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 2月号  2017年

伊藤伊那男作品   銀漢今月の目次 銀漢の俳句 盤水俳句・今月の一句  
  彗星集作品抄    彗星集選評  銀漢賞銀河集・作品抄
  綺羅星集・作品抄  銀河集・綺羅星今月の秀句 星雲集・作品抄  
星雲集・今月の秀句   伊那男俳句   銀漢の絵はがき 掲示板  
 銀漢日録  今月の写真

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伊藤伊那男作品


主宰の八句
はせを忌        伊藤伊那男

木枯の研ぎ出してゐる故郷の灯
八街(やちまた)の南京豆の大袋
地球儀に残るソ連や冬に入る
べか船の町新海苔の幟立つ
をちは甲斐こちは武州や柿すだれ
芭蕉忌の柿の梢を濡らす雨
はせを忌のあふみの空の降り癖に
牡蠣飯や運河二つを渡り来て







        
             


今月の目次









銀漢俳句会/2月号












   



銀漢の俳句 

伊藤伊那男 

◎本能寺のこと──『そして京都』こぼれ話
 北辰社銀漢叢書の一冊として、私のエッセー集『銀漢亭こぼれ噺──そして京都』が近々出版される予定である。盟友、朝妻力主宰の俳誌「雲の峰」に5年半連載していた「自分史」である。私の右肩下りの人生だけでは物足りないだろうと思い、京都中心の食べ物や、京都の歴史の裏話などのショートエッセイ50編ほどを加えることにした。文章で残すとなるといい加減な話はできない。特に歴史に関しては裏を取らなくてはならない。一昨年末、奈良すす逃げ吟行会のあと京都に2泊して京の町を歩き回った。
 一番調べたかったのは本能寺のことである。今の本能寺は御池通り寺町にあるが、信長が討たれた頃は蛸薬師通り小川界隈であった。その周辺を渉猟していると近くの家から70代半ばの男性が出てきて説明してくれた。村田茂雄さんという方で、先立って『──おこしやす京都──町なかを歩く』という本を出版された、ということで一冊求めて別れた。その本の中に私のかねてからの疑問に答えてくれる記述があったのは幸せであった。その疑問とは、仏教徒を敵に回して戦い続けた信長が何故わざわざ本能寺という寺に泊っていたかということである。信長の京における宿は妙覚寺か本能寺で、いずれも日蓮宗である。その本で解ったことは、信長の岳父齋藤道三が幼少時、妙覚寺で得度を受け、法連坊の名で僧侶になったことである。その縁から道三の子供の1人、つまり濃姫(帰蝶とも)の兄弟が妙覚寺の日饒上人になっている。本能寺はその兄弟寺である。その本能寺の数代前の日典上人は種子島の出身で、早くから島で日蓮宗の布教を開始していたのであり、領主種子島氏も信徒であった。つまり鉄砲伝来の情報と技術は真っ先に信長に伝わるルートが確保されていたのであった。伝来から32年後の長篠の戦いでは織田勢は三千挺の鉄砲を駆使して武田勢を壊滅させた。信長の死後になるが関ヶ原合戦では両軍合わせて五万挺の鉄砲が投入されたといわれており、全世界の50パーセントの鉄砲が日本に存在したのである。その全てのきっかけが本能寺に始まるのであって、信長の宿泊は歴史の必然だったことになる。ちなみに、それ以前のことだが京における日蓮宗は比叡山の憎悪の的となり、二十一寺院ことごとくが焼打ちに会い、本能寺も堺に逃れている。その歴史を考えると信長の比叡山焼打ちの執拗さも理解できるのである。本能寺は現在地に移るまで堺時代を含めると5度の移転の歴史がある。ほとんどが焼打ちや戦禍である。本能寺の「能」に「ヒ(火)」が二つ入っていることを嫌い、寺ではその部分を「去」の字に変えているが、現在地に移転後も2度の火災に遭っている。
 














 



  

盤水俳句・今月の一句

伊藤伊那男

えぶり衆雪の匂ひをひきずれり     皆川 盤水
 
 「えんぶり」は、青森県八戸地方で2月17日から20日にかけて行われる、豊年予祝行事である。雪中で囃子に合わせて擦り込み、草取り、大黒舞などが演じられる。同時作に〈えぶり衆来て雪の道かがやかす〉〈雪に舞ふえんぶり衣装艶めきぬ〉〈えんぶりの農夫口紅つけて来る〉がある。「雪の道かがやかす」もこの祭事を際立たせる表現だが、掲出句の「雪の匂ひをひきずれり」はその行列の行跡を詩的に捉えて見事である。
                                (平成2年作『随處』所収)
















  
彗星集作品抄
伊藤伊那男・選


子と見れば噛みぐせの出る獅子頭     桂  信子
神有月の一畑電車混み合うて       畔柳 海村
茶の花や祇園に抜ける寺の門       小野寺清人
両肩の落ちてきたるや秋簾         笠原 祐子
空瓶と牡蠣の殻積むパリの店       島谷 高水
置捨ての夢の数なる帰り花        多田 美記
冬耕に赤土の舞ふ毛野の国        飯田眞理子
黄葉降り込む朝市の皿秤         五十嵐京子
初めての台詞は「メェ」と聖夜劇     宮本起代子
切り張りの花をあちこち古障子      堀内 清瀬
三分で出来し夜食や湯気揺れて      戸矢 一斗
冬深む四隅反りたる火伏札        谷口いづみ
冬薔薇アンネの本は戻らずに       新谷 房子
一体の神となりたる案山子揚げ      松川 洋酔
母屋より納屋の明るき十三夜       小山 蓮子
大根干す竿の撓みになほ余力       伊藤 庄平
水走るお鷹の道やだいこ洗ふ       白濱 武子
大極殿ありし辺りの草紅葉        橋野 幸洋
シャンソンも人の悩みも枯葉より     阪井 忠太
鷹の目を瞑らせてをり暖鳥        小野寺清人













