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 1月号  2017年

伊藤伊那男作品 銀漢今月の目次 銀漢の俳句 盤水俳句・今月の一句  
  彗星集作品抄    彗星集選評  銀漢賞銀河集・作品抄
平成26年優秀作品集  綺羅星集・作品抄  銀河集・綺羅星今月の秀句 星雲集・作品抄  
星雲集・今月の秀句   伊那男俳句   銀漢の絵はがき 掲示板  
 銀漢日録  今月の写真


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伊藤伊那男作品






新年号・主宰の一句

千年を借景として初比叡     伊藤伊那男

主宰の八句

後の月            伊藤伊那男

木菟の夜を浅井の姫の話など
勾玉のやうみささぎの烏瓜
かはらけに賜ふ早稲酒三輪詣
もう母に届かぬ便り後の月
高空を風ががうがう酉の市
東京の空青ければ秋刀魚焼く
牡丹供養七彩の火を尽しけり
柚子届く火迺用心の御符添へて












        
             


今月の目次









銀漢俳句会/1月号


















   



銀漢の俳句 

伊藤伊那男 

「銀漢」の俳句 伊藤伊那男

◎井上井月の木刀
 伊那市で開催された第25回井上井月俳句大会に、今年は講演者として参加した。その数日前に地元の井月応援団の細田伊佐夫さん、宮澤宏治さんから電話が入った。かなり興奮した声で「井月の木刀と思われるものが正木屋の蔵から出た!」というのである。
大正10年刊行の『井月句集』の中で編者の下島空谷が地元の人々から集めた思い出話「奇行逸話」の中に〈初めの頃の井月はぶっさき羽織に袴を穿ち、樫の木刀を差していたそうだ(御子柴太郎氏談)又、蓮根二節を鞘に蔓を巻きつけていたそうだ(飯島柳哉氏談)〉という記述がある。さて2年ほど前から宮田村の正木屋の開かずの蔵が、細田さん等の働きかけで開き、調査が始まっていた。
正木屋は酒造業を営み、当時の主人山浦山圃は学識が高く、蕪村風の絵も巧みで、また勤王思想にも共鳴していた文化人であった。水戸で決起した天狗党が伊那谷を通過したが、伊那谷は平田国学が盛んであったためか、あるいは戦禍を恐れたためか、食事なども提供し円満に通過させている。山圃は武田耕雲斎と意気投合し、耕雲斎は即興の漢詩を山圃に残している。井上井月はそれよりも数年前に伊那谷に入ったようだが、その初期の頃は山圃との交流が深く、正木屋には「井月が来ると半年ほどは逗留した」との伝承が残っているほどだ。復本一郎編『井月句集』(岩波文庫)の表紙の絵は山圃の筆である。酩酊した井月が額に手を当てて喜んでいる。井月の自署の句が添えてあるので、まさに二人の合作であり、深い縁が思われるのである。
その正木屋の蔵から、口述通りの木刀が出てきたというのだから井月ファンにとっては一大事件である。俳句大会の当日、細田さんと会い、その木刀に触らせてもらった。樫の木でできており、武具として十分に戦える重量感があった。蓮根二節半の形で、節の所で微妙な屈曲をつけている。半節の部分は柄で、断面には蓮根の穴も彫り込んである。柄の下には蝸牛が彫ってあるのが味わいである。井月は落款も自分で作ったといわれており、これが井月のものであるとすれば井月が自ら彫った木刀ということになる。伝聞通りのものであり、しかも伊那谷に入った初期に庇護を受けた正木屋の蔵から発見されたという状況証拠から見てこの木刀は井月のものであると断言してもよいのではないかと思われる。
今現在も毎年のように井月の俳句が新たに発見されている。まだまだこのあと何が出てくるか解らないのが井月の楽しさである。
 














 



  

盤水俳句・今月の一句

伊藤伊那男


臘梅や夕影の濃き谷戸の寺     皆川盤水
 


冬枯れの鎌倉には確かに臘梅がよく似合うように思う。ただし江戸時代に渡来した植物なので鎌倉三代の時代には存在しない。まるで造化のように透き通った花弁を持ちながら蘭のような鮮烈な香りに包まれている。冬晴れの谷戸の道を散策していると、どこからともなく臘梅の香が漂う。色の少ない季節に一点の黄を点じて印象的である。谷戸奥の名も知らぬ寺は日が翳るのも早い。「夕影の濃き」に襞の多い谷戸の地形が明瞭である。
                                  (平成9年作『高幡』所収)













  
彗星集作品抄
伊藤伊那男・選


山の冷え伝える林檎届きけり       唐沢 静男
新米の匂ひはき出す精米所        我部 敬子
秋刀魚焼く二匹四匹今一匹        鈴木てる緒
今も鳴る秋の風鈴蛇笏の忌        武田 花果
灯台は何処も地の果て秋夕焼       森崎 森平
姉いもと半分づつの初鏡         宮本起代子
六方の踏んばりきかぬ村歌舞伎      畔柳 海村
木に座る明恵の軸秋の声         屋内 松山
遮那王の猛り身ぬちに火祭へ       谷口いづみ
源流を辿れば空に天の川         杉阪 大和
竹皮のにぎり弁当竹の春         保谷 政孝
一の的射ぬく一の矢初稽古        大野 里詩
八方に敵あるごとく百舌猛る       堀内 清瀬
身に入むや父の蔵書に罪と罰       五十嵐京子
一村の軽きなりたる落し水        伊東  岬
深ぶかと十月の闇狐川(山蘆)      武田 花果
返したる畝の谷間に秋の蝶        小野 無道
いたずらの抜け道今も烏瓜        小野 無道










       








