銀漢の俳句
伊藤伊那男
◎鯖街道を走る
京都五山の送り火を拝した翌日、レンタカーで湖西に出て安曇川沿いに比良山の裏側、鯖街道の朽木に出た。朽木は足利十二代将軍義晴が京を追われて2年半ほど幕府を移した地である。もともと権力基盤の弱かった足利幕府は応仁の乱以降益々弱体化していたのである。幕臣一万人ほどが移動したというから、この狭隘の地に人が溢れていたのである。将軍の無聊を慰めるために造園した庭園が今も残っている。その将軍の御所跡と想定される高台に興聖寺がある。半世紀前に訪ねているが庭園は随分整備され、清潔な気に満ちた本堂で重要文化財の釈迦如来像を拝し、住職から丁寧な説明を受けることができた。
鯖街道は若狭小浜から京都の出町柳までの70数キロ。日本海の鯖を一塩にして一昼夜駆けて届けると、丁度塩味が熟れて鯖鮨に加工される。その街道を京へ進んでいくと花折峠にぶつかる。今はトンネルで抜ける。トンネルの中で思い出したことがある。若い頃、哲学者の梅原猛の著書に熱中したことがあるが、その中に『湖の伝説』という夭折の女流画家、三橋節子の生涯を描いた異色の一冊があった。その節子の晩年に代表作「花折峠」がある。旅から戻って久し振りに読み返してみた。旅の刺激はこうしたところにある。節子は昭和14年京都市に生まれ、京都市立美術大学(現:京都市立芸術大学)を卒業。結婚して滋賀県大津市に住んだ。33歳の時、鎖骨の癌により利き手の右腕を切断する手術を受けた。その後、癌の転移が進んでいく中、驚異的な精神力で創作を続け、35歳で他界した。最後のテーマは近江に残る伝説で、その中に花折峠の物語がある。2人の花売り娘がいて、気立ての良い方の娘が妬んだ一方の娘に川に突き落とされる。ところが村に帰ると死んだはずの娘が生きて働いている。突き落とした辺りの草花が折れ伏して娘を支えたのだという。そこから花折峠の名が残ったのだという。三橋節子の絵はその題材を借りたのであろうが、川に浮かぶ娘は節子そのもので、現世にはもう戻ってこない。折れた花々はまるで涅槃図の「釈迦を囲む衆生のようだ」と梅原は言う。魂が浄化される、絶唱ともいえる絵である。興味のある方は読んでほしい。
余談だが、今回手に入れたのはアマゾンでなんと67円、送料350円という文庫本であるが、絵画を紹介するカラー頁が12頁もある。今、再度検索すると単行本が何と一円! 送料350円とある。本を読まなくなった時代をいやがうえにも知らされる悲しい値段である。さてさて日本の文化の行方はどうなるのか、と暗澹たる思いである。
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盤水俳句・今月の一句
伊藤伊那男
雪蛍振りむくときにもう見えず 皆川 盤水
現在は随分発掘が進み、往時の建物も一部復元され観光地となっている。先生が訪ねた昭和五十六年はまだ草叢の中だったのではなかろうか。雪蛍を見付けて同行者に教え、振り向くともう見失ってしまったという。北陸の雄として五代百年の栄華を誇った一乗谷は織田信長に蹂躙される。その哀史を「雪蛍」に象徴させて偲んだのであろう。(昭和五十六年作『山晴』所収) |
彗星集作品抄
伊藤伊那男・選
岐阜提灯点す一間の草色に 岡城ひとみ
接収の記憶抱きし夏館 白井 飛露
三代で使ふ踏台盆支度 武井まゆみ
足音とも風のこゑとも盆がくる 半田けい子
もう涸れてゐるかもしれぬ天の川 長井 哲
手拭の端のほつるる晩夏かな 宮本起代子
火祭の火柱の縫ふ富士の裾 谷岡 健彦
十六の浴衣は夢の翼かな 上野 三歩
心電図の冷たき端子冬来る 内藤 明
蠟涙の嵩幾重にも原爆忌 山田 茜
水源と云ふも一滴花野径 森崎 森平
