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6月号 2021年
伊藤伊那男作品 銀漢今月の目次 銀漢の俳句 盤水俳句・今月の一句 彗星集作品抄 彗星集選評 銀漢賞銀河集・作品抄 綺羅星集・作品抄 銀河集・綺羅星今月の秀句 星雲集・作品抄 星雲集・今月の秀句 伊那男俳句 銀漢の絵はがき 掲示板 主宰日録 今月の写真 俳人協会四賞受賞式 銀漢季語別俳句集 |
伊藤伊那男作品主宰の8句 今月の目次銀漢俳句会/2021/6月号 銀漢の俳句伊藤伊那男
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◎犬と暮らす 孫達の希望で今年の一月末から犬を飼うことになった。ティーカッププードルといって一キロちょっとの超小型犬である。家の中を歩き廻るだけで運動量は充分足りるとのことで、たまに庭のウッドデッキに出る位で、まだ土を踏んでいない。家族がいなくなると悲しがって鳴くので放って おけず二回ほど郵便ポストまで抱いていったくらいしか外の風景を見せていない。まさに深窓のワンちゃんである。 私が犬と暮らすのはこれが四度目である。信州にいた子供の頃、二回犬を飼ったことがある。いずれも柴犬でチビ助と名付けた。その頃のことであるから犬小屋は外にあり、半分は野放し状態であった。ペットフードなどは勿論なく、餌は残飯と味噌汁であった。初代チビ助は何と、家の近くを通っている国鉄飯田線に轢かれて死んだのであった。当時でも飯田線は一時間に一本、時間帯によっては二時間に一本ほどの単線である。どうしてそんな電車に轢かれたのか今でも不思議でならない。二代目のチビ助は何と、家の前の道路で車に轢かれて死んだのであった。まだ自家用車などほとんど無くリヤカーや荷馬車を見かけた時代である。私達は道路が遊び場で石蹴りなどをしていたのである。そんな道路でどうして車に轢かれたのか今でも不思議でならない。 さてずっと時代が過ぎて五十代の初め、娘婿が犬の写真集を出版した縁で、その主役の犬の仔犬が我が家に来た。ヨークシャーテリアで名前はバニラ、なかなかの美形であった。妻が随分可愛がっていたのだが、妻が死んで私と二人暮らしになってしまった。私は居酒屋を経営していたので昼過ぎには出て夜中に帰宅する生活であった。朝と夜中に必ず散歩はしたけれど昼間はずっと独りであるから淋しい思いをしていたことだと思う。そんな生活が五年ほど続いた。私が長女一家と同居することになった時、孫の一人が犬アレルギーであったので、その事情を知った俳句仲間の鈴木てる緒さんが引き取ってくれることになった。てる緒さんは実にこまやかに面倒を見てくれた。多分私と暮らしていた時の十倍いやそれ以上に幸せな晩年を過ごしたことに間違いない。十七歳で死んだ。 以上のように私はどうやら犬を幸せにできる自信が無い。今回同居した第二バニラ君には今のところなるべく頼ってこないように素っ気なく接している。私には犬を詠んだ句が一句だけある。 盆用意妻の残せし犬洗ひ
妻が死んだ年の初秋の句で、第二句集『知命なほ』に収録した |
先生の酒の肴は軽いものが少量あれば足りた。勿論私が会った時には六十四歳であったからその前のことは知らない。酒は常に身近にあるが決して呑まれることの無い、綺麗で洒脱な飲み手であった。私はと言うと七十歳を越えた今でもしっかりとした肴がないと飲めない。塩で飲むかと言ったら嫌だ。極端に言えば羊羹で飲む方がいい。さて掲句「灯をやはらげり」がまさに味噌。万物を潤す温かな雨である。読後の余情がいい。 (昭和三十九年作『銀山』所収) |