彗星集 選評 伊藤伊那男


山の冷え伝える林檎届きけり       唐沢 静男
私が信濃の生まれであることが、この句に愛着を持った理由であるかもしれない。私の育った頃の林檎は「国光」という種類がほとんどで、小粒で酸味の強いものであった。たまに印度林檎などと呼んだ新種もあった。今は「富 士」。ぎっしりと蜜が詰まっている。毎年信州から林檎が届くが、触れてみてその冷たさを「ああ、信州の山気の冷えだ」と思う。そして信州の山々の風景が浮かび上がる。「伝へる」がこの句の味わいなのだと思う。

  
新米の匂ひはき出す精米所        我部 敬子
昨年の秋、山形県を訪ねたが、刈入れ時なのにほとんど「稲架」を見ることが無かった。もはや田圃に干すことはせず、そのまま工場へ搬送されるからだという。それはさておき、この句は稼働する精米所から伝わるのは新米の匂いだという。その違いは私には多分解らないが、豊作の喜びが十分に伝わるのである。

  
秋刀魚焼く二匹四匹今一匹        鈴木てる緒
もはや一編の小説といってよいほどの物語的俳句である。結婚して二匹の秋刀魚を焼く時代があり子供二人が生まれ四匹の時代があり、各々独立し、本当は省かれているが、二匹に戻った時代があり、今は一人暮らしになったのである。秋刀魚の数だけで人生の軌跡を描いた逸品。

  
今も鳴る秋の風鈴蛇笏の忌(山蘆)    武田 花果
蛇笏、龍太の住居であった「山蘆」を訪問した嘱目であろう。<くろがねの秋の風鈴鳴りにけり>のその風鈴が今も鳴っているという、きっちりとした挨拶句である。本歌取りは日本の詩歌の伝統。こういう作り方もいい。

  
灯台は何処も地の果て秋夕焼       森崎 森平
言われてみれば灯台は岬の先端にあるのだから「地の果て」である。そうではあるが「何処も地の果て」のフレーズはいい。訪ねたことのある、いくつもの灯台の情景が頭を過るのである。「秋夕焼」などという一見予定調和のような季語の斡旋も、また良いのである。旅情をくすぐられる句であった。

  
姉いもと半分づつの初鏡         宮本起代子
私も子供は娘二人。今一緒に住んでいる孫も上の二人は女の子。こういう句は実感である。たいがい妹が途中から顔を出して、姉がしぶしぶ半分譲る。日々その様な生活なのだが、「初鏡」の元旦の一番最初の作業を配したのがこの句の眼目である。毎日このような事が続くのである。

  
六方の踏んばりきかぬ村歌舞伎      畔柳 海村
 村歌舞伎だけにこのような場面も……後継も少ないか。

  
木に座る明恵の軸秋の声         屋内 松山
高山寺の嘱目。秋の声を生かした。但し字足らず。
 
  
遮那王の猛り身ぬちに火祭へ       谷口いづみ
義経の鞍馬山での日々を火祭に重ね合わせた。

  
源流を辿れば空に天の川         杉阪 大和
源流がそのまま天の川に繋がるという幻想的な一景。
 
  
竹皮のにぎり弁当竹の春         保谷 政孝
「竹」のリフレイン。最も美しい「竹秋」を配した手柄。

  
一の的射ぬく一の矢初稽古        大野 里詩
一矢で決めた初稽古。思い切って「弓始め」に変えるか?

 
 八方に敵あるごとく百舌猛る      堀内 清瀬
百舌の鋭声の比喩が的確である。縄張り争いの激しさ。

  
身に入むや父の蔵書に罪と罰       五十嵐京子
決まり過ぎのような書名と季語。これもまた良し。

 
 一村の軽くなりたる落し水       伊東  岬
上手な技法である。類想の心配は残るが。

  
深ぶかと十月の闇狐川(山廬)      武田 花果
こんな小さな川が全国区の固有名詞になるとは!

  
返したる畝の谷間に秋の蝶        小野 無道
地を這うような秋蝶の生態をよく捉えている。

  
いたずらの抜け道今も烏瓜        小野 無道
幼い日の思い出の場所を訪うと、今も烏瓜が。




 







        











平成26年優秀作品集


     
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銀河集作品抄

伊藤伊那男・選

色鳥来お市の方の城跡に       東京   飯田眞理子
山音につつまれてゐる秋意かな    静岡   唐沢 静男
ご神体は湖と山とや小鳥来る     群馬   柴山つぐ子
音もまたささくれてゐる破芭蕉    東京   杉阪 大和
色鳥来龍太の椅子に双眼鏡      東京   武田 花果
祖廟より立正安国なる爽気      東京   武田 禪次
目薬の染むる一滴良夜の書      愛知   萩原 空木
稲滓火の斎田二枚雨催ひ       東京   久重 凜子
子へ獲物割くとき優し鷲の目よ    東京   松川 洋酔
窓を拭く秋天に手を触るるごと    東京   三代川次郎
十六夜といふ月影に冷泉家      埼玉   屋内 松山













   
   










綺羅星集作品抄

伊藤伊那男・選 

木犀の香をとらへたる風見鶏      埼玉  森濱 直之
重箱の栗飯にある隙間かな       東京  森 羽久衣
拾得のをらねば落葉降りつもる     東京  半田けい子
子規の間の糸瓜の花の裏ばかり     埼玉  戸矢 一斗
落柿舎のなかなか落ちぬ木守柿     兵庫  清水佳壽美
無花果食ぶ皮残さんとしてできず    東京  島谷 高水
地鎮めの神事にも見え石叩き      東京  伊藤 政三
紙相撲色なき風に倒れけり       東京  堀切 克洋
水澄みて水無きごとし梓川       埼玉  池田 桐人
あれこれの電源切りて夜業終ふ     埼玉  伊藤 庄平
穭田に一茶の雀来て遊ぶ        埼玉  大野田井蛙
鳴龍を次々鳴かせ秋うらら       東京  大溝 妙子
大ぶりの葉には大きな露の玉      神奈川 こしだまほ
西瓜食む皆それぞれの音させて     東京  曽谷 晴子
松手入れしたき一本禅寺に       東京  多田 悦子
鯉濃の水澄むほどに深む味       東京  塚本 一夫
秋祭総出と云へるほどでなし      東京  村田 郁子

