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 4月号  2021年


伊藤伊那男作品     銀漢今月の目次  銀漢の俳句 盤水俳句・今月の一句   
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銀漢季語別俳句集


伊藤伊那男作品


主宰の8句










        
             

             
             

    

今月の目次








銀漢俳句会/2021/4月号


     






  







   



銀漢の俳句 

伊藤伊那男 


◎富士山の季語  

多摩川を俯瞰する世田谷区のはずれから冬の富士山がよく見える。散歩をしていて富士山が見える日は、幸せを戴いた気分になり思わず合掌する。新幹線で西国へ向かうときも、できるだけ右の窓際の席を取って富士山を確かめる。運が良いと品川駅を過ぎるあたりのビルの隙間から遠望できるときがある。奈良時代初期の山部(辺)赤人は自然詠の歌人として知られているが、代表歌に次がある。  (1)田子浦ゆうち出でてみれば真白にそ富士の高嶺に雪は降りける (2)田子浦にうち出て見れば白妙の富士の高嶺に雪は降りつつ  田子浦は静岡県富士市南部の砂浜で、北に富士山を仰ぎ、西に三保の松原を望む東海道の景勝地。都から東国へ向かったときの嘱目である。(1)は『万葉集』所収、(2)は『新古今和歌集』所収で百人一首にも収録されている。(1)の「ゆ」は動作の起点となる所を表す助詞で「……から」の意味。浜に出てみたら突然雪を頂いた霊峰が眼前に出現した驚きと感動が率直に表現されていて、私はこちらの方が好きである。  さて富士山にまつわる季語はどれほどあるのであろうか? 講談社『カラー図説 日本大歳時記』から富士の名の付く季語を拾い集めてみた。 初富士(新年)※「初」の付く山は富士山・筑波山・比叡山。 富士垢離(仲夏)──富士行・富士小屋。 ※開山前の陰暦五月末の浄めの行。 富士の雪解(仲夏)──雪解富士・富士雪解。 五月富士(仲夏)──皐月富士。 夏富士(仲夏)──夏の富士・青富士。 富士詣(晩夏)──富士山開(陰暦六月一日)・富士道者・富士行者・富士禅定・山上詣・山上・富士講・浅間(せんげん)講・篠小屋・お頂上。 赤富士(晩夏)──※裏富士からの景。北斎の版画からの名。 御山洗(初夏める雨。 富士の初雪(仲秋)※平年の初雪は九月六日頃。 富士の笠雲(三冬)※「冬の雲」の副題として記載あり。 その他 富士薊(仲秋)──富士牛蒡・須走(すばり)牛蒡は富士周辺に多い山牛蒡。根は食用。富士桜(晩春)は桜の副題・富士山椒魚(三夏)は山椒魚の副題。  新幹線が新横浜駅を通過する頃、おもむろに缶ビールの封を切って富士山の季語に思いを巡らすのも一興かと……。
















 



  

盤水俳句・今月の一句

伊藤伊那男

 

ポケットに折りたたむ傘三鬼の忌        皆川 盤水


 西東三鬼の忌日は四月一日、万愚節と同日というのがいかにも三鬼らしいところだ。昭和三十六年秋、現代俳句協会が分裂して俳人協会が設立され、「風」も直撃を受けて混乱した。その直後三鬼は癌を発症して入院。没後に第二回俳人協会賞を受賞している。そのことからも三鬼が協会設立の仕掛け人の一人であったことが想像できる。先生も三鬼も「ボルガ」のなじみ客。折り畳み傘で解るようにこの句はそれから二十数年後の作。 (昭和五十九年作『寒靄』所収)
                                    







 


  

彗星集作品抄
  伊藤伊那男・選

ひとつづつ春呼ぶ色を金平糖           小泉 良子
故郷の山河ありあり初電話            半田けい子
とげぬき地蔵へ婆容赦なき寒の水         多田 美記
寒ゆるむ手櫛のとほり良きことも         岡城ひとみ
仕事始まだ温まらぬビルの芯           多田 悦子
雪を卸し雪に埋るる住処かな           中山 桐里
寒椿花弁の十二単衣めく             金井 硯児
雪催言葉少なに日暮れけり            多田 美記
納屋の闇肥料袋と葱の束             田中  道
些事にまた追はるる日々や松も過ぎ        杉阪 大和
寒弾や津軽に生れ耳聡く             永井 むつ
観音の胎内拝す大旦               秋津  結
柝の音はまだ幕の奥初芝居            中野 智子
巻き癖の月日を正し初暦             上田   裕
銭湯の富士を見上ぐる初湯かな          川島秋葉男
聖夜劇開演までを風の音             荻野 佑子
水神の紙垂震はせて雪解川            今井   麦






         













    
     

彗星集 選評 伊藤伊那男

伊藤伊那男・選

ひとつづつ春呼ぶ色を金平糖        小泉 良子
 金平糖は不思議な菓子である。何故あのようなイガというかトゲができるのか解らない。歴史的には一五四六年にポルトガルから伝わったとのこと。鉄砲の伝来と同じ時期であるところが面白い。コンフェイトという名称にそのまま漢字を当てたものである。白・薄紅・黄色などどれも色が淡いところが私は好きである。句に「春呼ぶ色」とあるが、眼目はここである。この水彩絵具のような優しい色は「春」である。口遊んでみるといい。「夏呼ぶ色」「秋呼ぶ色」「冬呼ぶ色」……やはり春が動かないのである。また形状からいっても一度に幾つも口に含むものではなく、一粒ずつ口の中で転がすものであり「ひとつづつ」の上五の打出しも実感を持つのである。

  
故郷の山河ありあり初電話         半田けい子
新年の挨拶の電話をすると、声のやりとりだけなのに、故郷の風景が浮かんでくるものである。代が替っても係累の声を聞けば父母、祖父母の顔が浮かぶ。訛を聞けば友垣の顔も浮かぶ。山も川も風も雲も……。そのような思いを掻き立ててくれる句である。 