       








彗星集 選評 伊藤伊那男

 

子と見れば噛みぐせの出る獅子頭     桂  信子
 一踊りしたあとの門付けの獅子に子供を抱いた母親が近づいて子の頭を噛んでもらう。獅子の方もサービスで子供を追いかけて頭を噛み泣かせてしまったりする。そんな正月の一風景である。「噛みぐせの出る」と俳諧味のある仕立てにしたところが技である。昭和の終り頃であったか、毎年一月三日に盤水先生を囲んで秩父の獅子舞を見たことを思い出す。

  
神有月の一畑電車混み合うて       畔柳 海村
全国の神々が出雲国に集合するので、この地方では「神無月」ではなく「神有月」となる。一畑電車は松江から宍道湖の縁を回って出雲大社に向う単線電車、固有名詞である。それほど混む電車ではないけれど、神有月には混み合うという。それは神々が乗り込んでいるせいかもしれない。そのような想像力の働きのある楽しい句である。 

  
茶の花や祇園に抜ける寺の門       小野寺清人
京都が好きで度々行くが、思えば祇園などというのは面白い名称である。インドの仏教にまつわる地名がそのまま付いて皆が認知しているのである。小さな寺がいくつかあるし、建長寺などでも町の人は勝手に通り抜けている。そんな庶民の暮しと密着した寺の様子が出ている句である。茶垣を配したのもいい。歩いてみたくなる。

  
両肩の落ちてきたるや秋簾         笠原 祐子
やや疲れの出てきた簾である。一夏の酷烈な日差しを遮ってきた簾なので無理もないことだ。解れの出た秋簾を詠んだ句は多いが、この句の「両肩の落ちてきたるや」は今迄見たことのない克明さがあるように思う。擬人化が効いて夏の疲れが出た人間にも通じるものを感じるのである。 

  
空瓶と牡蠣の殻積むパリの店       島谷 高水
私は行ったことが無いけれど季節になるとパリの露店に生牡蠣が並ぶという。レモン汁をかけただけで啜り込む。何かで読んだ記憶だが、作家のバルザックは前菜(アプレチーフ)だけで生牡蠣を十二ダース食べたという。その宴のあとの露店の隅に山積みにされたワインの空瓶と牡蠣の殻……いいな! 
 
置捨ての夢の数なる帰り花        多田 美記
人はいろいろな夢を持って生きている。しかし果される夢は少なく、消えてゆく夢の方が多い。ふと帰り花を見て、果されなかった夢の数々を思い出したのであろう。あの夢もこの夢も消えて……しかしそれもまたよし、夢を見ただけでも幸せだったのではないか。この頃私もそんな風に思う。 

  
冬耕に赤土の舞ふ毛野の国        飯田眞理子
今の群馬県。耕せば空っ風に赤土が舞い上がるのである。 

  
黄葉降り込む朝市の皿秤         五十嵐京子
 いかにも朝市である。皿秤の黄葉は発見である。

  
初めての台詞は「メェ」と聖夜劇     宮本起代子
 初めて貰った台詞が羊の役。その一声が可愛い。

  
切り張りの花をあちこち古障子      堀内 清瀬
 花模様の切り張り障子。「花をあちこち」が上手い表現。

  
三分で出来し夜食や湯気揺れて      戸矢 一斗
 要は即席ラーメンに湯を注いだだけのおかしさ。

  
冬深む四隅反りたる火伏札        谷口いづみ
正月に貼った札も四隅から綻び始めたようだ。

  
冬薔薇アンネの本は戻らずに       新谷 房子
 戻らない『アンネの日記』。冬薔薇に少しの痛みが……。

 
一体の神となりたる案山子揚げ      松川 洋酔
 田から引き上げた案山子が田の神に昇格する。

  
母屋より納屋の明るき十三夜       小山 蓮子
灯火の無い納屋の方が明るく見える十三夜。実感である。

  
大根干す竿の撓みになほ余力       伊藤 庄平
相当撓んだがまだまだ。いい所に目が行った! 

  
水走るお鷹の道やだいこ洗ふ       白濱 武子
東京国分寺に残るお鷹道。はけの水をふんだんに。

  
大極殿ありし辺りの草紅葉        橋野 幸洋
宮居跡はどこも淋しいものだ。一面の草紅葉が悲しい。 

  
シャンソンも人の悩みも枯葉より     阪井 忠太
あの名曲がテーマか。人の悩みとの取合せに味わい。 

鷹の目を瞑らせてをり暖鳥        小野寺清人
暖鳥の季語でよく作った!その温かさに目を閉じる鷹。 
  
        







  


銀河集作品抄

伊藤伊那男・選

山犬を留守居とせむや神の旅     東京   飯田眞理子
鵙騒ぐ境界の杭打ちをれば      静岡   唐沢 静男
神のみぞ知るてふ命日記買ふ     群馬   柴山つぐ子
竹林へ篠笛吹きに木枯来       東京   杉阪 大和
かりがねの影縫ふ漢の陵墓群     東京   武田 花果
色変へぬ松は山廬の主とも      東京   武田 禪次
顏のなき甲冑透けて秋の声      愛知   萩原 空木
初時雨立て句の如く翁像       東京   久重 凜子
黄昏に灯しを試す秋刀魚船      東京   松川 洋酔
鰯雲おばけ煙突てふ空に       東京   三代川次郎
木枯の吹きつさらしや鬼城の地    埼玉   屋内 松山