喪主といふ嫁の納めの秋思かな     東京  相田 惠子
茹で栗や夜咄里のことばかり      宮城  有賀 稲香
秋茄子の色濃く畑暮れゆけり      東京  有澤 志峯
供養とてふたたびの色牡丹焚く     東京  飯田 子貢
とも綱を引き合ふ浦の運動会      静岡  五十嵐京子
駅名に残る故郷烏瓜          神奈川 伊東  岬
鳳仙花子に抗ひの語彙増えて      東京  上田  裕
思ひ草そだて上手でそれぞれに     埼玉  梅沢 フミ
街中が目黒秋刀魚に燻さるる      東京  大西 酔馬
着倒れの京の田舎の案山子なる     神奈川 大野 里詩
朝戸繰るや木犀の香の雪崩入る     東京  大山かげもと
水鳥や源平池のおだやかに       神奈川 小川 夏葉
虫籠や指揮棒振るふ虫もゐて      宮城  小田島 渚
子規庵へ立待月の路地曲る       埼玉  小野寺清人
京洛にふるるものみな秋の声      神奈川 鏡山千恵子
妻恋の歌は父の字ちちろ鳴く      和歌山 笠原 祐子
  コペンハーゲン
秋風や慰めがたき人魚像        東京  梶山かおり
鶴の来て爪の先から暮れにけり     愛媛  片山 一行
夜を籠めて風の八尾の紙砧       東京  桂  信子
我が影に入りては出でし蜻蛉かな    長野  加藤 恵介
木犀の香を総身に山廬へと       東京  我部 敬子
潮けむりつむりは点に秋へんろ     高知  神村むつ代
雑茸宴に混じる国訛          東京  川島秋葉男
毒茸の見分けわからず終ひかな     長野  北澤 一伯
階の一段毎の秋気かな         東京  柊原 洋征
次の世へあと幾曲り草の絮       神奈川 久坂依里子
柚子の家の主に山廬を尋ねけり     東京  朽木  直
秋霖や宛名の滲む二文字ほど      東京  畔柳 海村
つるべ落し影を寝覚の床に置く     東京  小林 雅子
水澄むや濯ぎの音も村の音       東京  小山 蓮子
歌舞伎座へ後の衣を更へにけり     長崎  坂口 晴子
汀女忌の露けき厨燐寸擦る       千葉  佐々木節子
撓ひたる節の赤さや秋海棠       長野  三溝 恵子
色変へぬ松侍らせて迎賓館       東京  島  織布
重藤の弓の射貫きし秋の風       東京  白濱 武子
残る虫琅玕太く林なす         東京  新谷 房子
鰡飛ぶやかつて呂宋へ発つ港      大阪  末永理恵子
コスモスに埋もれ花柄ワンピース    東京  鈴木 淳子
蚯蚓鳴く埋蔵金といふ浪漫       東京  鈴木てる緒
悲しみを見せず見ぬまま一葉落つ    東京  角 佐穂子
東京にあるわが暮し小鳥来る      東京  瀬戸 紀恵
鰯雲少年兵の昔かな          愛媛  高橋アケミ
一節に明るさのあり竹の春       東京  高橋 透水
どこまでも稲穂の揃ひ地鎮祭      東京  高橋 初風
五里も霧十方も霧身延山        東京  武井まゆみ
朝雀喜捨の新米こぼしけり       埼玉  多田 美記
木菟やもの知り顔に哲の問ひ      東京  田中 敬子
また客が柿を持ち来る子規旧居     東京  谷岡 健彦
母の打つ蕎麦に筧の水ゆたか      東京  谷川佐和子
風紋のつづきは空へ鰯雲        神奈川 谷口いづみ
金色堂風を染めあふ紅葉かな      愛知  津田  卓
踏石に下駄立てかくる良夜かな     東京  坪井 研治
降り癖の山の辺の道蕎麦の花      神奈川 中川冬紫子
九代目の勢ひそのまま菊人形      大阪  中島 凌雲
寂として森の木の実の落つる音     東京  中西 恒雄
ホームよりはみ出す車輛稲架匂ふ    東京  中野 智子
秋の日と同行二人高野道        東京  中村 孝哲
水澄むや流れの底に水の影       茨城  中村 湖童
傾ぐれば大目玉なるとんぼかな     埼玉  中村 宗男
長き夜を糸切り鋏の音と居る      東京  西原  舞
自適とは障子越なる日差かな      東京  沼田 有希
馬鈴薯の爵位めでたき小昼かな     東京  橋野 幸洋
御猟場の鴨塚に来る小鳥かな      神奈川 原田さがみ
新米や袋の紐は蝶結び         兵庫  播广 義春
やや甘き地酒もありて月見かな     東京  保谷 政孝
敷くほどにこぼれて萩の花へらず    東京  堀内 清瀬
秋の声して我が影に怯えけり      岐阜  堀江 美州
上州は風の溜り場鬼城の忌       埼玉  夲庄 康代
手にしたる未来の重き新暦       東京  松浦 宗克
日時計の影くつきりと色鳥来      東京  松代 展枝
うつし世の閉ぢ方講座日短       東京  宮内 孝子
おさがりの教科書厚く夜学かな     神奈川 宮本起代子
妻と子からお守り貰ふ菊日和      千葉  無聞  齋
斑鳩の先に塔あり雁の竿        東京  村上 文惠
露けしや残るはがきに師の俳句     東京  村田 重子
木菟の片目で統べる森の闇       千葉  森崎 森平
咲きのぼる葛あえかなり北信濃     愛知  山口 輝久
霊山のをちこち水の澄みにけり     東京  山下 美佐
火焔茸火の山裾に珊瑚めく       群馬  山田  礁
澄む水を掬へば失せる空の色      東京  山元 正規
裕の忌降り立つ駅や曼珠沙華      神奈川 吉田千絵子
大歩危も小歩危も釣瓶落しかな     愛媛  脇  行雲
孟宗竹叩いて秋をたしかむる      東京  渡辺 花穂









