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 11月号  2015年

伊藤伊那男作品 銀漢今月の目次 銀漢の俳句 盤水俳句・今月の一句  彗星集作品抄  
  彗星集選評  銀河集・作品抄 綺羅星集・作品抄 銀河集・綺羅星今月の秀句 星雲集・作品抄    星雲集・今月の秀句  銀漢の絵はがき 掲示板  鳥の歳時記 井上井月 銀漢日録
 今月の写真


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伊藤伊那男作品

主宰の八句

小諸虚子庵     伊藤伊那男

炎帝の転がつてくる坂の町
青柿は弟子の数ほど虚子旧居
蚊遣火の焦げ跡旧りし虚子山盧
虚子庵の暑し立つても座つても
炎昼や玻璃の歪みも虚子旧居
夕立がきつと来る頃やはり来る
しばらくは夕立といふ檻のなか
天帝へ供花とし泰山木一樹



小諸虚子庵

     







        
             


今月の目次








銀漢俳句会/11月号

      












   



銀漢の俳句 

伊藤伊那男 

五島のこと 隠岐のこと
 武田禪次さんが計画してくれた五島列島の旅を焦がれるように楽しみにしていた。一週間前に旅の荷物も整えていたほどだ。学生時代に家庭教師をしていた家の父上が五島の出身であった。東大医学部を出た方で、毎週教えた後、父上の晩酌の相手をした。父上は髭に赤毛が混じっていて「随分紅毛人との混血があったんだろうな」と言っていた。「確か李鴻章の借金の証文もあったよ」とも言っていた。私が就職して京都に行った夏、教え子姉弟が五島へ行くのに誘われて、大阪から合流し、船で大分に出てバスで九重高原などを廻って長崎に泊まり、翌朝五島へ渡った。父上の実家は親戚が時折風を通しているとのことであったが、今は空き家で網元の大きな家であった。海も砂浜も美しく丘の上には教会があった。そんな思い出を確かめる為にも是非再訪したかったのである。ところが出発前日に盲腸が破裂して病院に収容されてしまったのであった。
 退院のあと少しして隠岐諸島へ行った。毎年行われている後鳥羽院を偲ぶ俳句大会の選者にと、石寒太氏から声を掛けて戴いたのである。武田禪次さんが率先して参加の表明をしてくれて、銀漢の仲間10人ほどが同行してくれることとなった。選者としての私の面目も立ったのである。武田さんは2回目の隠岐で、もともと歴史に造詣も深いので、色々な資料を用意してくれた。私と石寒太氏は羽田から伊丹へ飛び、伊丹で宇多喜代子さんと合流し、プロペラ機で島後(どうご)へ渡った。海土町観光協会の後援があったので、島から島への移動の船とバスの連絡もスムーズで、目ぼしい観光ポイントはほぼ網羅していただいた。2泊4日で4島全部を巡るのは、普通の旅人では至難の行程である。食事会には海土町長も参加して下さったし、ボランティアの若者達の接待にも頭が下がった。最後に知夫里島(ちぶりじま)の岸壁を離れる時には五色のテープで別れを惜しみ、突堤の先端まで走って、いつまでも手を振ってくれたのには涙が出た。
 このように感銘を受けた思い出は数々あるが、最も印象深かったのは後鳥羽院の御火葬塚訪問であった。俳句の嗜みもお持ちの第48代村上助九郎氏が待機して下さっていて、結界の鍵を開けて御廟の前まで案内して下さった。「総理大臣もここまでなんです」という。後鳥羽院のお骨は水無瀬に戻ったのだが、村上家は約八百年近くにわたり、御火葬塚を守り続けているのである
連綿と守り続ける一族がいることに深い感銘を受けた。
  
夏シャツの白一徹に陵守部     伊那男


 














           


 



  

盤水俳句・今月の一句

伊藤伊那男

初霜やむらさきがちの佐久の鯉     皆川盤水
 


古来、料理の包丁式は鯉が用いられ、今に到るが、いつの頃からか魚の帝王の座は海の魚の鯛に譲り渡してしまった。だが信州育ちの私には、鯉が王であることは変わらない。この句の「むらさきがちの」は心眼が捉えた真似ようもない措辞で、ただただ驚嘆するしかない。確かに魚体は冬に向けてむらさき色がかかり品格が備わるのである。初霜の季語と鯉の色彩のコントラストは絶妙である。それにしても冬の鯉の「鯉濃(こいこく)」は絶品!
                                  (平成4年作『随處』所収)






              



  
 

彗星集作品抄

伊藤伊那男・選


知覧てふ涙の蛇口蟬しぐれ 森       森崎 森平
ガジュマルの絵手紙遺る終戦日       清水佳壽美
石室に戻る玄武か蛇穴に          飯田眞理子
末つ子はいつも小走り補虫網        坂口 晴子
漁火の海霧に平家の篝とも         武田 禪次
落し文吉野にあらば綸旨かと        飯田眞理子
打ち水や柄杓の端に夕火照り        小野 無道
漆黒のあれが金魚田近鉄線         萩原 空木
沈黙に声あるごとき残暑なほ        夲庄 康代
初雁や新島守を素通りに          武田 禪次
五箇山に生国近しましら酒         桂  信子
動きだす路面電車や原爆忌         土井 弘道
伊能図のやまとしまねを雁わたる      山元 正規
思ひ出はふちのほつれた夏帽子       今井  麦
生身魂被爆の跡をもち給ふ         坂口 晴子
おしろいや昭和歌謡の路地の裏       森濱 直之
螢火や父母の記憶を闇に曳く        萩原 陽里
猫の鈴涼しい部屋に遠ざかる        八木 八龍
虫干や額裏にみる父の顔          鏡山千恵子
良き知らせほど手短かに墓参かな      津田  卓













         
           