   
   










綺羅星集作品抄

伊藤伊那男・選 

冬蜂の貌なでまはし歩まざる      長野  北澤 一伯
注連縄の重さは五屯豊の秋       東京  山元 正規
忘れ音か腹の虫かや一茶の忌      群馬  山田  礁
色鳥といふにはかなり地味ななり    東京  大溝 妙子
水分の神へふもとの今年米       和歌山 笠原 祐子
珈琲に西日かき混ぜ明日は明日     東京  影山 風子
冬将軍川中島を越えて来る       東京  堀内 清瀬
  九度山
赤備へせしか野山の錦まで       大阪  中島 凌雲
チベットの外套吊す青空市       東京  我部 敬子
切株となりぬ茸に苛まれ        東京  梶山かおり
冬あたたか飛びこみさうな石蛙     東京  中村 孝哲
お百度の石の日溜り色鳥来       神奈川 吉田千絵子
神の旅かとも客なきケーブルカー    東京  山下 美佐
童話聴く子に凩の恐ろしく       東京  島  織布
天辺まで同じ太さの木賊刈る      東京  鈴木てる緒
講額に馴染の町名小鳥来る       東京  武井まゆみ

湯豆腐のぐらり秘密を漏らしさう    東京  相田 惠子
菊膾みちのく暮し愛しめり       宮城  有賀 稲香
塗皿の曇るや柿のつめたさに      東京  有澤 志峯
霜除の藁千束の百花園         東京  飯田 子貢
もの音の天に吸はるる良夜かな     静岡  五十嵐京子
追分の標に木枯わかれけり       埼玉  池田 桐人
瞑る目に帰燕の胸の白さなほ      埼玉  伊藤 庄平
初雪や斑に積もり疾く消ゆる      東京  伊藤 政三
凩のどぶ板通り遠汽笛         神奈川 伊東  岬
小鳥来る廉太郎像奏楽堂        東京  上田  裕
銀盃は母に上げやう百寿の子      埼玉  梅沢 フミ
叡電で紅葉回廊遡る          東京  大西 酔馬
日を拾ふ谷戸の暮らしや柿簾      神奈川 大野 里詩
すつぽりと湖国の空へ大根ぬく     埼玉  大野田井蛙
焙じ茶の仄かに香る町小春       東京  大山かげもと
足跡に夜来の雨や刈田中        東京  小川 夏葉
鳥飛べり寒オリオンの籠の中      宮城  小田島 渚
大根の面取りつづく集会所       埼玉  小野寺清人
船頭の唄にはなやぐ紅葉狩       神奈川 鏡山千恵子
道走るとき尾の尖る石叩        愛媛  片山 一行
八甲田山遭難の日の雪しまく      東京  桂  信子
緋から黄へやがて肥となる枯葉かな   長野  加藤 恵介
土佐湾に跳ね跳ね跳ねておぼこかな   高知  神村むつ代 
放り込む音の楽しき柚子湯かな     東京  川島秋葉男
庭先に武甲山(ぶこう)と木守柚子を据う東京  柊原 洋征
日向より霜除の藁抱へ来る       神奈川 久坂衣里子
猪除けのトタンを四囲に御師の墓    東京  朽木  直
その枝の撓みきつたる信濃柿      東京  畔柳 海村
秋蝶のすみずみまでを子規の庭     神奈川 こしだまほ
ガス工事つるべ落しを叩きをり     東京  小林 雅子
古書店の変はらぬ匂ひ文化の日     東京  小山 蓮子
講宿の紙垂の煤けし神の留守      長崎  坂口 晴子
灯を消せば柱のきしむ霜夜かな     千葉  佐々木節子
大き穴残し里芋掘られけり       長野  三溝 恵子
職退きて干支ひとめぐり返り花     東京  島谷 高水
鷹匠の眼力に鷹応へたり        兵庫  清水佳壽美
鷹渡る重機高鳴る荷揚げ港       東京  白濱 武子
隣家とは遥か向かうや柿実る      東京  新谷 房子
秋の蚊の痒みも旅の思ひ出に      大阪  末永理恵子
炉開の灰に少しの湿りかな       東京  鈴木 淳子
白芙蓉優しき一言今もまだ       東京  角 佐穂子
漫ろ神招く大川翁の忌         東京  瀬戸 紀恵
抗へどほころび広げ破芭蕉       神奈川 曽谷 晴子
身に余る叙勲の栄誉豊の秋       愛媛  高橋アケミ
枯葉のみ訪ねて来る採荼庵       東京  高橋 透水
七谷に八蔵ありて今年酒        長野  髙橋 初風
流鏑馬に貫かれたる秋思かな      東京  多田 悦子
鳥海山の裾の暮れ時菊膾        埼玉  多田 美記
葉の落ちてなほ重さうにななかまど   東京  田中 敬子
隣駅までお会式の太鼓の音       東京  谷岡 健彦
友の訃にやや翳りけり菊日和      東京  谷川佐和子
後の月百夜通ひの道の辺を       神奈川 谷口いづみ
ブックオフよりの入金木の葉髪     東京  塚本 一夫
天帝に捧げんばかり鵙の贄       愛知  津田  卓
気動車の釦扉や朝寒し         東京  坪井 研治
終点の前が後ろに秋うらら       埼玉  戸矢 一斗
着水の鴨の飛沫や浮御堂        神奈川 中川冬紫子
木枯や珈琲の香と詩の本と       東京  中西 恒雄
一歩づつ軋む廊下や冬に入る      東京  中野 智子
駆足の息が揃ひて冬に入る       茨城  中村 湖童
送電線帰燕の空をつなぎをり      埼玉  中村 宗男
空也忌や金瓢箪の音せはし       東京  西原  舞
万蕾の犇めく気配雨水かな       東京  沼田 有希
桐の実の弾け花街の名残かな      東京  橋野 幸洋
竹林の竹の乱れもそぞろ寒       神奈川 原田さがみ
翠微まで上れる蜜柑畑かな       兵庫  播广 義春    
二礼二拍手一礼露のあしたかな     東京  半田けい子
相思ふごとくに二つ帰り花       東京  保谷 政孝
  小牧山二句
見はるかす美濃の山城鳥渡る      岐阜  堀江 美州
線香の灰を狭庭へ十三夜        東京  堀切 克洋
店番はかつての小町軒小春       埼玉  夲庄 康代
漆継ぎの大井戸茶盌春障子       東京  松浦 宗克
後の月団子の形まちまちに       東京  松代 展枝
埋火に闘志の火種探りけり       東京  宮内 孝子
勲章は家族の笑顔文化の日       神奈川 宮本起代子
雄渾の日の出那須野は冬はじめ     千葉  無聞  齋
咲くよりも散るお茶の花黄にまみれ   東京  村上 文惠
しばらくは障子にとどむ月あかり    東京  村田 郁子
  筱田文さん逝く
秋深し目裏のまだあたたかし      東京  村田 重子
深く刺す霜除けさの遠筑波       千葉  森崎 森平
緩びなく絞るふきんや今朝の冬     東京  森 羽久衣
代々の墓を真中に稲を刈る       埼玉  森濱 直之
御嶽の嶺へ二串鵙の贄         愛知  山口 輝久
秋しぐれ暫し軒借る二月堂       愛媛  脇  行雲
凩に研ぎ出されたる生家の灯      東京  渡辺 花穂