古書の街褪せし日除をつらねたり 多田 美記
原爆忌いまはしいほど空晴れて 山元 正規
水音の足裏からも花野径 森崎 森平
天の川逢へただらうか伝言板 大田 勝行
兵児帯の尾ひれの生えて浴衣の子 園部あづき
甲斐駒の風に香を添へ葡萄熟る 伊藤 庄平
蚊遣火の灰昭和史の渦めけり 堀江 美州
みちのくの男の出刃に海鞘の腸 谷口いづみ
伊藤伊那男・選
岐阜提灯点す一間の草色に 岡城ひとみ
私の母の実家は雑貨商で、盆の前には店中に岐阜提灯を並べた。吊るすものもあり、置くものもあり、蠟燭を点すもの、電気で緩く廻るものがあり、美しい風景であった。いずれの提灯も薄紙に秋の草々が描かれているのが決まりであった。その草々を透かせて洩れる光はやはり草色、というのがこの句の眼目。さていつの頃からか盆提灯の需要は減少し、盆の前にも四つか五つ位しか置かなくなっていった記憶がある。もはや消えていく風景の一つである。 |
接収の記憶抱きし夏館 白井 飛露
無条件降伏をした日本であるから、各都市の目ぼしい建物はたいてい米軍に接収された。今残っている歴史的建造物は多くその歴史を持つ。夏館を擬人化して戦後の歴史の一端を語っている句だ。冬館ならどうか、という意見が出るかもしれないが、やはり敗戦の暑い夏を象徴するには夏館の方が勝っているように思う。余談だが、京都の四条大橋の袂に東華菜館という、およそ中華料理店とは思えない洋館がある。元はスペイン料理店であったが、接収を嫌った所有者が中国人に売却したという歴史を持つ。 |
三代で使ふ踏台盆支度 武井まゆみ
盆用意の臨場感がよく出ているようだ。「踏台」という「物」に焦点を当てたのが成功の秘訣である。しかも「三代」と持ってきたことによって先祖代々続き、古い風習も守っている家であることが解る。つまり全く無駄な言葉が無い構成である。 |
足音とも風のこゑとも盆がくる 半田けい子
高浜虚子に〈風が吹く仏来給ふけはひあり〉がある。季語は「仏来る」で「魂迎へ」の傍題ということになる。同類の句ではあるが、掲出句の方が分かり易いかもしれない。先祖が帰ってくることを耳で感じているのである。 |
もう涸れてゐるかもしれぬ天の川 長井 哲
銀河系の縁辺が地上からは川のように見えることから、天の川の名がある。詳しい事は理解できないが、今我々が見ている星々の光は何万光年か何億光年前の光であるから、元の星はとっくに消滅してしまっているのかもしれない、とこの句は言う。「涸れてゐるかもしれぬ」がうまい表現である。宇宙の神秘を詠んで尺度の大きな句であった。 |
手拭の端のほつるる晩夏かな 宮本起代子
私は五年ほど前からハンカチをやめて手拭派である。この句のようにほとんどの手拭は端を切りっ放しなので、次第にほつれてくる。夏は一番使う時期なので尚更である。細かなところをよく見ている句で、好ましい。 |
火祭の火柱の縫ふ富士の裾 谷岡 健彦
十六の浴衣は夢の翼かな 上野 三歩
十六歳。まさに人生はこれから。浴衣の袖は未来への翼。 |
心電図の冷たき端子冬来る 内藤 明
検査は寒々とした気持になるが「冬の到来」なら尚更。 |
蠟涙の嵩幾重にも原爆忌 山田 茜
水源と云ふも一滴花野径 森崎 森平
古書の街褪せし日除をつらねたり 多田 美記
原爆忌いまはしいほど空晴れて 山元 正規
当事者にとっては青空にこんな思いを持つのであろう。 |
水音の足裏からも花野径 森崎 森平
天の川逢へただらうか伝言板 大田 勝行
行き違いの多かった昔。駅の伝言板も過去のものに……。 |
兵児帯の尾ひれの生えて浴衣の子 園部あづき
子供の頃の帯は妙に長かったものだ。「尾ひれ」がいい。 |
甲斐駒の風に香を添へ葡萄熟る 伊藤 庄平
蚊遣火の灰昭和史の渦めけり 堀江 美州
