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 8月号  2015年

伊藤伊那男作品 銀漢今月の目次 銀漢の俳句 盤水俳句・今月の一句  彗星集作品抄  
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伊藤伊那男作品

主宰の八句
屑金魚        伊藤伊那男

古茶の筒奮ひ立たせるやうに振る
羅生門跡に人消え夕薄暑
奪衣婆の目が物を言ふ五月闇
ががんぼの大きな影が本の上
かはほりの出さうな場面やはり出る
隣り家の一部始終を簾越し
大津京跡であるらし瓜の花
死ぬ真似といふ一芸の屑金魚







        
             


今月の目次









銀漢俳句会/8月号

      










   



銀漢の俳句 

伊藤伊那男 

◎出羽三山③ 出羽三山の歴史
出羽三山の歴史について簡単に触れておく。開祖は崇峻天皇の第三皇子の能除大師蜂子(はちこ)皇子といわれる。聖徳太子の従兄弟である。肖像画を見ると実に怪異な風貌である。「能除、能除(災難を除く)」と唱えていたのでその名があるという。修験道から時を経て、中世は真言宗に統一されていたが、江戸時代に入ると羽黒山は徳川家が重んじた天台宗に改宗している。改宗を巡って三山に争いが生じて湯殿系は真言宗を貫き分裂した。改宗の立役者で羽黒山の杉並木の参道整備などに力を尽くした天宥僧上は訴訟事件の結果、伊豆の新島に流されて客死している。ついでながら盤水先生はその遺徳を偲び、平成元年7月新島へ墓参をしている。
 湯殿系は思想が先鋭化していき、即身仏思想が連綿と続いていたようだ。森敦の小説『月山』にもあるが、五穀を徐々に断ち、最後は松の葉などを食して心身を清め腐らない身体にする。エジプトのミイラとは違うのである。そのあと湯殿山への途中の仙人谷に穴を掘って空気穴だけを空けて即身仏となるという過酷な行に入るのである。明治時代に入り廃仏毀釈運動の結果として全山が神社庁の統括下に入り、寺院から神社に転換していく。昨日までの僧侶が仏教を棄てて神官になるのであるから驚天動地の変革である。手向の講宿群は今はどこも神棚を祀り、朝夕の祈りを捧げているが、もともとは寺院であったのだ。
 湯殿系の大日坊、注連寺だけは山奥にあったため目こぼしがあったのではないかと想像するが、今も寺院のままである。即身仏思想は明治時代初期まで続いていたのであるから驚きである。今も注連寺、大日坊には黒光りした即身仏が衣を纏って安置されている。
 過日仲間と湯殿山注連寺に泊まったことがある。森敦がこの寺の二階に籠って『月山』を執筆したのである。私達が泊まった20年ほど前は、当時1人で寺を守っていた住職は病気で臥せっていた様子で、村人が交代で世話をしていたようだ。宿坊を兼ねているという情報があったので電話をすると何回目かにようやく通じて、受け付けてくれた。直前に確認の電話をしても通じず、不安を抱えたまま到着すると、村人が迎えてくれた。料理はミズ、ゼンマイなどの山菜の他は仕出し料理であった。酒もビールも沢山積んであり、我々は勝手に宴会をした。翌朝勘定をたずねると、一人1泊五、六千円だったかの宿泊代金しか請求がない。「ずいぶん酒を飲みましたがその分が入っていませんよ」と言うと、「いいんですよ、そんなのは」と手を振って事もなげに言うのである。押し問答の末、いくばくかの金を無理矢理置いてきた記憶がある


 











           


 



  

盤水俳句・今月の一句

伊藤伊那男


迎火の終りかすかな音出しぬ     皆川 盤水

 
先生の郷里、いわきの迎火はどのようなものであったのか? 私の郷里伊那谷では白樺の木の皮と油脂の多い赤松の薪を用いたものだ。さてこの句は迎火の燃え終わる頃、かすかな音を立てたという。榾木が崩れたのであろうが、読み手からみると、おやっ、御先祖の誰かが戻ってきた合図であるか……とも思う。ただし先生はそのような作為は好まれない方であったから、事実そのままを詠まれたのであろう。期せずして趣きの深い句となった。          
(平成14年作『山海抄』所収)
          
                                         

 






  
 

彗星集作品抄

伊藤伊那男・選

玉梓の絶えたらえふの若葉かな       山下 美佐
梅雨茸の生ふも雨潰えるも雨        谷口いづみ
山藤のからめとつたる山一つ        多田 美記
観潮船胴ぶるひして渦脱す         小野寺清人
虚子旧居浄机明窓柿若葉          沼田 有希
雑にして手抜かりの無き浮巣かな      杉阪 大和
うららかや魚信なき竿握りつつ       谷岡 健彦
入口はどれも小さき巣箱かな        曽谷 晴子
風鐸の音の広ごる夏初め          佐々木節子 
形見ぐさ単衣にのこるおもひ多多      桂  信子
五月闇青き時代の闇のごと         田中 敬子
畦塗の鱗光に千枚田            萩原 空木
高くありてこそ泰山木の花         唐沢 静男
出航の点となるまで春惜しむ        杉本アツ子
滴りの中に熊野の古道かな         伊藤 政三
からくりの命吹き込む春まつり       鏡山千恵子
校門の一夜に白き更衣           池田 桐人
船鏡に映るハンカチ揺れ止まず       武田 花果
春の蚊の音無く色無く刺すでなく      伊東  岬
水踏んで鷭の子水へ乗り出せり       上田  裕



         
           








彗星集 選評 伊藤伊那男


玉梓の絶えたらえふの若葉かな     山下 美佐
 古典文学について若干の知識が必要になるが、いかにも王朝趣味のある典雅な句である。「玉梓」(たまずさ)は古代、手紙を梓の枝に結び付けて届けたことから、手紙、消息などのことを指す。「たらえふ」は樹木の多羅葉のことで、その葉に傷をつけると、そこが黒変するので、文字が書ける。郵便局のシンボルツリーがそれでマークとなっている。以上からこの句を見ると「思う人からの便りが途絶えてしまった。そう、多羅葉はまだ若葉の季節で、文字がまだ書けないのだ……とむりやり心を落ち着かせようとしている。ということになるだろうか。なかなかの遊び心である。