  
とげぬき地蔵へ婆容赦なき寒の水      多田 美記
 とげぬき地蔵は東京巣鴨の萬頂山高岩寺の愛称。本尊の地蔵尊は秘仏で、名の由来とは、御影を描いた紙を針を誤飲した毛利家の女中に水と共に飲ませたところ、針を吐き出して事無きを得たという言い伝えからである。さて誤解している人が多いが、境内で水を掛けるのは石造りの観音様である。お婆ちゃんの原宿と言われる寺なので「婆容赦なき」が生きている。また水を掛けるのは観音だが句の「とげぬき地蔵へ」は寺全体を指すので、このままでよい。「寒の水」が「容赦なき」と相俟って相乗効果を出している。

  
寒ゆるむ手櫛のとほり良きことも      岡城ひとみ
 手で髪を梳くことで気候の変化が解るものだという。寒のゆるみも解るのであろう。髪、そして指先と皮膚感覚を全面に出した珍しい句ということになろう。

  
仕事始まだ温まらぬビルの芯        多田 悦子
年末年始の一週間ほどを休業するとビル全体が冷え切ってしまう。暖房を入れてもそう簡単に暖まるものではない。壁の中は冷え切っているのである。句では「ビルの芯」と捉えたところが手柄。「芯から冷える」という言葉があるが、ビルをあたかも人間の身体に見立てた表現が成功したのである。 

  
雪を卸し雪に埋るる住処かな        中山 桐里
雪卸しはテレビの映像でしか知らないが、日本海側に降る雪は水分を多く含むので重労働であろう。卸した雪は当然家の周囲を塞ぐのでこれまた厄介な存在である。当り前のことを言っているのだが〈滝の上に水現れて落ちにけり〉と同様スローモーション的面白さを有しているのだ。
 
 
寒椿花弁の十二単衣めく          金井 硯児
 色彩の乏しい時期に凛然と咲く花に比喩を効かせた。

  
雪催言葉少なに日暮れけり         多田 美記
 雪の降りそうな日はまさにこんな感じである。

  
納屋の闇肥料袋と葱の束          田中  道
 春耕を待つ肥料と越冬の食料の葱の混在。

  
些事にまた追はるる日々や松も過ぎ     杉阪 大和
 このように新しい年が始まる。免れぬ世事。

  
寒弾や津軽に生れ耳聡く          永井 むつ
津軽三味線のおさらい。固有名詞が効果的である。 

  
観音の胎内拝す大旦            秋津  結
 元朝から観音様の懐に抱かれるとは。清々しい一句。

  
柝の音はまだ幕の奥初芝居         中野 智子
舞台に徐々に近づく柝の音。新春の気が漲る瞬間。

  
巻き癖の月日を正し初暦          上田   裕 
本当の富士山でなくても淑気を持つのである。 

  
銭湯の富士を見上ぐる初湯かな       川島秋葉男
本当の富士山でなくても淑気を持つのである。

  
聖夜劇開演までを風の音          荻野 佑子
 厚い暗幕を閉め、外気と遮断するまでのひととき。

  
水神の紙垂震はせて雪解川         今井  麦
雪解けの激しい流れが風を巻き起こす。臨場感が出た。














  
 











銀河集作品抄


伊藤伊那男・選
粉河寺
すがりたき千手の一手冬至寺      東京  飯田眞理子
湯豆腐や浮くもしづむもこの暮し    静岡  唐沢 静男
着ぶくれて津波の後の海を見に     群馬  柴山つぐ子
冬耕の人より影の老いて見ゆ      東京  杉阪 大和
筆始墨の雫を一画目          東京  武田 花果
なみなみと金屋子神へ寒の水      東京  武田 禪次
鉛筆の一本で描く枯木山        埼玉  多田 美記
老将が老兵と吊る社会鍋        東京  谷岡 健彦
おもひでの絲をたぐれば虎落笛     神奈川 谷口いづみ
自家味噌の滓も親しき根深汁      長野  萩原 空木
ラグビーの影も独走してをりぬ     パリ  堀切 克洋
花八手訪へばまた雨鎌倉宮       東京  松川 洋酔
寄鍋や妻のひと日の事を聞き      東京  三代川次郎
















         





綺羅星集作品抄

伊藤伊那男・選

義士会や本所松坂へも回り        東京  半田けい子
竹林も虎もたたまれゆく屏風       東京  今井  麦
音もなく屛風の大河畳まるる       東京  保田 貴子
戦争も鯨の肉も知らぬ世に        東京  朽木  直
成田屋の席巻したる羽子板市       東京  山下 美佐
風神が風を溜めおく屛風かな       埼玉  戸矢 一斗
夢にまで躓く齢霜夜かな         東京  中野 智子
近松忌悲恋にもある下心         大阪  中島 凌雲
姨捨の伝へある村雪蛍          東京  塚本 一夫
寒卵温みのままに割り落とす       東京  田家 正好
八十路なほ俳句を杖の井月忌       神奈川 原田さがみ
永平寺僧百人の障子貼          東京  小山 蓮子
餅焼く香子に子が生まれ子等遠し     青森  榊 せい子