みちのくの男の出刃に海鞘の腸 谷口いづみ
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銀河集作品抄
伊藤伊那男・選
奈良筆の穂先をくづす秋意かな 東京 飯田眞理子
海の家水平線に卓を据ゑ 静岡 唐沢 静男
子ら連れて割れんばかりの帰省かな 群馬 柴山つぐ子
深々と画架を沈めて夏野原 東京 杉阪 大和
秋の蝶短き日差し分け合へり 東京 武田 花果
八月の日捲りにある重さかな 東京 武田 禪次
照準は富士のてつぺん水鉄砲 埼玉 多田 美記
日中を末座で過ごし夕端居 東京 谷岡 健彦
なつかしき焦げ跡ひとつ花茣蓙に 神奈川 谷口いづみ
三伏の閻王の喝たまはりぬ 長野 萩原 空木
蠍座の心臓腫らす熱帯夜 東京 堀切 克洋
ぴたり合ふ寄木細工や秋めける 東京 松川 洋酔
毳立てる下宿の畳大西日 東京 三代川次郎
伊藤伊那男・選
百畳に二人の夕餉秋遍路 神奈川 大田 勝行
まづ窓を開けて夏山診療所 東京 上田 裕
我が世とぞ思ふほど鳴く御所の蟬 東京 伊藤 政
風を描く画家のとらへし秋桜 神奈川 大野 里詩
山開雨の帳もひらかれよ 愛知 荻野ゆ佑子
藩校は小学校に蟬時雨 千葉 小森みゆき
地の底を引つ張るやうに迎鐘 兵庫 清水佳壽美
山開き今日より富士は眠られず 東京 多田 悦子
中辺路の人里ごとの梅筵 東京 戸矢 一斗
孫詠むは遺言に似て稲の花 東京 中村 孝哲
家族みな揃ひし頃の西瓜かな 茨城 中村 湖童
わだつみのこゑ伝へてよ貝風鈴 千葉 中山 桐里
遠き日を蚊遣の煙に炙り出す 大阪 西田 鏡子
パエリアの烏賊の足立つ小暑かな 東京 橋野 幸彦
流灯の波越す母の強さかな 東京 川島秋葉男
帯手繰り残る暑さを締め上ぐる 東京 小林 美樹
炎昼や入れ替への無き名画館 神奈川 白井八十八
夕立に冷まされてゆく滑り台 大阪 末永理恵子
堂奥の燭下一仏影涼し 埼玉 中村 宗男
茄子の馬なんとか立たせ我もまた 埼玉 萩原 陽里
折り皺の著けきも良し藍浴衣 東京 矢野 安美
生身魂と言はれてゐるかもしれず 東京 飛鳥 蘭
水鉄砲銀の機影を撃つてみる 東京 有澤 志峯
赤ん坊の泣き声供へ魂祭 神奈川 有賀 理
冷奴妻のみやげの箸おろし 東京 飯田 子貢
銭湯の手配写真や秋暑し 山形 生田 武
わが憂さを匿す簾を吊しけり 埼玉 池田 桐人
世を隔つ壁には非ず青簾 東京 市川 蘆舟
古書店の主立つとき黴匂ふ 埼玉 伊藤 庄平
夜這星島の鳴り砂色めきぬ 神奈川 伊東 岬
夏落葉旅の思ひ出として拾ふ 東京 今井 麦
歴代の御製ひもとく終戦日 埼玉 今村 昌史
水楢に満ちるみづおと今朝の秋 東京 宇志やまと
半夏雨母の記憶に実母散 埼玉 大澤 静子
三伏や廂を深く漢方医 東京 大沼まり子
施餓鬼会の南無阿弥陀仏幾重にも 埼玉 大野田井蛙
階を帰心淡々解夏の僧 東京 大溝 妙子
淋しさの棘ある返事心太 東京 大山かげもと
落鮎にあらがへる尾のありにけり 東京 岡城ひとみ
青林檎足しキャンバスにまた向かふ 宮城 小田島 渚
袈裟懸けの浮輪が急ぐ夏の海 宮城 小野寺一砂
拝む手を上から下へ大瀑布 埼玉 小野寺清人
夏惜しむ故山は裾を海に入れ 和歌山 笠原 祐子
触るるものみな熱を持つ夏の風邪 東京 梶山かおり
茄子の馬さきほどよりは傾けり 愛媛 片山 一行
串刺の鮎の不覚を悔ゆる面 静岡 金井 硯児
浜風にただれるやうに緋のカンナ 東京 我部 敬子
送り盆彼の世ばかりが賑やかに 千葉 川島 紬
瑞々し桃頂きて不老不死 神奈川 河村 啓
子の混ざり水鶏一家の畦渡り 愛知 北浦 正弘
ふとおもふ食べ合はせ図や鰻の日 長野 北澤 一伯
