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 10月号  2015年

伊藤伊那男作品 銀漢今月の目次 銀漢の俳句 盤水俳句・今月の一句  彗星集作品抄  
  彗星集選評  銀河集・作品抄 綺羅星集・作品抄 銀河集・綺羅星今月の秀句 星雲集・作品抄    星雲集・今月の秀句   伊那男・俳句を読む 銀漢の絵はがき 掲示板 
  鳥の歳時記 井上井月 銀漢日録 今月の写真


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伊藤伊那男作品

主宰の八句

蝮酒        伊藤伊那男

言問へば琉金の泡二つ三つ
睦まじく茎もつれ合ふさくらんぼ
ケーキより菓子パンが好き巴里祭
父母亡くて故郷の駅の立葵
端正なとぐろでありぬ蝮酒
蝮酒底に鱗の二三片
父さんは裸が好きで嫌はれる
幽霊が楽屋の隅に夏芝居


     







        
             


今月の目次





銀漢俳句会/10月号

      










   



銀漢の俳句 

伊藤伊那男 

◎銀漢叢書
 銀漢叢書から島谷高水、伊藤庄平句集が続けて出版された。各々歴然たる個性を持った味わい深い句集であった。銀漢亭で開かれた出版記念会のときに話したのだが、私は句集というものは、会社で言えば決算書のようなものだと思っている。決算書が無ければ会社の実体は解らない。決算書は貸借対照表と損益計算書で構成されている。貸借対照表はその会社にどれほどの金融資産や不動産があるのか、どんな先行投資を行っているのかなど、資産状況が解るものである。損益計算書は、この一年間の活動によってどれほどの損益が出たかが解るものである。つまりこの二つによって会社の実態、実力が明確になるのである。
 句集というものはそうした意味でその人の句業が明らかになるものだ。一回一回の句会では自分でも仲間でも解らなかった作者の得意分野、陥り易い弱点などが解り、このあと自分は何をなすべきであるのかが明瞭となり、進むべき方向や指針が決まってくるのである。それまでに作った千句か二千句の中から三百句位に絞り込んで出版するということは、否応もなくその人の人生の上澄みが汲み出されてくるものなのである。そうした意味で、ある期間俳句を続けてきた方にとっては句集を出すことは大きな意義を持つものである。幸いにして銀漢叢書という仕組みができたのであるから、どうしようかと迷っている方は編集部に相談していただきたいものだ。
 さて、句集というものは一体、1年間にどれ位出版されているのであろうか。俳人協会々員だけでだいたい年間300冊位出版されている。現代俳句協会々員、日本伝統俳句協会々員、それらに属していない方……私見では少なくとも七、八百冊は出版されているものと思われる。
 私の家にも2日か3日に1冊位句集が届く。知り合いの俳人のものだけではなく、全く交流のない俳人の句集が多く、なかなか目を通す時間が無いのが現状で、部屋の片隅に溜まっていく。現在の家に引っ越すに当たって、自分の住む十畳ほどの部屋だけで全ての持ち物を完結しようと決めた。部屋には1枚だけ油絵を残した。それは私の郷里伊那谷から木曾駒ヶ岳を仰いだ絵で、壁に掛けるのは無理なほどの大作である。それで壁に寄せて立て掛けている。その絵の前に句集はだんだんと積み重なっていくのである。木曾駒ヶ岳の標高は3,000メートル弱である。現在積み上げた句集は千畳敷カールを越えて、多分標高,2700メートル位まで達しているのである。いのちの句の高さと重さである。










           


 



  

盤水俳句・今月の一句

伊藤伊那男

流木のくすぶる焚火下り鮎       皆川 盤水
 


 栃木県那珂川に掛ける作久山簗の属目。私も2回ほどお伴をした。観光簗とは少し異なり地元の人でないと解らない穴場。塩焼と鮎飯の二品だけだが、鮎飯用の米は持参しないと炊いてくれない。食い意地の汚い私と違って先生は簗の風景を見ているのが好きである。那須の山はすっかり秋。簗も終盤で男達が片付けなども始めていて流木を集めて焚火をしている。写生派の先生はくすぶる流木という「物」だけを詠むが、一抹の寂寥感が滲む。
                                 (昭和63年作『随處』所収)









  
 

彗星集作品抄

伊藤伊那男・選

雁が音を本の栞として挟む        川島秋葉男
夏スキー修験の山の裾借りて       多田 悦子
箱庭の鴻鵠となる雀かな         谷岡 健彦
ふるさとの一日青田のほかを見ず     伊藤 庄平
田を四方に駅の風鈴鳴り通し       笠原 祐子
貸杖の丈もて余す雲の峰         坂口 晴子
城の威をまざまざ見せて船遊       清水佳壽美
種採りの足浮くまでに指伸びる      森崎 森平
逃げる子へ妻の素足のはやかりき     小野寺清人
炎天に肝据ゑ直し飛び込めり       大西 酔馬
乱調となりて風鈴雨を呼ぶ        小林 雅子
朝顔の鉢が番する駐在所         大溝 妙子
火取虫一夜の果つる歌舞伎町       塚本 一夫
大夕焼け特攻基地といふ墓標       武田 禪次
熊野はも坐して親しき梅雨きのこ     萩原 空木
バナナ剝く次の患者の来る前に      森 羽久衣
蜘蛛の子を散らす御岳のなぞへ畑     松川 洋酔
網引きてまづ抛らるる海月かな      畔柳 海村
昼寝して絵本に続く夢に入る       松代 展枝
あぢさゐやふりむくたびに海が見え    杉本アツ子












         
           








彗星集 選評 伊藤伊那男

 
雁が音を本の栞として挟む       川島秋葉男
万葉集の頃からその鳴き声を愛でられ、芭蕉に到って〈病雁の夜寒に落ちて旅寝かな〉で頂点を極めた。井月にも〈雁がねに忘れぬ空や越の浦〉〈行雁に遅れて立つや安旅籠〉などの佳句がある。この句は実景というよりも、古典に材を採った頭脳を働かせた句であろう。秋夜、落雁の鳴き声を「本の栞」代りとして閉じる。何とも品格の高い抒情句である。淡海の一夜という設定であろう。 


夏スキー修験の山の裾借りて      多田 悦子
出羽の国、月山の嘱目であろう。二千米に満たない山ながら夏も雪が残り、稜線がゆるやかである。月山は天照大神の弟君、月読命を祀り、山全体が御神体である。そのような山であるからこそ「裾借りて」が生きるのである。神の山の現代の一風景である。 
  

箱庭の鴻鵠となる雀かな        谷岡 健彦
「鴻鵠」(こうこく)とは「鴻(こうのとり)」と「鵠(くぐい)」という大きな鳥のことをいい、転じて大人物のことをいう。「鴻鵠の志」という諺は「燕雀いずくんぞ鴻鵠の志を知らんや」という史記の一文で、小人物は大人物の遠大な志を知ることができないということである。この句、雀が降りたのは箱庭で、雀のくせに鴻鵠ほどの大きさに見えた、という文人趣味一杯の句である。大きさのギャップを更に逆転させた機知溢れる一句! 


