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8月号 2015年
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伊藤伊那男作品主宰の八句屑金魚 伊藤伊那男
古茶の筒奮ひ立たせるやうに振る 羅生門跡に人消え夕薄暑 奪衣婆の目が物を言ふ五月闇 ががんぼの大きな影が本の上 かはほりの出さうな場面やはり出る 隣り家の一部始終を簾越し 大津京跡であるらし瓜の花 死ぬ真似といふ一芸の屑金魚 今月の目次銀漢俳句会/8月号 銀漢の俳句伊藤伊那男
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◎出羽三山③ 出羽三山の歴史 出羽三山の歴史について簡単に触れておく。開祖は崇峻天皇の第三皇子の能除大師 湯殿系は思想が先鋭化していき、即身仏思想が連綿と続いていたようだ。森敦の小説『月山』にもあるが、五穀を徐々に断ち、最後は松の葉などを食して心身を清め腐らない身体にする。エジプトのミイラとは違うのである。そのあと湯殿山への途中の仙人谷に穴を掘って空気穴だけを空けて即身仏となるという過酷な行に入るのである。明治時代に入り廃仏毀釈運動の結果として全山が神社庁の統括下に入り、寺院から神社に転換していく。昨日までの僧侶が仏教を棄てて神官になるのであるから驚天動地の変革である。手向の講宿群は今はどこも神棚を祀り、朝夕の祈りを捧げているが、もともとは寺院であったのだ。 湯殿系の大日坊、注連寺だけは山奥にあったため目こぼしがあったのではないかと想像するが、今も寺院のままである。即身仏思想は明治時代初期まで続いていたのであるから驚きである。今も注連寺、大日坊には黒光りした即身仏が衣を纏って安置されている。 過日仲間と湯殿山注連寺に泊まったことがある。森敦がこの寺の二階に籠って『月山』を執筆したのである。私達が泊まった20年ほど前は、当時1人で寺を守っていた住職は病気で臥せっていた様子で、村人が交代で世話をしていたようだ。宿坊を兼ねているという情報があったので電話をすると何回目かにようやく通じて、受け付けてくれた。直前に確認の電話をしても通じず、不安を抱えたまま到着すると、村人が迎えてくれた。料理はミズ、ゼンマイなどの山菜の他は仕出し料理であった。酒もビールも沢山積んであり、我々は勝手に宴会をした。翌朝勘定をたずねると、一人1泊五、六千円だったかの宿泊代金しか請求がない。「ずいぶん酒を飲みましたがその分が入っていませんよ」と言うと、「いいんですよ、そんなのは」と手を振って事もなげに言うのである。押し問答の末、いくばくかの金を無理矢理置いてきた記憶がある |
先生の郷里、いわきの迎火はどのようなものであったのか? 私の郷里伊那谷では白樺の木の皮と油脂の多い赤松の薪を用いたものだ。さてこの句は迎火の燃え終わる頃、かすかな音を立てたという。榾木が崩れたのであろうが、読み手からみると、おやっ、御先祖の誰かが戻ってきた合図であるか……とも思う。ただし先生はそのような作為は好まれない方であったから、事実そのままを詠まれたのであろう。期せずして趣きの深い句となった。
(平成14年作『山海抄』所収)
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古典文学について若干の知識が必要になるが、いかにも王朝趣味のある典雅な句である。「玉梓」(たまずさ)は古代、手紙を梓の枝に結び付けて届けたことから、手紙、消息などのことを指す。「たらえふ」は樹木の多羅葉のことで、その葉に傷をつけると、そこが黒変するので、文字が書ける。郵便局のシンボルツリーがそれでマークとなっている。以上からこの句を見ると「思う人からの便りが途絶えてしまった。そう、多羅葉はまだ若葉の季節で、文字がまだ書けないのだ……とむりやり心を落ち着かせようとしている。ということになるだろうか。なかなかの遊び心である。 |