彗星集 選評 伊藤伊那男


知覧てふ涙の蛇口蟬しぐれ       森崎 森平
私も知覧を訪ねたことがあるが、残された手紙などに粛然とした。高倉健主演の「ホタル」にも泣いた。戦後七十年の節目にこのような句を目にしたことは貴重である。知覧の地での「涙の蛇口」という斡旋がよい。時あたかも敗戦の時と同じ残暑の頃だったのであろう。「蟬時雨」の時雨も涙に呼応した配合で、そこにも感動を高める技倆がある。 


ガジュマルの絵手紙遺る終戦日     清水佳壽美
ガジュマルは南方の植物で幹は多数分岐し、気根を垂れる。余談だがパプアニューギニアへ行った時、ジャングルの入り口を覗いたことがある。ふと手を添えた木の幹が沢山の棘をもっていてぞっとしたものだ。単に地図上の距離計算だけで何日かでこの密林を行軍できると命令を発した大本営の罪である。絵手紙だけ見ても解らない怖さを体験した人の遺したものなのであろう。その中にまだ夥しい遺骨が眠っているのだ。 
 

石室に戻る玄武か蛇穴に        飯田眞理子
知的創造力を掻き立ててくれる句である。古墳の石室の壁には清龍、朱雀、白虎とともに描かれている玄武は北方の守りをつかさどる四神の一つ。水の神で亀に蛇がまきついた姿である。夏の間外に出ていた蛇が秋も深まると石室へ戻り、壁画の亀に巻きつくというのであるから凄い発想力である。俳句でここまでの世界を描けるのは見事!の一言。 


末つ子はいつも小走り補虫網      坂口 晴子
私は上に姉、兄のいる末っ子。この句のようにいつまでも落付かず、意味もなく走り廻っていたものだ。今孫達と暮らしているが、末っ子はやはり私の小さいころと同じで、いつも小走りである。この句「捕虫網」で纏めたところがうまい。「小走り」が強調されるのである。


漁火の海霧に平家の篝とも       武田 禪次
壇の浦辺りの夜であろう。早靹瀬戸の漁火が霧の中に見え隠れする。この海に沈む平家一門の篝火とが作者の目に二重写しになったのであろう。 
 

落し文吉野にあらば綸旨かと      飯田眞理子
吉野は古くは持統天皇が何度も訪ねているし、後醍醐天皇も入り、南朝を樹立している。落し文にも歴史が染み付いていて、綸旨のようにも思えてくるという。綸旨とは「みことのり」の事。歴史的感興の句である。


打ち水や柄杓の端に夕火照り      小野 無道
 先の方だけに日が残る、と、目配りの利いた句である。


漆黒のあれが金魚田近鉄線       萩原 空木
大和郡山あたりの嘱目。地名を生かした写生句。 
 

沈黙に声あるごとき残暑なほ      夲庄 康代
やりきれない暑さの中、声にならない声が……。 


初雁や新島守を素通りに        武田 禪次
「新島守」は後鳥羽院。隠岐を素通りする初雁である。 


五箇山に生国近しましら酒       桂  信子
越中か飛驒の人か、ましら酒が幻想的である。 


動きだす路面電車や原爆忌       土井 弘道
特別の日の路面電車。「動き出す」の打ち出しがいい。 


伊能図のやまとしまねを雁わたる    山元 正規
伊能忠敬の地図をもってきたところが眼目。 


思ひ出はふちのほつれた夏帽子     今井  麦
思い出のチャックを開いた句。「ふちのほつれ」がいい。 


生身魂被爆の跡をもち給ふ       坂口 晴子
戦後70年。このような体験者も残り少なくなった……。 


おしろいや昭和歌謡の路地の裏     森濱 直之
貧しいながら懐かしい風景。おしろいで遊ぶ子もいない。 


蛍火や父母の記憶を闇に曳く      萩原 陽里
蛍に重ね合わせた父母の思い出。「闇に曳く」がいい。 


猫の鈴涼しい部屋に遠ざかる      八木 八龍
猫はよく知っているのだ。「猫の鈴」を生かした技法。 

虫干や額裏にみる父の顔        鏡山千恵子  
写真は常の父より気取った表情のものでたか……。 


良き知らせほど手短かに墓参かな    津田  卓
この「手短に」に作者の人物像が浮かぶ。このままでも良いが<掃苔や良き知らせほど手短に>とも。 













     
        







銀河集作品抄

伊藤伊那男・選

破れ傘にはかに山雨来るらしき     東京 飯田眞理子
黒南風や鴉の騒ぐ神の森        静岡 池田 華風
指呼にして遠き頂上岩ひばり      静岡 唐沢 静男
姥百合の無造作といふ咲き具合     群馬 柴山つぐ子
水打つて浄土の父母を喜ばす      東京 杉阪 大和
水蹴りて水輪消し合ふあめんばう    東京 武田 花果
草市の日照雨たちまち湯気と化す    東京 武田 禪次
草刈つて山の観音近くせり       愛知 萩原 空木
空蟬吹く風さへ隠岐の旅情なる     東京 久重 凜子
村外の猫の手借りる田植かな      東京 松川 洋酔
間のあいて終の花火のつづけざま    東京 三代川次郎
宗淵へ一茎の供花男郎花        埼玉 屋内 松山










   
   










