藤  政
古書棚の真ん中撓ふ梅雨じめり     神奈川  伊東  岬
その壁に隠し金庫も夏館        東京   今井  麦
蜘蛛の囲や雨後の光を閉ぢこめて    埼玉   今村 昌史
鉄橋は高みを繫ぎ雲の峰        東京   上田  裕
山開巨石の神に触れながら       東京   宇志やまと
麦秋や一軒きりの秩父鍛冶       埼玉   大澤 静子
色褪せし火伏せの護符や登山宿     神奈川  大田 勝行
思ひ出を解いては畳み更衣       東京   大沼まり子
恋蛍あれは真砂女か寂聴か       神奈川  大野 里詩
井月句碑洗うて余す夕立かな      埼玉   大野田井蛙
地玉子の殻真二つ梅雨兆す       東京   大山かげもと
鶏鳴の慌てたるかに明易き       東京   岡城ひとみ
六月の紅茶の底の砂糖かな       宮城   小田島 渚
百日紅継ぐ者のなき島の寺       宮城   小野寺一砂
南風吹く千葉県民の日なりけり     埼玉   小野寺清人
頼りがひある樹に頼むハンモック    和歌山  笠原 祐子
白縮雪に耐へたる軽さかな       東京   梶山かおり
あぢさゐと言ひて舌先嚙みにけり    愛媛   片山 一行
綿菓子はいつも夜店の入口に      静岡   金井 硯児
浴衣帯男結びに谷中かな        東京   我部 敬子
青梅の転がつてゐる吉良屋敷      東京   川島秋葉男
草を刈る一軒宿の湯守かな       千葉   川島  紬
大歌舞伎はねて銀座の炎昼へ      神奈川  河村  啓
蟷螂の大鎌むなし鳥の前        愛知   北浦 正弘
ひと匙をさらに加へる砂糖水      長野   北澤 一伯
明易し山の名の付く酒空けて      東京   絹田  稜
空梅雨や田毎日毎の罅の数       東京   柊原 洋征
あぢさゐの昨日は忘れ今日の色     東京   朽木  直
重き腰上ぐるためとて置く団扇     東京   畔柳 海村
降り出して葦の騒げる浮巣かな     東京   小泉 良子
遠雷にはじまる空の亀裂かな      神奈川  こしだまほ
居酒屋の音の大きな扇風機       千葉   小森みゆき
広重の雨は直線さみだるる       東京   小山 蓮子
「ゆ」の煙突消え虚ろなる遠花火    宮城   齊藤 克之
潮風に溺れてゐたる貝風鈴       青森   榊 せい子
山水に浸して歪むラムネ瓶       長崎   坂口 晴子
三伏の門にべたべた千社札       長野   坂下  昭
水中花ときどき泡の吐息らし      群馬   佐藤 栄子
いくつかの傷のありけり青林檎     群馬   佐藤かずえ
山巓の土零し解く登山靴        長野   三溝 恵子
片側は絶壁となるかき氷        東京   島  織布
富士塚の古老の並ぶ山開        東京   島谷 高水
夕立や仁王眼下の雨やどり       兵庫   清水佳壽美
首振れば高音となりぬ祭笛       東京   清水 史恵
日盛の己が影避けよろめきぬ      東京   清水美保子
青林檎千曲の川のさざれ石       埼玉   志村  昌
きぬぎぬの別れつれなき竹婦人     神奈川  白井八十八
祢宜の沓立て掛けてある梅雨晴間    東京   白濱 武子
下北沢
変貌に迷ひて訪ね新茶の香       東京   新谷 房子
祭太鼓雨の予報を吹き飛ばす      大阪   末永理恵子
暮れてなほ窓に都会の熱風来      東京   鈴木 淳子