おぼろめく記憶のやうな雪の降る     東京  相田 惠子
対岸より拝す露座仏大旦         埼玉  秋津  結
町内を隈なく見張る初鴉         神奈川 秋元 孝之
吾等みな東夷よかぶら蒸         東京  飛鳥  蘭
摺子木は家族の歴史年用意        宮城  有賀 稲香
船縁の奇跡を手繰る鮪釣         東京  有澤 志峯
水平を見せて煮凝る鰈かな        神奈川 有賀  理
吹越や赤城の山の動くらむ        東京  飯田 子貢
産土に知己は残らず初天神        埼玉  池田 桐人
伸し餅を座敷に並べ小さく寝る      東京  市川 蘆舟
落葉焚く成らぬ大志を焼べ足して     埼玉  伊藤 庄平
箴言とヌードを並べ暦売         東京  伊藤 政三
ことのほか白息ゆたか朝市女       神奈川 伊東  岬
ぼろ市や四股名の残る大つづら      埼玉  今村 昌史
はためかぬまま成人の日の国旗      東京  上田  裕
門前は門にもどりて鳥総松        東京  宇志やまと
共に生き幾星霜を寒椿          埼玉  梅沢 フミ
弓始一矢に光つがへけり         埼玉  大澤 静子
仰ぎゐし背を支へられ煤払        東京  大住 光汪
のつぺ汁賢に通ずる愚もありて      東京  大沼まり子
笑みをれば吉はおのづと宝船       神奈川 大野 里詩
寒天干す伊那の七谷七つ風        埼玉  大野田井蛙
京近し時雨雲とはこのことか       東京  大溝 妙子
一口に温もる臓腑七日粥         東京  大山かげもと
身の程の初夢であり叶ひさう       東京  岡城ひとみ
除夜の鐘余韻ずしりと八十路かな     東京  小川 夏葉
一山のすべてを鎮め熊眠る        宮城  小田島 渚
望郷や妻の雑煮に慣れてなほ       埼玉  小野寺清人
あの和歌を諳じてみる実朝忌       神奈川 鏡山千恵子
日脚伸ぶ歩数の伸びも日脚ほど      和歌山 笠原 祐子
大小の船の眠りに初日さす        東京  梶山かおり
まなぶたの裏の乾きて虎落笛       愛媛  片山 一行
市場移転以後の消息嫁が君        東京  桂  信子
地鳴めく雪折の音五能線         静岡  金井 硯児
縄飛の地の鼓動めく響きかな       東京  我部 敬子
大釜の七種囃す国分寺          高知  神村むつ代
丑年の妻と歩める恵方かな        東京  川島秋葉男
寒鴉群れの一羽の僧形に         長野  北澤 一伯
蓋開けて雑煮の湯気の高さかな      東京  絹田  綾
冬暖か大師の母を訪ひし道        東京  柊原 洋征
数へ日はいまだ指折り得心す       神奈川 久坂衣里子
悴みて小銭手間取る朝の市        東京  畔柳 海村
にほどりの浮いて横顔ばかりかな     東京  小泉 良子
しぐるるや半円湿る摩尼車        神奈川 こしだまほ
恙無きを祈る賀状の来ぬ友に       東京  小林 雅子
枯園や見えるもの皆尖りをり       東京  小林 美樹
我が顔に声掛けてをり初鏡        神奈川 小林 好子
白息は愛告ぐるため憎むため       長崎  坂口 晴子
だれか泣きだれか目を閉ぢ初写真     長野  坂下  昭
神棚の達磨の睨み春を待つ        群馬  佐藤 栄子
あの顔のなくて家族の初写真       長野  三溝 恵子
一刀に縮れ咲きたる削花         東京  島  織布
施設よりここにゐますと年賀状      東京  島谷 高水
頭すぐ上ぐる夫かな初詣         兵庫  清水佳壽美
初富士や我は甲斐人手を合はす      埼玉  志村  昌
湯気越しの顔も雑煮の景色かな      千葉  白井 飛露
白蓮と花子の母校聖樹立つ        東京  白濱 武子
煤逃げも知らず良き妻五十年       東京  新谷 房子
日脚伸ぶまだ土だけの植木鉢       大阪  末永理恵子
仕舞湯に少し湯を足す雪の夜       静岡  杉本アツ子
人日の掌にある運を見る         東京  鈴木 淳子
火事あとの間取りに見ゆるたつきかな   東京  鈴木てる緒
元旦の湯舟に入りて祈りけり       群馬  鈴木踏青子
眠るもの眠らせ淀む冬の川        東京  角 佐穂子
髭失せし張子の虎も煤払         東京  瀬戸 紀恵
とほくなる夫のふるさと鰤起し      神奈川 曽谷 晴子
膝逃ぐる日ざし追ひつつ枯野ゆく     長野  髙橋 初風
着ぶくれてこの世を嘆くこと多し     東京  高橋 透水
大門を抜ければ高野町暮雪        東京  武井まゆみ
息かけて拭ふ手鏡雪もよひ        東京  竹内 洋平
結界の注連のゆるびや滝涸るる      東京  多田 悦子
母の声ただ嬉しくて初笑         東京  立崎ひかり
追羽子や音の響きが勝ち負けを      東京  田中 敬子
神宮に寒禽の声神のこゑ         東京  田中  道
それぞれの歩幅が急ぐ師走かな      東京  辻  隆夫 
短日の退社間際の空返事         東京  辻本 芙紗
つつかけで煤逃と云ふほどでなし     東京  辻本 理恵
退院の間に合ふ柚子湯格別なり      愛知  津田  卓
八重波は尽きぬゆりかご浮寝鳥      東京  坪井 研治
双六や我が身に幾度回り道        千葉  長井  哲
寒餅を浸す水瓶護符あまた        神奈川 中野 堯司
寒波来る西郷さんの薄着にも       東京  中村 孝哲
盆紅葉盆の中へと散りにけり       茨城  中村 湖童
放られてひと弾みしぬ河豚の腹      埼玉  中村 宗男
母一人細く短く雪を搔く         千葉  中山 桐里
積もるほどとはならぬ大阪の雪      大阪  西田 鏡子
無造作のやうに飾れる野老かな      東京  西原  舞
国境の街の官舎の春暖炉         東京  沼田 有希
門松の(きつさき)富士に揃へけり        埼玉  萩原 陽里
鴨の陣先争はぬ宇治の里         東京  橋野 幸彦
雪蛍ちかづきすぎて見失ふ        広島  長谷川明子
このあたり下町といふ切山椒       東京  長谷川千何子
逢坂の関路に硬き冬木の芽        兵庫  播广 義春
獅子舞の口から飴をくれしこと      東京  福永 新祇
獅子舞の口より見ゆる眼鏡かな      東京  福原  紅
星の数次第に殖ゆる湯ざめかな      東京  星野 淑子
背負はれて肩に小判や初戎        神奈川 堀  備中
万物の皆影を生み初明り         東京  堀内 清瀬
引つ張られ蛸乾びをり島小春       岐阜  堀江 美州
書初や名前書く間の見つからず      埼玉  夲庄 康代
逃水を追ひかくるごと老ゆるかな     東京  松浦 宗克
富士塚を登りきつたる淑気かな      東京  松代 展枝
裸木の太き走り根比叡越え        京都  三井 康有
初夢の黄泉の日帰り旅行かな       東京  宮内 孝子
人の日の目玉こはれし目玉焼       神奈川 宮本起代子
夜寒さの定期航路の汽笛かな       東京  村上 文惠
着膨れて何も変はらぬ日を過ごす     東京  村田 郁子
初午や北鎌倉にいなりずし        東京  村田 重子
この湾は噴火の跡や鯨来る        東京  森 羽久衣
みちのくの山湯はランプ雪催       千葉  森崎 森平
陽だまりの微かな匂冬帽子        埼玉  森濱 直之
重箱は四角四面に松の内         長野  守屋  明
三年を余生と定め日記買ふ        愛知  山口 輝久
終着の駅の電飾冬銀河          群馬  山崎ちづ子
獅子舞に嚙まれて福をわかちあふ     東京  山田  茜
鈍行の尻のぽかぽか探梅行        群馬  山田  礁
ランプの宿雪の匂の隙間風        東京  山元 正規
和服着て自粛の年を迎へけり       愛媛  脇  行雲
世話をやいてくれさうな子と日向ぼこ   東京  渡辺 花穂
百歳は生きる気がする日向ぼこ      埼玉  渡辺 志水



