梅雨茸の生ふも雨潰えるも雨      谷口いづみ
梅雨時に生じる茸の総称である。出てくるものも梅雨の中、朽ちてゆくのも梅雨の中というのである。当たり前といえば当たり前なのだが、降り続く長雨の様子が具体的である。雨の中で生命を全うする梅雨茸を一物仕立てで詠み切ったことにより、梅雨茸を離れて、人を含めた生き物全部にあてはまる寓意を生じるのである。 


山藤のからめとつたる山一つ      多田 美記
 これは大きく出たものだ。山藤が一山を絡め取ってしまったというのである。私も過去に、うっかり狭庭に根付いた藤を放置して最後はその始末に困ったことがある。藤原家の名前も天皇家という大樹に巻き付いてがんじ絡めにしたからという説もあるが……さて。


観潮船胴ぶるひして渦脱す       小野寺清人
臨場感のある力強い句柄である。「胴震ひして」の把握が眼目。脱するときに胴震いしたというところが実感である。船客の緊張感まで伝わって来るような擬人化である。 
 

虚子旧居浄机明窓柿若葉        沼田 有希
もしかしたら疎開先であった小諸の虚子庵であろうか。鎌倉には家は残っていないと思う。小諸にはその近隣に柿の木が何本もあったような記憶がある。私ごとだが、ここ三回ほど小諸・日盛俳句祭に出席しており。毎回虚子庵を訪ねている。家に上がることもでき、去年はうっかりと転寝をしてしまった。さてこの句、全部が漢字の仕立て。柿若葉を配して虚子の詩魂が偲ばれる。 


雑にして手抜かりの無き浮巣かな    杉阪 大和   
 鳰の浮巣をよく見た句だなと思う。水量の増減に合わせて上下する仕組みの浮巣。そうした機能は手抜きが無いというのである。やや理に勝るが、観察眼の肥えた句である。

   
うららかや魚信なき竿握りつつ     谷岡 健彦
せかせか暮らす私には何とも羨ましい句。「うららか」が贅沢。 


入口はどれも小さき巣箱かな      曽谷 晴子
 確かに……。よく出入りできると感心するほど。 


風鐸の音の広ごる夏初め        佐々木節子   
五重塔などに吊るす風鐸の音。「広ごる」の表現で生きた。 


形見ぐさ単衣にのこるおもひ多多    桂  信子
 母の残した単衣から連想する数々の想い出。多多がいい、


五月闇青き時代の闇のごと       田中 敬子
 「青春時代」のことであろう。ピカソを匂わせて面白い。 


畦塗の鱗光に千枚田          萩原 空木
 「鱗光」がいい。俯瞰すると千枚田が魚紋になるか。
 

高くありてこそ泰山木の花       唐沢 静男
全部が句またがりの破調だが十七音。上五の打ちだしがよし。 


出航の点となるまで春惜しむ      杉本アツ子
入学、就職など島を離れる場面か。季語配合のよさ。 


滴りの中に熊野の古道かな       伊藤 政三
熊野古道のありさまが具体的である。 


からくりの命吹き込む春まつり     鏡山千恵子
高山祭の嘱目か。「命吹き込む」に春の息吹が……。 
 

校門の一夜に白き更衣         池田 桐人
ある日、全校の生徒ががらりと更衣。その激変の驚き。 
 

船鏡に映るハンカチ揺れ止まず     武田 花果
船旅の客室での化粧直しか。「揺れ止まず」がいい。 


春の蚊の音無く色無く刺すでなく    伊東  岬
春の蚊の頼りなさを捉えた。「色なく」で平凡を脱した。  


水踏んで鷭の子水へ乗り出せり     上田  裕
鷭の一歩。そのもたもた感がよく出ている。 


         






      
     
        







銀河集品抄

伊藤伊那男・選

どこからも見ゆる束稲山青嵐      東京   飯田眞理子
一と鎌に草ぐさ匂ふ穀雨かな      静岡   唐沢 静男
火の山の腹に石楠花おほどかに     群馬   柴山つぐ子
その分を存分色に遅桜         東京   杉阪 大和
簡単に済ます米寿の更衣        東京   武田 花果
金打のしかと憲法記念の日       東京   武田 禪次
古蔕を脱がず御陵の柿若葉       愛知   萩原 空木
磯茶屋は風のをどり場黒揚羽      東京   久重 凜子
古茶新茶添うてまもなく五十年     東京   松川 洋酔
雀隠れに測量の靴の跡         東京   三代川次郎
眼張煮ることも看取りや父の里     埼玉   屋内 松山



          



    
   













綺羅星集作品抄

伊藤伊那男・選 

蝶の昼指針大まか花時計        和歌山  笠原 祐子
母逝けばふるさと遠し月朧       東京   柊原 洋征
けふよりは幾らか脇へ古茶の筒     東京   畔柳 海村
種袋かすかな音に未来あり       山口   笹園 春雀
神鶏の胸張りゐても羽抜け鶏      東京   島  織布
大阿蘇の起伏の雀隠れかな       東京   鈴木てる緒
母の日に昔話を聞く覚悟        神奈川  曽谷 晴子
しやぼん玉美登利の路地にふくらます  東京   武井まゆみ
駄菓子屋の匂ひのひとつ蚊遣香     神奈川  谷口いづみ
老ゆるとは五月に足の冷ゆること    東京   中村 貞代
ナイターの凹凸のなき芝明り      愛知   中村 紘子
鳥帰るつぎつぎ扉開くやうに      東京   松代 展枝
幾年の茶渋を纏ふ甘茶仏        埼玉   森濱 直之