代参の大山詣で梅雨晴間        東京   鈴木てる緒
梅雨の道竹ことごとく辞儀しをり    群馬   鈴木踏青子
大雨過ぎ鮎の川瀬の濁りなほ      東京   角 佐穂子
白玉や会話途切れて匙の上       千葉   園部あづき
日に干され軽くなりたる竹婦人     神奈川  曽谷 晴子
人見知りして五分咲きの水中花     長野   髙橋 初風
酒蔵の表通りや夏暖簾         東京   高橋 透水
彼のひとと同じ香水行き過ぎし     東京   竹内 洋平
冷蔵庫付箋の数は増え続け       神奈川  田嶋 壺中
羽搏きの揺れを残せる浮巣かな     東京   多田 悦子
玉虫の死んでも光る永久の色      東京   田中 敬子
銭亀の逃ぐる手足の早きこと      東京   田中  道
大鯉の吞みこんでゐる雲の峰      東京   田家 正好
泊火もけぶる湖北の走り梅雨      東京   辻  隆夫
千切れ雲虹のかけらを映しをり     東京   辻本 理恵
その底に静かな阿修羅蟻地獄      愛知   津田  卓
草書から楷書に違へ夏座敷       東京   坪井 研治
色ほどに味の違はぬ氷水        埼玉   戸矢 一斗
梅筵卒塔婆小町の茣蓙かとも      大阪   中島 凌雲
土用波舳先に富士を吊り上げて     神奈川  中野 堯司
梔子の白の衰へ夕さりぬ        東京   中村 藍人
三伏の煎餅布団焦げにけり       長野   中山  中
今年また桐咲き父の忌日の来      千葉   中山 桐里
葉擦れにも驚きやすき鹿の子かな    大阪   西田 鏡子
扇ぐたび蘇州の香る扇子かな      埼玉   萩原 陽里
揚舟に魚の跳ねたる出水あと      東京   橋野 幸彦
風鈴の夜風に鳴りぬ七七日       広島   長谷川明子
微笑みと一心同体さくらんぼ      東京   長谷川千何子
卯波越え渡船は沖の一文字へ      兵庫   播广 義春
入魂の一点一画形代書く        埼玉   半田けい子
懸命に形ありけり毛虫這ふ       埼玉   深津  博
まな板の傷干す梅雨の晴間かな     東京   福原  紅
夏休みテラスの椅子を車座に      東京   星野 淑子
連なれる比良山はるか鳰浮巣      岐阜   堀江 美州
旅ごころ風に託して夕端居       埼玉   本庄 康代
明易の夢に鬼籍の面々と        東京   松浦 宗克
長居詫び友帰りけり釣忍        神奈川  三井 康有
愛憎の薄つぺらなり立版古       神奈川  宮本起代子
遠花火郷愁と云ふ程でなし       東京   村田 郁子
夜店の灯鶴飛び立つか飴細工      東京   村田 重子
明易や一日はまだ下ろしたて      東京   森 羽久衣
じよんがらの撥の激しさ青林檎     千葉   森崎 森平
ひとまはり大きくなりて跣来る     長野   守屋  明
芦ノ湖に蓋をするかに朝曇       東京   保田 貴子
捨て切れぬ性と折り合ひ更衣      東京   矢野 安美
木道の足音に跳ぶ青蛙         群馬   山﨑ちづ子
日の本の祈りの形皐月富士       東京   山下 美佐
かき氷はや原色の舌の色        東京   山田  茜
父よりも叔父の面影サングラス     東京   山元 正規
蓮の葉に座せば仏よ雨蛙        東京   渡辺 花穂
茶摘女の一芯二葉一番茶        埼玉   渡辺 志水




















