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 7月号  2021年


伊藤伊那男作品     銀漢今月の目次  銀漢の俳句 盤水俳句・今月の一句   
 彗星集作品抄    彗星集選評  銀漢賞銀河集・作品抄  綺羅星集・作品抄
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銀漢の絵はがき 掲示板   主宰日録  今月の写真   俳人協会四賞受賞式
銀漢季語別俳句集


伊藤伊那男作品


主宰の8句












        
             

             
             

    

今月の目次











銀漢俳句会/2021/7月号





     








  







   



銀漢の俳句 

伊藤伊那男 


銀漢の俳句
◎河合曾良の謎⑴

 4月に、かねてから切望していた伊勢長島を訪ねた。桑名に降りて七里の渡しあたりから揖斐川と長良川を跨ぐ国道一号線の伊勢大橋をタクシーで渡った。二川が並行して流れる河口なので実に長い橋である。渡り切った長島町は今は桑名市に編入されている。その先の名古屋との間には木曾川が流れており、文字通り木曾三川に挟まれた細長い中洲が長島である。古来三川の氾濫に悩まされた土地で、江戸時代と明治時代以降も治水を繰り返してきた歴史がある。昭和34年の伊勢湾台風でも高波に襲われた。標識を見ると町の中心部でも私の身長を越える高さまで水が満ちたことが解る。
 河合曾良が暮らしていた頃には水路が縦横に走り、六つか七つかの輪中に分かれていたようで、纏めて伊勢長島藩二万石が形成されていた。藩主松平家の勅願寺として創建された真言宗智山派長松山大智院が長良川の堤防に張り付くように残っている。曾良は信州諏訪で育ったが、縁者である住職良成を頼って、十代後半にこの寺に入ったとされる。その後伊勢長島藩に出仕し、後に江戸に出て神道家吉川惟足の膝下で学ぶ。深川で芭蕉の弟子となり「おくのほそ道」に随行することになる。
 折角訪ねたので住職にお目に掛かりたいと思ったが留守の様子にて、堤防の上を散策して曾良の時代を偲んだ。幸いなことに住職が戻ってこられた。話し掛けると「本堂で話しましょう」と上げて下さり、茶の摂待を受けた。寺は曾良の時代は今の堤防の下、長良川の河原の中だったのが、水害の度に横に移動して今の位置になったのだという。『おくのほそ道』の中山の段に「曾良は腹を病て伊勢国長島と云所にゆかりあれば、先立ちて行に」とある。『おくのほそ道』は大垣で終わるが、その後迎えに来た曾良と舟で長島に下った。『曾良旅日記』によると九月六、七、八日大智院に宿泊している。
 大智院には芭蕉の染筆〈うき我をさびしがらせよ秋の寺〉の懐紙が残っている。住職が複製を掛けて見せてくれた。今の色紙より一回り小さい。「複製は市が作ってくれたが費用はレクサス一台よりも掛かったようです」と。この句は後々『嵯峨日記』で〈うき我をさびしがらせよ閑古鳥〉と推敲されて、そちらが我々の知るところである。前書に「伊勢の国長島大智院に信宿ス(●ス→小さく)」とある。信宿とは二晩泊まることをいうのだが、染筆の翌日も雨となり『曾良旅日記』には「八日雨降る故、発足延引……」とあり、三泊する。「九日快晴。出船。辰の時桑名に上る……」と、伊勢神宮の遷宮を拝する旅に変わるのである。













 



  

盤水俳句・今月の一句

伊藤伊那男  
 
修羅なしてなまぐさきかな海猫(ごめ)の島        皆川 盤水
海猫の繁殖地として知られる八戸市の外れ、蕪島の嘱目。私も行ったが驚くほどの数の海猫がいる。直径七十センチ位が縄張りで、うっかりそこを出た雛鳥は違う番から容赦なく攻撃を受ける。まさに「修羅」であり「生臭き」光景である。神社の柵に屯する海猫は金縁の目が獰猛で目を合わせると恐怖を覚えた。先般近くまで行ったが、焼失後再建された神社は異様に大きく、島全部を敷地にした天守閣のようであり、訪ねるのを躊躇うほどだった。
                                       (平成十八年作『凌雲』所収)


 





 


  

彗星集作品抄
  伊藤伊那男・選

 糶の語尾跳ねあがりたる桜鯛          松代 展枝
 亀鳴くや朝夕の御食空海に           新谷 房子
 母の居る気がして開ける春障子         西田 鏡子
 墨東に銭湯いくつ春夕焼            荻野ゆ佑子
 鷹鳩と化し段葛にも群るる           中島 凌雲
 花時ぞ「考へる人」顔上げよ          白濱 武子
 欄干に千年の跡お松明             清水佳壽美
 春祭馬の嘶き加はれり             小野寺清人
 枡売の浅蜊こぼるるまでは積む         堀内 清瀬
 長閑にて鳩と二三歩あゆみたり         岡城ひとみ
 砂文字を消して波引く啄木忌          伊藤 庄平
 駅裏のだるまや旅館猫の恋           長谷川明子
 花の雲西行庵はその奥と            梶山かおり
 回覧板沈丁の香も届けられ           三溝 恵子
 引く波にあらがふでなし桜貝          岡城ひとみ
 古書街を往きつ戻りつ春夕焼          山口 輝久
 目で追うて胸ぬちに消ゆ石鹼玉         我部 敬子
 広小路までをだらだら夕桜           小泉 良子
 笛方は飛騨の匠の春祭             橋野 幸彦
 
 
 
















    
     

彗星集 選評 伊藤伊那男

伊藤伊那男・選

糶の語尾跳ねあがりたる桜鯛        松代 展枝
 気持ちのよい句である。桜鯛は桜の咲く頃産卵のために浅瀬に群集する。姿が最も美しく味もいい。その糶の一景である。「語尾跳ねあがり」の把握が実に的確で、市場の活気や豊漁の興奮が伝わってくる。それと同時に鯛の見事さも詠み込まれているようだ。語尾の「尾」に生きた鯛が尾鰭を跳ね上げる情景が読み手の目にも浮かび上がるのである。また「跳ねあがりたる」で糶値も上々であることがわかる。