綺羅星集作品抄

伊藤伊那男・選 

置き手紙ごと冷さるる水羊羹      東京   有澤 志峯
氷柱に待ち合はせ人透かし見ゆ     静岡   五十嵐京子
夏蚕村欄間の松に糸を吐く       神奈川  大野 里詩
簾して隣ほどよき距離となる      和歌山  笠原 祐子
ポスターが一番怖き夏芝居       東京   朽木  直
大皿を棚から二枚盆用意        東京   畔柳 海村
この村に子供こんなに盆踊       東京   小林 雅子
子供らの都合を聞くも盆用意      東京   島谷 高水
ライフルの的はキャラメル夜店かな   東京   白濱 武子
長電話切るきつかけの夕立かな     東京   鈴木てる緒
なんとなくまた開けてみる冷蔵庫    東京   武井まゆみ
権禰宜の烏帽子茅の輪につつかへる   東京   多田 悦子
流灯や魚臭漂ふ岸辺より        東京   塚本 一夫
金の鯱丸揚げにして油照        東京   坪井 研治
引力と浮力のあはひ赤蜻蛉       東京   中村 孝哲
命ごと抱ふる手筒花火かな       愛知   中村 紘子
シャンパンの函は柩に似て晩夏     パリ   堀切 克洋
男郎花秩父の里に百の寺        東京   宮内 孝子
鬼灯揉む頭の凝りを解きたくて     東京   渡辺 花穂

書を持てば自づと眼開く秋       東京   相田 惠子
竿燈のしなりて一歩定まらず      東京   飯田 子貢
風に鳴る裸電球夏芝居         埼玉   伊藤 庄平
人はその盛りを知らず百日草      東京   伊藤 政三
軒先に胡瓜も育つ良きくらし      埼玉   梅沢 フミ
盆用意先づ奥の間へ風通す       東京   大西 酔馬
帰宅してまとはる炎暑脱ぎ捨つる    東京   大溝 妙子
湯にまがふ水蛇口より長崎忌      東京   大山かげもと
梅雨ごもり電子辞書から鳥の声     東京   小川 夏葉
添ひくれし蜻蛉去り行く別れ道     鹿児島  尾崎 尚子
流木は再び沖へ秋近し         埼玉   小野寺清人
書を曝す漢和辞典の捲れ癖       神奈川  鏡山千恵子
広島忌詩の一行を消しにけり      愛媛   片山 一行
てみじかに答ふ簡単服なれば      東京   桂  信子
蟬時雨読経の渦に傾れ込む       長野   加藤 恵介
暁の虫調べやうやく整ひぬ       東京   我部 敬子
朝刊の分厚さすでに極暑かな      高知   神村むつ代
願はくはぴんぴんころり蝮酒      東京   川島秋葉男
盆舟に天麩羅饅頭など積まれ      長野   北澤 一伯
凌霄花の百の落下や終戦日       東京   柊原 洋征
盆支度褒めてもらひし服を着て     神奈川  こしだまほ
ビアガーデン一番星へ乾杯す      長崎   坂口 晴子
昼顔や子を諭す声垣根越し       千葉   佐々木節子
すぐ消ゆる虹愛ほしき歳月も      山口   笹園 春雀
もう一度トランプ占ひ夜の秋      東京   島  織布
身ぬちまで潮騒迫る夜の秋       兵庫   清水佳壽美
脩の忌露草の露ひそやかに       東京   新谷 房子
夜の秋三面鏡の中の我         大阪   末永理恵子
土用二の丑コトコトとポトフ鍋     静岡   杉本アツ子
浜木綿や潮騒胸に旅一日        東京   瀬戸 紀恵
溜息の次をのみこむ残暑かな      東京   曽谷 晴子
幼には幼の願ひ笹飾          愛媛   高橋アケミ
魚のごと焦げて大工の三尺寝      東京   高橋 透水
子の声が路地の目覚し夏休み      埼玉   多田 美記
亡き母の声が後押し盆用意       東京   田中 敬子
隠岐の夜を雌伏のさまに合歓の花    東京   谷岡 健彦
忘れめや敗戦の夜の団子汁       東京   谷川佐和子
灯を入れて鉾町の影膨みぬ       神奈川  谷口いづみ
かりがねや湖北に廃寺数いくつ     神奈川  中川冬紫子
向日葵の陪審員のごと並ぶ       大阪   中島 凌雲
飲み終へしラムネの瓶を誰も振る    東京   中野 智子
水打つて三尺の庭広げたり       茨城   中村 湖童
桃太郎居ればいいなと桃を割る     東京   中村 貞代
鷹舞ふや明日香の遺蹟なぞりては    東京   沼田 有希
夏帽子つば折り曲げて自己主張     福岡   藤井 綋一
露けしや特攻兵の恋の文        東京   保谷 政孝
高原は風立ち易く辰雄の忌       東京   堀内 清瀬
稲の花用件だけの子の便り       岐阜   堀江 美州
好きな歌よみびと知らず男郎花     埼玉   夲庄 康代
今日の晴亥の日でありぬ炉を開く    東京   松浦 宗克
風鈴の舌に選ぶや井月句        長野   松崎  正
宵山に常の暮しの格子窓        東京   松代 展枝
盆用意母にかりんとう父に酒      千葉   無聞  齋
一房のぶだう手付かず長崎忌      東京   村上 文惠
幾山河越え来し風や芙蓉咲く      東京   村田 郁子
師のヨハネ歩きし跡か星流る      東京   村田 重子
大暑まで坦々麵に絡みつく       東京   森 羽久衣
宵の雨ほほづき市の綺羅となり     埼玉   森濱 直之
シャッフルのごとき羽音や夏の蝶    愛知   山口 輝久
雑草を夏花と摘めばありがたく     東京   山下 美佐
隠岐四島波に浮かべて蟬しぐれ     群馬   山田  礁
裸灯の夜店を廻すハムスター      群馬   山田 鯉公
岩壁に遺るハーケン雲の峰       東京   山元 正規
振れば鳴るラムネの音に昭和ふと    千葉   吉沢美佐枝
風鈴の風を呼び込む軒の下       神奈川  吉田千絵子
嚙むほどに味濃き祖谷の冷奴      愛媛   脇  行雲





   









     