     





銀河集・綺羅星今月の秀句


伊藤伊那男・選


垂直に人の立ちたる鮎の川        武井まゆみ
 遠景の鮎の川である。「垂直に人の立ちたる」というそっけない表現がいい。岩魚釣りなどでは川幅も狭く動きも様々となる。この句はまさに鮎の川に他ならない表現。


羅を透き通りたる幸不幸         塚本 一夫
羅なので身体の輪郭が見えるかというとそうではなく、「幸不幸」が透けて見えるという。この着想は見事である。羅の句として歳時記に載せてよい仕上がりではなかろうか。「物」を詠みながら人間の内面に食い込んでいる。


病歴は生きてる証花南天         中込 精二
 確かに病歴があるということはまだ生きている証だ。私の病歴はというと大腸癌、盲腸破裂、胆管癌で、いくつもの切り傷を持つ。この句、取合せの「花南天」が効いているかどうか。理屈が入ってしまうけれど、厄除けの南天(難転)というところから私は納得しているところである。


誰一人読めぬ掛物夏座敷         中野 智子
 こんなことがよくある。問う機会を失って、わだかまりの消えないまま座敷を辞去する。開放的な夏座敷だからこそ面白く感じられるように思う。同時出句の〈夏来る回転ドアの向かうから〉は溌溂とした気持良い詠みぶりである。


奈良に来て柿の葉鮓を旅はじめ      中村 孝哲
 柿の葉鮓は吉野の名物。塩漬の鯖や鮭を薄切りにして飯と共に柿の葉に包んだもので、熟れ鮓の名残がある。やはりこの地で食べるのが一番だ。「旅はじめ」がいい。昔は濃い塩漬だったので薄切りにしたのだろうが、今も包む魚が薄いことが私は残念である。


腹割いて寄り目となれる鰺を干す     中村 宗男
 確かに鰺の開きは目と目の間が狭く感じられるようだ。この句を見て初めて気が付いたのであり、この作者が発見者である。こういう日常生活の中で新しい発見をする好奇心が俳句にとって最も必要なものである。


炎昼の庭石がまん強きかな        松代 展枝
実に面白い句だ。自由な発想がいい。「がまん(我慢)」という言葉は人間の世界で通用するものだが、それを庭石に持ち込んで、しかも読み手を納得させてしまうのだから、手腕の高さと言ってよかろう。炎昼の庭石を見る度に思い出す句になるだろう、と思う。 


無くなりし町名の文字古団扇       森濱 直之
 少子化の影響もあり市町村合併などで古い町名が消えていく。少し前の団扇に残る町名はもう存在しないという。古団扇からそんなことが読み取れるのが面白い。ちなみに明治五年の日本の人口は約三千万であるから、その後百五十年の間に四倍に増えているのである。


遠雷に戦く卓のグラスかな        小林 美樹
子供の頃、怖いものといえば「地震・雷・火事・親父」と言った。親父の権威は地に堕ちたが、他は依然として怖い。テーブルのグラスががたがたと鳴って戦慄しているようだと擬人化しているが、実は作者自身が一番戦いている。 


青林檎ペンフレンドの住みし町      白井 飛露
 ここ数十年の間の林檎の品種改良は著しく、昔の青林檎の存在はすっかり薄れてしまったようだ。子供の頃、夏に出荷される青林檎は酸っぱくて瑞々しく鮮烈で、青春の象徴のようであった。この句のペンフレンドなどというのもすっかり過去のものである。行ったことも会ったこともない友人を想像して手紙を書いたことを懐かしく思い出した。


大顔の昭和のスタア夏の月        荻野ゆ佑子
確かに昭和の映画界には大顔で輪郭がはっきりとした名優がいたことを思い出す。市川右太衛門、長谷川一夫、三船敏郎、勝新太郎、石原裕次郎……。時代によって好みに変化が出るものだ。「夏の月」のあっけらかんとした影の無さがぴったりと合っている。


炎天やカフスボタンが重すぎる      山口 輝久
 我々の世代は真夏にも長袖のワイシャツにネクタイをしていたものだ。その頃にも夏の気温は異常な兆しがあったが、世の中の慣行を破ることは難しかったものだ。句にあるカフスボタンは決して重いものではないが、重く感じるというところが非凡な感覚の冴えである。


山国の神の小言か青山椒         福永 新祇
 小粒なのに辛さと痺れを伴う青山椒を「神の小言」と捉えたのは出色の表現である。本意の把握が的確であった。



 その他印象深かった句を次に


喫茶店徐々に日除を伸ばす午後      辻本 芙紗
短夜や滅びの章へ人類史         長井  哲
大利根の幅を見せたる出水かな      中村 湖童
山開神官沓に履きかへて         大溝 妙子





















                






 