  
亀鳴くや朝夕の御食空海に         新谷 房子
空海上人は高野山奥の院に鎮座している。西暦八百三十五年に入滅したといわれるが、高野山では爾来約千二百年近く今も生きていると信じて、朝夕奥の院に食事を運び続けている。卓越した宗教家だけに高野山を訪ねるとそのことが不思議では無いように思われてくる。だからこそ「亀鳴く」の季語が生きてくるのである。 

  
母の居る気がして開ける春障子       西田 鏡子
長いこと母上が住んでいた離れの部屋なのであろう。その中に今も母がいるような気がして障子を開ける。「春障子」の季語が効いているようだ。ほのかな暖かさがこの句の眼目である。春の日に障子が膨らんでくるようだ。

  
墨東に銭湯いくつ春夕焼          荻野ゆ佑子
 上京して下宿生活を始めた頃、随分銭湯の世話になった。その後銭湯の衰退が始まっていく。町内に一つ位有った銭湯も今捜すのは容易ではない。墨東はまだ残っているほうかもしれない。永井荷風の『濹東綺譚』や滝田ゆうの『寺島町奇譚』、西岸良平の『三丁目の夕日』などに思いが及ぶ仕掛けがある。昭和への郷愁。

  
鷹鳩と化し段葛にも群るる         中島 凌雲
 「段葛」は鎌倉の海岸から一直線に鶴岡八幡宮に通じる参道。道程を長く見せるため海側の道巾が広く、八幡宮へ向うにつれて狭くなる。軍事上でも重要な道であったようだ。そのようなことを思うと、ここに群れる鳩も鎌倉武士の幻影かもしれない、と感じられてくるのである。固有名詞の使い方にはそのような効用があるものだ。

  
花時ぞ「考へる人」顔上げよ        白濱 武子
 上野公園の西洋美術館の前庭にロダンの考える人がある。句は「上野の桜が満開だ。下を向いてばかりいないで桜を見たりしたらどうか」と訴えているのである。こういう発想も大事にしたいものだ。「花時ぞ」の強調の打出しがいい。私が少し悩むのは作品としての考える人とすれば旧仮名でなく「考え(・)る人」とすべきかどうか、という点。

 
 欄干に千年の跡お松明          清水佳壽美
 東大寺二月堂の欄干。千年のお水取の歴史の痕跡。

  
春祭馬の嘶き加はれり           小野寺清人
祭馬も嘶きをもって祭を囃し立てている。 

  
枡売の浅蜊こぼるるまでは積む       堀内 清瀬
 浅蜊売の賑やかな売り方。「までを(・)」の方がいいか。

  
長閑にて鳩と二三歩あゆみたり       岡城ひとみ
いつも急ぎ足の作者も長閑さに思わず歩を緩める。

  
砂文字を消して波引く啄木忌        伊藤 庄平
 「我泣き濡れて蟹とたはむる」の後日談のようだ。

  
駅裏のだるまや旅館猫の恋         長谷川明子
 商人宿の情景が浮かぶ。寅さんが出てきそうだ。

  
花の雲西行庵はその奥と          梶山かおり
 満開の中千本から上千本を見上げたか。西行庵はまだ蕾。

  
回覧板沈丁の香も届けられ         三溝 恵子
隣家との間の沈丁花。たずきの様子が伝わる。 

  
引く波にあらがふでなし桜貝        岡城ひとみ
 『さくら貝の歌』を思い出す。桜貝に象徴される悲恋。

 
 古書街を往きつ戻りつ春夕焼       山口 輝久
 目的の本を探すとなると何度も往復。春夕焼に抒情が。

  
目で追うて胸ぬちに消ゆ石鹼玉       我部 敬子
 「目で追うて」が客観。「胸ぬちに」で主観に転換する。

  
広小路までをだらだら夕桜         小泉 良子
上野の森を一巡するともう夕桜の時間に。

  
笛方は飛騨の匠の春祭           橋野 幸彦    
仕事も祭も連綿と続いている伝統の継承が嬉しい 





 
 











銀河集作品抄


伊藤伊那男・選

身ぐるみを剝ぐか羊毛剪る鋏     東京  飯田眞理子
釣り上げし魚の涙目涅槃の日     静岡  唐沢 静男
鶯餅名のあつぱれや鳴かせたし    群馬  柴山つぐ子
余呉湖いま天女恋しと亀鳴けり    東京  杉阪 大和
鯛網の浜に朝鮮使節の碑       東京  武田 花果
オリーブの大剪定は予祝とも     東京  武田 禪次
龍ひそむつたへの池に蝌蚪游ぐ    埼玉  多田 美記
無精髭そのままにして三鬼の忌    東京  谷岡 健彦
涅槃図のたれより若し釈迦牟尼は   神奈川 谷口いづみ
楤の芽の荒くれぶりも信濃なる    長野  萩原 空木
解きたる帯につまづく花疲      パリ  堀切 克洋
春の野に翼を得たる幼かな      東京  松川 洋酔
からだごと鋤簾を揺らし蜆採る    東京  三代川次郎

















         





綺羅星集作品抄

伊藤伊那男・選

ふるさとの近付く蕗の皮引けば      東京  宮内 孝子
虫干のつもりで着物日々替へて      東京  松浦 宗克
筑波嶺のことに背山の霞みけり      東京  武井まゆみ
鶴岡八幡宮
鷹鳩と化し扁額に入らんとす       大阪  中島 凌雲
啄木忌詩の疵深き古机          神奈川 大野 里詩
亀鳴くや絶対秘仏といふ秘仏       東京  田家 正好
山笑ふ阿蘇の大きな笑窪かな       東京  川島秋葉男
人の世に禍と過の月日鳥雲に       東京  辻  隆夫
啓蟄や妻は活動期に入る         東京  朽木  直
白子干す翳りも松の翳なれば       東京  福永 新祇
喪支度に騒ぐ風鈴外しおく        東京  沼田 有希
鷹鳩と化し靖国の霊に舞ふ        東京  半田けい子

