HOME 句会案内 バックナンバー  

 2017年 1月号  2月号   3月号 4月号   5月号  6月号  7月号  8月号  9月号  10月号   11月号  12月号
 2018年  1月号  2月号 3月号  4 月号   5月号  6月号   7月号 8月号  9月号  10月号    11月号 12月号 
 2019年 1月号  2月号  3月号  4月号  5月号  6月号   7月号 8月号   9月号 10 月号   11月号  12月号
 2020年  1月号  2月号  3月号  4月号  5月号 6月号  7月号   8月号 9月号  10月号  11月号  12月号 
 2021年  1月号 2月号                    

 2月号  2021年


伊藤伊那男作品     銀漢今月の目次  銀漢の俳句 盤水俳句・今月の一句   
 彗星集作品抄    彗星集選評  銀漢賞銀河集・作品抄  綺羅星集・作品抄
  銀河集・綺羅星今月の秀句 星雲集・作品抄  星雲集・今月の秀句    伊那男俳句  
銀漢の絵はがき 掲示板   主宰日録  今月の写真   俳人協会四賞受賞式


伊藤伊那男作品



主宰の8句












        
             

             
             

    

今月の目次







銀漢俳句会/2021/2月号








  







   



銀漢の俳句 

伊藤伊那男 


◎ 高野山と芭蕉

 昨年末高野山を訪ねた。九度山を過ぎたあたりから雪が舞い始め、山上は白い別世界であった。今度の旅で高野山は五回目の訪問である。最初は二十代の後半で、その当時は年末年始を妻の実家の京都で過ごしており、ふと思い付いて日帰りで凍てついた山を歩いた。標高八百メートルの孤立した山上に僧侶だけでなく一般人も生活している。仏具商、胡麻豆腐その他生産者、土産物商など。パチンコ屋などもあった。同じ密教の比叡山は僧侶だけの静かな山であり、対照的である。二回目に訪ねたときは友人の高野山大学を出た若い僧侶の案内を得た。高野山大学教授の家を訪ねて真言宗の話を伺ったが、炬燵の暖かさに眠気を誘われて転た寝をしてしまい、真言宗の奥義を聞き逃してしまったのは残念であった。さて今回は宿泊の翌朝奥の院を訪ねると、丁度二十一日の空海上人の月命日、それも「終い弘法」に当たっており、祈祷のあとの供物を頂くことができた。私は林檎と饅頭と丸餅をいただいた。最初は有難かったが次第に重荷となり、あとから訪ねた大阪で行き会った凌雲君に、空海上人の貴重なお下がりだと勿体振って渡して荷を軽くした。
 さて、空海上人はどのような考えでこの隔絶した山を開
いたのであろうか。一方では平安京の入口に教王護国寺(東寺)を賜り、現世の勢力と密着した。この二面性が空海の解り難さであり、また奥深さでもある。密教の教えを乞うた最澄を最後のところで空海は拒絶したが、この山に来ると密教は頭で感得するものではなく、身体で感得するものだという考え方は理解できるように思う。私が最初に訪ねた昭和の終わりには高野町の人口は七千人ほどであったが今は半分ほどに減少しているという。少子化や社会構造の変化は山岳信仰の各地に様々な影響を与えているようだ。
 さて松尾芭蕉は伊賀上野の藤堂新七郎家の世継ぎ、蟬吟の近習であったが、蟬吟の死後藤堂家を離れたといわれている。だが致仕したという直前、蟬吟の遺品(遺骨とも位牌ともいわれる)を高野山に届ける仕事を任命されている。そのような役割を担った者がそう簡単に藩を離れる筈がない、と私は思っている。江戸の水運工事も藤堂藩が絡んでいるし、その後も藩との連絡を緊密に取っているのである。蟬吟の忘れ形見が藩主になったあとの帰郷の折には花見の宴に招待されている。その折の〈さまざまの事思ひ出す桜かな〉は若君の顔に蟬吟の面影を見ての感慨であろう。芭蕉は別の顔で藩の庇護を受け、また藩の仕事を分担していたとみるべきであろう。四十四歳の二度目の訪問の句は〈父母のしきりにこひし雉子の声〉である。 












 



  

盤水俳句・今月の一句

伊藤伊那男


立春と黒板に書く老教師          皆川 盤水

私が俳句を始める少し前から、先生は新宿にあった東京厚生年金学園俳句教室の講師を務めておられた。ここから育った俳人がその後の春耕を支える原動力となり、それまでの隔月刊から月刊誌に変わり、飛躍的に会員が増加していった。最盛期には午前、午後と教室を開いていたのではなかったか。この教室は三十年ほど続けられた。句は「立春」の席題を大きく書かれたのであろう。老教師は自画像。白墨で書いた「立春」が面白い。(平成六年作『曉紅』所収) 

    







  

彗星集作品抄
  伊藤伊那男・選


  こけしみなふるさと遠く冬に入る      小泉 良子
  淋しさの副作用有り風邪薬         白井 飛露
  船橋に拡ぐ海図や神還る          小野寺清人
  黙念と松のこゑ聴く松手入         武田 禪次
  花八手友の訃で知る妻女の名        深津  博
  神々はおほむね裸美術展          長谷川明子
  水の面の日をかきまぜて蓮根掘る      小泉 良子
  むささびや座敷わらしの夜ふける      竹花美代惠
  空也忌のかはりばえなき辻の暮れ      多田 美記
  千年の古都ひと刷けに夕時雨        山元 正規
  九品仏に見張られてゐる池普請       武井まゆみ
  瓦斯燈の滲む軍港初時雨          秋元 孝之
  麓へと裳裾をひろげ龍田姫         唐沢 静男
  冬晴の聖鐘に鳩飛びたてり         白濱 武子
  指揮棒に揺さぶられたる秋思かな      こしだまほ
  かいつぶりなきたくなれば首を出す     大溝 妙子
  冬に入るものみな己が影を連れ       長井  哲
  ねむる木を叩く啄木鳥なほ叩く       大野 里詩
  枯菊のにはかに尖る匂して         曽谷 晴子
  地獄絵に囲まれてゐし十夜かな       川島  紬

















    
     