大仏の螺髪の上に雲の峰 東京 絹田 稜
裏富士に混じる錆色晩夏光 東京 柊原 洋征
煙出しの焦げを両目に蚊遣豚 東京 朽木 直
なかなかに骨の休まぬ秋扇 東京 畔柳 海村
生返事ばかりしてをり夏の風邪 東京 小泉 良子
大きくも小さくも見せ金魚鉢 神奈川 こしだまほ
ハンモック同じ高さに水平線 東京 小山 蓮子
「父帰せ」神などいらぬ敗戦忌 宮城 齊藤 克之
夏風邪の他人のやうな声三日 青森 榊 せい子
夜のプールひと日の自由とり戻す 長崎 坂口 晴子
刈り伏せてひとりの幅の盆の路 長野 坂下 昭
夕立来る手早に済ます厨事 群馬 佐藤 栄子
稲妻の長引く辺り妹の住む 群馬 佐藤かずえ
秋暑し途切れ途切れのオルゴール 東京 島 織布
片翅をあふられて飛ぶ秋茜 東京 島谷 高水
駐在所裏にビニールプール干す 東京 清水 史恵
白玉や児の手加はり不揃ひに 東京 清水美保子
末の子の我のみ残り盆支度 埼玉 志村 昌
風曜日なんて日もある薄原 千葉 白井 飛露
夕顔へ届く厨のにほひかな 東京 白濱 武子
梅雨明や歪な月が街照らし 東京 新谷 房子
縁側に袈裟の干しある解夏の寺 東京 鈴木 淳子
日捲りのけふも教訓朝ぐもり 東京 鈴木てる緒
動かざる草木猛暑の葬儀場 群馬 鈴木踏青子
天の川夢は昔のままの景 東京 角 佐穂子
朝顔の何かをつかむ萎みやう 千葉 園部あづき
つながれしスワンボートや秋暑し 神奈川 曽谷 晴子
みづうみの女神に盗られ夏帽子 長野 髙橋 初風
涼しさや縁台将棋の王手飛車 東京 高橋 透水
夕風を袖にあしらひ藍浴衣 東京 武井まゆみ
秋風鈴鬼籍の人へつなぐ音 東京 竹内 洋平
樟脳舟たらひの海は今日も凪 神奈川 田嶋 壺中
山靴を枕に眠る八合目 東京 立崎ひかり
七夕や七色の糸織にかけ 東京 田中 敬子
父母のなれそめ聞くや盆の月 東京 田家 正好
半夏生ラベルの褪せし養命酒 東京 塚本 一夫
いつの日かこの星もまた流れ星 東京 辻 隆夫
流燈の傍に新たな火葬の火 ムンバイ 辻本 芙紗
白玉のつぎつぎと湯を蹴り上げて 東京 辻本 理恵
味噌蔵の諸味つぶやく朝曇 東京 坪井 研治
父の匂母のにほひや蚊帳の中 千葉 長井 哲
繰返し朝刊を読む夕端居 東京 中込 精二
涼み難し浪速に橋の多かれど 大阪 中島 凌雲
ひときはに魚鼓鳴り渡り解夏の寺 神奈川 中野 堯司
帰省子の去りて座敷に風通ふ 東京 中野 智子
富士詣板碑に江戸の講社の名 東京 中村 藍人
稲の花今も母校に金次郎 長野 中山 中
海の日の朝より海を濡らす雨 広島 長谷川明子
河童忌やかりそめならぬ雨となり 東京 長谷川千何子
八咫烏神社を望む夏嶺かな 兵庫 播广 義春
七月十六日
鰐口を反り身に打てる閻魔の日 埼玉 半田けい子
みづやうかん水の重みに耐へてをり 埼玉 深津 博
身を焼くか煩悩焼くか火取虫 東京 福永 新祇
動くたび風の出入りあつぱつぱ 東京 福原 紅
上り来る月さへ赤し熱帯夜 東京 星野 淑子
護摩壇の火の煽らるる滝開き 岐阜 堀江 美州
篁を風の礼讃涼新た 埼玉 本庄 康代
老の吹く鹿寄せの音の休み休み 東京 松浦 宗克
籐寝椅子電話のたびに軋ませる 東京 松代 展枝
荒縄を空に放りて鉾立つる 神奈川 三井 康有
鰻食ふ身ぬちに油注すごとく 神奈川 宮本起代子
忌日とて芙蓉清しく咲き揃ふ 東京 村田 郁子
地球儀を回してみたり昼寝覚 東京 村田 重子
朝ぐもり茶碗に残る貝の殻 東京 森 羽久衣
朝顔の藍の浅瀬と云ふ極み 千葉 森崎 森平
胎内の記憶どこかに泳ぎけり 埼玉 森濱 直之
峡の里迎火焚いて死者生者 長野 守屋 明
アウシュヴィッツにて
風死すや館を出づる人の黙 愛知 山口 輝久