       













     







銀河集・綺羅星今月の秀句

伊藤伊那男


窓を拭く秋天に手を触るるごと      三代川次郎
「秋天に手を触るるごと」―うまいな! 窓を拭くのだが、それは澄み切った秋の空に直接触れているようだという。窓硝子も磨き抜かれているのだ。清潔感の溢れている句で、感性の鋭さを発揮している。

音もまたささくれてゐる破芭蕉      杉阪 大和
秋が深まると共に無惨に破れている芭蕉の葉。破れ具合により風音も微妙に変化してくるのである。この句、葉だけではなく、その音までが「ささくれてゐる」という。目だけではなく聴覚にまで持ち込んだところが卓越した技倆である。芭蕉葉だけを詠み切った一物仕立ての秀逸。

十六夜といふ月影に冷泉家        屋内 松山
京都、冷泉家は藤原定家の流れを伝える和歌の師範の家柄。この家は天皇が東京に移ったあとも京都に残った。時々テレビなどで紹介されるが、風雅な伝統行事を守り抜いて今日に到る。折しも十六夜の月影に照らされているという。何とも典雅な詠み振りで、旅吟の域を超えて、この家の歴史に深く深く食い込んでいるようだ。若い頃京都の地で過ごした作者ならではの「根」のある句だ。

木犀の香をとらへたる風見鶏       森濱 直之
秋になると、ふと木犀の香に周囲を見廻すことがある。小さな花なので見逃すところだが、あの芳香の存在感は誰の足をも止めてしまう。屋根の上の風見鶏も木犀の風を確と捉えている、というのである。爽やかな一景である。

  

重箱の栗飯にある隙間かな        森 羽久衣
面白いところに目が行ったものである。大粒の丹波栗であれば、栗と御飯との間に隙間ができる。そんな馬鹿らしいほどの景を詠み取るのが俳句である。短歌では詠めない俳味なのである。重箱の蓋を開けて瞬時にこの句が出たとしたら相当な技倆である。拍手!

 

拾得のをらねば落葉降りつもる      半田けい子
いずれも唐代、天台山の僧で、寒山は文殊の化身、拾得は普賢の化身と称せられる。この二僧を描いたのが寒山拾得図。寒山は経典を披き、拾得は箒を持つ。つまり箒を持つ拾得がいないので、木の葉は積もるに任せるしかないというのである。高度な俳句の遊びである。感嘆するばかりだ。

 

子規の間の糸瓜の花の裏ばかり      戸矢 一斗 
一畳のことに擦れたる獺祭忌        同
根岸、子規庵の嘱目であろう。その庭には丁度糸瓜の花が咲いているのだが、花は太陽の方を向いているので、子規の位置からは花の裏しか見えないという。皆が見ているのだが、実は見逃していた一景で、作者の眼力の鋭さに唸るばかりである。二句目は、今の畳は子規の時代のものとは当然違うのだが、机のある一畳が擦り切れているように見えた、という。もちろん、見学者が絶えず坐ってみるのでそうなったのかも知れないが、むしろ作者の心眼が子規の座り癖を見た、と読み取るべきであろう。

落柿舎のなかなか落ちぬ木守柿      清水佳壽美  
落柿舎の名の謂れは、一本ごと売却を契約した柿の実が一夜の嵐で全部落ちて引き渡しができなかったことに由来する。時代を経た今、木守柿がいつまで経っても落ちずにある、という。故事を逆手に取ったユーモアである。

無花果食ぶ皮残さんとしてできず     島谷 高水  
私にもその経験がある。あらゆる果物の中で一番皮が薄いのが無花果なのであろう。皮が剝けないので直接口にして皮の部分を食べ残そうとするのだが、それさえ難しいというのだ。俳味を交えて無花果の本意を捉えている。

地鎮めの神事にも見え石叩き       伊藤 政三
石叩きは鶺鴒のこと。絶えず尾を上下に振っているのでその名がある。その動きが「地鎮めの神事」のように見えるという、見立てのうまさである。背黒鶺鴒であればその色調も何やら神官の姿のようにも見えてくるのである。


  その他印象深かった句を次に
  

紙相撲色なき風に倒れけり        堀切 克洋
水澄みて水無きごとし梓川        池田 桐人
あれこれの電源切りて夜業終ふ      伊藤 庄平
穭田に一茶の雀来て遊ぶ         大野田井蛙
鳴龍を次々鳴かせ秋うらら        大溝 妙子
大ぶりの葉には大きな露の玉       こしだまほ
西瓜食む皆それぞれの音させて      曽谷 晴子
松手入れしたき一本禅寺に        多田 悦子
鯉濃の水澄むほどに深む味        塚本 一夫
秋祭総出と云へるほどでなし       村田 郁子


      








               

 
 