拇印捺す書類しなひぬ暮の春       埼玉  秋津  結
朝寝して今朝も欠席ラジオ体操      神奈川 秋元 孝之
草蔭にてふてふが消ゆ母が消ゆ      東京  飛鳥  蘭
うららかや寺町に買ふ延命餅       宮城  有賀 稲香
すかんぽや腹のたしにと吸ふ記憶     東京  有澤 志峯
伊那谷へ峠下れば桃の花         神奈川 有賀  理
めぐりゐる三千世界朝寝かな       東京  飯田 子貢
富士筑波が空の両端揚雲雀        埼玉  池田 桐人
山裾のその隅に住み木の芽和       東京  市川 蘆舟
山笑ふ雲に噴火の疵隠し         埼玉  伊藤 庄平
動かざる激闘もあり闘牛場        東京  伊藤 政三
船譲り遅日の海をあけ渡す        神奈川 伊東 岬
田楽の味噌の焦げ目も祇園かな      東京  今井  麦
終演後まだ帰りたくない暮春       埼玉  今村 昌史
干笊に花びら混じる春子かな       東京  上田  裕
石鹼玉みなひとつづつ虹をもち      東京  宇志やまと
子の心ある時遠く母子草         埼玉  梅沢 フミ
天守閣押し上げさくらさくらかな     埼玉  大澤 静子
山はみな背伸びしてをり木の芽時     東京  大住 光汪
さへづりの三重奏となりにけり      東京  大沼まり子
母諭す言葉選びて春の暮         埼玉  大野田井蛙
うまさけにほんのり三輪の山笑ふ     東京  大溝 妙子
命綱なりし甘藷をデザートに       東京  大山かげもと
参道の長きも漫ろ御開帳         東京  岡城ひとみ
耳飾りの揺るる福耳春の服        東京  小川 夏葉
一段しかなくとも雛の間となりぬ     宮城  小田島 渚
磯海女を待つ浜の火の一斗缶       埼玉  小野寺清人
花鋏雀隠れに見失ふ           神奈川 鏡山千恵子
武者震ひかとも又兵衛桜散る       和歌山 笠原 祐子
長閑とは一日席にゐる上司        東京  梶山かおり
薄氷の傷消えてゆく朝日かな       愛媛  片山 一行
海女小屋の神棚低め大南風        東京  桂  信子
初蝶の確かな翅の使ひ方         静岡  金井 硯児
日本橋潜りたゆたふ花筏         東京  我部 敬子
石走る垂水の先に芽ぐむ葦        高知  神村むつ代
種紙の裏や昭和の備忘あり        長野  北澤 一伯
のどけしや城主の居らぬ熱海城      東京  絹田  綾
東叡山一山越えて花疲          東京  柊原 洋征
生存を問ふかの電話万愚節        神奈川 久坂衣里子
筏には組めぬ小流飛花落花        東京  畔柳 海村
春塵にざらついてゐる寺の廊       東京  小泉 良子
闘牛の嗾けられて始まりぬ        神奈川 こしだまほ
子別れの季かや鴉の声尖る        東京  小林 雅子
影さへも眩しくありぬ花水木       東京  小林 美樹
客来ればすぐに発つ舟鳥曇        東京  小山 蓮子
風船に息継ぎ三度まだ足らず       青森  榊 せい子
目玉まづほろと抜かるる桜烏賊      長崎  坂口 晴子
雪形の島田の髷は未だ結へず       長野  坂下  昭
針箱に母の指貫春逝けり         千葉  佐々木節子
上州の風に流され初雲雀         群馬  佐藤 栄子
遠足の声さしかかる大手坂        長野  三溝 恵子
持たさるる風船の紐縺れたる       東京  島  織布
逃水や小犬のリード伸びに伸び      東京  島谷 高水
草鞋並ぶ修二会の行の果てしなく     兵庫  清水佳壽美
楤の芽採りここは昔の絹の道       埼玉  志村  昌
蜂追へば日の真ん中に見失ひ       千葉  白井 飛露
龍天に登る未完の天井画         東京  白濱 武子
ロボットに声掛けらるる四月馬鹿     東京  新谷 房子
潮の香に足す醤油の香焼栄螺       大阪  末永理恵子
ゴンドラの擦れちがふ影山笑ふ      静岡  杉本アツ子
日焼した袋もありて種物屋        東京  鈴木 淳子
阿蘇岳の寝釈迦あたりの霞みをり     東京  鈴木てる緒
亡き犬の皿に水浴ぶ春の鳥        群馬  鈴木踏青子
遅き日の夕映えことに箱根山       東京  角 佐穂子
天上で逢ふ恋もあり紫木蓮        東京  瀬戸 紀恵
花冷や肩の薄さは母に似て        神奈川 曽谷 晴子
咲くを知る隣のリラの匂ひ来て      長野  髙橋 初風
もうすでに強弱分れ蝌蚪の国       東京  高橋 透水
駅名は消えし町の名春の水        東京  竹内 洋平
楤もはや摘めぬ高さに芽吹きをり     東京  多田 悦子
鰹木の金色はなつ桜かな         東京  立崎ひかり
母の目となりて見てをり雀の子      東京  田中 敬子
蜂の巣や静かに閉める勝手口       東京  田中  道
貝寄風や北前船の出港地         東京  塚本 一夫
風船に鬱憤も乗せ飛ばしけり       東京  辻本 芙紗
谷折に金のこぼるる紙雛         東京  辻本 理恵
怒髪天の十二神将雪解風         愛知  津田  卓
物芽吹く山の辺の道たもとほり      東京  坪井 研治
空襲で焼けし富山の蜃気楼        埼玉  戸矢 一斗
曇天を斜めに切りてつばくらめ      東京  豊田 知子
大阪やにつぽんばしと言ふ長閑      千葉  長井  哲
絵手紙の中も満開山桜          神奈川 中野 堯司
来し方へ想ひしだるる花の夜       東京  中野 智子
鷹鳩と化し広島へ長崎へ         東京  中村 孝哲
一村に朝の号砲牛角力          茨城  中村 湖童
みちのくや十文といふ山笑ふ       埼玉  中村 宗男
ランドセルに手と足が生え新入生     千葉  中山 桐里
囀の寺に信貴山絵巻かな         大阪  西田 鏡子
抱き起こす子に新草の香りかな      東京  西原  舞
甘茶仏螺髪一粒づつ光る         埼玉  萩原 陽里
横笛に公達の名や竹の秋         東京  橋野 幸彦
あたたかや立たせて詰めるカツサンド   広島  長谷川明子
春の宵家路遠きを楽しとす        東京  長谷川千何子
坂上の富士を遠見に春惜しむ       神奈川 原田さがみ
境内に巣箱の掛かる札所かな       兵庫  播广 義春
谺してものの芽山を膨らます       東京  福原 淑子
花は葉に透析だるき夢現         東京  保谷 政孝
田に掛かる土橋くぐりて燕来る      神奈川 堀  備中
名残雪舞ふ井月の墓の上         東京  堀内 清瀬
上皇も見し鼻綱か牛角力         岐阜  堀江 美州
鰊焼く栄華は蝦夷に樺太に        埼玉  夲庄 康代
重ね置く遍路の杖や満願寺        東京  松代 展枝
田楽の串持て天下語りけり        京都  三井 康有
もうひとり兄弟ゐしと四月馬鹿      神奈川 宮本起代子
つつじ咲く満艦飾と云へるほど      東京  村上 文惠
柿若葉夕日撥ねつつ翳りゆく       東京  村田 郁子
書けば紙に翳の生まれて朧月       東京  村田 重子
ものの芽が百寿母屋を取り囲む      東京  森 羽久衣
奥宮へ踏まず行けるか落椿        千葉  森崎 森平
子雀の驚きやすく散りやすく       埼玉  森濱 直之
桃の花姉となる子のつき纏ふ       長野  守屋  明
勢子の声ぶつかり合ひて牛角力      東京  保田 貴子
春驟雨没せしままに坂本城        愛知  山口 輝久
一畝を押し合うてゐる葱坊主       群馬  山﨑ちづ子
三月や手を合はす日の続きたる      東京  山下 美佐
しつけ糸するりと抜きて花衣       東京  山田  茜
鶴帰る雲の速さを見計らひ        群馬  山田  礁
陽炎や島の短き滑走路          東京  山元 正規
黒衣みな阿波の女やうららけし      愛媛  脇  行雲
善根宿に薬袋の忘れ物          東京  渡辺 花穂
海鼠壁さつと濡らして春時雨       埼玉  渡辺 志水
















