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 8月号  2021年


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銀漢季語別俳句集


伊藤伊那男作品


主宰の8句













        
             

             
             

    

今月の目次









銀漢俳句会/2021/8月号








     









  





   



銀漢の俳句 

伊藤伊那男 


銀漢の俳句
◎河合曾良の謎⑵

 河合曾良という名前は『おくのほそ道』の文中に出てくる俳号である。「曾良は河合氏にして惣五郎と云へり。芭蕉の下葉に軒を並べて予が薪水の労をたすく」と紹介されている。通説としての曾良の出自について「春耕」同人 乾佐知子さんの連載「曾良を尋ねて」より次に引く。
――慶安二年(一六四九)、信州諏訪高島藩城下の酒造業高野七兵衛の長男として出生。幼名与左衛門。その後二軒隣りの母の実家、「銭屋」河西家に引き取られて四歳まで過す。その後伯母の嫁ぎ先岩波家に養子として入り、岩波庄右衛門正字と名乗る。十二歳の時養父母が相次いで病没。十九歳で伯父を頼って伊勢長島へ移る。長島藩に仕官するために河合源右衛門長征の養子となり河合惣五郎と名乗る。――
 以上異説はあるものの一般的に知られている略歴である。一番確かな名前は岩波庄右衛門正字(まさたか)である。曾良の最後の旅になったのは六十二歳の時、幕府から派遣された九州方面巡見使の用人として会計を任された公務で、津島藩に渡り、朝鮮通信使を迎える宿舎の検分等を行う役割であった。潮待ちをしている壱岐島に出迎えに来た津島藩士三浦貞右衛門の日録に、巡見使の主席上使小田切靭負の用人として岩波庄右衛門の名前が記されている。以上のように河合曾良は『おくのほそ道』の文中の名前である。
 さて、これは巷説、といっても極一部で囁かれていることだが、曾良という俳号は木曾川の「曾」と長良川の「良」を取って芭蕉が名付けたのではないか、という説がある。今回伊勢長島を訪問してその地勢を見て、私はそれは確かなことではないか、と実感した。大智院の目の前の堤防に上ると、川を挟んだ対岸に桑名城下が見える。眼下の川は二筋あり、真中に細い中洲があり、まだ合流はしていない。桑名側が揖斐川で、長島側が長良川である。一方長島の愛知県側、名古屋との間を流れる大河が木曾川である。つまり長島は木曾川と長良川に囲まれた巨大な中洲なのである。河合の苗字も、名乗ったことがあるかどうか実は判らないが、二つの大河に上流、下流で挟まれている地形を見れば、まさに「河合」である。木曾川と長良川の合わさるところ、という絶妙な名前で、芭蕉ならいかにも考えつきそうな俳号である。
 曾良にとっては諏訪が第一の故郷であり、青年期を過ごした伊勢長島が第二の故郷である。一番多感な人間形成の時代を過ごしたのが大智院であり、伊勢長島城である。ところが不思議なことには伊勢長島藩の記録にも、江戸の神道家吉川惟足の門人名簿にも先述の曾良にまつわる苗字は一切残されていないのである。













 



  

盤水俳句・今月の一句

伊藤伊那男  

ひぐらしに町のひとつの書肆古ぶ            皆川 盤水

先生は昭和二十二年サイゴンから帰還。同年結婚して上京。船舶運営会社に復職している。この句は「病後那須行」の前書きのある七句の内の最後の句。年譜等には病気のことは出ていないので重いものでは無かったと思われる。昭和二十五年といえばまだ戦後の混乱期にある。那須も客が多かったとは思えない。そうした湯治場の様子が彷彿する。先生は戦後であっても病後であっても世情に動じない精神の強さがあったな、と思う。(昭和二十五年作『積荷』所収


 




 


  

彗星集作品抄
  伊藤伊那男・選

 川の字のほどけきつたる大朝寝         中島 凌雲
 柏餅買ふや仏も人数に             長谷川明子
 老鶯やこだまの返る石切場           岡城ひとみ
 供花として贈るほかなし母の日よ        堀江 美州
 春の果て姨捨山に置かれたやう         新谷 房子
 遠足のうぐひす廊下鳴きどほし         瀬戸 紀恵
 夏場所や川風分くる向う疵           中村 湖童
 どくだみや鞄の底の処方箋           三井 康有
 一滴は光のしづく新茶かな           武井まゆみ
 寝茣蓙褪す父の背ありし辺りより        伊藤 庄平
 火山灰残る耕二の句碑や鳥曇          今村 昌史
 キヤンプフアイヤー高きに燃ゆる子の未来    坂口 晴子
 また一行鬼籍が埋まる冷奴           加藤 且之
 宵の灯のうつる玻璃戸や葛桜          宇志やまと
 葉山寧日雀隠れに帆が浮かび          唐沢 静男
 母の日の塵の鴨居の鯨尺            桂  信子
 白鷺は杭になりきる川柱            大野 里詩
 更衣吾子にも小さき力瘤            坂下  昭
 絢爛を競ふ躑躅と権現と            伊藤 政三
 作る糸巻き戦車昭和の日            坂下  昭
 
 























    
     

彗星集 選評 伊藤伊那男

伊藤伊那男・選


川の字のほどけきつたる大朝寝       中島 凌雲
暑くもなく寒くもなく、春の朝の寝心地は格別である。「朝寝朝酒朝湯が大好きでそれで身上つぶした」という唄もある。私にも記憶があることだが、子供を挟んで川の字に寝る。休日の朝などは何とも幸せな朝寝を堪能したものである。あの頃は昼時まで昏々と眠ることもできたものだ。眠るにも力がいるのだな、とこの頃思う。さてこの句でそんなことを思い出したが、「ほどけきつたる」の表現がうまいところだ。「大」のついた「朝寝」も効果的である。 

柏餅買ふや仏も人数に           長谷川明子
 ここ半世紀位で日本人の家についての考えが多様化したように思う。一口に言えば家系を守るという考えが希薄になった。五月の節句も形だけになってきたが一昔前は切実な行事。無事この家の家系が継続できるかどうかがかかっていたのである。柏餅を仏壇に供え、家族で分かち合う。血統を繋ぐ証
てきたが一昔前は切実な行事。無事この家の家系が継続できるかどうかがかかっていたのである。柏餅を仏壇に供え、家族で分かち合う。血統を繋ぐ証である。この句からそうした感慨を得た。

