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 6月号  2015年

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伊藤伊那男作品

主宰の八句

鷭のこゑ        伊藤伊那男

石鹸玉ひとつ歪みの解けぬまま
校庭に子の百倍の石鹸玉
懐郷や辛夷の錆は悔いに似て
磨崖仏裳裾まで野火許しけり
恋猫をかくまつてゐる先斗町
大原の昼の静けさ花菜漬
夕暮の余呉を統べたる鷭のこゑ
右府殿の城へ近江の花菜風












        
             


今月の目次










銀漢俳句会/6月号











   



銀漢の俳句 

伊藤伊那男 

出羽三山① 「盤水と出羽」

 昨年は皆川盤水先生の郷里、福島県いわき市を訪ねた。その時から当然のように、次は先生の第二の故郷ともいうべき出羽三山訪問という話に及び、この秋吟行の運びとなった。先生の年譜(『旅の俳人 皆川盤水の世界』駒草書房、『皆川盤水』花神社、「春耕」追悼号)から抽出すると、最初の訪問は昭和45年7月5日。「出羽三山神社の羽黒全国俳句大会に出席。沢木欣一・細見綾子夫妻、滝沢伊代次、高木良多と同行。翌日月山登山をめざしたが台風のため途中中止」とある。先生52歳の折のことで、三山の霊気に強く打たれたようだ。その後の記録を見ると

 昭48年8月 月山初登頂。湯殿山へ縦走
 昭50年7月 沢木欣一、富田直治と月山に登頂
 昭54年7月 月山登頂
 昭55年晩秋 平泉、立石寺のあと羽黒山に赴く
 昭57年7月 月山登頂
 昭58年8月 羽黒山、象潟、念珠ヶ関
 昭63年6月 羽黒山南谷で第五句碑〈月山に速力のある雲の峰〉除幕
 平元年7月 南谷句碑を見て、庄内、象潟に遊ぶ
  同年10月 羽黒山で春耕林間学校開催
 平2年5月 羽黒三光院で第六句碑〈河骨は星のごとしや鏡池〉除幕
 平3年大晦日 羽黒山の松例祭を見学
 平5年5月 羽黒町全国俳句大会に代表世話人で出席
  同年9月 開山千四百年、奥の細道俳句大会選考者
 平7年5月 春耕夏期林間学校開催
 平9年6月 湯殿山本宮参道で第八句碑〈残雪に大幣の舞ふ湯殿山〉除幕
 平11年6月 盤水出羽三山句碑記念祭開催。湯殿山参拝

などがあり、以上を合計すると17回となる。だが年譜にはないが、句集『板谷峠』(東京美術)の昭和50年に〈庄内行 一灯は豆腐屋の灯よ雪の山〉〈羽黒山 雪折れのきびしき音の近づきぬ〉、また櫛引町の黒川能見学十句の前書のある〈雪の夜の燭燃えたたす舞の袖〉などの吟行がある。また『芭蕉と茂吉の山河』を見ると、平成八年は湯殿山句碑建立の準備、挨拶を含め1年に四度訪問していることが解る。このように年譜に記載のないものを含めると20回以上この地を訪ねているのである。盤水は「……単純に大らかな山紫水明の情景に惹かれるだけではない。考えてみると、東北の人たちの素朴な人間くささがあるからである。もちろん芭蕉がいつも念頭にあることはいうまでもない」と言う。これほどに盤水を引き付けた出羽三山とはいかなる所か、このあと探ってみようと思う。


 
 


 










           


 



  

盤水俳句・今月の一句

伊藤伊那男

   
立石寺大瑠璃鳴ける岩襖        皆川 盤水


 沢木欣一に同行した旅の句である。この旅の句には〈こけし屋に頭を揃へたる雛燕〉〈紅花も蒔きしと言へり出羽女〉〈著莪の花芭蕉塚前火を焚けり〉〈燕の子山寺の杖荒削り〉〈篠の子飯山寺の瀬が奔騰す〉があるが、六句中三句に鳥が入っているところが先生の特徴である。芭蕉は蟬の声に、先生は鳥の声に感動している。いずれも岩山の懐の中に伽藍が配置されている立石寺だからこそ成立した句ということになろう。
                                  (昭和44年作『銀山』所収)              
                                         伊藤伊那男

 










  
 

彗星集作品抄

伊藤伊那男選

卒業歌「別れめ」まで来堪へかぬる     戸矢 一斗
浮御堂覗き込んだる霞かな         久重 凛子
ひとり居や雛をかたづけまたひとり     相田 惠子
足裏よりマリアの許し踏絵板        清水佳壽美
壷焼の軍手に残る醤油の香         多田 悦子
土筆摘む打ちきり時を決めかねて      曽谷 晴子
枝垂れ梅ゆれやみしかば影しだる      山田  礁
朴の芽の錐もみに天指しにけり       多田 美記
種袋鳴らせば個個の音となり        市毛 唯朗
目刺干す銚子電鉄銚子駅          坪井 研治
雪形の馬に蹴らるる水車かな        有賀  理
遠目にも浅間山ぼかしの斑雪        山田 鯉公
薄氷を絵踏のごとく歩みけり        渡辺 花穂
春聴けば春の音して水琴窟         小林 雅子
春夕焼橋また橋の耶蘇の島         朽木  直
吊るし雛魂やはらかに降り来る       堀江 美州
曾根崎に人目を忍ぶ春ショール       谷岡 健彦
髭の先から尻尾までうかれ猫        多田 美記
鍬入れの背に初音のとどきけり       森濱 直之





      


        








彗星集 選評 伊藤伊那男



卒業歌「別れめ」まで来堪へかぬる     戸矢 一斗
<仰げば尊し吾師の恩・・・・〉卒業式の定番の歌だ。最後の〈今こそ別れめ・・・・いざさらば〉の「別れめ」のところで声が詰まったという。卒業生だけでなく、先生も父兄席も、在校生も皆粛然とした様子が窺われる。涙もろい私も経験のあることで、この句を見ただけでも泣きそうである。一見三段切れのように見えるが、卒業歌の「の」の省略は十分中七へと繋がるので構わない。「堪へかぬる」の納め方は秀逸である。万感の思いが籠っている。 