     







銀河集・綺羅星今月の秀句

伊藤伊那男

すがりたき千手の一手冬至寺        飯田眞理子
「千手の一手」という使い方は珍しいことではないかもしれないが「冬至寺」の季語の斡旋が秀逸である。太陽の高度は一年中で最も低く、昼が最も短く、古代人を不安にさせた日であり、神仏に縋りたくなる一日だからこその措辞である。加えて科学万能の世とはいえ梃摺っているコロナ禍の昨今の世相もさりげなく詠み込まれているのだろうと思うと、味わいは一入である。 


義士会や本所松坂へも回り         半田けい子
「義士会」は十二月十四日赤穂浪士討入の日である。句は討たれた吉良上野介の住んでいた本所にも供養に廻ったという。芝居で義士になったため割を喰ったのが吉良氏である。吉良氏からみたら供応指導を逆恨みされていきなり切り付けられたのであるから迷惑はなはだしい話である。しかも討入で首を取られた上、家は断絶、跡取りは諏訪に流されて早世しているので、まさに泣きっ面に蜂である。吉良への供養が入ったことで句を温かにしている。同時出句の〈香煙のもつれを解かず義士まつり〉も秀逸。


竹林も虎もたたまれゆく屛風        今井  麦
音もなく屛風の大河畳まるる        保田 貴子
 屛風の絵の句を二つ。今井句は「竹林も虎も」の措辞がうまい。八方睨みの虎が竹林ごと畳まれていく、と見事な詠みぶりだ。保田句は屛風の全幅を貫く大河が畳まれるのだが「音もなく」の措辞が見事。絵の中の河なので当然音はしないのだが、「音もなく」と言ったことで、逆に屛風の絵に音があったような現実感が湧いてくるのである。


戦争も鯨の肉も知らぬ世に         朽木  直
 子供の頃は学校給食に鯨肉が出て食傷気味の人もいたと思うが、捕鯨禁止の今はなかなか手に入らないし高価である。また戦争も七十五年間、日本は経験していない。全く別の事象と物を並列に置いているが、団塊の世代の私から見るとこの間の歴史が必要にして十分に胸に落ちるのである。同時出句の〈行き着いて大根畑の杜国の碑〉は所払いに遭い、伊良湖岬に蟄居した杜国を訪ねた芭蕉と同じ呼吸に居るようだ。〈茅葺きのつひの一軒藁盒子(わらごうし)〉は私も訪ねたが東吉野の嘱目。藁盒子は門松に添えて供物を入れる正月の飾り物で、もはや実見することが難しいものだ。「茅」「藁」の組み合わせも味わいである。 


成田屋の席巻したる羽子板市        山下 美佐
 成田屋といえば歌舞伎界の名門市川家。成田山に祈願して子孫が生まれたことから緊密な縁を持つ。句は浅草の羽子板市で團十郎の絵柄が圧倒的な人気であったというのである。「席巻したる」の表現が斬新であった。


風神が風を溜めおく屛風かな        戸矢 一斗
風神雷神の描かれた屛風である。ところが屛風には風を遮る効果もあるわけで、当然ながら屛風から風を発することはない。そういう頓智を効かせているのである。同時出句の〈屛風絵の墨一色の雪の鶴〉もなかなかに機知の効いた句である。雪の中の鶴というほぼ白一色の世界を描いた屛風絵なのだが、描いているのは「墨一色」。黒い墨が白い世界を描出するという逆説である。 


夢にまで躓く齢霜夜かな          中野 智子
 「夢にまで躓く齢」――これだけでも見事な措辞。俳句の年輪を重ねた人でないと出てこない言葉だ。それに取り合わせた「霜夜」がまたいい。まだ霜が成立する前の状態なので躓く程でこぼこがあるわけではない。それにしても「躓く」というところが感性の良さであろう。静謐な老境。


近松忌悲恋にもある下心          中島 凌雲
恋愛というものの不可思議を描いたのが近松門左衛門。人間の営みであるから純粋なだけではない。愛もあれば同じだけ憎もあり、富と貧の相克もあり、嫉妬や裏切りもある。「悲恋にもある下心」は核心を突いているようだ。 


姨捨の伝へある村雪蛍           塚本 一夫 
長野県の冠着山は別名姨捨山。古来棄老伝説がある。深沢七郎の小説『楢山節考』も姨捨がテーマだが、舞台は甲州の雰囲気があり、過去にはあちこちにこのような話が残っていたのであろう。この句は「雪蛍」に人々の姿が重なり、また魂の浮遊にも連想が及ぶ仕掛けである。 