彗星集 選評 伊藤伊那男

伊藤伊那男・選

こけしみなふるさと遠く冬に入る      小泉 良子
こけしはおおむね東北地方で作られる。ろくろ細工の木製人形で愛好家に聞くと産地による特色があり、九系統位に分かれるという。たとえば作者が東京にいて、家の棚に東北の温泉地で買った幾つかのこけしが並んでいたとする。冬に入った頃、こけしの切れ長の目を見て、ああそのまなざしは生まれ故郷の雪国を見ているのではなかろうか、と思う。「冬に入る」が動かない抒情句である。こけしは子供の死亡率の高かった時代、その面影を残すために作ったのが始まりだという説もある。

  
淋しさの副作用有り風邪薬         白井 飛露
いい発想の句である。風邪薬には副作用があるという。それは身体に及ぶものではなく、心の中に発生するもの……さびしさであるという。風邪を引いて心細くなったときの心境を「副作用」と捉えた発想が出色であった。

船橋に拡ぐ海図や神還る          小野寺清人
「船橋」とは船舶の甲板上の高い位置にあって、航海中
に操船・通信などを行う場所、ブリッジ。句は航海中に海図を開いている景。取合せた季語の「神還る」は既に出雲での談合を終えてもとの社に帰ること。その頃にも風が吹く。風向きを見ながら海図を拡げ、「ああ神が戻る風だ」と思う。現代技術と神話が渾然となった面白さだ。

  
黙念と松のこゑ聴く松手入         武田 禪次
松手入をするのに、単に形状を見るだけではなく「松のこゑを聴く」という。松がどっちの方向に延びたがっているのか、切ってほしい枝があるのか……庭師や代々庭木を育てた人には解るのかもしれない。「黙念と」がいい

  
花八手友の訃で知る妻女の名        深津  博
これは皆が目にしているけれど、詠むことが無かった発見の句だ。十一月の下旬か、十二月の初旬か、訃報の葉書が来て友の死を知る。差出人に夫人の名前がある。それで始めて夫人の名前を知るのである。会ったことがあっても名前を知らない。何気無い事だけれど、確かに……と思う発見だ。そこにあることを忘れていたような八つ手の花との取合せがよく効いている。

  
神々はおほむね裸美術展          長谷川明子
そういえばギリシャ神話に出てくる神々は裸が多い。男神も女神も。そんなことに改めて気付かされた句だ。俳句は人が気付かなかったことに目が行くかどうかで大きな違いが出てくるものだ。そうした句の一つである。

  
水の面の日をかきまぜて蓮根掘る      小泉 良子
〈蓮根掘る水面の光かきまぜて〉の方がすっきりするか。
 
  
むささびや座敷わらしの夜ふける      竹花美代惠
「座敷わらしに夜のふける」位の方がいいか。

  
空也忌のかはりばえなき辻の暮れ      多田 美記
 空也という宗教家だけに「かはりばえなき」が合う。

  
千年の古都ひと刷けに夕時雨        山元 正規
時雨には「ひと刷け」の措辞が合うようだ。

  
九品仏に見張られてゐる池普請       武井まゆみ
「見張られて」がやや強引。「の半眼の中」という手も。

  
瓦斯燈の滲む軍港初時雨          秋元 孝之
情況設定がいい。瓦斯燈で時代を遡る。

  
麓へと裳裾をひろげ龍田姫         唐沢 静男
秋をつかさどる女神だけに紅葉が拡がる仕掛け。

  
冬晴の聖鐘に鳩飛びたてり         白濱 武子
「冬晴」の季語で聖鐘の響きに澄明感が出た。
 
  
指揮棒に揺さぶられたる秋思かな      こしだまほ
 こういう秋思もあるのか、面白い発想である。
 
 
かいつぶりなきたくなれば首を出す     大溝 妙子
「鳴きたく」なら客観、「泣きたく」なら主観か。
 
  
冬に入るものみな己が影を連れ       長井  哲
冬だからこその句。陰影を深く感じる時である。

  
ねむる木を叩く啄木鳥なほ叩く       大野 里詩
「ねむる木」が眼目。冬に入る感じが出た。

  
枯菊のにはかに尖る匂して         曽谷 晴子
枯れてしまった、と思っていたのに、まだ生きる証が。

 
地獄絵に囲まれてゐし十夜かな       川島  紬
因果応報の地獄絵。誦経にも力が入りそうだ。

















銀河集作品抄


伊藤伊那男・選


紅葉鮒堅田の波の綺羅かとも      東京  飯田眞理子
裂け口へ朝日飛びつく通草かな     静岡  唐沢 静男
嬬恋ことば温かく聞く冬木立      群馬  柴山つぐ子
橡晒す桶それぞれに星宿し       東京  杉阪 大和
風と日に干され平らに尾花蛸      東京  武田 花果
語りかくやうに咲き初む冬ざくら    東京  武田 禪次
盛衰の寺の略記や冬ざるる       埼玉  多田 美記
瓜坊のときにふらつく猪突かな     東京  谷岡 健彦
望の夜の海に補陀落までの道      神奈川 谷口いづみ
美術展ひと間を山の借景に       長野  萩原 空木
東山の向かうもしぐれてゐるか     パリ  堀切 克洋
蛤となりし雀の串焼に         東京  松川 洋酔
縁側に良夜の影の並びけり       東京  三代川次郎



















         





綺羅星集作品抄


伊藤伊那男・選


降る雨も矢数なりけり西鶴忌      大阪  中島 凌雲
雀急降下どれかは蛤に         東京  福永 新祇
蛤になれぬ都会の雀たち        東京  森 羽久衣
籾殻の崩れぬままに煙立つ       東京  小山 蓮子
甲州の翁自慢の百匁柿         埼玉  志村  昌
栗の実に穴より大き虫の居て      東京  新谷 房子
妻となり母となり焼く秋刀魚かな    東京  鈴木てる緒
朝刊を鍋敷にする夜食かな       埼玉  小野寺清人
故郷に長男棲まず次郎柿        東京  長谷川千何子
行く秋の芭蕉の歩幅おもひをり     埼玉  大澤 静子
火の恋しオール電化といふ暮し     和歌山 笠原 祐子
鶴翼の割烹着軍お煤掃         東京  桂  信子
大土佐は翼のかたち鷹渡る       高知  神村むつ代
矢となりていざ凩を出勤す       千葉  白井 飛露
派遣てふ矜持勤労感謝の日       神奈川 宮本起代子
雑炊の蓋開けるのみ我が役目      京都  三井 康有