老鶯やこだまの返る石切場         岡城ひとみ
石切場の設定がいい。石切場とはまさに自然の音響装置である。夏鶯であるから鳴き方も完璧である。石が跳ね返すこだまは格別のものがあろう。増幅装置の設定がいい。 

供花として贈るほかなし母の日よ      堀江 美州
 「親の意見と茄子の花は千に一つの無駄も無い」とか「親の意見と冷酒はあとでじんわり効いてくる」などという。結局多くの場合、死んでからその恩を知ることになるようだ。掲出句は仏前か墓前かに「供花」としてカーネーションを奉げるしかない、というもの。七十歳を越えた小生も今になってようやく気付いた恩や、詫びねばならないことなどがある。「母の日よ」という感情の表出が、この句では共感を呼ぶところである。

春の果て姨捨山に置かれたやう       新谷 房子
 子供の頃『楢山節考』の映画を見た衝撃は今も鮮明な記憶にある。信州にはスイッチバックをする駅として有名な「姥捨」駅があったので尚更であった。後年深沢七郎の小説を読むと舞台は山梨県の雰囲気であった。貧困な時代には各地にそうした悲話があったに違いない。さて掲出句、桜が咲き終わった後の暮春にはしきりに淋しさが募る時がある。ふと一人になったときの思いであろう。

遠足のうぐひす廊下鳴きどほし       瀬戸 紀恵
△ 更新すると6秒後に再度動画になります。

夏場所や川風分くる向う疵         中村 湖童
夏場所と川風はよくあるが「向う疵」で徳俵に残った。 

どくだみや鞄の底の処方箋         三井 康有
どくだみと処方箋の取合せを付き過ぎと見るかどうか? 

一滴は光のしづく新茶かな         武井まゆみ
新茶という初物を貴ぶ気分の高揚感が出ている。

寝茣蓙褪す父の背ありし辺りより      伊藤 庄平
父が昼寝に使った寝茣蓙。このような偲び方もあるか。 

火山灰残る耕二の句碑や鳥曇        今村 昌史
鹿児島生まれの早逝した俳人。鳥曇に代表句の名残が。児島生まれの早逝した俳人。鳥曇に代表句の名残が。 

キヤンプフアイヤー高きに燃ゆる子の未来  坂口 晴子
 「高きに燃ゆる」と把握し「子の未来」へ繋げたうまさ。 

また一行鬼籍が埋まる冷奴         加藤 且之
「冷奴」に亡き人の人物像が籠められているか。

宵の灯のうつる玻璃戸や葛桜        宇志やまと
歴史のある町の祭の夜の雰囲気か。葛桜がうまそうだ。 

葉山寧日雀隠れに帆が浮かび        唐沢 静男
視線の配置がいい。葉山の雰囲気が横溢している。 

母の日の塵の鴨居の鯨尺          桂  信子
 母の日と鯨尺は見飽きるほどあるが、塵の鴨居で生きた。

白鷺は杭になりきる川柱          大野 里詩
 川に残った橋の柱。白鷺は微動だにしない。

更衣吾子にも小さき力瘤          坂下  昭
腕があらわになった子供の筋肉に成長を喜ぶ。 

絢爛を競ふ躑躅と権現と          伊藤 政三
 仏が神に化身した権現。その威光に負けない躑躅の綺羅。

子と作る糸巻き戦車昭和の日        坂下  昭
私にもかすかな記憶がある。昭和は遠くなったと思う。 















 
 











銀河集作品抄


伊藤伊那男・選

万緑へ入る語られぬ神の山      東京  飯田眞理子
春眠や市井の声を遠くして      静岡  唐沢 静男
たらつぺと親しき呼び名野の馳走   群馬  柴山つぐ子
雪占を禰宜の見てゐる春祭      東京  杉阪 大和  
静かなる水輪集めて梅雨の鯉     東京  武田 花果
五山はも安居迎ふる作務の中     東京  武田 禪次
だんだんに火勢を上ぐる山躑躅    埼玉  多田 美記
ぢき会ひに帰ると母に四月馬鹿    東京  谷岡 健彦
おもひでに少しくわらふ通夜朧    神奈川 谷口いづみ
骨壺の母と土手ゆく花曇       長野  萩原 空木
おそらくはどれも利き足蛸食らふ   パリ  堀切 克洋
花衣脱ぎ弔ひへ急ぎけり       東京  松川 洋酔
あんぱんの臍の謂れや四月馬鹿    東京  三代川次郎
























         





綺羅星集作品抄

伊藤伊那男・選

爾来なほ人の苦減らず仏生会       埼玉  池田 桐人
鴛鴦のどちらともなく淹るる古茶     埼玉  今村 昌史
盛衰も無き三代に古茶の筒        東京  上田  裕
それぞれの意思ある如く蛸の足      東京  伊藤 政三
鯉こくを振る舞ふ端午佐久平       神奈川 中野 堯司
この円座去来の臀の痕かとも       大阪  中島 凌雲
面影橋で降り惜春の母校かな       東京  山元 正規
和賀江嶋に青磁のかけら春の潮      東京  渡辺 花穂
オルガンのふかふか言うて聖五月     東京  島  織布
水の夜蛙の夜を寝に帰る         長野  北澤 一伯
若き日の欧州駈けし夏帽子        東京  松浦 宗克
海風や鼻に記憶の磯遊          東京  飛鳥  蘭
かの世にて仰ぐつもりの苗木植う     埼玉  伊藤 庄平
野遊のついでを詫びて父母の墓      広島  長谷川明子
淤能碁呂の飛沫が蛸になつたとか     神奈川 有賀  理