寒卵温みのままに割り落とす        田家 正好
子供の頃鶏を飼っていたので、この雰囲気はよく解る。生みたての卵を取り上げて、納豆に入れたりしたものだ。この句のせいであろうか、まだ温かかったような気がしてきた。今よりも何倍も何十倍も卵が貴重な時代であった。 


 その他印象深かった句を次に

八十路なほ俳句を杖の井月忌        原田さがみ
永平寺僧百人の障子貼           小山 蓮子
餅焼く香子に子が生まれ子等遠し      榊 せい子



 














                






 

星雲集作品抄
伊藤伊那男・選

秀逸
寒菊の緩びを見せぬ佇まひ       群馬  佐藤かずえ
冬ごもり熊胆(くまのい)備ふ薬箱         東京  中村 藍人
大寺の法話の種や隙間風        宮城  齊藤 克之
独楽の紐じつくりと巻き闘ふ目     広島  塩田佐喜子
餅の焦げまでもめでたき雑煮かな    東京  北原美枝子
日本橋河岸の風切る初荷旗       神奈川 白井八十八
保証書の付きし神棚年の市       神奈川 大田 勝行
幾許の憂ひ扨措き松の内        長野  池内とほる
早梅や枯山水の波を聴く        東京  須﨑 武雄
生きすぎをまづ言ふ百寿初電話     東京  大島雪花菜
敷松葉土のくぼみを正したる      神奈川 田嶋 壺中
躾糸ほつほつ切るも年用意       東京  矢野 安美
雛飾る暫し仏間を間借りして      東京  倉橋  茂
番台の座布団紅き初湯かな       東京  生田  武
少しだけ色を忘れて帰り花       埼玉  内藤  明

屋根の雪三尺ありと電話口       福島  髙橋 双葉
雪原を電車一輛玩具めく        千葉  園部あづき
黄泉の世へ届けてみたき賀状増ゆ    群馬  山﨑 伸次
忙しなき終大師の立ち話        京都  仁井田麻利子
亡き父の未踏の歳の日記買ふ      岐阜  鈴木 春水













星雲集作品抄

            伊藤伊那男・選


湯豆腐や官舎住まひの夫待つ灯     京都  秋保 櫻子
嫁ぎ来て知る白味噌の雑煮かな     東京  朝戸 る津
初孫の誕生に舞ふ春の蝶        東京  浅見 雅江
色褪せし父の家訓を読初に       東京  尼崎 沙羅
お年賀に来島産の鯛届く        愛媛  安藤 向山
滝涸れて屹立の崖さらけ出す      東京  井川  敏
小六月父を葬りて立ち去る日      東京  石倉 俊紀
地に転び天へ蹴りたるラガーかな    東京  伊藤 真紀
雪道に残るは吾の靴の跡        愛媛  岩本 青山
寂光院水仙の香に出会ひけり      東京  上村健太郎
白梅や水琴窟の音響く         愛媛  内田 釣月
夕暮や氷柱となりし鎖樋        長野  浦野 洋一
訪ねくる人無きまゝにちやんちやんこ  埼玉  大木 邦絵
女正月継がれし生家十五代       東京  岡田 久男
初春の浅間山見る涙もて        群馬  岡村妃呂子
文豪の現れ出たりお年玉        東京  荻野ゆ佑子
光なき海や能登路の寒の入       神奈川 小坂 誠子
一病を肺に遊ばせ歳暮るる       埼玉  小野 岩雄
熱燗や美国の夢の蘇り         静岡  小野 無道
割箸がすぐ綿飴に酉の市        宮城  小野寺一砂
初暦予定白紙の今年かな        東京  桂  説子
繫がれし細江の田舟雪催        埼玉  加藤 且之
乳を吸ふ吾子の瞳や淑気満つ      東京  釜萢 達夫
没落の郷の火鉢に火を入れむ      長野  唐沢 冬朱
神の火と神の水もて炊く雑煮      千葉  川島  紬
賜りし護符くすぶりぬどんどの火    神奈川 河村  啓
田の土に鷹の翼の触るるほど      愛知  北浦 正弘
隧道を抜けて淑気の極楽寺       神奈川 北爪 鳥閑
円周が開かれ四角鏡餅         東京  久保園和美
雪深き平家名残の湯西川        群馬  黒岩伊知朗
父の居ぬ茶の間の広き初暦       群馬  黒岩 清子
熊笹の湯かけの舞や初神楽       三重  黒岩 宏行
思惟千年菩薩の笑みの初明り      東京  黒田イツ子
冴ゆる夜や富士を見むとて目を凝らす  神奈川 小池 天牛  
結局は丸め込まれて煮凝に       東京  髙坂小太郎
着ぶくれて知る過ぎたるは及ばざる   東京  小寺 一凡
初雪や瞬きの間の淡き影        千葉  小森みゆき
能登の沖胸に響ける鰤起し       神奈川 阪井 忠太
潜りたる刃のごとき氷柱かな      長野  桜井美津江
寒稽古竹刀の響き空に消ゆ       東京  佐々木終吉
待春の短めに髪切つてみる       群馬  佐藤さゆり
墓参にはあまりに蒼き冬の空      東京   島谷  操
宿題に覚えし恋の歌かるた       東京  清水 史恵
右上に上がる癖なほ筆始        東京  清水美保子
寒稽古少し高めの気合から       愛知  住山 春人
寒椿その紅のままに落つ        埼玉  園部 恵夏
大くさめ空気凍てつくバスの中     東京  田岡美也子
靴音の固き響きや冬銀河        東京  髙城 愉楽
去年今年変はらぬ鍵の置きどころ    埼玉  武井 康弘
祈りてふ文字のひと言初日記      東京  竹花美代惠
天窓に四角に切れし冬の空       東京  田中 真美
教会の屋根の十字架初鴉        神奈川 多丸 朝子
子の声に外つ国の音初電話       愛知  塚田 寛子
賑やかな家族懐かし雑煮かな      東京  手嶋 惠子
人訪はぬ一人暮しの春着かな      広島  藤堂 暢子
行く年の画鋲を挿せば先折るる     岩手  永井 むつ
夕日差す鉄橋に舞ふ百合鷗       神奈川 長濱 泰子
やはらかな陽射し纏ひて松の内     長野  中山  中
郷恋し葱を巻きたる新聞紙       東京  永山 憂仔
一人居や十二回目のお元日       東京  西  照雄
電線を五線紙に替へ冬の月       宮城  西岡 博子
虎落笛夜半の孤高は増すばかり     静岡  橋本 光子
裾広げ三代こぞる炬燵かな       東京  橋本  泰
皹の指に追討ち薔薇の棘        神奈川 花上 佐都
パイ生地のやうに凍てをり川涸るる   長野  馬場みち子
あるだけの刃物を研ぎて年用意     千葉  針田 達行
眠る子を起こさぬやうに初詣      長野  樋本 霧帆
絵屛風に稽古の背筋正したる      神奈川 日山 典子
雪催近景はみなくつきりと       千葉  平山 凛語
橋の裏映す川面に冬の鳥        千葉  深澤 淡悠
淋しさに枯野の列車笛鳴らす      埼玉  深津  博
着ぶくれて三人掛けに二人かな     長野  藤井 法子
田遊びの触れ太鼓鳴る闇の中      東京  牧野 睦子
神門の透き間を駆くる福男       神奈川 松尾 守人
観覧車まはる間の日向ぼこ       神奈川 松崎 雅則
年用意もつるる足をふんばりて     愛知  松下美代子
弾初や稽古不足の忍駒         東京  水野 正章
大掃除写真で閊へ年暮るる       奈良  三村  一
神田川銭湯出でて息白し        東京  棟田 楽人
寝正月薄目で眺む窓の富士       東京  八木 八龍
しんとして外は雪降る夜もすがら    東京  家治 祥夫
思ひ出す恩師の綽名漱石忌       神奈川 山田 丹晴
馬眠り馬柵に響く虎落笛        静岡  山室 樹一
遠吠えの響き渡るや寒の入       群馬  横沢 宇内
御開扉や薬師の淑気堂に満つ      神奈川 横地 三旦
初電話声のみ大き同級生        神奈川 横山 渓泉
朝風呂に集ふ仲間と笑初        千葉  吉田 正克
礼拝堂は額縁となる冬の虹       山形  我妻 一男
三つ指の紬畏き淑気かな        神奈川 渡邊 憲二
子等来ると聞けば機嫌の年用意     東京  渡辺 誠子






