       













     







銀河集・綺羅星今月の秀句

伊藤伊那男

鰯雲おばけ煙突てふ空に         三代川次郎
私が東京に出てきた昭和四十三年頃はきっと「おばけ煙突」はあったのだと思う。だが残念ながら見てはいない。『三丁目の夕日』などの漫画で知ったのだと思う。三本の煙突が見る方角により二本に見えたり、一本に見えたりするのである。「鰯雲」の取り合わせがいい。高度成長期の東京の空は汚れていたけれど、秋には少しくらい澄んだのかもしれない。 


冬蜂の貌なでまはし歩まざる       北澤 一伯   
動きの鈍くなった冬の蜂が日溜りの中、歩むこともなく前脚で顔を撫でるばかりであるという。対象物だけを詠み切る一物仕立ての句でその生態を摑んでいる。このような句を見ると、冬蜂を詠んでいながら、人間を始めとする万物に共有する寓意も感じさせるのである。 


  

注連縄の重さは五屯豊の秋        山元 正規
この句の切れ味がいいのは、動詞を一つも使わず、「物」だけを提示しているからだろう。読者はおのずから諏訪大社や出雲大社などのあの分厚い注連縄に連想が及ぶのである。「重さは五屯」の言い切りがよいのだ。具体的にどのような量なのか解らないが、ともかく圧倒的な重量なのだと思うだけでいいのだ。説得力のある句なのである。 


忘れ音か腹の虫かや一茶の忌       山田  礁
「忘れ音」──日頃目にしない言葉である。よくぞ句に取り込んだなと思う。芭蕉に〈きりぎりす忘れ音に啼く火燵かな〉があり、季節を過ぎた虫の鳴き声である。その残る虫の音に「腹の虫」をぶつけたのは技倆である。そして「一茶忌」で決定的な効果である。蕪村でも芭蕉でも駄目、全てが一茶の生涯を象徴しているようである。 


  

色鳥といふにはかなり地味ななり     大溝 妙子
一読楽しい句である。「色鳥」とは秋の小鳥の美称。総じて色彩の美しい鳥が多いことからこの名があるのだが、中には首を傾げるような小鳥もいるというのである。果してこれを色鳥の範疇と呼んでもいいのか、と呟く作者。


水分の神へふもとの今年米        笠原 祐子
               
 奈良の地図などを見ると各地に水分(みくまり)を確認できる。稲作に必要な水を分けて下さる神様である。切実な祈りから崇拝されたのであろう。その恩恵に感謝して今年米を先ず捧げたというのである。今も続く自然への畏敬がいい。同時出句の〈拝領の代より色を変へぬ松〉もうまい句だ。何百年か前に拝領した松が、何百年もの間「色変へぬ松」として慈しまれているのである。その何百年間を十七音に納めたのであるから、見事!というしかない。 


珈琲に西日かき混ぜ明日は明日      影山 風子 
良い年の重ね方をしてきた方の句である。ここで言う「西日」とは一日の後半ということと、人生の後半ということを織り混ぜているのであろう。そして「明日は明日」と声に出したのであろう。私もいい年になってきたので、このような句が心に染みるようになってきた。こんな風に言い切れるのは凄いと思う。「ケ・セラ・セラ」(なるようになる)である。


冬将軍川中島を越えて来る        堀内 清瀬  
川中島を持ち込んできたところなど、縦横無尽な発想に舌を巻くしかない。信玄と謙信の攻めぎ合いと「冬将軍」を合わせて臨場感を強めたのである。作者は信州伊那谷の育ちなので、この句であれば北からやってきた上杉謙信が優勢ということになろうか……。 