 
星雲集作品抄
伊藤伊那男・選

秀逸

子規庵に吾も寝て見る糸瓜かな     神奈川  水木 浩生
踏みさうな位置に迷へる秋の蝶     東京   辻  隆夫
マニキュアにパール一雫の良夜     東京   今井  麦
栗飯を逃れて部屋の隅の栗       長野   守屋  明
鷺草の飛翔の跡を八方へ        東京   大沼まり子
竹林や縦に抜け来る秋の風       埼玉   渡辺 志水
そこそこの寄附を張り出し秋祭     東京   小泉 良子
もともとは猫の餌皿や色鳥来      神奈川  上條 雅代
茸狩祖母の目利きを恃みけり      愛知   住山 春人
金木犀のこぼるるままに立ち話     埼玉   秋津  結
山を出て山へ沈む日吊し柿       埼玉   大澤 静子
こぼれたる一羽へどつと椋の渦     東京   星野 淑子
秋茱萸や音読の子の秩父バス      東京   竹内 洋平
地車の轍の木屑秋祭          大阪   辻本 理恵
鈴なりの花で風呼ぶ金木犀       東京   豊田 知子
     


星雲集作品集抄


            伊藤伊那男・選

逆らはず眠気に居りて敬老日      東京   渡辺 誠子
後の月壊さぬやうに湯に浸かる     神奈川  秋元 孝之
秋うらら腕を翼に一輪車        神奈川  有賀  理
母許の百年の松秋彼岸         愛媛   安藤 政隆
銭湯の富士をめざして灯取虫      埼玉   大木 邦絵
秋高し谷間の田端ステイション     千葉   白井 飛露
蜻蛉の眼回らせよろけをり       長野   桜井美津江
清廉の師に相応しき萩の花       神奈川  小坂 誠子
丹波路やはみ出す栗の蒸羊羹      東京   秋田 正美
脩忌や湿る聖書のなめし革       東京   浅見 雅江
今そこに子規が居るごと秋の庭     東京   井川 敏夫
鶺鴒の駅の屋根打ち光打ち       東京   生田  武
立ちねぶた津軽の怨を引き廻す     神奈川  伊藤やすを
杉高し井伊家墓所にも秋の風      埼玉   今村 昌史
遥かなる奇形の山も秋盛り       愛媛   岩本 昭三
団欒とならぬ一人の栗の飯       神奈川  上村健太郎
ダンボール次次たたむ秋の暮      群馬   岡村妃呂子
座机に膝入れてみる獺祭忌       東京   岡本 同世
妻逝きて寒し無念とおもふのみ     京都   小沢 銈三
子規庵の萩の乱れのそのままに     埼玉   小野 岩雄
白鳥座ねらふ矢となり流れ星      静岡   小野 無道
塩引鮭逆さに吊られ風を待つ      静岡   金井 硯児
柿の実の色づくを観る日課かな     東京   亀田 正則
曇天の紅深く透け鶏頭花        長野   唐沢 冬朱
油絵のモデル艶良き林檎かな      神奈川  河村  啓
群田鳧空の真青に弧を描く       愛知   北浦 正弘
石敢當色なき風の通りけり       神奈川  北爪 鳥閑
一年の思ひを重ね水落す        東京   絹田 辰雄
山霧の一筆書きを鳥瞰す        和歌山  熊取美智子
洗ふたび墓銘の月日遠ざかる      神奈川  栗林ひろゑ
九月尽薬手帳に一つ増え        愛媛   来嶋 清子
餌台に声忍ばせて小鳥待つ       埼玉   黒岩  章
紫蘇の実や濃くなるほどに風が揉む   愛知   黒岩 宏行
置き去りのボール一蹴り秋惜しむ    東京   黒田イツ子
半島の孤峰に仰ぐ渡り鳥        神奈川  小池 天牛
兄の忌
安らかな兄の寝顔や秋の空       群馬   小林 尊子
天高しとんがり屋根の白き村      東京   斉藤 君子
見渡せば皆麗しき星月夜        神奈川  阪井 忠太
旅の果て稜線釣瓶落しかな       東京   佐々木終吉
落鮎や利根のせせらぎ桟敷まで     群馬   佐藤 栄子
利根川に簗の灯を継ぐ秋の鮎      群馬   佐藤かずえ
運針の一目追ふごと虫の声       東京   島谷  操
鰯雲人は小さくあつけなく       東京   清水美保子
秋冷や百戸の谷の静まれり       埼玉   志村  昌
おけら鳴く畦の十字路田伏閉づ     東京   須﨑 武雄
蛇笏忌に連歌の祖神訪ねたり      神奈川  鈴木 照明
九月尽日本地震史読み終へぬ      群馬   鈴木踏青子
終ひ時告ぐる鐘楼眉の月        埼玉   園部 恵夏
金色堂軒の下さへ身に入むる      山形   髙岡  恵