どつと来てさつと去りゆく盆の客 群馬 山﨑ちづ子
力石持ち上げてみる山開 東京 山下 美佐
持ち寄りの団子不揃ひ地蔵盆 東京 山田 茜
三伏や飴に貼り付く包み紙 東京 山元 正規
夏服を吊れば疲れてゐるかたち 東京 渡辺 花穂
羅や昆虫の羽根羽織るかに 埼玉 渡辺 志水
銀河集・綺羅星今月の秀句
伊藤伊那男・選
百畳に二人の夕餉秋遍路 大田 勝行
遍路は春が主流で、秋は少ない。百畳に二人、というのがその辺りの事情を的確に詠み取っている。少し淋しい遍路。 |
まづ窓を開けて夏山診療所 上田 裕
実に爽やかな句。ペンキで白く塗った木造の診療所が目に浮かぶ。一日の始まりは窓を大きく開けること。すかさず涼風が吹き抜けたことであろう。 |
我が世とぞ思ふほど鳴く御所の蟬 伊藤 政
藤原道長の〈この世をば我が世とぞ思ふ望月の欠けたることも無しと思へば〉の本歌取り。今の京都御所は室町時代に移ってきたもので、道長の時代はもっと西にあった。今の京都迎賓館から仙洞御所に掛かる辺りが道長の土御門邸跡であるから、句は歴史も正確に捉えているのだ。 |
風を描く画家のとらへし秋桜 大野 里詩
秋桜だからこそ成立する句であろう。風を主題に描く画家であれば、敏感に戦ぐ秋桜こそ最上の画材である。 |
山開雨の帳もひらかれよ 荻野ゆ佑子
山開の句では、ありきたりの句材を離れて、一歩踏み込んだ句である。神主のお祓いに、雨があがることも祈ってほしいと願う。「雨の帳もひらかれよ」は実にうまい措辞。 |
藩校は小学校に蟬時雨 小森みゆき
江戸時代の日本には約三百の藩があった。藩校は幕末に二百五十校ほどあったようだ。城跡が学校になった所は多い。藩校と同じ名前を引き継いだ学校もある。それらの歴史は今、蟬時雨の中 |
地の底を引つ張るやうに迎鐘 清水佳壽美
京の人は盆入りと共に東山の六道珍皇寺迎鐘を撞きに来る。実は撞くのではなく綱を引くと鳴る。構造は私には不明だが、地の底を引っ張る、と表現したのが手柄である。おのずから御先祖様も引っ張り出してくるようだ。 |
山開き今日より富士は眠られず 多田 悦子
昨今の富士登山は異常である。軽装で食料も持たずに強行軍で登る輩が行列を作っているという。本来日本の登山は神に会う為であり、神聖な行事であった。登拝である。それに戻れと言っても無理だが、嘆かわしいことだ。「富士は眠られず」は山眠るに掛けた作者の嘆息であろう。 |
中辺路の人里ごとの梅筵 戸矢 一斗
熊野詣は、大辺路、中辺路、小辺路の道がある。中辺路は紀伊田辺から東へ山間部を抜ける道。私も一部を歩いているが、所々の小集落の一景。梅筵の点描が味わい。 |
孫詠むは遺言に似て稲の花 中村孝哲
この年になるとこの句は確かに実感である。「遺言に似て」とは幸福の祈りのようなものである。「稲の花」という、日本人の命を守り続けた季語を配したのがいい。 |
家族みな揃ひし頃の西瓜かな 中村 湖童
近頃は大玉の西瓜を見なくなった。核家族の時代に入ったし、冷蔵庫に入らない。盥に浸して、大きな三角形に切って家族でかぶり付いた頃が懐かしい。 |
太平洋戦争では三百万人の同胞を失った。水漬く屍も多かった。私の叔父も学徒出陣でフィリピン沖に没した。この句は貝風鈴に訴えている。遺骨も遺髪も無い英霊のせめて声だけでも届けてくれ!と。「伝へてよ」という命令と願望の混じった表現が切実である。 |
遠き日を蚊遣の煙に炙り出す 西田 鏡子
今や煙の出ない蚊遣が主流になっているようだ。渦巻線香形の蚊遣は消えていく運命にあるようだ。あの匂も懐かしい。句は煙に過去を回想している。あの蚊遣香だからこその感慨である。「炙り出す」がうまいところだ。 |
パエリアの烏賊の足立つ小暑かな 橋野 幸彦