山背吹く九十九島の芭蕉像        埼玉  秋津  結
注連縄の守る神域青岬          神奈川 秋元 孝之
雷鳴や胸底に棲む父の声         宮城  有賀 稲香
夕さりの雀の宿や竹の秋         東京  有澤 志峯
賀茂祭騎馬警官の後詰かな        東京  飯田 子貢
薫風を四方にさばく鬼瓦         東京  市川 蘆舟
牛飼の地声転がる大夏野         神奈川 伊東  岬
初孫はをのこなりけり柏餅        東京  今井  麦
山国の星は眠らず霜くすべ        東京  宇志やまと
庭石菖よく働きて旅もして        埼玉  梅沢 フミ
イーゼルの脚をささふる春の芝      埼玉  大澤 静子
たましひに重さありけり落椿       東京  大住 光汪
そよぎつつ紅加へゆく桜の実       東京  大沼まり子
息を吐くところは見えぬ鯉のぼり     神奈川 大野 里詩
言の葉の詰まる抽斗修司の忌       埼玉  大野田井蛙
白といふ色の不可思議つつじ燃ゆ     東京  大溝 妙子
店毀す日の近付けり五月闇        東京  大山かげもと
干し物の上をおよぐや鯉幟        東京  岡城ひとみ
目玉焼の目のぱつちりと春の朝      東京  小川 夏葉
これよりは田螺の道をわが道と      宮城  小田島 渚
にぎやかに風来る山廬竹の秋       埼玉  小野 清人
桜餅買うて素通り長命寺         神奈川 鏡山千恵子
鯱の頭に尾に鰭に雀の子         和歌山 笠原 祐子
牙を剝く蔵王権現御開帳         東京  梶山かおり
あを空を映し込んだる柏餅        愛媛  片山 一行
雨安居の日数ペン胼胝座り胼胝      東京  桂  信子
川風に炎こゆらぐ薪能          静岡  金井 硯児
洗ひ髪乾ききつたる長電話        東京  我部 敬子
波しぶき引く間岩海苔掻く早さ      高知  神村むつ代
桜餅行き交ふ舟を見てゐたる       東京  川島秋葉男
亀の子の齢始むる一歩かな        東京  絹田  綾
船あまた飲みし卯波や鑑真忌       東京  柊原 洋征
柏餅買ふにいとはぬ男坂         神奈川 久坂衣里子
江ノ電の踏切三歩海うらら        東京  朽木  直
春惜しむ川の向かうへ足のばし      東京  小泉 良子
ゴンドラの十分間に春惜しむ       神奈川 こしだまほ
総身に享くる薫風団子坂         東京  小林 雅子
言ふなれば終の棲家か蛸壺も       東京  小林 美樹
重さうな来賓リボン入学式        東京  小山 蓮子
芽柳の大和ことばのやう撓ふ       青森  榊 せい子
パウロ永井隆忌来たる余花落花      長崎  坂口 晴子
郭公や信濃にいくつ塩の道        長野  坂下  昭
水馬の蹴散らす雲や日は天に       群馬  佐藤 栄子
日晒しの百葉箱や夏きざす        長野  三溝 恵子
船橋屋にての一服藤の花         東京  島谷 高水
観音の差し出す御手のあたたかし     兵庫  清水佳壽美
惜春や針の重たき蓄音機         埼玉  志村  昌
あめんぼの水輪すなはち縄張か      千葉  白井 飛露
緑さす三人冗語てふ石に         東京  白濱 武子
行く春や国旗も出さぬ旗日とて      東京  新谷 房子
国生みの島へ清和の海の風        大阪  末永理恵子
夏鴨や(うみ)の余白に浮御堂         静岡  杉本アツ子
大空にシーツ羽ばたき夏に入る      東京  鈴木 淳子
紐のみで徐徐に仕上ぐる花衣       東京  鈴木てる緒
忘れゐし友夢に立つ春の昼        群馬  鈴木踏青子
山奥へ雲を沈めて鳥帰る         東京  角 佐穂子
消息のなき友ありて古茶新茶       東京  瀬戸 紀恵
隠れ場所おほき鎌倉濃紫陽花       神奈川 曽谷 晴子
語部の長老を据ゑ春火鉢         長野  髙橋 初風
筍の強気な自我を掘り起こす       東京  高橋 透水
囀を千の手に受け観世音         東京  武井まゆみ
下からの妻の指図や実梅捥ぐ       東京  竹内 洋平
飛び火とも躑躅へ千本鳥居の緋      東京  多田 悦子
レガッタの勝者振り上ぐ力瘤       東京  立崎ひかり
ふらここに乗る人もなく風の乗る     東京  田中 敬子
手前味噌包む信濃の柏餅         東京  田中  道
浅草寺
棟上げの響く槌音風薫る         東京  田家 正好
鮫皮に卸す山葵の山気立つ        東京  塚本 一夫
燐寸(マッチ)擦る機会も減りし修司の忌      東京  辻 隆夫
制服の少しくづるる若菜時        東京  辻本 芙紗
ひと色を足して古草描きをり       東京  辻本 理恵
囀のあふるるばかりケーブルカー     愛知  津田  卓
里宮はバスの終点春祭          東京  坪井 研治
槍掛の残る長押や柏餅          埼玉  戸矢 一斗
傍流の父祖の系図や柏餅         千葉  長井  哲
明日を待つ鏡の中の花衣         東京  中野 智子
しやぼん玉肺活量を少なめに       東京  中村 孝哲
炭鉱も花街もいま春塵に         茨城  中村 湖童
浮くままにすがらぬままに宙の蜂     埼玉  中村 宗男
絡みつく草の勁さや大夏野        千葉  中山 桐里
炮烙の割れずじまひも壬生狂言      大阪  西田 鏡子
上弦の月を兜に端午かな         東京  西原  舞
白日のごと浮かび来ぬ大海月       東京  沼田 有希
カーネーション黙つて渡す反抗期     埼玉  萩原 陽里
円空の鉈跡尖るやませ風         東京  橋野 幸彦
桐の花二階にたてば眼の高さ       東京  長谷川千何子
大黒天大き耳朶春の暮          神奈川 原田さがみ
深吉野の夢淵覆ふ茂かな         兵庫  播广 義春
たんぽぽや艇庫大きく開け放ち      東京  半田けい子
遅くとも歩幅大きく町薄暑        東京  福永 新祇
鳥影の囀るは点飛んで線         東京  福原  紅
風鐸の音の嗄れや竹の秋         東京  星野 淑子
葉桜や透析四年しづかなる        東京  保谷 政孝
幾重にもひかり巻き込み春マフラー    岐阜  堀江 美州
風薫る床屋はなべて几帳面        埼玉  夲庄 康代
薫風や縁側に置く回覧板         東京  松代 展枝
旅立ちの吾子逞しや葱坊主        京都  三井 康有
鞦韆を漕ぎし子の児が漕ぐ夕べ      東京  宮内 孝子
大鍋に踊る卵や復活祭          神奈川 宮本起代子
暮の春浦上の鐘鳴り響く         東京  村上 文惠
母の日や心の花束亡き母へ        東京  村田 郁子
桜蘂降るサーカス小屋のありし跡     東京  村田 重子
母の日に必ず疼く奥歯かな        東京  森 羽久衣
木洩れ日の匂も少し柏餅         千葉  森崎 森平
野遊の影は小川を飛び越しぬ       埼玉  森濱 直之
尺蠖に惑はぬ一歩なかりけり       長野  守屋  明
代搔くや陽を溢したり浮かべたり     東京  保田 貴子
青き踏む中也の詩集ポケットに      愛知  山口 輝久
うぐひすの声に始まる山の道       群馬  山﨑ちづ子
桜蘂降る踏まるるを常として       東京  山下 美佐
竹皮の次つぎに良き脱ぎつぷり      東京  山田  茜
生簀よりもがきし鮎に躍り串       群馬  山田  礁
早々と鯉のぼり揚げ孫を待つ       愛媛  脇  行雲
耳たぶをさはりて気づく花の冷え     埼玉  渡辺 志水