  立石寺
せみ塚に立ち尽くすひと柿落葉     福島   髙橋 双葉
衣被長らく湯気をあげてをり      埼玉   武井 康弘
秋の夜アメーバのごと眠りけり     広島   竹本 治美
雲も来てうるさきほどの良夜かな    三重   竹本 吉弘
テレビにて台風を追ふ旅仕度      東京   田中 寿徳
陽を浴びて雫溶け込む草紅葉      東京   田中  道
白粉花を伐るころころと種こぼし    神奈川  多丸 朝子
食卓に鬼皮散らし栗御飯        東京   辻本 芙紗
ルンバ買ひ楽しく過ごす夜長かな    東京   手嶋 惠子
山畑にもぐら顔出す良夜かな      神奈川  中野 堯司
萩の枝大きくうねり道閉ざす      神奈川  長濱 泰子
澄む秋や郷を捨てたる吾の空に     大阪   永山 憂仔
刃を入れて柿の種まで両断に      神奈川  萩野 清司
いなつるみ旅の枕の馴染めずに     埼玉   萩原 陽里
晩学の墨すりへらす夜長かな      東京   長谷川千何子
もみぢ葉や風に運ばれ傘の絵に     神奈川  花上 佐都
まだ一つ痛み引きずる牛膝       長野   馬場みち子
外に出でて月の向かひに座りたり    神奈川  福田  泉
どこまでか太刀魚の尾のただ長し    東京   福永 新祇
だんまりの夫婦取り持つ鉦叩      東京   福原 紀子
抱き上げて顔より大き梨を狩る     愛知   星野かづよ
鳥威し谺を返す谷戸田かな       神奈川  堀  英一
流鏑馬の疾走に頭の右左        東京   牧野 睦子
サンダルを靴箱奥へ夏終る       神奈川  松尾 守人
まな板を清めて終る良夜かな      愛知   松下美代子
秋の暮大工の音のはたと止み      神奈川  松村 郁子
切通し抜けて広ごる鰯雲        京都   三井 康有
遊牧の夢は今でも星月夜        東京   宮﨑晋之介
床に影こぼれて美しきななかまど    東京   宮田 絹枝
水底に色流しつつ葛の花        広島   村上 静子
遠目なる本丸跡に渡り鳥        東京   八木 八龍
をさなごのつく尻餅や福笑       東京   家治 祥夫
塩味の加減ほどほど零余子飯      群馬   山﨑ちづ子
とりどりの和菓子選びぬ菊日和     東京   山田  茜
床の間に微かな風や芒の穂       静岡   山室 樹一
新涼の風に読みかけ微睡みて      千葉   吉田 正克
少年はいがぐり頭あけび狩       神奈川  渡辺 憲二
藪がらしヒマラヤ杉を搦めけり     東京   渡辺 文子














     





星雲集 今月の秀句

伊藤伊那男

子規庵に吾も寝て見る糸瓜かな      水木 浩生
根岸子規庵を訪ね、子規の部屋に入る。窓から糸瓜棚が見える。見学者はたいがい立って見るか、座って見るかだが、作者は思い切って寝転んでみる。子規が見た位置から糸瓜を見上げるのである。そのような興味の持ち方が俳句力を鍛えるのである。少しでも子規の気持ちになってみようとする。だからこそ、このような句が生まれたのである。同時出句の〈なべてみな秋思文士の顔写真〉は、なるほど明治、大正時代の写真などはそんな感じだなと思わせる力がある。〈句読点打つ頃合ひにきりぎりす〉も「句読点」へ行き着いた発想が新鮮であった。

 

踏みさうな位置に迷へる秋の蝶      辻  隆夫
秋蝶といえば、夏と同じ蝶でありながら、どことなく哀れを感じさせるものである。この句の通りどことなく飛ぶ位置が低いのである。地を這うような飛び方のものもいる。うっかりしたら踏んでしまうのではないか、というこの句、その実感を共有できるのである。同時出句の〈童謡のなかに思ひ出烏瓜〉はまさにその通り!ふと口をついて出た童謡に触発されて少年時代を思い出すことがある。「烏瓜」の斡旋が効く。枯色の野に残った一点の朱である。


栗飯を逃れて部屋の隅の栗        守屋  明
面白い句である。転がって厨から逃れた栗は、栗飯になることを逸れたのである。このような作り方をした句は今まで目にしていない。独自の発想を称えたい。私の子供の頃の信州は丹波栗などはなく、小粒の山栗であった。嵐のあった翌朝拾いに行ったものだ。小さな栗だけに剝くのは大変で、手を逸れた栗はあちこちに転がったものである。同時出句の〈夕暮の風を逆立て鵙猛る〉〈童謡のやうな村あり赤とんぼ〉も、写生と抒情のほどよい融合がある。

 

鷺草の飛翔の跡を八方へ         大沼まり子
鷺草はいかにもその飛翔の形に似て珍重されるものだ。この句はその花が咲き終った頃を詠み止めたのであろう。いつの間にか花を支えていた茎だけが残っている。また風に吹かれた花が鉢の外にも散っているのであろう。盛りの時期ではなく、咲き終ったこの花の様子を捉えた独自の眼力を褒めたい。

 

竹林や縦に抜け来る秋の風        渡辺 志水
確かに、竹林であるから幹と幹の間を風が擦り抜けてくるのである。これを「縦に抜け来る」と詠んだのは手柄である。櫛の歯を抜けるような見立てである。折しも「竹の春」であるから葉色も一際瑞々しいのである。同時出句の〈新蕎麦のそば湯に残る青さかな〉も秀逸。

  

そこそこの寄附を張り出し秋祭      小泉 良子
「そこそこの」の措辞が何とも味わい深い。過疎の村であるのかもしれない。村人の精一杯の寄附なのだが、そこそこの額なのである。この表現で村の風景や村の財政状況まで読者の目にありありと浮かぶのである。同時出句の〈ひらきたるままや夜長の三面鏡〉もいい感覚を発揮した秀逸であった。

  

茸狩祖母の目利きを恃みけり       住山 春人
同時出句に〈暗がりに父の背追ふ茸狩〉〈茸狩森の香りを連れ帰る〉があった。茸の有り処は親兄弟でも秘密にするというが、後継者には伝授していくのであろう。「祖母の目利きを恃(たの)む」、「父の背追ふ」――いずれも少しずつ茸の宝庫を教えていく様子がよく描かれているように思う。最後は全員が森の匂いを持ち帰るのである。

  

こぼれたる一羽へどつと椋の渦      星野 淑子
椋鳥の生態をよく捉えたな、と感心した句である。実に貪欲な集団で、江戸時代、冬が近づくと「そろそろ椋鳥が来る頃だ」と言い合ったという。椋鳥も来るが、椋鳥のように信濃の出稼人が江戸の町に入ったのである。信濃者は働くけれど大飯ぐらいで、そのように呼ばれたのである。そんなことまで読後に思い出す句であった。同時出句の〈流鏑馬の駆け馬秋気蹴散らして〉も「蹴散らして」が独自の把握で、力が籠っていた。
その他印象深かった句を次に。