銀河集・綺羅星今月の秀句

伊藤伊那男

鬼灯揉む頭の凝りを解きたくて     渡辺 花穂
 小さい頃、姉の真似をして鬼灯を揉んではみたものの、とてもそんな退屈な作業が続けられる訳もなく、放り出してしまったものだ。やはり女性の句なのだと思う。私とは逆に凝りを解く為、というのである。鬼灯を揉む作業、その時の心のありようを詠んだ句というのは極めて珍しい。


 シャンパンの函は柩に似て晩夏    堀切 克洋
私の飲むものよりずっと高価なシャンパンなのであろう。化粧箱が違うようだ。「柩に似て」とは何とも卓越した比喩である。瓶の王冠のコルクを包む金属箔もまるでツタンカーメンの面のようにも見えてくるではないか。感性の鋭さを褒めたい。パリ留学の最大の成果であるか・・・ 

  

命ごと抱ふる手筒花火かな       中村 紘子
私の郷里伊那谷もそうであったが、木の筒の中に火薬を詰めて抱える三州系の花火が盛んであった。両手で抱きかかえて火花を散らす危険なものである。観客にも掛るが、持ち手は全身に火の粉を浴びる。「命ごと抱ふる」にその臨場感がよく出ており、対象物の本意に迫った句となった。 


引力と浮力のあはひ赤蜻蛉       中村 孝哲
蜻蛉は、ヘリコプターのように一瞬空中に静止することがある。そこがこの句の眼目で、蝶や蟬では成立しないのである。その静止状態を「引力と浮力のあはひ」と見たのである。静止するのは蜻蛉の持って生まれた能力なのだが、自然の力がそうさせた、とした面白さである。 


流灯や魚臭漂ふ岸辺より        塚本 一夫
「流灯」を詠もうとすると、ともかく綺麗に、抒情的に、と思うものだ。ところがこの句はあくまでも、あるがままに詠み切る。漁港の一角、魚臭の生々しい中での流灯会である。はっきりと生活感を出して、負のカードを隠さない。その作句態度がこの作者の持ち味で、同時出句の<角欠くるデコラの卓のかき氷>なども下町の駄菓子屋のうらぶれた風景を描き出している。そしてその中からそこはかとない抒情や郷愁が醸し出されてくるのである。

  

なんとなくまた開けてみる冷蔵庫    武井まゆみ
 実は私もそうなのである。用もないのに冷蔵庫を開けてみる。何か料理しようとか、食べようとかというわけでもない。わざわざ冷気を外に出す無駄な行為を繰り返すのである。結局私のような者にとっての冷蔵庫は、宝石箱のようなものであろうか。そこはかとない面白さを持った句。

  

ライフルの的はキャラメル夜店かな   白濱 武子
やや廃れ気味の古い温泉地などに行くと今も見かけることがある射的屋。一所懸命焦点を合わせる先はキャラメル。何とも穏やかな標的である。ライフルと打ち出して、キャラメルに到る意外性。同時出句の<ヘルメット抱へて来たる棚経僧><生身魂ゲートボールへ足早に>も片仮名の言葉を交えた句で各々の素材を生かしている。


夏蚕村欄間の松に糸を吐く       大野 里詩
私の父の実家は養蚕農家であった。夏休みなどに行くと桑の葉を食む音が潮騒のように聞こえた。はみ出した蚕が障子の桟に繭を作ったりしていたものだ。この句は欄間の彫刻に繭玉を作ろうとしている。客間にまで入ったという盛況さが偲ばれるのである。「松に」が具体的である。


氷柱に待ち合はせ人透かし見ゆ     五十嵐京子
ホテルのロビーなどに涼を誘う飾りとして立てられた氷柱。待ち合わせをしている相手が氷柱の向こうから現れる。半透明の氷柱ながらその人であることが解るのである。構図の決め方のうまさであり、小説的な興味も呼ぶ手法だ。 


ポスターが一番怖き夏芝居       朽木  直
夏芝居の宣伝ポスターである。怪談の上演などであろう。血塗られた幽霊などがリアルに描かれているのだが、実際に見ると、それほどのことではない。出口で振り返って見直したポスターの方がよっぽど怖いのだ。 

その他印象深かった句を次に。
  

置き手紙ごと冷さるる水羊羹      有澤 志峯
簾して隣ほどよき距離となる      笠原 祐子
大皿を棚から二枚盆用意        畔柳 海村
子供らの都合を聞くも盆用意      島谷 高水
この村に子供こんなに盆踊       小林 雅子
長電話切るきつかけの夕立かな     鈴木てる緒
権禰宜の烏帽子茅の輪につつかへる   多田 悦子
金の鯱丸揚げにして油照        坪井 研治
男郎花秩父の里に百の寺        宮内 孝子
水打つて浄土の父母を喜ばす      杉阪 大和
水蹴りて水輪消し合ふあめんばう    武田 花果


                 




     
      


 
 



 



星雲集作品抄

            伊藤伊那男・選
来世指す指先あまた盆踊        埼玉   池田 桐人
背泳ぎや日輪に身を委ねつつ      東京   結城  爽
三分の一程の弧や街の虹        東京   今井  麦
降るといふより落ちて来し夕立かな   埼玉   大野田好記
大人しく写真を撮らせ生御霊      東京   梶山かおり
鯖鮓を妻へ土産の記紀の旅       愛知   津田  卓
禰宜のほか皆そはそはと海開き     神奈川  宮本起代子
手ぬぐひの向かうが透けて夏の果    東京   豊田 知子
色のなき戦争写真また晩夏       東京   宮崎晋之介
妹は二才で逝きし墓洗ふ        千葉   森崎 森平
汗腺を全開にして子等の過ぐ      長野   守屋  明
まづは手で山を固めてかき氷      埼玉   渡辺 志水
枕辺の風にねぷたの遠囃子       神奈川  水木 浩生
潜らむとぐづる子を負ふ虹の橋     埼玉   中村 宗男
柳生へと続く道在り男郎花       神奈川  上村健太郎
玩具めく送迎バスや夏の雨       神奈川  伊東  岬
縁日のいつもの場所に金魚売      静岡   金井 硯児
白靴の汚れも旅の名残かな       長野   髙橋 初風
夫の名の表札のまま門火焚く      福島   髙橋 双葉
汗疹の子途切れ途切れに唱ふ九九    ニューヨーク 武田真理子
金魚買ふビニール袋揺れぬよに     静岡   山室 樹一