銀河集・綺羅星今月の秀句

爾来なほ人の苦減らず仏生会          池田 桐人
 四苦とは生・老・病・死。加えて愛別離苦・怨憎会苦・求不得苦・五陰盛苦で八苦となる。作者は仏生会と聞いて、そういえば、人は成仏するというけれど、苦労は減らないものだなあ、と思う。仏道者ではなく庶民の感覚である。言われてみれば私も仏教徒という、平均的日本人の思いであろう。「爾来なほ」の打出しが見事である。


鴛鴦のどちらともなく淹るる古茶        今村 昌史
盛衰も無き三代に古茶の筒           上田  裕
 今村句は「鴛鴦(えんおう)の」と読む。「鴛鴦の契り」から来ている言葉で、仲むつまじい夫婦のどちらからともなく以心伝心で茶を淹れた、という。老夫婦と思われるところから「古茶」の季語が生きているようだ。上田句は「盛衰も無き」と言っているけれど三代が平穏に続いていたとすれば、それは極めて幸せなことである。この句では、新茶が出たことによって古茶に気付く、即ち一族の平和に気付くという仕掛けで、いずれも「古茶」の季語の取合せが秀逸であった。


それぞれの意思ある如く蛸の足         伊藤 政三
おそらくはどれも利き足蛸食らふ        堀切 克洋
 両句共、蛸の足が八本あることに着目したところから発想された句。八本が各々自在な動きをしている様子を伊藤句は「それぞれの意思ある如く」と捉え、堀切句は「どれも利き足」と捉えた。注目点は似ているが、独自の感性で詠んでいるところがいい。各々に一物仕立ての良さが出ているようだ。


鯉こくを振る舞ふ端午佐久平          中野 堯司
信州人の私は鯉については一家言がある。何と言っても「鯉こく」が一番である。内臓もそのまま筒切りにした塩の効いた信州味噌の汁。適度な脂が浮き、味を丸くする。鯉は包丁式にも使われるように、味も容姿も第一級の魚。滝登りもする強靭さを持ち、端午の馳走としては最高だ。なお皮も内臓も骨も抜いて白味噌仕立てにする地方もあるが、私としては以ての外。全身から滲み出る汁が旨いのだ。 


この円座去来の臀の痕かとも          中島 凌雲
嵯峨野落柿舎の嘱目であろう。私の学生時代落柿舎の座敷に上げてもらい、持参した弁当を食べた記憶があるが、今はどうなのであろうか。この句の面白さは置いてある円座を見て、その凹みは去来が座った跡ではないか、と思うところ。歴史を瞬間移動するこの作句法は高度な技倆である。 


  

面影橋で降り惜春の母校かな          山元 正規
 面影橋とは味わい深い名前だ。神田川に架かっていた橋で都電荒川線の駅名の一つでもある。太田道灌の山吹の故事や、夫のあとを追って身投げした姫君の伝説などがある。句の中の母校とは恐らく早稲田大学ということになろう。先述の秘話などを併せると「惜春」の季語が見事に合っているようだ。「惜」は心中に重なる思いを言う。面影橋という地名も、母校にも響き合う仕掛けである。


  

和賀江嶋に青磁のかけら春の潮         渡辺 花穂
 和賀江嶋は鎌倉材木座海岸の海中の浅瀬で、鎌倉幕府初期の港であった。中国宋からの貿易船も入港したのであり、実朝は巨船を作ったものの動かなかったという話が残っている。北条執権時代に朝比奈の切通しを開き六浦へ港が移り衰退した。今も和賀江嶋周辺には輸入品の青磁などが眠っているのであろうか。春潮の色彩感がいい。


オルガンのふかふか言うて聖五月        島  織布
俳人は安易に「聖五月」と詠むが、ちゃんと詠むならばキリスト教の聖母月などについて理解し、共感した上で使いたいものである。そうでなくて他人事として詠むならば掲句のような詠み方がいい。決して貶めるわけではなく、まるでキリスト教系の保育園の園児のような無邪気さで詠んだ、このような句がいいのである。 


水の夜蛙の夜を寝に帰る            北澤 一伯
「水の夜」「蛙の夜」がいい。田植のあとの田圃は水の匂に満ちている。まだ稲の匂はしないのだ。蛙の声だけがあちこちに湧き上がる。そんな夜更け、寝るためだけに家に帰る。清冽な夜気の中である。「寝に帰る」と、ぼそっと言ったところに作者の生活感が滲み出ているようだ。 


若き日の欧州駈けし夏帽子           松浦 宗克
今から見ると若過ぎる作りの帽子なのであろうか。使わないけれど数々の旅の思い出が詰まっていて捨てることなどはできない。欧州の太陽や風を十分に吸い込んだ思い出の帽子である。「欧州駈けし」が具体的で実感を深めている。 