啄木鳥の音のこだまがまたこだま    東京  相田 惠子
とりあへず棕櫚縄出して冬構      埼玉  秋津  結
壁沿ひに薪積み上ぐる冬構       神奈川 秋元 孝之
入浴剤振つて白濁冬に入る       東京  飛鳥  蘭
一人居にひとりの音や石蕗咲けり    宮城  有賀 稲香
椋鳥の渦巻くやうに移動せし      東京  有澤 志峯
仄日のひかり十一月の海        神奈川 有賀  理
荒縄の鎌の切り口冬構         東京  飯田 子貢
水澄むやときに触れあふ鯉の髭     埼玉  池田 桐人
三人の吉三は親子村芝居        東京  市川 蘆舟
冬ぬくし耶蘇もとどまる弥陀の笑み   埼玉  伊藤 庄平
籠城の心も少し冬構          東京  伊藤 政三
叩くほど故山鎮もるけらつつき     神奈川 伊東  岬
田の神も酒座に連なる秋祭       東京  今井  麦
奥美濃の熊もあるてふ薬喰       埼玉  今村 昌史
天啓は得られぬままに林檎落つ     東京  上田  裕
大根を抜きつくしたる穴暮るる     東京  宇志やまと
犬ふぐり一花一花に深空あり      埼玉  梅沢 フミ
地図たどる指の先まで秋うらら     東京  大住 光汪
傾くる翅に日の透く赤とんぼ      東京  大沼まり子
隠れ里血をつなぎ合ふ烏瓜       神奈川 大野 里詩
神籬の縄緩びたる神の留守       埼玉  大野田井蛙
軒先の富士近くなり冬構        東京  大溝 妙子
悪漢の鵯平らげし実千両        東京  大山かげもと
家ごとに橋と洗ひ場草紅葉       東京  岡城ひとみ
名ばかりの本籍地なり水蜜桃      東京  小川 夏葉
天高し巨人の肩にのる心地       宮城  小田島 渚
蔓引けば竹藪ともす烏瓜        神奈川 鏡山千恵子
マネキンは細身で小柄寒灯下      東京  梶山かおり
捨案山子焼かれる顔の醒めてゐる    愛媛  片山 一行
大熊手夜風梳きつつ参道を       静岡  金井 硯児
髪置の子に弟がもぢもぢと       東京  我部 敬子
炉開の灰の砂丘を均しけり       東京  川島秋葉男
くりかへし夕日を見たり冬田打     長野  北澤 一伯
夜食とる芯に温みの握り飯       東京  絹田  綾
夭折の維新の志士や石蕗の花      東京  柊原 洋征
雪吊を仰ぐ庭師の小舟もて       神奈川 久坂依里子
猪垣を繕ふことも作務として      東京  朽木  直
禅林の黙の問ひかけ秋深し       東京  畔柳 海村
荷に胡桃増えて信濃の旅終る      東京  小泉 良子
息止めて名前書かるる熊手かな     神奈川 こしだまほ
胡桃味噌炉に香らせて五平餅      東京  小林 雅子
手鏡に罅の走りぬ憂国忌        東京  小林 美樹
源平の池水鳥の朝の陣         神奈川 小林 好子
地に還る人ゐて落葉降り止まず     青森  榊 せい子
熊襲の血いきいきめぐる薬喰      長崎  坂口 晴子
初霜やいよいよ訛る朝市女       長野  坂下  昭
山茶花にひと日ひと日の日和あり    千葉  佐々木節子
美容室鏡の中の柿日和         群馬  佐藤 栄子
裏庭に日の回りたる冬構        東京  島  織布
神の旅吾も拡げん旅の地図       東京  島谷 高水
御供へは柿ばかりなり子規の墓     東京  白濱 武子
秋果盛る父の遺影を隠すほど      大阪  末永理恵子
短日の日を追つてゆく身延線      静岡  杉本アツ子
指先の荒れも冬めくもののうち     東京  鈴木 淳子
三日間灰汁取り続け熊の鍋       群馬  鈴木踏青子
川に差す光の屈折憂国忌        東京  角 佐穂子
羽衣の松の影濃き神の旅        東京  瀬戸 紀恵
古傷もあたためてゐる日向ぼこ     神奈川 曽谷 晴子
木曾馬の肥ゆるも脚は伸びぬまま    長野  高橋 初風
新米のみな縦向きに炊きあがる     東京  高橋 透水
木曾馬の肥ゆるも脚は伸びぬまま    長野  高橋 初風
新米のみな縦向きに炊きあがる     東京  高橋 透水
中天を過ぎし日差しや地蜂焼      長野  宝 絵馬定
手の中に重さを包み葡萄剪る      東京  武井まゆみ
遠きひと近くに思ふ冬の星       東京  竹内 洋平
虫の鳴く幕間を野外音楽堂       東京  多田 悦子
粗筵大袈裟に巻き雪支度        東京  立崎ひかり
母恋ふる命日の朝露の玉        東京  田中 敬子
秋風や桝形残る馬籠宿         東京  田中  道
年金を待つて勤労感謝の日       東京  田家 正好
一つづつ剝がす懐郷草虱        東京  塚本 一夫
何卒と結ぶ手紙や秋深し        東京  辻  隆夫
渾沌の闇に嵌りし夜長かな       東京  辻本 芙紗
鴉鳴く十一月をゆつくりと       東京  辻本 理恵
急坂を神馬の駆くる秋祭        愛知  津田  卓
村中の犬が留守番運動会        東京  坪井 研治
みすずかる信濃は水の澄める国     埼玉  戸矢 一斗
宮崎は太陽の国蜜柑山         東京  豊田 知子
名にし負ふ色移ろはぬ式部の実     千葉  長井  哲
小春日を指に躍らせ轆轤挽く      神奈川 中野 堯司
きちかうの蕾ふくらみつつ尖る     東京  中野 智子
秋空の心柱めくスカイツリー      東京  中村 孝哲
ただならぬマタギの里の威銃      茨城  中村 湖童
国訛り出さうな面の案山子かな     埼玉  中村 宗男
日を欲りて空の高みへ秋の蝶      千葉  中山 桐里
梯子二つ日なた日かげの松手入     大阪  西田 鏡子
冬木の芽未だ生えを待つ幼の歯     東京  西原  舞
はぐれ鶴凍つるほかなく凍てにけり   東京  沼田 有希
秋耕や雲の切れ目に折り返す      埼玉  萩原 陽里
飛火野の火の色のごと柿吊す      東京  橋野 幸彦
途轍も無く大きな一葉落ちにけり    広島  長谷川明子
伊勢物語男よく泣く萩に風       神奈川 原田さがみ
秋の灯に秘すれば花の伝書読む     兵庫  播广 義春
聖鐘や一転二転秋つばめ        東京  半田けい子
絡まりていづれの蔓か烏瓜       東京  福原  紅
冬に入る大陸図めく壁の染み      東京  星野 淑子
冬夕焼を仰げば唱歌口をつく      東京  保谷 政孝
若き日の母が杵取り寒の餅       神奈川 堀  備中
梯子する癖の直らず新走り       東京  堀内 清瀬
胸底に二心閉ぢ込め濁酒        岐阜  堀江 美州
五時に鳴る夕焼小焼け一葉忌      埼玉  夲庄 康代
出迎へは玄関先のクロッカス      東京  松浦 宗克
神の留守社務所戸口に南京錠      東京  松代 展枝
依代の槻のざわつく神無月       東京  宮内 孝子
白壁に松の影あり今朝の霜       東京  村上 文惠
洗ふ手に冷たさ走る今年米       東京  村田 郁子
白息で磨くドイツのくるみ割り     東京  村田 重子
語り継ぐアイヌ伝説菱紅葉       千葉  森崎 森平
不揃ひにひかりを返す榠樝の実     埼玉  森濱 直之
警報の出るたび熊の近くなり      長野  守屋  明
満鉄の話幾度も聞く夜なべ       東京  保田 貴子
脱藩の道末枯の国境          愛知  山口 輝久
小奇麗に掃き出す戸口神の留守     群馬  山崎ちづ子
秋興や七国山に二国見て        東京  山下 美佐
うすら日をつぶさに纏ふ返り花     東京  山田  茜
穂絮飛ぶ義民直訴の蒲の道       群馬  山田  礁
鹿島路に拾ふ木の実の二つ三つ     東京  山元 正規
祖谷なれや太く短き走り蕎麦      愛媛  脇  行雲
百畳の夜寒の一畳禅の寺        東京  渡辺 花穂
蚯蚓鳴く土偶の眠る遺跡かな      埼玉  渡辺 志水



