     







銀河集・綺羅星今月の秀句

伊藤伊那男・選

釣り上げし魚の涙目涅槃の日        唐沢 静男
 芭蕉の『おくのほそ道』の出立の項に〈行春や鳥啼魚の目に泪〉がある。その本歌取りの句。涙を流すことのない魚が涅槃の日には涙目であった、というのが巧みである。年季が入っていないとできない句で、古典に材を取った知的な構成力に感嘆した。


楤芽吹く石鏃出でし山の畑         萩原 空木
 伊那谷の父の実家は大昔の天竜川が削った段丘の下にあった。段丘の上は林や畑になっていたが、子供の頃いくつも鏃(矢尻)を拾った記憶がある。縄文人が獣を獲ったり天竜川の魚を獲ったりしていたのである。楤の芽などもきっと食べていたのであろう。この取合せが面白い。


ふるさとが近付く蕗の皮引けば       宮内 孝子
 蕗の皮を引く、という行為と、ふる里が近付くという措辞の絡み方がうまいところだ。まるで糸をたぐるように思いがふるさとに繫がっていく。ふるさとと繫がる手立てが蕗の皮――その発想が見事である。田舎では畑の隅に勝手に生えている蕗、母や祖母があくで手を染めながら剝いていた蕗、その回想が目の前に近付いてくるのである。

筑波嶺のことに背山の霞みけり       武井まゆみ
冒頭で言っておくと「背山」という言葉を「裏山」と間違って使っている俳句が多い。『万葉集』に「妹背」という言葉があり、愛し合う男女のことを言う。「背山」(兄山)は相対する二つの山を男女に見たてた場合の男性、夫の山である。「妹山」は女性、妻の山を指す。さてこの句に戻ると筑波山は二つの峰を持ち、西が男体(背山)東が女体(妹山)ということになる。句は背山が霞んでいたという。歴史と文学に磨かれた山を格調高く描いた。


鷹鳩と化し扁額に入らんとす        中島 凌雲
 「鶴岡八幡宮」の前書がある。八幡宮の正面に掲げられた扁額の「八」の字は鳩が二羽向かい合った絵文字である。ここから句を導き出したのはなかなかの技倆。鎌倉の鷹が鳩と化して鶴岡八幡宮の扁額の八の字の中に二羽入ろうとしている、というのである。


啄木忌詩の疵深き古机           大野 里詩
石川啄木の忌日は四月十三日。二十六歳で貧困の内に死んだ。金銭面でも女性関係でも常軌を逸していたが珠玉の歌を残している。「詩の疵深き」に啄木の人物像が籠められているようだ。同時出句の〈ぶらんこの乗り降りの場にある凹み〉は細かな所に目が行き届いた句であった。 


亀鳴くや絶対秘仏といふ秘仏        田家 正好
秘仏といっても七年に一度とか御開帳があるものだ。これに対し善光寺や浅草寺のように一切扉を開かないのが「絶対秘仏」なのであろう。「秘密」と「絶対秘密」のどこが違うのか、というのと同じようなおかしさがある。「亀鳴く」の季語の斡旋が絶妙である。 


山笑ふ阿蘇の大きな笑窪かな        川島秋葉男
「笑ふ」から「笑窪」へと連想が及んだ句である。その場所を阿蘇山に持ってきたところが壮大である。陥没したカルデラの部分全部を笑窪に見立てたのであろう。壮大。


人の世に禍と過の月日鳥雲に        辻  隆夫
 「禍」はわざわい、まが・ごと。「過」はあやま・ち。昨今の時世はまさにこのようであった。人の世はそうだけれど自然の動きは淡々と進んでゆく。「鳥雲に」はその象徴として配合された季語なのであろう。


啓蟄や妻は活動期に入る          朽木  直
啓蟄は二十四節気の一つで冬籠りの虫が這い出す頃。その頃妻も旅行の計画やら色々な外出に動き始めている。虫と人間を並列に置いた面白さである。「活動期」の言葉が発見で、火山活動という言葉まで思い出されて何とも楽しい句となった。