浮御堂覗き込んだる霞かな         久重 凛子
 近江堅田の浮御堂であろう。〈鎖あけて月さし入れよ浮御堂 芭蕉〉 〈さみだれのあまだればかり浮御堂 阿波野青畝〉のあの浮御堂である。すぐ横の湖中には〈湖もこの辺にして鳥渡る 虚子〉の句碑がある。小さいけれど千体仏を祀るこの堂を覗くと、あたりは霞の中であったという。芭蕉に〈行春を近江の人とおしみける〉があるが、この句の芭蕉もあきらかに霞の中にある。「霞かな」の措辞の中には浮御堂を詠んだ俳人達の顔が籠められている。


ひとり居や雛をかたづけまたひとり     相田 惠子
子供たちが成人し、家を出て行ったあとも毎年雛を飾り、またかたづける。その繰り返しを続けているという。同じ境遇の人も多い昨今であるし、そうでなくても共感できる句である。掌編小説を詠んだあとのような余韻を残している。技法としては「雛を」が散文調なので「雛かたづけてまたひとり」の方がすっきりするかもしれない。 


足裏よりマリアの許し踏絵板        清水佳壽美
 今の日本には「踏絵」はないが、広い意味では人生には節々に踏絵を経験する。だからこの季語が今でも好まれるのであろう。例え踏もうともマリアの包容力は不変だという。遠藤周作の『沈黙』に通じる世界である。


壷焼の軍手に残る醤油の香         多田 悦子
 一読句意明瞭な写生句である。角からも煮汁が吹きだすので軍手が必要。その軍手にいつまでも醤油の染みが残り、栄螺の匂いもどこかに残っているという。しっかりと対象を捉えた写生句のよさを思う。


土筆摘む打ちきり時を決めかねて      曽谷 晴子
子供の頃の信州には土筆が沢山あったが、食べる対象ではなかった。俳句を始めて〈約束の寒の土筆を煮てください 川端茅舎〉を目にしてから目覚めた。袴を取ったり面倒な手間であるが、何とも好ましい食物である。食用であるかままごと用であるか解らぬが、「打ちきり時を決めかねて」は土筆摘みにふさわしい表現である。 


枝垂れ梅ゆれやみしかば影しだる      山田  礁
中七は芝不器男句を思い出すが、それ故に佳いと言える。 


朴の芽の錐もみに天指しにけり       多田 美記
 背の高い木であるからこその表現。実相を捉えて的確。


種袋鳴らせば個個の音となり        市毛 唯朗
種袋を振る句はあまたあるが「個個の音」の把握は初出。 


目刺干す銚子電鉄銚子駅          坪井 研治
目刺の取り合わせがいい。「銚子」のリフレインもいい調子。 


雪形の馬に蹴らるる水車かな        有賀  理
「蹴らるる」は急かせるの意。機知の効いた秀逸。 


遠目にも浅間山ぼかしの斑雪        山田 鯉公
山襞の筋が出るのが特徴。「ぼかし」の把握がいい。 
 

薄氷を絵踏のごとく歩みけり        渡辺 花穂
絵踏を持ち込んだ比喩の発想は今まで見ていない。 


春聴けば春の音して水琴窟         小林 雅子
 四季全部で詠めるがこれも滑稽。でも春が一番合いそう。


春夕焼橋また橋の耶蘇の島         朽木  直
天草五橋を大きく摑み取った。季語の斡旋が美しい。 


吊るし雛魂やはらかに降り来る       堀江 美州
人形にもあるかもしれない魂。「降り来る」がうまい。 


曾根崎に人目を忍ぶ春ショール       谷岡 健彦
近松の心中ものの地名だけに危険なにおいが・・・・。 


髭の先から尻尾までうかれ猫        多田 美記
全身で恋の猫。やはり「恋する猫で押し通す」のだ。 


鍬入れの背に初音のとどきけり       森濱 直之
鶯の初鳴きを背中に聞いて鍬の手を止める。豊かなひと時。 








     
    
     
        







銀河集品抄

伊藤伊那男選

綺羅なべて真砂女の浜に干す目刺    東京   飯田眞理子
天城嶺の少し遠のき二月果つ      静岡   池田 華風
公魚釣り竜神ねむる(うみ)小突く      静岡   唐沢 静男
ふくいくと一山香る梅日和       群馬   柴山つぐ子
雛納め座敷の広さつくづくと      東京   杉阪 大和
臥して見る高さに巣箱子規の部屋    東京   武田 花果
驚きの余寒の中に五山訪ふ       東京   武田 禪次
蠟梅の日を剝落のごと散らす      愛知   萩原 空木
蝌蚪生るる田水のひかり揉みくちやに  東京   久重 凜子
初燕俄かに動く門前町         東京   松川 洋酔
白魚のひかり四手にかたまれり     東京   三代川次郎
春北風が北町奉行所跡に荒る      埼玉   屋内 松山




    


     
   










綺羅星集作品抄

伊藤伊那男選 

佐保姫のつまづいてゐるかづら橋    静岡   五十嵐京子
さきがけのさみしさもあり花辛夷    東京   大溝 妙子
雪はげし太棹胸に火となりぬ      神奈川  鏡山千恵子
春寒や盆栽出たり入つたり       東京   影山 風子
馬場去りし馬に余生の春の風      和歌山  笠原 祐子
日の酒に匹如身(するすみ)の詩井月忌       東京   桂  信子
にじり口より風と入る利休の忌     長野   北 澤一伯
遠き日の蹉跌こぶしの咲くごとに    東京   畔柳 海村
かくれんぼ淋しき鬼に春夕焼      山口   笹園 春雀
涅槃図を吊りてなげきを拡げけり    静岡   澤入 夏帆
それぞれに明日の形を名草の芽     大阪   末永理恵子
酒吞みの女房として野蒜摘む      埼玉   多田 美記
全身の扉を叩く春一番         東京   田中 敬子
啄木忌駅に手擦れし時刻表       東京   沼田 有希
落研の高座を下りて卒業す       東京   堀内 清瀬
攻防の極楽寺坂余寒なほ        東京   山下 美佐