ふるさとの一日青田のほかを見ず    伊藤 庄平
都会生活をしていると、時折ふるさとの風景が無性に恋しくなるものだ。少年時代に去っているだけに、日々成長する青田の様子などは、自分や友達と重ね合わせて懐かしいのである。ふるさとへ帰った作者はもちろん色々なものを目にしているのだが「青田のほかを見ず」と言い切っている。青田だけに焦点を絞り込んだのであり、その断定により句が生きた。 


田を四方に駅の風鈴鳴り通し      笠原 祐子
前出、青田の句があったが、この句も私の故郷の飯田線の無人駅を思い出す。切符は車窓から手を出した車掌に渡す。田の中の駅である。小さな駅舎には青田風のなか風鈴が鳴るばかりである。ああ懐かしい風景である。 


貸杖の丈もて余す雲の峰        坂口 晴子
山寺などもそうであったことを思い出す。入口に竹の杖が束ねてあり、それも妙に長いのである。作者はその長さを持て余したようである。この句は「雲の峰」の取り合わせが秀逸で景を大きくしている。登るにつれて杖が雲の峰に迫るような爽快感がある。 


城の威をまざまざ見せて船遊      清水佳壽美
大阪城の濠の舟遊びか。「城の威」の把握が的確。 


種採りの足浮くまでに指伸ぶる     森崎 森平
きめ細かく詠んだのがいい。「指伸ばす」のほうがいいか。 


逃ぐる子へ妻の素足のはやかりき    小野寺清人
 妻の動きを「素足」へ焦点を絞り印象を深めた。


炎天に肝据ゑ直し飛び込めり      大西 酔馬
今年の夏などまさに。「飛び込めり」がうまい。 


乱調となりて風鈴雨を呼ぶ       小林 雅子
雨を伴う風が吹いた、まさにその瞬間である。 


朝顔の鉢が番する駐在所        大溝 妙子    
律義なお廻りさんの人物像も浮かぶようである。 


火取虫一夜の果つる歌舞伎町      塚本 一夫
この固有名詞によりこの町の女性たちにも思いが及ぶ。 


大夕焼け特攻基地といふ墓標      武田 禪次
基地跡そのものが壮大な墓標。大夕焼に粛然とした。 


熊野はも坐して親しき梅雨きのこ    萩原 空木
「坐して親しき」がいい。いかにも「熊野詣」である。 


バナナ剝く次の患者の来る前に     森羽 久衣
多忙な診療の合間の一齣。バナナを詠んだ珍しい句だ。 


蜘蛛の子を散らす御岳のなぞへ畑    松川 洋酔
御岳吟行の嘱目か。御師の傾斜畑の様子を活写した。 


網引きてまづ抛らるる海月かな     畔柳 海村
漁師から見たら困った存在。即物的に詠んだのがいい。 


昼寝して絵本に続く夢に入る      松代 展枝
 「昼寝子」のとしたら主語が明確になり、上位に上がる句。 


あぢさゐやふりむくたびに海が見え   杉本アツ子
鎌倉あたりの嘱目か。花の青、海の青の対比が美しい。 













     




      
     
        







銀河集作品抄

伊藤伊那男・選

陶枕の夢に遠見の香炉峰        東京   飯田眞理子
万緑のなだるる岬巡りかな       静岡   唐沢 静男
星霜の朽ちし濡れ縁蟻地獄       群馬   柴山つぐ子
煽ぐより叩く男の渋団扇        東京   杉阪 大和
いかにして攻めむ火色のかき氷     東京   武田 花果
飛魚飛んで遠流の島を引き寄する    東京   武田 禪次
屈みゆく熊野難所の梅雨きのこ     愛知   萩原 空木
なかんづく隠岐てふ大器にゐて涼し   東京   久重 凜子
風鈴を鳴らす風鈴売りの歩幅      東京   松川 洋酔
籐椅子のうたた寝に聞く父の声     東京   三代川次郎
一日またかくて暮れゆく缶ビール    埼玉   屋内 松山















    
   













綺羅星集作品抄

伊藤伊那男・選 

灯籠に影のかぶさる茅の輪かな     静岡   五十嵐京子
午後の二時四十六分海鞘匂ふ      埼玉   伊藤 庄平
水平線と高さ揃へて金魚玉       東京   大西 酔馬
残業の窓に隅田の遠花火        東京   影山 風子
人麻呂は美男と閉づる夏講座      高知   神村むつ代
金魚玉金魚痩せたり太つたり      東京   小林 雅子
百物語風の出で来し壇の浦       長崎   坂口 晴子
形代に無理な願ひの息かくる      静岡   澤入 夏帆
買物籠提げて潜りし茅の輪かな     大阪   末永理恵子
青春はすり傷だらけ青りんご      東京   武井まゆみ
亡き吾子も精霊棚の古顔に       東京   谷川佐和子
炎天や天地無用の荷が届く       東京   中野 智子
富士詣眼下に神前結婚式        埼玉   夲庄 康代
蛍飛ぶ時刻など聞きチェックイン    東京   宮内 孝子
父母に逢ふ舟に帆かけよ天の川     東京   村田 重子