赤備へせしか野山の錦まで        中島 凌雲
「九度山」の前書きがある。この前書きが重要である。関ヶ原の合戦のあとの真田父子が蟄居した九度山が今、その真田軍の赤備えのように満目の錦である、というのである。すんなりと歴史の中に滑り込んだ佳品である。


チベットの外套吊す青空市        我部 敬子
 外套を詠んで珍しい句である。青空市に出た外套はどうやらチベット産。ブランド物ではないが、実用性の高いものなのであろう。何だか青空市がいきなりチベットのどこかに移動したかのような錯覚を覚える句となった。

  その他印象深かった句を次に

切り株となりぬ茸に苛まれ        梶山かおり
冬あたたか飛びこみさうな石蛙      中村 孝哲
お百度の石の日溜り色鳥来        吉田千絵子
神の旅かとも客なきケーブルカー     山下 美佐
童話聴く子に凩の恐ろしく        島  織布
天辺まで同じ太さの木賊刈る       鈴木てる緒
講額に馴染の町名小鳥来る        武井まゆみ





      




           

 
 





 
星雲集作品抄
伊藤伊那男・選

秀逸
折れがちな蔓を自然薯までたどる    東京   今井  麦
しばらくは己が影置く冬の蝶      埼玉   萩原 陽里
黒松の幹の貫禄冬に入る        埼玉   大澤 静子
酔顔のままに萎れて酔芙蓉       東京   大沼まり子
神主の呼ばるる熊の腑分け前      神奈川  上條 雅代
切干や筵にしみる子守唄        東京   竹内 洋平
霜除けの藁に風鳴る青菜畑       神奈川  上村健太郎
鶺鴒の二拍子ときに四拍子       埼玉   志村  昌
枯葉踏む乾ききつたる音を踏む     長野   守屋  明
残る実を風に委ねてななかまど     東京   辻  隆夫
波音を遠く玫瑰実となりぬ       東京   小泉 良子
猟解禁遠山響動む銃二発        群馬   佐藤かずえ
濁音のなき古歌美しき紅燈忌      神奈川  栗林ひろゑ
山芋掘り終はらぬうちに暮れ始む    静岡   金井 硯児
御師の宿八方露の夜明けなり      埼玉   渡辺 志水

冬耕や「下ノ畑ニ居リマス」と     千葉   白井 飛露
コーヒーの湯気に輪郭冬来たる     東京   生田  武
二人して食後の薬小鳥くる       東京   渡辺 誠子
湯たんぽのブリキの波の柔らかき    東京   佐々木終吉
長き夜の謎深まりて栞おく       群馬   佐藤 栄子
四方の窓閉ぢて紅葉の朱を悟る     東京   井川 敏夫
神木の注連の弛みや神渡し       神奈川  秋元 孝之
申し合はせたかのやうに銀杏散る    東京   清水美保子
南天や暗き鬼門に紅散らす       東京   秋田 正美








     

