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1月号 2021年
伊藤伊那男作品 令和元年優秀作品集 第9回「銀漢賞」作品 銀漢今月の目次 銀漢の俳句 盤水俳句・今月の一句 彗星集作品抄 彗星集選評 銀漢賞銀河集・作品抄 綺羅星集・作品抄 銀河集・綺羅星今月の秀句 星雲集・作品抄 星雲集・今月の秀句 伊那男俳句 銀漢の絵はがき 掲示板 主宰日録 今月の写真 俳人協会四賞受賞式 |
伊藤伊那男作品主宰の8句 今月の目次銀漢俳句会/2021/1月号 銀漢の俳句伊藤伊那男
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◎ 明治以降の登山はスポーツの一種に分類されることになるが、それ以前の登山は 右に挙げた山々もそうであるが、明治初期の神道国教化政策により、神仏習合の山岳信仰はほぼ根絶やしにされた。密教色の強かったこれらの山は全て神道に統一され、山内の寺院や仏像のほとんどが破壊、棄却されて、僧侶は神官に衣替えをしたのである。中国で毛沢東の文化大革命があったが、我々は隣国の無知と笑うことはできない。同じようなことを明治初期の日本も国を挙げてやってしまったのであるから。 今年は九州の英彦山を登拝することになった。禪次さんの提案で英彦山の前に、手前の 出羽三山や熊野には山岳修行の名残りが僅かに残っており、今も峰入りの行事が行われているが、英彦山は早い時期から廃れてしまったようだ。その為なのか三千坊もあったというこの山の麓はもはや見る影も無く、表参道入口の土産物店や茶店はことごとく廃業している様子で、英彦山がらがらの土産も手に入れることができなかった。 さて七十五歳の禪次さんは来年は四国の石鎚山を目指して足を鍛えるという。石鎚山も山岳修行の山で岩場の連続する厳しい山だと聞いている。私はどうしたらいいものか……まだ返事はしていない。 |
彗星集 選評 伊藤伊那男伊藤伊那男・選瞑目は眠りにあらず秋のこゑ 萩原 陽里
小指もて秋思のかたち弥勒仏 中村 孝哲
虫時雨時にひとつを聞き分くる 山下 美佐
北斎の晩年に艶栗を剝く 武井まゆみ
菊膾互ひの命頼りとす 福原 紅
幻覚も幻聴も常みみず鳴く 市川 蘆舟
小鳥来る杜に学童疎開の碑 瀬戸 紀恵
密やかに続く信仰椿の実 末永理恵子
新聞に頷く父や落花生 小山 蓮子
菩提子を女人高野に拾ひつつ 夲庄 康代
考へる葦にもなれぬ夜長かな 伊東 岬
去ぬ燕納屋に錆び付く千歯扱き 住山 春人
地の底の色はなにいろ曼珠沙華 大野 里詩
秋の雲こころにしまふ懺悔録 中村 孝哲
風立つを待つて芒野描き出す 伊藤 庄平
今は無き国の国旗や運動会 内藤 明
うつし世の日を分けあふや返り花 谷口いづみ
クレヨンの足らぬ一色秋の虹 山口 輝久
薬籠に薄荷の匂ひそぞろ寒 長井 哲
それぞれがあかるいはうへ小鳥来る 片山 一行
銀河集作品抄伊藤伊那男・選 墨染を黄に弁慶の菊人形 東京 飯田眞理子
秋鯖の金のあぶらを焦げこぼす 静岡 唐沢 静男 冬仕度やくよけ神社詣づるも 群馬 柴山つぐ子 木屑飛び徐々にこけしに鵙日和 東京 杉阪 大和 黒きまでオリーブ熟るる瀬戸の島 東京 武田 花果 寺町に馴染みの顔の飾売 東京 武田 禪次 割り算の余りのやうな残る虫 埼玉 多田 美記 地芝居の義経主従みな老骨 東京 谷岡 健彦 水分の神の放心秋出水 神奈川 谷口いづみ 鳥渡る我に果なき医者通ひ 長野 萩原 空木 満月を掬ひこぼして露天の湯 東京 久重 凜子 呆気なく釣られし鯊のこんな顔 パリ 堀切 克洋 命日の母に欠かせぬ衣被 東京 松川 洋酔 ひとつづつ千枚の水落しけり 東京 三代川次郎 綺羅星集作品抄伊藤伊那男・選