夏芭蕉群れてさざめく辺野古基地    東京   相田 惠子
黴の香や使はぬ母の裁ち鋏       東京   有澤 志峯
竹叢のざわめきの呼ぶ夕立かな     東京   飯田 子貢
乗る時の容易ならざるハンモック    東京   伊藤 政三
昨日より確かなむかし遠花火      神奈川  大野 里詩
七夕の逢瀬我らに見えずとも      東京   大溝 妙子
かき氷氷室の神に先づ供へ       東京   大山かげもと
容赦なき午後の日差しや甘藷植う    東京   小川 夏葉
あと少し残りし用事残り梅雨      鹿児島  尾崎 尚子
潮騒のきこゆる安房の夏蒲団      埼玉   小野寺清人
ラムネ玉昭和の音を飲み干せり     神奈川  鏡山千恵子
過去帳といふをしみじみ梅雨灯     和歌山  笠原 祐子
書きかけの詩に読点を梅雨晴れ間    愛媛   片山 一行
愚痴縷縷とこぼしてまはり羽抜鶏    東京   桂  信子
天竜の瀬音も入れて鰻食ふ       長野   加藤 恵介
予報見る梅を干す日のあれやこれ    東京   我部 敬子
陶枕のささやくやうに風通す      東京   川島秋葉男
王となる蘭鋳誰もゐぬ部屋に      長野   北澤 一伯
梅雨涼し目眩するほど霊気吸ふ     東京   柊原 洋征
陶枕の夢に色なき山河かな       東京   朽木  直
宮島へ渡し待つ間のあなご飯      東京   畔柳 海村
緑蔭のかたちに並ぶパイプ椅子     神奈川  こしだまほ
葛切や子も親となる話し振り      千葉   佐々木節子
あら草の淡きひと筋秋蛍        山口   笹園 春雀
炎昼のくらやみに慣れご本尊      長野   三溝 恵子
サイダーを少しづつ飲む齢かな     東京   島  織布
御師の家蛍袋を門灯に         東京   島谷 高水
夏薊針山のごと雨の粒         兵庫   清佳 壽美
花街の夜の帳や軒風鈴         東京   白濱 武子
一盆に川の設へ夏料理         東京   新谷 房子
鮨桶をふする外井戸ねむの花      静岡   杉本アツ子
どくだみの香に郷愁の鼻の奥      東京   鈴木てる緒
友寄りて紡ぐ思ひ出ゆすらうめ     東京   瀬戸 紀恵
油揚げ匂ふ手提げや梅雨晴れ間     東京   曽谷 晴子
千手仏一手は蝿を払ふかに       東京   高橋 透水
雨の日は雨の音聴く籐寝椅子      東京   多田 悦子
納屋口の護符にはじまる夏暁かな    埼玉   多田 美記
隠岐四島厚きもてなし合歓の花     東京   田中 敬子
衣更ふる日に手術着に腕通す      東京   谷岡 健彦
梅雨の闇千本鳥居入ればなほ      神奈川  谷口いづみ
草かげろふ飛立つ風を待ちにけり    東京   塚本 一夫
田植てふ休暇願ひを承認す       東京   坪井 研治
井月の筆勢やさし竹煮草        神奈川  中川冬紫子
降る雨の色違はねど七変化       大阪   中島 凌雲
思春期の横に思秋期ソーダ水      東京   中村 孝哲
本郷も江戸の外れに金魚売る      茨城   中村 湖童
彼の世にて句座あらば父夏袴      東京   中村 貞代
青柿の青もて陰る軒端かな       愛知   中村 紘子
秋暑し耳の奥まで淋しき日       東京   沼田 有希
髪洗ふ風の道筋感じつつ        福岡   藤井 綋一
夫が干し妻が漬け込む実梅かな     東京   保谷 政孝
蟻地獄住む霊鷲山極楽寺        東京   堀内 清瀬
椋鳥(むく)群れて竜巻を巻き戻すごと     岐阜   堀江 美州
夏痩の身に丁度よき路地に入る     パリ   堀切 克洋
むら雲の足早なりし十三夜       東京   松浦 宗克
入道雲少し黒たし描きけり       長野   松崎  正
ファーブルになり切つてゐる夏休    東京   松代 展枝
甚平の懐ジャンボ宝くじ        千葉   無聞  齋
くるぶしに風とほり過ぐ宿浴衣     東京   村上 文惠
母に添ふ仔馬つぶらな瞳もち      東京   村田 郁子
医学書の程良き高さ昼寝せり      東京   森 羽久衣
舟虫の人影に入ること嫌ふ       埼玉   森濱 直之
三尺の童たらむと夕端居        愛知   山口 輝久
あぢさゐの神坐す山にゐて真白     東京   山下 美佐
覚束ぬひき墨の封落し文        群馬   山田  礁
雲海の浅間山(あさま)隠しかはぐれ雲      群馬   山田 鯉公
闘犬の化粧まはしや大南風       東京   山元 正規
むさし野のはけの湧き水夏木立     千葉   吉沢美佐枝
風鈴の風を呼びこむ軒の下       神奈川  吉田千絵子
諸手あげ打たれてみたき大夕立     愛媛   脇  行雲
夏の霧御嶽山(みたけ)を隠す浄衣とも      東京   渡辺 花穂







          











     







銀河集・綺羅星今月の秀句

伊藤伊那男

なかんづく隠岐てふ大器にゐて涼し   久重 凜子
隠岐吟行会の海士町での五十名近い句会で私が特選に採った句である。隠岐諸島は島前・島後に別れるが、島前の三島は鳥瞰図でみると海のカルデラで、島々は外輪山を形成しており、その中に海水が浸入しているのである。句はその形状を「大器」とみた。「涼し」には隠岐の方々の厚いもてなしに対する感謝の気持ちを重ねているのである。丁度『奥の細道』の大石田の歌仙で・・
〈五月雨を集めて涼し最上川 芭蕉〉の発句で謝意を表明したのと同様の挨拶である。「なかんづく」は隠岐の方々への最大の賛辞。同じ句会で私の採った次席の句は〈五月雨を集めて涼し最上川 芭蕉〉の発句で謝意を表明したのと同様の挨拶である。「なかんづく」は隠岐の方々への最大の賛辞。同じ句会で私の採った次席の句は
  飛魚飛んで遠流の島を引き寄する   武田禪次
であった。「引き寄する」の主観が眼目だ。
 