星雲集作品抄
伊藤伊那男・選
秀逸

風鈴に触れて散らばる風の音      広島  小原三千代
平和へと号砲鳴らせ鉄砲百合      神奈川 山田 丹晴
サイダーや父母に幼き日々ありき    東京  北原美枝子
昼寝覚妻に呼ばれたやうな気が     岐阜  鈴木 春水
天辺に来て尺蠖の立ちあがる      埼玉  水野 加代
西日さす鏡のやうな潮だまり      東京  西  照雄
手鏡や夕日に映ゆる藍浴衣       神奈川 西本  萌
あつぱつぱ妣と重なる齢かな      宮城  村上セイ子
父の日の父懐かしむ虜囚の地      広島  井上 幸三
蜜豆や幼馴染と待合せ         東京  伊藤 真紀
虎が雨打明け話は終盤に        群馬  北川 京子
万緑にかはらけ投ぐる気合かな     愛知  住山 春人
己が身へ風送るかに夏の蝶       静岡  山室 樹一
重たげに羽ばたく鳶や梅雨に入る    静岡  橋本 光子
買ひ出しの築地に潜る茅の輪かな    東京  桂  説子

残響も融けしドームに蟬時雨      東京  宮下 研児
三伏や味噌樽に積む石の山       長野  池内とほる
灯を入れてよりの寂しさ盆灯籠     大阪  田中 葵
海の音大の字で聴く昼寝かな      千葉  吉田 正克











星雲集作品抄

            伊藤伊那男・選


そら豆や爪の三日月沈みゆく      東京  尼崎 沙羅
亀の子の動く四肢より尾の太し     東京  井川  敏
傘雨忌や神田育ちの雀の来       東京  石床  誠
夜半の夏時計の針を数へをり      東京  一政 輪太
清流の水面に写る合歓の花       愛媛  岩本 青山
さくらんぼ身に余りたる柄の長さ    長野  上野 三歩
短パンで臨むゴルフや朝曇       長野  浦野 洋一
南風に馬脚止まりぬ艸千里       群馬  小野田静江
みゝづくの時計止まるや極暑の夜    埼玉  加藤 且之
万緑や天に届けと泣き相撲       愛知  河畑 達雄
避暑の夜の寄木細工の秘密箱      東京  北野 蓮香
吾が影の吾に纏はる暑さかな      東京  久保園和美
落人の裔の幻宵蛍           東京  熊木 光代
雲上の社に至る登山道         東京  倉橋  茂
青りんご信濃の畑の小昼どき      群馬  黒岩伊知朗
捩花の螺旋解く子や反抗期       群馬  黒岩 清子
球音の余韻ベンチに夏深し       愛知  黒岩 宏行
山開またぎの長の道案内        東京  髙坂小太郎
お仕舞は一歩届かず水鉄砲       長野  桜井美津江
津軽より届く絵手紙青林檎       東京  佐々木終吉
暁闇に進む収穫キャベツ畑       群馬  佐藤さゆり
もう夢でしか会へぬ人流れ星      東京  島谷  操
夏雲雀被災にめげず能登の空      東京  清水 旭峰
梅雨夕焼かすかに雲を染めにけり    千葉  清水 礼子
夜をついで其処此処の辻風の盆     大阪  杉島 久江
嶺雲を風が追ひやり朴の花       東京  須﨑 武雄
青簾濁世の風を浄化せり        東京  関根 正義
顔ほどの飾り頭に子の浴衣       埼玉  其田 鯉宏
ただ一人海にゐたき日サングラス    埼玉  園部 恵夏
短夜や見し夢もはや忘れたり      東京  田岡美也子
炎天や日時計の針動かざる       東京  髙城 愉楽
急ぐことなき暮しぶり梅雨の底     福島  髙橋 双葉
鮎釣師にも縄張といふがあり      埼玉  武井 康弘
揚花火はたとあらはに観覧車      東京  竹花美代惠
羅漢らの声無き私語や寺薄暑      栃木  たなかまさこ
一振で扇開きて風起こす        東京  田中  真
囮鮎釣果に加へ家苞に         埼玉  内藤  明
紫陽花に久女を偲ぶ信濃かな      群馬  中島みつる
子育てに過ぎ去りし日々夏燕      神奈川 長濱 泰子
ほほづきを握りて眠る父の背ナ     京都  仁井田麻利子
億年の数多の光星今宵         宮城  西岡 博子
店先のたばこの文字の日除かな     東京  西田有希子
迷路より抜けず渋谷の暑さかな     東京  橋本  泰
通院の予定は明日梅雨の星       神奈川 花上 佐都
清流に一歩滑らす素足かな       長野  馬場みち子
坂下は下町銀座白日傘         千葉  針田 達行
老鶯のためす裏声神の山        神奈川 日山 典子
朝刊を開く音にも梅雨じめり      千葉  平野 梗華
時計屋のどれも動かぬ夏の午      千葉  平山 凛語
雨を呼ぶ風となりたる芒種かな     長野  藤井 法子
老鶯の今年仕舞ひの遠音かな      福岡  藤田 雅規
梅雨寒や膝に猫乗せ温め合ふ      東京  牧野 睦子
幼子は金魚に会ひに理髪店       東京  松井はつ子
半夏生豆腐屋を待つ夕間暮れ      愛知  箕浦甫佐子
凸凹の薬缶で沸かす麦茶かな      東京  家治 祥夫
雪渓に足跡続く白馬岳         群馬  横沢 宇内
水無月の舟運の街醤油蔵        神奈川 横地 三旦
野萱草程よき間もて灯るかに      神奈川 横山 渓泉
白芙蓉読経聴く度白さ増す       東京  若林 若干
父の日や行けたら行くといふ返事    東京  渡辺 誠子



















