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 6月号  2017年

伊藤伊那男作品   銀漢今月の目次 銀漢の俳句 盤水俳句・今月の一句  
  彗星集作品抄    彗星集選評  銀漢集・作品抄
  綺羅星集・作品抄  銀河集・綺羅星今月の秀句 星雲集・作品抄  
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 銀漢日録  今月の写真


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伊藤伊那男作品


主宰の八句

鳥曇        伊藤伊那男

天草(あまくさ)のその一粒の麦は芽に
春の野に放ちて子等の音符めく
くわんおんのまなざし永久に鳥曇
東京に流離のおもひ鳥曇
田鼠化して吹上御所に鳴く鶉
鶉とはなれぬ田鼠が深草(ふかくさ)
陽炎が動かしてゐる石舞台
利休忌の一門の膝揃ひけり





        
             


今月の目次








銀漢俳句会/6月号













   



銀漢の俳句 

伊藤伊那男 

◎俳句の前の平等――言霊がすべてに優先する――

「歌会始」のことはもちろん知っていたが、今年たまたまテレビの実況中継を見た。
皇居「松の間」に天皇陛下と皇族の方々が並び、選を得た一般応募者の歌から披講される。その朗詠のリズムを心地よく聞きながら、上智大学名誉教授・渡部昇一氏の次の名言が脳裏を過った。「西洋は法律の前の平等、日本は和歌の前の平等」という言葉である。
凡そ1,200年ほど前に成立した『万葉集』には、時の権力者だけでなく、防人・農民・遊女などの各階層の作者がおり、優れた歌を作れば天皇陛下と同じ舞台で称えられる。つまり「言霊」の前に平等な文化が日本民族の特徴であるというのだ。
歌会始」の始まりは鎌倉時代であろう、という。戦禍などで途切れた時期もあったが、その精神は連綿として続き、明治7年に一般の詠進が認められた。
前置きが長くなったが、俳句は和歌の一部が独立したものであり根幹の思想は変わらない。
句会は年齢・職業・貴賤・男女・句歴の差別はなく運営される。その出句者が自分の句以外から選句する。毎回なかなかのスリルを味わうのであるが、一口に言うとベテランほど辛いものである。熟練者の句に点が入らず初心者が点を集めることも多々ある。一番辛いのは主宰。無点のまま句会の後の選評をするなどというのは、思っただけでも胸騒ぎがする。
私の場合、主宰をする前であったが、結社の地方大会での選者に派遣され五句を出句して一点も入らないという経験があり、今も痛みを伴って思い出される。だが、これこそ俳句の前の平等である。「言霊」がすべてに優先するのである。だからこそ俳句は面白くて止められないのだ。毎回句会で味わう緊張感は新鮮である。締め切り一分前でも諦めないで挑戦する……などということは、中年以降にはなかなか経験できることではない。
高齢の友人が「遠くの親戚より近くの俳句仲間」と言う。句友は俳句を通じて、相手の心の動きまで察知している。句会を欠席すれば、何かあったかと心配して連絡をくれる。親戚より濃い絆があるから、という理由である。確かに俳句は一人で作って完結するものではない。詠み手は同時に読み手でもあり、座の評価を以て成立する。
近時、俳句がユネスコの無形文化遺産に登録される可能性が出てきているという。単に文芸形式だけでなく、日本に脈々と伝わる「言霊の前の平等」の精神を登録したいものだ。(「俳句文学館」平成29年3月号より転載)














 



  

盤水俳句・今月の一句

伊藤伊那男

武者幟大桑畑の伊達郡          皆川 盤水

 仙台伊達家は、源頼朝が奥州藤原家四代泰衡を討伐した奥州合戦で源氏方に加わり、武功を立て、この伊達郡を与えられて氏の名にしたのだという。その後四百年を生き抜いて仙台藩六十二万石に栄達していく。その伊達郡は先生の先祖の地でもある。この地では5月の節句には鯉幟よりも勇壮な武者幟が立てられるという。作句時期は日本の養蚕業が急速に衰退していく最中である。桑畑だけはまだ転用されずに葉を広げていたのであろう。
                     (昭和48年作『板谷』所収)
 







  

彗星集作品抄
伊藤伊那男・選

入ればすぐ訛る故郷の春炬燵        伊藤 庄平
紙石鹸てのひらに消え水の春        谷口いづみ
朝市やはたきのやうな若布買ふ       山田  礁
もぐりたる海女の数だけ桶うかぶ      秋津  結
野に萌ゆる音符となりし蕨摘む       永山 憂仔
仁丹の琺瑯看板鳥曇            中野 堯司
ランドセル閉ぢて開きて日の永し      中野 智子
鬨つくる勝鶏も尾羽打ち枯らす       谷岡 健彦
菜の花やふるさと遠き町に棲み       池田 桐人
桑解くや疾風にきしむ納屋の音       宇志やまと
畦焼の種火となりし野良着かな       有賀  理
またあしたてふ挨拶やあたたかし      武井まゆみ
彼岸寺塔婆の生木匂ひ立つ         夲庄 康代
逆上がり出来ないままに卒業す       多田 悦子
春日傘たためば残る日の匂ひ        秋元 孝之
ポケットに手沢の本や春の旅        高橋 透水
春手套買ふもなくすも銀座かな       松代 展枝
春塵を拭ふ遺影に母若し          小野 岩雄
レガッタの天日仰ぐ反り身かな       半田けい子
鳥帰る阿武隈の野に影おとし        上村健太郎










       








彗星集 選評 伊藤伊那男

 

入ればすぐ訛る故郷の春炬燵      伊藤 庄平
私の生まれた信州では、桜の花が咲く頃でもまだまだ寒く、炬燵を片付けることができなかったものだ。春休みに帰省しても厳然と残っていたものである。東京の言葉に少し馴れても、一旦故郷の炬燵に入れば、育った頃の言葉に戻る。そのような心を解す装置が「春炬燵」であるというところが、この句の眼目である。望郷の念を搔き立たせてくれた懐かしい句であった。

