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5月号 2021年
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伊藤伊那男作品主宰の8句 今月の目次銀漢俳句会/2021/5月号 銀漢の俳句伊藤伊那男
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◎高野ムツオ氏の季語 次に掲げる句は「俳句」令和三年三月号に発表された、小熊座主宰 高野ムツオ氏の特別作品「垂り雪」五十句から抜粋したものである。 ⑴原発にコンビニありて水を売る ⑵陰毛も炉火も手をもて覆うべし ⑶水洟を垂らした神でなくデブリ ⑷汚染水タンク千体屠蘇こぼす 高野氏は佐藤鬼房の弟子で仙台在住。東日本大震災を体験し、その後も一貫して震災の惨状を詠み続けている。震災直後に詠んだ句に 車にも仰臥という死春の月 がある。津波にひっくり返った車を死者に譬えた凄絶な作品で今も私の胸に刻印されている。今回は震災後ほぼ十年を前に、福島第一原子力発電所構内に入った句群である。氏は現代仮名遣いであり、所謂伝統俳句からの脱却を求めている人でもある。私は氏とは違う作句方法であるが、氏の震災俳句については特別のものとして一目置いている。偽りの無い真実の声があるからである。 そのことを認めた上で冒頭句について考えてみる。 ⑴の季語は「水売」である。水売は江戸時代、夏に砂糖水に白玉を入れたりして「ひゃっこい、ひゃっこい」と売り歩いた。一茶に〈月かげや夜も水売る日本橋〉がある。季語の歴史を振り返ったとき、コンビニで売るペットボトルの飲料水を「水売」の季語にしていいのかどうか? ⑵の季語は「炉火」である。本来の炉火は日本家屋の囲炉裏の火を指す。ところが句の炉火は何と破壊された原子炉の火なのである。これを「炉火」の季語にしていいのか? ⑶のデブリは「燃料デブリ」のことで、原子炉の事故で溶融した核燃料や構造物が流失し固まったものである。句はこのデブリを「水洟」に見立てたのだが、これを季語としていいのかどうか? ⑷の「屠蘇」は言わずと知れた正月に飲む薬酒。ところが原発の汚染水のタンクの水漏れを「屠蘇こぼす」と形容しているのだ。これを季語と認めていいのかどうか? 以上のような根源的な問題を含む句群なのである。だがこのような句を作る俳人がいることを知っておいてもよいと思って紹介したものである。高野氏は季語についての伝統的共通認識を根底から覆させる挑戦者である。だが私は真似をしないし、むしろ伝統的な季語の本意を追求していくつもりである。銀漢の皆さんも真似をしない方がよいと思う。高野氏のような一貫した信念を持った作家でないと大火傷をすることになるはずであるから。 |
出羽三山には私も五、六回は先生のお供をしている。宿は決まって手向集落の三光院である。大きな天狗の面を掲げてある大広間で宴会をしたものだ。その頃の兄弟子達には酒飲みが多かったように思う。句会があれば酒、打ち合わせがあれば酒、旅ともなれば尚更で、春耕はそれだけ楽しい集まりであったのだ。まさに「講衆酒に寝落ちたり」の様相であった。「夜鷹啼き」に羽黒の闇の深さが甦える。(昭和五十九年作『寒靄』所収) |
彗星集 選評 伊藤伊那男伊藤伊那男・選雨垂れや涅槃図の歔欷隠すかに 武井まゆみ
踏絵より今も漂ふ重き黙 末永理恵子
叩き出す昨夜の悪夢や干蒲団 池田 桐人
永き日の忘れものめく我が身かな 深津 博
ふくら雀おのれの色の地に遊ぶ 渡辺 花穂
手を出さず待つも介護や春隣 福原 紅
初午や幟つらねて田んぼまで 中村 湖童
谷戸ごとにたがふ風道春浅し 中野 堯司
寒鰤の口に差し込む値札かな 保谷 政孝
この枝や寒禽代はる代はる来て 中村 湖童
二上山をつつみ込むやに朧月 武田 禪次
一羽づつ少し離れて春の鴨 曽谷 晴子
大利根の日輪隠す野焼かな 萩原 陽里
物干竿ひと日休めて女正月 堀内 清瀬
遠火事や振袖舞ひし江戸の空 橋野 幸彦
敗れ荷風の名残のあばら骨 市川 蘆舟
寒林の骨格標本さまざまに 中村 孝哲
佐保姫の出囃子未だ調はず 坂下 昭
補陀落の手前で目覚む春の夢 川島 紬
銀河集作品抄伊藤伊那男・選 紅梅や采女の古歌をたどる道 東京 飯田眞理子