白子干す翳りも松の翳なれば        福永 新祇
 白子を干している処へ松の翳が差してきた。松の翳なのでさほど邪魔になるものではない。むしろ格が上がるようにも思われてくる。微妙な美を捉えて品格が高い。


 その他印象深かった句を次に

喪支度に騒ぐ風鈴外しおく         沼田 有希
鷹鳩と化し靖国の霊に舞ふ         半田けい子




















                






 

星雲集作品抄
伊藤伊那男・選

秀逸
帯解きて帯をこぼれし桜かな      千葉  川島  紬
焼栄螺汁を溢さぬ立ち姿        千葉  園部あづき
闘牛や頭突きの音で始まりぬ      神奈川 田嶋 壺中
虻とんで羽音ひかりの中にかな     東京  中村 藍人
闘牛の勢子を引きずる勝名乗り     埼玉  渡辺 番茶
鰤起し号砲となし網揚ぐる       埼玉  小野 岩雄
浄土にも日向ぼこなどありやなし    宮城  齊藤 克之
重力の美しかりし藤の房        岩手  永井 むつ
闘牛の負けて重たき島の風       神奈川 日山 典子
闘牛や神の儀式の続く島        東京  山口 一滴
鼻息の荒きをなだめ厩出し       東京  尼崎 沙羅
観音の千手の如く芽吹く木々      神奈川 大田 勝行
鳥雲の離島航路となりにけり      東京  上村健太郎
亀鳴くやぬれ煎餅の嚙み心地      千葉  小森みゆき
ものの芽や屋根に石置く奥信濃     東京  須﨑 武雄
白でない白といふ色幣辛夷       長野  唐沢 冬朱
一年は瞬きの間の桜かな        神奈川 河村  啓
万雷の拍手の如く桜咲く        東京  北原美枝子
金次郎の前の惜別卒業子        神奈川 山田 丹晴






星雲集作品抄

            伊藤伊那男・選

鬼ごつこ鬼は何処に春の暮       京都  秋保 櫻子
土筆摘む少年の日の夫知らず      東京  浅見 雅江
供華とせむ母の好みし紅牡丹      愛媛  安藤 向山
筵敷く土手の土筆を避けながら     東京  井川  敏
花海棠雨粒の皆紅色に         東京  生田  武
祠とも見ゆる社や花曇         長野  池内とほる
西行忌散るも残るも静かなり      東京  石倉 俊紀
甲高き鼓の音も虚子忌かな       東京  伊藤 真紀
山の(うみ)写るはすべて山桜        愛媛  岩本 青山
露天湯や雲海尾根を溢れ落つ      愛媛  内田 釣月
鶯に口笛吹きて応へたり        長野  浦野 洋一
はな供へ夫と親しむ啄木忌       埼玉  大木 邦絵
風青む雲は天才啄木忌         東京  大島雪花菜
にはとりのけんか短し春闌ける     東京  岡田 久男
佐保姫の歩み近づくあと少し      群馬  岡村妃呂子
消しごむを立ててみるなり春愁     東京  荻野ゆ佑子
春兆す救世観音の指先に        神奈川 小坂 誠子
夏隣如雨露の水の筋太く        静岡  小野 無道
石浮かすほどに畑を打ちにけり     宮城  小野寺一砂
春の雲ゆつくり淹れる紅茶かな     東京  桂  説子
畦道のわかるほどなる雪解かな     埼玉  加藤 且之
七彩の色とぢこむるしやぼん玉     東京  釜萢 達夫
軽の子の翼と云へぬ羽振りなり     愛知  北浦 正弘
囀の時に嗚咽のごときかな       神奈川 北爪 鳥閑
引波に抗ひながら磯菜摘        東京  久保園和美
母と子の絆膨るるしやぼん玉      東京  倉橋  茂
だんだんと腹這ひて抜く春の草     東京  熊木 光代
風船に彩りを添へ飛ばしけり      群馬  黒岩伊知朗
谷底の空は三角花筏          群馬  黒岩 清子
山肌に馬形の出て雪解かな       三重  黒岩 宏行
巣ごもりのこころに届く桜餅      東京  黒田イツ子
路地に風吹雪さながら雪柳       神奈川 小池 天牛
行く春や城の灯のひとつづつ      東京  髙坂小太郎
鷹鳩と化し三歩あと歩きけり      東京  小寺 一凡
小粉団のそよ風受けて踊り初む     神奈川 阪井 忠太
遠足の一人二人と抜ける帰路      長野  桜井美津江
傘寿へと視野のその先花筏       東京  佐々木終吉
春眠のかくも明るき日差しかな     群馬  佐藤かずえ
退職を告ぐる涙もうららけし      群馬  佐藤さゆり
爆心地鴉巣籠もる木となれり      広島  塩田佐喜子
おぼろ夜へ卒塔婆小町の夢うつつ    東京  島谷  操
植樹祭大漁旗が山腹に         東京  清水 旭峰
風のほか触れ得ぬ高さ花辛夷      東京  清水 史恵
春愁やイエスの顔に向かひ合ふ     東京  清水美保子
三井寺の晩鐘寂と春惜しむ       神奈川 白井八十八
寄書に大器晩成卒業す         岐阜  鈴木春水
水温む鯉の浅瀬に立つる音       愛知  住山 春人
由比ヶ浜に波の音聞く虚子忌かな    埼玉  園部 恵夏
椿落つ今し方なり音もなく       東京  田岡美也子
巣燕の軒を借りたる雨宿り       東京  髙城 愉楽
町空を眠らせるごと黄砂くる      福島  髙橋 双葉
窓あけて見ゆる全てに春惜しむ     埼玉  武井 康弘
遠蛙晩年といふ静けさに        東京  竹花美代惠
花月夜母は写真の中にをり       東京  田中 真美
一つ家に標札二つ豆の花        神奈川 多丸 朝子
祝膳先づ真中に桜鯛          愛知  塚田 寛子
種袋植ゑそびれたる去年のもの     広島  藤堂 暢子
山寺に鴉も集ふ仏生会         埼玉  内藤  明
啓蟄や父とは違ふ道歩む        東京  中込 精二
白子船漁待ちもやふ河口岸       神奈川 長濱 泰子
翔け上がる鳶のつがひや養花天     長野  中山  中
夕永し散歩の距離を持て余す      東京  永山 憂仔
山笑ふ中の清水子安塔         京都  仁井田麻利子
潮騒に搔き消されたる海女の笛     東京  西  照雄
ふらここの年を忘れて大空へ      宮城  西岡 博子
中空に届く一つやしやぼん玉      静岡  橋本 光子
引き際の恋のごとくに春炬燵      東京  橋本  泰
美容院出でて花冷え襟元に       神奈川 花上 佐都
遠足の声移りゆく城下町        長野  馬場みち子
踏切の電車待つ間や諸葛菜       千葉  針田 達行
春うらら夫と薬の数競ふ        長野  樋本 霧帆
新わかめ松原失せし海なれど      千葉  平山 凛語
生れくる数だけ消えて石鹼玉      埼玉  深津  博
繰り返す同じ反省万愚節        長野  藤井 法子
それぞれが気ままな向きや葱坊主    福岡  藤田 雅規
朝礼の生徒に舞へり花吹雪       東京  牧野 睦子
分かる噓得意げな子の万愚節      神奈川 松尾 守人
新入生無限が詰まるランドセル     神奈川 松崎 雅則
うららかや猫の尻尾の揺れ具合     愛知  松下美代子
三鬼忌や衝動買ひの水枕        東京  水野 正章
遡る吉野の谷の花吹雪         奈良  三村  一
奥只見楤の芽ゑぐし酒辛し       東京  棟田 楽人
初蝶の阿吽に憩ふ翅遣ひ        東京  八木 八龍
花筏無名戦士を乗せるかに       東京  家治 祥夫
鍬入れて啓蟄の黙解きけり       東京  矢野 安美
紅白に咲き分けたるや梅は八重     群馬  山﨑 伸次
本玩具眼鏡もろもろ春炬燵       静岡  山室 樹一
我が町を浮かび照らして暮れかぬる   群馬  横沢 宇内
つく噓に善し悪しのあり四月馬鹿    神奈川 横地 三旦
山の池子等の秘密の蝌蚪たんと     神奈川 横山 渓泉
泣く吾子をあやす木陰や夏近し     千葉  吉田 正克
権現を拝む闇あり花篝         山形  我妻 一男
目覚しは夢の途中の百千鳥       神奈川 渡邊 憲二
春疾風みんなで帽子追ひかける     東京  渡辺 誠子




