星雲集作品抄


木枯のやみて秩父嶺近くなる      埼玉   秋津  結
母と書き消して又書く十三夜      東京   浅見 雅江
講堂に打ち合ふ竹刀冬立つ日      神奈川  有賀  理
親鸞の面授の寺や紅葉冷え       愛媛   安藤 政隆
それぞれの秋をベンチに暮れなづむ   神奈川  伊藤やすを
竹竿を空に突き上げざぼん採る     埼玉   今村 昌史
負けて知る老が身にしむ運動会     愛媛   岩本 昭三
車窓より大根干す人見え隠れ      群馬   岡村妃呂子
もてなしの恩忘るまじ湯たんぽの    東京   岡本 同世
多摩川に漣立ちて冬始         神奈川  小坂 誠子
次々に水面を摑み鴨来る        京都   小沢 銈三
野火止の寺の灯や冬ざるる       埼玉   小野 岩雄
皮をむく指の深爪早生蜜柑       静岡   小野 無道
実を一つ残し根元は柿落葉       東京   亀田 正則
立冬の鴉にあるや変声期        長野   唐沢 冬朱
覚えなき辞書に書き込み菊日和     神奈川  河村  啓
家系図のごとく咲きたる秋海棠     長野   神林三喜雄
水鳥や顔見せ合へる距離に浮き     愛知   北浦 正弘
とりあへず欠席通知そぞろ寒      神奈川  北爪 鳥閑
大根切る胸のつかへもまな板に     東京   絹田 辰雄
灯火親し川向うにも灯りをり      和歌山  熊取美智子
今日の風箪笥にしまふ更衣       愛媛   来嶋 清子
山車包む秋の祭の紙吹雪        愛知   黒岩 宏行
一人来て嬥歌の山に散る紅葉      東京   黒田イツ子
操帆を忘るるほどの小春凪       神奈川  小池 天牛  
牧閉ぢの牛積む車浅間山        群馬   小林 尊子
故郷の遠き想ひ出蝗捕り        東京   斉藤 君子
枯野行く未だ行く先の見えぬまま    神奈川  阪井 忠太
七五三仕上げに祖母が紅をさし     長野   桜井美津江
子持鮎利根のせせらぎ聴きながら    群馬   佐藤さゆり
しあはせのまあるき形福寿草      東京   島谷  操
引つ張ると行方不明の零余子たち    東京   須﨑 武雄
だしぬけの空の暗さや枯葉舞ふ     群馬   鈴木踏青子
今朝冬の自転車にさす油かな      愛知   住山 春人
冬の月荒川越ゆる終電車        埼玉   園部 恵夏
秋の田に風の痕跡刻まるる       山形   髙岡  恵
一村を広々と見せ刈田かな       福島   髙橋 双葉
煙立つ夕餉の支度冬はじめ       埼玉   武井 康弘
褞袍着て老仕度など手がつかず     広島   竹本 治美
踊る輪に見る輪重ねて秋祭       三重   竹本 吉弘
虫干の晴着に時が遡る         神奈川  田嶋 俊夫
毎朝の日課となりし落葉搔       東京   田中 寿徳
新宿や同伴前の酉の市         東京   田中  道
冬立つや主婦の仕事は限りなく     神奈川  多丸 朝子
勇ましく立つも引き摺る千歳飴     東京   辻本 芙紗
九度山に抜け穴の闇天高し       大阪   辻本 理恵
甘くとも渋さ秘めゐる富有柿      東京   手嶋 惠子
蕎麦の花見えて近づく故郷かな     東京   豊田 知子
木の実踏み石段の数あやふやに     神奈川  中野 堯司
筱田文さん追悼
慈母たりし人旅立ちぬ神無月      神奈川  長濱 泰子
チチキトク時間よ止まれ帰り花     大阪   永山 憂仔
鷹の目に生きる気迫を教へられ     神奈川  萩野 清司
栗飯や兄弟すでに一人欠け       広島   長谷川明子
地廻りの地割りもすませ一の酉     東京   長谷川千何子
初掘りの里芋強き粘りもつ       神奈川  花上 佐都
七五三前歯抜けたる笑顔かな      長野   馬場みち子
鰯雲街の端まで届きたり        神奈川  福田  泉
秋夕焼島かと見ゆる遠筑波       東京   福永 新祇
病院の検査のはしご初時雨       東京   福原 紀子
濃淡に重なり合うて透く紅葉      愛知   星野かづよ
都鳥水面の綺羅に影と浮く       東京   星野 淑子
静かさや榧千年の実を降らす      神奈川  堀  英一
絶筆の句碑に糸瓜の長き影       東京   牧野 睦子
山の端の影絵押し出す秋の暮      神奈川  松尾 守人
水底の鈍き反射や後の月        愛知   松下美代子
着膨れて部屋の行き来も大まかに    神奈川  松村 郁子
怒りもててふ妣のこゑ大根擂る     神奈川  水木 浩生
鳥渡る天守守りし鬼瓦         京都   三井 康有
武蔵野は隅々までも秋の暮       東京   宮﨑晋之介
神渡し里の太鼓の響きかな       東京   宮田 絹枝
母愛でし鉄瓶に湯気立ててみる     広島   村上 静子
北行きのフェリー尻目に秋つばめ    東京   八木 八龍
大滝は痩せて二月も半ばかな      東京   家治 祥夫
帰り花和讃聞こゆる村の寺       群馬   山﨑ちづ子
侘助の花びらほぐす薄日かな      東京   山田  茜
零余子生る背伸びの指のその先に    静岡   山室 樹一
盛り塩は気持ち多目に神無月      神奈川  渡邊 憲二
風花や小さき幸せもち来る       東京   渡辺 文子











星雲集 今月の秀句

伊藤伊那男

折れがちな蔓を自然薯までたどる     今井  麦
丁寧に対象物を観察した句である。自然薯のありどころは蔓を辿るしかない。その意外に細い枯蔓を目で追っていくのである。その様子が克明で、写生句の良さが出ている。主観を入れず自然が教えてくれたことを素直に言語に転換してみる――これが写生句である。この基礎を固めたら次のステップに入れるのである。さて自然薯掘りはそれからが大変。縦横に張った根を断ち切りながら、自然薯を傷つけないように掘り下げていく――ああ作句も同じなのだと思う。 


しばらくは己が影置く冬の蝶       萩原 陽里
冬の蝶己が影より抜けきれず         〃
 「冬の蝶」とその影を詠んだ二句である。二句共、冬の蝶を詠んでいるけれど、作者の心象も色濃く投影しているように思われる句である。冬の蝶だけに飛ぶ位置が低く、また止まることも多いのであろう。二句目はその自分の影に囚われているのである。写生句というよりも自己の心の投影のある句、ということになろうか。


黒松の幹の貫禄冬に入る         大澤 静子
黒松を持ってきたところがいい。桃山時代の襖絵を見るような句の仕立てである。どっしりと根を張って常に絵の中心にある黒松。「貫禄」という、普通なら俳句に使えば失敗しそうな言葉が逆に生きているようである。「冬に入る」の納め方が決め手。 


神主の呼ばるる熊の腑分け前       上條 雅代
 仕留めた熊の解体に神主が呼ばれたという。大型の動物であるし魂鎮めの祈祷を頼んだということであろうか。腑分け前などという変わった角度から詠んだ熊である。余談ながら今もあちこちに熊の出没が報道されるが、子供の頃、私の家に勤めていた看護婦さんが帰路、熊の襲撃を受けたことがあった。時々は仕留められた熊が肉屋に吊り下げられていたのを見たものだ。同時出句の〈障子貼り替へていよいよ古畳〉も面白いところを詠み止めている。

 

切干や筵にしみる子守唄         竹内 洋平
 何とも懐かしい風景である。味噌なども各家で作った時代、切干大根などは当り前のことであった。また子供の多い時代でもあった。「筵にしみる子守唄」とは何とも味わいの深い表現である。


霜除けの藁に風鳴る青菜畑        上村健太郎
青菜は少しの霜に当ったくらいのときが甘味が増してうまくなるようだ。だがあまり当っては困るので適度の藁で調整をする。その藁が風に吹かれて乾いた音を立てているのである。目立たない風景を淡々と詠み切った姿勢がいい。


猟解禁遠山響動む銃二発         佐藤かずえ
漢字が多い句だが無理はなく、歯切れがいい。何の猟かは解らぬが、猟解禁はおおむね十一月くらいから。早速銃声が返ってきたというのである。「響動(とよ)む」がいい。 