頂上が落合ひの場所探梅行 静岡 唐沢 静男 山焼の中止の札が駅頭に 群馬 柴山つぐ子 松過ぎてまたふるさとを遠くする 東京 杉阪 大和 下萌や跳ね脚強き羊の子 東京 武田 花果 日蓮上人生誕八百年二句 本門寺界隈どこも梅日和 東京 武田 禪次 観音の胎の窓より初景色 埼玉 多田 美記 定位置に湯呑を置いて事務始 東京 谷岡 健彦 あられ酒南都の夜の深むまま 神奈川 谷口いづみ 達磨の目入れて四温の面差しに 長野 萩原 空木 花種を蒔きて話の種とせり パリ 堀切 克洋 寒餅搗く道場けふは稽古なく 東京 松川 洋酔 存外に根の張りてゐる若菜かな 東京 三代川次郎 綺羅星集作品抄伊藤伊那男・選
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いずれも豆餅を詠んだ句。私の田舎では青海苔も搗き込んで黒豆の入った海鼠餅であった。子供の頃は白い餅の方が好きであったが、今になると郷里の親戚から到来する豆餅の方に郷愁を感じている。多田句は断面から零れ落ちた豆が缶の底に溜まっている様子。山下句は豆の一つが抜け落ちた餅の断面、。何ひとつ主観を入れないで対象物を詠むという写生の基本を守った秀句である。食べ終わったあとに知る缶底の豆の数、断面の穴に抜けた豆の行方を思う心、そこからほのかに発する抒情、そこが決め手である。 |
春一番に「まず咲く」ことから「まんさく」になったという説がある。そのまんさくの活力を「燐寸程度の火力」と見た。少し乱暴な作り方だが妙に実感が籠るのは、感性の良さがあるからであろう。〈金縷梅に触れて感電しさうなり〉も同様。また〈鶯を何と聞きしか日蓮は〉は日蓮宗の声明と鶯の鳴き声を対比したものだが、日蓮が何と聞いたか、というのは今まで詠まれていなかった面白さである。 |
大阪は橋が多かったことで知られている。実際は二百ほどであったらしいが「八百八橋」と呼ばれた。町の発展と共に流れを変えたり、埋め立てたり、暗渠となって変貌した。そんな往時の町を近松忌に触発されて回顧するのである。ちなみに大阪の路線図を見ると、淀屋橋、天満橋、日本橋、肥後橋、心斎橋、阿部野橋……何と沢山あることか. |
「空すこしづつ落ちてきて」――には空がだんだん曇ってくる様子、雲がだんだん低くなってくる様子、湿気が感じられてくる様子、などの変化が籠められているのであろう。「雪もよひ」に集約させる段取りがいい。 |
一読破顔の句である。確かにこのようなお年寄りはいるもので、年寄りのままほとんど変わらずに、十年後に会ってもそのままの年寄りであったりする。子供の目で見たら尚更である。一句に「とし(歳・年)」を三つ入れた面白さもあるが、新年の挨拶でしげしげと見て、やはり変わらないことを確認したおかしさである。 |
一昔前、五年日記を買ったことがある。そのあと三年日記も買った。七十歳も過ぎた今は先の長い日記を買うことは無いであろう。この句の作者はなかなかしぶとい人のようだ。混迷の続く世にあえて十年日記を買うという。この精神が大切で、きっと長生きをされることであろう。 |
大阪市の羽曳野は往古奈良への幹線道路である竹内街道が通り、応神天皇陵を始めとする古市古墳群がある。まさに「墓どころ」。この句は「鳥雲に」の季語の斡旋がいい。日本武尊が死後白鳥になって翔けていったように、鳥に魂を託する思念がある。おびただしい霊魂が雲間に消えてゆく。羽曳野の地名の「羽曳」が効果を高めている。 |
春は旅心が高まる。桜の季節、芽吹きの季節など、ふと目的のないまま電車に乗ってしまったりするものだ。春も間近、作者は気もそぞろなのであろう。 |
最近の年賀状は家族写真が載っているものが多い。あれ、この前結婚した通知を受けたと思ったのにもう子供がこんなに大きくなったのか……などなど、人の子の育つのは早いのである。手の掛かる、掛からないの違いからであろうが、そんな錯覚をよく捉えている句である。 |
恐らく尊は日本武尊で、記紀の山は伊吹山であろう。千三百m台の山ながら日本海からの風をまともに受けて大雪をもたらす山である。日本武尊もこの山の白猪と戦って命を落とすことになる。山麓の吹雪からの歴史への追想句。 |
皆川盤水先生はこけしの愛好家で、書斎には沢山のこけしが並んでいた。詳しいことは忘れたが、岩手、山形、秋田と各地に様々な流派があって、愛好家が見ると、産地や作者まで解るのだという。「故郷それぞれ」がうまい表現である。春雪の向こうにそれぞれの産地があるのだ。 |
その他印象深かった句を次に
「 |
私にも経験があるが、ある高さまで揚がった凧は、もはや引手の意志を離れて大空を泳ぐ。今度は自らが意志を持っているように自由に泳ぐのである。 「応へぬ高さ」が実に簡潔で的確な表現である。同時出句の〈おほらかな神々の恋建国祭〉も醜聞などものともせず、という神々の恋を建国日に合わせたところがいい。〈思ひきり叩きし夫の干蒲団〉もさらりと詠んだ夫婦の機微に味わいがある。 |