     







銀河集・綺羅星今月の秀句

伊藤伊那男

降る雨も矢数なりけり西鶴忌        中島 凌雲
 井原西鶴は矢数俳諧で有名。住吉大社で行った独吟興行では一昼夜に二万三千五百句を詠んだという。「矢数」とは通し矢などの時、力の続く限り射続けることを言い、これを俳諧に持ち込んだのが「矢数俳諧」である。芭蕉が生涯に二千句位までしか詠んでいないことと対象的である。さてこの句、陰暦八月十日の西鶴忌の雨を見て、この一粒一粒の雨が、あたかも矢数のようだ……と思う。この空想には拍手を送るしかない。同時出句の〈御油赤坂あはひを釣瓶落しかな〉もなかなかの力技である。東海道五十三次の御油と赤坂の間は極めて短く、その短さを芭蕉は〈夏の月御油より出て赤坂や〉と短夜に掛けて詠んだ。その本歌取りとして「釣瓶落し」で更に強調したのである。


  

雀急降下どれかは蛤に           福永 新祇
七十二候の九月第二候が「雀大水に入り蛤となる」。これを俳句では「雀蛤となる」と略して使う。この句の仕掛けは素晴らしい。それは「雀急降下」の切出しを中七への句またがりにしたことで、雀の群の動きに臨場感を出して
いることである。そのあとの何羽かは蛤になったのではないか、と、とぼけた呟きに変える。このあたりの呼吸は秀逸である。同時出句の〈冬瓜の味老いらくの恋かくも〉も面白い。全てを出汁の味に任せてしまうような淡い冬瓜の味の比喩。〈あのあたり木更津の灯か秋惜しむ〉は東京から見た遠くの火力発電所か高炉の火。都会の抒情である。 


 

 東山の向かうもしぐれてゐるか      堀切 克洋
 東山の裏側は山科、それに続く大津。京都の中にいて時雨に会い、さて東山の裏側はどんな天候になっているのだろうか、と思いを馳せる。片時雨の言葉もあるし……。そういうことに思いが到るのが独自の眼力、独創性である。


  

蛤になれぬ都会の雀たち          森 羽久衣
先述「雀蛤となる」の季語をさらに変形させた句である。都会の雀であればコンクリートジャングルの中、蛤になりようがない、という嘆き。こうした季語の時は想像力を駆使して思い切り頭の体操をする、遊び心を広げるのがいい。 


 

 籾殻の崩れぬままに煙立つ        小山 蓮子
最近のことは知らないが、私の育った頃は、刈田に煙が立っていて、脱穀した後の籾殻をやいていたものである。盛り上げた籾殻の上にブリキの煙突を立てて空気の回路を作っていたようだ。その為か、形が崩れないまま黒く焼き上がっていた。俳句の要はここ、「崩れぬままに」のところ。同じ形のままで炎を立てず、炭化していく場面をしっかりと見届けているのだ。観察力の成果。 


  

甲州の翁自慢の百匁柿           志村  昌
 甲州といえば葡萄と桃、ということになるが、実は隠れた名品に「甲州百匁柿(ひゃく め がき)」がある。秋に恵林寺周辺をなどを歩くと驚くほど大きな柿に出あうことがある。一匁は三・七五グラムなので百匁は四百グラム近く。これを甲州の翁が自慢したというのだ。句ではこの「翁」が眼目である。というのは連歌の初めは日本武尊命が「新治筑波を過ぎて幾夜か寝つる」と詠むと「かがなべて夜は九夜日には十日を」と応える。そう応えたのが甲州酒折宮の焚火の番をしていた「翁」である。このやりとりをもって連歌のことを「筑波の道」と言ったのである。そうした甲州の故事が同時に湧き上ってくるのが俳諧の妙。


栗の実に穴より大き虫の居て        新谷 房子
栗の実はつくづく虫に好まれる果実のようだ。隙を見せたらすぐに虫が巣くう。その虫が自ら掘った穴から身を乗り出すのだが、どうみても虫の方が大きい。そのことに瞠目する作者の素直さが何ともいい。穢れのない新鮮な発見である。 