 富士詣眼下に神前結婚式       本庄 康代       
「富士詣」は①山開きに合わせて実際に富士山に登ることを言うが、②もう一つは江戸の各地にあった富士塚に登拝することも指した。実際に富士山へ登るのは困難なので、富士山の岩石などを持ち帰り、神社や寺の境内に富士塚を築いた。今も幾つかが残っている。この句もその一つを詠んだもので、その下の神社は結婚式の最中だというのである。「眼下に」の尺度の差異が面白いのだ。同時出句の〈OLのおひるやすみの富士詣〉も現代風景を捉えて出色。 

 

炎天や天地無用の荷が届く       中野 智子
取合せの妙に感嘆するしかない。どうしようもない暑さの中を宅配便が届くのであるが、それが天地無用の荷。ひっくり返るような暑さの中、荷物はあくまでも上下を替えてはいけないもの。 


  

亡き吾子も精霊棚の古顔に       谷川佐和子
逆縁の悲しみをずっと抱えてこられたのであろう。だが時を経て知己を次々に見送り、振り返ってみたら、我が子も仏壇の古参になったのだな------という感慨である。俳句は年季、年輪が味わいを醸し出すものだと思っているが、まさに、その作者の人生が作らしめた「いのちのうた」の典型ということになろうか。悲しみの中の俳諧味である。 

  

形代に無理な願ひの息かくる      澤入 夏帆 
願い事にも限度というものがあり、さすがに神様も叶えようのない要求もある。この作者としてはかなり思い切った願いを籠めて形代に息をかけたのであろう。その滑稽感が味わいである。 

  

百物語風の出てきし壇の浦       坂口 晴子
「百物語」とは珍しい季語である。怪談話の一形式で、何人かが集まり、行灯に百本の灯心を入れて怪談を語り合い、一話終るごとに一灯を消し、語り終って真暗になった時に妖怪が現れるという遊びである。耳無し芳一の話もある平家物語の壇の浦だけに歴史の共感もある。「風の出てきし」に詩情も湧くというものだ。 

  

残業の窓に隅田の遠花火        影山 風子 
隅田川沿いにも高層ビルが林立する時代である。その現代風景を見事に切り取った句だ。折角の花火大会の夜なのだが残業に縛られている。窓からちらりと隅田の花火が見える。目の端に捉えるだけで、もちろん音も聞こえない。 

  

午後の二時四十六分海鞘匂ふ      伊藤 庄平
あの三月十一日のこの時間、私は銀漢亭で魚を下していた。当日十五人の予約が入っていたのである。その時経験したことの無い揺れに襲われた。この句は歳月を経てその日を回想したのである。何といっても「海鞘匂ふ」が出色。この季語によって三陸の地が確定するのである。正確な時間も詠み込んだ東日本大震災の記録である。
人麻呂は美男と閉づる夏講座      神村むつ代
梅原猛の『水底の歌』は柿本人麻呂の謎に肉迫した衝撃的な本であった。烏帽子、水干姿の絵でしか知らないが「美男」といわれると、頷かざるを得ない。あれだけの歌詠みである。美男に決っている。夏期講座の最後を「美男と閉づる」――これは鮮やかな決め技である。 

その他印象深かった句を次に 
  

いかにして攻めむ火色のかき氷     武田 花果
灯籠に影のかぶさる茅の輪かな     五十嵐京子       
水平線と高さ揃へて金魚玉       大西 酔馬
天竜の瀬音も入れて鰻食ふ       加藤 恵介
金魚玉金魚痩せたり太つたり      小林 雅子
買物籠提げて潜りし茅の輪かな     末永理恵子
青春はすり傷だらけ青りんご      武井まゆみ
蛍飛ぶ時刻など聞きチェックイン    宮内 孝子
父母に逢ふ舟に帆かけよ天の川     村田 重子





         




    

      
      


 
 



 



星雲集作品抄

            伊藤伊那男・選

父の日の父のつぶやき遺影より     東京   中西 恒雄
お見合の度に眺むる造り滝       東京   宮崎晋之介
大の字の足の先より雲の峰       埼玉   池田 桐人
縁日の縁で棲みつく金魚かな      埼玉   大野田好記
水煙の飛天に待たれ雁渡る       神奈川  久坂衣里子
ねぶの花マグマ冷えたる遠流の地    千葉   土井 弘道
敷藁に雨の匂や瓜の花         埼玉   戸矢 一斗
曖昧と言ふも又良し合歓の花      千葉   森崎 森平
隠岐に残る悲歌のあまたや夏怒濤    東京   結城  爽
空梅雨や最後は下駄で占ふか      埼玉   渡辺 志水
鰻屋へふらりと渡る吾妻橋       神奈川  水木 浩生
暑がりの父の遺影に団扇風       神奈川  宮本起代子
戦後知る人知らぬ人バナナ剝く     東京   梶山かおり
青簾卓袱台透ける都電かな       神奈川  関口 昌代
梅雨の夜月見うどんの月崩す      宮城   小田島 渚
あの世とは生者の胸に天の川      東京   浅見 雅江
川の字の布団の端の寝冷えかな     神奈川  有賀  理
竹林の隙間を通し夏の雨        神奈川  伊東  岬
老鶯の声を濾過する深山かな      東京   須﨑 武雄
銀漢や昔昔と読み聞かせ        東京   角 佐穂子
水着干す二段ベットのはしごかな    神奈川  福田  泉
梅天へツーバイフォーの家を吊る    東京   星野 淑子
飲み込みし言葉のごとし心太      愛知   松下美代子