梅雨時に生じる茸の総称である。出てくるものも梅雨の中、朽ちてゆくのも梅雨の中というのである。当たり前といえば当たり前なのだが、降り続く長雨の様子が具体的である。雨の中で生命を全うする梅雨茸を一物仕立てで詠み切ったことにより、梅雨茸を離れて、人を含めた生き物全部にあてはまる寓意を生じるのである。 |
これは大きく出たものだ。山藤が一山を絡め取ってしまったというのである。私も過去に、うっかり狭庭に根付いた藤を放置して最後はその始末に困ったことがある。藤原家の名前も天皇家という大樹に巻き付いてがんじ絡めにしたからという説もあるが……さて。 |
臨場感のある力強い句柄である。「胴震ひして」の把握が眼目。脱するときに胴震いしたというところが実感である。船客の緊張感まで伝わって来るような擬人化である。 |
もしかしたら疎開先であった小諸の虚子庵であろうか。鎌倉には家は残っていないと思う。小諸にはその近隣に柿の木が何本もあったような記憶がある。私ごとだが、ここ三回ほど小諸・日盛俳句祭に出席しており。毎回虚子庵を訪ねている。家に上がることもでき、去年はうっかりと転寝をしてしまった。さてこの句、全部が漢字の仕立て。柿若葉を配して虚子の詩魂が偲ばれる。 |
鳰の浮巣をよく見た句だなと思う。水量の増減に合わせて上下する仕組みの浮巣。そうした機能は手抜きが無いというのである。やや理に勝るが、観察眼の肥えた句である。 |
せかせか暮らす私には何とも羨ましい句。「うららか」が贅沢。 |
確かに……。よく出入りできると感心するほど。 |
五重塔などに吊るす風鐸の音。「広ごる」の表現で生きた。 |
母の残した単衣から連想する数々の想い出。多多がいい、 |
「青春時代」のことであろう。ピカソを匂わせて面白い。 |
「鱗光」がいい。俯瞰すると千枚田が魚紋になるか。 |
全部が句またがりの破調だが十七音。上五の打ちだしがよし。 |
入学、就職など島を離れる場面か。季語配合のよさ。 |
熊野古道のありさまが具体的である。 |
高山祭の嘱目か。「命吹き込む」に春の息吹が……。 |
ある日、全校の生徒ががらりと更衣。その激変の驚き。 |
船旅の客室での化粧直しか。「揺れ止まず」がいい。 |
春の蚊の頼りなさを捉えた。「色なく」で平凡を脱した。 |
鷭の一歩。そのもたもた感がよく出ている。 |
伊藤伊那男
山本健吉の解説に「春のさかりを過ぎて大方の花が散り過ぎたあと、時を遅れて咲き出た桜に、昔から一種の珍しさと哀れさとを感じ取ったのである」とある。この句は「咲き遅れたその分を、美しい色で補っているよ」というのである。「その分を存分色に」の措辞には感嘆するしかない。「遅桜」をこのような視点で詠んだ句を、知らない。 |
「穀雨」は二十四節季の一つで現在の暦で四月二十日頃の雨が、百穀をうるおして芽を出させる、という意味である。穀物だけでなく、雑草も逞しく伸びる時期である。雑草に鎌を入れると、たちまちに様々な草が匂い立つ。「草ぐさ匂ふ」がうまいところで、百穀と草々の対比である。読者にもその匂いが伝わってくる臨場感を持つ。 |
夜に開催されるプロの野球競技のことだが、英語ではナイト・ゲームであり、ナイターは和製英語である。そしてこの句はまさに現代のナイター。多分人工芝の球場を詠んでいるのであろう。凸凹も光の陰翳も一切無い球場を詠み切って鮮烈である。 |
下五は「ひらくやうに」と六音で読むべきであろう。字余りだが、この句の場合、句意の余韻を残すような効果がある。全く目には見えないが、まるで扉を開くように帰っていくようだと、心象風景として詠みとめているのである。この詩的昇華は十分読み手の共感を得られる表現である。 |
私ごとだが、この頃電車の冷房が負担になり始めている。やはり年齢によるものであろう。夏の旅行の折にも交通機関用にカーディガンなど一枚用意するようになった。そんなわけで、この句はしみじみと実感できるのである。それにしてもこの句、嘆きだけではなく、そこはかとない「おかしみ」を含んでいるのが俳諧味。「五月」の季語をこのように詠んだ句は無い、と断言していい。 |