名残の声空に散らして鶴引きぬ     東京   相田 惠子
旧正の由緒正しき旧家かな       東京   有澤 志峯
陽炎のよぢれの高さ増しにけり     東京   飯田 子貢
草餅の色深みゆく夕の雨        埼玉   伊藤 庄平
よく見えぬことも尊き御開帳      東京   伊藤 政三
納むる手止めて又見て雛の顔      埼玉   梅沢 フミ
客人は笑ひ上戸や春障子        東京   大西 酔馬
家中の明かりを灯せ合格子       神奈川  大野 里詩
建国の日や赤飯を妻炊ぐ        東京   大山かげもと
紅梅のたをやかなりし東慶寺      東京   小川 夏葉
東北へ春の祈りの終りなく       鹿児島  尾崎 尚子
野火消えてさねさし相模風の音     埼玉   小野寺清人
土筆伸ぶそれぞれ違ふ湿度もち     愛媛   片山 一行
灯油汲む指先鈍き余寒かな       長野   加藤 恵介
春眠のとぎれとぎれに妣の顔      東京   我部 敬子
春燈や寡黙饒舌こもごもに       高知   神村むつ代
野火守の青竹焦しつつ廻る       東京   川島秋葉男
朱鷺鳴くや流人の母を恋ふるごと    東京   柊原 洋征
数へ直す九十九島や春愉し       東京   朽木  直
滝坂の道凍土を目地として       神奈川  こしだまほ
さへづりも門もやさしき尼の寺     東京   小林 雅子
春節に供へし豚の笑まふやう      長崎   坂口 晴子
落椿八重のはなやぎ一入に       千葉   佐々木節子
春風に家うち軋むひと日かな      長野   三溝 恵子
啓蟄やおたおたしてはをられぬも    東京   島  織布
句集編む句をならべみる獺祭      東京   島谷 高水
踏絵板マリアのまろみそのままに    兵庫   清水佳壽美
山茱萸の咲き満つ寺へかけ込みぬ    東京   白濱 武子
桜田門土手の土筆に届かぬ手      東京   新谷 房子
放つとき鷹の身震ひ武者ぶるひ     静岡   杉本アツ子
梅が香や待ち人来ずのみくじ結ふ    東京   鈴木てる緒
照鷽や神鏡光る一の宮         東京   瀬戸 紀恵
鶯餅摑み所のさだまらず        東京   曽谷 晴子
枯色の中行く電車玩具とも       愛媛   高橋アケミ
恐竜の飛び出す絵本春うらら      東京   高橋 透水
かがやきの犇めきゐたり白魚網     東京   武井まゆみ
下萌や赤子の五指に引くちから     東京   多田 悦子
亡き父と囲みし炬燵塞ぎけり      東京   谷岡 健彦
引く波につつつと退る桜貝       東京   谷川佐和子
玲瓏の夜気を汲みをり寒北斗      神奈川  谷口いづみ
揚雲雀少し未来を覗き見す       東京   塚本 一夫
喉越しは祈る心地や白魚吞む      東京   坪井 研治
遺言はしかと省略鳥雲に        神奈川  中川冬紫子
今吹くを春一番と思ひけり       大阪   中島 凌雲
まつ白な旅のはじめの花辛夷      東京   中野 智子
三月の空のくつたく薄曇        東京   中村 孝哲
春鴨の長き助走や飛ばず止む      茨城   中村 湖童
言の葉を紡ぎて空し西行忌       東京   中村 貞代
北窓を開けて折鶴さざめきぬ      愛知   中村 紘子
廃校の母校や悲し卒業期        福岡   藤井 綋一
不器用に生きて健やか梅一輪      東京   保谷 政孝
蠟梅の透けて山河の匂ひたつ      岐阜   堀江 美州
鷹鳩と化してひよこは鶏に       パリ   堀切 克洋
一日の終り良しとし春夕焼       埼玉   夲庄 康代
本郷の文学散歩セルを着て       東京   松浦 宗克
春の日や草冠が動き出す        長野   松崎 正
鉄板を火花が切りてけふ立春      東京   松代 展枝
猟期果つ連山いまだ威を解かず     石川   松原八重子
油断てふ隙間ありけり春の風邪     東京   宮内 孝子
初島から光り寄す波春障子       千葉   無聞  齋
ふろしきの変り結びや紫木蓮      東京   村上 文惠
夕星の出て雛の灯もやはらぎぬ     東京   村田 郁子
人の上鹿の上にもお松明        東京   村田 重子
春空やふと読み返す智恵子抄      東京   森 羽久衣
金堂の闇に深まる猫の恋        埼玉   森濱 直之
弓なりに反りて息継ぐ風車       愛知   山口 輝久
磯開九絵の魚拓の宿に泊つ       群馬   山田  礁
あたたかや棚から降ろす重ね鉢     群馬   山田 鯉公
蒼穹に影を許さず辛夷咲く       東京   山元 正規
旗掛てふ松の緑のこぞり立つ      千葉   吉沢美佐枝
源平の海あかあかと春夕焼       愛媛   脇  行雲
かはるがはる雛の鏡に座す姉妹     東京   渡辺 花穂










     







銀河集・綺羅星今月の秀句

伊藤伊那男
    

驚きの余寒の中に五山訪ふ       武田 禪次
「五山」とは禅宗で最高寺格の五寺の総称。日本では京都五山、鎌倉五山が知られている。この句の五山はもちろん鎌倉五山である。その理由は虚子句の本歌取りだからである。〈鎌倉を驚かしたる余寒あり〉。山本健吉は『現代俳句』の中で「鎌倉の位置、小ぢんまりとまとまった大きさ、その三方に山を背負った地形、住民の生態などまで、すべてこの句に奉仕する」とある。その余寒を共有しながら作者は五山のいくつかを訪ねたのである。同時出句の〈三界の余寒集むる閻魔堂〉ともども知的興奮を覚える句といえよう。しかも現地を踏んだ確かさの裏付けがある。 