動くもの木洩れ日ばかり安居寺     東京   相田 惠子
本降りとなりてしまひぬ花吹雪     東京   有澤 志峯
山晴れの尾根くつきりと雷鳥来     東京   飯田 子貢
藍摺の北斎の浪夏近し         静岡   五十嵐京子
かぎろひの中に借りある人の墓     埼玉   伊藤 庄平
新緑を揺らす府中の大太鼓       東京   伊藤 政三
リラ咲いて葉書一枚の別れなり     埼玉   梅沢 フミ
新入生一直線に駆けて来る       東京   大西 酔馬
剪定の一枝飛車角切る思ひ       神奈川  大野 里詩
寺町の払子のごとき大手鞠       東京   大溝 妙子
憲法の日や一盌の茶に和む       東京   大山かげもと
頼朝の船出の浜や烏賊を干す      東京   小川 夏葉
紫陽花の色待つ庭の夕べかな      鹿児島  尾崎 尚子
東京の鳩に雨降る傘雨の忌       埼玉   小野寺清人
高遠城濠うめつくす花吹雪       神奈川  鏡山千恵子
春眠のままそのままに母は逝く     東京   影山 風子
ふるさとにまた戻り来し修司の忌    愛媛   片山 一行
ひとつ聞きふたつ忘るものどかゆゑ   東京   桂  信子
芝桜色なき家を縁取りぬ        長野   加藤 恵介
遊女らの簪かとも藤咲けり       東京   我部 敬子
ひたすらに光掬うて茶摘みかな     高知   神村むつ代
五月闇転ばぬやうに二寧坂       東京   川島秋葉男
ひと刷毛の野に引くぼかし麦の秋    長野   北澤 一伯
筒を振る仕種の違ふ古茶新茶      東京   朽木  直
ふうせんの顔が風船膨らます      神奈川  こしだまほ
をりふしの風のゆらぎに藤香る     東京   小林 雅子
浦町は垣をつくらず軒菖蒲       長崎   坂口 晴子
柏餅供へ少しく乾きけり        千葉   佐々木節子
背伸びして子らのそそげる甘茶かな   長野   三溝 恵子
焙炉師の茶渋の厚きたなごころ     静岡   澤入 夏帆
始まつてしまへば早き落花かな     東京   島谷 高水
金鱗の海光となる桜鯛         兵庫   清水佳壽美
行春や紅あまた置く遊女塚       東京   白濱 武子
芳香に引き寄せられて朴の花      東京   新谷 房子
牡丹の雨の糸引く崩れ際        大阪   末永理恵子
セゴビアの爪弾くフーガ麦の秋     静岡   杉本アツ子
行く春の片雲さそふ荒磯道       東京   瀬戸 紀恵
遠蛙子は皆遠く暮すなり        愛媛   高橋アケミ
鳥声の入れ替はりゆく朝寝かな     東京   高橋 透水
蕨餅片寄るままを持ち帰る       東京   多田 悦子
坂東の風のりこなす鯉幟        埼玉   多田 美記
藍植ゑて日々欠かさずに測る丈     東京   田中 敬子
暗転も艶めく都踊かな         東京   谷岡 健彦
桜桃や一粒づつに光秘め        東京   谷川佐和子
仲見世は風の届かぬ夕薄暑       東京   塚本 一夫
存外に小さき仏や花祭         東京   坪井 研治
満願の御朱印帳や風光る        神奈川  中川冬紫子
茶畑といふ浅緑ふかみどり       大阪   中島 凌雲
リラ冷といふ書き出しの手紙書く    東京   中野 智子
子の帰国薔薇を咲かせて妻は待つ    東京   中村 孝哲
田楽や馬籠の宿の窓格子        茨城   中村湖童
五風十雨天領の多摩麦の秋       東京   沼田 有希
逝く春の仲見世に売るプロマイド    神奈川  原田さがみ
阿蘇山河皆踊るごと夏に入る      福岡   藤井 綋一

写楽画の顔の力感かつと夏       東京   保谷 政孝
火の国のやけど覚悟の恋蛍       東京   堀内 清瀬
新緑や布武の山城額縁に        岐阜   堀江 美州
夏めくや貝のかたちのパスタ茹で    パリ   堀切 克洋
万緑や骨喜んでストレッチ       埼玉   夲庄 康代
威勢よく大豆打ちゐるほこりかな    東京   松浦 宗克
卯の花のふくれて見ゆる日暮かな    長野   松崎  正
天城嶺を楽譜と望み囀れる       東京   宮内 孝子
修善寺の割られし古面春うれひ     千葉   無聞 齋
ふるさとの旅や鳴門に夏の月      東京   村上 文惠
松の花一と夜の雨に競ひ立つ      東京   村田 郁子
一握の砂の歌あり春渚         東京   村田 重子
公園の蛇口全開夏に入る        東京   森 羽久衣
照り映えて開帳仏の幼な顔       愛知   山口 輝久
国分寺跡の礎花は葉に         東京   山下 美佐
樟脳に後を托して更衣         群馬   山田  礁
言の葉の足らぬ男の子や母の日来    群馬   山田 鯉公
砂まじる風の五合目富士薊       東京   山元 正規
たたなづく飛驒の山並み花辛夷     千葉   吉沢美佐枝
春寒し八方にらみの亀に会ふ      神奈川  吉田千絵子
行く春を米寿の母と出雲路へ      愛媛   脇  行雲
豆腐屋のラッパ一音昭和の日      東京   渡辺 花穂

 



        









     







銀河集・綺羅星今月の秀句

伊藤伊那男

その分を存分色に遅桜         杉阪 大和
 山本健吉の解説に「春のさかりを過ぎて大方の花が散り過ぎたあと、時を遅れて咲き出た桜に、昔から一種の珍しさと哀れさとを感じ取ったのである」とある。この句は「咲き遅れたその分を、美しい色で補っているよ」というのである。「その分を存分色に」の措辞には感嘆するしかない。「遅桜」をこのような視点で詠んだ句を、知らない。


一と鎌に草ぐさ匂ふ穀雨かな      唐沢 静男 
 「穀雨」は二十四節季の一つで現在の暦で四月二十日頃の雨が、百穀をうるおして芽を出させる、という意味である。穀物だけでなく、雑草も逞しく伸びる時期である。雑草に鎌を入れると、たちまちに様々な草が匂い立つ。「草ぐさ匂ふ」がうまいところで、百穀と草々の対比である。読者にもその匂いが伝わってくる臨場感を持つ。