紙石鹸てのひらに消え水の春      谷口いづみ
私の子供の頃「紙石鹸」というものがあった。一回限りに使い切る薄い薄い石鹸で、子供向けの本の付録などにも付いていたような記憶がある。何だか高級なものに見えたりして嬉しいものであった。「水の春」の季語の斡旋にほのぼのとした思い出が甦る。

朝市やはたきのやうな若布買ふ     山田  礁
「はたきのやうな」には驚いてしまった。確かに塩蔵した若布は、はたきの穂のようでもある。朝市の戸板に並べられた若布をそのように見立てた比喩の面白さである。

もぐりたる海女の数だけ桶うかぶ    秋津  結
それはそうだ――と思いつつ、それだけでは済まない、「詩」があるように思われる。水面には桶しか浮かんでおらず海女の姿は無い。浮かんでくるまでの寸時の景である。このあと海女達が獲物を抱えて浮かび上がり、情景は一変するのだ。

野に萌ゆる音符となりし蕨摘む     永山  憂仔
まだ丸まったままの蕨は形状が音符のようでもある。丈も長短があり五線譜の音階のようにも見えてくる。これを「萌ゆる音符」と比喩に用いたのが手柄である。

仁丹の琺瑯看板鳥曇          中野 堯司
   
昔はそのような琺瑯製の看板を見掛けたものだ。蚊取線香のキンチョーやボンカレー、オロナミンC…。今も古い町などを歩くと、民家の板壁などに残っていたりする。仁丹の看板が一番品格があったようだ。微妙な違いで何種類かあり、希少価値のものもあるという。「鳥曇」の季語に、風景に紗がかかったような時代の推移を感じるのである。

ランドセル閉ぢて開きて日の永し    中野 智子
入学を待ちわびる幼児の様子が如実。季語の斡旋がいい。

鬨つくる勝鶏も尾羽打ち枯らす     谷岡 健彦
負鶏だけではなく、勝鶏も体力を消耗しているのだ。

菜の花やふるさと遠き町に棲み     池田 桐人
菜の花の切花を買ったのか、郷愁に浸るのである。
 
桑解くや疾風にきしむ納屋の音     宇志やまと
もう戻らない懐かしい風景だが「疾風にきしむ」に臨場感。

畦焼の種火となりし野良着かな     有賀  理
使い古した野良着を燃やして種火に。写実が効いている。

またあしたてふ挨拶やあたたかし    武井まゆみ
人の世の営みを優しい目で見ている句だ。

彼岸寺塔婆の生木匂ひ立つ       夲庄 康代
珍しい所に着目している。いつもと違う彼岸寺である。

逆上がり出来ないままに卒業す     多田 悦子
こんな子がいるのもまたいい。頑張れ!

春日傘たためば残る日の匂ひ      秋元 孝之
紫外線の一番強いのが春だという。畳んだ後の余情。

ポケットに手沢の本や春の旅      高橋 透水
何回も読み返した本なのであろう。また旅の友に…。

春手套買ふもなくすも銀座かな     松代 展枝
銀座で買って銀座で無くす。地名の面白い使い方。

春塵を拭ふ遺影に母若し        小野 岩雄
春塵を払って改めて見る母の写真。「若し」がいい。

レガッタの天日仰ぐ反り身かな     半田けい子
勝敗どちらかと言えば、負けた……。

鳥帰る阿武隈の野に影おとし      上村健太郎
近年の被災の歴史などを思うと阿武隈の地名が重い。

       









  


銀河集作品抄

伊藤伊那男・選

谷戸抜くる風の音聞く実朝忌     東京  飯田眞理子
野遊や源氏挙兵の山借りて      静岡  唐沢 静男
二タ家族やつて来る日の干布団    群馬  柴山つぐ子
白魚を掬ふ即ち目を掬ふ       東京  杉阪 大和
山笑ふあまたの塒揺さぶりて     東京  武田 花果
囀や共鳴箱のごとき杜        東京  武田 禪次
鬼の名の多き熊野の鬼やらひ     愛知  萩原 空木
鳥曇沖を見据ゑる海難碑       東京  久重 凜子
鷹鳩と化す地下鉄の地上駅      東京  松川 洋酔
春の日の絡つてゐる万華鏡      東京  三代川次郎
鍵開くる湖族の裔や御開帳      埼玉  屋内 松山







   
   








綺羅星集作品抄

伊藤伊那男・選 

鮊子の釘煮の並ぶ郵便局         兵庫  清水佳壽美
春雷や唐子の踊る呉須の皿        東京  朽木  直
淡交といふこと増えし鳥曇        東京  島谷 高水
息子よりバレンタインチョコの余り    高知  神村むつ代
荷車の轍に長き薄氷           東京  相田 惠子
畦を焼く炎とならぬ火をもちて      埼玉  森濱 直之
玄関の少し昏きにシクラメン       宮城  小田島 渚
ひとり居の虚ろうづめて春炬燵      東京  小林 雅子
一瞥のまなこの大き子猫かな       東京  上田  裕
春耕のはじめ農機の空回し        埼玉  多田 美記
涅槃像の肘のあたりで待ち合はす     東京  堀切 克洋
公園に目覚めぬ遊具春の鳥        千葉  佐々木節子
見る度に折紙の雛起こしおく       長野  三溝 恵子
眼を入れて笑み返さるる土雛       東京  高橋 透水
靴下の穴の広がる春愁ひ         長野  高橋 初風
走り根の動き出しさう春の山       東京  松代 展枝
盆梅の正面探しひと回し         埼玉  夲庄 康代
卸金吊るす番屋や山葵掘         埼玉  池田 桐人
江の島を持ち上げてゐる春の潮      神奈川 伊東  岬
鳥帰る沼の河童を置きざりに       東京  大溝 妙子
春光も色糸ともに織りこめり       東京  田中 敬子