  

佐保姫のつまづいてゐるかづら橋    五十嵐京子
佐保姫は春の造化をつかさどる女神で、秋の龍田姫に対する言葉である。いずれも奈良の佐保山、佐保川、龍田川の地名を取り入れている。その佐保姫―春の到来―がかづら橋のあたりでつまづいている、滞っているという。不安定な橋を配したのが知的計らいである。三寒四温の春のもたつきを詩的に昇華したのである。 


雪はげし太棹胸に火となりぬ      鏡山千恵子
津軽地方の旅の嘱目であろう。太棹は、竿も胴も無骨な津軽三味線などのこと。雪国で聞く太棹の旋律が胸に火を点したというのである。「はげし」が雪だけでなく、太棹の音にも及ぶ効果があるようだ。雪と火、それも目に見えない胸中の火に対比させて出色である。 


 

春寒や盆栽出たり入つたり       影山 風子
そうそう、よくある、よくある。と思いながら自分では詠めなかった句だ。三寒四温の頃のこと、もう大丈夫と思って盆栽を外に出すと思わぬ寒の戻り、慌てて入れて、また出して------そんな様子をよく詠み取った。今年もそのような春であった。ダウンジャケットをクリーニングに出して後悔したものだ。 


  

日の酒に匹如身の詩井月忌       桂  信子
匹如身(するすみ)? 初見の言葉である。広辞苑で調べると「資産も絆もなく、無一物なこと」とある。『徒然草』に「世を捨てたる人の、よろづに匹如身なるが」が引用されている。「日の酒に」と打ち出し、「井月忌」に結ぶ。井上井月の人生を見事浮き彫りにした句である。 


 

にじり口より風と入る利休の忌     北澤 一伯
千利休の忌日は陰暦二月二十八日。秀吉の不興を買って堺で切腹。その日の茶会に招かれたのであろう。中七の「風と入る」が出色である。その風の中には利休や利休を囲む茶人達の魂が偲ばれる。同時出句の〈子等はみな上野へ着くや鳥曇〉はこの作者の句だと思うと一層の味わいがある。松本の美術学校の校長である。教え子達が芸大の受験に上野に着いた頃だな------と時計を見る。鳥曇の季語に、無事を祈る気持が籠められているようだ。 


  

遠き日の蹉跌こぶしの咲くごとに    畔柳 海村       
私の学生時代『青春の蹉跌』『されど我らが日々』などの小説に親しんだものだ。それから半世紀近くも経った事になる。この作者も春という多感な季節に若かった時代を思いだすのであろう。一穢もない辛夷も、それは一瞬のことで少しの風にも錆を深める。「咲くごとに」に毎年到来する青春の悲傷があり、そこがこの句の持ち味。 


  

それぞれに明日の形を名草の芽     末永理恵子
「名草の芽」とは雑草ではなく名前の解る植物の芽生えをいう。小さいながら、ああ、これは朝顔、これは菊、などと解るのである。そうしたあれやこれや庭に萌えだした芽の総称である。小さいながらどれもしっかりと「明日の形」を持っている、という把握がいい。 


 

啄木忌駅に手擦れし時刻表       沼田 有希
 取り合せの絶妙な句だ。短いながら流転につぐ人生を駆けた啄木の人物が浮き彫りである。函館へ、釧路へ、東京へ-------。啄木もくたびれた時刻表をめくったことであろう。「手擦れし」に啄木の悲しみが滲む。 

その他印象深かった句を次に
  

さきがけのさみしさもあり花辛夷    大溝 妙子
馬場去りし馬に余生の春の風      笠原 祐子
れんぼ淋しき鬼に春夕焼        笹園 春雀
涅槃図を吊りてなげきを拡げけり    澤入 夏帆
酒呑みの女房として野蒜摘む      多田 美記
全身の扉を叩く春一番         田中 敬子
落研の高座を下りて卒業す       堀内 清瀬
攻防の極楽寺坂余寒なほ        山下 美佐


        



      
      


 
 



 



星雲集作品抄

伊藤伊那男・選

くつきりと影を割りたる双葉かな    千葉   土井 弘道
連翹のその影までもさんざめく     埼玉   戸矢 一斗
東風吹けば不意に出でます漫ろ神    宮城   有賀 稲香
雛段を荒らしし猫も老いにけり     埼玉   大木 邦絵
揚げたての楤の芽に酒木曾の宿     東京   中西 恒雄
麦踏めば藤村の詩口に出づ       東京   萩野 清司
願ひ文絵馬をはみ出す梅二月      埼玉   渡辺 志水
紅梅の艶やかすぎて息乱る       東京   市毛 唯朗
竜神の煙の如き蝌蚪の紐        埼玉   萩原 陽里
同郷と聞けばなつかし鳥帰る      神奈川  原田さがみ
指切りの指に力や入学児        神奈川  久坂衣里子
心まで鍛ふるごとく麦を踏む      愛知   松下美代子
膝折つて犬ふぐりの揺れとゐる     東京   西原  舞
酒乞ふは人恋ふに似し翁草       東京   結城  爽
麦踏みの足裏のかたさ確かむる     東京   飯田 康酔
啓蟄や妻を誘ひて大師の湯       愛媛   安藤 政隆
落椿今日一日はそのままに       神奈川  伊東  岬
釣竿は等間隔に水温む         東京   今井  麦 
内裏雛日の目見ぬまま住み替はる    埼玉   大野田好記
干鱈裂き戦後の昭和嚙みしむる     東京   亀田 正則
おでん鍋丸や四角の独り言       愛媛   来嶋 清子
大切な事は小声で黄水仙        東京   島谷  操
花疲れ寺の縁起を友と聞き       東京   長谷川千何子