彗星集 選評 伊藤伊那男伊藤伊那男・選鳥雲に行かずじまひの本籍地 半田けい子
挨拶は屋根の上より深雪晴 池田 桐人
また春の来たり終はらぬかくれんぼ 樋本 霧帆
すぐ出せるやうに仕舞ひて春炬燵 内藤 明
啓蟄の首を回せば軋みをり 中村 湖童
涅槃絵図嘆きの声に風通す 萩原 陽里
稚鮎汲む淡海訛りの飛びかうて 宇志やまと
洛北の雨芳しき光悦忌 川島 紬
人の死の一部始終を春炬燵 長谷川明子
踏み出せるいづくも雀隠れとは 中島 凌雲
さみしさをしぶきにかへて残る鴨 瀬戸 紀恵
故郷の風を包みて春ショール 森濱 直之
少しだけ向ひ合せて内裏雛 松代 展枝
涅槃絵のこゑを閉ざして雨滂沱 戸矢 一斗
歩を返し違ふアルプス麦を踏む 三溝 恵子
結納も出産もこの雛の間 中野 堯司
いろくづに海も啓蟄ある気配 小池 天牛
囀や小高きはみな古墳とや 島 織布
春愁も詰め込んでゐる旅鞄 坂下 昭
み柱の万のこゑごゑ海市より 坂口 晴子
銀河集作品抄伊藤伊那男・選 啓蟄の土はがすやう遺跡掘る 東京 飯田眞理子
納税期几帳面さは祖父ゆづり 静岡 唐沢 静男 山笑ふ山又山に囲まれて 群馬 柴山つぐ子 膝つめてもらひ涅槃図の余白へと 東京 杉阪 大和 川魚煮る北国街道遅日かな 東京 武田 花果 冴返る鎌倉にきく竹の声 埼玉 多田 美記 井月忌に 引鶴の一羽は越後長岡へ 東京 谷岡 健彦 島路地のどこも真直ぐに鰆東風 神奈川 谷口いづみ 末黒野の碗に塵浮く石ぼとけ 長野 萩原 空木 猫の子のほどける紐のやうに逃ぐ パリ 堀切 克洋 樏が田を横切りて学校へ 東京 松川 洋酔 春寒し鯛の目玉をすすり喰ひ 東京 三代川次郎 綺羅星集作品抄伊藤伊那男・選
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井上井月忌は三月十日。旧暦でいうと二月十六日。現在編集中の角川書店の『角川俳句大歳時記』改訂版には晴れて「井月忌」が立項されることに決まり、私が解説を書いた。井月忌俳句大会にかかわりながら歳時記に立項されていないという残念な状態が続いていたが、もうしばらくで解消される。実はそれにさきがけて『銀漢季語別俳句集』には堂々立項されていることは嬉しい限りである。さて谷岡句は井月の辞世句とされる句の一つで〈何処やらに鶴の声きく霞かな〉を本歌取りにして、故郷に帰れないままに死んだ井月への挨拶句。坂下句の「木の根開く」はまだ全面的な認知ではないが、松本市の「岳」主宰宮坂静生氏が提唱している季語。春に木の根元から丸く雪が解けていく状態を言う。このように井月が普通に詠まれ、世に広まっていくことを嬉しく思う。 |
井上井月は決して作らなかった句柄である。一茶なら詠んだのかもしれない。井月は文政五年に生まれたとされるが、一茶はその五年後に死んでいる。井月は二十代の後半、一茶の行動範囲とも重なる今の長野市や中野市辺りを行脚しているので、一茶を知らない訳が無いのだが、文章にも口碑にも一茶の名を残していないのは不思議である。さてこの句、いかにも微醺を帯びた井月ならやりそうな気がして笑ってしまう。「右往左往」が人生そのものにも及んでいるようで、品格はさておいて、名吟である。 |
なるほど、蛇笏は上段の構えから一気に振り下ろすようなタテ句の人。龍太の句は蛇笏の句と比べたら軽妙さや華やかさがあるといえよう。龍太の代表句の一つの〈白梅のあと紅梅の深空あり〉から着想を得たのであろうが、蛇笏を白梅、龍太を紅梅と見た作者の眼力はなかなかのものである。新しい解釈が生まれたような気もしてきた。 |