私ごとだが、つい最近、九十四歳の母を黄泉路へ送ったので尚更この句が心に沁みるのである。離郷した身にはだんだん故郷が遠のいていくものである。肉親の死去、家の処分-------。この句「月朧」の斡旋が、美しくも悲しい。「朧」に思い出も曖昧になっていく様子も潜む。 |
私は起床したら先ず緑茶を飲むのが日課。大振りの雲鶴青磁の筒茶碗で濃いお茶を二杯。新茶も季節の味として楽しむが、腰の坐った渋茶が好みである。そうした点で古茶が好きである。さてこの句は古茶、新茶の微妙な「立場」の違いを捉えて愉快である。「幾らか脇へ」の措辞が何ともいい味わいである。「嫁」と「姑」にも通じるが------。 |
年を取れば繰り言が増えるものだ。「もう百回聞いたよ」などという話もある。いつもなら適当にはぐらかせてしまうのだが、母の日ばかりは、そうはいかない。今日は最後まで、初めてきくように頷きながら聞いてやろう、と母を訪ねるのである。「母の日」の句として異色な発想。 |
台東区竜泉町、一葉記念館界隈の嘱目であろう。美登利は『たけくらべ』の登場人物。その辺りを吟行して作者の想念が『たけくらべ』の時代へタイムスリップしたのであろう。私の作句工程にも時々そうしたことがある。現実の風景からふっと歴史を遡ってある時代と混然となり、固まっていく。 |
鼻の奥がツンとするような懐かしい句だ。夏は蚊遣香、冬は練炭火鉢といったところか。「匂ひのひとつ」として配したところが取り柄。同時出句の〈旅人の花人となり坊泊り〉〈歌詠みの法師を見しか山桜〉も品位の高い抒情。 |
その他印象深かった句を次に
桜を見るたびに我が身の年令を振り返ったりするものだが、新茶の時期にもふとそんな思いがするものだ。どんなに平穏に暮そうと願っても、天変地変、人間関係などがそれを許さないことがある。心の葛藤も‥‥。そうした人生を乗り越えての感慨であろう。思えば私の人生にも、五つや六つはあったかな。同時出句の〈新茶飲む心の画布を満たしつつ〉は節目を乗り越えたひとときの新茶のやすらぎ。「心の画布」の発想がいい。 |
こんなに東京の町が変容したのに、夏の夕方など、よく見るとあちこちに蝙蝠が飛翔しているのに驚く。新宿にも渋谷にも‥‥。その飛び方は鳥でもなく揚羽でもなく、少し異様だ。反転の切れがいいのだ。句はその特徴を捉えたところが眼目。同時出句の〈浅蜊採る人ら眼下に東西線〉も、東京の一風景を捉えて斬新である。東西線が俳句になるとは! |
通夜の弔問、まだ完全な夜ではなく、たそがれどきなのであろう。梅雨どきなので独得の暗さである。雨雫を切るその先は五月闇の中。まさに「誰そ彼は」‥‥。通夜という場面と思い合わせると独得の雰囲気を醸し出すようだ。 |
春夕焼の短かさ、寂寥感がよく出ているようである。ふと見回すと自分しかいない。そして次の駅までの間に春夕焼も褪せてしまうのであろう。同時出句の〈長き尾の庭掃くごとき鯉幟〉〈匙一つほどの土盛る蟻の穴〉なども独自の観察眼を備えてきているようである。 |
滑稽味を加えて羽抜鶏の本意を突いた句である。一見みすぼらしい容姿だが、鳴き声を聞けば何とも凛々しく、おやっと見直すのである。鳴き声を「名告り」と落武者のように擬人化したうまさ。「羽抜鶏なりと」は、今でこそ羽抜鶏ではあるけれど‥‥といったところであろうか。こうした一物仕立てで押し通した句は、もちろん羽抜鶏を詠んでいるのだが、それと似た人物などをも想起させる力を持つのである。 |
自由な詠みぶりが楽しい句だ。浮雲に、この雪渓の裏側に何があったのかと問う、その問いかけの言葉がそのまま句になった面白さ。今瀬剛一の確か〈雪嶺の裏側まつかかも知れぬ〉という句を想起した。〈おーい雲雪渓の裏見てきしか〉とする方が自然か‥‥とも思う。同時出句の〈空豆の力瘤ほど膨らみぬ〉は見立ての眼力の優れた句である。比喩の的確さである。 |