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弁慶の衣も菊人形であれば「黄菊」で飾ることになるという。数多の菊人形の句を見てきたが、この発想は初見である。人が見逃した「物」を発見した眼力を称えたい。 |
意表を突かれた発想である。割り算で割り切れずにどうしても余ってしまう数字。その僅かな端数位が、残る虫の数だという。「残る虫」の本意をこのように詠めたか! |
各地に残る村歌舞伎、地芝居も過疎化が進む中、その運営はどうなっていくことであろうか。地芝居の役者は老人ばかり。ちなみに義経の享年は三十歳であった。 |
「水分神」は水を配分する神様。多くは分水嶺に祀られている。治水に力を注いだ現代でも「秋出水」は頻発するばかり。これは神の怠慢ではないのかと。機知の効いた句。 |
不治の病を抱えている作者の境涯句である。「果なき医者通ひ」には解説などの仕様は無い。「鳥渡る」には病を得てからの歳月と、自由な行動の効かぬ心境が籠められている。 |
鯊釣りの様子を面白く捉えている。釣り上げられた鯊が、何が起こったのか解らず、目をみはっている。「こんな顔」というだけで鯊の生態が全部解るのである。 |
棚田から水を落とすのに、全部の田を通過していくという。確かにそのような事があるのだろうが、「千枚」と大きく持ってきたのが面白い。多分に想像力を駆使して真実であるかのように思わせるところが技倆の高さである。 |
皇居の江戸城本丸跡の一角に松の廊下跡の表示がある。忠臣蔵の最初の場面である。今御苑となっている芝の上に鶺鴒が来て、ここだここだと尾を叩く。歴史の地と現在を鶺鴒の尾で繫げた楽しい句となった。 |
こう言われてみて、なるほど、と思う。蓑を着てからの蓑虫は見たことがあるが、その前がどんな状態であるのか知らない。蓑に隠れたからこそ目立つ、といい所を詠んだ。 |
「滅びたる国の切手」とは、口惜しい位わくわくするフレーズである。確かに東欧諸国などでは地図から消えてしまった国もある。鳥はそのようなことは関係なく渡る。人間世界の興亡と自然界の対比。 |
一番標高のある畝傍山を男と見立て、耳成山と天香具山が恋争いをした、という説話があり、万葉集にも詠まれている。掲句は、秋の好日、鞘当てもなく、三山は実に穏やかに並んでいる、と言う。古歌を下敷にして雅な句に仕立てた。 |
吾亦紅とは、あのくすんだ焦茶色になって初めて吾亦紅なのだ、というのは納得である。ドライフラワーのような不思議な花の様子をうまく捉えている。 |
鶏頭という獣のような植物の様子がよく伝わってくる。遣水が獣類の毛皮を伝わる雨のように見えたというのである。対象物をよく観察して本意に迫った句である。 |
燕は人家に巣を作る。人に近い所が一番安全だというDNAである。人が住まなくなると燕も寄り付かなくなる。今年引越した家なのであろう。秋、燕も去って「真の空家」となる――ここがうまいところだ。 |
その他印象深かった句を次に。
鶏頭という花のどぎついまでの色と形を鮮明に捉えた句である。駅の名前は忘れてしまったけれど、その駅の鶏頭だけは明確に憶えているという。鶏頭でなかったら上五、中七は生きてこなかったであろう。つまり季語の本意を摑んでいる、ということである。同時出句の〈肘折の湯守千年芒かな〉は月山の麓の古い温泉。調べもよく、地名が効いている。〈雁渡し田の一枚は墓なりし〉も農村地帯の有様がよく出ており「雁渡し」の季語の斡旋がいい。 |
少年時代の回想の句であろうか。鉄棒で回転しながら逆さの姿勢で帰燕を見たのであろう。降りると掌に鉄錆の匂いがする。その嗅覚に頼ったことで景が具体的で鮮明になり、臨場感も出たようだ。 |