いにしへを切り取る簾京町屋      東京   秋田 正美
泊り込む父の病室夜の蟬        埼玉   秋津  結
辛うじて眼だけ意志ある残暑かな    神奈川  秋元 孝之
黙祷の額に汗の重さあり        東京   浅見 雅江
競市の蘭鋳少し淋しさう        愛知   穴田ひろし
ひまはりや昭和の匂ひ残る路地     宮城   有賀 稲香
敷き藁に腰を据ゑたる南瓜かな     神奈川  有賀  理
盆僧にお布施を置きて家は留守     愛媛   安藤 政隆
すぐ乾く御影石なり盂蘭盆会      東京   飯田 康酔
踊り手の手振りにつられ踊りけり    東京   井川 敏夫
志津川の波平らなり鮭を焼く      東京   生田  武
明烏一声高く梅雨明けぬ        群馬   伊藤 菅乃
ささがにの糸太々し雨後の墓      兵庫   稲田 掃石
三山へ色づき初めし稲穂の香      東京   上田  裕
活けられて風を忘れし吾亦紅      千葉   植竹 節子
顧みる暇なき日々や胡瓜もみ      埼玉   大木 邦絵
羽衣の朱をひるがへす大金魚      東京   大沼まり子
雑草にまぎれ咲きたる姫女菀      群馬   岡村妃呂子
新涼の水の迅さとなりにけり      京都   小沢 銈三
ラジオから消えぬ雑音敗戦忌      宮城   小田島 渚
昼顔の浜に吊るされ潜水衣       静岡   小野 無道
行き先を告げず訊ねず終戦日      神奈川  上條 雅代
降りそそぐ蟬時雨こそ安らけし     東京   亀田 正則
開け放つ夜気に秋立つ気配かな     神奈川  河村  啓
当たり年一山覆ふ熟柿かな       愛知   北浦 正弘
瓜二つなき鈴なりの蔓茘枝       神奈川  北爪 鳥閑
盆支度生家に風を通すのみ       神奈川  久坂衣里子
一湾はまだ台風の目の中に       和歌山  熊取美智子
老後とは線香花火の一雫        愛媛   来嶋 清子
送り火の煙両の手でそつと抱く     群馬   黒岩 清女
鶫啼く木曾路の山も遠くなり      愛知   黒岩 宏行
かなかなや山路の暮れは足速に     東京   黒田イツ子
兄なくて他郷のごとし青田波      東京   小泉 良子
夏の月樹々に遊びて雲隠れ       群馬   小林 尊子
あめんぼの流されつつも一搔きす    東京   小山 蓮子
雁の竿夕ばえのなか消えゆけり     東京   斉藤 君子
世の塵を流せ添水の力もて       神奈川  阪井 忠太
蚊遣火のまだ消えかねし草の庵     東京   佐々木終吉
控へめに地道に生きむ蕎麦の花     東京   佐藤 栄子
砂粒を掬へば消ゆる夜光虫       群馬   佐藤かずえ
キャベツ畑いつまで続く雹被害     群馬   佐藤さゆり
バスタオルばんと広げし雲の峰     東京   島谷 操
消印は富士山頂局夏見舞        埼玉   志村 昌也
玉音の今なほ耳底木槿花        東京   須﨑 武雄
ため息の置き所なき熱帯夜       東京   鈴木 淳子
湯の街の鮎焼く爺を又訪へり      群馬   鈴木踏青子
なつかしき声に晩夏の詩を湧かす    東京   角 佐穂子
種飛ばす頰のまるみや西瓜の子     愛知   住山 春人
少国民なりしは遥か終戦日       神奈川  関口 昌代
翡翠が沼の景色を切り裂きぬ      東京   副島 泰三
寝ころんで見入る借景雲の峰      埼玉   園部 恵夏
一人来て祈りの長き秋遍路       東京   髙橋 華子
松落葉絵島屋敷の門古りし       埼玉   武井 康弘
『火花』にと夢受けつがれ桜桃忌    広島   竹本 治美
小さな手父が支へて金魚追ふ      三重   竹本 吉弘
一日を語り合ふ時冷奴         東京   田中 寿徳
亡き母の思ひ出新た衣かつぎ      神奈川  多丸 朝子
球児らの声静まりし晩夏かな      東京   辻本 芙紗
蛍火に黄泉のいろいろ聞いてみむ    東京   手嶋 惠子
静かなる神の遊びや稲光        千葉   土井 弘道
さりさりと色を崩せりかき氷      埼玉   戸矢 一斗
南溟に消えし巨艦や敗戦忌       東京   中西 恒雄
遠き日とさせぬサイレン原爆忌     長崎   永山 憂仔
鍋の底土用蜆がにぎやかに       東京   西原 舞  
翳りなき空に筒抜け鳥威し       埼玉   萩原 陽里
打水を足にも打つて今日暮れぬ     東京   長谷川千何子
憂きことよ黎明に聞くあぶら蟬     神奈川  花上 佐都
蟬時雨遠く看取りの夜の灯に      神奈川  原田さがみ
旨酒の三諸の山の夏旺ん        兵庫   播广 義春
海面の夕陽と我とヨットかな      神奈川  福田  泉
座布団を一枚買ひて盆支度       東京   福永 新祇
上がるまで闇を見てゐる大花火     東京   福原 紀子
いつの間に昼寝の癖のつきにけり    愛媛   藤田 孝俊
赤子から幼児へとはや秋近し      愛知   星野かづよ
あぎとへる魚のごとくに熱帯夜     東京   星野 淑子
三伏や奪衣婆の手に亡者の衣      東京   牧野 睦子
老鶯の声澄みわたる谷間かな      愛知   松下美代子
懐かしき日向臭さや干蒲団       東京   松田  茂
カンナ咲き乾ききつたる土の色     神奈川  松村 郁子
蟬しぐれ辺りの空気重くして      東京   宮田 絹枝
巣より出て点呼のごとし秋つばめ    千葉   三好  彩
孔子堂まなこに染みゐる蟬しぐれ    東京   八木 八龍
絡み合ふ業の深さよ枯葎        東京   家治 祥夫
乾杯のビール星空近づけて       群馬   山﨑ちづ子
浮子に寄りまた離れゆく水馬      千葉   吉田 正克
蟬声に吸ひこまれたる眠りかな     東京   渡辺 誠子
番やも呼び声高く小鳥来る       東京   渡辺 文子