畳なはる山の入日や西行忌        宮城  有賀 稲香
冴返る金箔を貼る人の息         東京  有澤 志峯
重なりて漉紙暗き鳥曇          東京  飯田 子貢
競り市へ牛の尻押すはだれ雪       静岡  五十嵐京子
炉塞の灰にするめの香の名残       埼玉  伊藤 庄平
ものの芽に梢の影の濃くなれり      東京  伊藤 政三
雛飾り残る命の事をふと         埼玉  梅沢 フミ
吞め謡へ井月さんの花の下        東京  大西 酔馬
長閑しや寿命におまけあるやうな     神奈川 大野 里詩
捨て畑の先づ四隅より草青む       埼玉  大野田井蛙
一期とも思へる上梓二月尽        東京  大山かげもと
太鼓橋渡り梅の香近くせり        東京  小川 夏葉
鶯のこゑや生家の青畳          埼玉  小野寺清人
新しきノートえんぴつ春を待つ      神奈川 鏡山千恵子
アルプスに残雪といふ力瘤        東京  影山 風子
厄といふ重さも積まれ雛の舟       和歌山 笠原 祐子
運針は嫌ひでありし針供養        東京  梶山かおり
島影のうすくれなゐに涅槃西風      愛媛  片山 一行
名まへとは呪文のひとつ草朧       東京  桂  信子
山茱萸の明りを灯す藪の中        長野  加藤 恵介
伊那谷に桑解く空や井月忌        東京  我部 敬子
酔ひ醒めに氷柱の滴井月忌        東京  川島秋葉男
良寛のひらがなつづり水草生む      長野  北澤 一伯
井月の越せぬ峠や鳥曇          東京  柊原 洋征
看板に「鹽」てふ旧字鳥曇        神奈川 久坂依里子
お山焼鴟尾の金色照らし出す       東京  畔柳 海村
見つめ合ふことの叶はず内裏雛      神奈川 こしだまほ
鳥帰りまたからつぽの空となる      東京  小山 蓮子
ハレの日に生まれ晴子や建国日      長崎  坂口 晴子
鶯餅番で残る鉢の中           東京  島  織布
あの辺り鵯越や雁帰る          東京  白濱 武子
看板の旧りし故郷の種物屋        東京  新谷 房子
万年を生きる喜び亀の鳴く        大阪  末永理恵子
寒残る広間に続く長廊下         東京  鈴木 淳子
さざ波のうすらひに来て消えにけり    東京  鈴木てる緒
招き猫春の愁ひに手をかざす       東京  角 佐穂子
満身に威嚇の構へ恋の猫         東京  瀬戸 紀恵
鶯餅飛ぶ方角に並びたる         神奈川 曽谷 晴子
待ち侘びる夫への思ひ青き踏む      愛媛  高橋アケミ
とびきりの痘痕面なる山葵かな      東京  武井まゆみ
残雪や歩荷の背負子高だかと       東京  多田 悦子
今年また仮設住居が雛の家        東京  谷岡 健彦
裁ち縫ひの遠くなれども針供養      東京  谷川佐和子
駄菓子屋の前はバス停ひばり東風     神奈川 谷口いづみ
三叉路の角の稲荷に残る雪        東京  塚本 一夫
足裏に漲るいのち麦を踏む        愛知  津田  卓
足跡の中の足跡残る雪          東京  坪井 研治
冠の座りの悪しき男雛          埼玉  戸矢 一斗
ひと部屋は琉球畳雛飾る         神奈川 中川冬紫子
海苔炙る時折は手をあぶりつつ      大阪  中島 凌雲
風光る生々流転樹も人も         東京  中西 恒雄
蜷の道越えあたらしき蜷の道       東京  中野 智子
嫁ぐ子と海を渡りし雛人形        東京  中村 孝哲
晩学の怠け心に春の雷          茨城  中村 湖童
風を縒るかに金縷梅の花の揺れ      埼玉  中村 宗男
童らの色分け合へる雛あられ       東京  西原  舞
みな筑波生れと見ゆる蟇         東京  沼田 有希
井月にいまひとたびと亀鳴きぬ      東京  橋野 幸洋
門先の紅梅を褒め夜の客         神奈川 原田さがみ
葉の裏の和毛を白く蓬長く        兵庫  播广 義春
いにしへのお成道とや雛の町       東京  半田けい子
春愁やわれは机上の旅ばかり       東京  保谷 政孝
燃え渋る煙目に沁む雁供養        東京  堀内 清瀬
マスクしてなほ隠せざる胸のうち     岐阜  堀江 美州
去年の香に使ひ慣れたる扇とも      東京  松浦 宗克
透き通るまで咲き切りぬ水仙花      東京  宮内 孝子
オムレツに卵は三つ春うらら       神奈川 宮本起代子
抗癌のファイナルステージ復活祭     千葉  無聞  齋
病室の窓の一つへいかのぼり       東京  村上 文惠
雛納む明日の旅発ち前にして       東京  村田 郁子
涅槃図の端に千鳥の足あとも       東京  村田 重子
信玄の隠し湯は此処谷朧         千葉  森崎 森平
何にでもつける軟膏鳥雲に        東京  森 羽久衣
嬰の手はぐうからちよきへ春隣      愛知  山口 輝久
校風は才色兼備梅の花          東京  山下 美佐
一つづつ影ごと摘みぬつくづくし     群馬  山田  礁
谷中より望む夕日や猫の恋        東京  山元 正規
天狗飛ぶ薬王院に春きざす        神奈川 吉田千絵子
息つぎのまだままならぬ初音かな     愛媛  脇  行雲
御手の影衆生にかかり涅槃の図      東京  渡辺 花穂


