御師の宿八方露の夜明けなり       渡辺 志水
合宿をした奥多摩御嶽山の嘱目であろうか。私達が泊るのは最も古い宿。神の存在を感じるような宿である。「八方露」に実感がある。庭の木々、屋根のある門構えなど全て露の中 


冬耕や「下ノ畑ニ居リマス」と      白井 飛露
盛岡の宮澤賢治の縁の地に確かチョークで書かれたこの文字があった。訪ねて来た人に、下の畑に居るよ、と知らせているのである。何だか賢治に会えるような楽しい句の仕立てである。 


コーヒーの湯気に輪郭冬来たる      生田  武
入れたてのコーヒーから立つ湯気は見馴れたものだが、立冬の今朝のコーヒーの湯気は少し違う。いつもより湯気が強く、くっきりと輪郭を作っているように見えるという。科学的な根拠の有無ではなく、そのような季節の移ろい、冬の到来を感得した感覚がいいのだ。 
その他印象深かった句を次に。

二人して食後の薬小鳥くる        渡辺 誠子
湯たんぽのブリキの波の柔らかき     佐々木終吉
長き夜の謎深まりて栞おく        佐藤 栄子
残る実を風に委ねてななかまど      辻 隆夫
山芋掘り終はらぬうちに暮れ始む     金井 硯児
四方の窓閉ぢて紅葉の朱を悟る      井川 敏夫
神木の注連の弛みや神渡し        秋元 孝之
申し合はせたかのやうに銀杏散る     清水美保子
濁音のなき古歌美しき紅燈忌       栗林ひろゑ





















伊那男俳句  


    
伊那男俳句 自句自解(14)
          
  
天牛の髭の先まで斑を持てり


 私の学んだ「春耕」は「風」の僚誌であった。その頃の「風」は写生俳句を標榜しており、丁度日本人の生活が均一化していく中、失われていく各地の風土を詠んだ「風土性俳句」と相俟って、角川賞受賞者を何人も輩出していた。私は写生は自分の思いを伝達する手段、技術だと思っているが、写生をスローガンにすると、末端に伝わっていくに従って教条主義化していく。仕舞には「写生」が目的となり、「いい抒情句だ」などという評価は句会でも言えなくなっていく。そんな時代であった。もちろん私のような本来主観の強い者には、写生で鍛えられたことは、よい足枷となって、今から思うと有難いことであった。この句はその時代の成果の一つである。「風」連衆に混って白馬岳の登山をしたその山麓での作。一つの対象物を見詰めて、そのものを詠むと必然的に一物仕立ての句となる。胴体の延長にある髭(触角)にも先端まで、胴体と同じ縞模様が入っていたのであった。

 
 兜虫ひと足づつを剝し捕る


 子供の頃、家の近くの雑木林へ兜虫を捕りに行った時の回想句である。櫟などの木の榴に樹液が噴き出している所があり、それを舐めに集まってくるのである。兜虫は棘の沢山付いた六脚で樹皮に張り付いているので、いきなり引き剝がすには抵抗が大きいし、無理をすると脚が捥げてしまうこともある。子供ながらの知恵で身体をおさえた上で一脚ずつを強弱をつけて持ち上げていくのである。自然観照ができていて、独自の発見があるとして、このような句が当時は評価されたのである。人間の主観など大自然の摂理に較べたら矮小で、取るに足らないことなのだ。無理に浅知恵など句に入れるな、自然に教えてもらえ、というのが「風」の根本思想であった。澤木欣一に〈秋晴の空気を写生せよと言ふ〉という句がある。目に見えない空気をも写生しろ、という禅問答のような句なのだが、私はこの句が好きである。写生の訓練ができた上での主観の注入でよいのだと今も思っている
 








  
        


 



銀漢の絵はがき


挿絵が絵葉書になりました。
Aシリーズ 8枚組・Bシリーズ8枚組
8枚一組 1,000円

ごあいさつにご利用下さい。



    






        














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銀漢亭日録

伊藤伊那男

11月

 11月27日(日)
「春耕」前川みどりさん逝去の報。「銀漢亭」開業時にお世話になった方。終日家。「銀漢」1月号の選句と原稿書き。夜、家族と食事。秩父から買ってきた豚肉の味噌漬、孫たちから頼まれたガーリックライス。ジャコ天、かまぼこ……などなど。

11月28日(月)
堀切克洋君、「第三回 俳人協会新鋭評論賞・大賞」受賞。「銀漢」にとっても快挙! 故土井弘道氏の神戸大学の同期3名様来店。土井さんの遺言とて。「銀漢」に入会の話で相談あり。

 11月29日(火)
店、閑散。21時半で閉める。

11月30日(水)
1月号の彗星集、自句自解原稿を各々送付。やれやれ。広渡敬雄さん会社仲間と6人。23時、帰宅し、勉強している孫の横で少し飲む。

12月

12月1日(木)
「十六夜句会」13人。「春耕」同人、島田ヤスさん逝去と。1週間ほどの間に3名逝去とは!