洒落た句である。海辺のテラス席であろうか。烏賊の足が立つ、というのは勘所を摑んだ独自の観察眼で、美味であることに間違いは無さそうである。 |
その他印象深かった句を次に
流灯の波越す母の強さかな 川島秋葉男
帯手繰り残る暑さを締め上ぐる 小林 美樹
炎昼や入れ替への無き名画館 白井八十八
夕立に冷まされてゆく滑り台 末永理恵子
堂奥の燭下一仏影涼し 中村 宗男
茄子の馬なんとか立たせ我もまた 萩原 陽里
折り皺の著けきも良し藍浴衣 矢野 安美
伊藤伊那男・選
秀逸
本家故縁者参集盆支度 東京 倉橋 茂
心太捕へ処のなき話 東京 尼崎 沙羅
仏間から影躍り出る走馬灯 愛知 住山 春人
潮の香の漂ふ路地や青簾 東京 関根 正義
敗戦を終戦となし敗戦忌 東京 髙城 愉楽
朝顔やぬくもり残る豆腐買ふ 東京 竹花美代惠
箱庭に小さき人生ありにけり 東京 田中 真美
みみず乾ぶる七月のアスファルト 埼玉 水野 加代
七島のひとつは見えず青蜜柑 東京 宮下 研児
カステラの角立ちにけり長崎忌 長野 上野 三歩
鰯雲棺担ぐはもう難し 東京 久保園和美
おほかたは治らぬままの夏の風邪 岐阜 鈴木 春水
一抜けて二抜けて日暮赤とんぼ 広島 小原三千代
身ほとりに来れば大きや赤蜻蛉 静岡 山室 樹一
秋虹の一根をささふ遠筑波 栃木 たなかまさこ
光堂とて変哲もなき白雨 東京 井川 敏
どの戸にも海の風吹く盆用意 東京 上村健太郎
朝顔も体内時計狂ひがち 東京 清水 旭峰
鳴り止みて母の風鈴外しをり 埼玉 内藤 明
畢生に残るは俳句生身魂 神奈川 西本 萌
難問の終に解けたり髪洗ふ 千葉 平山 凛語
星雲集作品抄
伊藤伊那男・選
帚木の昔しのぶや夏の蝶 長野 池内とほる
朝顔やさつと濯ぎし牛乳瓶 東京 一政 輪太
いくつかは戻るを返す流灯会 東京 伊藤 真紀
常宿の暖簾を潜る夏休み 広島 井上 幸三
ボサノバやかちわりで呑むウヰスキー 長野 浦野 洋一
灯台の白浮き上がる炎暑かな 静岡 大槻 望
はたた神妙義の奇峰攲てる 群馬 小野田静江
萎るるは子の手にあまる秋の草 静岡 小野 無道
蜩の川面に響く夕べかな 東京 桂 説子
号令を今か今かと昆布漁 埼玉 加藤 且之
松枯れの山に緑雨の咽び泣き 長野 唐沢 冬朱
納涼や玄関開けて風入れて 愛知 河畑 達雄
順番に鳴いてゐるらし蟬の声 群馬 北川 京子
金時が金箔まとふかき氷 東京 北野 蓮香
帰省して緩き時間を持て余す 東京 北原美枝子
沸騰にさらに追討ち西日かな 東京 熊木 光代
朝採りのキャベツ溌剌直売場 群馬 黒岩伊知朗
星空の舞台の袖に棲む守宮 愛知 黒岩 宏行
かき氷ひと匙ごとに崖崩す 東京 髙坂小太郎
老人に昨日は昔秋の暮 神奈川 阪井 忠太
語り継ぐ事の重さや敗戦忌 長野 桜井美津江
子の指の旋回の中蜻蛉かな 東京 佐々木終吉
朝顔の咲いた数だけ喜びも 群馬 佐藤さゆり
炎帝の息吹き間近な午後三時 東京 島谷 操
荒草の刈ればなほまた生ゆる夏 千葉 清水 礼子
隣り合ふ籬に老いや菊日和 大阪 杉島 久江
玉音に正座の家族盆座敷 東京 須﨑 武雄
擂鉢に軋む板の間とろろ汁 埼玉 其田 鯉宏
色褪する海風の町夏の果 埼玉 園部 恵夏
生姜擦る手のやや力む新豆腐 東京 田岡美也子
ありがたく浴びる古刹の虫時雨 大阪 田中 葵
たぶん妻蛍袋の花ん中 長野 戸田 円三
この奥に人里はなしみな青嶺 群馬 中島みつる
星座表手に子と仰ぐ天の川 神奈川 長濱 泰子
綿菓子を鼻で食べてる夜店の子 京都 仁井田麻利子
サーカスの天幕の穴星涼し 東京 西 照雄
動く度潮の香のする日焼の子 宮城 西岡 博子
髪洗ふ今日一日の禊とし 東京 西田有希子
眼裏の父母と暫しを盆の墓 静岡 橋本 光子