                        










     





星雲集 今月の秀句

伊藤伊那男

来世指す指先あまた盆踊        池田 桐人
盆踊は本来、盆に帰ってきた先祖の霊を慰め、ふたたびあの世へ送り出すための鎮魂の踊りである。風の盆もそうだし、秋田県西馬内の盆踊は亡者踊とも呼ばれ、その原点を色濃く残している。この句「指先あまた」の克明な描写に臨場感があり類型を免れており、日本人の血を揺さぶる。同時出句の〈夜汽車より山の端の灯や村祭〉も私の年代位の地方出身者なら共有できる懐しい風景である。もちろん、今でも例えば秩父などを通ると、ふとこんな光景を車窓から目にすることがある。 


背泳ぎや日輪に身を委ねつつ      結城 爽
背泳ぎであるから身体の前面すべてに太陽が当る。背面は水に預け、前面は日輪に委ねる。皆が詠めずにいた「背泳ぎ」を見事に詠み切った。同時出句の〈ビアジョッキ片手に倒叙ミステリー〉もビールを詠んで珍しい発想の句。「倒叙」とは犯人の側から書く推理小説のこと。これも独自の感性の発露。



三分の一程の弧や街の虹        今井 麦
 なるほどね。ビルディングの林立する都会のこと、虹の全貌は当然見ることができず、上の方三分の一位だという。片虹などという季語もあるが「三分の一」という数字を句に持ち込んだのは何とも自在な思考である。この他にも〈バナナ一本今日を戦ふ武器として〉〈夏休みこのまま山の子でいたい〉などもいい持味を発揮している。


大人しく写真を撮らせ生御霊      梶山かおり
さて何歳位からが生御霊であろうか。子供の頃は六十歳を過ぎたら大変な老人だと思っていたのだが、とっくにその歳を過ぎた。だがまだ生御霊の意識はない。今や九十歳以上の感覚であろうか。この句「大人しく写真を撮らせ」と何とも滑稽である。このあと何か想像を超えたことをやらかしそうなおかしさを伴うのである。 


鯖鮓を妻へ土産の記紀の旅       津田 卓
 奈良や近江の歴史の旅をしたのであろう。その旅の土産が鯖鮓というのがいい。鮓の始まりは鮒鮓などの時間をかけて自然発酵をさせたものだが、少し進化したのが押鮨系で、この鯖鮓が代表的なもの。塩漬の鯖を用いて山国でも保存の効く御馳走である。この季語を得て俄然「記紀の旅」が生きてくるのである。


手ぬぐひの向かうが透けて夏の果    豊田 知子
どこがどういいのか‥‥を明確には説明できないが、要はいい感性を発揮している、ということだ。干した手拭いの向うに夏の終りの風景が透けて見える。具象でもあり、作者の心象風景でもあるのだ。逝く夏をしみじみと詠んだ。同時出句の〈夜濯や今日のすべてをまつさらに〉も明るく詠み切った姿勢がいい。 


色のなき戦争写真また晩夏       宮崎晋之助
戦後七十年の今年、モノクロの写真も更に色褪せてセピア色になっている。句としてはそこまでは今までにも詠まれていると思うが、「また晩夏」がいい。巡り来る同じ晩夏。私の生れる四年前が敗戦の年。この作者は戦後の匂いさえ知らぬ年代だが、こうした句を詠みついでいくことを嬉しく思う。その他にも〈夕立の過ぎて小路のにほひかな〉〈今は昔伊都国てふ合歓の花〉など、力を蓄えているようだ。 


汗腺を全開にして子等の過ぐ      守屋 明
「汗」の副季語には「汗ばむ、玉の汗、汗の香、汗みどろ」などがあるが、「汗腺」はない。ただ「全開にして」の措辞を得てこの句は珍しい汗の句となった。遊ぶことが仕事の子供達の様子を活写している。〈漆黒の空叩き割る大花火〉も出色の把握である。 


まづは手で山を固めてかき氷      渡辺 志水
かき氷が頭に沁みるようになってから久しく食べていない。子供の頃アルミの皿の氷を両手で包むように固めたことを懐しく思い出した句だ。「まづは」の打出しがいい。 


潜らむとぐづる子を負ふ虹の橋     中村 宗男
虹の橋を潜るとは何とも美しい句だ。一編の童話を読み終えたようなほのぼのとした味わいである。現実には潜れる筈もない虹の橋だが、この句などみるとそれも可能になりそうな気になる抒情句だ。