ナイターの凹凸のなき芝明り      中村 紘子
夜に開催されるプロの野球競技のことだが、英語ではナイト・ゲームであり、ナイターは和製英語である。そしてこの句はまさに現代のナイター。多分人工芝の球場を詠んでいるのであろう。凸凹も光の陰翳も一切無い球場を詠み切って鮮烈である。


鳥帰るつぎつぎ扉開くやうに      松代 展枝
 下五は「ひらくやうに」と六音で読むべきであろう。字余りだが、この句の場合、句意の余韻を残すような効果がある。全く目には見えないが、まるで扉を開くように帰っていくようだと、心象風景として詠みとめているのである。この詩的昇華は十分読み手の共感を得られる表現である。


老ゆるとは五月に足の冷ゆること    中村 貞代
 私ごとだが、この頃電車の冷房が負担になり始めている。やはり年齢によるものであろう。夏の旅行の折にも交通機関用にカーディガンなど一枚用意するようになった。そんなわけで、この句はしみじみと実感できるのである。それにしてもこの句、嘆きだけではなく、そこはかとない「おかしみ」を含んでいるのが俳諧味。「五月」の季語をこのように詠んだ句は無い、と断言していい。

  

母逝けばふるさと遠し月朧       柊原 洋征
 私ごとだが、つい最近、九十四歳の母を黄泉路へ送ったので尚更この句が心に沁みるのである。離郷した身にはだんだん故郷が遠のいていくものである。肉親の死去、家の処分-------。この句「月朧」の斡旋が、美しくも悲しい。「朧」に思い出も曖昧になっていく様子も潜む。


けふよりは幾らか脇へ古茶の筒     畔柳 海村 
  私は起床したら先ず緑茶を飲むのが日課。大振りの雲鶴青磁の筒茶碗で濃いお茶を二杯。新茶も季節の味として楽しむが、腰の坐った渋茶が好みである。そうした点で古茶が好きである。さてこの句は古茶、新茶の微妙な「立場」の違いを捉えて愉快である。「幾らか脇へ」の措辞が何ともいい味わいである。「嫁」と「姑」にも通じるが------。


母の日に昔話を聞く覚悟        曽谷 晴子
年を取れば繰り言が増えるものだ。「もう百回聞いたよ」などという話もある。いつもなら適当にはぐらかせてしまうのだが、母の日ばかりは、そうはいかない。今日は最後まで、初めてきくように頷きながら聞いてやろう、と母を訪ねるのである。「母の日」の句として異色な発想。 

  

しやぼん玉美登利の路地にふくらます  武井まゆみ
 台東区竜泉町、一葉記念館界隈の嘱目であろう。美登利は『たけくらべ』の登場人物。その辺りを吟行して作者の想念が『たけくらべ』の時代へタイムスリップしたのであろう。私の作句工程にも時々そうしたことがある。現実の風景からふっと歴史を遡ってある時代と混然となり、固まっていく。

 

駄菓子屋の匂ひのひとつ蚊遣香     谷口いづみ
鼻の奥がツンとするような懐かしい句だ。夏は蚊遣香、冬は練炭火鉢といったところか。「匂ひのひとつ」として配したところが取り柄。同時出句の〈旅人の花人となり坊泊り〉〈歌詠みの法師を見しか山桜〉も品位の高い抒情。 


その他印象深かった句を次に
  

金打のしかと憲法記念の日       武田 禪次
古蔕を脱がず御陵の柿若葉       萩原 空木
大阿蘇の起伏の雀隠れかな       鈴木てる緒
種袋かすかな音に未来あり       笹園 春雀
幾年の茶渋を纏ふ甘茶仏        森濱 直之
蝶の昼指針大まか花時計        笠原 祐子
神鶏の胸張りゐても羽抜鶏       島  織布






    

      
      


 
 



 



星雲集作品抄

伊藤伊那男・選
    

生涯に節目いくつや新茶汲む      宮城   有賀 稲香
反転の度に闇呼ぶ蚊食鳥        千葉   森崎 森平
通夜の傘ひと振り五月闇に向き     神奈川  久坂衣里子
ひと区間ひとりの車輛春夕焼      埼玉   戸矢 一斗
秀でたる名告りや羽抜鶏なりと     神奈川  上條 雅代
おーい雲雪渓の裏側見しか       埼玉   萩原 陽里
生家とて縁うするる桐の花       東京   小泉 良子
川筋は地より明るし五月闇       埼玉   池田 桐人
幾何の街にひとつ弧を足す燕かな    神奈川  水木 浩生
散らかすも仕舞ふもひとり更衣     神奈川  宮本起代子
夏帽子娘に似合ふといはれても     愛知   大野田好記
風薫る回向柱の立つあたり       長野   髙橋 初風
吊り革の揺れに合はする日永かな    愛知   松下美代子
すつきりと掛け替ふる軸今朝の夏    東京   牧野 睦子
郭公やイーハトーヴの牧の朝      東京   中西 恒雄
刑務所の雀隠れの余罪ほど       宮城   小田島 渚
甲乙をはつきり着けて生くる夏     神奈川  阪井 忠太
メーデーや太田ラッパの懐しき     埼玉   志村 昌也
妻留守の居間の広さや古茶いるる    東京   福永 新祇
白南風の虹の松原抜けて海       東京   宮﨑晋之介