星雲集 今月の秀句

伊藤伊那男

風鈴に触れて散らばる風の音       小原三千代
  「風の音」が主語。目には見えないけれど風鈴にぶつかることによって音を生じ、その存在が人に伝わる。「散らばる」の措辞によって居合わせた全員にその音が認識された、ということになる。写生俳句の骨法を遵守している。


 

平和へと号砲鳴らせ鉄砲百合       山田 丹晴
極めてきな臭い国際情勢が続いている。俳句は自然や個人生活を詠む文芸形式なので、政治経済を詠むことには向いていない。このため夏炉冬扇の文芸のように見えるのだが、実は確実に世情の影響は受けている。この句などはそうした影響下の句といえよう。鉄砲百合という名を持っているのだから戦争へではなく、平和への号砲として咲いてほしい、という願いである。直喩ではなく花に仮託した隠喩法を取ったので人の心を打つのである。 


 

サイダーや父母に幼き日々ありき     北原美枝子
子供の頃、縁日で売られるラムネやサイダーに目が行ったものだ。父や母は買ってはくれたが一緒に飲んだ記憶は薄い。自分が親になってみるとやはり同じことをしているのである。そうした世代の繰返しを捉えた所が面白い。 


 

昼寝覚妻に呼ばれたやうな気が      鈴木 春水
この句の妻は生きている妻か、死んでいる妻か、それによって味わいも違ってくるようだ。私の場合は、妻が死んでいるので黄泉国から呼ばれたのかな、という解釈に傾く。一方、生きている妻だとまた日常の小競り合いが始まるのかな、という別の面白さも生じるのである。 


 

天辺に来て尺蠖の立ちあがる       水野 加代
尺蠖がついに木の枝の天辺に来て、行き場に戸惑っているのである。立ち上がって思案をする。尺蠖の生態をきちんと捉えているのである。このように一物仕立で捉えると、人間の行動にも重なって、人にもこのようなことがある、という暗喩が生じるものである。


 

西日さす鏡のやうな潮だまり       西  照雄
「西日」という季語をよく理解している句である。潮だまりへの投影だけを捉えているのだが、やり切れない暑さや、一抹の淋しさが窺われるのである。 


 

手鏡や夕日に映ゆる藍浴衣        西本  萌
 手鏡に映る浴衣という構図の面白い句である。夕日とあるから、宵祭にでも出掛ける直前の髪を直している場面なのであろうか。そんな生き生きとした一景である。


 

つぱつぱ妣と重なる齢かな        村上セイ子
 「妣」(ひ・はは)は死んだ母のこと。ちなみに死んだ父は「考」。「あっぱっぱ」は大正末期から主に関西で広まった簡単服。結局自分も死んだ母と同じ年を迎えて、同じようにあっぱっぱを着ている。少しおかし味を持って母を偲ぶ味わい。


 

父の日の父懐かしむ虜囚の地       井上 幸三
 シベリア抑留の人の体験談を聞いたことがある。それは悲惨な内容であった。その生活を懐かしむことがあるのか?昨年大阪で居酒屋に入ったがその店名は「クラスノ」といい、店主が抑留されていたヤルスクラスノという土地の名だという。それ以上の艱難はないということで店名に付けたそうだ。そのように体験を梃子に生き抜いた人々もいたのだ。戦争にまつわる思い出は複雑なものである。