マニキュアにパール一雫の良夜      今井  麦
もともとは猫の餌皿や色鳥来       上條 雅代
金木犀のこぼるるままに立ち話      秋津  結
秋茱萸や音読の子の秩父バス       竹内 洋平
抱き上げて顔より大き梨を狩る      星野かづよ
逆らはず眠気に居りて敬老日       渡辺 誠子
後の月壊さぬやうに湯に浸かる      秋元 孝之
秋うらら腕を翼に一輪車         有賀  理
銭湯の富士をめざして灯取虫       大木 邦絵
秋高し谷間の田端ステイション      白井 飛露
蜻蛉の眼回らせよろけをり        桜井美津江
清廉の師に相応しき萩の花        小坂 誠子
























伊那男俳句  


    
伊那男俳句 自句自解(13)

  
孕み鹿ひたすらに夜を眠りをり


 奈良の夜の嘱目である。一人で吟行したあと、いきつけの居酒屋「蔵」で名物のもつ焼きなどで酒を楽しみ、夜の奈良を歩く。町中とは言え、元興寺界隈などは身体が冷えるほどに森閑としている。春日大社の神域、飛火野や東大寺の境内などは、その暗さや静けさは時として恐怖を覚えるほどである。吟行はできればその土地の夜もみるべきだと私は思っている。酒を傾けながら地元の方々と挨拶をしたり、訛を聞く。夜の町を歩いてその空気に肌で触れてみる。昼間のその土地を表面だとすると、裏面である夜の呼気にも触れてみて一枚の絵が完成するのである。夜の奈良公園では闇の中に気配して、目を凝らすと、鹿が寝そべっていたりする。近づいても動かない鹿もいる。仔を宿した鹿は毛並も悪く汚れて見える。胎の仔に栄養を取られているからなのであろう。こんこんと眠っているように見える鹿もいる。その憐れさは一入である。「ひたすらに」にそのことを籠めたつもりである。

  
囀の十重に二十重に比叡山


 比叡山は京の東北の鬼門に位置し、延暦寺はその鬼門を守る役割を持つ。そのような位置付けであるため朝廷への発言力も強く、平安時代、白河院が「賀茂の水、双六の賽、山法師、是ぞわが心にかなわぬものはない」と嘆いたが、その山法師とは比叡山の僧兵である。当時から僧兵が力を頼りに京の町を蹂躙する事件が多々発生している。業を煮やした織田信長が山を包囲し、皆殺しの焼討をしたことは有名である。その折法燈は消えたが、山形の山寺に分けられていた燈を戻して、今も千年の法燈が根本中堂に点っているのである。私は何度もこの山を訪ねたが、この句は春、京都洛北の雲母(きらら)坂から歩いて登った折のものである。囀のまっただ中の山道であった。織田信長軍はこの山に通じる全ての道を閉じ、十重二十重の軍勢で山を攻めた。清廉潔白の最澄が始祖のこの山の歴史は無惨であった。今は囀が取り巻くばかり。歴史と現在を「十重二十重」と重ねてみたのだが果して成功したかどうか・・・・・・。

 










        
  
  
   


 



























銀漢の絵はがき


挿絵が絵葉書になりました。
Aシリーズ 8枚組・Bシリーズ8枚組
8枚一組 1,000円

ごあいさつにご利用下さい。



    






        














掲示板























 
             

銀漢亭日録

伊藤伊那男

10月

 10月28日(金)
発行所「門」同人会へ貸し出し。店「ランブル」主宰上田日差子さん、月野木さん母娘来店。明日、鍛練句会で朝早いので22時閉店とする。

10月29日(土)
10時過ぎ、御岳山ケーブルカー御岳山駅集合。「御岳山鍛練句会」31名参加。「御岳山荘」に投宿。十句出し句会。終わって散策して、いつもの土産店で蒟蒻などで浅酌。18時夕食。心の籠った精進料理。うたた寝を叩き起こされて20時、十句出しの句会。23時頃まで。

 10月30日(日)
6時発、御嶽神社参拝。あと御岳山荘の主人、元宮司の金井氏に宝物館の案内をして戴く。9時過ぎから十句出し句会。成績発表など。全部終了したのが12時。蕎麦の昼食。御嶽駅前の中華店にて20名程で酒盛り。澤乃井をがんがん飲む。更に一駅歩いて「澤乃井園清流ガーデン」に8人。17時閉店まで!

10月31日(月)
「梛」誌記念会あとの本井英、山田真砂年、遠藤若狭男さんなど。「梛」の会は私も出席通知出したものの、やはり店のやりくりつかず、欠席に変えたもの。

11月

  11月4日(金)
「大倉句会 五周年感謝の夕べ」。35人程参集。気仙沼の鮑酒蒸しニンニク風味炒め、鮪、蛸、鮑の刺身、牡蠣酢、蒸焼。海鞘、「仙台太助」の牛舌。京都の鯖寿司、米沢の焼豚……などなどの大宴会。

11月5日(土)
10時、運営委員会。昼、「いもや」の海老天。13時、「銀漢本部句会」。私の都合で一週間前にしたので出席者やや少なし。47人。鎌倉の中野、堀さん初参加。仙台の渚さんも参加。あと、杉阪、武田氏と編集室に戻り、「銀漢賞」選考委員会。眞理子さん参加。あと「てけてけ」に合流して親睦会。

 11月6日(日)
12時より中野サンプラザにて「第29回 東京駒ヶ根会」。初参加。杉本駒ヶ根市長や山浦商工会議所会頭など上京。計43名。会長は骨董界の重鎮熊沢正幸氏。駒ヶ根の近況などを聞き、懐かしい方々とも会い、感激する。昼の酒に酔う。成城駅前で散髪。その間ずっとうとうと。桃子誕生日で一家はお台場のホテル。