              その他印象深かった句を次に。
金魚買ふビニール袋揺れぬよに     山室 樹一
汗疹の子途切れ途切れに唱ふ九九    武田真理子
夫の名の表札のまま門火焚く      髙橋 双葉
白靴の汚れも旅の名残かな       髙橋 初風
縁日のいつもの場所に金魚売      金井 硯児
玩具めく送迎バスや夏の雨       伊東  岬


















           
  

  
   


 


銀漢の絵はがき


挿絵が絵葉書になりました。
Aシリーズ 8枚組・Bシリーズ8枚組
8枚一組 1,000円

ごあいさつにご利用下さい。



    



        














掲示板
















 




鳥の歳時記


     



ちどり










たげり

















  


             
 
  







井上井月/漂白の俳人


『漂白の俳人・井上井月』伊藤伊那男著

 伊藤伊那男主宰の近著『漂白の俳人・井上井月』が平成26年12月25日に(株)KADOKAWAから刊行されました。近年俳人としての井上井月に対する位置づけの見直しが進む中で、伊藤主宰は井月の俳句を通して謎の多い実像に迫る試みをされます。井月の人となりを知る一書として、また井月俳句への入門書として高い評価を得ております。著名な文人、俳人の方々が、いろいろな機会にこの著書を取り上げて紹介されております。是非、読んで頂ければ存じます。

 読売新聞夕刊版・井上井月の記事(2015/4/4)
そのまま忘れられておかしくない男が今、なぜか熱い。北村皆雄さん(72)の映画『ほかいびと伊那の井月』(2011年)の公開後、復本一郎編『井月句集』(岩波文庫)が出版され、作品を味わいやすくなった。伊藤伊邦男『漂泊の俳人井上井月』(角川学芸出版)、北村さんの『俳人井月』(岩波現代全書)など初学者向きの本も相次ぐ。記事から抜粋。
△PDFへリンクします。



記事全体画像。拡大画像に。


△『漂白の俳人・井上井月』伊藤伊那男著

画像上で拡大します。



 帯の紹介文から・・・
ひたすら芭蕉を慕い、山頭火に影響を与え芥川龍之介を唸らせた明治初期の俳人・井上井月。だがその正体は長い謎だった。酒好きで、家も財産も持たず、伊那を約30年放浪した男の知られざる素顔を、近年発見された日記、資料、俳句から探る。唯一の入門書。


画像上出拡大します。
 ひたすら芭蕉を慕い,山頭火に影響を与え、芥川龍之介を瞠目させた。その謎多き生涯を俳句と資料でたどる。井月の素顔が分かる唯一の入門書。135句の名句鑑賞付き。
              KADOKAWA HAIKU 『俳句』4月号から・・。








△KADOKAWA
「俳句」
2015年5月号 新刊サロン・コーナー. 242ページ
『漂白の俳人・井上井月』
「深い理解への第一歩」
相馬智様の紹介文です。


画像上で拡大します。




△KADOKAWA HAIKU
2015年3月号/俳人の時間から

画像上で拡大します。2015/6/5
巻頭3ページに写真が掲載されています。
新作5句
「奈良晩冬」が紹介されています。




△KADOKAWA HAIKU
2015年4月号/俳句の好きの集う居酒屋。P.140~145。

画像上出拡大に。
△俳句好きの集う居酒屋
銀漢亭で句会/火の会















銀漢亭日録

伊藤伊那男

8月

8月12日(水)
6時半、ラジオ体操。八時発、古宇利島ビーチへ。海のきれいな島。14時位まで。戻って夕食は「金波銀波」の沖縄料理。那覇の田和田さん、友人の後藤さん父子、佐々木さん一家と。

8月13日(木)
6時半、出発。JALプライベートリゾート オクマへ。快晴。プールサイドやビーチで終日。午後、船を出して貰い、シュノーケル、釣り。ホテルの総支配人・加藤大介さんは、元、桃子の同僚。一緒に舟に乗り、面倒をみてくれる。砂浜でサンセット見てオクマをあとに。

8月14日(金)
さすがに3日続きの海で日焼と疲労あり、昼過まで家。伊藤庄平祝句集、武田禪次句集の点検など。宮澤はゴルフへ。我々は座喜味城跡へ。グスクの中で一番たたずまいの美しい城跡。「花織そば」で昼食。戻って昼寝。夜、「金波銀波」にまた。魚のマース煮など。「北谷長老(泡盛)」。

8月15日(土)
旅中読んだ本。『目からウロコの琉球・沖縄史』(上里隆史)。『宵山万華鏡』(森見登美彦)これは政三さんから出発前に貰った祇園祭の本。8時発、摩文仁の平和記念公園へ。参拝。資料館見る。敗戦70年の日。「糸満漁民食堂」で昼食。ミーバイ、ビタローのバター焼など、誠に美味!また来たい店となる。道の駅にてっ土産物など買う。ANAにて東京へ。家族はもう一週間ほど。8時半、羽田。機内で『ほんとうは怖い沖縄』(仲村清司)。

8月16日(日)
五時起き、郵便物の整理、返信他。エッセイ一本。終日家。10月号選句。

8月17日(月)
雨。店、堀切克洋君、明日、パリへ戻るとて、仲間が集う。佐怒賀正美、山田真砂年、北村監督……10 数名。毎日新聞の鈴木琢磨記者、写真家の初沢亜利さんと。

8月18日(火)
14時、鳥居真里子さんの超結社句会に発行所開扉。終わったあと、店へ4人。店は「火の会」7人。沖縄料理を出す。池内けい吾、洋酔、窪田明さん。窪田さん句集、角川で出版の目処ついたと。

8月19日(水)
清人さん幹事の「気仙沼の鰹を食べる会」。25人ほど。馬刀貝、いか焼など。「三水会」4人。久々、大賑わい。あと、好記、展枝、いづみ、敦子さんと「ふくの鳥」。