 

蜜豆や幼馴染と待合せ          伊藤 真紀
 ほほえましい風景である。幼少期に通った甘味店で旧友と待ち合わせる。話が弾むことであろう。


 

虎が雨打明け話は終盤に         北川 京子
 虎が雨は曾我兄弟の兄十郎の恋人虎御前が五月二十八日の命日に流す涙が雨になった、というもの。「打明け話」の取合せに事件の真相などを想像させる仕掛けがある


 

万緑にかはらけ投ぐる気合かな      住山 春人
「かわらけ投げ」は戦国時代、武将が戦勝を祈願して酒盃を地に投げて出陣したことが起源だという。万緑の季語が景色を大きくしており「気合」の納め方が決まっている。 


 己が身へ風送るかに夏の蝶       山室 樹一
 夏の蝶をよく観察している。羽搏くというのはすなわち自らに風を送ることだという。力を蓄え、加熱を防ぐことだという。夏蝶の気力の源泉に迫った表現である。


その他印象深かった句を次に


残響も融けしドームに蟬時雨       宮下 研児
 三伏や味噌樽に積む石の山       池内とほる
 灯を入れてよりの寂しさ盆灯籠     田中  葵
 買ひ出しの築地に潜る茅の輪かな    桂  説子
 海の音大の字で聴く昼寝かな      吉田 正克


























伊那男俳句


  伊那男俳句 自句自解(105)
            
学成り難し聖堂の楷芽吹く

 「楷書」という点画を崩さない書き方があるが、中国では楷は「模範の木」といわれ、儒学の精神を象徴する樹木である。御茶の水の湯島聖堂には孔子像の傍に楷樹が植えられている。もともと湯島聖堂は徳川五代将軍綱吉によって建てられた孔子廟で、のちに林羅山の私邸にあった学問所が移転して幕府直轄の教育機関になったものである。日本の学校教育発祥の地とされる。この「昌平坂学問所」は今の東京医科歯科大学のキャンパスになっている。湯島聖堂は娘達の受験の折に祈願し、鉛筆を手に入れた思い出がある。幕末に伊那谷を漂泊した井上井月は当代一の硯学佐藤一斎の教えを受けたと言うが、学問所の名簿にはその名は残っていない。私塾で接したのであろうか……。振り返ってみると私などは勉学に対して本気で闘った記憶が無い。今頃になって向学心が湧いてきているが、七十五であるからあまりに遅すぎる。楷は芽吹き時であるが、光陰人を待たずである。

鷹鳩と化し浅草に豆拾ふ

 「鷹化して鳩となる」は中国・宣明暦の七十二候の一つで、今の暦の三月十六日から二十日頃に当たる。猛禽類の鷹も春の穏やかな気候になると温和な鳩に変身してしまうという空想的な季語である。七十二候には他にも「田鼠化して鶉となる」「腐草蛍となる」「雀蛤となる」など、変身する季語があり、俳句に少し馴染むと詠んでみたくなる文人好みの季語である。こういう空想的な季語は思い切り現実的な「物」を取り合わせるのが効果的である。私は浅草が好きで暇があると出掛けたものだ。昼から酒を飲んでも全く罪悪感を感じることのない町なのである。行けばやはり浅草寺をお参りするし、嫌でも境内を横切ることとなる。人馴れのした鳩が屯している。そんな風景を組み合わせてこの句を思い付いたのであった。「浅草に豆拾ふ」……これはいい閃きではないか! と神谷バーで電気ブランのグラスを並べて頬を緩めたのであった。若い頃からの休日の一景である。















   


 



俳人協会四賞・受賞式





更新で5秒後、再度スライドします。全14枚。







リンクします。

aishi etc
        












銀漢の絵はがき


挿絵が絵葉書になりました。
Aシリーズ 8枚組・Bシリーズ8枚組
8枚一組 1,000円

ごあいさつにご利用下さい。




















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「銀漢」季語別俳句集




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銀漢季語別俳句集
待望の『季語別俳句集』が3月に刊行されました。










主宰日録  

  