花筏友禅流しさながらに        東京   秋田 正美
塩の道峠の茶屋の豆御飯        神奈川  秋元 孝之
遠足の子らにとどかぬ象の鼻      東京   浅見 雅江
晩酌のうしろめたしや日永なる     愛知   穴田ひろし
畦塗りて田の面に見ゆる風の道     神奈川  有賀  理
雨あがり又ひとしきり蛙鳴く      愛媛   安藤 政隆
町内を祭の紙垂のつなぎけり      東京   飯田 康酔
初夏の瀬戸海と空との切れ目なく    東京   井川 敏夫
江の島の風に応ふる貝風鈴       東京   市毛 唯朗
花五月あまりにその名多くして     群馬   伊藤 菅乃
大根の花踊らせて雨来る        神奈川  伊東  岬
風音は天から降りぬ竹の秋       東京   今井  麦
新緑に生くる力をもらひけり      愛媛   岩本 昭三
風鈴の数多音の中ひとつ買ふ      千葉   植竹 節子
並べあるどの子の鉢も双葉かな     東京   上田  裕
蝙蝠や澱みの深き船溜り        神奈川  上村健太郎
水べりに住みて久しや行々子      埼玉   大木 邦絵
さへづりに風の大波小波かな      東京   大沼まり子
上州路今満面の花吹雪         群馬   岡村妃呂子
御柱木落坂を響動もして        神奈川  小坂 誠子
名門といふ門ありて薔薇香る      京都   小沢 銈三
短夜や雨戸の隙の浅き闇        静岡   小野 無道
スクワット五センチ深く夏初め     東京   梶山かおり
凜としてお不動様の朝桜        東京   桂 説子
若葉風昼の校舎を貫けり        静岡   金井 硯児
妻掘りて筍飯を炊くは我        東京   亀田 正則
水光る昼の蛙の声嫋嫋         長野   唐沢 冬朱
子らの声良く通りくる五月かな     神奈川  河村  啓
若鯛の跳ぬる入り江や夏祭       愛知   北浦 正弘
躑躅咲く蕊の傾き皆揃へ        和歌山  熊取美智子
春光を搔き混ぜ夫の大欠伸       愛媛   来嶋 清子
声の先まだその先のひばりかな     埼玉   黒岩  章
校門で別れしままに春落葉       愛知   黒岩 宏行
思ひ出の潮騒の歌夏に入る       東京   黒田イツ子
過ぎし日のふるさと遠し夏祭      群馬   小林 尊子
柳若葉萌黄の色の柳生かな       東京   斉藤 君子
天空の宝珠めきたる朴の花       東京   佐々木終吉
行く春や置いてきぼりの終電車     東京   佐藤 栄子
風光る風の道なる神楽殿        群馬   佐藤かずえ
石門の胎内くぐり山躑躅        群馬   佐藤さゆり
行く春の言葉かはさぬ別れあり     東京   島谷  操
朝夕の滑車のひびき鯉幟        東京   須﨑 武雄
薬箱奥に黄ばみし紙風船        東京   鈴木 淳子
新緑の湯の香タオルに持帰る      群馬   鈴木踏青子
葉桜の影の斑に遊びけり        東京   角 佐穂子
子供の日鏡みる子の大人びて      愛知   住山 春人
山吹の故事を偲びて峠越ゆ       東京   髙橋 華子
ひつそりと夕闇の来る水芭蕉      福島   髙橋 双葉
衣更ふ防虫剤の香にむせて       埼玉   武井 康弘
鯉のぼり思ひ思ひに風捉ふ     ニューヨーク 武田真理子
アララギの花庭に咲く憲吉館      広島   竹本 治美
木漏れ日とともに高みに花通草     三重   竹本 吉弘
祭場を離れニコライ聖堂へ       東京   田中 寿徳
永き日や延長戦の草野球        神奈川  多丸 朝子
笑む母をしやぼん玉入れ撮りにけり   愛知   津田 卓
酢つぱさに童顔となる夏蜜柑      東京   手嶋 惠子
陽炎を来て陽炎を帰りたり       千葉   土井 弘道
石を蹴りこれも鮴押し網に追ふ     東京   徳永 和美
目高飼ふ子らの知となり糧となり    東京   豊田 知子
歓声に河馬目を開くる薄暑かな     神奈川  長濱 泰子
湯ほてりのほてり肴に冷し酒      埼玉   中村 宗男
もの渡す仕草も母似カーネーション   長崎   永山 憂仔
こでまりの毬を豊かに青蕾       群馬   鳴釜 和子
行進の肘輝ける更衣          東京   西原  舞  
新緑に我身の沈む樹海かな       東京   萩野 清司
竹の皮脱ぎきれぬまま穂先伸ぶ     東京   長谷川千何子
春蟬の鳴きて蒲団を軽くせり      神奈川  花上 佐都
御廟への橋なだらかや昼蛙       兵庫   播广 義春
淡墨の空の滲みて春の雨        神奈川  福田  泉
老鶯に目覚めリズムを取り戻す     東京   福原 紀子
茶席あり枝垂桜の島の寺        愛媛   藤田 孝俊
幼子の手にいつぽんのカーネーション  大阪   星野かづよ
泰山木光の的の一花咲く        東京   星野 淑子
風に乗り途切れ途切れや盆の唄     東京   松田  茂
めりはりの利きし昔や更衣       神奈川  松村 郁子
畦塗られ四角四面の田となりぬ     長野   守屋  明
図書室の外は黄落ヘッセ読む      東京   家治 祥夫
柏餅片寄り気味に届けられ       群馬   山﨑ちづ子
切株の仏のかたち夏鶯         東京   結城  爽
遠足の大きおにぎり母の味       千葉   吉田 正克
惜春の風わたり来る谷戸歩き      神奈川  和歌山要子
残花追ふ旅となりけりみちのくへ    埼玉   渡辺 志水
花の寺静かに混んで来たりけり     東京   渡辺 誠子
蝶の如藤の花波くぐりたし       東京   渡辺 文子




       






          


     





星雲集 今月の秀句

伊藤伊那男

生涯に節目いくつや新茶汲む      有賀 稲香
 桜を見るたびに我が身の年令を振り返ったりするものだが、新茶の時期にもふとそんな思いがするものだ。どんなに平穏に暮そうと願っても、天変地変、人間関係などがそれを許さないことがある。心の葛藤も‥‥。そうした人生を乗り越えての感慨であろう。思えば私の人生にも、五つや六つはあったかな。同時出句の〈新茶飲む心の画布を満たしつつ〉は節目を乗り越えたひとときの新茶のやすらぎ。「心の画布」の発想がいい。


反転の度に闇呼ぶ蚊食鳥        森崎 森平
 こんなに東京の町が変容したのに、夏の夕方など、よく見るとあちこちに蝙蝠が飛翔しているのに驚く。新宿にも渋谷にも‥‥。その飛び方は鳥でもなく揚羽でもなく、少し異様だ。反転の切れがいいのだ。句はその特徴を捉えたところが眼目。同時出句の〈浅蜊採る人ら眼下に東西線〉も、東京の一風景を捉えて斬新である。東西線が俳句になるとは!