鈍色の空の泣きだす鉾巡行       東京   秋田 正美
琉金の天女の舞を披露せり       神奈川  秋元 孝之
ふる里の山河引き寄す青芒       宮城   有賀 稲香
蓮月の和歌かけながし曝書とは     愛媛   安藤 政隆
風鈴売ひらひら風をまとひ来る     東京   飯田 康酔
風鈴を風鈴らしく瀬戸の風       東京   井川 敏夫
白南風に補陀落臨む熊野灘       長野   池内とほる
梅雨晴や寝転びてみる大宇宙      東京   市毛 唯朗
雷の轟く空に子の怯ゆ         群馬   伊藤 菅乃
大雷雨目を見開きて眼科に居る     兵庫   稲田 掃石
噴水の頂点と云ふ不安定        東京   今井  麦
二番子の心もとなき飛翔かな      愛媛   岩本 昭三
花火果て静寂のもどる川の面      千葉   植竹 節子
虫干しの桜の徽章指に拭く       東京   上田  裕
夕暮や田に郷愁の鶇鳴く        神奈川  上村健太郎
花蓮も人も亭午の風に散り       埼玉   大木 邦絵
行く宛のなき心地して梅雨の汽車    東京   大沼まり子
湯上りの親子そろひの甚平着る     群馬   岡村妃呂子
今も尚妣御座すかに夏座敷       神奈川  小坂 誠子
向日葵や揮毫の一字夢とのみ      京都   小沢 銈三
麦踏と同じ地下足袋麦を刈る      静岡   小野 無道
江ノ電の向かうを染むる夕焼かな    東京   桂  説子
昼寝覚め四肢の在り処を確かむる    静岡   金井 硯児
太つては痩する家系図終戦日      神奈川  上條 雅代
豊橋の手筒花火の火の粉かな      東京   亀田 正則
祇園会の鐘にそぞろの旅心       神奈川  河村  啓
頭越し鵙のひと声鳴き響む       愛知   北浦 正弘
五月闇懐深き京町屋          神奈川  北爪 鳥閑
紫陽花の雨食ふやうに育ちけり     和歌山  熊取美智子
老い二人あれあれそれそれ梅雨寒し   愛媛   来嶋 清子
干し梅が少し気になる空模様      埼玉   黒岩  章
水飯を搔つ込み搔つ込み畑仕事     群馬   黒岩 清女
田仕事を癒す蛍の光かな        愛知   黒岩 宏行
星今宵逢瀬をはばむ厚き雲       東京   黒田イツ子
蟻地獄一部始終を目の当り       東京   小泉 良子
吾子来て沈黙のまま草を刈る      群馬   小林 尊子
御師の里墓石を繋ぐ蜘蛛の糸      東京   小山 蓮子
古寺を色どる万の四葩かな       東京   斉藤 君子
広辞苑次第に重き夏の夜        神奈川  阪井 忠太
シャガールの馬駆け抜くる大夏野    東京   佐々木終吉
肩に来て吾の尺とる尺取虫       東京   佐藤 栄子
空模様見れば桑の実鈴生りに      群馬   佐藤かずえ
玉菜採る浅間の裾を一列に       群馬   佐藤さゆり
駄菓子屋の前の自転車蟬時雨      東京   島谷  操
戦なき火薬の匂ひ花火殻        埼玉   志村 昌也
をちこちに踏まれし跡や蟻地獄     東京   鈴木 淳子
面白や辣韭好きの孫も居り       群馬   鈴木踏青子
父の日や母を取り合ふ子らの声     愛知   住山 春人
夏近しトリコロールの海の街      埼玉   園部 恵夏
まづ掬ふ目のぱつちりとした金魚    長野   髙橋 初風
五月闇門跡寺院の由緒聞く       東京   髙橋 華子
紫陽花や愁ひのひとつ思ひ出す     福島   髙橋 双葉
網戸越し隣のピアノ聞こえをり     埼玉   武井 康弘
水遊びするつかの間の親離れ      ニューヨーク 武田真理子
今はもう墓あるだけの帰省人      広島   竹本 治美
紫陽花の一雨ごとに笑み深く      三重   竹本 吉弘
梅雨晴間鳩や雀も道に出で       東京   田中 寿徳
教会の十字架けぶる走り梅雨      神奈川  多丸 朝子
岩木嶺から風の流れて青林檎      愛知   津田  卓
箸置の水玉模様夏に入る        東京   手嶋 惠子
片足で寄せては離す夏蒲団       東京   豊田 知子
凌霄や花絨毯の堆し          神奈川  長濱 泰子
ビルなほも高きを競ふ炎暑かな     埼玉   中村 宗男
今更と云ふ恋ラムネ一気飲み      長崎   永山 憂仔
形代の風がなぞれる薄き肩       東京   西原  舞  
剣道の胴着も涼し朝稽古        東京   萩野 清司
何となく心せくまま盆用意       東京   長谷川千何子
天井の木目しみじみ夏座敷       神奈川  花上 佐都
夜の秋我終活をしみじみと       神奈川  原田さがみ
合併せる村の鬼籍も梅雨に入る     兵庫   播广 義春
若き日の転勤暮し青林檎        東京   福永 新祇
近道を杖で教はる夏木立        東京   福原 紀子
老鶯の暮れ惜しむかに啼きやまず    愛媛   藤田 孝俊
お揃ひの麦わら帽子故郷へ       愛知   星野かづよ
茅の輪の児禰宜の衣を摑みゆく     東京   牧野 睦子
十月の牧場の柵にペンキ塗る      東京   松田  茂
夏蝶の谷中を大きく渡りたる      神奈川  松村 郁子
大賀蓮背の丈ほどの高さかな      東京   宮田 絹枝
あの丘も古墳なのかも半夏生      千葉   三好  彩
妻の愚痴梅雨の一日の湿りほど     長野   守屋  明
父の背を思ひ起こすや菖蒲の湯     東京   八木 八龍
白息をかけて白山なほ白し       東京   家治 祥夫
書きかけの旅のメモ帳明易し      群馬   山﨑ちづ子
梅雨空に鏝絵の天女舞ひ給ふ      静岡   山室 樹一
つつがなく過ごす一日心太       東京   渡辺 誠子
青山椒摘めばかたへに母の影      東京   渡辺 文子


         







       






     





星雲集 今月の秀句

伊藤伊那男

父の日の父のつぶやき遺影より     中西 恒雄
肉親はいつもいつも残されたものの胸の中に生きているのだなと思う。母の日に比べると劣勢の父の日だが、そういえば‥‥と遺影の前で手を合わせたのであろう。するとふと何か喋ったようにも聞こえたのである。果して意味は聞き取れたのかどうか。「つぶやき」であるところが父らしくていい。同時出句の〈大瑠璃の存問しきり上高地〉〈ハーケンの谺の記憶岩ひばり〉なども鮮烈な吟行句であり「存問しきり」「谺の記憶」などの練り込まれた措辞は秀逸である。 


お見合の度に眺むる造り滝       宮崎晋之助
実に楽しい句だ。「席に」ではなく「度に」だから笑ってしまうのだ。つまり何回目かのお見合で、それも同じ会場なのである。庭には今回も造り滝が落ちている。ああ、今回もまた駄目になりそうだな‥‥と。同時出句の〈海の家水平線へ茣蓙伸ばす〉も見事。確かな眼力である。 