妻となり母となり焼く秋刀魚かな      鈴木てる緒
「秋刀魚」をテーマにして、自分の生涯の変化を詠む、手の込んだ技法である。妻となったときの秋刀魚は二匹、子育ての時は、三匹か四匹か。では今は……ということまでを言わないのが余韻である。俳句は人生の記録である。


  

朝刊を鍋敷にする夜食かな          小野寺清人
「夜食」は秋の夜長の夜業の空腹を癒やす食事。ゆっくり食べるものではない。そんな様子がこの句にはよく出ているようである。鍋の下敷きに、その辺にあった朝刊を使う。そんなところにもざっかけない様子が解る。「朝」と「夜」の字が入っているのも技の一つである。

 その他印象深かった句を次に
  

故郷に長男棲まず次郎柿           長谷川千何子
行く秋の芭蕉の歩幅おもひをり        大澤 静子
火の恋しオール電化といふ暮し        笠原 祐子
鶴翼の割烹着軍お煤掃            桂  信子
大土佐は翼のかたち鷹渡る          神村むつ代
矢となりていざ凩を出勤す          白井 飛露
派遣てふ矜持勤労感謝の日          宮本起代子
雑炊の蓋開けるのみ我が役目         三井 康有





     










                






 

星雲集作品抄
伊藤伊那男・選

秀逸

字余りのやうな余生やりんご剝く    宮城  齊藤 克之
男手はなきものとして冬仕度      愛知  松下美代子
潮騒の激しき日なり鷹渡る       東京  中村 藍人
晩秋や野麦峠はまだ遠く        神奈川 田嶋 壺中
光秀の首はほつそり菊人形       岐阜  鈴木 春水
星雲の埋火胸に日向ぼこ        神奈川 白井八十八
片寄せて寝る宿坊の置炬燵       東京  清水 史恵
猪掘りし土に囲まれ旧兵舎       広島  塩田佐喜子
行く場所のなくてをとこの秋の浜    宮城  小野寺一砂
幾許は余す歳月木の葉髪        静岡  小野 無道
熊野はも諸仏に委ね神の留守      東京  上村健太郎
曲屋に色なき風の通り道        千葉  川島  紬
冬茜抜け道多き京の街         神奈川 大田 勝行
上げ潮の押し戻したる紅葉川      神奈川 河村  啓
野の色に溶けぬ群あり彼岸花      埼玉  小野 岩雄
夜食とる警備員等は立つたまま     千葉  深澤 淡悠
赤蕪の赤を展げて能登の市       神奈川 横地 三旦
老夫婦はや用心の炬燵出す       群馬  黒岩伊知朗
新米をいぶりがつこの音と食ふ     千葉  園部あづき










星雲集作品抄

            伊藤伊那男・選


草庵の黒楽茶碗蚯蚓鳴く        東京  秋田 正美
神無月山どつしりと暮れはじむ     京都  秋保 櫻子
身に入むや生家無くとも甲斐の山    東京  朝戸 る津
帰り花戻らぬ猫の鈴の音        東京  尼崎 沙羅
夢に見し友の訃音や冬立てり      愛媛  安藤 向山
杉匂ふ色なき風の製材所        東京  井川  敏
凩や今銭湯の開きをり         東京  生田  武
初霜や根の残りたる植木鉢       長野  池内とほる
名は色と在りかを示す野紺菊      東京  石倉 俊紀
神の留守風わたりゆく(うみ)の面      東京  伊藤 真紀
朝霧の中やかすかに村動く       愛媛  岩本 青山
生きるとは哀しくもあり星流る     愛媛  内田 釣月
天窓をいくたびも打つ時雨かな     長野  浦野 洋一
草々も長雨に慣れ冬に入る       埼玉  大木 邦絵
奈良井宿入日そびらに秋茜       東京  大島雪花菜
小六月のら猫の眼に敵意無し      東京  岡田 久男
不格好なればなるほどくわりんの実   東京  荻野ゆ佑子
早や梨の袋掛けあり府中道       神奈川 小坂 誠子
なつかしき月の比叡となりにけり    京都  小沢 銈三
折鶴に吹き込む息や冬近し       東京  桂  説子
上よりも下の速さや秋の雲       埼玉  加藤 且之
来ては啼き去りては啼きぬ寒鴉     東京  釜萢 達夫
綿虫や故郷(さと)軒端にたたずめば      長野  唐沢 冬朱
禽の爪魚の光る寒日和         愛知  北浦 正弘
薄紅葉蓬萊島の朱の社         神奈川 北爪 鳥閑
冬薔薇日ごと輪郭濃くなりぬ      東京  北原美枝子
切干や夕日まで良く当たる庭      東京  久保園和美
初霜を踏みて朝刊配りけり       東京  倉橋  茂
浅間嶺の土の匂ひの大根引く      群馬  黒岩 清子
開運の束が光に酉の市         三重  黒岩 宏行
浮雲にのせる果てなき秋思かな     東京  黒田イツ子
茶の花や栄西の夢浦々に        神奈川 小池 天牛  
脊髄のごとき坑道抜けて冬       東京  髙坂小太郎
草野球釣瓶落しもそつちのけ      東京  小寺 一凡
小春日に影のゆらぎやイヤリング    群馬  小林 尊子
集めても小さき花束蛍草        千葉  小森みゆき
冬木の芽既に大樹の兆しあり      神奈川 阪井 忠太
流れ行く落葉の時に遡る        長野  桜井美津江
自転車の一漕ぎごとに冬に入る     東京  佐々木終吉
冬耕す浅間裾野を傾がせて       群馬  佐藤かずえ
大空の大輪として冬花火        群馬  佐藤さゆり
一枚の中へ溶けこむ美術展       東京  島谷  操
敗荷や支へる茎の揺るぎ無し      東京  清水美保子
残照に揺るる風鐸花八手        東京  須﨑 武雄
青春の膝の古傷蚯蚓鳴く        愛知  住山 春人
風呂吹や湯気にゆらめく厨の灯     埼玉  園部 恵夏
あれもこれも読みさしのまま暮の秋   東京  田岡美也子
山茶花や薄日射し込む躙り口      東京  髙城 愉楽
咲き初めの山茶花一枝供花として    福島  髙橋 双葉
戸じまりは早目と決めて神の留守    埼玉  武井 康弘
沢音や落葉の厚み足裏に        東京  竹花美代惠
受話器から色なき風の通る音      東京  田中 真美
落葉掃く風の力に助けられ       神奈川 多丸 朝子
我が里は田の広びろと後の月      愛知  塚田 寛子
一人居の小鍋を出すも冬仕度      東京  手嶋 惠子
いと大き影に驚く朴落葉        埼玉  内藤  明
遮断機に捨てたる思ひ寒茜       岩手  永井 むつ
信濃路や新酒の香のせ風が吹く     神奈川 長濱 泰子
吐く息に寄りて離れて雪蛍       長野  中山  中
水ふくみ青竹きしみ鉾回る       京都  仁井田麻利子
敗荷の水と暮れゆく谷戸の杜      東京  西  照雄
難しき言葉の中の憂国忌        宮城  西岡 博子
老境の目に輝けり石蕗の花       静岡  橋本 光子
七輪の尺に収まる秋刀魚かな      東京  橋本  泰
生醬油を掛けて蕎麦搔父の味      神奈川 花上 佐都
初冠雪伊那谷ぐつと拡ごりぬ      長野  馬場みち子
大方はしろがねの裏朴落葉       千葉  針田 達行
豆腐屋の笛追ひかけし秋夕焼      長野  樋本 霧帆
琥珀めく十一月の甲斐路かな      神奈川 日山 典子
佐保川や跨いで渡る草紅葉       千葉  平山 凛語
結末を先に読む癖秋燈下        埼玉  深津  博
夜長かな小さくラジオ深夜便      長野  藤井 法子
仕舞屋の多き裏町三の酉        東京  牧野 睦子
帰り道首を上げれば返り花       神奈川 松尾 守人
鎌倉の小春裏道ピアノの音       神奈川 松崎 雅則
靖國の銀杏落とす大太鼓        東京  水野 正章
芝庭に犬の伸びゐる小春かな      奈良  三村  一
安房の土纏ひてゐたる落花生      東京  棟田 楽人
円月橋水に映して小望月        東京  八木 八龍
柊の花はこぼれて薄明かり       東京  家治 祥夫
硬きほど黒の潑剌黒ぶだう       東京  矢野 安美
悠久の色なき風の石舞台        東京  山口 一滴
両の手に泥大根を貰ひ受く       群馬  山﨑 伸次
まだ暗き二度寝の前に虫すだく     神奈川 山田 丹晴
呆然と遠山見上げ破れ案山子      静岡  山室 樹一
炉開きや軸を並べて迷ひたる      高知  山本 吉兆
霜晴や浅間の煙真つ直ぐに       群馬  横沢 宇内
飯桐の実の高きより鈴なりに      神奈川 横山 渓泉
神の旅願ひ届けと鈴緒振る       千葉  吉田 正克
せみ塚に岩迫りくる初時雨       山形  我妻 一男
五線譜に午後のひとひら枯葉舞ふ    神奈川 渡邊 憲二
焼く度に秋刀魚の一詩よぎりけり    東京  渡辺 誠子






