星雲集 今月の秀句

伊藤伊那男

帯解きて帯をこぼれし桜かな          川島  紬
 花衣を脱ぐと纏わりついていた花弁が零れる。その一、二片の花弁に今日一日の花見のことを回想する。ここではリフレインで「帯」を強調したことが句の印象を深める効果を発揮しているようである。「帯解きて」の「て」は何々したらこうなった、という因果の「て」で、普通は成功しない。また一句に動詞を二つ使うのは一般的には句を煩雑にするものだ。だが、そのことを感じさせないところがこの句のよさである。


焼栄螺汁を溢さぬ立ち姿            園部あづき
 栄螺を実際に焼いてみるとわかるのだが、蓋を上にして焼いたときに煮汁がこぼれないように置こうとすると、これがなかなか難しいのである。棘の位置をよく見て火の上に据えなくてはならない。火勢や煮え具合によって揺らぐこともある。この句は厳然と動かずに煮られているという。まるで弁慶の立往生という感じで、健気で若干のおかしさと哀れさを含む仕上りである。


虻とんで羽音ひかりの中にかな         中村 藍人
 虻の細やかな羽根遣いが光を集める。まさに春の日が遍満である。その小さな羽音も光の中にある。虻の生態とその頃の季感をよく摑み取っているようだ。同時出句の〈夕暮に瞼を堅く亀鳴けり〉も「亀鳴く」という架空の季語に実際の亀の生態を合わせて、本当に鳴いているかのように思わせるところが勘所である。


闘牛や頭突きの音で始まりぬ          田嶋 壺中
闘牛の勢子を引きずる勝名乗り         渡辺 番茶
闘牛の負けて重たき島の風           日山 典子
闘牛や神の儀式の続く島            山口 一滴
兼題で出た「闘牛」の句である。実際に見たことのある作者もいるだろうが、見ていなくても兼題であるからには想像を巡らせて作らなくてはならない。そうした言葉の訓練が俳句の力を高めていくのである。実は私も実見したことは無い。テレビで見たことと、隠岐島を旅したとき、闘牛場の横を通ったことと島のパンフレットで見た程度なのである。右に挙げた句はいずれも臨場感がある。壺中句は重い頭突きの音が読み手の耳にも伝わってくる。番茶句は牛にも勝利の喜びがあるのであろうか、勝名乗りに勇み立って何人かの勢子を引きずる、という。典子句は逆に負け牛に島の風は重苦しく、牛が項垂れているようにも思われる。一滴句は闘牛も神々に捧げる神事、と違う角度から闘牛というものを観察している。各々佳句を残した。


鰤起し号砲となし網揚ぐる           小野 岩雄
鰤起しは冬の雷で、日本海沿岸の漁師はこの雷が鳴ると鰤が来る、豊漁だ、と気負い立ち出漁の準備に入るという。その意味で鰤漁に対する一種の号砲である。ところがこの句は既に漁に出た船が網を流したところで雷が鳴る。あたかも漁労長の指図の声のように用いたところが異色である。


浄土にも日向ぼこなどありやなし        齊藤 克之   
浄土なら日向ぼこも許されそうな気がする。平等院鳳凰堂とか平泉の毛越寺の庭園跡などを見ると、中世の人々の浄土観が解る。あれが浄土であれば間違いなく日向ぼこができそうだ。もちろん現世の縁側での日向ぼこも、その一時は浄土にいるのである。


重力の美しかりし藤の房            永井 むつ
なるほど、藤の花なら重力という発想も納得できる。この句は中七の「美しかりし」がいい。普通はこういう直截的な形容詞の使用は俳句では避けるのだが、ごく稀に成功することがあり、この句はそういう句の一つだ。それは上五の「重力の」が効いているからで、重力によって美しくなる、という発想が非凡だからである。 