畦の水口を切って水を落す最後の鍬の一撃の場面である。稲は熟しており、収穫も間近である。「解き放たるる」にそうした喜びが混じっており、切れ味がいい。 |
言われてみればそのように思えてくる。集めてきた木の葉は綻びた衣のようでもある。山頭火の〈うしろすがたのしぐれてゆくか〉から「後ろ姿」を借用したのもうまいところである |
日本人の色の感覚は実に微妙で、たとえば赤という括りの中にも多岐にわたる色彩がある。この句はそうしたことを踏まえた上で「色葉散る」と抑えたところが手柄である。「色葉」は「紅葉」の副季語だが、例句を見ても使われることが少ない。上五の「色(●)の名」に合わせて「色(●)葉」と揃えたところが技倆である。同時出句の〈和の色をいくつ重ねて秋袷〉も佳句。 |
雁渡しとは陰暦八月頃に吹く北風。句からは近江辺りの小さな港などが想像される。釣舟か漁船か、小舟は北風の波の中に消えたり現れたりする。雁渡しの季語の斡旋で句に格調の良さと抒情が備わったようである。 |
原石鼎に〈秋風や模様のちがふ皿二つ〉の名吟がある。似た情感があるが、決して類句ではなく、微妙な季感を繊細に捉えた秀句である。「洗ひざらしの」に日常生活の中から発見した美がある。秋風に浄化された割烹着である。 |
私の子供の頃は一家総出で障子張りをしたものだ。掲句の「桟のささくれ」は臨場感があって出色である。家族の歳月といったものが浮かび上がるようである。思い出の句もこのように具体的な「物」を配することによって生きる。 |
「滝」といえば夏だが、他の季節の滝をどう詠むのか、この句は確かに秋の滝である。「風音も葉音も」の葉音で秋以外のものではないことを実感するのである。夏の滝は激しい雰囲気があり、秋はやや水量が衰えるので、風音や葉音が目立つのである。同時出句の〈すべて山水澄む木曾の山をいく〉も木曾谷の地形をよく詠み取っている。 |
「老いてこそ」がいい。仕事も離れて社会から遠のくことによって、幼少期の訛が復活する。牛膝など忘れていたものにも目が行くようになる。老には老の楽しみがある。 |
「おばけ煙突」は千住にあった火力発電所の四本の煙突。見る角度で本数が違って見えたのでその名がある。工場地帯だっただけに「夜業の灯」が合う。『三丁目の夕日』の一場面を見るようだ。昭和三十八年に廃されたという。 |
高村光太郎の『智恵子抄』の本歌取りの句だが、うまい!「威銃」は意表を突く取合せ。同時出句の〈猿田彦降りて来さうな柿日和〉も猿田彦の斡旋が鮮やか。 |
伊那男俳句 自句自解(60) 泡ひとつ吐くは田螺の鳴くならむ
信州伊那谷は昆虫食文化のある処で、蜂の子や蝗、ざざ虫などはよく食べた。一方田んぼの水口に沢山いた田螺は食べたことがなかった。大学時代の先輩と瑞牆山に登山をすることになり、前日に夫人の実家である山梨県の古い農家に泊った。朝食の味噌汁に田螺がごろごろ入っていて、田螺汁というものを初めて食べたのであった。田螺はどこで手に入れるのかと聞くと、裏の水路にいくらでもいる、と言う。昔から動物性蛋白質をこのように取っていたのであろう。「田螺鳴く」という季語がある。「亀鳴く」「蚯蚓鳴く」と同じように実際には鳴かないが、詩歌の世界では鳴くのである。実際の田螺の泡は見たことが無いが、きっと吐く筈だ。水の中を上るとき、漫画の台詞を入れる吹き出しのようになっているのではないか。その泡の中に田螺の鳴き声が入っているのではないか……という空想の句である。一物仕立の句をずっと作ってきて、少しずつ主観を投入するようになった。 蝌蚪の群あたため合うてゐるらしき