 その他印象深かった句を次に

海風や鼻に記憶の磯遊             飛鳥  蘭
かの世にて仰ぐつもりの苗木植う        伊藤 庄平
野遊のついでを詫びて父母の墓         長谷川明子
於能碁呂の飛沫が蛸になつたとか        有賀  理















                






 

星雲集作品抄
伊藤伊那男・選
秀逸
木挽鋸鴨居にかかり鮎の宿       広島  塩田佐喜子
消毒の掌かわく三鬼の忌        東京  中村 藍人
天竜川(てんりゅう)に河童の噂夏近し        長野  中山  中
葉桜や三年会はねば人は老け      東京  尼崎 沙羅
畦道は少し弛みて春祭         東京  生田  武
厄災の毒消売は現れず         神奈川 河村  啓
秩父路に緩ぶ五体や河鹿笛       埼玉  小野 岩雄
風纏ふ銭湯帰りのあつぱつぱ      東京  北原美枝子
如何せん葛餅の蜜残る皿        東京  久保園和美
夏立ちぬ講道館へ男下駄        神奈川 白井八十八
戦争の昭和生き抜き柏餅        東京  須﨑 武雄
春夕焼子等口々にまた明日       神奈川 田嶋 壺中
白靴で行けばいづこも輝けり      千葉  平山 凛語
朧夜の目薬的を外しけり        愛知  松下美代子
旅人の馬を返せし夏野かな       埼玉  渡辺 番茶

弟が生まれて淋し青葉木菟       福島  髙橋 双葉
姫筍の汁でもてなすまたぎ村      東京  髙坂小太郎
卯浪立つ腰越状の寺近く        神奈川 北爪 鳥閑
開け閉ての子ら異界めく春障子     東京  矢野 安美
水郷に八十八夜の雨烟る        千葉  針田 達行
共学となりし母校や鳥雲に       東京  中込 精二









星雲集作品抄

            伊藤伊那男・選


畝起し先へ先へと昼蛙         京都  秋保 櫻子
ぜんまいを揉みし筵や祖母の里     愛媛  安藤 向山
出あひよりさるもの多し遍路宿     東京  井川  敏
田水引くうゑろうゑろと青蛙      長野  池内とほる
サヰダーのヰの字が昭和思はしむ    東京  石倉 俊紀
彼岸へと橋繫がりて練供養       東京  伊藤 真紀
老ゆるほど故郷の若葉美しき      愛媛  岩本 青山
夏草や乱れてさみし雲の端       愛媛  内田 釣月
一晩で庭の主役に紅牡丹        長野  浦野 洋一
濡れ縁に足をぶらぶら春惜しむ     埼玉  大木 邦絵
竹の皮脱ぐ大寺の風の音        東京  大島雪花菜
浜宿に鮑の殻の夕日映え        神奈川 大田 勝行
夏草引く吾が手になじむ軍手かな    東京  岡田 久男
葉桜やひと日に違ふ手ざはりに     群馬  岡村妃呂子
矢車の矢羽根の消ゆるほど回る     東京  荻野ゆ佑子
風光る教会の鐘澄みわたり       神奈川 小坂 誠子
麦の秋土蔵高窓あけ放ち        静岡  小野 無道
花びらの飛ぶがごとくに豆の花     宮城  小野寺一砂
波たてば蹠笑ふ潮干狩         東京  桂  説子
尾をあげて富士より高き鯉幟      埼玉  加藤 且之
初夏やまだ板の間のひんやりと     東京  釜萢 達夫
つくづくと母似のたつき柿若葉     長野  唐沢 冬朱
水馬の重さのほどの水輪かな      千葉  川島 紬
郭公の影わづかにて声ばかり      愛知  北浦 正弘
鯉のぼり変容しるき武甲山       東京  熊木 光代
曲屋の曲りに沿うてやませ吹く     東京  倉橋  茂
夏雲の五段重ねに浅間嶺        群馬  黒岩伊知朗
嬬恋の畝まつすぐにキャベツ植う    群馬  黒岩 清子
米蔵が水面に浮きて代田かな      三重  黒岩 宏行
葉桜の気を吸ひ老いの力とす      東京  黒田イツ子
新緑や古墳の由来聴く山中       神奈川 小池 天牛  
はうれん草気合と俱に力瘤       東京  小寺 一凡
馬珂貝を入れてバケツの底抜ける    千葉  小森みゆき
母は子を子は蝶を追ふ春の野辺     宮城  齊藤 克之
白靴を穿きて浮世を歩みけり      神奈川 阪井 忠太
縞柄の増ゆる町なか夏近し       長野  桜井美津江
中空の風捉へたる桐の花        東京  佐々木終吉
川底の影の自在や水馬         群馬  佐藤かずえ
矢車に幟からまり降ろさるる      群馬  佐藤さゆり
遠足の声の名残の五山かな       東京  島谷  操
いたづらな仔猫が先に貰はれる     東京  清水 史恵
遠近用眼鏡の置かれ春炬燵       東京  清水美保子
本日は遺影の前にカーネーション    東京  上巳  浩
朧夜や子の名忘れし母とゐて      岐阜  鈴木 春水
轟音の鉄橋見上ぐ潮干狩        愛知  住山 春人
寝転べば突く手は空に大夏野      千葉  園部あづき
富士塚を赤富士となす躑躅かな     埼玉  園部 恵夏
こんな日はフレアスカート風青し    東京  田岡美也子
舟に乗る神輿の行く手神の島      東京  髙城 愉楽
水馬湖面進むに風まかせ        埼玉  武井 康弘
牡丹の色を重ねて崩れけり       東京  竹花美代惠
古町の湯屋を忘れず燕来る       栃木  たなかまさこ
指を差す先に水馬雨上がり       東京  田中 真美
下戸なりし父の遺影に新茶かな     神奈川 多丸 朝子
立ち話はづむ公園春落葉        愛知  塚田 寛子
紫陽花の挿し木で遺すわが歴史     広島  藤堂 暢子
橋脚で列組み直す花筏         埼玉  内藤 明
聖五月たまごの殻のうすみどり     岩手  永井 むつ
洞門より覗く対岸山滴る        神奈川 長濱 泰子
逢ひたさを白雨のせゐにしてやめる   東京  永山 憂仔
縁側の母に掛けおく春ショール     京都  仁井田麻利子
初夏や佐渡の荒磯のたらひ舟      東京  西 照雄
半生を駆け抜けたりし昭和の日     宮城  西岡 博子
母の日の母の思ひ出割烹着       静岡  橋本 光子
百千鳥風の騒立つ神の杜        東京  橋本 泰
一畝は洋風の名の豆を蒔く       神奈川 花上 佐都
柿若葉いつも縦書き母の文       長野  馬場みち子
蕗の皮剝くは八十路の母の勝ち     長野  樋本 霧帆
再生の海の証の章魚走る        神奈川 日山 典子
映画館ハンカチの白極まれり      千葉  深澤 淡悠
洗車機の虹を見てゐる夏はじめ     埼玉  深津  博
錆色の木蓮を掃く草箒         長野  藤井 法子
競り待つや一番成りの肥後西瓜     福岡  藤田 雅規
縁日の道巾占めて金魚売        東京  牧野 睦子
一山の睡臥を起こす青嵐        神奈川 松尾 守人
踏切にとどく潮騒夏近し        神奈川 松崎 雅則
梅肉の鱧や日暮の高瀬舟        東京  水野 正章
神馬駆くる大國魂の春祭        東京  棟田 楽人
荒れ催ひ卯浪寄せ来る能登の海     東京  八木 八龍
星鴉星降る里へ飛んで来よ       東京  家治 祥夫
夜桜の隙間の闇の深さかな       東京  山口 一滴
春雷や吾を励ます神の声        群馬  山﨑 伸次
亀鳴くや今年は明治何年かと      神奈川 山田 丹晴
更衣この性情を捨つる頃        静岡  山室 樹一
種蒔を浅間の逆さ馬で知る       群馬  横沢 宇内
柏餅葉の香程よき移りやう       神奈川 横地 三旦
欅若葉仰ぐかんばせ染まるほど     神奈川 横山 渓泉
月山に種蒔き爺の模様見し       山形  我妻 一男
篝火を弾く笛方薪能          神奈川 渡邊 憲二
メーデーに熱なく国の老いにけり    東京  渡辺 誠子





