鼻息の荒きをなだめ厩出し           尼崎 沙羅
 冬期厩に閉じ込められていた牛馬も春の野に出るのは嬉しいことであろう。その様子を「鼻息の荒き」と具体的に描いて成功している。その逸った牛馬を「なだめ」ながら連れ出すという飼主の動きも加えて丁寧な仕上りである。


金次郎の前の惜別卒業子            山田 丹青
  二宮金次郎といっても知らない子供の方が多そうだ。薪を背負って勉強しながら歩く――理解させるのは厄介である。我々の世代が理解できるギリギリのところかもしれない。一昔前の郷愁を誘う校庭の一景だ。


亀鳴くやぬれ煎餅の嚙み心地          小森みゆき
 不思議な取合せの句だ。ぬれ煎餅という予定調和を崩した食物であるからこそ、この予定調和の無い取合せが自然に胸に入ったともいえよう。嚙んでも音のしない煎餅と、鳴かぬはずの亀が鳴く取合せの妙。

その他印象深かった句を次に


 

白でない白といふ色幣辛夷           唐沢 冬朱
万雷の拍手の如く桜咲く            北原美枝子
一年は瞬きの間の桜かな            河村  啓

















伊那男俳句


伊那男俳句 自句自解(66)
           
義士祭耳掻き買うて帰りけり

 鳥居三太という俳人がいた。博報堂に勤めていてその社内句会のゲストとして二回招かれた。その句会で〈吉良邸を窺つてゐる年の暮〉というような句を出したら氏は随分嫌がった。聞くと三州吉良の出身で、その地の人は忠臣蔵は一切見ないという。確かに史実として見ると、吉良氏は気の毒である。多少の軋轢があったにしても殿中でいきなり斬りつけるのは尋常ではない。浅野内匠頭は癇癪持ちだったようである。大石以下赤穂浪士は吉良の隙を突いた押込強盗のようなものと言えなくもない。結局吉良上野介は殺された上領地は没収。上杉家から養子で入っていた跡継ぎの義周は当夜の行動未熟の廉で諏訪高島藩に預けられ、三年後失意の内に病没した。享年二十一歳。実に無念な結末である。この句はそのような私の心象も少し入っていたということになろうか。「耳掻き」は実際に義士祭の泉岳寺の出店で見たのであるが、取合せに無意識ながら若干の揶揄が入っているのかもしれない。

桃咲くや嫁す日も父は酒臭し

 一口に言うと大学生時代以降、四十代の大腸癌の手術に絡んだ半年間以外は酒を欠かしたことが無い。娘の授業参観日に喉元まで酒が詰った状態で行くと、隣の妻が「とにかく教室から出ていって」と追い出されたことがある。長女の名前は桃子、次女は杏子と名付けた。私なりに知恵を絞ったつもりである。というのも桃も杏も花が賞でられ、果実が美味で、しかも種も薬になる。特に桃は『古事記』の中で亡き妻を訪ねた伊弉諾命が黄泉国から脱出するとき黄泉比良坂でその実を投げて危機を脱した霊力の強い果実である。郷里の信州と東京を往復する中央本線は甲府盆地を通過するが、桃の花どきの車窓の左右はあたかも桃源郷もかくや、という風景が展開する。その美しさがずっと胸に焼き付いていて、男の子なら桃太郎、女の子なら桃子、と決めていたのである。句には「長女桃子結婚」という前書きを付した。娘の名前を入れ、当時の私の生活状況を加えてみた。












     


 



俳人協会四賞・受賞式





更新で5秒後、再度スライドします。全14枚。







リンクします。



haishi etc
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銀漢の絵はがき


挿絵が絵葉書になりました。
Aシリーズ 8枚組・Bシリーズ8枚組
8枚一組 1,000円

ごあいさつにご利用下さい。






 
        







掲示板















               
 
     

「銀漢」季語別俳句集


26

拡大します。
銀漢季語別俳句集
待望の『季語別俳句集』が3月に刊行されました。



2021/3/25   更新












主宰日録  

  

4月


4月18日(日)
9時半、小田急線伊勢原駅。次女の婿、孫2人。長女の孫2人。計男6人で大山登山。下社までケーブルカーを使う予定を立てたが、孫達が歩く! というので男坂の急登からスタート。下社辺りでようやく身体が馴れてきたものの、山頂13時過着。へとへと。眺望良好で伊豆半島、真鶴半島、三浦半島、房総半島まで一望。富士山も。昼食。下りは見晴台コースを廻る。引率のつもりで来たが、孫達の足は早く、付いていくのがやっと。下社から私だけケーブルカーに乗る。伊勢原駅着17時半。駅前の居酒屋に入り孫達に食べさせる。帰宅すると近所のレマちゃん夫婦が来ていてお好み焼(レマちゃんが神戸出身で名人)。

4月19日(月)
8時半の新幹線に乗車。名古屋へ。一昨日、月末期限のホテル宿泊券が残っていると娘が言うので、名古屋を選んだもの。富士山が美しい。新幹線ホームのきしめん店に入り、朝、昼兼用の食事。東海道線で二駅先の清洲城を訪ねる。道を尋ねた婆さんが案内してくれる。月曜日で復元天守は休館ながら、城跡の雰囲気を楽しむ。城跡は鉄道に分断されている。名古屋に戻って桑名へ。八間通から本統寺、七里の渡、ザフナツヤ(船津屋)、桑名城址(九華公園)など巡り、タクシーを頼んで揖斐・長良の二川を渡り、長島の大智院へ。曾良、芭蕉の縁の地。曾良はこの地で青少年期を過ごした。寺は留守の様子で、しばらく境内や横の堤防など散策していると住職夫妻が帰宅。声を掛けると本堂に招いてくださり、1時間ほど話し相手になってくれる。いろいろ収穫あり。伊勢、長島城は今、小中学校の敷地。18時頃名古屋に戻り、「ヒルトン名古屋」へ投宿。18階の豪華な部屋。近くにいい雰囲気の店を見つけて入る。「大甚本店」という古そうな店で、賀茂鶴の大樽が据えてある。鰯煮、ヤリイカ煮、ばい貝煮。煮蛸、奴、鮪の刺身。大きな徳利を2本飲んで、4,000円は安い! 「山本屋」の味噌煮込うどんを食べて21時過ぎには就寝。