縁日の縁で棲みつく金魚かな      大野田好記
縁日で掬った金魚だが、掬った以上は飼うことになる。そんな縁で金魚鉢で泳いでいるのである。「縁日の」「縁で」という「縁」の字のリフレインに心地良いリズム感がある。同時出句の〈もう一度母の分まで夏祓〉も母に対するやさしさが滲んで泣かせる句だ。 


水煙の飛天に待たれ雁渡る       久坂衣里子
「水煙」は塔の九輪の上部にある火焔形の装飾。飛天などの彫刻がある。日本に飛来する雁がその上を通過するのだが、それを飛天達が待っているだろう、というのである。私などは奈良の寺々の風景を想像する。「飛天に待たれ」は何とも心地良い抒情!同時出句の〈金魚玉壺中の天と仰ぎゐて〉も佳句。 


ねぶの花マグマ冷えたる遠流の地    土井 弘道
喰ひ尽す岬の夏を岬馬           〃
隠岐に残る悲歌のあまたや夏怒濤    結城  爽
サングラス外し天皇行在所         〃
私も同行した隠岐諸島の旅の嘱目である。実際に訪ねるということは大事なことで、島前と呼ばれる三島は高台から俯瞰すると阿蘇山と同じくカルデラ状で、草千里に当る所に海水が侵入しているのである。土井句はそうした島の地学的歴史と、貴人遠島の歴史を重ねた佳品。二句目も放牧の牛馬が岬の草を五分刈りほどに食べ尽した様子が如実。夏を喰い尽すと持ち込んだところが技倆である。結城句は正統な詠み振りで後鳥羽院の隠岐百首を念頭に、夏怒濤を象徴的に配している。二句目は現代人の風俗を配して洒落た仕立てである。 


空梅雨や最後は下駄で占ふか      渡辺 志水
空梅雨にうんざりしてしまって、もうやけっぱち、という感じである。私の子供の頃気象台のことを測候所と呼んでいた。当時はなかなか予想が当らないので、茸を食べる時など「そっこうじょ、そっこうじょ」と唱えたものだ、茸の毒に当らない呪文であった。そんな思い出を引き出してくれた懐かしく楽しい句であった。 


戦後知る人知らぬ人バナナ剝く     梶山かおり
私の子供の頃、バナナは高嶺の花の貴重品で、バナナ一本と中華そば一杯が同じ位の値段であった記憶がある。私は知らぬが戦前、台湾が支配下にあった時代は叩き売り。一方今の子供は何も知らない‥‥とそんな時代の推移を端的に詠み取って出色。同時出句の〈母漬けし梅干海を渡り来る〉〈青林檎かじりロンドン観光へ〉も、さすがに国際ビジネスウーマンのまなざしである。 


青簾卓袱台透ける都電かな       関口 昌代
都電に乗っていた作者が青簾越しに茶の間の風景を垣間見たのである。一昔前の東京の懐しい光景である。今は都電は一路線しかないし、窓を開けた家も少ない。同時出句の〈鉄線花隠しごとなき暮しかな〉も同様の趣向。もはやそのような暮しに戻れないが瞼の奥にしっかりと残っている。 


梅天へツーバイフォーの家を吊る    星野 淑子
「ツーバイフォーの家」という句を見たのも初めて、採用するのも初めてだ。だが「吊る」に集約したところが見事である。気候のいい五月に建て始めて、梅雨時にはもうでき上っているという感じか。新しい言葉をよく熟(こな)した。
 
その他印象深かった句を次に

あの世とは生者の胸に天の川      浅見 雅江
川の字の布団の端の寝冷えかな     有賀  理
老鶯の声を濾過する深山かな      須﨑 武雄
銀漢や昔昔と読み聞かせ        角佐 穂子
飲み込みし言葉のごとし心天      松下美代子
竹林の隙間を通し夏の雨        伊東  岬
鰻屋へふらりと渡る吾妻橋       水木 浩生
水着干す二段ベットのはしごかな    福田  泉



















新連載 【伊那男俳句を読む】

 
  
  

回想―句集『知命なほ』の時代(17)    伊藤伊那男

 第二句集『知命なほ』の分割掲載が今回で終わる。従ってこの「知命なほの時代」のエッセイもこれが最後になる。『知命なほ』は父と妻が死んだあたりまでの句群である。それからかれこれ10年近くの歳月が流れたことになる。
 今年の4月に亡妻の母が死んだ。いかにも京女で、美しく品格があり気丈であった。戦時中に志願してタイピストとして満州に渡ったという。早くに夫に先立たれたが、アパート経営などで女手ひとつで3人の子供を育てた。5年ほど前、軽い脳梗塞のあと認知症の兆候が出た。ずっと以前から長男に「私がおかしくなったら、実子以外には誰にも会わないからそれを守るように」と繰り返し伝えていたとのことで、その後私も面会しないままであった。葬儀は私を含めごく内輪の者だけが参列した。京都の桜が最も美しい時だった。東山浄苑でお骨になった義母は落花の中を家に戻った。直会は母の好きだった「はり清」という料亭で偲んだが、それも母の遺言であったという。いかにもあの人らしい死に方であった。
 6月に私の母が死んだ。母の納骨のあと、姉や兄と思い出話を語り合った。母の実家は信州伊那谷、駒ヶ根市の、当時は大きな商家であった。戦後の一時、その家に預けられた姉の思い出話でも、男衆女衆が20人位働いていて、板の間に箱膳を並べた食事の風景などは壮観であったという。母はそうした中で育ち、学校の送り迎えなども女中さん付きであったという。弟二人はその当時で慶應大学を卒業しているところからみても裕福な家だったのだと思う。母は伊那高等女学校を出て、東京で勤務医をしていた父と見合い結婚をした。戦後は母の親戚から土地を分けてもらい耳鼻咽喉科を開業した。その親戚は芦部家という地主で、信用金庫を設立したり、初代駒ヶ根市長を務めたり、その他事業を手懸けていた。母の従兄弟に当る長男は後年「芦部憲法」としてその名を残した憲法学者の芦部信義である。母は子供の私からみても美人の類であったが、生来天然ぼけのような人であった。私の兄は父の血を引いて医者になったが、私は中学生の頃まで鼻汁を垂らしてあちこち迷惑を掛けながら走り廻っていて、物事の判断もおおざっぱで、理数系は無能力に近く、早くから父は私に何の希望も持たなかったように思う。医者になれと言われたことは確か・・・一度もない。私には母の血が濃厚に入ってしまったのである。
 ともかく、およそ10年前に父と妻を送り、この度、2人の母を送ったのであった。