     







銀河集・綺羅星今月の秀句

伊藤伊那男


鮊子の釘煮の並ぶ郵便局         清水佳壽美 
関東の人は知らないが、神戸辺りを中心とする瀬戸内海に面した町では鮊子(おかなご)が春の風物詩。各家庭が何㌕と買って、生姜や山椒などの風味を加えて釘煮にする。その煮上がった形が釘のように見えるのでその名がある。その釘煮を親戚や知人に送る。その時期、郵便局には釘煮の荷物がひっきりなしに持ち込まれるという。ほんの僅かな期間の賑わいと活気を郵便局を舞台に描いて出色であった。


春雷や唐子の踊る呉須の皿        朽木  直
取合せの妙ということであろう。呉須皿の唐子は年中踊り続けているのだが、春雷を受けたことによって、いつもとは違って見えたのである。何やら唐子の踊りが立体的に見えてくる。春雷の軽さがそうさせるのであろう。そんな空想に誘われる楽しい一句である。


淡交といふこと増えし鳥曇        島谷 高水
こういう句を見ると、味のある俳句を作るには人生の年輪が必要なのだな……と思う。荘子に「君子之交淡如水、小人之交甘如醴」とある。君子の交わりは、わだかまりがなくあっさりとしたものだ、という。そのような関係を築けるのも年季の積み重ねであろう。「鳥曇」という模糊とした季語の斡旋も効いているようだ。


息子よりバレンタインチョコの余り    神村むつ代
面白い句だ。息子からのお裾分けである。母親が貰うところに滑稽味が増す。十七音にちゃんと納まっているのだ。


荷車の轍に長き薄氷           相田 惠子
まだ舗装道路が少なかった時代を思い出す。伊那谷にはまだ荷馬車が働いていたものだ。早春の朝、轍に沿って薄氷が張っている。当然とはいえ、「長き」の把握が効いているのである。地味な風景だが、観察力を称えたい。


畔を焼く炎とならぬ火をもちて      森濱 直之
確かに、丈の短い畔の枯草はほとんど炎を立てることもなく焼かれていく。その様子を実にうまく詠み取ったものである。「炎とならぬ火をもちて」の把握は感性の高さである。山焼や野焼では駄目。「畔」だからこのその措辞。


 

玄関の少し昏きにシクラメン       小田島 渚
私の個人的感想だが、シクラメンの花にはやや憂鬱な影を感じている。少なくとも諸手を上げた明るさではない。そのような花だからこそこの取合せが動かないのである。シクラメンの花に作者の心理が投影しているのである。


ひとり居の虚ろをうめて春炬燵      小林 雅子  
やはり「春愁」が根底にあるのだろう。一人居の虚無感を埋めるため、入っても入らなくてもいい春炬燵に入ってみる。多分それでもその「虚ろ」は埋まらないだろうと思うのだが……そこが余情である。心理表現に用いた「春炬燵」である。


一瞥のまなこの大き子猫かな       上田  裕  
 「一瞥」は流し目に見ること、ちらと見ること――子猫の恐れもない無垢な目が印象的である。どの子猫もそうなのだが身体に比べて目が大きいのである。その瞬時の動きを捉えたところが新鮮であった。


春耕のはじめ農機の空回し        多田 美記  
農作業の始まる前、動力を用いる農機具の調子を調べる。油を差したり磨いたり……。そのように点検を済ませているのだが、いざ田圃に引き出したあと、耕しの前に空回しをしてみる。そんな慎重な作業の様子を丁寧に詠み取っているのである。


涅槃像の肘のあたりで待ち合はす      堀切 克洋  
涅槃像の前、だけだったとしたら何の感懐も湧かない句である。「肘のあたりで」がミソで、俳句の要諦はこのような所にある。この措辞で情況が俄かに臨場感を持つのである。対象物のどこかにピタリと照準を当てることである。

        その他印象深かった句を次に

公園に目覚めぬ遊具春の鳥        佐々木節子
見る度に折紙の雛起こしおく       三溝 恵子
眼を入れて笑み返さるる土雛       高橋 透水
靴下の穴の広がる春愁ひ         髙橋 初風
走り根の動き出しさう春の山       松代 展枝
盆梅の正面探しひと回し         夲庄 康代
卸金吊るす番屋や山葵掘         池田 桐人
江の島を持ち上げてゐる春の潮      伊東  岬
鳥帰る沼の河童を置きざりに       大溝 妙子
春光も色糸とともに織りこめり      田中 敬子





         

   





 
星雲集作品抄
伊藤伊那男・選

秀逸
とりどりの干菓子の木型春近し      埼玉  大澤 静子
蕨餅の角の震へや門前町         東京  今井  麦
満映のレンズの行方霾ぐもり       神奈川 水木 浩生
鳥帰る国境線は海の底          東京  宇志やまと
春埃水を知らないデコイかな       千葉  白井 飛露
声明に燭伸び縮みお水取り        埼玉  萩原 陽里
鳶の輪の懸かる灯台風光る        東京  星野 淑子
枯蓮揺るる水面を揺らさずに       広島  長谷川明子
兄らしく大きく吹けてしやぼん玉     東京  小泉 良子
壺焼の角なき同士凭れさす        和歌山 熊取美智子
春泥を行く近道を教へられ        東京  辻  隆夫
朧かな人形の目は閉ぢしまま       埼玉  志村  昌
切り花のおまけのやうな花菜かな     東京  辻本 芙紗
春の日を鏡の海が撥ね返す        神奈川 秋元 孝之
湯の町に残る駅舎や春の泥        神奈川 上村健太郎