星雲集 今月の秀句

伊藤伊那男

木挽鋸鴨居にかかり鮎の宿           塩田佐喜子
 完璧な舞台設定の句である。その昔はまたぎや木工職人が住んだ集落が、その古い建物を生かして民宿になっているのであろう。大きな鋸が鴨居に掛かっている。積年の囲炉裏の煙で梁も黒光りしているのであろう。俳句は具体的な「物」を提示することが成功の秘訣で、ここが舞台装置の良さである。私が思い出すのは山形の田麦俣の重層民家、檜枝岐の民宿。各々魚は岩魚であったけれど。同時出句の〈蒸鰈せせれば雨の強くなる〉もなかなかいい情趣である。各々鮎、蒸鰈が美味に思える舞台作りができているのだ。


天竜川(てんりゅう)に河童の噂夏近し       中山 中
天竜川はその名の通り昔は暴れ川であったようだ。伊那の河岸段丘は地理の教科書にも出てくるが、往古はそこまでを天竜川が削った痕跡で、つまり今の伊那市街は丸ごと川底だったことになる。私の郷里駒ケ根市に河童伝説がある。河童を助けた家がお礼に川原の薬草を教わり、製薬業で栄えたというような話であったと思う。そんなことを思いつきそうな川である。「夏近し」が効いているように思う。同時出句の〈蔕ひとつ梢にありて柿若葉〉は観察の目が確か。柿の木だからこその「蔕」である。 


畦道は少し弛みて春祭             生田  武
夏祭でも秋祭でもなく、確かに「春祭」の景である。田起しの始まる前の豊作の予祝としての祭なので、神社に向う畦道も崩れていたり弛んでいたりするのであろう。この祭が終ればまた黒光りの畦になる。少し弛んだ畦道とは実感のある把握で、解っていたけれど詠めなかった一つの発見がある句といえよう。 


厄災の毒消売は現れず             河村  啓
 コロナ禍の世相を詠んだ句である。「コロナ禍」とか「自粛」とかいう言葉が入った句が沢山投句されているけれど、私はほとんど採っていない。その場限りで終ってしまう句が多いのである。そのような中で、この句は十年後でも多分生き残る句だと思うのである。「厄災」はいつ来ても不思議ではない。そこに「毒消売」という、もはや使う人もほぼいない季語を付けたのが手柄である。ワクチンを毒消という季語に仕立てた発想は見事としか言いようが無い。なかなか順番が廻ってこないもどかしさや、混迷した世相をもしっかり捉えているのである。


秩父路に緩ぶ五体や河鹿笛           小野 岩雄
秩父には「秩父七湯」があり、いずれも山峡にひっそりと佇んでいる。少し前までは「鉱泉宿」と呼んだ。湧出する湯の温度が摂氏二十五度未満の場合は温泉ではなく鉱泉という設定になっていた記憶がある。そんな山間の宿ならば河鹿の声も聞こえてきそうである。河鹿はアオガエル科で美声。この句は「緩ぶ五体」がいい。この句を見たら誰もが秩父に行きたくなるではないか。そういう句がいい句なのである。 


風纏ふ銭湯帰りのあつぱつぱ          北原美枝子
我部敬子著『衣の歳時記』によると、あつぱつぱは関東大震災のあとの社会情勢の中で安価な簡単服として製造され、大阪で爆発的に売れたという。
あつぱつぱとは裾がぱっと広がるという大阪言葉。銭湯帰りに、あたかも風を纏っている位の感触だという所が本意を捉えている。 


如何せん葛餅の蜜残る皿            久保園和美
 この感慨、実によく解る。みたらし団子などもそうだが、家だったら皿を舐めてしまうかもしれないが、外ではそうもいかない。その口惜しさがよく出た滑稽句である。私などラーメンの汁だって、冷し中華の汁だって‥‥。