桜餅皿に残れる葉三枚         東京   秋田 正美
水取や清冽な水溢るる国        神奈川  秋元 孝之
駅員の帽子を煽る春疾風        愛知   穴田ひろし
おだいりをまつり守られ八十八路坂   神奈川  荒木 万寿
蜆搔く竿は空へと伯耆富士       神奈川  有賀  理
御開帳そとすり足で近寄りぬ      東京   井川 敏夫
障子いま光の板や朝寝覚        埼玉   池田 桐人
雪どけのふちに集ふやむら雀      群馬   伊藤 菅乃
桜貝波に寄せられ波と消ゆ       千葉   植竹 節子
鳥帰るひかり粒立つ波間より      東京   上田  裕
飾るより仕舞ふ難儀や雛納       神奈川  上村健太郎
飛び立たむばかりや風の花辛夷     東京   大沼まり子
雪解の小流れとなり坂下る       群馬   岡村妃呂子
虎御前の通ひし径の梅ふふむ      神奈川  小坂 誠子
衣更へ素直な人となりにけり      京都   小沢 銈三
まだ何も終はつてゐない三月尽     宮城   小田島 渚
木の洞に日差し斜めや二月尽      静岡   小野 無道
家ごとのカーテンの色春灯       東京   梶山かおり
台北
富貴草古老一途に媽祖拝む       静岡   金井 硯児
涅槃図に広ごるけふの山と空      神奈川  上條 雅代
剪定の枝見あぐるや大梯子       長野   唐沢 冬朱
髪梳くや合はせ鏡の春夕日       神奈川  河村 啓
早苗饗をふれゆく子等の声高く     愛知   北浦 正弘
繕ひて繕ひてまだ紙風船        和歌山  熊取美智子
孫巣立ち雛人形は箱を出ず       埼玉   黒岩  章
残雪踏み彼岸の父に会ひに行く     群馬   黒岩 清女
遷宮の鳥居にそよぐ伊勢の東風     愛知   黒岩 宏行
雛売場何とはなしに見て過ぐる     東京   小泉 良子
いぬふぐり空見上ぐれば同じ空     群馬   小林 尊子
白酒や歳聞かれても目で返す      神奈川  阪井 忠太
犬ふぐり星を集めし空の色       東京   佐々木終吉
富山から薬の香する紙風船       東京   佐藤 栄子
藤村の詩読むところ草萌ゆる      群馬   佐藤かずえ
紅梅やあと百段のこんぴらさん     群馬   佐藤さゆり
鉄砲打湯気の立つよな雉さげて     埼玉   志村 昌也
仕付糸解きて晴れ着の雛祭       東京   須﨑 武雄
雲梯の次の一手や春寒し        東京   鈴木 淳子
雪山に雨あり牛の模様出づ       群馬   鈴木踏青子
海に落つる日のながながと桜貝     東京   角 佐穂子
をちこちの斑雪あつめて達磨かな    愛知   住山 春人
茎立ちや亡き子のくれし辞書古りぬ   神奈川  関口 昌代
思ひきり振るも空振り山笑ふ      長野   髙橋 初風
啓蟄やついばむ鳥の名も知らず     東京   髙橋 華子
卒園や母よりも父よく泣きて      福島   髙橋 双葉
梅見茶屋ところ狭しと土産売る     埼玉   武井 康弘
ひなまつり姉手作りの貝の雛      広島   竹本 治美
白鷺の空に溶けゆく日暮かな      三重   竹本 吉弘
白梅に一つ勇気をもらひけり      東京   田中 寿徳
ほどほどに年重ねきて桜餅       神奈川  多丸 朝子
天の綺羅野に放ちけりいぬふぐり    愛知   津田  卓
だしぬけに眼鏡のくもる寒さかな    東京   手嶋 惠子
寒戻りなほ早足の丸の内        東京   豊田 知子
小さき角頭に覗かせて春の鹿      神奈川  長濱 泰子
背広着て氏神様の祈年祭        神奈川  花上 佐都
春禽や未だ縄張を張らず鳴く      兵庫   播广 義春
立春や杖をたよりに歩をのばす     愛媛   藤田 孝俊
稜線の曖昧となり春来る        神奈川  福田  泉
鎌倉の寺の奥みな木の芽坂       東京   福永 新祇
金婚式の夫より薔薇の五十本      東京   福原 紀子
春の朝赤子起きむと反り返る      大阪   星野かづよ
一輪車にはじめて乗れて風光る     東京   星野 淑子
花の色褪せし待針納めけり       東京   牧野 睦子
手をかざす水平線や夏きざす      東京   松田  茂
あいまいに過ぐる日数や春炬燵     神奈川  松村 郁子
雉鳴くや暫し静まる四方の森      神奈川  水木 浩生
吾が咳に落ちさうな程紅椿       東京   宮﨑晋之介
受験子の背に父の目母の声       神奈川  宮本起代子
搔き落すスコップの土つばめ来る    千葉   森崎 森平
ゆるき坂選びて帰る春の月       長野   守屋  明
再会はあのくちなしの香る頃      東京   家治 祥夫
春うらら追伸加へ子への文       群馬   山崎ちづ子
小さき手で小さき口へと雛あられ    静岡   山室 樹一
安らぎの言葉を胸に春ショール     神奈川  和歌山要子
春きざす文房具屋に色あふれ      東京   渡辺 誠子










          


     





星雲集 今月の秀句

伊藤伊那男

くつきりと影を割りたる双葉かな    土井 弘道
「双葉」は草木の最初の発芽が二枚の子葉を持つていることを言う春の季語だが、詠まれた句は少なく、名句も目にしていない。「栴檀は双葉より芳し」の慣用語があるがそれは「栴檀は発芽の頃から早くも香気を発するように、大成する人は子供の時から並はずれてすぐれている」の意である。掲出句は、ほんの小さな芽でありながら確乎たる二つの影を持っているという写生句である。だがそれだけではなく前述の慣用語を思い出させるところがあり、二重の楽しみを持つようだ。同時出句の〈傷ひとつ増して艶めく古雛〉も年輪を重ねた艶を詠むが、何やら人間界にも通じる寓意が感じられてくるようだ。 