白魚やしかと黒目の舌ざはり       埼玉  渡辺 志水
荷風忌や廓の跡に小学校         埼玉  小野 岩雄
種芋の転がり出でぬ大袋         群馬  佐藤かずえ
三鬼忌やパレットに色交じり合ひ     東京  竹内 洋平
啓蟄や羽ばたくものと這ふものと     神奈川 中野 堯司
寒稽古面一本の声高し          京都  三井 康有
苦しげな流氷の音ラジオより       東京  渡辺 誠子
   
   





星雲集作品抄


            伊藤伊那男・選

卒業子部室の壁に一礼す         東京  秋田 正美
埋め戻す縄文遺跡鳥雲に         埼玉  秋津  結
母に名を呼ばれしは夢亀鳴けり      東京  浅見 雅江
作業場のラジオに混じる春の雷      神奈川 有賀  理
金襴の古びたれども母の雛        愛媛  安藤 政隆
踏まれしも日毎に育つものの芽よ     東京  井川 敏夫
卒業の近き放課後逆上がり        東京  生田 武
春の旅先づは道後の足湯から       高知  市原 黄梅
鉛筆も列を正して受験生         東京  伊藤 真紀
啓蟄やそぞろ騒めく胸の内        神奈川 伊藤やすを
視野を切る放物線や初つばめ       埼玉  今村 昌史
あの山もこの山もまた笑ひけり      愛媛  岩本 昭三
湖北より寒風募る浮御堂         愛媛  内田 敏昭
春雨の滴流るる鎖樋           東京  浦野 洋一
遠き地震雛の簪ゆらしけり        埼玉  大木 邦絵
山葵田のかたへに回る水ぐるま      東京  大沼まり子
春嵐校庭の砂巻き上ぐる         群馬  岡村妃呂子
井月
囀や樹下の墓石へ注ぐ酒         東京  岡本 同世
年惜しむ雷門の大提灯          神奈川 小坂 誠子
獺の祭を見むと根岸まで         静岡  小野 無道
山笑ふ閻魔大王坐る堂          静岡  金井 硯児
手土産も用意のものも桜餅        神奈川 上條 雅代
俯きて咲く春蘭を覗き見る        東京  亀田 正則
背に雛のまろき眼指し入院日       長野  唐沢 冬朱
夕暮の手摺に寒の戻りかな        神奈川 河村  啓
バスを待つ木曾の谷筋風光る       長野  神林三喜雄
せはしくも虫の羽音や藤の花       愛知  北浦 正弘
一筆の雲点描の白木蓮          神奈川 北爪 鳥閑
うぐひすに色鉛筆を迷ひけり       東京  絹田 辰雄
鳥影が配りはじめる春の色        神奈川 栗林ひろゑ
春うらら縁にまどろむ老いの午後     群馬  黒岩 清女
高まれる堰の水音寒明くる        東京  黒田イツ子
ふらここを高みに漕げば海見ゆる     神奈川 小池 天牛  
河津桜こぼれ垂るるを手に受くる     群馬  小林 尊子
日の本の植林続く春の山         神奈川 阪井 忠太
春疾風古木の添へ木唸らせり       長野  桜井美津江
雛の灯の滲んで点る蔵の街        東京  佐々木終吉
大凧の飛行機雲をつつ切れり       群馬  佐藤 栄子
江の島や鳶近づく白子丼         群馬  佐藤さゆり
枝先の滴の重き余寒かな         東京  島谷  操
クレヨンの二色で足りるチューリップ   東京  清水美保子
ひな飾るピアノの上に片寄せて      東京  上巳  浩
特急の追ひ越すホーム風光る       神奈川 白井八十八
ペン胼胝も遠き昔や春霞         東京  須﨑 武雄
観音堂枝垂桜の滝のもと         埼玉  鈴木 宏治
ままごとの辛夷の花がお金へと      神奈川 鈴木 照明
文旦の色に眼の安まりぬ         群馬  鈴木踏青子
木曾川を一層太く春の水         愛知  住山 春人
長らへば切なさもなほシャボン玉     埼玉  園部 恵夏
まはれ右して受けてみる春一番      東京  田岡美也子
大試験消しゴムのかす残し果つ      山形  髙岡  恵
次の世によきものつなぐ接木かな     東京  髙城 愉楽
大地震を経し六歳や卒園す        福島  髙橋 双葉
黄沙ふる郵便受けに残る砂        埼玉  武井 康弘
春眠やメモ帳欲しき夢の中        広島  竹本 治美
夕迫り急ぎ足にて麦を踏む        三重  竹本 吉弘
安曇野の香りを乗せて林檎来る      神奈川 田嶋 俊夫
鎌倉の寺を出づれば大余寒        東京  田中 寿徳
ものの芽や煉瓦の道の間にも       東京  田中  道
鶏の足跡さやか春の泥          神奈川 多丸 朝子
語るかにわづかに開き雛の口       大阪  辻本 理恵
河豚鍋の湯気に曇りし男前        東京  手嶋 惠子
花柄が裏地にひそむ春コート       東京  豊田 知子
オーストラリアにて
ユーカリの風頰過る夏の谷        神奈川 長濱 泰子
捜し物ポロリ出てきて朧かな       大阪  永山 憂仔
世の喧騒聴きてあちこち地虫出づ     神奈川 萩野 清司
まんさくのよぢれて風の向き変はる    東京  橋本  泰
両の手を添へて飾りし雛道具       東京  長谷川千何子
退院の日や春暁に目覚めゐて       神奈川 花上 佐都
雨けぶる出雲の国に初音かな       長野  馬場みち子
古雛も手作り雛も奥座敷         長野  平澤 俊子
金の缶海苔ぎつしりと整列す       神奈川 福田  泉
道の名は坂の名四谷春灯         東京  福永 新祇
爆音に混じる囀り基地近し        東京  福原 紀子
シャボン玉追ひて小さき手のひらに    愛知  星野かづよ
聞こえ来る佐渡の波音桜貝        東京  牧野 睦子
啓蟄や搔き出す土に温もりが       神奈川 松尾 守人
辛夷咲く漲つて夜の力とも        神奈川 松村 郁子
頰杖の先なる空へ鳥帰る         東京  宮﨑晋之介
念を入れ羽繕ひゐる残り鴨        東京  宮田 絹枝
溶岩を削る荒波二月果つ         広島  村上 静子
マスクして己の温さまた吸ひぬ      長野  守屋  明
春愁や歩けばかゆき膝小僧        東京  八木 八龍
夏雲や群れて羊は草の海         東京  家治 祥夫
幾たびも振り返りをり入学児       東京  保田 貴子
松囲ふ縄のほつれや雪解風        群馬  山﨑ちづ子
雛納め部屋の広さに戸惑ひぬ       東京  山田  茜
いにしへの戦火の如く野火走る      神奈川 山田 丹晴
春の泥まづ犬の足洗ひけり        静岡  山室 樹一
折れ尺の目盛懐かし春の土        高知  山本 吉兆
春昼や遅々と進まぬ掛時計        群馬  横沢うだい
春霞車窓の丘は古墳らし         神奈川 横地 三旦
一の膳大蛤が彩れり           東京  渡辺 文子