星雲集 今月の秀句

伊藤伊那男

寒菊の緩びを見せぬ佇まひ         佐藤かずえ
菊を詠んだ詩人陶淵明は西暦四百年前後の人。「菊を採る東籬の下悠然として南山を見る」で知られている。万葉集には菊を詠んだ歌の記載は無く、奈良時代にはまだ日本には入っていない。日本に入ったのは平安時代の前期のようであるが、それでも千年以上の栽培の歴史があり、その技術は遥かに勝れている。それだけ日本人好みの花である。秋の「菊」ばかりではなく、「菊挿す」「菊根分」「菊の苗」「夏の菊」「菊枕」「菊膾」「枯菊」と四季に渡って花ばかりではなく生活に係わる季語まであるのは珍しい。さて「寒菊」はどのように詠めばいいかと言えば、まさにこの句の詠み方が相応しい。水原秋櫻子に〈冬菊のまとふはおのがひかりのみ〉があるが、同様の孤高の姿を的確に捉えている。同時出句の〈軒氷柱そろはぬ雫こぼしをり〉も観察の効いた佳句であった。 


冬ごもり熊胆(くまのい)備ふ薬箱           中村 藍人
熊を仕留めると真先に取り出すのが熊胆(くまのい)である。腹痛、気付、強壮剤として貴重とされた。これがあれば冬籠は万全という雰囲気の出た秀句。同時出句の〈のつぺ汁吹きつつ啜る国訛〉も国訛の斡旋がいい。島根から新潟辺りまでの日本海側の郷土食の様子が彷彿とする句である。 


大寺の法話の種や隙間風          齊藤 克之
 隙間風まで法話の種にしてしまうというところに頓知の効いた住職の姿や、やや廃れた寺域の様子などが目に浮かんでくる。現代の生活の中ではこうした所にしか隙間風は存在しないかもしれない。


独楽の紐じつくりと巻き闘ふ目       塩田佐喜子
子供の頃、町内には絶対王者のように独楽廻しの強い子供がいたものだ。技術だけでなく気迫が違う。「闘ふ目」があったのだ。同時出句の〈記念日をたがひに忘れ薯雑炊〉は薯雑炊の季語の配合でほのぼのとした句になった。 


早梅や枯山水の波を聴く          須﨑 武雄
枯山水の箒目の砂に波音がある、とは面白い観点だ。禅問答を連想させるような設定だからこその機知である。季語の早梅も一役買っていて、まだ冷たい風音が波音のようにも通ってくるのである。 


生きすぎをまづ言ふ百寿初電話       大島雪花菜
人生百年時代というのは本当に凄い事である。句では「生きすぎた」と言ったとあるが、言えるということは脳味噌もしっかりしている証である。私の祖父は九十歳、父も九十歳まで生きた。もしかしたらそれ位までは生きるDNAを持っているのかな、と漠然と思うのだが‥‥。句は新年の挨拶よりも前に「まづ言ふ」と持ってきたところがいい。 


雛飾る暫し仏間を間借りして        倉橋  茂
「仏間を間借りして」が面白いところで、現代の住宅事情などがよく解る。私など初めて買った集合住宅は四十七㎡だったので、雛壇などはとても無理で、ケース入りの小さなものにした。置場所に困るけれど、三月三日までの少しの間だから‥‥という感じがよく出ているのである。