ひきがへる跳びて揃はぬ後ろ足 先述の解説に続くが、早い時期から一物仕立の句を作るようになった。特に「写生」を標榜する結社にいて、「物」だけを詠めと言われていたので、対象物の特徴を探すことに夢中になった。一物仕立の初期の句としては〈秋の蝶息するたびに翅ひらく〉〈天牛の髭の先まで斑を持てり〉〈兜虫ひと足づつを剝し捕る〉〈量らるるとき寒鯉のしづかなり〉〈裏白の飾ればすぐに乾びけり〉などがあり、私の句の特徴の一つとなっている。右の句もそのような一物仕立で、主観も交えている。一物仕立の句は一気に下五まで詠み切るので、上五の季語のあとを「や」で切ることが少ない。「裏白の(・)」というように中七に繋げるのである。そのせいか私の場合、取合せの句の場合でもついつい「の」を使ってしまうことが多い。句会で「ここは〝や〟で切るところでしょう」と言われることが時々あるが、私は軽い切れとしての「の」であると思っている。 |
10月 10月13日(火) 昨夜の酒残る。農家の野菜買いに散歩。15時、神保町郵便局に麦さんと落合い、振り込み用紙の印字依頼。振込明細の電子化手続きなど。19時、発行所にて「火の会」10人。あと「魚勝」で小酌。北浦正弘氏の『季語を観る』拝受。写真をふんだんに使った労作! 10月14日(水) 遠出の散歩。狛江方面、一万歩超。農家にも寄る。白菜のつまみ菜をベーコンと煮る。ピーマン炒め。焼き茄子10本ほど仕込み。 10月17日(土) 新潟、若井さんから自家製の新米到来。皆川文弘さんから今年も富山のチューリップの球根到来。15時、発行所。「纏句会」7人。欠席投句7人の計14人。 10月20日(火) 同人集選句選評。会員集選句選評終了。月末、旅の予定あり、かなり頑張る。角川「俳句」新年号の原稿、手違いあり、半分書き換え。やれやれ……。農家の野菜買いに。あと、祖師ケ谷大蔵のオオゼキに買い物。 10月22日(木) 10時半、京成佐倉駅。伊那北会。千葉在住の同期、北原泰明君が、車で来てくれたので、千葉氏終焉の地、本佐倉城跡へ乗せてもらう。跡佐倉城址へ。私は先月に続いて2回目。11万石の大城。城下の武家屋敷三軒、旧城主堀田邸などを巡る。船橋に出て酒蔵「きらく」。牡蠣、白子、鮟肝、秋刀魚、鯵。鯵フライ、煮込み……と魚がうまい。店の方から、「よくお飲みになる方々ですね! 」と。で、そのあともう一軒。ホッピー。 10月23日(金) 昨日、気仙沼の和人さんから秋刀魚到来。そのうまさに家族が感激したと。私は昼に秋刀魚2本。頭も尻尾も食べる。彗星集の選句選評し、12月号の原稿終了。夜、華子16歳の誕生日祝い。京都から来た松茸あり、スキヤキで祝う。 10日24日(土) 春耕賞応募38編あり、選考し、投函。夜、杏一家、鮎ちゃん来て、宮澤の還暦を祝う会。 10月25日(日) 年会費振り込み用紙(印字済)を発行所に届け、17時、飯田橋の角川書店会議室にて「俳句」誌の合評鼎談。高柳克弘、堀田季何さん。2人共私の娘くらいの年代。終わって帰宅すると、宮澤の還暦誕生日の前夜祭とて近所の仲間3家族ほどが祝いに駆けつけており、20人位の宴会に。ドンペリも到来しており、久々にいただく。 10月26日(月) 5時前起床。朝焼けが見事。7時過ぎの新幹線にて九州に向かう。井蛙さんと同行。小倉駅で前泊の柊原、四国からの武田氏と合流。日田彦山線で香春駅下車。香春神社参拝。銅山の神。奈良の大仏の銅を出したと。添田駅で「ひこさんホテル和」の車の迎え。造り酒屋に寄ってもらい、酒買う。ホテルは標高680米の山中。景色佳し。夕食佳し。温泉佳し。 10月27日(火) 8時出発。英彦山俸幣殿から登拝。下宮、中宮を経て上宮。この高さになると紅葉が鮮やか。南岳は1199メートル。ここからの眺望絶景。日向の山脈も一望。下りは恐ろしい程の急降下でヘトヘト。