    










星雲集 今月の秀句

伊藤伊那男

とりどりの干菓子の木型春近し      大澤 静子
季語の斡旋のうまさである。干菓子は茶道の薄茶の時に供するもので、年中作っているものである。だが「春近し」と言われると、それに勝る季節があるだろうか、と思う。恐らくその木型は春にちなむ花やら鳥やらなのであろう。それらの木型が一年振りに取り出されて材料が詰められるのを待っている。待春の季感が溢れた気持ちの良い仕上りである。〈蔵窓の中の昏さや藪椿〉〈弟にゆづる自転車春休み〉も各々上質な詩情が溢れている。 


蕨餅の角の震へや門前町         今井  麦
蕨餅は関西方面でよく見掛ける。蕨の根と芋の澱粉とで作り、黄粉や黒蜜を掛ける。句からは長谷寺や室生寺の門前茶屋などが彷彿する。寺があり、門前町があり、茶屋があり、運ばれたその皿が目の前に置かれ、蕨餅の角が震えていたーーと焦点を絞りに絞り込んだところがいい。


満映のレンズの行方霾ぐもり       水木 浩生
満州国は満州事変により作り上げた日本の傀儡国家で、太平洋戦争での日本敗北により消滅した。その活動の一つに満州映画社があった。それが「満映」で戦意発揚を目的とした国策会社である。「レンズの行方」は単に機材のその後の行方だけでなく、撮影した対象物の行方をも包括しているようである。幻影となったその国は「霾ぐもり」の中に消え去ったのである。同時出句の〈流木におはす仏や春ともし〉も味わいが深い。


鳥帰る国境線は海の底          宇志やまと
 言われてみたらなるほど。国境などというものは人間が勝手に地球に線を引いたもので、他の生物には関係のないことだ。北へ帰る鳥には中国もロシアも朝鮮半島も‥‥国家の区分はない。国境線は海の底である。同時出句の〈呉服橋渡りて雨の針供養〉は「呉服橋」をほのかに針供養に絡ませた技のある作品である。


春埃水を知らないデコイかな       白井 飛露
 デコイは水鳥の形をした木製の囮が原型。置物として好まれるようになった。それゆえ当然ながら水を知る由もない。ただただ部屋の棚の上で「春埃」を貯めるばかりである。生き物でない物を詠んで、何故か哀しさを感じさせる仕上りである。同時出句の〈ものの芽や今日は制服採寸日〉も、日々丈を伸ばす「ものの芽」の取合せが巧みな句であった。


鳶の輪の懸かる灯台風光る        星野 淑子
一読、気持のよい風景が浮かび上る。晴れ渡った青空と白亜の灯台。その上に舞う鳶の輪。春を迎えて日光が強くなり、風も鋭く感じられてくる頃である。そのすがすがしさを余すところなく捉えているのである。同時出句の〈解禁日逃ぐる若布を鷲摑み〉も動きのある表現が鮮烈である。 


枯蓮揺るる水面を揺らさずに       長谷川明子
矢折れ刀尽きたような枯蓮は、風に揺れるばかりである。だが水面には何の影響もなく平らなままであるという。観察の目が効いているのである。今まで枯蓮の池の面の様子まで詠んだ句は無かったように思う。手柄の一句。 


壺焼の角なき同士凭れさす        熊取美智子
栄螺の形も地域によって違いがあるようだ。どこであったか忘れたが波の穏やかな海であったと思うが、その一帯は角の無い栄螺ばかりであった。そのような栄螺は網の上で安定しないので栄螺同士を凭れ合わせて倒れないようにする。 


切り花のおまけのやうな花菜かな     辻本 芙紗
確かに、花束の中に混じる菜の花はどうみても主役とは思われない。花瓶に挿しても脇役の一本ということになる。そうした菜の花の存在を詠み取ったのは手柄である。菜の花の群生は圧巻だが、一本となった時のこの花の本意。 


白魚やしかと黒目の舌ざはり       渡辺 志水
先ずは江戸城に献上されたという白魚は今や漁獲量も少なく、心して味わうこととなる。そのように食べると黒目の部分の舌ざわりの違いなども解ってくるのであろう。少しユーモアを含んだ余裕のある句となった。 

その他印象深かった句を次に

春の日を鏡の海が撥ね返す        秋元 孝之
荷風忌や廓の跡に小学校         小野 岩雄
兄らしく大きく吹けてしやぼん玉     小泉 良子
種芋の転がり出でぬ大袋         佐藤かずえ
朧かな人形の目は閉ぢしまま       志村  昌
三鬼忌やパレットは色交じり合ひ     竹内 洋平
啓蟄や羽ばたくものと這ふものと     中野 堯司
寒稽古面一本の声高し          三井 康有
苦しげな流氷の音ラジオより       渡辺 誠子





