番台の座布団紅き初湯かな         生田  武
 ここ十年位は銭湯に行った記憶が無い。学生時代の二年位は銭湯通いをしたものだが、どうしてあんなに湯を熱くするのだろうか、と毎回あきれた思い出がある。その熱さが、この句の「座布団紅き」に通じるような感じで印象的であった。銭湯の大きな建物から焦点を絞って番台の座布団の紅まで辿り着くという面白い構成の句である。同時出句の〈妻作る出羽の雑煮の持ち重り〉も「出羽」の地名に実感があり、大きな具材が沢山入っている豊かな一椀が想像されるのである。


少しだけ色を忘れて帰り花         内藤  明
 帰り花を詠んで類型の無い句だと思う。「少しだけ色を忘れて」と言われると、季節が違うのできっとそうなのだろうな‥‥と思ってしまう、妙な説得力を持つ句である。


去年今年変はらぬ鍵の置きどころ      武井 康弘
「去年今年変はらぬ」まで読むと、次に作者の人生観などが出てくるのかな、と思うのだが、その期待を裏切って「鍵の置きどころ」と瑣末な日常の出来事に落ち着くところに滑稽感が漂う。この転換が俳句という文芸の特徴の一つでもある。

その他印象深かった句を次に

 

屋根の雪三尺ありと電話口         髙橋 双葉
雪原を電車一輛玩具めく          園部あづき
黄泉の世へ届けてみたき賀状増ゆ      山﨑 伸次
忙しなき終大師の立ち話          仁井田麻利子
亡き父の未踏の歳の日記買ふ        鈴木 春水


















伊那男俳句


伊那男俳句 自句自解(63)
 
形代の揉み合うてゐる淀かな

 いくつかの神社で形代流しを見ているが一番印象深いのは出羽三山の湯殿山である。私はかれこれ七、八回は訪ねているはずだ。裸足になり入り口で人形(ひとがた)の紙を受け、息を吹きかけたり、身体をさすり、足元の小流れに流す。神域での通路の両側は荒積みの石垣になっていて最初に行った頃は、そこから蛇が顔を覗かせていて仰天したものだった。その奥にご神体があるのだが、その様子は今も語ってはならないことになっている。さて形代とは、本物に擬せられたもの、つまり身代りである。身体を撫でたり息をかけて我が身の災いを移して川に流し去るみそぎの儀式である。昔は急流に流し去ったにであろうが、今は環境保全ということもあり、穏やかな淀みに流す。形代同士が重なったり絡み合ったり、浮くもの、沈むものがあったりする。何やら生きている人間の世界とそれほど変らないようにも思われてくる。「揉み合うて」にそんな縮図を詠み込んでみたものである。

町中が爪先立ちに阿波踊

 本場の阿波踊はまだ見ていない。というか徳島県は四十七都道府県でまだ訪ねていない幾つかの一つである。俳句を始めるまでは祭というものにほとんど興味を持っていなかった。いやむしろ雑踏が煩しいと思い、近づかないことにしていたのである。ところが俳句を始めると祭の度に仲間から吟行の誘いを受けるし、次第に日本人の精神支柱の根幹にあることも解ってきて、機会を得れば訪ねることとなった。さて中央線の高円寺で阿波踊が催行されている。それなりの歴史を持ち地元の踊連がいくつもあり、技術も高いようだ。この句は麻里伊さんの「や」の会の吟行に招かれた折のことであったか。かつかつと下駄の音と共に連が現われ、通り過ぎると次の連の下駄の音が近づく。下駄音は爪先で鳴らすようだ。踊手も観客も皆が「爪先立」っていると祭の雰囲気を纏めてみたのが句の眼目である。作句年は違う〈阿波踊腰の印籠地を擦れり〉がある。これは火男風の男踊。









     


 



俳人協会四賞・受賞式





更新で5秒後、再度スライドします。全14枚。







リンクします。



haishi etc
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銀漢の絵はがき


挿絵が絵葉書になりました。
Aシリーズ 8枚組・Bシリーズ8枚組
8枚一組 1,000円

ごあいさつにご利用下さい。





      

        







掲示板


















               
 
     

「銀漢」季語別俳句集




拡大します。
銀漢季語別俳句集
待望の『季語別俳句集』が3月に刊行されました。



2021/3/25   更新











主宰日録  

  
1月

1月20日(水)
 このところ協会賞候補句集を精読。角川「俳句」合評鼎談の準備も。

1月21日(木) 
快晴。4日ほど家居にて、久々、散歩。喜多見方面。「信濃屋」で買い物し、農家に。これも久々。

1月22日(金)
 今日も快晴にて散歩。2時間ほど。伊那谷の従兄弟より、漬物、餅などが届く。懐かしい味。

1月23日(土)
 15時より俳人協会。「第60回俳人協会賞」選考会。小澤實委員長、鈴木貞雄、鈴木しげを。西村和子さんと私。2時間ほどの討議の結果、野中亮介句集『つむぎうた』が群を抜いているという結論となる。人の俳句人生を左右する仕事にて、随分、読み返したし、しみじみ疲れる。2年前にこの試練を経て選ばれたのだな、と感慨を新たにする。雨、夜はいいワインが入ったというので、先日、散歩中に、ハム工房で手に入れたソーセージ燻製など。

1月24日(日)
 快晴にて、散歩。協会賞選考経過について、「俳句文学館」への報告記事、忘れないうちにと書き始めるが難行。夜、近所の家で一緒に食事することになり、数品目調理する。私だけ、22時過ぎには帰宅。

1月25日(月)

 午後から角川「俳句」合評鼎談にて下調べ。午後、2時間半ほど鼎談。今回はリモート。協会賞記事、なかなか書けず。ヘアメイクの中川さん来宅し、髪短めに切ってもらう。

 1月28日(木)
 快晴にて散歩。今日はリュックで出て、色々と買う。蝋梅、梅、水仙……春は間近。孫たちの希望で、ティーカッププードルを飼うこととなる。名前はバニラ。以前、私の家にいたヨークシャテリアと同じ名前を付ける。生後半年。1,5キログラムくらいか。家の中を動くだけで散歩はいらない犬種とか。