  平成十九年
螻蛄鳴くや黄泉はおもはぬ近さとも
無花果熟る風のそよぎに傷むほど
数珠玉のまだ数珠玉になれぬ色
父の墓俗名のまま小鳥来る
子規の忌のまだ定まらぬ柿の色
法隆寺出て八方の柿の秋
曼荼羅図めきて高野の柿落葉
酉の市果てて一気に風のまち
年輪といふことこの冬帽子にも
片時雨らし叡山は雲のなか
雪起しひとつ間をおきつづけざま
陰膳のひとつ据ゑあり年忘
湯の宿の湯ざめしさうな長廊下
妻と会ふためのまなぶた日向ぼこ


 
    



       

  
   


 


銀漢の絵はがき


挿絵が絵葉書になりました。
Aシリーズ 8枚組・Bシリーズ8枚組
8枚一組 1,000円

ごあいさつにご利用下さい。



    

        














掲示板



















 




鳥の歳時記


     



























  


             
 
  







井上井月/漂白の俳人


『漂白の俳人・井上井月』伊藤伊那男著

 伊藤伊那男主宰の近著『漂白の俳人・井上井月』が平成26年12月25日に(株)KADOKAWAから刊行されました。近年俳人としての井上井月に対する位置づけの見直しが進む中で、伊藤主宰は井月の俳句を通して謎の多い実像に迫る試みをされます。井月の人となりを知る一書として、また井月俳句への入門書として高い評価を得ております。著名な文人、俳人の方々が、いろいろな機会にこの著書を取り上げて紹介されております。是非、読んで頂ければ存じます。

 読売新聞夕刊版・井上井月の記事(2015/4/4)
そのまま忘れられておかしくない男が今、なぜか熱い。北村皆雄さん(72)の映画『ほかいびと伊那の井月』(2011年)の公開後、復本一郎編『井月句集』(岩波文庫)が出版され、作品を味わいやすくなった。伊藤伊邦男『漂泊の俳人井上井月』(角川学芸出版)、北村さんの『俳人井月』(岩波現代全書)など初学者向きの本も相次ぐ。記事から抜粋。
△PDFへリンクします。



記事全体画像。拡大画像に。


△『漂白の俳人・井上井月』伊藤伊那男著

画像上で拡大します。



 帯の紹介文から・・・
ひたすら芭蕉を慕い、山頭火に影響を与え芥川龍之介を唸らせた明治初期の俳人・井上井月。だがその正体は長い謎だった。酒好きで、家も財産も持たず、伊那を約30年放浪した男の知られざる素顔を、近年発見された日記、資料、俳句から探る。唯一の入門書。


画像上出拡大します。
 ひたすら芭蕉を慕い,山頭火に影響を与え、芥川龍之介を瞠目させた。その謎多き生涯を俳句と資料でたどる。井月の素顔が分かる唯一の入門書。135句の名句鑑賞付き。
              KADOKAWA HAIKU 『俳句』4月号から・・。








△KADOKAWA
「俳句」
2015年5月号 新刊サロン・コーナー. 242ページ
『漂白の俳人・井上井月』
「深い理解への第一歩」
相馬智様の紹介文です。


画像上で拡大します。




△KADOKAWA HAIKU
2015年3月号/俳人の時間から

画像上で拡大します。2015/6/5
巻頭3ページに写真が掲載されています。
新作5句
「奈良晩冬」が紹介されています。




△KADOKAWA HAIKU
2015年4月号/俳句の好きの集う居酒屋。P.140~145。

画像上出拡大に。
△俳句好きの集う居酒屋
銀漢亭で句会/火の会










銀漢亭日録

伊藤伊那男


7月

 7月12日(日)
「マドリード国際映画祭」に出張中の宮澤より連絡が入り、「うみやまあひだ」が外国語ドキュメンタリー部門の最優秀賞を受賞したと。10時30分のJAL便にて伊丹経由で隠岐諸島へ向かう。石寒太、宇多喜代子さんと3人の講師として。ともかく2泊3日盛りだくさんの観光。島民の方々のもてなしただ事でなし。留守中の13日、展枝さんが銀漢亭を開いてくれる。何と!満員であったと。「隠岐四島めぐり吟行ツアー」については9月号に別稿。

7月14日(火)
夜、20時30分頃、帰宅すると、りえさん、サッカーの城さん夫人など酒盛り中にて参加。そこへ宮澤帰国し乾杯!

 7月15日(水)
8月号校正。店、一般のお客も多く、まずまずの混雑。岐阜の堀江美州さん寄って下さる。初孫できたと!

7月16日(木)
「銀漢句会」あと16人。「週刊金曜日」の伊達さんなど。閉店後、清人、本庄、風子さんなどと角の餃子屋。

7月17日(金)
台風は、今ごろ隠岐諸島直撃の模様。運の良い旅であった! 「蔦句会」あと閑散。

 7月18日(土)
午前中歯科。17時、荻窪の「杉並会館マツヤサロン」にて奈良英子さんの句集『遠郭公』出版記念会。奈良さん八十八歳。祝辞。二次会は荻窪駅前「はなの舞」。百合ケ丘まで乗り越す。

 7月20日(月)
昼、新宿「TOKYO DAIHANTEN」、一族11人。飲茶で暑気払い。宮澤は伏見稲荷の撮影で戻られず。昔、家族で何回か来た店。その頃は香港の店のように飲茶のワゴンが通り、チョイスしたものだが、今は個室形態に様変わり。帰宅して二次会。途中から寝てしまう。

7月23日(木)
店、「小野川温泉蛍の会」に行った池田のりを、清人さんらの会。気仙沼の鰹、馬刀貝など。八人。皆川文弘さん、山崎祐子さん、いわきのことなど。

 7月25日(土)
「纏句会」14人勢揃い。あと蟹とくらげ和え、真魚鰹の焼物、穴子の卵とじなど。握りは題の新子など。酒は「日高見」。あと渋谷で少々。次のエッセイなど考える。