銀漢亭こぼれ噺



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2017/4/17 発売されました。
 





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 仕事で接した京都、
京都生まれの妻と結婚してからの京都、
俳句を始めてからの京都、
妻を亡くしてからの京都・・・・・。
京都は味わいも深みも変化させながら、
いつしか喜びと悲しみの交叉する街となってきた。
「京都」を軸に、人生と俳句について綴った
著者はじめての自伝的エッセイ。



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伊那男俳句  


伊那男俳句 自句自解(18)
                  
おんばしら御幣(おんべ)の孕む雪解風


 平成四年のおんばしら祭の句である。その後何回か祭があったのだが、行く機会が無く、昨年久々、建御柱の前日に諏訪大社を訪ねた。思えば「御柱祭」は六年に一度だけ使うことのできる珍しい季語である。俳句を初めてから幾度も諏訪地方を訪ねた。諏訪は出雲族が大和朝廷に国譲りをした折、大国主命の次男建御名方神(たけみなかた)が抵抗の末追われて逃げ込んだ土地だという。そこで許されて神となったのだが、諏訪にも先住民族が居た筈である。その縄文色濃厚な先住民と融合して独特の祭事が残ったようである。毎年四月に行われる「御頭祭」は、今でこそ剥製が使われているが、明治までは数十頭の鹿の生首が供えられたという。だが御柱祭は伊勢の遷宮に通じる弥生系の祭のような気もするが、私にはまだ謎のままである。さてこの時の句には他に〈おんばしら木落坂にきて撓む〉〈斑雪嶺に諸手をあげて木遣唄〉などがある。さて次の御柱祭は、というと私は七十二歳になってしまう。

  
知らぬ子が一人交じりて地蔵盆


 大学一年生の時、先輩の親戚の京都の家に転がり込んで盆過ぎの一週間ほどを過ごしたことがある。京都の地蔵盆は八月二十三、四日頃の地蔵の縁日に行われる。各町内の辻などに地蔵を祀った祠があり、ここに花や供物を捧げ、茣蓙を敷いて町内の子供達を一日遊ばせるのである。菓子を配ったり籤引きをしたりと賑やかである。子供の死亡率が高かった時代、安全と無事な成長を願う親達の切実な気持ちが込められた市井の行事である。その後就職して京都で数年を過ごすことになり、何度も地蔵盆を見聞した。この句はそれらの思い出を元に少し想像を加えたものである。もしかすると町内にいない子供も交っているのかもしれない。いやいや町内にいたけれど、亡くなってしまった子が、この日ばかりは遊びに来ているのかもしれない……。祠の蠟燭の火を見ているとふとそのような思いに駆られるのが京都の町である。地蔵盆が終わると暑かった京の街にも秋風が吹き始めるのであった。







  
        


 



銀漢の絵はがき


挿絵が絵葉書になりました。
Aシリーズ 8枚組・Bシリーズ8枚組
8枚一組 1,000円

ごあいさつにご利用下さい。
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銀漢亭日録

伊藤伊那男

3月

3月22日(水)
予約のない日であったが、手伝いの松代さんがあちこちへメール入れ、硯児、酔馬、うさぎ、洋酔さんなど。小川洋さん、三輪初子さんとご主人の晁さん。

3月25日(土)
「Oh!花見句会」。廻り道して成城の桜並木を通るがまだ咲いておらず、駅の木蓮は真っ盛り。句会は、超結社で44人! 5句持ち寄り。あと2句、1句と3回。20時頃お開き。有志と「ふくの鳥」。

 3月26日(日)
冷たい雨の1日。終日家。5月号の選句と決めたがついつい居眠りやテレビ。夜。スキー合宿から莉子戻り、全員揃って夕食。宮澤が丹波から手に入れてきた猪鍋。日本酒「獺祭二割三分」の封を切る。結局休養の1日。華子、中学入学式の答辞の役とて文章点検する。

3月27日(月)
店、「演劇人句会」10人。日の丸醸造(日本酒「まんさくの花」の蔵元)の役員、仲島さん(池田のりをさん友人)など。秋に秋田の酒蔵訪問の予定。

 3月28日(火)
成城の桜並木、初花確認。「萩句会」選句へ。店、閑散中の閑散。21時、閉めると、皆川文弘さん来店。近所の某店にて23時まで、盤水先生の思い出話など。

 3月29日(水)
「雛句会」12人。カウンターも賑わう。大学茶道会時代の先輩、広野、八田氏来店。このお2人に悪所に案内していただいたものだ。

 3月30日(木)
岩野歯科。2年振りのメンテナンス。実は1週間前、奥歯が少し欠けたため検診に。半年か1年の内にメンテの習慣つけないと……。桜二分咲きか。発行所、棚を入れて大整理へ。店、そこそこの入り。「秋」の佐怒賀正美主宰、青柳フェイさん他。

3月31(金)
冷たい雨。酔馬さんグループ花見早々に切り上げて来店8人。

4月

4月1日(土)
10時、運営委員会。「いもや」の海老天丼。13時、ひまわり会館にて「銀漢本部句会」56人。あと「テング酒場」にて親睦会。

 4月2日(日)
5月号原稿詰め。「春耕同人句会」休む。ランニングマシーン5km。17時、「DASH IVY」(ダンススクール「アイビーアートスクエア」)の発表会。伶ちゃん出演。戻って龍正君10歳の誕生祝い。伊勢「豚捨」の牛肉、炭火焼で祝う。

 4月3日(月)
家族は箱根へ。「彗星集」書き上げて5月号終了。桜並木三分咲。「かさゝぎ俳句勉強会」あと八人。「銀化」の方々4人。

 4月5日(水)
桜八分咲。店、16時から、清人さんの大学時代の離島研究会の同窓会。11人。気仙沼の殻付き牡蠣、帆立貝、ほや、鮪の刺身など。あと「きさらぎ句会」あとの7人。「宙句会」あとの11人など。