 1月31日(日)
 午前中で、「銀漢」3月号の選句、執筆など、全部終了。月内で仕上がりほっとする。コンビニでコピー取った後、喫茶店で寛ぐ。午後、俳人協会賞の選考経過(「俳句文学館」用)の記事がどうしても納得できず、書き直し、3回目。「俳句αあるふぁ」へ去年の秀句の原稿送る。これで手持ちの仕事全部終了。

2月

2月1日(月)
 執筆一段落したので、午後からこっそり浅草へ。「神谷バー」「捕鯨船」「浅草サンボア」など巡る。かつて目撃したことのない閑散たる浅草。

 2月2日(火)
 昨夜、零時前に、節分であることに気付き、大豆を捜すがなく、小豆を少々、庭に蒔き、鬼やらいとす。バニラ来て5日目くらいか。おとなしく、人生(?)が無駄になるのではないかと心配になるほどよく寝ている。買い物に出て、鰯が安かったので、酢〆、生姜煮など。あと、鮭、かじき鮪を酒粕漬(奈良漬の粕を残しておいて漬ける。私の定番)。

2月6日(土)
 昨日、今日と天気良好。散歩や買い物。海鼠、鮟肝、ステーキ用肉など。銀漢4月号のエッセイその他書く。各句会の選句など。

 2月7日(日)
 昨日、午後、今日午前中で、「銀漢」3月号の校正終える。昼、思いついてバスにて世田谷の松陰神社へ。以前から気になっていたが、初めて尋ねる。途中、商店街がよく、練り梅、新じゃがなどを買う。楽しい散歩。夜、新じゃが、厚切ベーコン、ウインナソーセージのコンソメスープ煮。

 2月8日(月)
 新宿にて武田編集長と待ち合わせ。校正原稿、郵便局振込票、会計簿など手渡し。あと「ブックオフ」に寄り、歴史物の新書版、5冊ほど購入(息抜き用読み物)。

2月9日(火)
 杏の長男、瑛斗君、東京都立武蔵高等学校附属中学校に合格と。昨日から莉子の友人4人泊まり込み。確定申告書類を会計士に送る。夜、発行所にて超結社句会「火の会」8人。

 2月10日(水)
朝、清人さん、気仙沼の友人の外洋船、沼津港に戻ったとて、鮪の半身(巨大)届けてくれる。「銀漢」4月号の選句進める。

2月11日(木)
 家族の半分は日帰りで八ヶ岳山麓へスキー。天気良し。散歩。狛江まで歩き、駅の喫茶店で読書など。野菜、肉など買って帰り、ビーフシチューを作っておく。角川「俳句」(4月号)合評鼎談の校正。

 2月12日(金)
 「俳句αあるふぁ」の中島三紀編集長と会う約束あり、16時、「魚勝」。そこへ天為の天野編集長。あと大野田井蛙さんも合流。場所を移して「大金星」へ。ここで、高坂小太郎さん合流し、7月に開く展覧会のパンフレットに載せる俳句についての相談を受ける。

 2月13日(土)
 今日は、孫の瑛斗君の中学受験合格祝いをすることになり、買い物。メニューは、バーベキュー、生牡蠣1キログラム(気仙沼から取りよせ)、カラスミ、豚しゃぶザーサイ、温野菜(アスパラガス、スナップさや、カリフラワー)、エシャレットほか用意。16時から庭で。夜、地震あり。大きい!

2月14日(日)
 伊那北会で金山城跡巡りの計画あり、10時半、群馬県太田駅。が30分、遅参。ただし、大雨でとても山城を歩ける状態ではなく、予定を変更して、世良田の東照宮へ。ここは徳川家発祥の地と言われており、天海上人開基。以前から訪ねたかったので、感激。横なぐりの雨で身体が冷える。時間は余るほどあり、伊勢崎で飲もうかと思ったが、雨がすごいし、駅前には飲食店見当たらず、高崎へ。駅前ビルのレストラン街で2時から飲む。ただし、体調不良であまり元気なく、2軒目は寝てしまう。18時半位の、湘南新宿ラインに乗る。

2月18日(木)
 慶應茶道会時代の同期、佐藤さん、誤嚥性肺炎で逝去と。こういう年代になってきたのである。ここ数日、「銀漢」誌の選句に集中。午後、散歩。あちこち梅満開。ステーキ肉など買って戻る。

2月19日(金)
 快晴にて散歩。同じ町内に世田谷区管理の「猪股庭園」あり、初めて入る。吉田五十八設計の日本家屋。見事! 庭は雪吊が美しく。紅白梅が満開。目白の群れが来ている。あと、狛江方面を歩き、蕗の薹、小蕪など買う。

 2月20日(土)
 夕方、散歩で二子玉川まで歩いて3軒ほど小酌。

2月22日(月)
 午後、角川「俳句」合評鼎談。リモートで2時間半ほど。他結社の方の句を批評するのは、つくづく疲れるものである。NHK学園生涯学習フェスティバル「夏の誌上俳句大会」の選者依頼あり、受諾。
                   
















         
    






今月の季節の写真/花の歳時記



2021/4/21撮影   藤  hachioj




花言葉   「優しさ」「歓迎」「決して離れない」「恋に酔う」
△藤

日本では古来から「藤を女性」に「松を男性」に例え、藤と松を、近くに植える習慣があったそうです。
藤の花姿は、振袖姿の艶やかな女性を連想させます。
藤が男性である松の木に巻き付く姿が、一度捕まえたら二度と離さない、恐ろしいほどの執念を連想し、受け止め方によっては怖さを感じると言われています。

カタクリ キブシ ハナズオウ 日向水木 花海棠
コバイモ エイザンスミレ 一人静 カタクリ 三椏の花
カンザン 丹頂草 熊谷草 ジューンベリー
         
 御衣黄 ウワミズザクラ  ネモフィラ  オオデマリ 葱坊主 



写真は4~5日間隔で掲載しています。 
2021/4/22   更新








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