嫁いだ女性ならなおさら。男でも郷里を離れたら遠くなっていくものだ。この句の眼目は「桐の花」の季語の斡旋であろう。地方によって聞く話だが、女児が誕生すると桐の苗を植え、嫁ぐ頃その費用に当てたという。作者が女性であるだけにそんな話も偲ばれるのである。季語が単なる季語にとどまらず、物語性を持つのである。同時出句の〈暮るるには間のある沼や行々子〉も佳什。 |
新調した夏帽子を密かに自信を持って被っているのだが、誰も気付かず、褒めてくれない。娘だけがようやく「似合う」と言ってくれるのだが、さて‥‥信じていいものか?そんな戸惑いを詠んで楽しい。 |
作者は信州在住の方なので善光寺の嘱目であろうか。丁度御開帳の年であった。本堂の仏様に結んだ紐を外に立てた回向柱に結び、触れれば本尊と接したことになる。そのすがすがしさを「薫風の立つあたり」と把握した力量。 |
定年退職あとの男は全体に弱いようだ。女性は「夫留守の」などとは作らない。家に残された男の手持無沙汰な様子が出ている。「古茶」に男の悲哀も深まるようだ。 その他印象深かった句を次に |
回想―句集『知命なほ』の時代(15) 伊藤伊那男 私の出身地、長野県駒ケ根市の市長、杉本君は私の小学校から高校までの同期生である。先日銀漢亭を訪ねてきてくれて「駒ケ根応援団」(観光大使のようなもの)になってくれ、という。もちろん即座に拝命した。18歳まで伊那谷で育ったが、その後、2年間の京都暮らしのほかは、かれこれ45年間東京暮らしである。兄、姉も郷里を離れているので、10年ほど前に生家は遠い親戚に譲り渡した。だが郷里とは特別の存在で、ことあるごとにその風景や幼児の頃の体験を思い出すものだ。 1年半前に長女一家と同居するに当り、様々なものを処分したが、駒ケ根市という名前の元となった、木曾駒ヶ岳宝剣岳を描いた大きな油絵だけは手離さず、不釣合いながら部屋に飾っている。18歳まで、朝に夕に仰いだ山である。 俳人井上井月に関心を持つようになってからは精神面でも郷里との縁が深まったようだ。毎年「井月俳句大会」が伊那市で開催されており、選者を務めるようになってからは、結社内外の知友に声を掛けてその足跡を巡るようになった。2年前から東京でも「井月忌の集い」を開催するようになり、その度に伊那谷の山河を偲ぶ。昨年末『漂泊の俳人 井上井月』を書下ろし、出版したが、少し郷里へ恩返しができたような気がしている。 さてその井月絡みで毎年、伊那市には1、2回訪問するようになった。やはり伊那北高校の後輩に当る、白鳥市長とも親しくさせて戴くようになり、市長も上京の折には時々銀漢亭に寄って下さる。ところが伊那市までは行くものの、駒ケ根市にはこのところ足が遠のいてしまっていたのである。それを見越したかのように、杉本市長からの「駒ケ根応援団」の要請であった。 思えば出来損ないの私のような者に、このような声が掛かるのは有難いことである。要請に応じて駒ケ根市を大いに宣伝しようと思う。伊那谷観光で私が人に勧めるのは駒ケ根駅から飯田駅位までの往復2時間位の飯田線の旅である。缶ビールを車窓に置いて木曾山脈(中央アルプス)、赤石山脈(南アルプス)の風景を楽しむ。「伊那は七谷」といって、木曾山脈からの急流が谷を深く抉っているため、その地形に沿って飯田線は大きく迂回する。その蛇行により、右窓の風景が左窓に移ったりする。その変化が醍醐味である。水田に映る残雪の木曾山脈や林檎、梨の花々。厳冬期、雪山に当る朝日や夕焼けーーー。郷里の人々は気付いていないけれど、これほどの絶景は――無い! 平成十八年 囲まれて桜吹雪のあたたかし
八百八町叩きに叩く夕立かな 神田川見ゆる下宿のなめくぢり くちなはの消えてにはかになまぐさし 腰越状声出して読む溽暑かな 坂おりてまた坂あがる長崎忌 盆用意妻の残せし犬洗ひ 父来ると岐阜提灯のまたたけり 新涼の風しみじみと耳の裏 毛越寺跡大いなる虫の闇 秋風を聴くといふより見てゐたる 戒名の妻呼び露の世とおもふ 蕎麦の花一茶よろよろ来る頃か 妻今宵月の兎と遊ぶならむ 沢庵石郎党のごと納屋にあり 夜神楽の磐戸の段に起こさるる 平成十九年 去年今年去年にはありし妻のこゑ