白靴で行けばいづこも輝けり          平山 凛語
 いかにも白靴である。夏を迎えて特別な気持ちになるのだが、その気持ちをどう表現するか、である。「行けばいづこも輝けり」には白靴を履くと、普段の道も町もすべてが新鮮に見えたという幸福感が伝わって来る。「白靴で行けば」という散文調の出足もこの句では決して悪くない。


旅人の馬を返せし夏野かな           渡辺 番茶
『おくのほそ道』の那須の段に、難渋している芭蕉に馬を貸してくれる野夫がいて「この馬のとどまる所にて馬を返し給へ」という。「やがて人里に至れば、あたひを鞍壺に結び付けて馬を返しぬ」とある。作者は現在の那須野の実景の中でこの故事を思い起こしたのであろう。古典から題材を取った知的構成の句である。同時出句の〈惜春や地図の旅路は津軽まで〉も味わい深い。 


その他印象深かった句を次に

 

戦争の昭和生き抜き柏餅            須﨑 武雄
夏立ちぬ講道館へ男下駄            白井八十八
弟が生まれて淋し青葉木菟           髙橋 双葉
姫筍の汁でもてなすまたぎ村          髙坂小太郎
卯浪立つ腰越状の寺近く            北爪 鳥閑
開け閉ての子ら異界めく春障子         矢野 安美
水郷に八十八夜の雨烟る            針田 達行
共学となりし母校や鳥雲に           中込 精二
















伊那男俳句


伊那男俳句 自句自解(67)         
  
光秀の討たれし藪の筍と

 NHKの大河ドラマなどで近時明智光秀が見直されているが、この句はまだ主殺しの極悪人の烙印を押されていた頃のもの。光秀は教養も自尊心も高く、それ故信長の奇想天外な発想や残忍性に馴染めず、格下であった秀吉の昇進が理不尽に思えたことであろうし、将来の地位の不安も渦を巻いて本能寺の暴挙に到ったのであろう。善悪の問題ではない。計画性が無かった挙兵は三日天下(十日足らず)で終り、山崎の合戦に敗れて敗走中、京の南郊小栗栖で野伏せりの竹槍に刺されて果てた。その竹槍から京の筍へ連想が及んだのである。歴史的に見ると今珍重される京都の筍は孟宗竹であり、光秀の時代にはない。戦国末期に大陸から鹿児島に入り東漸し、京に入ったのは江戸中期と思われる。映画やドラマでは孟宗竹の竹林が舞台になるが間違い。句は敗者を詠んでみたかったこともある。同じような発想の句では以前〈鎌倉の公暁の忌なり悴めり〉がある。実朝を討った同日が忌日である。

山頂に一歩銀漢にも一歩


 四十代の初めに職場の仲間に誘われて登山を始め、約十年で一七〇数回登った。東京近郊は電車を使った日帰りが基本。少し遠方の場合は金曜日の夜十二時とかに新宿辺りに集合して車で山麓まで行って仮眠し、暁闇から登ってその日の内に東京に戻って、日曜日は普通に暮らす。夏季に泊り掛けの計画を組んで東北や信州の山を目指した。深田久弥の『日本百名山』は意識しなかったが、あとから数えてみると七十山位に登ったことになる。さてこの句は新穂高温泉側から槍ヶ岳を目指したときの回想句である。肩の小屋に泊って、早朝といっても真暗な中を山頂に向う。幸いにして満天の星空が拡がっていた。山頂への一歩を登るということは、すなわち銀漢へも一歩近づくことだという大袈裟な句である。だがあれだけ登山をしながら数句しか無い私の登山句として残しておきたいのである。「一歩」のリフレインも必然性があるし、「にも」が機能している愛着の深い句である。










     


 



俳人協会四賞・受賞式





更新で5秒後、再度スライドします。全14枚。







リンクします。



haishi etc
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銀漢の絵はがき


挿絵が絵葉書になりました。
Aシリーズ 8枚組・Bシリーズ8枚組
8枚一組 1,000円

ごあいさつにご利用下さい。






 
        







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「銀漢」季語別俳句集


26

拡大します。
銀漢季語別俳句集
待望の『季語別俳句集』が3月に刊行されました。



2021/3/25   更新













主宰日録  

  
5月

5月11日(火)
 ワクチン接種の予約すぐ取れる。夜、発行所にて「火の会」8人。「北軽井沢句会」記念号へエッセイ。

5月13日(木)
 毎日新聞の俳句SNSアプリ「俳句てふてふ」の「俳句万華鏡」へエッセイ。第二芸術論について。雨。角川合評鼎談(6月号用)の校正。幾つかの句会の選句。

5月14日(金)
 都心に所用あり、あと久々、神楽坂を歩いてみる。懐かしい店多し。山菜を売る店あり、行者にんにく、蕨、エシャレット、アスパラガス、たくわんなど買い込む。何10年ぶりか「手打そば志な乃」に入る。満足。靖国神社に足を伸ばして帰る。

5月17日(月
 思いついて砂町銀座に行ってみる。波郷の町。商店街は約700米。コロナ禍と月曜日で休みも目立つが、実にいい商店街。往復して途中で見付けた「銀座ホール」というレトロな店。和洋中華何でもあり。ハンバーグごはん注文。また来たい店。惣菜屋のトンカツ、メンチカツ、煮卵。魚屋で鮑、鰤切り身、鱈子。八百屋で蕨を買う。安い!帰宅して蕨の灰汁抜き、鮑の酒蒸しなど。

5月21日(金)
 10時半、横浜市営地下鉄センター南駅集合、伊那北会。茅ヶ崎城へ。駅であっ、と気がついたのは、5、6年前であったか、「早蕨句会」(久重凛子さん)の案内で吟行に来た城跡であった。小雨の中を巡り、北駅近くの横浜市歴史博物館へ。2時間ほど横浜市の歴史を見たあと、続きの大塚・歳勝土遺跡公園へ。山法師の花が満開。ここもその折に訪ねている。15時頃か、北駅のサンマルクで昼食。緊急事態宣言中で酒は出ない。駅前で真竹の筍を2本買って帰る。

5月22日(土)
 14時、飯田橋の角川書店にて「俳句」6月号についての合評鼎談。丁度2時間ほどで仕上がる。帰宅して筍の豆豉炒め、いなだの酢〆、焼そばなど。

5月23日(日)
 数句会の選句。「俳句てふてふ」歳時記夏の部の校正など。店の来客だった某氏より句集出すので見てほしいとの依頼あり。選句と意見を伝える。夜、近所のT家で食事会に招かれる。料理二品ほど持参。私は早めに退出。