毛氈の緋の映り込む心太 東京 橋本 泰
耳鳴りの兆し雷雲湧き登る 神奈川 花上 佐都
不機嫌な向日葵に雨さらに雨 千葉 針田 達行
潮風に卒塔婆鳴るなり盆の路 神奈川 日山 典子
食卓に走り書きあり終戦日 千葉 平野 梗華
夜半に鳴る目覚時計明易し 長野 藤井 法子
不知火の消えし干潟や篊の列 福岡 藤田 雅規
西瓜描く子の膝がしら種ひとつ 東京 幕内美智子
朝顔の露まんまるとこぼれ落つ 東京 松井はつ子
落蟬の末期の声の透きとほる 愛知 箕浦甫佐子
遺骨なき仏壇の黙敗戦忌 宮城 村上セイ子
栗の実の弾ける音や夜もすがら 東京 家治 祥夫
真直ぐな道が溶けゆく炎暑かな 神奈川 山田 丹晴
稜線を浮かび上がらせ西日かな 群馬 横沢 宇内
はたた神手加減のなき怒りやう 神奈川 横地 三旦
暖かきほうじ茶の欲し今朝の秋 神奈川 横山 渓泉
門火焚き父似の姉の来るを待つ 千葉 吉田 正克
口ずさむ恋の詩あり青林檎 山形 我妻 一男
祖母と行く菊人形は四段目 東京 若林 若干
炎帝に老いの気力を試さるる 東京 渡辺 誠子
叔母の顔に母の顔みる夏座敷 東京 渡辺 広佐
星雲集 今月の秀句
伊藤伊那男
本家故縁者参集盆支度 倉橋 茂
漢字だけで構成された句だが、読んでいて全く無理は無い。盆支度であるから前日から分家の人々などが集まって用意に怠りが無いようだ。古き日本のしきたりであるが、戦後の怒涛のような価値観の変化の中、いつまで続くことであろうか。「本家故」の「故」の使い方が効いている。 |
心太捕へ処のなき話 尼崎 沙羅
心太は容器に浮かすと水と見分けが付かなくなる。そんな捕え処の無い物と、捕え処の無い人の捕え処の無い話をぶつけた面白さである。 |
仏間から影躍り出る走馬灯 住山 春人
盆の行事も省略される時代となり、回り灯籠(走馬灯)も久しく見ていない。この句は「仏間から躍り出る」が意表を突いており、まるで先祖の影が飛び出してくるような印象を残す。盆とはそういうことを感じさせる行事である。 |
潮の香の漂ふ路地や青簾 関根 正義
小さな漁村が目に浮かぶ。暁闇からの漁を終えて、昼過ぎには寝静まっているような細い路地。青簾の季語に、心地良い海風が通っていることを感じる。 |
敗戦を終戦となし敗戦忌 髙城 愉楽
私も八月十五日は「敗戦忌」であると思っている。敗戦という認識を持たないと反省の心は生まれないし、将来への伝達を間違えるように思う。警鐘の句である。 |
朝顔やぬくもり残る豆腐買ふ 竹花美代惠
出来立ての豆腐である。朝顔も開いたばかり。こんな清々しい朝を味わってみたいものである。まさに生活感とぬくもりを合わせ持った清冽な句だ。 |
箱庭に小さき人生ありにけり 田中 真美
箱庭に置かれたのが、仙人であるのか、農夫であるのか、文人であるのか‥‥ともかく各々が人生の年輪を重ねている筈である。「小さき人生」に箱庭の実感が出ている。〈額ぶちのなき絵のごとし揚花火〉も佳品であった。 |
みみず乾ぶる七月のアスファルト 水野 加代
「七月」が効いているように思う。梅雨も明けていよいよ炎暑の時期を迎える。雨の後などに何を誤ったのか蚯蚓が跳ねていることがあるが、たいがいは戻ることができずに乾びる。まさに「七月のアスファルト」は鉄壁である。 |
七島のひとつは見えず青蜜柑 宮下 研児
上五、中七はよくある表現だが「青蜜柑」の取合せが瑞々しい。伊豆半島の蜜柑山から遠望しているのである。同時出句の〈花木槿父の齢の垣間見え〉も印象深い。 |
カステラの角立ちにけり長崎忌 上野 三歩
当初小倉に落とす予定の原爆が、天候の悪化から、長崎投下に振り替えられたという。悲しい歴史である。カステラは長崎が発祥の銘菓。「角立ちにけり」に復興を成し遂げた力強さが象徴されているようにも思う。 |