四日はやぶつかりわたる交差点 寒鰤や屏風びらきに越の山 白魚のいとけなきまで骨透けり |
伊藤伊那男主宰の近著『漂白の俳人・井上井月』が平成26年12月25日に(株)KADOKAWAから刊行されました。近年俳人としての井上井月に対する位置づけの見直しが進む中で、伊藤主宰は井月の俳句を通して謎の多い実像に迫る試みをされます。井月の人となりを知る一書として、また井月俳句への入門書として高い評価を得ております。著名な文人、俳人の方々が、いろいろな機会にこの著書を取り上げて紹介されております。是非、読んで頂ければ存じます。 |
読売新聞夕刊版・井上井月の記事(2015/4/4) そのまま忘れられておかしくない男が今、なぜか熱い。北村皆雄さん(72)の映画『ほかいびと伊那の井月』(2011年)の公開後、復本一郎編『井月句集』(岩波文庫)が出版され、作品を味わいやすくなった。伊藤伊邦男『漂泊の俳人井上井月』(角川学芸出版)、北村さんの『俳人井月』(岩波現代全書)など初学者向きの本も相次ぐ。記事から抜粋。 △PDFへリンクします。 |
帯の紹介文から・・・ ひたすら芭蕉を慕い、山頭火に影響を与え芥川龍之介を唸らせた明治初期の俳人・井上井月。だがその正体は長い謎だった。酒好きで、家も財産も持たず、伊那を約30年放浪した男の知られざる素顔を、近年発見された日記、資料、俳句から探る。唯一の入門書。 |
ひたすら芭蕉を慕い,山頭火に影響を与え、芥川龍之介を瞠目させた。その謎多き生涯を俳句と資料でたどる。井月の素顔が分かる唯一の入門書。135句の名句鑑賞付き。 KADOKAWA HAIKU 『俳句』4月号から・・。 |
5月 5月13日(水) 暴飲暴食の報いか、腹痛と脱力感。桃子が豊島クリニックを予約してくれて、這うように通院。レントゲンを撮るために立つのさえやっとの疲労感。超音波、血液採取など人間ドックのような検査。あと点滴。今日は店、休みとする。 5月14日(木) 関東中央病院へ入院。この間のことは7月号「『知命なほ』の時代」に記す。大野田、川島、杉阪、谷口、松代さんが見舞いに来て下さる。 5月21日(木) 11時、退院。八丁味噌に卵を落とした汁とごはん。旨し。この味噌汁、我家の伝統。夜、武生の湯豆腐、腹にしみる。缶ビールを少しずつ1本。9日振りのアルコール! まだ声に力がないか。「銀漢句会」へは投句参加。 5月22日(金) 宮澤、宗像神社へ。春日大社御造替の撮影の依頼も入ったと。一週間とはいえ、留守中の雑用沢山あり。昨日まで病院で計った血圧は全く正常なのに、今日計ると高い! これは一体何?9時過ぎから外出。銀行、郵便局などのあと本屋散策、喫茶店など。こんなにのんびり過ごすのは初めて。午後、武田禪次さん見舞いに来宅。五島、長崎の旅の土産をいただく。諸々打合せ。夕食作り手伝う。 5月23日(土) 快晴。幼稚園運動会に顔を出す。来ていたりえさんと盲腸の話。大学を通ると学食あり。朝昼兼食でドリア、390円。あっ、これって成城で一番安い食堂! 駅前の上島珈琲でくつろぐ。「纏句会」へメールで題を出す。夕食は昼のドリアが効き、そうめんと冷奴。 5月24日(日) 昨日、日に当ったせいか、やや疲れあり。午後、杏さん帰宅。雅斗君のお宮参りの祝いと杏さんの誕生日祝い。手巻き寿司など。 5月25日(月) 桃子が時間のあるうちに検査しておけというので、駅前の岩野歯科。年齢比トップクラスの健常な歯と。歯石取りなど。宗像環境祭から戻った宮澤と夕食。少々の酒に酔う。快気祝いの手配など。 5月26日(火) 10時、関東中央病院。児玉先生、血液検査も全てOKと。長崎の坂口さんより福岡の岩渕さんと2人で隠岐参加との便り。嬉しいこと。夕方散策。 5月27日(水) 7月号の原稿書き追い込み。夜、家族で山五焼肉店。少々の酒に酔う。 5月28日(木) 昼から買い出し。久し振りの店。二品ほど。仕込みなど。春耕記念事業賛助金送付。 5月30日(土) 店にて前の会社パシフィックモーゲージ(株)の初めての同窓会。