14時下山。6時間の登山。バスにて添田駅。日田彦山線は災害でここまで廃線。小倉経由で宇佐駅。レンタカーを借りて国東半島。「ホテルベイグランド国東」着、19時。フロントで食事処を聞き、タクシーで「海六呼(うろこ)」。刺身類佳し。太刀魚の塩焼き絶品。その他飽食。亭主が宿まで車で送って下さる。 10月28日(水) 6時温泉、7時出発。富貴寺。建物が国宝。弥陀三尊も美しく、中尊寺の光堂を思わせる。熊野摩崖仏は長い石段。昨日の登山の疲れあり、太腿が痛い。不動尊は温顔。大日如来と二像。杵築城に寄り、宇佐神宮へ。広大な神域。昼食は団子汁。レンタカーを返し、16時前、ソニック号で小倉。こだまに乗り継ぎ、新山口駅。バスにて萩へ。萩着19時半。食事処を探すが、淋しい町。「ぼてこ」という魚料理の店を見つける。「ぼてこ」と呼ぶ底魚系の活造り二種。鮑バター焼きその他で地元の酒。あらで作って貰った味噌汁がうまい! 21時過ぎまで。もう一軒と町を相当歩くが、全く無く、ひっそりと寝静まっている。どこも町にもあるラーメン屋なども皆無。ようやく東萩駅前のフランチャイズの居酒屋を見つけて小酌。 10月29日(木) 8時45分から貸切タクシー。松下村塾、松陰生家跡、毛利家菩提寺の東光寺、武家屋敷街、萩城(指月城)を巡る。昼、「がんこ蕎麦」で打ち上げ。13時すぎのバスにて新山口。新幹線。大阪で乗り換えあり、武田氏と別れ、駅構内の店で串揚げ、タコ焼きなどでビール、チューハイ。井蛙さんが、京都で降りましょう、と言う。新幹線京都で下車。駅構内の「松葉」で私はおろし蕎麦と酒。今度は名古屋で降りましょう、というので新幹線名古屋で下車。私は食べないが、井蛙さんはホームのきしめんを食べている。ともかく22時半くらいに帰宅。 10月30日(金) 「あ・ん・ど・うクリニック」。「春耕」ネット句会選句。明日の「夕焼け酒場」での「銀漢亭の日」の料理の下ごしらえ。砂肝の黒胡椒炒め、白滝と明太子、豚シャブザーサイ、笹身の辛子和え、舞茸のみぞれ和え、ピーマンとジャコ炒め……など。 10月31日(土) 14時、谷中の「夕焼け酒場」に入り、粕汁の仕込みほか。清人さんより、鮪ヅケ、生牡蠣など豪華な食材入る。16時半、開店。25名ほどに成る。数々の差し入れ。久々の顔合わせの方々も。「焼」「酒」「場」の詠み込みの句会も。22時、お開き。満月! 帰宅すると、莉子の友達4人泊まり。近所の二家族も食事会に来ている。 11月 11月1日(日) かなりの2日酔い……。ああ、久々やってしまった。銀漢賞、星雲賞の応募94編あり、終日選考。 11月2日(月) 3時起床。銀漢賞選考。10時半、幕張駅。伊那北同期で千葉在住の北原泰明車で迎えてくれて、笹森観音、久留里城を巡る。泰明家に寄り、ワインなどご馳走になる。17時過ぎ、船橋の酒蔵「きらく」。牡蠣酢、鮟肝、秋刀魚刺身その他で酒盛り。 11月3日(火) 10時、発行所。銀漢二賞の第一回選考委員会。杉阪、禅次、眞理子、唐沢(欠席選考)、秋葉男さん司会。あと久々、大戸屋の牡蠣の味噌煮の昼食。牛肉が安く出ていたのでビーフシチューを沢山作る。 11月4日(水) 快晴。久々、農家の野菜。春菊がいい。カリフラワーもいい。10周年記念の例句集(歳時記)の校正。なかなかの作業。ここまで纏めた戸矢一斗さん他のご苦労は只事でなし。17時、歯科定期検査。 11月5日(木) )午前中例句集の点検。午後愛宕下の藤井公認会計士事務所。(有)銀漢廃業の打合せ。5時新宿西口「渡邊」。オリックス時代の高木氏と一献。 |
△高尾山・薬王院
薬王院の仕事の合間に撮影しました。標高602M 。AM7:30分。ケーブルを降りると一面の銀世界が広がっていました。2021/1/24。