11月7日(月)
倉田有希さん幹事の「写真とコトノハ展」スタート。12名の方で前夜祭。入れ替わりに「かさゝぎ俳句勉強会」あとの14人。

 11月8日(火)
インフルエンザの予防注射。降圧剤。14時、鳥居真里子さんの句会に発行所貸出しを失念し40分遅れ。更に17時からの山田真砂年さんに貸出しもダブルブッキングという事態。店「火の会」6人。鳥居さんの「駿句会」あと5人。真砂年、土肥あき子、山崎祐子さん。

11月11日(金)
14時、発行所にて「銀漢賞」選考会。唐沢静男君、伊豆から参加。あと店で積もる話など。「閏句会」8人。

11月12日(土)
京都着11時半。そのまま日蓮宗妙覚寺~阿弥陀寺、信長の墓を訪ねる。13時半、蛤御門前「ザ・パレスサイドホテル」へ滑り込む。「雲の峰」年次総会の講師。40分程、信長と本能寺と鉄砲についての小講演。宴会までの1時間あまり、御所の散策。銀杏大樹、散り始めている。和気清麻呂の護王神社、有栖川宮邸、菅原神社などを巡る。17時半、住田真理子さんのヴァイオリンの夕べ。宴会。22時、お開きと健全。

 11月13日(日)
6時過ぎ起床。健全。快晴。9時、バスにて嵯峨野へ。清涼寺の「夕霧祭」。渡月橋近くへ歩き、昼食。直指庵へ。戻って広沢池。16時、京都駅にて解散。町へ出ていつもの店。鰹とヨコワの刺身、グジの一塩、万願寺。駅で発車時間まで更に飲む。新幹線乗車と共に爆睡。23時、帰宅。

 11月14日(月)
雑用多々。宮澤は入れ替わりに昨夜から京都と。夜、冷たい雨。新潟日報大日向さん。閑散。21時半、閉める。

11月15日(火)
雨。国会議員のT先生、久々。超閑散。20時半閉める。ここ2日程、所ジョージさんの世田谷ベースに落書きあったとてテレビ局が三社、取材に呼び鈴鳴らす。語ることはなし。

 11月16日(水)
しみじみ雑用多し。店、「雲呑む会」打ち上げ10人。「三水会」5人。鈴木忍さん久々。22時半、効率良く閉店。

11月17日(木)
17時、竹内洋平、美穂夫妻の吟行会あと5人。水内慶太さん。松田つとむさん。現俳協の句会あと4人で。「銀漢句会」あと20人。ボジョレヌーボー解禁日でもあり賑やか。

11月18日(金)
発行所「蔦句会」あと6人。あと「爽樹」の環さんの仕事仲間6人。伊那北高校先輩井ノ口さんと新橋のみえ子姐さん。

11月19日(土)
終日家。選句したり、寝たり、本を読んだりの休養日。夜、宮澤、孫達と久々食事。鮎の山椒煮、「点天」の餃子、牛舌焼など。

 11月20日(日)
七時半、池袋発のレッドアロー号で秩父へ。「武蔵野探勝句会」の三峯山吟行へ参加。バスで片道一時間以上の奥秩父の紅葉を楽しむ。素晴らしい眺望。戻って町で句会。21人。秩父神社に参拝し、10人程で「高砂ホルモン」へ。あと、餃子とラーメンの梯子をして19時25分のレッドアロー号に飛び乗る。

11月21日(月)
「演劇人句会」、江森さんの傘寿のお祝い10人。

 11月22日(火)
福島沖地震あり。ひまわり館「萩句会」選句へ。店、今泉礼奈、村上鞆彦さん。皆川文弘さん、敦子、北海道北見の音羽紅子さん上京したとて寄ってくれる。たまたま村上さんと早大俳句会仲間。

11月23日(水)
久重凛子さんの「早蕨句会」に招かれ、「寺家ふるさと村」吟行会。柿生駅集合23人。見事な谷戸を巡り、四季の家にて句会。あと鶴川駅に戻り、「銀蔵」にて親睦会。あと10人ほどでカラオケ。

 11月24日(木)
何と雪! 54年振り記録更新と。積もっていく! 店、国会議員のT先生。「銀漢」誌を読みたいと寄って下さる。「雛句会」13人。そのあと「極句会」7人。

11月25日(金)
11時、四谷三丁目の正応寺にて「春耕」の重鎮、升本行洋様告別式。ご夫妻で「春耕」発展に尽力された方。店、「金星句会」あと8人。大阪の凌雲君出張で来ていて合流。

 11月26日(土)
14時、日本橋、「纏句会」。あと、鰤大根、題の牡蠣の茶碗蒸、牡蠣ごはん、握り。あと御徒町。信州の従兄弟に数の子とするめを送る。「吉池」で乾物を買い店に納める。帰宅すると家族食事の最中。豚しゃぶ参加。
















           
△『漂白の俳人・井上井月』伊藤伊那男著
          
  
    






今月の季節の写真/花の歳時記



2017年1月21日撮影  オオイヌノフグリ    TOKYO/HACHIOJI





花言   信頼」「清らか」「神聖」「忠実」


△オオイヌノフグリ
オオイヌノフグリの開花によって春を感じる人は多いですね。
ただ在来のイヌノフグリは最近とみに減ってきて今では絶滅危惧植物に指定されています。「天人唐草」という優美な別名を持っているとか・・。 

 
 
仏の座 黄梅
紅梅 寒菊 オオイヌノフグリ  
           
       





写真は4~5日間隔で掲載しています。 



2017/1/4更新



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