星雲集 今月の秀句

伊藤伊那男

字余りのやうな余生やりんご剝く      齊藤 克之
俳句は人生という年輪の裏打ちが大事な文芸だと思っている。右のような句は当然だが若人にはできない。幸不幸綯い交ぜの人生の中から紡ぎ出される歌だ。ここで言う「字余り」とは、幸運にも少し生き過ぎてしまったかな……という気持。先に死んだ親族や友人に対して少し済まないような気持、徳俵に踏みとどまっているような気持であろうか。季語として合わせた「りんご剝く」も、いつ途切れるかもしれないという剝いている林檎の皮の危うさを配して絶妙である。同時出句の〈すいつちよの一跳ね千里未だ濁世〉はやや乱暴な作りの句だが、一跳ねで千里を跳んだと思っている愚かなすいっちょに自分を投影して、まだ濁世の中にいるという戸惑いを詠んだ寓意の句と見た。暴れ回った孫悟空が結局はお釈迦様の掌の中にいただけ、というような。


  

男手はなきものとして冬仕度        松下美代子
年末になると、このような鬩ぎ合いが各家庭で繰り拡げられているようだ。次の遊びの免罪符を得るために、ここぞとばかり従順になる夫もいれば、煤逃げをしてしまう夫もいる。掲出句のように諦めている妻もいる。そのような年末の風景の一つが微笑ましく詠み取られている。 


  

潮騒の激しき日なり鷹渡る         中村 藍人
芭蕉に〈鷹一つ見付けてうれし伊良湖崎〉がある。名古屋の米相場で不正を働いた科で伊良湖に蟄居した弟子杜国を訪ねた時の句である。今もここは鷹渡りで知られている。雑木林のあちこちに中部地方の鷹が結集し、風向きを探りながら鷹柱を作って南へ渡っていく。緊迫した臨場感!


  

晩秋や野麦峠はまだ遠く          田嶋 壺中
美濃と信濃を繫ぐ野麦峠の固有名詞を生かした句である。越の海産物が通った道であり、『女工哀史』の道でもある。明確な意味を持たないがこのような地名の生かし方もある。ああ、野麦峠……。 


  

光秀の首はほつそり菊人形         鈴木 春水
歴史ブームで、通説が見直されているのは面白いことだ。悪の権化のように思われていた吉良上野介や明智光秀の違う側面に光が当たる。光秀とは一体どのような人物であったのか? この句などでは明らかに、貴族風・知的・華奢という雰囲気か。こんな所にも今の世相が反映する。


  

青雲の埋火胸に日向ぼこ          白井八十八
 「埋火」という季語があるが、この句では比喩として使っており、季語は日向ぼこ。青雲には「青雲の志」(立身出世して高位高官の地位に到ろうとする功名心)の「志」が省略されている。まだまだ決して消えた訳ではないが……といったところか。


  

  片寄せて寝る宿坊の置炬燵       清水 史恵
 宿坊、講宿は、古来信仰の山に登拝する講人が泊る宿。東京近辺では大山の山麓、御嶽山上、富士浅間神社門前など今も細々ながら痕跡を残している。団体で参詣し、雑魚寝となるので、このような情景となる。「明日の朝は早いぞ!」という掛声が聞こえるようだ。同時出句〈写真屋に持たされてゐる千歳飴〉も「物」をよく見ている句だ。