通夜の傘ひと振り五月闇に向き     久坂衣里子
 通夜の弔問、まだ完全な夜ではなく、たそがれどきなのであろう。梅雨どきなので独得の暗さである。雨雫を切るその先は五月闇の中。まさに「誰そ彼は」‥‥。通夜という場面と思い合わせると独得の雰囲気を醸し出すようだ。


ひと区間ひとりの車輛春夕焼      戸矢 一斗
 春夕焼の短かさ、寂寥感がよく出ているようである。ふと見回すと自分しかいない。そして次の駅までの間に春夕焼も褪せてしまうのであろう。同時出句の〈長き尾の庭掃くごとき鯉幟〉〈匙一つほどの土盛る蟻の穴〉なども独自の観察眼を備えてきているようである。


秀でたる名告りや羽抜鶏なりと     上條 雅代
滑稽味を加えて羽抜鶏の本意を突いた句である。一見みすぼらしい容姿だが、鳴き声を聞けば何とも凛々しく、おやっと見直すのである。鳴き声を「名告り」と落武者のように擬人化したうまさ。「羽抜鶏なりと」は、今でこそ羽抜鶏ではあるけれど‥‥といったところであろうか。こうした一物仕立てで押し通した句は、もちろん羽抜鶏を詠んでいるのだが、それと似た人物などをも想起させる力を持つのである。 


おーい雲雪渓の裏側見しか       萩原 陽里
 自由な詠みぶりが楽しい句だ。浮雲に、この雪渓の裏側に何があったのかと問う、その問いかけの言葉がそのまま句になった面白さ。今瀬剛一の確か〈雪嶺の裏側まつかかも知れぬ〉という句を想起した。〈おーい雲雪渓の裏見てきしか〉とする方が自然か‥‥とも思う。同時出句の〈空豆の力瘤ほど膨らみぬ〉は見立ての眼力の優れた句である。比喩の的確さである。


生家とて縁うするる桐の花       小泉 良子
嫁いだ女性ならなおさら。男でも郷里を離れたら遠くなっていくものだ。この句の眼目は「桐の花」の季語の斡旋であろう。地方によって聞く話だが、女児が誕生すると桐の苗を植え、嫁ぐ頃その費用に当てたという。作者が女性であるだけにそんな話も偲ばれるのである。季語が単なる季語にとどまらず、物語性を持つのである。同時出句の〈暮るるには間のある沼や行々子〉も佳什。 


夏帽子娘に似合ふといはれても     大野田好記
新調した夏帽子を密かに自信を持って被っているのだが、誰も気付かず、褒めてくれない。娘だけがようやく「似合う」と言ってくれるのだが、さて‥‥信じていいものか?そんな戸惑いを詠んで楽しい。


風薫る回向柱の立つあたり       髙橋 初風
作者は信州在住の方なので善光寺の嘱目であろうか。丁度御開帳の年であった。本堂の仏様に結んだ紐を外に立てた回向柱に結び、触れれば本尊と接したことになる。そのすがすがしさを「薫風の立つあたり」と把握した力量。 


妻留守の居間の広さや古茶いるる    福永 新祇
 定年退職あとの男は全体に弱いようだ。女性は「夫留守の」などとは作らない。家に残された男の手持無沙汰な様子が出ている。「古茶」に男の悲哀も深まるようだ。

              その他印象深かった句を次に


メーデーや太田ラッパの懐しき     志村 昌也
甲乙をはつきり着けて生くる夏     阪井 忠太
吊り革の揺れに合はする日永かな    松下美代子
幾何の街にひとつ弧を足す燕かな    水木 浩生
白南風の虹の松原抜けて海       宮﨑晋之介
刑務所の雀隠れの余罪ほど       小田 島渚








        













新連載 【伊那男俳句を読む】

 
  
  

回想―句集『知命なほ』の時代(15)    伊藤伊那男

 私の出身地、長野県駒ケ根市の市長、杉本君は私の小学校から高校までの同期生である。先日銀漢亭を訪ねてきてくれて「駒ケ根応援団」(観光大使のようなもの)になってくれ、という。もちろん即座に拝命した。18歳まで伊那谷で育ったが、その後、2年間の京都暮らしのほかは、かれこれ45年間東京暮らしである。兄、姉も郷里を離れているので、10年ほど前に生家は遠い親戚に譲り渡した。だが郷里とは特別の存在で、ことあるごとにその風景や幼児の頃の体験を思い出すものだ。
 1年半前に長女一家と同居するに当り、様々なものを処分したが、駒ケ根市という名前の元となった、木曾駒ヶ岳宝剣岳を描いた大きな油絵だけは手離さず、不釣合いながら部屋に飾っている。18歳まで、朝に夕に仰いだ山である。
 俳人井上井月に関心を持つようになってからは精神面でも郷里との縁が深まったようだ。毎年「井月俳句大会」が伊那市で開催されており、選者を務めるようになってからは、結社内外の知友に声を掛けてその足跡を巡るようになった。2年前から東京でも「井月忌の集い」を開催するようになり、その度に伊那谷の山河を偲ぶ。昨年末『漂泊の俳人 井上井月』を書下ろし、出版したが、少し郷里へ恩返しができたような気がしている。
 さてその井月絡みで毎年、伊那市には1、2回訪問するようになった。やはり伊那北高校の後輩に当る、白鳥市長とも親しくさせて戴くようになり、市長も上京の折には時々銀漢亭に寄って下さる。ところが伊那市までは行くものの、駒ケ根市にはこのところ足が遠のいてしまっていたのである。それを見越したかのように、杉本市長からの「駒ケ根応援団」の要請であった。
 思えば出来損ないの私のような者に、このような声が掛かるのは有難いことである。要請に応じて駒ケ根市を大いに宣伝しようと思う。伊那谷観光で私が人に勧めるのは駒ケ根駅から飯田駅位までの往復2時間位の飯田線の旅である。缶ビールを車窓に置いて木曾山脈(中央アルプス)、赤石山脈(南アルプス)の風景を楽しむ。「伊那は七谷」といって、木曾山脈からの急流が谷を深く抉っているため、その地形に沿って飯田線は大きく迂回する。その蛇行により、右窓の風景が左窓に移ったりする。その変化が醍醐味である。水田に映る残雪の木曾山脈や林檎、梨の花々。厳冬期、雪山に当る朝日や夕焼けーーー。郷里の人々は気付いていないけれど、これほどの絶景は――無い!