納税期の句を二つ。各々人生観や境遇が出ている味わいのある句だ。杉本句は「レ点」が面白い。もしかしたら認定されていない表記かもしれないが、チェック欄の寡婦に印を付けたのである。さてどう読んだらいいのであろうか?やはり今のところは「寡婦の欄その他にチェック」とにでも推敲するしか無いのかもしれない。日々新しく入ってくる新しい言葉や表現への対処は難しいのである。長井句は中七の最後に「無職」とあるところが面白い。長寿社会に入ると納税よりも還付請求の方が多くなるのである。 |
二句共パンの形状を比喩で表現している。クロワッサンはフランス語で、幾重にも折り畳んだ生地を焼いた奇妙な形のパンで、芋虫に似ていなくもない。それを「脱皮しさうな」と見たのは卓見!いい発想である。メロンパンは日本発祥の菓子パン。確かに形も表面のざらざらした感じも亀の甲羅のようである。各々の比喩に納得するし、上五に取り合わせた季語も的確である。各々の表現力を称えたい。 |
野遊びとは春の喜びでもあるが、何故か郷愁も誘うような気もする。土を踏めば幼い頃の故郷の山河が思い出されるものであり、また連れ出してくれた父母のことなども偲ばれるのである。中七の「近づきたくて」が絶妙である。 |
作者は青森県在住の方にて岩木山山麓の林檎園の嘱目であろう。林檎の剪定作業が春の幕開けだという。そこここで鋏の音が聞こえるようである。春を呼ぶ音だ。 |
一茶の〈痩蛙まけるな一茶是にあり〉の本歌取りである。痩蛙は一茶のことでもあり、作者自身のこととして読む句である。同時に他県と比較すると自我の強い信州人全体を詠んだ句のようにも思われる。 |
法事の相談に行くのだが「伺ひに」としたところが奥床しくて好ましい表現だ。梅の蕾が膨らみ始めた頃なのであろう。淡々と詠んで品位が高い。同時出句の〈濃紅梅色ほど香り高からず〉は一物仕立てで紅梅をじっくり観察している。言われてみると読者は、そう、そうなんだ、と気付く。発見のある句、ということになる。 |
その他印象深かった句を次に
子供の頃と比べると今の石鹼は泡立ちも香りもいい。盤水先生は戦後海運業をしていたが、積荷には手の皮が剝けてしまうような粗悪品の石鹼もあった、と言っておられた。掲句は泡立たない石鹼を通じて昭和を回顧しているのである。一つの物に焦点を絞って昭和を象徴させている。 |
一読では判り難いが、作者が宮城県の方であることを知れば理解できる筈だ。東日本大震災の行方不明者捜索の貼書が今も貼られているのであろう。税務署にまで。つくづく震災の傷の深さを思う。 |
一読気持の良い句である。雛祭を終えて元の箱に納める。開け放った広間には川の音が届く。徐々に水量が増してきた春の川音である。調べもいい仕上がりである。 |
娘の時、孫の時は浅草橋へ、別に吟行で岩槻などの雛店に寄った。確かにどの雛も魅力があり、訴えてくるように思う。人形の目なのに雛店を出ると確かに見詰められた疲れが残る。 |
『唐詩選』がいいのであろう。知的興味をそそるし調べもいい。だが漢字の羅列を見ているとどうしても眠くなる。頁に指を挟んだまま、というのが未練である。 |
日本海の湿った寒風が直撃する伊吹山は標高千四百米に満たない山ながら気象現象が激しい。関ヶ原に雪が多いのはこのためである。この地に住む作者ならではの生活実感の深い句である。「伊吹山の近きこと」の下五がいい。 |
「雛荒し」とは男の子が雛飾りのある家に行き、雛菓子などをねだることを言う面白い季語である。作者の実体験の句であろうが、三姉妹の家に男の子の従兄弟二人が来たという。そういう本人にしか解らない数字なのだが、そこが何やらおかしさを醸し出すようである。同時出句の〈探梅の前に躓く太鼓橋〉も共感できる情け無さ。 |