7月26日(日)
猛暑。家族に誘われ「109シネマズ二子玉川」へ。「アベンジャーズ2」を見る。3Dは初めて。忙しい映画。戻って早々と酒盛り。スペインのからすみ。キャビア!鳥鍋、刺身、隠岐の村上助九郎氏から戴いた栄螺の煮物、文弘さんからの笹かまぼこなど。ヴーヴクリコ。結局、朝エッセイ一本書いた外、何も進まず。

7月27日(月)
店、「演劇人句会」8人。「青垣」の石井さん明石から。前に2回来たが、休業していて3回目の正直と。

7月28日(火)
片山一行さん愛媛から出張。「大倉句会」の有志10人が囲み句会。

7月29日(水)
「雛句会」あと13人。押鐘氏、安井氏、清人さん。あと角の餃子屋へ6人ほど。グアムの明子さん長男と帰省中。我が家に一泊。

7月30日(木)
鈴木忍ママの日。小島健さんご子息、娘婿殿と三人で。宗一郎、松山、清人、麦、敦子さん、角川書店の半田、翼さん……、池内さん他「春耕」の面々など。

 7月31日(金)
9月号原稿終了。店、21時位迄、洋酔さん1人。そのあとぱらぱらと。文弘さん、文子、うさぎ、礼奈、近恵さん。

8月

 8月1日(土)
昼、小諸着。「刻」にて蕎麦。「ベルウィン小諸」にて「こもろ・日盛俳句祭」担当教室は、行方克巳、筑紫磐井、沖寒蝉、小川軽舟さんと。16時から、字余り辞足らずについてのシンポジウムにパネラーとして登壇。軽いパーティーのあと、山田真砂年さん他、「銀漢」の仲間など10数名で「花むら」にて宴会。日本酒が沢山空いた上についには焼酎の一升瓶を入れて飲み干す。さらに、小諸城散策のあとホテルの部屋で飲み直し。ああ……。

 8月2日(日)
真楽寺を吟行。戻り、「刻」にて蕎麦。俳句教室は、山田真砂年、島田牙城、筑紫磐井氏と。十六時、「銀漢俳句会・北軽井沢句会」の迎えの車で嬬恋村に向かい17時、柴山山荘。横断幕で迎えて下さる。ガーデンパーティー、句会。いろいろな土産をいただいて20時30分位の新幹線で帰宅。

 8月3日(月)
7月の店の月次収支表。総合誌の依頼原稿など。雑務。店、「かささぎ勉強会」あと十数名。水内慶太、佐古田さん、対島康子さん、宗一郎さん。でも閑散。

8月4日(火)
猛暑日5日目と。「神田古本まつり俳句大会」の選句、選評、短冊用意。礼状、その他。店、記録的閑散。谷岡、大野田、松代さんが日帰りで「出羽三山吟行」の下見に行き、三光院とも打ち合わせして帰路、報告に寄ってくれる。

 8月5日(水)
「俳句界」10月号へ酒のエッセイ。11月号へ巻頭三句。「俳句あるふぁ」へ「いのちの俳句」原稿。猛暑日6日目か。店、「きさらぎ句会」あと11人。「宙句会」あと12人。「宙句会」レベルアップしている!まほさん持参の生ウニ、何ともうまいこと。武田編集長の息女・摩耶子さん一家来店。ご主人は会員の上田裕さん。娘さんの康子ちゃんの聡明さに驚嘆。

8月6日(木)
慶大俳句会機関誌「丘の風」へ、「若葉」編集長・伊東肇句集『多摩川』の評二千字。店、「十六夜句会」あと7人。池田のりを、安藤先輩(伊那北高校)、麒麟夫妻、うさぎ、真砂年さんなど。

8月7日(金)
桃子と孫達は一足早く沖縄へ。猛暑日8日目か。岩野歯科メンテナンス。店、稲垣さん他、俳句の方々4人。俳句の店を見に来たと。その稲垣さんと話すと、昨日来店した安藤さん(伊那北先輩)と同じ銀行の同僚であったと!「大倉句会」あと15人。

8月8日(土)
10時より、運営委員会。昼、「いもや」の天ぷら。「本部句会」53人。あと、「上海庭」にて暑気払いの会。30数名。夏休みに入るので店の点検。ゴミ出しなどをして帰宅。

 8月9日(日)
9時過ぎ、兄の家。姉、兄と私と形見分け。あと従姉妹の貴美子ちゃん来て、数十年ぶりの再会。「メモリアルガーデン多摩」に母の納骨。そのあと、「馳走のむら」にて直会。細やかな懐石料理。「真澄」などに酔う。

8月10日(月)
宮澤と羽田空港JALラウンジで少々飲み、12時30分のフライト。15時過ぎ、那覇着。桃子と孫達の迎え受ける。北谷の「アルトゥーレ」。コンドミニアムでかれこれ借りて5年目。今回は16階の部屋。すぐ、アグーのしゃぶしゃぶの「和琉」にて夕食。大量のネギがいい。買い物をして帰宅。夕日が良い。21時には寝てしまう。

 8月11日(火)
5時起床。六時半、プールサイドでラジオ体操の会。2年ぶりの参加で顔見知りもいる。快晴。今日は伊計島ビーチで1日遊ぶ。あと浜父嘉島のシルミチュー御嶽に寄る。夜、目当ての店、2軒とも満員と休みにて部屋で自炊。












           
△『漂白の俳人・井上井月』伊藤伊那男著
          
  
    






今月の季節の写真/花の歳時記



2015年10月23日撮影  茶の花  TOKYO/HACHIOJI






花言葉    「追憶」 「純愛」


ツバキ科ツバキ属のチャノキ(茶の木・茶樹)(学名:Camellia sinensis)は別名をチャ(茶)といいます。日本では茶の木と言った名前が付いており、中国南部が原産地となっています。

開花時期は10月~11月。花色は白色。

晩秋に、枝の途中についた濃い緑の葉のわきから、白い5弁のふっくらとした花が1輪、あふれんばかりの黄色いおしべを抱いて咲きます。

『植物名は「茶」であり、「お茶」は飲むものについてしかいわないので「お茶の花」と言い方は避けたい。』歳時記から引きました。



写真は4~5日間隔で掲載しています。 

2015/10/24 更新


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