  平成十八年
囲まれて桜吹雪のあたたかし
八百八町叩きに叩く夕立かな
神田川見ゆる下宿のなめくぢり
くちなはの消えてにはかになまぐさし
腰越状声出して読む溽暑かな
坂おりてまた坂あがる長崎忌
盆用意妻の残せし犬洗ひ
父来ると岐阜提灯のまたたけり
新涼の風しみじみと耳の裏
毛越寺跡大いなる虫の闇
秋風を聴くといふより見てゐたる
戒名の妻呼び露の世とおもふ
蕎麦の花一茶よろよろ来る頃か
妻今宵月の兎と遊ぶならむ
沢庵石郎党のごと納屋にあり
夜神楽の磐戸の段に起こさるる


  平成十九年
去年今年去年にはありし妻のこゑ
四日はやぶつかりわたる交差点
寒鰤や屏風びらきに越の山
白魚のいとけなきまで骨透けり



 






          




       

  
   


 


銀漢の絵はがき


挿絵が絵葉書になりました。
Aシリーズ 8枚組・Bシリーズ8枚組
8枚一組 1,000円

ごあいさつにご利用下さい。



    



        














掲示板













     








 




鳥の歳時記


     























  


             
 
  







井上井月/漂白の俳人


『漂白の俳人・井上井月』伊藤伊那男著

 伊藤伊那男主宰の近著『漂白の俳人・井上井月』が平成26年12月25日に(株)KADOKAWAから刊行されました。近年俳人としての井上井月に対する位置づけの見直しが進む中で、伊藤主宰は井月の俳句を通して謎の多い実像に迫る試みをされます。井月の人となりを知る一書として、また井月俳句への入門書として高い評価を得ております。著名な文人、俳人の方々が、いろいろな機会にこの著書を取り上げて紹介されております。是非、読んで頂ければ存じます。

 読売新聞夕刊版・井上井月の記事(2015/4/4)
そのまま忘れられておかしくない男が今、なぜか熱い。北村皆雄さん(72)の映画『ほかいびと伊那の井月』(2011年)の公開後、復本一郎編『井月句集』(岩波文庫)が出版され、作品を味わいやすくなった。伊藤伊邦男『漂泊の俳人井上井月』(角川学芸出版)、北村さんの『俳人井月』(岩波現代全書)など初学者向きの本も相次ぐ。記事から抜粋。
△PDFへリンクします。



記事全体画像。拡大画像に。


△『漂白の俳人・井上井月』伊藤伊那男著

画像上で拡大します。



 帯の紹介文から・・・
ひたすら芭蕉を慕い、山頭火に影響を与え芥川龍之介を唸らせた明治初期の俳人・井上井月。だがその正体は長い謎だった。酒好きで、家も財産も持たず、伊那を約30年放浪した男の知られざる素顔を、近年発見された日記、資料、俳句から探る。唯一の入門書。


画像上出拡大します。
 ひたすら芭蕉を慕い,山頭火に影響を与え、芥川龍之介を瞠目させた。その謎多き生涯を俳句と資料でたどる。井月の素顔が分かる唯一の入門書。135句の名句鑑賞付き。
              KADOKAWA HAIKU 『俳句』4月号から・・。








△KADOKAWA
「俳句」
2015年5月号 新刊サロン・コーナー. 242ページ
『漂白の俳人・井上井月』
「深い理解への第一歩」
相馬智様の紹介文です。


画像上で拡大します。




△KADOKAWA HAIKU
2015年3月号/俳人の時間から

画像上で拡大します。2015/6/5
巻頭3ページに写真が掲載されています。
新作5句
「奈良晩冬」が紹介されています。




△KADOKAWA HAIKU
2015年4月号/俳句の好きの集う居酒屋。P.140~145。

画像上出拡大に。
△俳句好きの集う居酒屋
銀漢亭で句会/火の会







シグネチャー 4月号 
SIGNATURE April 2015 Number 580
△旅先でこころに残った言葉
第81回
文 伊集院 靜氏の素敵なエッセイです。
春の日の一日、小さな旅にでた。から始まる・・。
伊藤伊那男主宰との関わりから井上井月の地、伊那谷への
旅の素晴らしいエッセイが掲載されています。


画像上で拡大します。



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銀漢亭日録

伊藤伊那男

5月

5月13日(水)
暴飲暴食の報いか、腹痛と脱力感。桃子が豊島クリニックを予約してくれて、這うように通院。レントゲンを撮るために立つのさえやっとの疲労感。超音波、血液採取など人間ドックのような検査。あと点滴。今日は店、休みとする。

  5月14日(木)
関東中央病院へ入院。この間のことは7月号「『知命なほ』の時代」に記す。大野田、川島、杉阪、谷口、松代さんが見舞いに来て下さる。

5月21日(木)
11時、退院。八丁味噌に卵を落とした汁とごはん。旨し。この味噌汁、我家の伝統。夜、武生の湯豆腐、腹にしみる。缶ビールを少しずつ1本。9日振りのアルコール! まだ声に力がないか。「銀漢句会」へは投句参加。

 5月22日(金)
宮澤、宗像神社へ。春日大社御造替の撮影の依頼も入ったと。一週間とはいえ、留守中の雑用沢山あり。昨日まで病院で計った血圧は全く正常なのに、今日計ると高い! これは一体何?9時過ぎから外出。銀行、郵便局などのあと本屋散策、喫茶店など。こんなにのんびり過ごすのは初めて。午後、武田禪次さん見舞いに来宅。五島、長崎の旅の土産をいただく。諸々打合せ。夕食作り手伝う。

5月23日(土)
快晴。幼稚園運動会に顔を出す。来ていたりえさんと盲腸の話。大学を通ると学食あり。朝昼兼食でドリア、390円。あっ、これって成城で一番安い食堂! 駅前の上島珈琲でくつろぐ。「纏句会」へメールで題を出す。夕食は昼のドリアが効き、そうめんと冷奴。