自然と共生する暮しなら「ものの芽の呟き」が聴こえることであろう。「天に地に」は大袈裟な気がしないでもないが、高い梢、地に張り付いた草、つまり一木一草の生命の漲る力である。 |
十年前の東日本大震災や、御嶽山を始めとする噴火、昨今の疫病の蔓延‥‥で解るように天変地変の繰返しの上に今日の日本列島がある。それにもかかわらず往来する渡り鳥の普遍性、その取合せが味わいである。 |
東北地方の寒の戻りは只事ではなさそうだ。季語は京都を中心に作られている。「寒の戻り」は心象も交じった感覚的な季語だが、この句の寒さは季語の通念を越えているようだ。それで慣用句の「筋金入り」が効果的になる。 |
空中の水分が濃くなる春は月も朧となる。輪郭が滲むのである。だがこの句では潤んで見えるのはそのせいではなく、自分の目が潤んでいるからだ、という。理由は解らないが、こうした控え目な主観の出し方も面白いものだ。 |
読み手の心を明るく豊かにする俳句がいい俳句だと思っている。この無理の無い詠みぶりがいい。葛飾柴又あたりの風景が浮かぶ。振り向くと車寅次郎の満面の笑みが見えるようだ。 |
伊那男俳句 自句自解(65) 裏畑をいま鎌鼬とほりしと
子供の頃のおぼろげな記憶であるが、どこそこの爺さんが鎌鼬にやられたらしい……などという話を何度か聞いたことがある。触れても打ち付けてもいないのに突然脛や太腿などが鋭利な刃物で切られたようにぱっくりと割れるのだという。全国に似た伝承があり、野鎌とか鎌風という方言もあるとのこと。以前は冬季に旋風などが起こったとき空気中に真空状態が生じ、皮膚の一部がそれに触れると体内外の気圧の均衡を保とうとして起る裂傷現象だと説明されていた。最近では皮膚の表面が気化熱によって急激に冷やされるために組織が変生して裂ける生理的現象、あるいは切れるという現象に限定すると、風が巻き上げた鋭利な小石や木の葉による裂傷とも考えられるという。つまり寒冷や乾燥、強風がもたらす現象のようだと言う。今もって確定的に原因の断定はできないようだが、俳句にとっては不思議な超常現象のままであった方が面白そうである。鎌を振り廻す鼬のままがいい。 はぐれきて木歩の土手の冬雀
俳句をやっていなかったら富田木歩を知らずにいたことであろう。知ったのは山本健吉の『現代俳句』である。二歳にして蹇(あしなえ)となり小学校教育を受けることがなかった。俳号からして悲しいのである。四人の姉妹と聾唖の弟がいたが、姉妹は次々に苦界に身を沈め、妹の一人と弟は結核で死ぬ。木歩本人も吐血する。俳句が唯一の救いで、新井声風という句友がいたことが幸せであった。大正十二年九月一日の関東大震災に遭遇し、隅田川の土手まで逃れたところで、捜しに来た声風と会ったが、三方から迫る業火に逃げる術も無く、二十七歳の生涯を終えた。声風は隅田川に飛び込んで難を逃れ、後々木歩を顕彰した。そうでなかったら忘れ去られた俳人になっていたことであろう。三囲神社に〈夢に見れば死もなつかしや冬木風〉の小さな句碑がある。近くの土手に「木歩終焉の地」の標識がある。折しも冬雀のが土を啄んでいて、はぐれてきた木歩の面影と重なった。 |
△野萱草 魅力的な花を咲き誇るノカンゾウは、以前はユリ科に含まれていました。今ではニッコウキスゲで知られる、キスゲ亜科に含まれる植物です。ワスレグサ属の種類であり、かなり昔から日本の風土に馴染んできました。1年毎に枯れてしまいますが、複数年に渡って生き続ける多年草です。 |