 8月20日(木)
杏さん、水上の別荘に行ったら、天井裏にスズメバチの巣があり、部屋を飛び交い大騒ぎと。そのあと窓をガリガリする音がして振り向くと熊がいたと! これ、ほんとの話だから! と。ようこそ、ジェラシックパークへ。店、「銀漢句会」あと16人。他は閑散。

8月21日(金)
杉並都税事務所廻りなど。発行所「蔦句会」あと店へ6人。そのあと客なし。21時閉店す。何とも淋しい……。

8月22日(土)
雑用いろいろ。1時、有楽町よみうりホール。三輪山セミナーイン東京。武田一派と。広瀬和雄先生の「前方後円墳とはなにか」に刺激を受ける。あと1人渋谷にて「文芸春秋」を久々に拾い読みしながら3軒ほど飲み歩いてしまう。

8月24日(月)
国会議員のT先生。夏休みを小笠原諸島で過ごしたと。「演劇人句会」8人。他閑散。

8月25日(火)
「萩句会」の選句でひまわり館。店、お客4人というかつてない状況。水内慶太氏よりだだ茶豆沢山到来。

8月26日(水)
「雛句会」11人。「天為」編集部送別会6人。対馬さんと現俳協の方々。池田のりをさんと友人などなど。

8月28日(木)
ORIX堀尾君5人、懐かしい方々。「門」同人句会あと7人。「天為」の方々……。伊那出身の上島紀さん訪ねてきて下さる。

8月29日(土)
9時、新幹線にて名古屋。11時半、旧東海銀行の接待所主税町クラブにて「名古屋句会」の萩原空木さん、幹事・堀江美州さん、中村紘子さんなど7名と懇親会、句会など。あと「うな善」にて「ひつまぶし」その他、名古屋料理。あとカラオケ……と温かなもてなしを受ける。名鉄グランドホテル泊。雨。

8月30日(日)
ホテル18階の展望レストランにてゆっくり朝食。11時、名古屋マリオットアソシアホテルにて加古宗也主宰「若竹」千号記念祝賀会へ。復本一郎先生の「子規は芭蕉から何を学んだか」の講演。正午より祝賀の宴、3時半まで。20時過帰宅。

8月31日(月)
午前中、原稿書き。10月号終了。店、池田のりを、相沢文子さんの誕生祝の会、25人ほど集まる。別に広渡敬雄、角川・青木氏、鈴木忍さん他の来店があったが誕生会に合流してもらう。菅原庄山子さんより、またまただだちゃ茶豆到来。

9月

9月1日(火)
「門」の鈴木節子さん、沖積舎の色紙短冊展のあと寄って下さる。閑散、21時に閉める。

 9月2日(水)
吉田類さん久々、「神保町へ来たので、伊那男さんに会いたくて」と、寄ってくれる。一時間ばかり話す。月の内半分位は北海道と。超多忙の様子。「宙句会」あと10人。「きさらぎ句会」あと11人。事業部、羽黒吟行打ち合わせ。

9月3日(木)
「十六夜句会」あと9人。中島凌雲君、出張で。帰路、ふと眠り、狛江まで乗り越し。今週2回目。

9月4日(金)
中川さん来て、整髪。家族は「ライオンキング」観劇へ。宮澤は昨日から伊勢、伏見稲荷へ。店、全体閑散。「運河」の佐藤コウノスケさん、矢野玲奈さん久々。洋酔、宗一郎さん。黒岩徳将君、岡山から。

9月5日(土)
9時発、あずさ号にて上諏訪。大野田さん迎えに来てくれて、天竜川沿いの鰻屋「観光荘」へ。伊那北高校同期生で野球部キャッチャーだった宮澤君の経営する店。鰻丼と鯉こく。14時から、「いなっせ」にて、井月の生きた時代についてのシンポジウム「井月たちの幕末維新」。17時まで。あと「高遠句会」の加藤、三溝、守屋さんたちと東京組の懇親会を「串正」にて。15人。二句出し句会も。あと大野田さんの幼友達のラーメン店、ホテル前の居酒屋とまた……。ホテルセンピア泊。












           
△『漂白の俳人・井上井月』伊藤伊那男著
          
  
    






今月の季節の写真/花の歳時記



2015年11月25日撮影    TOKYO/HACHIOJI







花言葉   「用心深さ」「剛直」「保護」
      


 
クリスマスに飾られる柊は、西洋柊(せいようひいらぎ)と呼ばれます。英語名ではEnglish holly(イングリッシュ ホーリー)。西洋柊は、日本の柊とは種類が違います。日本の柊は、モクセイ科なのですが、西洋柊は、モチノキ科となります。

クリスマスに悪魔が悪いことをしないようにと、飾り付けられたといわれています。イングリッシュホーリーという名前の他に、クリスマスホーリーという名前もあります。

真冬に真っ赤な実をつけるという植物は珍しく、昔からから神聖なものとされていました。これは、キリストが生誕するよりも、もっと前からそのように信じられていたということです。

真冬に真っ赤な実を付ける西洋柊は、キリストの血のようだと言われています。キリスト教では、西洋柊は、キリストの足元から生えたと信じられています。

「キリストの刺」という名前も持っています。白い花はキリストの生誕を意味し、樹皮や実は受難を表しています。キリストの血は、人々の罪をその身に負い、身代わりとなったために流された尊いあがないです。

ヒイラギはモクセイ科の植物です。ヒイラギに似たトゲのある葉を持つ植物は「ヒイラギ」の名がつけられることがあります。例えば、クリスマスの飾りに使うセイヨウヒイラギ(モチノキ科)やヒイラギナンテン(メギ科)などがありますが、これらは別種になります。ネットから引きました。



写真は4~5日間隔で掲載しています。 

2015/11/26 更新


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