5月24日(月)
 農家の野菜買いに。「あ・ん・ど・うクリニック」。前回から降圧剤の量を減らしたが大丈夫のようだ。

 5月26日(水)
 「銀漢」7月号の選句稿。各々、担当者に宛て投函。劇団四季「ライオンキング」夜の部を見に大井町。4回目。これで大井町公演終わり、秋には有明へ移転。今日は大学1年の孫、莉子の初運転で。

5月30日(日)
 長者丸(品川区上大崎)の宮澤事務所を成城学園前のビルに移すことになり、今日が引っ越し最終日。家族で記念写真を撮りに行く。20年前、私が世話をした物件。庭の梅の実を収穫してくる。

6月

6月1日(火)
 調布市の文芸講演会の講師。1時間40分ほど。久々、人前で話す。あと「炎環」編集部、かつ同郷の縁から、銀漢同人になって下さっている竹内洋平氏のご自宅を訪問。奥様も同郷。今回私を講師に呼んでくださった宝田氏も一緒。17時くらいから5時間近く置酒歓語。講演の続きで口が滑らかになり喋りすぎて失礼ではなかったかと……。すっかりご馳走になる。

 6月2日(水)
 1日空いたので、久々、立石の商店街へ行ってみる。緊急事態宣言を忠実に守っており、ほとんどが休業中。駅前開発も続いている。急遽、成田へ行くことにする。新勝寺を何10年ぶりかで参拝。15時の大護摩。参道の「川豊」で鰻重と鯉こく。ビール一本。

6月4日(金)
 「雲の峰」の渡辺政子様逝去と。純真で周囲を明るくする方であった。享年79歳と。合掌。

6月5日(土)
 朝の新幹線で気仙沼へ向かう。土産を忘れる。小田急で千代田線に入ってしまう。パスモと切符がうまく入らない……と、失敗ばかり。太田うさぎ、近恵さんと。気仙沼駅に小野寺清人、一砂兄弟の迎えを受け、二つの橋を渡って気仙沼大島へ(NHK連続テレビ小説の亀島)へ。一砂家の庭にてバーベキューパーティー。地元の方々数名も加って下さる。畠山重篤氏も挨拶に寄って下さる。清水旭峰医師、光明寺住職。伊藤政三、こしだまほさんなども。蒸し牡蠣、つぶ貝、帆立貝焼、ソーセージ、気仙沼ホルモン、くさや。一砂さん秘蔵の銘酒が次々に空く。あと家の中に移り、鮑、インド鮪他、ふんだんな刺身。蛤……。17時頃お開きとし、本日泊りの大鍋屋へ(小野寺元防衛大臣の生家)。21時、清水先生の顔で、「あさひ鮨」を開けて貰い二次会。志村昌さん到着。斎藤克之氏が酒を届けて下さる。22時半、就寝。

6月6日(日)
 5時起床。風呂。快晴。6時半、朝食。7時半、出発。室根山へ向かう。ごくごく内輪で、第33回「森は海の恋人植樹祭」。昨年に続き、一般への告知はなく少人数。場所は昨年と同じ矢越山。室根山が美しく見え、時鳥がしきりに鳴く。昨年植樹した苗が育っている。標に〈海に礼山に礼して苗木植う〉。今回は、〈海守る為のひともと苗木植う〉。気仙沼へ戻り、舞根の畠山重篤氏の仕事場を訪問。汽水湖に潮が出入りするのを見る。居合わせた東京都立大学の横山先生から解説を聞く。今日は宿にスマホを忘れる失態あり。清人さんに一ノ関まで車で送ってもらい解散。東北本線に乗車。何と2両編成のワンマンカー。小牛田で四両編成に乗り継ぎ。塩釜に下車し、タクシーで塩竈神社へ。200数10段の石段を登る。壮麗な社殿は圧巻。海側へ降りると廃仏毀釈で壊滅した寺跡あり。この参道に芭蕉は宿泊した筈。すぐ近くに御釜神社、「浦霞醸造元佐浦」あり。入り口がその廃寺の建物の一部。行き当たりばったりで「ひなた」という店に入る。突き出しに山かけ、もずくなど5品が出る。ほや、蛸刺、北寄貝焼、茶碗蒸。浦霞、日高見と地元の酒を楽しむ。「ダイワロイネットホテル仙台」に投宿。近所の焼鳥屋で少々。

6月7日(月)
 6時起、風呂、日記。9時過の東北本線で国府多賀城。浮島神社、多賀城碑(壺碑)、国府跡など、3時間近く散策す。奈良から平安にかけての対北方最前線の守りの国衙。仙台駅に戻り、歩いて瑞鳳殿。仙台市営バス「るーぷる仙台」「にて仙台城跡。大崎八幡宮を巡る。駅ビルの飲食店街で1時間ばかり飲む。今日は2万歩ほど歩いている。蒸ほや、長茄子漬。

6月8日(火)
 山田真砂年氏より旅の最中に、「こもろ・日盛俳句祭」の出句がまだ届いていない! と。兼題併せて15句。昨日、今朝と慌てて作り投函。髙坂小太郎さん展覧会の記念冊子届く。夜、発行所「火の会」8人。
















         
    






今月の季節の写真/花の歳時記



2021/8/23撮影 パンパスグラス    HACHIOJI 



花言葉  「光輝」「強気な心」「風格」「人気」


△パンパスグラス
パンパスグラスとは草原地帯(pampas)に生える草(grass)という意味であり、英名で「pampas grass」と呼ばれています。和名では「白銀葭(しろがねよし)」と呼ばれ、花穂がピンクや白銀色であることが由来とされています。


百日紅 モミジアオイ ハイビスカス 檜扇 南天
ヤナギハナガサ 葛の花 ハマゴウ スイートピー パンパスグラス
千日紅
シマトネリコの実
  •   牡丹臭木
夏水仙 ブッドレア
     
烏瓜の花  吾亦紅 ハゼラン  玉簾 






写真は4~5日間隔で掲載しています。 
2021/8/23








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