 4月6日(木)
発行所に『銀漢亭こぼれ噺 そして京都』刷り上がって到着。「十六夜句会」あと13人。環さん2人など。

 4月7日(金)
華子、中学入学式答辞。明日は伶ちゃん小学校入学式と。店、佐怒賀正美、直美兄弟。「大倉句会」あとの17名。伊那北同期の丸山君。丁度来ていた井蛙さんとは50年振りで再会と。皆川文弘さん。

 4月8日(土)
昼過ぎ京都。養源院の俵屋宗達の象さんの杉戸絵。智積院。甘茶仏。亡妻の卒業した京女の女坂など散策、小雨の中。おばんざいの昼食。大谷祖廟墓参。森田家に挨拶。円山公園の枝垂桜満開。16時半、「京都ホテルオークラ」。井上弘美さん「汀」の創刊五周年祝賀会。部屋は東山一望のツインルーム用意してくれる。18時よりパーティー。終わって朝妻力さんと町に出て居酒屋で飲む。22時半、別れて「木屋町サンボア」で名残の酒。ずっと雨。「餃子の王将」に寄ってホテルに戻る。ああ……また……。

4月9日(日)
9時過ぎ朝食。ゆっくりくつろいで11時前、チェックアウト。白嶺神宮、晴明神社。安良居祭の日と耳にしたので今宮神社。まずは、「あぶり餅かざりや」。雨の後のためか祭は15時時からとて、船岡山を一周。この山が平安京の北の守り、玄武の池。朱雀通りの突き当たり。戻って「はしもと珈琲」で一服。大徳寺前を通ると鉦の音聞こえる。入ると安良居祭の一行が各院を訪ねて踊りながら行進中で祭の一端を見る事ができる。水火天満宮、本法寺などの桜を堪能して今日庵、不審菴。町に出て四条のジュンク堂書店の仕入れ担当者訪ね、エッセイ集の宣伝。新京極の「スタンド」に入り、空いている席に坐ると向かいに何と、銀漢亭に来たことのある小西康隆さん夫妻! 彼はその後、酒場呑み歩きの本を2冊出版したと。あと「たつみ」。京都駅の蕎麦店「葵」でギリギリまで飲む。眠りこけて東京へ。

4月10日(月)
花冷え。超閑散。21時半、閉めて「天鴻餃子房」。大塚凱、いづみ、展枝さんと。羽黒山三光院の粕谷容子様より、「銀漢俳句会」に基金頂戴する。感謝。

 4月11日(火)
14時、「門」同人会に発行所貸し出し。武田、川島さんが私のエッセイ集をあちこちの書店へ売り込みに廻ってくれている。「門」の鳥居真里子さん他4人。法政大学の高柳先生が外務省のドミニカ共和国特命全権大使・牧内博幸氏、同僚の大西教授と。牧内大使は飯田出身と。「火の会」8名ほど。三井住友海上元社長の井ノ口さんと新橋の美恵子さん。

4月12日(水)
宮澤、伊勢神宮の河合真如宮司と。河合さん退任され、執筆業務に入られる由。私のエッセイ集にお祝金を下さる。

 4月13日(木)
「あ・ん・ど・うクリニック」、健康診断の結果OK! 降圧剤は続ける。桜並木落花の中。この頃が一番好きである。武田さんより連絡あり、私のエッセイ集、発売前ながら現在1,300冊近く受注ありと。伊集院静さんから孫4人各々に新学期に入るにつき手紙と図書券来る。店、「極句会」10人など。

4月14日(金)
奈良の深川さん弟君の入沢さん、矢野玲奈のパパさんなど。山田真砂年、山崎祐子さん。客はそれ位で、祐子さんの民俗学の話など楽しく聞く。

 4月15日(土)
11時、さいたま新都心駅に大野田井蛙さんと待ち合わせ。「かのうや」にて鯉の洗い、鯉濃(鯉の身でごぼうを巻いた八幡巻)、稚鮎の天ぷら、肝焼きなど。昼前からビール、鍋島の銘酒。氷川神社の参道から盆栽町まで3㎞ほど歩き、さいたま市大宮盆栽美術館の「彩の国句会」へ。伊藤庄平さんをはじめ10人。句会のあと近くの居酒屋にて親睦会。あと大宮に出て魚料理の店。昼からの酒でヘロヘロ。帰宅すると成城学園仲間2家族が来ていて飲み直し。

4月16日(日)
夕方から、家族の集い。4月誕生日の孫3人の祝いを兼ねて。鯨ステーキ、焼き肉、春雨うま煮、春野菜と鮪のサラダ……その他。「俳句」6月号特集〝今、この時を詠む! 『瞬間』の切り取り方〟の10句選とエッセイ。

4月17日(月)
予約のない日。しかも雨。「俳句αあるふぁ」の中島三紀さん、西陣の仲田陽子さん、阪西敦子さん、パリ在住のグレース惠子さん、堀切君と夫人と琴葉ちゃん(三か月)、洋酔さんなど。
















           
△『漂白の俳人・井上井月』伊藤伊那男著
          
  
    






今月の季節の写真/花の歳時記




2017年6月21日撮影   花菖蒲  TOKYO/HACHIOJI


        
花菖蒲
花のつけ根が網目模様になってるにが菖蒲,白いのが杜若、黄色いのが花菖蒲。水辺に咲くのは、杜若か花菖蒲。菖蒲、杜若、花菖蒲の順で咲き始めます。



 
忍冬 麦秋 石榴の花 菜殻 茅萱
           
未央柳 桑の実 花菖蒲    

写真は4~5日間隔で掲載しています。 




2017/6/25 更新




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