4月20日(火)
たっぷり寝る。11時半迄ホテル。エッセイ一本。選句など。朝昼兼ねて味噌カツ定食。地下鉄で名古屋城。見事な縄張り。隅々まで見て復元本丸御殿。これも実にいい仕事! 城の見学三時間ほど。大須観音をお参りして伏見の昨日行った居酒屋「大甚本店」へ。子鮎の飴炊、白和、イカと帆立の刺身。太刀魚塩焼。生牡蠣一つ。蜆汁。賀茂鶴2本。ビール大瓶一本。十九時半位の新幹線に乗車。昏々と寝て東京へ。

4月21日(水)
こしだまほさんへ依頼した銀漢亭の写真データ、沢山到着。NHK出版に送る。伊那の井上井月顕彰会の竹入弘元先生が4月18日逝去されたと。私の高校の恩師でもあった。2年前の伊那の大会にわざわざ夫人の運転で会いに来て下さり、銀漢基金を頂戴したのが最後であった。

4月22日(木)
13時、両国駅集合。伊那北会で小さな吟行。回向院、江島杉山神社、江東区芭蕉記念館、芭蕉稲荷神社など3時間ほど歩き、「三州屋」で小酌し、16時の開店を待って森下の「山利喜」。煮込でワイン、あと酒へ。18時にはお開き。

4月24日(土)
農家の野菜買いに自転車で。「あ・ん・ど・うクリニック」。血圧だいぶ落ち着いているので薬の量を減らそうと。酒が減ったこと、睡眠をたっぷり取っていることが効いてきたか? 体重は減らないが……。

4月25日(日)
14時、飯田橋、角川本社。「俳句」合評鼎談。今日は私が司会。丁度2時間で終わらせる。緊急事態宣言3度目の初日。

4月27日(火)
11時、新宿某生保打ち合わせ。昼、神保町の郵便局にて銀漢の資金移動。13時から発行所にて北辰社の役員会。武田、杉阪、川島、渡辺、柊原、多田、今井。17時、愛宕下の藤井公認会計士事務所。少し時間があったので、愛宕神社の裏に廻ると、杉田玄白の墓がある。

4月29日(木)
司馬遼太郎の『街道をゆく』の43巻「濃尾参州記」(未完)が手許に届く。娘にネットで取り寄せてもらうと、何と代金1円、送料257円。合計258円という。本の価値はどうなってしまったのか! 新品である。6月号同人、会員分選句終了。夕方、成城仲間の2家族来宅。食事会。

5月

5月1日(土)
「銀漢」6月号の彗星集書いて執筆終了。俳人協会のカレンダー来年2月用に短冊を書いて送る。この字が載るとなると何とも恥ずかしい。

5月2日(日)
先日の伊勢長島訪問で触発されて河合曾良について「銀漢」用エッセイ3回分を書く。俳人協会の「第60回全国俳句大会」一次予選にとりかかる。分担約3,000句あり。夕方、家族で成城仲間のN家へ。3家族集まる。砂肝のニンニク風味炒めと糠漬持参。メインはBBQ。

5月3日(月)
伊那北会(といっても3人)10時半、東武動物公園駅集合。バスにて関宿城跡へ。植田の中を歩く。利根川と江戸川の分岐のあたりに城跡あり、模擬天守が県立博物館。水害、河川改修の歴史は凄い。久世藩の資料室もあり。明治の河川大改修により城跡はほとんど痕跡を残さないほど。明治まであった城の跡がここまで消え失せたのは珍しい。僅かな痕跡数カ所を見て、終戦時の首相「鈴木貫太郎記念館」を少しだけ覗いて駅へ戻る。駅前の居酒屋が酒は出せないというので、春日部に出て居酒屋を探す。井蛙さん誕生日にて祝杯を挙げる。帰宅すると成城仲間2家族、孫の友人などが来ていて少々歓談。

5月4日(火)
俳人協会「第60回全国俳句大会」の一次選考を送る。井上井月顕彰会の北村会長より、9月の伊那の井月祭での講演の依頼あり。

5月6日(木)
O氏句集稿2回目の点検。調布市文芸祭講演会の用意。16時、新宿駅に武田編集長、杉阪氏と打ち合わせ。喫茶店にて北辰社の株主総会の書類承認印。あと久々近況報告をし合う。

5月7日(金)
自転車で散策。農家の野菜、喜多見方面で肉、魚。「銀漢」6月号の校正作業。高校同期の泰明君と5月下旬、会津〜高山のドライブ計画あったが、緊急事態宣言延長で中止とす。

5月8日(土)
「銀漢」7月号のエッセイその他。自転車で祖師谷大蔵へ買い物。夜、杏一家きて夕食。久々、春雨のうま煮を用意。NHK俳句7月号の「復活銀漢亭一句旬菜夏野菜編」のゲラ着。大判の雑誌の7頁を使ったカラーという贅沢。

5月9日(日)
夕方から庭でBBQパーティー。母の日の祝い。丁度、三浦半島から到来した蚕豆を焼く。仙台「司」から取り寄せた牛タン。爽やかな気候。

5月10(月)
「本部句会」「大倉句会」などの選句。雑用などこなして1日部屋で過ごす。蚕豆と海老の胡麻ソース和、〆鯖と大葉、茗荷のポン酢和など夕食を作る。コロナウイルスのワクチン接種の案内来る。
















         
    






今月の季節の写真/花の歳時記



2021/7/19撮影  ハマゴウ  .   HACHIOJI 





花言葉      「愛の喜び」


△ ハマゴウ(浜拷)
ハマゴウの葉は丸みを帯びており、葉の大きさは3~6cmです。葉の裏側に微細な毛が密集しているため、白っぽく見えます。生の葉をいぶったときに出る香りが蚊を寄せつけないとされ、蚊とり線香のない時代に蚊よけとして活躍しました。


梔子の花 ショウジョウソウ はつゆき草 オリーブ カサブランカ
シマトネリコ カンナ サボン草 ミナズキ パイナップルリリー
リューカデンドロン  浜拷
     
     






写真は4~5日間隔で掲載しています。 
2021/7/14








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