  

猪掘りし土に囲まれ旧兵舎         塩田佐喜子
 明治四年廃藩置県により日本の城は次々に取り壊され、跡地は軍隊の司令部、練兵場に転用された。太平洋戦争に負けてまた廃墟になった城跡も多い。夜中に餌の蚯蚓をあさった猪の掘った穴が縦横無尽に。栄華の跡である。


  

熊野はも諸仏に委ね神の留守        上村健太郎
うまいところを突いた句だ。日本の修験道場の地はもともと神の居場所、そのあと仏教が渡来し神仏習合時代に入った。明治の廃仏毀釈により仏教色をほとんど消し去ったが、神の留守の間は「諸仏に委ね」るという。熊野は最大の聖地であり、この地名の斡旋も的確。見事な構成の一句。 


  

冬茜抜け道多き京の街           大田 勝行
 京の町は平安京遷都の時と変らないか、というと実は様々の変化を遂げているのである。最大の変革は豊臣秀吉の時代、町割も細かく刻んだ。句にあるように「抜け道」が多い町となった。路地を抜けたら「冬茜」。ここがいい。


  

上げ潮の押し戻したる紅葉川        河村  啓
珍しい視点で見た紅葉川である。上げ潮に押し戻される、は意外な発想であり、また美しい光景である。 


その他印象深かった句を次に

  

夜食とる警備員等は立つたまま       深澤 淡悠
赤蕪の赤を展げて能登の市         横地 三旦
幾許は余す歳月木の葉髪          小野 無道
老夫婦はや用心の炬燵出す         黒岩伊知朗
新米をいぶりがつこの音と食ふ       園部あづき



















伊那男俳句



 伊那男俳句 自句自解(61)

東京にづかづかと夏来りけり

 平成12年作。この頃から、いやもっと前からであったか、異常気象の兆しが顕著になってきたように思う。上京以来下宿屋の四畳半の熱帯夜や粘り付く西日など東京の猛暑を体験してきた。東京は春が短くてすぐに夏になる。いきなり手荒な夕立が来て道路が冠水する。激しい雷が来る。そのような気象の変化に「づかづか」という措辞が浮かんできた。「づかづか」というような荒っぽい言葉は私は好きではなく、この句以外には使っていない。東京の夏はまるで土足で踏み込むようにやってくる。ビルの窓硝子や舗装道路が一斉に光を跳ね返す。空調機が唸り、熱い息を室外に吐き出す。しかし不思議なもので半世紀も住んでいると身体が適応してくるものだ。もう郷里に戻ることはあるまい。この東京に骨を埋めることになるのであろう。東京にずかずかと来る夏はもっともっと激しく大股になってくることであろう。さてあと何回この夏を体験することになるのであろうか。
  
はやばやと蠅捕リボン父の部屋

 私の子供の頃の田舎の生活は蠅と共生する時代であった。網戸などは発達しておらず、夏は窓を全開にしているので蠅は自由自在に出入りする。近隣には鶏舎や牛舎、肥溜めまである。今から見たら不潔極まりないが、人類は長い間そのようにして生きてきたのである。免疫力も高かったのであろう。その頃は蠅捕リボン、蠅捕紙が市販されていた。誘引剤を含む粘着物質を塗った紙を天井から吊り下げていた。蠅帳といって蠅の侵入を防ぐ戸棚や食品を覆う傘のようなものもあった。蠅叩きもあった。父は蠅捕り名人であった。止っている蠅を手で掬い取るのはもちろんだが、空中を飛ぶ蠅も間合いを計って掬い取ることができた。そういえば吉川英治の『宮本武蔵』に江戸の馬喰町の宿であったか、食膳に纏わりつく蠅を箸で次々につまみ取る場面があった。「五月蠅(う る さ い)」という言葉はその本で覚えた。武蔵とはいかないが父も凄腕であったように思う。60年前の思い出である。



















     


 



俳人協会四賞・受賞式





更新で5秒後、再度スライドします。全14枚。







リンクします。



haishi etc
↑link







銀漢の絵はがき


挿絵が絵葉書になりました。
Aシリーズ 8枚組・Bシリーズ8枚組
8枚一組 1,000円

ごあいさつにご利用下さい。
















掲示板













               
 
     

主宰日録  

  
11月

11月6日(金)
 「俳句界」1月号、渥美清の一句鑑賞。桃子誕生日。気仙沼からは牡蠣取り寄せ。生、蒸、土手鍋に。

11月7日(土)
 ヘアメイクの中川さん来て、カットして貰う。伶輔君も劇団四季「ライオンキング」の出演近づいた様子で、舞台用に短くカット。

11月8日(日)
 土曜、阿佐ヶ谷の馬橋稲荷神社。杏の3男、雅人君の七五三の祝い。5歳。これで娘2人、孫7人、計9回の七五三を祝ったことになる。婿のご両親も見えて「木曽路」にて祝宴。あと、荻窪の馴染みの店に久々に顔を出す。

11月9日(月
 「若葉」主宰の鈴木貞雄氏句集『うたの祷り』の句集評、2,500字ほど。「若葉」誌に送る。

11月10日(火)
 久々、農家の野菜買いに。「銀漢」誌の校正。19時、発行所にて「火の会」。8人。あと、「魚勝」で小酌、6人。

11月11日(水)
 「銀漢」誌校正。15時半、発行所。「梶の葉句会」選句に。8ヶ月振り位にお会いする方々も。コロナ禍また増勢と。

11月15日(日)
 10時、発行所。大和、武田、次郎、眞理子、秋葉男、龍吉。一斗さん司会で、銀漢10周年記念『季語別俳句集』の校正会議。昼食の30分程を除いて二十時まで、全ページの点検を終える。この後、編集委員が分担で何回かの校正や点検に入ることになる。

11月16日(月)
 伊那北会で三島山中城へ。10時、三島駅集合。バスで、山中城へ向かう。富士山が美しい。2時間ほど城跡を巡り、三島大社、柿田川の湧水など。17時過ぎ、うつぼ料理の店。刺身、蒲焼、西京漬など。あと、駅前で飲む。新幹線動かず。在来線で熱海。新幹線動いたというので乗り換えなどばたばた。