7月

7月23日(火)
6時起。昨夜もトイレに起きること無く。1時間入浴。朝食後、1時間半入浴。11時、宿を出る。猛暑! 身延線で富士宮駅に出て、富士山本宮浅間神社、湧玉池を拝す。「静岡県富士山世界遺産センター」を見学。富士駅、小田原駅経由で19時、帰宅。昼食食べそびれて車中、ハーゲンダッツのアイスクリームとオロナミンC。さすがに湯疲れあり。2泊3日で計8回、12時間半の入浴であった。

7月24日(水)
旅先で考えていたエッセイ一本まとめる。8句会ほどの選句。梅干を干し始める。土用干し。到来の巾着茄子10数個を焼茄子に。10個ほどを塩漬に。

7月25日(木)
終日家。「銀漢」誌の選句、なかなか進まず。少し気怠い1日。

7月26日(金)
実に久々、農家の野菜を買いに。自転車で。モロヘイヤ、いんげん、甘辛唐辛子。戻って下処理。「NHK俳句」8月号の巻頭名句に拙句〈阿弖流為を内から照らし大ねぶた〉があり、カラー頁で実に贅沢! 井上弘美さんに感謝。莉子、韓国旅行から戻り、月末はパリへ。幼稚園からの仲間、尾崎野乃香さん、レスリング68キロ級でオリンピック出場の応援と。

7月27日(土)
11時、日本橋の「日本料理 吉」にて「纏句会」。9人。戻って「銀漢」選句。

7月28日(日)
猛暑のためか選句、遅々として進まず。ついつい昼寝など。梅の土用干し、終える。3キロ。色合いもよく上々の仕上がり。

7月29日(月)
朝、農家で、甘唐辛子、モロヘイヤ、茄子、トマトなどを買い出し。茄子は丸のまま炒めて煮浸しに。高橋透水句集『水の音』上梓(「北辰社」)。

 7月30日(火)
萩原空木さんより、小学校の恩師、新井先生逝去の知らせあり。97歳と。「銀漢」9月号の選句選評始める。西瓜、桃、トマトなどが食事の中心。ヘアメイクの中川さんに髪、短く切って貰う。

7月31日(水)
今日も家籠り。彗星集の選句、選評を終えて投函。今月の仕事全て終了。少しぐすぐずしたけれど。

8月

8月1日(木)
今日で抗癌剤服用11回目終了。手が空いたので井上井月句集の分析。10時、加々美先生の整体。信州の従兄より電話あり。

8月2日(金)
数句会の選句。松川洋酔さんより電話あり。このところ、西瓜、桃、素麵など。井月俳句の地名句の分類作業。

 8月5日(月)
10日ほど家に籠っていたが、今日は銀行、郵便局、証券会社など。日経平均4,000円の急落。思いついて特別展「神護寺―空海と真言密教のはじまり」を見ようと上野の東京国立博物館に行くと月曜日で休館日。実に迂闊。女子レスリングの尾崎野乃香さん、残念ながら2回戦で敗退。

 8月6日(火)
「銀漢」9月号の校正作業終日。

8月7日(水)
夜中、敗者復活戦で勝った女子レスリングの尾崎野乃香さん、3位決定戦で銅メダル獲得! 応援席に莉子が居て、度々テレビに映っている。愛育幼稚園、成城学園と中学までの同期生。「銀漢」10月号のエッセイ等、担当者宛て投函。農家へ野菜の仕入れ。

 8月8日(木)
作句。茄子と甘唐辛子の炊合せ。ジャガ芋とベーコン炒めなど。黄金桃というのが旨い。西瓜も。

8月9日(金)
今日から20回目の抗癌剤服用へ。午後、北村皆雄監督の事務所。平沢、大野田さんも集合。来年からの、井上井月俳句大会の運営について伊那市の意向の確認を受け、事務についての打合せ。あと新宿の「珈穂音(かぽね)」。帰路、厚木あたり震源の地震あったとて、小田急線が経堂駅で停車。結局、新宿から2時間かかって帰宅となる。読書の時間とはなったが……。