連翹のその影までもさんざめく     戸矢 一斗
早春枝に黄色い花をびっしり付ける連翹は周りを明るくし春の盛りを思わせる花である。そうしたこの花の特徴をよく捉えた句といえよう。「さんざめく」とは大勢でにぎやかに声を立てて騒ぐことをいい、比喩的に使っているのである。花だけではなく「その影までも」と、影も対象に加えているところが優れているところである。同時出句の〈さういへばお上りさんでありし春〉は、私も同様の経験を持つだけに感慨が共有できるのである。 


東風吹けば不意に出でます漫ろ神    有賀 稲香
漫ろ神(そぞろがみ)とは『奥の細道』に「そぞろ神の物につきて心を狂はせ、道祖神のまねきにあひて、取もの手につかず‥‥」とあるように、何となく人の心を誘惑する神である。芭蕉が旅を思いたったのも春風に誘われたのであろう。不意に旅心が湧いた、というところがいい。


雛段を荒らしし猫も老いにけり     大木 邦絵
やんちゃな仔猫であったのであろう。雛段を荒らしたその猫も、今は老猫となり雛段の下にうずくまっている。猫だけでなく、作者も雛も年輪を重ねているのだ。雛の季語を今まで詠まれていない観点から詠んだユニークな句だ。 


揚げたての楤の芽に酒木曾の宿     中西 恒雄
何とも羨しい句である。楤の芽、酒、木曾の宿、私が好ましいと思っている物が全部揃っているのである。しかもその楤の芽は揚げ立て!学生時代、馬籠が好きで何度か訪ねた。『夜明け前』にも書かれている島崎家の菩提寺は当時民宿を兼ねていて二度泊った。四方木屋という宿は藤村の係累の方が経営していて、その御主人は写真で見る藤村とよく似た顔であった。そんな私の思い出があるので、なおさら愛着を持った句である。 


 

麦踏めば藤村の詩口に出づ       萩野 清司
こちらは「千曲川旅情のうた」の世界であろうか。「小諸なる古城のほとり/雲白く/遊子かなしむ」に始まるあの詩だ。早春の侯、麦踏みをしながら、ふと藤村の詩が口をついて出たという。青春の抒情詩だ。「麦踏めば」の打ち出しが味わいだ。 


願ひ文絵馬をはみ出す梅二月      渡辺 志水
梅二月とあるから、湯島天満宮あたりを想像する。受験直前の合格祈願の願文が並ぶ。書ききれない思いが溢れているのだ。またそうした中に恋愛成就の絵馬などが交っていることを思うと楽しい。 


竜神の煙の如き蝌蚪の紐        萩原 陽里
昔からよい水の出る神社か寺であろう。「蝌蚪の紐」は蛙の生みたての卵で、おたまじゃくしの前の状態。「蝌蚪」は中国の古体篆字の「蝌蚪文字」からきているという。竹簡につける漆が粘っているので書き出しの部分が太くなるのが、おたまじゃくしと似ているからである。さて句は竜神ということから清冽な水であること、だからこそ雨雲を支配する竜の化身とも見えてきたというのである。 


飾るより仕舞ふ難儀や雛納       上村健太郎
わかる、わかる!取り出すときは楽しみがあるので面倒な思いも少ない。ところが仕舞うときには、諸道具を失ってはいけないし、各々の箱を確認しなくてはいけないし、なかなかやっかいである。「難儀や」の「や」が「難儀やなあ」という関西弁のように響くところがミソ。

              その他印象深かった句を次に


干鱈裂き戦後の昭和嚙みしむる     亀田 正則
花疲れ寺の縁起を友と聞き       長谷川千何子
落椿今日一日はそのままに       伊東  岬
おでん鍋丸や四角の独り言       来嶋 清子
啓蟄や妻を誘ひて大師の湯       安藤 政隆
大切な事は小声で黄水仙        島谷  操
釣竿は等間隔に水温む         今井  麦
紅梅の艶やかすぎて息乱る       市毛 唯朗
内裏雛日の目見ぬまま住み替はる    大野田好記


















新連載 【伊那男俳句を読む】

 伊那男俳句を読む       伊藤伊那男
  
  

回想―句集『知命なほ』の時代(13)    伊藤伊那男

 5月の連休明けが銀漢亭の開業日であったので、今年13年目に入った。それまで30年ほど証券、金融の仕事を続けていた者が、53歳でいきなり飲食業に入ったのは、よそ目にも、いやいや自分で振り返ってみても、いかにも無謀であった。酒を飲むことが好きで、少し料理に親しんでいたことくらいを頼りに水商売に入ったのであるから、武家の商法と変わらない。しかもランチはやらない、土、日、祝日は休業であるから、1月間の営業日数は少ない月は18日間、多い月で22日間であるから、世の常識からみてもやはり儲かるわけがない。
 また、神保町は学生街であったことから、飲食代金は他の町よりも安い。そのような市場調査もなく開いた。「よくやりましたね。ビンボー町って言われているんですよ」とあとから聞いた。おいおい、先に言ってくれよ。
 幸い子供2人は育て終わっており、借金も無かった。もはやたいした欲もなく、俳句を楽しみながら静かに暮らせればいい、位に思っていた。ただし失敗するわけにはいかない。そんな思いで勤勉に働いてきたつもりである。そんな生活で13年目、70歳に手の届きそうな年齢になってきているし、考えることは色々ある。
 割合長寿の方の家系であるとはいえ、40代で大腸癌も経験している。そこそこ身体が動くのが、うまくいって80歳位と考えると、あと残りは14年である。銀漢亭を続けているのは金を稼ぐのが目的だが、今は俳句愛好者の溜まり場であるという意義もある。この店への来店をきっかけとして俳句の縁を結んだ方も多い。
 が、小さな店とはいえ、営業するのはそれなりの時間と労力を必要とする。メニューを考え毎日買い物をし、重い荷物を持って午後2時位には店に入る。帰宅は夜中の1時位か。金勘定や酒の発注など雑務があり、寝るのは二時過ぎか……。
 今はその仕事があるために初めから終わりまで出られる銀漢俳句会の句会は月に二つしかない状態である。各支部の句会に出るのも難しい。超結社句会や講演会などに出る機会なども限られているのが現状である。
 だが、嫌々店を開いているわけではない。季節に合わせた料理を作るのは楽しいし、日々様々な方との出合いがあり、刺激も多い。そのあたりの矛盾をどう解きほぐすか、体力とも相談しながら、人生の残り時間をどう生きていくか、どう時間配分をしていくか、真剣に考える時期に来ているなと思っているところである。