消滅するまでの10数年の間に約60名が在籍したが、その内の35人が出席。青森、大阪からも。20数年ぶりにあう方々も。結局、午後3時にスタートして、お開きは21時という長丁場に。20時半頃、地震あり。来年の再会を約す。 5月31日(日) 昼、娘夫婦と少し飲み、昼寝。17時半、テツ君のレストラン「バール・ウーゴ」がリニューアルオープンしたので家族で自由が丘。7家族、30人位集まる。学生時代に親しんだ街にて少し散策。様変わりに驚く。 6月 6月1日(月) 本日より営業再開。久々、大勢の方々が訪ねて下さる。感謝、感謝! 発行所「かさゝぎ勉強会」。あと11人。伊藤庄平さんの句集『初蝶』銀漢叢書第二弾として発行成る。山形の菅原庄山子さんより基金3万円。伊集院静氏「銀漢」購読代金とて2年分送って下さる。何とも凄い応援団! 6月2日(火) NHKEテレの「俳句さくさく」とかの番組に出ているという芸人のシシオガイさんが来店。俳句モードに浸りたくて捜して来たと。敦子、酔馬さんなどから刺激を受けている。終盤、清人一派、日本酒の会の帰路。だが、全体閑散。まだ、若干の疲れあり。 6月3日(水) 昼寝少々。杏遊びに来たので娘2人と歓談。店、国会議員のT先生。先日来て閉まっていたので心配したよ、と。広渡敬雄さん6人。発行所「きさらぎ句会」あと11人。「宙句会」あと7人。眞理子さん松葉杖で復帰。両句会共ヴーヴクリコで私の退院も祝って下さる。眞理子さん還暦祝とて〈七変化のまだ四・五ほどの齢なる 伊那男〉、東大俳句会の若手3人。洋酔さん、麒麟夫妻。賑わう。 5月4日(木) 退院以後、睡眠時間が前より長い。酒は遥かに減っているが……。店、賑やか。「十六夜句会」あと7人。オリックス時代の同僚3人。2人は20数年ぶりか。柚口満さん、今年も熊本の実山椒を沢山届けて下さる。肖子さん、真砂年さん。 5月5日(金) 9時、世田谷の胃癌検診。久々、バリウム飲む。昼寝。雨。店、超閑散。 6月6日(土) 気仙沼・畠山重篤氏の植樹祭に行く予定があったが手術後なので大事をとって中止。夜、成城のママ仲間2人来て一緒に酒盛り。チーズフォンデュ、春雨のうま煮など。 6月7日(日) 身体の大事をとって「春耕句会」休む。桃子にちりめん山椒の作り方伝授。午後、杏と孫遊びに来て庭で宴会。 6月8日(月) 朝、宮澤、イギリスの映画祭に出発。昨夜Tシャツ、短パンのまま寝たのがいけない。風邪気味。咳が出る。不調の1日。店も閑散。 6月9日(火) 大西酔馬さん還暦誕生会。先週、新橋あたりで大祝賀会があったにもかかわらず。2度目ながら30人ほど集まる。不思議な人である。別に伊那北同期・堀内君、帝国臓器の同期と3人。そこへ駒ヶ根市長の杉本君来店。全国市長会のあと、とのこと。彼も伊那北同期生。公称「駒ヶ根応援団」になってほしいとの依頼あり。菅原庄山子さんより月山筍沢山。 6月10日(水) 7月号校正。「梶の葉句会」選句。思えば、先月のこの日から休業であった。店は超閑散。「北軽井沢句会」駒ヶ根吟行中。柴山さんより連絡あり。光前寺のあと水車で句会。木曾・奈良井宿あと伊那へ戻って泊りと。明日は「高遠句会」の加藤恵介君、三溝さんが伊那を案内してくれると。 6月11日(木) 閑散。ただし親子3人でみえたお客さんの娘さんが俳句をやりたいと。今年は店を訪ねてくれて入会する方が結構いる。23時、閉めて洋酔さん他と「大金星」。ただし私、以前のように食べず飲まず。 |
■名前の由来 花の色が「キツネ色」で、帯状の葉をカミソリにたとえたものであるというのが、一般的です。なお、「キツネ色」は狐の毛皮の色で、食べ物などが焼けた様子を「キツネ色にこんがり焼けた」などと形容されます。 なお、キツネの名は、さびしげな場所に咲くからという説や、薄暗い場所に突然黄赤色の花だけが咲くことから「狐火」に例えたものであるなど諸説があります。 花言葉「妖艶」は、薄暗い林床にいきなり花茎だけをすっと伸ばして橙赤色の花をつける妖しいほどのなまめかしい姿からつけられたとか・・。 |