5月24日(日)
昨日、日に当ったせいか、やや疲れあり。午後、杏さん帰宅。雅斗君のお宮参りの祝いと杏さんの誕生日祝い。手巻き寿司など。

 5月25日(月)
桃子が時間のあるうちに検査しておけというので、駅前の岩野歯科。年齢比トップクラスの健常な歯と。歯石取りなど。宗像環境祭から戻った宮澤と夕食。少々の酒に酔う。快気祝いの手配など。

5月26日(火)
10時、関東中央病院。児玉先生、血液検査も全てOKと。長崎の坂口さんより福岡の岩渕さんと2人で隠岐参加との便り。嬉しいこと。夕方散策。

 5月27日(水)
7月号の原稿書き追い込み。夜、家族で山五焼肉店。少々の酒に酔う。

5月28日(木)
昼から買い出し。久し振りの店。二品ほど。仕込みなど。春耕記念事業賛助金送付。
5月30日(土)
店にて前の会社パシフィックモーゲージ(株)の初めての同窓会。消滅するまでの10数年の間に約60名が在籍したが、その内の35人が出席。青森、大阪からも。20数年ぶりにあう方々も。結局、午後3時にスタートして、お開きは21時という長丁場に。20時半頃、地震あり。来年の再会を約す。

5月31日(日)
昼、娘夫婦と少し飲み、昼寝。17時半、テツ君のレストラン「バール・ウーゴ」がリニューアルオープンしたので家族で自由が丘。7家族、30人位集まる。学生時代に親しんだ街にて少し散策。様変わりに驚く。

6月

6月1日(月)
本日より営業再開。久々、大勢の方々が訪ねて下さる。感謝、感謝! 発行所「かさゝぎ勉強会」。あと11人。伊藤庄平さんの句集『初蝶』銀漢叢書第二弾として発行成る。山形の菅原庄山子さんより基金3万円。伊集院静氏「銀漢」購読代金とて2年分送って下さる。何とも凄い応援団!

6月2日(火)
NHKEテレの「俳句さくさく」とかの番組に出ているという芸人のシシオガイさんが来店。俳句モードに浸りたくて捜して来たと。敦子、酔馬さんなどから刺激を受けている。終盤、清人一派、日本酒の会の帰路。だが、全体閑散。まだ、若干の疲れあり。

6月3日(水)
昼寝少々。杏遊びに来たので娘2人と歓談。店、国会議員のT先生。先日来て閉まっていたので心配したよ、と。広渡敬雄さん6人。発行所「きさらぎ句会」あと11人。「宙句会」あと7人。眞理子さん松葉杖で復帰。両句会共ヴーヴクリコで私の退院も祝って下さる。眞理子さん還暦祝とて〈七変化のまだ四・五ほどの齢なる 伊那男〉、東大俳句会の若手3人。洋酔さん、麒麟夫妻。賑わう。

5月4日(木)
退院以後、睡眠時間が前より長い。酒は遥かに減っているが……。店、賑やか。「十六夜句会」あと7人。オリックス時代の同僚3人。2人は20数年ぶりか。柚口満さん、今年も熊本の実山椒を沢山届けて下さる。肖子さん、真砂年さん。

5月5日(金)
9時、世田谷の胃癌検診。久々、バリウム飲む。昼寝。雨。店、超閑散。

6月6日(土)
気仙沼・畠山重篤氏の植樹祭に行く予定があったが手術後なので大事をとって中止。夜、成城のママ仲間2人来て一緒に酒盛り。チーズフォンデュ、春雨のうま煮など。

6月7日(日)
身体の大事をとって「春耕句会」休む。桃子にちりめん山椒の作り方伝授。午後、杏と孫遊びに来て庭で宴会。

6月8日(月)
朝、宮澤、イギリスの映画祭に出発。昨夜Tシャツ、短パンのまま寝たのがいけない。風邪気味。咳が出る。不調の1日。店も閑散。

6月9日(火)
大西酔馬さん還暦誕生会。先週、新橋あたりで大祝賀会があったにもかかわらず。2度目ながら30人ほど集まる。不思議な人である。別に伊那北同期・堀内君、帝国臓器の同期と3人。そこへ駒ヶ根市長の杉本君来店。全国市長会のあと、とのこと。彼も伊那北同期生。公称「駒ヶ根応援団」になってほしいとの依頼あり。菅原庄山子さんより月山筍沢山。

6月10日(水)
7月号校正。「梶の葉句会」選句。思えば、先月のこの日から休業であった。店は超閑散。「北軽井沢句会」駒ヶ根吟行中。柴山さんより連絡あり。光前寺のあと水車で句会。木曾・奈良井宿あと伊那へ戻って泊りと。明日は「高遠句会」の加藤恵介君、三溝さんが伊那を案内してくれると。

6月11日(木)
閑散。ただし親子3人でみえたお客さんの娘さんが俳句をやりたいと。今年は店を訪ねてくれて入会する方が結構いる。23時、閉めて洋酔さん他と「大金星」。ただし私、以前のように食べず飲まず。










           
△『漂白の俳人・井上井月』伊藤伊那男著
          
  
    






今月の季節の写真/花の歳時記




2015年8月18日撮影  狐の剃刀  TOKYO/HACHIOJI

■名前の由来
花の色が「キツネ色」で、帯状の葉をカミソリにたとえたものであるというのが、一般的です。なお、「キツネ色」は狐の毛皮の色で、食べ物などが焼けた様子を「キツネ色にこんがり焼けた」などと形容されます。
なお、キツネの名は、さびしげな場所に咲くからという説や、薄暗い場所に突然黄赤色の花だけが咲くことから「狐火」に例えたものであるなど諸説があります。
花言葉「妖艶」は、薄暗い林床にいきなり花茎だけをすっと伸ばして橙赤色の花をつける妖しいほどのなまめかしい姿からつけられたとか・・。






花言葉      「妖艶」



写真は4~5日間隔で掲載しています。 

2015/8/19 更新


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漢亭日録