運動神経の鈍かった私は大縄跳びに入れたことは無い。息を詰めたまま終ってしまったことが多かった。そうした心理状態がよく解る句だ。同時出句の〈白鳥の翼大きく羽繕ひ〉も白鳥の仕種を無理なく描いている |
寒中は水が細る時期である。「紙縒めきたる」はそんな水の状況を清烈に捉えた比喩である。同時出句の〈波の音させて湯たんぽ蹴り出さる〉の比喩もいい。 |
句の眼目は「弓手(ゆんで)」。弓手とは弓を持つ方の手で、すなわち左手。作者は弓の替りに絵地図を持って鎌倉を巡るのである。この措辞によって鎌倉という往古の武人の町が生きてくる仕掛けである。 |
谷戸(谷・谷地)は関東独特の地形で「やと・やち・やつ」と読む。扇状の低湿地で鎌倉が有名だが、あちこちにある。そうした一種の棚田に張った薄氷が藁を嚙んでいたという。事実だけを詠んでいるが、静かに風景を切り取った優秀な写生句である。「藁を嚙む」の把握が見事。、 |
菅原道真が大宰府で失意の内に死んだのは西暦九〇三年なので、かれこれ千百年ほど前のこと。飛梅とは〈東風吹かば匂ひおこせよ梅の花あるじなしとて春な忘れそ〉と詠んだ梅の木が京都から配所まで飛来したという故事がある。句は時空を超え、距離を越え、今現在も咲き継いでいるという。「ひとつ飛び」の飛躍した表現が面白い。 |
寒中九日目の水を寒九の水といい、寒の水の中でも特に服薬に特効があるとされる。その水を冷たいままではなく白湯にして母上に飲ませたという。肌理細かな情。 |
かまくらは秋田県横手地方の旧正月の行事。夕闇に火の点ったかまくらはまるで合掌をしたような形に見えたという。一面の雪の中の合掌の形。神々しく清浄な景。 |
戦争の傷痕は大きい。私も父から戦争の話を聞いたことは無かった。思い出したくないことが一杯あった時代だったのであろう。この句と同じように今頃になって姉や親戚筋から聞いて、そうだったのか‥‥と思うこともある。戦争は七十五年を経た今も尾を引いているのである。 |
「出番随所に」が面白い。池底の様子なども熟知している長老の出番である。今日ばかりは尊敬される存在。 |
私は伊豆大室山の山焼しか知らないが阿蘇ともなれば、あちこちで日を違えて行われるのであろう。古代からの放牧地であるから重要な作業。阿蘇の広大さを知る句である。 |
伊那男俳句 自句自解(64) 捕物めく自然薯掘りの道具立て
唐沢静男君が、知人に自然薯掘りの名人がいるが一緒に行ってみるか、と誘ってくれた。早朝出立の車の中でうとうとしていたので場所が不確かだが、着いたのは埼玉県の雑木林の中であった。地面を観察すると枯れ切った蔓があり、手繰った下にあるという。掘る道具は自然薯の丈に合わせたものか、いづれも見たことのない細長い形状であった。名人の話では全部鉄工所に特別注文で誂えたのだという。いざ掘ってみると、只事でない重労働である。林の中であるから土は固く地中には木の根が縦横無尽に走っていて、それを断ち切って掘り進まなくてはならない。また薯を傷つけないよう細心の注意を要する。身体の鈍っている私はすぐに音をあげて早々に見物に廻った。苦労して掘っても市販の長芋と違って太い牛蒡のようなものである。結局何もしなかった私だが、収穫物の分配に与った。極めて粘りが強く、また味も香りも濃い逸品であった。以来薯掘りはしていない。 火事見舞とて藁苞の生卵
信州での子供時代、何度も火事を見ている。小さな町なのに五、六回は目撃しているのではなかろうか。思えば飯を炊くのも、風呂を焚くのも薪、ストーブは薪か石炭、炬燵は炭であったから、火種は山ほどあり、いつ火事が起こっても不思議ではなかったのだ。野原で遊んでいて火の手が上るのを見て、仲間と駆け付けたら、仲間の内の一人の家であったこともある。そのことを思うと、江戸の町で頻繁に火事が発生していたこともよく解る。さて当時のお見舞といえば生卵であった。卵は籾殻の上に並べて売られていた。昭和三十年代初めの記憶では、卵は大中小に分けられて、十一円、十二円、十三円というような値付けであった。当時の支那そば(ラーメン)が一杯三十五円位であったから、当時の卵は高価であった。編んだ藁苞に一つずつ卵を入れて括り、手土産にしたのである。その後急速に養鶏場が発達して大量生産され、卵は現在、物価の最優等生になったのである。 |
△忍冬 スイカズラの名は、子供が花の甘い蜜を吸う「スイ」、ツル性の植物「かずら(葛)」であることが由来になっています。別名で「忍冬(ニンドウ)」とも呼ばれますが、それは冬の寒い中も耐え忍ぶように葉を残すことから付けられたそうです。 スイカズラ(ハニーサックル)は日本からヨーロッパに渡って品種改良されていった植物です。 |