12月2日(金)
名古屋句会の萩原さん、出版記念会用の短冊ほか書く。店の11月月次表作成など。伊那市東京事務所長・下平明彦さん来店。駒ヶ根に帰ると寄る「焼鳥ママ」の甥。共通の知人多く、話盛り上がる。

12月3日(土)
13時半より「Oh! つごもり句会」。超結社で28人参加。5句持ち寄り句会。あと席題で3句、2句と。19時頃、お開き。幹事の朽木直さん、名古屋から来られた山口輝久さんらと「大金星」で打ち上げ。さらに、甲士三郎さんら10人が先に行っているカラオケへ合流。23時過ぎまで大騒ぎ。

12月4日(日)
13時半、中野サンプラザ。「春耕同人句会」。棚山主宰欠席。あと忘年会。このところ、升本行洋、前川みどり、島田ヤス同人相次いで逝去にて献杯。あと十人ほどでもう一軒。

12月5日(月)
雑用あまた。昼寝。店、「かさゝぎ俳句勉強会」あとの12人。国会議員のT先生。金井さん、敦子さんと日韓古代史について盛り上がり、24時近くにお開き。

12月6日(火)
「月の匣」主宰・水内慶太さん誕生祝い。本庄康代、大西酔馬さん幹事で超結社で祝う。31人集まる。あと10数名で「ふくの鳥」。発行所では北辰社が私のエッセイ出版の最終打ち合わせ。

12月7日(水)
「きさらぎ句会」あと9人。「宙句会」あと14人。

12月8日(木)
父の命日。早めに店に入り、仕込み。「慶應俳句会 丘の会」の年次総会で30分間の講演依頼を受けており、松代展枝さんに店を頼む。三田キャンパス、ファカルティクラブOB約60人。「井上井月の生涯について」講演。パーティーのあと、21時、店に戻る。「極句会」6人。

12月9日(金)
小野寺清人さんの気仙沼高校同期会、20人。牡蠣蒸焼、牡蠣フライ。まぐろ他刺し身、馬刀貝、イカ焼、海鞘などなど。皆川文弘さん。

12月10日(土)
10時、運営委員会。午後、万世橋区民会館にて「銀漢本部句会」52人。あと「甘太郎」で忘年会。

 12月11日(日)
11時過、名古屋着。新幹線でずっと寝て。12時より、萩原空木君の『熊野古道を行く』の出版記念会。私と武田編集長がゲスト。テレビ塔横の「囲み屋」。15人。「名古屋句会」の方々の温かな会。終わった後、急に元気がなくなり、名古屋駅で一時間休み、新幹線でも寝たまま。やっとの思いで帰宅して朝までこんこんと眠る。

 12月12日(月)
どうやら風邪であったか。蓄積疲労か。昼過ぎまでぐずぐず過ごす。店、藤森さんの「閏句会」8人。池田のりをさん、三笠書房の押鐘会長。

 12月13日(火)
「火の会」6人。句会終わったあと、メンバーの佐怒賀直美、大塚凱君来る。伊那から、伊那北高校先輩の平澤さんという方が来店。井月本にサインを求められる。

12月14日(水)
発行所「梶の葉句会」、選句に。坂口晴子さん、長崎から。店、予約なし。久々、井蛙さん。水内さん一派。

12月15日(木)
「銀漢句会」あと19人。

12月16日(金)
来春出版予定の『銀漢亭こぼれ噺』につき、北辰社より帯文が欲しいとの要請あり。酒場の主の本にて、吉田類さんはどうかと思い、昨日、連絡取ると、マネージャーより「伊那男さんならと二つ返事でOKです」との返事。何とも嬉しいこと。酒場をやっていてよかった! と思う。三か月に一度の「白熱句会」。水内慶太、井上弘美、佐怒賀正美、檜山哲彦さん。「蔦句会」あと6人。「金星句会」あと6人など。

12月17日(土)
10時半、JR石川町駅集合。恒例の「横浜忘年句会」。36人集合。山手洋館巡り。快晴。長崎の坂口晴子、大阪の中島凌雲君参加。大佛次郎記念館にて4句出し。中華街にて句会と忘年会。あと10数名で馬さんの店で二次会。

 12月18日(日)
久々、整体。午後、杏さん一家来て家族と忘年会。12人。蟹鍋。自作からすみの披露。「真田丸」最終回を見る。

12月19日(月)
店、法政大学高栁先生5人。「天為」発行所編集部5人。「演劇人句会」終わって10人。伊那北同期の大住君、2年ぶり来店。心臓手術数回経て生還と! 嬉しいこと。丁度、同期の大野田君いたので3人で祝盃。

12月20日(火)
莉子、スキー合宿へ。日曜日に来ていた孫の瑛斗君インフルエンザ。こちらの孫に感染しているかどうか……。11時半、神保町のイタリアンレストランにて「萩句会」の忘年会ランチに招かれる。店、「雛句会」12人。対馬康子さんなど。

12月21日(水)
休暇まであと2日。「三水会」5人。クリスマス前夜祭とて数人。小学校から高校までの同期の宮沢常泰君の夫人グループ4人。国会議員のT先生、酔っぱライターの江口まゆみさんと。パリ在住のマニベ美佐緒さん夫君のフィリップさんと。私の金魚の句に感銘して一度訪ねてみたかったと来てくださる。堀切君と面識ありと。「天為俳句会」の方々、二次会のあと6人。















           
△『漂白の俳人・井上井月』伊藤伊那男著
          
  
    






今月の季節の写真/花の歳時記



2017年2月21日撮影  馬酔木    TOKYO/HACHIOJI



   
花言葉  「犠牲」「献身」「あなたと二人で旅をしましょう」
   
△馬酔木 Japanese andromeda
アセビは、葉や茎などに有毒成分を含んでいることから「足しびれ」が転訛したともいわれます。漢字の馬酔木は、これを食べると馬が酔ったようになってしまうことに由来します。

 
 
雪中四友 湯島天神/白梅 菜の花 クリスマスローズ 寒木瓜  
           
福寿草 馬酔木        

写真は4~5日間隔で掲載しています。 




2017/2/22更新



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