11月19日(木)
 昼、荻窪、杉並法務局で手続き。近くに知己の司法書士がいたことを思い出し、訪ねると、「あっ、伊藤さん、すっかり死んでいたと思いました! 」と立ち上がる。17時、発行所。皆川丈人さんが盤水先生の使っていた歳時記を沢山届けて下さる。18時、銀漢賞・星雲賞の選考委員会。久々、唐沢静男君、来てくれる。あと、「トミーグリル」でワイン少々で歓談。別れて「魚勝」で酒少々と鰤刺、海老天など。

11月20日(金)
 夜、宮澤の還暦祝に昔からの弟子達が集まるというので、私が料理を引き受ける。気仙沼の牡蠣取り寄せ。鮪刺身、味噌漬の豚トンカツ、鯵鮓〆、鶏バジル風味焼、春雨のスープなどなど。客8名。家族7人。

11月21日(土)
 13時、飯田橋の角川本社にて、「俳句」2月号の合評鼎談。2時間ほど(高柳克弘、堀田季何)。渡辺花穂さんの句集『夏衣』出版祝に「梶の葉句会」から祝句求められていたので、〈一書世に問ひたる後の更衣〉送る。

11月22日(日)
 気持ちのいい快晴にて散歩。初めて次大夫堀公園に入ってみる。古民家四棟、鍛冶場など。柊の花、茶の花など。欅の葉が降る。

11月24日(火)
 莉子18歳の誕生日。久々、外食しようということになり、GO TO EATを使って外苑前の「サバティーニ」。私は20年振りか。華子と連続テレビ小説「エール」の話をしている最中、華子の眼が丸くなる。なんとその「エール」に出演していた二階堂ふみさんが、隣の席に着く。

11月28日(土)
 大井町の四季劇場。「ライオンキング」の昼の部で、孫の伶輔10歳。ヤングシンバ役で初舞台を踏む。家族で応援に行く。落ち着いていて、声の通りも動きも良く一安心。春、オーディションに合格し、半年稽古の成果。

11月30日(月)
 眼科検診。春耕ネット句会選句。からすみ用に、先日、見事な大きさの卵巣を入手。塩漬、塩抜き、酒漬を終えて今日から干し始める。第2弾も塩漬中。全部で六腹。「銀漢」新年号の執筆全部終了。

12月

12月2日(水)
 神保町の郵便局にて俳句会の資金移動手続き。アメ横「三幸商店」から信州の従兄弟に鯣と数の子送る。「吉池」で家用の買い物。18時、発行所にて森羽久衣さんと打ち合わせ。あと、「ビストロアマノ」(銀漢亭の跡地に開店)に案内を受ける、料理のレベル高い。苦境の中のスタートだが、頑張ってほしい。麦さんが合流。あと「魚勝」で小酌。町は22時で灯が消える。

12月3日(木)
 ここ数日は信州帰省の予定であったが、コロナ拡散により中止。それならと、武田さんに誘われて20年振りくらいか、慶應「丘の会」の句会へ。田町の専売ホール。25人ほど。行方克巳、本井英、ながさく清江さん他。あと8人ほどで三田の蕎麦店で懇親会。あと武田、坪井氏と中華料理店でもう少々。伶輔「ライオンキング」2回目出演。このあと1週間に1度くらいで身長150センチになるまで2、3年出ることになるとか。「俳句てふてふ」のエッセイ2本。

12月6日(月)
 いわきより、金目鯛4本。鮟鱇一本到来。さすがに鮟鱇をさばくのは初めてのこと。解体してさっと湯通し。今夜はドブ汁に。金目鯛は牛蒡と炊き合わせ。「銀漢」新年号の校正。

12月7日(火)
 「天為」の有馬朗人先生逝去。昔、本郷の学長室に遊びに行ったことなど懐かしく思い出す。能登の蕪鮓旨い!

12月8日(水) 
快晴。2時間ほど散歩。夜、発行所にて超結社句会「火の会」9人。俳人協会賞最終選考委員の依頼あり、受諾。

12月10日(木)
 「街」誌同人評3回目。竹内編集長に投函、『季語別俳句集』2回目の校正に入る、農家の野菜買いに。祖師谷大蔵オオゼキに買い出し。

12月12日(土)
 『季語別俳句集』校正作業、14時から発行所。戸矢一斗さん司会で、大和、禅次、次郎、眞理子、秋葉男さん。全頁について点検。18時まで。

12月13日(日)
 家族の年賀状の写真を青山・梅窓院の竹の参道に撮りに行くというので、私も同行。宮澤家と妻の墓を皆でお参りする。夜、近所の中川家に3家族集まるとて、私に料理の依頼あり、気仙沼から生牡蠣3キログラム、ローストビーフ、鰺鮓〆、春雨のうま煮、鮭の酒粕漬焼、チーズ盛合わせ、ブロッコリー、カリフラワー、芽キャベツとトマトのマスタードソースサラダ、さつま芋のスイーツ他を用意。

12月14日(月)
 10時半、高崎駅。伊那北会。バスにて箕輪城跡へ。秀吉に滅ぼされた後、北条の城。その前も興亡の激しい城。空っ風、さすがに群馬県。市内の江戸時代の高崎城跡も訪ねる。高崎連隊の地でもあり、名残は僅か。焼鳥屋、魚店、駅の「キリンシティ」と行き当たりばったりに3軒。城跡を巡った時より飲んでいた時間の方が長い! 朝妻力さんより久々連絡受く。週末、高野山で。

12月15日(火)
 本部句会、支部句会など5句会ほどの選句。GOTOキャンペーン中止など大混乱の世相。角川合評鼎談の校正。高部氏より、玄界灘の一本釣りのひらまさ一尾到来。捌き、刺身の用意。アラは大根と煮る。















         
    






今月の季節の写真/花の歳時記



2021/2/22 撮影   山茱萸   hachioj





花言葉   持続耐/久強/健気丈な愛

△サンシュユ/山茱萸
江戸時代に原産地から薬用植物として渡来した「サンシュユ」。
「サンシュユ」は漢字で「山茱萸」と書いて、「茱萸」はグミのことで、秋に熟す実がグミに似ていることから、山のグミという意味で原産地で名付けられたものが、そのまま日本名に。


蠟梅 浅間山 オオイヌフグリ 紅梅 マンサク
アニソドンテア 黄梅 浅間山 山茱萸



写真は4~5日間隔で掲載しています。 
2021/2/17  更新








HOME

漢亭日録