鰯雲棺担ぐはもう難し 久保園和美
鰯雲の季語に、私は幼馴染の友の葬儀ではないかと想像する。石蹴りや隠れん坊をした頃、いつも鰯雲や夕焼の空があった。今はもう棺を担ぐ体力は無いという。歳月である。 |
おほかたは治らぬままの夏の風邪 鈴木 春水
風邪をひいたことも、治ったことも不確かなのが夏の風邪。意外と長引いたりもするものだ。 |
一抜けて二抜けて日暮赤とんぼ 小原三千代
今の子供達には全く感興の湧かない句であるかもしれない。団塊の世代の我々は外で遊ぶのが常のこと。金の掛からない遊びで日暮まで過ごしたものである。子供達は夕食や手伝いなどに呼ばれて次々に家に帰っていく。最後には作者と赤とんぼだけが残ったのである。 |
身ほとりに来れば大きや赤蜻蛉 山室 樹一
赤とんぼをよく見ている句である。遠近感で捉えたのがよく、子供の目から見たら尚更だろうなと思う。無心で無垢なまなざしがいい。 |
その他印象深かった句を次に
光堂とて変哲もなき白雨 井川 敏
どの戸にも海の風吹く盆用意 上村健太郎
朝顔も体内時計狂ひがち 清水 旭峰
鳴り止みて母の風鈴外しをり 内藤 明
畢生(ひっせい)に残るは俳句生身魂 西本 萌
難問の終に解けたり髪洗ふ 平山 凛語
伊那男俳句 自句自解(105)
砂町は春塵の町波郷の町
長いこと東京に住んでいながら砂町を訪ねる機会が無かった。石田波郷が住んだ町であることは勿論知っていたし、昭和35年代でも大きな台風が来ると出水に悩まされる町であることも知っていた。この句は「春塵」の席題で作った句であったと思う。実は砂町に行ったことの無いまま想像で作った句である。きっと波郷の頃はこんな感じだったのではなかろうか。実際に訪ねたのは4、5年前のことであったことを白状する。道幅の狭い砂町銀座商店街は個性的な店が多く、八百屋、魚屋の鮮度の良さと値段の安さは魅力的であった。いい食堂もある。近くの波郷旧居跡の隣には寺の墓地があり〈霜の墓抱き起されしとき見たり〉を思い出した。倒れた墓を抱き起こしたのか、病波郷が抱き起こされたのかという議論があったが、やはり波郷が抱き起こされた時に見たという句であろうと思う。その後波郷は練馬区谷原に転居するのだが、砂町の方が合う俳人だったように思う。
一茶の地これもひねたる夏大根
15歳で継母に追われて江戸の町に放り出された小林一茶は随分辛酸を舐めたはずである。一茶がひねくれたのも無理は無い。ひねくれた句、自虐的、露悪的な句も多い。〈ねはん像銭見ておはす兒(かお)も有(あり)〉は、涅槃像を薄眼でお賽銭の入り具合を見ているのではないか、という。〈芭蕉翁の臑をかじつて夕涼〉は、芭蕉は神様として敬われおり、私はその臑をかじって細々と生きているに過ぎない、という。尊敬する感じはほとんど無い。〈斯(こ)う寝るも我が炬燵ではなかりけり〉は、正月といっても、この炬燵だって自分の物ではない、と嘆く。結局江戸に居ても結婚することも家を持つこともできない、と見切りを付けて、弟から財産の半分を奪い取って柏原へ帰ったのである。継母と弟は勤勉で一茶が出たあと財産を倍に増やしたのだがその半分を取ったのだから凄まじい。貧困生活の復讐戦であったのかもしれない。 |
更新で5秒後、再度スライドします。全14枚。
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挿絵が絵葉書になりました。
Aシリーズ 8枚組・Bシリーズ8枚組
8枚一組 1,000円
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