 8月10日(土)
井上井月に 鰈、西瓜、黄金桃。

8月11日(日)
莉子パリから戻る。冬瓜汁。胡瓜と人参の浅漬。

8月12日(月)
農家。モロヘイヤ沢山。他に甘唐、ネギ、玉葱、ジャガ芋、茗荷など入手。

8月13日(火)
今日も家居。数句会の選句。茹蒟蒻がうまい。雑誌の切抜き、エッセイ本など読みつつ、転寝。このところやや自堕落に過す。娘は「それでいいのよ、もうのんびり暮らしていい年なのよ」と言うが……。

8月14日(水)
久々、仏壇の清掃。「銀漢」10月号の選句。台風7号接近にて、16日の東海道新幹線は終日休止と。8人で動く予定だったので幹事のいづみさん大変。

8月15日(木)
朝、新宿駅に行き、今夜発の新幹線に買い替え。京都行きの仲間、井蛙、清人、まほ、政、小石さんは今日の内に京都へ。西田さんは山口からなので問題なし。私といづみさんが「銀漢句会」の選句だけして追うことに。宿も河原町に取れたと。18時、麴町会館の「銀漢句会」に寄り、皆さんの顔を見て、20時前の新幹線にて京都へ。22時半、「R&Bホテル四条河原町」に投宿。仲間は祇園に繰り出しているというが、私は部屋でくつろぐ。

 8月16日(金)
五時起。朝の散歩。四条大橋のたもとの「ドトール」でレタスドックとミルクティーの朝食。歩いて大谷墓地の妻の実家の墓参。妻の分骨先の大谷祖廟墓参。10時前、「ハートンホテル京都」。清人、政、まほ、大阪の理恵、鏡子さん合流。「出町桝形商店街」にある「満寿形屋」に少々並び、「鯖寿しきつねうどんセット」の昼食。あと近くの織田信長の首塚があると言われている阿弥陀寺へ。最近は知られるようになったようで、ついに拝観料500円を取るようになった。とにかく暑い。墓石も熱い。少々の距離ながら梨木神社までの炎暑で皆へとへと。神社の休み処で畳の間に寝転んでしまう。御所の中でもすぐベンチへ座り込む。17時半、浄土宗大本山清浄華院に入る。私の幼馴染みの飯田実雄氏が法主。中島凌雲、西田有希子さん合流。18時から、シンガーソングライター・左合井マリ子さんのコンサート。19時から大施餓鬼の法要。20時から大文字を拝見。火灯窓からの眺めが実に佳し。しみじみと拝す。あと夷川通りの「夷川燕楽」にて親睦会。「ハートンホテル京都」泊。

8月17日(土)
10時、8人乗のレンタカーにて近江に向かう。清人さんの運転。高島町の白髭神社。鵜川四十八石仏、安曇川沿いに朽木へ入る。鯖寿司、うどんなどの昼食を取り、鯖街道沿いの興聖寺参詣。住職からねんごろな説明を受ける。私は40数年振りの再訪。足利義晴が戦火を逃れて3年程幕府を移した地。
大原経由で京都へ戻り、「相鉄フレッサイン京都四条烏丸」に荷を置いて壬生の「京・寿司おおきに」。清人さんの兄上、仙台で弁護士をしている信一さんの御子息の奥様の実家。2階を借りる。御子息は「銀漢」会員の小野寺凱風さん。氏のギター伴奏で全員1曲ずつ歌う。5句出し句会も。








     
 
















         
    






今月の季節の写真/花の歳時記




2024/10/24撮影  藤袴   HACHIOJI










花言葉   「あの日を思い出す」「遅れ」「ためらい」「躊躇」



△藤袴
フジバカマはキク科フジバカナ属の多年草で、秋に紫やピンクの小さな花を咲かせます。
日本の秋の七草の一つとして知られ、その名前は「藤の袴を着たような花」という意味から由来しています。日本各地の野原や山地に自生し、秋の風物詩として親しまれています。
奈良時代に中国から日本に渡来し、野生化したといわれています。今では河原や池のほとりなどの水辺を好んで自生します。
しかし、フジバカマは現在では国のレッドデータブックで準絶滅危惧種(NT)、京都では絶滅寸前種にも指定されています。



曼珠沙華 オケラ 流鏑馬 ムラサキゴテン 金木犀
アマクリナム ミゾソバ 10月桜 藤袴










写真は4~5日間隔で掲載しています。 


20224/10/21










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