  平成十六年
まぐはひをもて夜神楽の始まれり
あれこれと妻の指図や小晦日
  平成十七年    
なまみはぎ(おら)びのたびに藁こぼす
銛錆びて捕鯨の昔語りかな
寒明や影を増やして庭雀
まんさくの花のねぢれを風が解く
僧通るたび涅槃図の揺れにけり
鳥帰る川は光の棒なせり
冥土まで持ち込む話春火鉢
  靖国神社
英霊の席空けてある花筵
はなびらの地に触るるとき影もてり
桜見て男火宅へ戻りけり
いつまでも見送る母の春日傘
つれづれにまた砂とばす蟻地獄
さみしさに刻告げまはる羽抜鶏
跳箱の十を重ねて夏旺ん
重箱の中の暗さや祭笛
湯殿山蛇安心の舌出せり
阿夫利嶺は雲のなかなり冷奴
裸子の餅のごときを抱き上げぬ


 



       

  
   


 


銀漢の絵はがき


挿絵が絵葉書になりました。
Aシリーズ 8枚組・Bシリーズ8枚組
8枚一組 1,000円

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鳥の歳時記


     










  







  


             
 
  



井上井月/漂白の俳人


『漂白の俳人・井上井月』伊藤伊那男著

 伊藤伊那男主宰の近著『漂白の俳人・井上井月』が平成26年12月25日に(株)KADOKAWAから刊行されました。近年俳人としての井上井月に対する位置づけの見直しが進む中で、伊藤主宰は井月の俳句を通して謎の多い実像に迫る試みをされます。井月の人となりを知る一書として、また井月俳句への入門書として高い評価を得ております。著名な文人、俳人の方々が、いろいろな機会にこの著書を取り上げて紹介されております。是非、読んで頂ければ存じます。

 読売新聞夕刊版・井上井月の記事(2015/4/4)
そのまま忘れられておかしくない男が今、なぜか熱い。北村皆雄さん(72)の映画『ほかいびと伊那の井月』(2011年)の公開後、復本一郎編『井月句集』(岩波文庫)が出版され、作品を味わいやすくなった。伊藤伊邦男『漂泊の俳人井上井月』(角川学芸出版)、北村さんの『俳人井月』(岩波現代全書)など初学者向きの本も相次ぐ。記事から抜粋。
△PDFへリンクします。



記事全体画像。拡大画像に。


△『漂白の俳人・井上井月』伊藤伊那男著

画像上で拡大します。



 帯の紹介文から・・・
ひたすら芭蕉を慕い、山頭火に影響を与え芥川龍之介を唸らせた明治初期の俳人・井上井月。だがその正体は長い謎だった。酒好きで、家も財産も持たず、伊那を約30年放浪した男の知られざる素顔を、近年発見された日記、資料、俳句から探る。唯一の入門書。


画像上出拡大します。
 ひたすら芭蕉を慕い,山頭火に影響を与え、芥川龍之介を瞠目させた。その謎多き生涯を俳句と資料でたどる。井月の素顔が分かる唯一の入門書。135句の名句鑑賞付き。
              KADOKAWA HAIKU 『俳句』4月号から・・。








△KADOKAWA
「俳句」
2015年5月号 新刊サロン・コーナー. 242ページ
『漂白の俳人・井上井月』
「深い理解への第一歩」
相馬智様の紹介文です。


画像上で拡大します。




△KADOKAWA HAIKU
2015年3月号/俳人の時間から

画像上で拡大します。2015/6/5
巻頭3ページに写真が掲載されています。
新作5句
「奈良晩冬」が紹介されています。




△KADOKAWA HAIKU
2015年4月号/俳句の好きの集う居酒屋。P.140~145。

画像上出拡大に。
△俳句好きの集う居酒屋
銀漢亭で句会/火の会







シグネチャー 4月号 
SIGNATURE April 2015 Number 580
△旅先でこころに残った言葉
第81回
文 伊集院 靜氏の素敵なエッセイです。
春の日の一日、小さな旅にでた。から始まる・・。
伊藤伊那男主宰との関わりから井上井月の地、伊那谷への
旅の素晴らしいエッセイが掲載されています。


画像上で拡大します。



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銀漢亭日録

伊藤伊那男

3月

 3月17日(火)
国会議員のT先生。同人・原田さがみさんのご長男・豊さん寄ってくださる。閑散、22時前閉店。

3月18日(水)
「爽樹」の環・花島さん、高校同期「三水会」9人。高遠の加藤恵介君、自家製野沢菜持参。22時閉めて7,8人で餃子屋。

3月19日(木)
鈴木踏青子さん叙勲受章記念の酒器届けてくださる。「銀漢句会」あと17人。慶応「丘の会」あとの池田のりを、飛鳥蘭さん。麒麟夫妻。小川洋さん。村田郁子様よりダイナースクラブの誌面に伊集院静氏が私の井上井月本について4ページにわたっ
て書いている!と電話くださる。

3月20日(金)
莉子、小学校卒業式。ORIX時代の部下、佐原、奥和田、尾頭、岩井さん来店。金融会社時代の同僚、神村さん3人。神村さんも元ORIX。

3月22日(日
夜、ロックグループ「氣志團」の綾小路さん、作曲家のアキレスさん他、数家族来宅。パーティーに仲間入り。

3月24日(火)
「萩句会」角さんから、伊集院静氏のエッセイ入手。私の本を読み、伊那へ行ったと。私の妻のことにも触れてくれて……涙。三笠書房・押金会長、清人さん他。閉店の頃、皆川文弘さん。ニッカウヰスキー「伊達」提げて来てくださる。2人で「ふくの鳥」で話。

3月25日(水)
「雛句会」10人。広渡敬雄、角川・鈴木忍、青木氏等、登山の打ち合わせ。T国会議員その他。昨夜と打って変わって盛況。隣の店、リニューアルオープン。展枝、いづみ、文子と「ふくの鳥」。

 3圧26日(木)
孫のうち2人、木島平へスキースクール。店、村上鞆彦さん「南風」の同人と。


3月27日(金
発行所、鳥居真里子さんの超結社句会へ貸出し。14時、開錠。3か月に一度の「白熱句会」((佐怒賀正美、上弘美、檜山哲彦、藤田直子、小山徳夫さん)。発行所「金星句会」あと4人。井上弘美さんより井月本出版の祝い金。

3月28日(土)
日本橋与志喜にて「纏句会」15人全員揃う。15時半に抜け出し、ホテルグリーンタワー幕張にて村上喜代子主宰「いには」創刊10周年記念大会に出席。主賓の山崎ひさを氏が、私が「いには」に寄せた文章を引用して祝辞を述べられたのに驚く。文章は誰かが見ていてくれるものだ。あと能村研三さん案内で鈴木節子、土肥あき子、水田光雄、山田真砂年さんなどと居酒屋にて2次会。乗り過ごして中野。やれやれ……。

3月29日(日)
終日、原稿書き。家族は一番下の孫のダンス発表会。久々、家族との夕食。タコ刺、蛍烏賊。鶏団子の鍋など。

3月30日(月)
銀漢5月号の原稿すべて終了。店「塊」の祝賀会あとの佐怒賀直美、山田真砂年さん。あと水内慶太、水香さん……全体閑散。

3月31日(火)
桜満開。京都の妻の母、逝去の報。86歳。店閑散。文子、宗一郎、対馬、小野寺、近恵……。「大金星」で一人、スケジュール表整理。

4月

4月1日(水)
家族、早朝から軽井沢へスキー。坪井、洋酔、文子、敦子、峯尾……。「宙句会」あと7名。

4月2日(木)
店、休業。13時、京都駅。五条の葬儀場まで1時間ほど桜を見ながら歩く。義母の葬儀。東山浄苑にて火葬。17時過ぎから実家近くの料亭「はり清」にてお清め。駅ビルで1時間飲んで帰京。戒名、釈万寿。<柩閉づ折しも京の桜どき>

4月3日(金)
「大倉句会」あと11人。明日の仕込み。

4月4日(土)
恒例の「Oh! 花見句会」超結社40名が参加。長崎の坂口晴子、四国の片山一行、関ケ原の池田さん。最後はサンフランシスコから今日帰郷したばかりの青柳フェイさんなど遠方からも。持ち寄り5句。あと席題で2句出しを2回。花冷えの1日。朽木直さん名幹事。

4月5日(日)
午後、「春耕同人句会」
。グアム島からアキコさん来宅。タラの芽、蕗の薹などの天ぷら、独活のキンピラ、筍と若布煮など日本の春野菜でもてなす。

4月6日(月)
伊藤庄平さんに句集跋文渡す。5月末発行予定。伊那市長・白鳥氏、北村監督、井ノ口氏、故堀内功井月顕彰会会長のご長男・泰司氏来店。毎日新聞の鈴木琢磨氏より、秋の大津祭に誘われる。「かさゝぎ俳句勉強会」あと11人。

4月7日(火)
昨日、次女の長男・英斗、小学校入学式。今日、長女の長女・莉子、中学校入学式。5月号の校正。店、閑散。

4月8日(水)
霙。京都の義弟より長岡京の掘りたての筍到来。杏さんの3男、14時頃、無事、出産。店「炎環」石寒太先生と柏柳さん。私の小中学校1年先輩の女性訪ねてきて入会したいと。「きさらぎ句会」あと11人。

4月9日(木)
宮澤の監督映画作品『うみやまあひだ』がエール大学環境映画祭の正式招待作品となり、宮澤、ニューヨークへ。日本でも3月は京都、4月は109シネマズ二子玉川の杮落し上映へ。店、「アルパカの会」27人で5句出し句会。太田うさぎ、天野小石、峯尾文世、阪西敦子さん幹事。

4月10日(金)
カウンターは常連の俳人。一般客は6人、3人、1人。帰路、2駅ほど乗り過ごし、最終電車で戻る。ヘトヘト。

4月11日(土)
10時、運営委員会。昼、「いもや」で海老天。「銀漢本部句会」54人。あと「庄屋」にて親睦会。飯田眞理子さん出がけに骨折と。杉阪さんぎっくり腰と。

4月12日(日)
茨城の海岸にイルカ150頭打ち上げのニュースに桃子警戒。トイレットペーパー、水、その他在庫強化。杏さん退院。来宅。7番目の孫・雅斗君と会う。鯛しゃぶ。尾頭。京の筍料理など。

4月13日(月)
冷たい雨。店、前の会社時代の神村君、元興銀、元長銀、元三和の各銀行の担当者と。懐かしく。「俳句界」6月号へ鈴木鷹夫の1句。「春耕」へ盤水俳句7句鑑賞送る。












           
△『漂白の俳人・井上井月』伊藤伊那男著
          
  
    






今月の季節の写真



2015年6月24日撮影    甘草     TOKYO/HACHIOJI





花言葉  「物忘れ」


  

写真は4~5日間隔で掲載しています。 
2015/6/24更新


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