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 12月号  2015年

伊藤伊那男作品 銀漢今月の目次 銀漢の俳句 盤水俳句・今月の一句  彗星集作品抄  
  彗星集選評  銀河集・作品抄 綺羅星集・作品抄 銀河集・綺羅星今月の秀句 星雲集・作品抄    星雲集・今月の秀句  銀漢の絵はがき 掲示板  鳥の歳時記 井上井月 銀漢日録
 今月の写真


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伊藤伊那男作品

主宰の八句

秋草        伊藤伊那男

妙法の火の崩し字のまま崩る
送火の果て潮騒の村となる
彼の人の送火またも燃えしぶる
秋草や芭蕉十哲ちりぢりに
出雲はもをろちとも見え稲光
嵯峨野なる葉ずれの音も竹の春
浅草の橋もなかばの良夜かな
一村の嵩の減りたる落し水






     







        
             


今月の目次

平成27年 12月号 目次 (1)

鑑賞  盤水俳句・今月の一句  伊藤伊那男…表紙2
巻頭エッセイ  「銀漢」の俳句 伊藤伊那男…2
主宰作品八句  「秋草」伊藤伊那男…3
         競詠欄  彗星集・選評…4
同人集  銀河集・綺羅星集…8
              銀河集・綺羅星集選評 伊藤伊那男…34
お知らせ  平成二十八年度「設立五周年記念祝賀会」ご案内…36
巻頭作家紹介  彗星集・森崎森平 星雲集・池田桐人…37
前月号同人集十句選  島織布・清水佳壽美・中村貞代・森羽久衣…38
同人近詠  小林雅子・曽谷晴子・中村貞代・沼田有希…40
エッセイ  「青畝の水脈」⑫ 谷口いづみ…44
      「日本のこころ」⑩ 武田禪次…46
         会員集  星雲集秀逸十五人…48
              星雲集…50
              星雲集選評 伊藤伊那男…62
新星集  …64
前月号会員集十句選  中島凌雲・中村孝哲・藤井紘一・
堀切克洋・松浦宗克・屋内松山…65
    私の愛唱する一句  笠原祐子・島谷高水・津田 卓・戸矢一斗…68
出羽三山吟行会報告  大溝妙子・我部敬子・小山蓮子・佐藤さゆり
           高橋透水・髙橋双葉・武井まゆみ・中島凌雲
山﨑ちづ子
写真  伊藤政三・こしだまほ・戸矢一斗・渡辺花穂…70
鳥の歳時記㉔ 「寒鴉」「冬鷗」 北浦正弘…78
        エッセイ  歳時探訪「茨城随想⑫」 中村湖童…80
             「いろいろ歳時記」㊶  島谷高水…81
             「パリ通信」㉔  堀切克洋…82
万華鏡  「『火花』を読んで」 朽木 直…83
平成二十八年年間予定表  事業部…84 
句会一覧表…85
各種会報  句会報告…86
名古屋句会・関ヶ原吟行記  住山春人…94
添削教室  伊藤伊那男…96
銀漢亭日録  伊藤伊那男…98
掲示板  各種お知らせ…100
星の便り  …102
  投句用紙  …103
編集後記  武田禪次…表紙3
              表紙・本文イラスト=北澤一伯 =馬場龍吉





銀漢俳句会/12月号





     









   



銀漢の俳句 

伊藤伊那男 

字余り・字足らず

 8月初旬に開催された「2015 こもろ・日盛俳句祭」のシンポジウムでパネリストを依頼された。若手の論客が集まっている会なので躊躇いがあったのだが、幹事役の本井英氏のただならぬ情熱に敬服しているので、素直に受けた。題は「字余り・字足らず」の俳句についての考え方や秀句について語るというものであった。私が発言した趣旨は次のようなことである。
   そもそも俳句は五七五という定型と季語があることを前提とした文
  芸なので、わざわざ好んで定型を崩す行為は避けるべきである。字余り
  句に走った河東碧梧桐は初期の句以外は忘れ去られた。種田山頭火や尾
  崎放哉は定型俳句を破壊する確信犯であって、俳句というジャンルに無
  理に入れる必要はない。むしろ「一行詩」とか「短詩」と呼んで、別の
  独立した文芸に分類した方がいいのではないか。今日集った百何十名の
  方もほとんどが有季定型派の筈である。もし明日の句会で〈咳をしても
  一人〉というような句や〈うしろ姿のしぐれてゆくか〉というタイプの
  句を出すかどうか? 採るかどうか? つまり定型は座の文芸を守る重
  要な掟なのである。字余り・字足らずの句が、たまたま許され、あるい
  は生き残るのは、一所懸命に五七五に仕立てようと苦心を重ねた上で、
  どうにもならず定型を外れた、という結果であって、意識して作るもの
  ではない。我々は有季定型に励まなくてはならず、たまにやむなく定型
  外の句が生まれてくるものであって、狙って作るものではない。
   むしろ「字余り句」は適正基準を超えた「肥満体」、「字足らず句」
  は「夏痩せ」のようなもので、健康管理ができていない結果である、と
  思った方がいい。わざわざ健康を損ねるようなことは不要だ。

 というような意見を述べた。俳句は今や世界中に愛好者がいるし、世界文化遺産に申請しようという動きもある。広がっていけば「柔道」が「JUDO」になったり、「寿司」が「SUSHI」になったように、「俳句」が「HAIKU」になり、どの国で発生した文芸かも不明になる時代が来るかもしれない。風土と言語の異なる国で発達すれば、ルールは大幅に変わってくるのは必然である。だからこそ今我々が勝手に俳句のルールを崩していくような安易な選択をしてはならない。本家こそ厳然と、伝統としきたりを墨守しなくてはならないのである。
 

 












           



 



  

盤水俳句・今月の一句

伊藤伊那男

雪しまき松例祭の火を攫ふ       皆川 盤水


 


出羽三山神社前の補屋(しつらえや)を中心に大晦日から新年にかけて行われる修験道の祭礼。祭の執行は百日間の精進潔斎を終えて身を清めた松聖(まつひじり)と呼ばれる山伏の最高位が務める。恙虫(つつがむし)(かたど)った大松明を焼き、炎の大小や燃え方の遅速などで新年の豊凶を占う。この秋宿泊した手向(とうげ)三光院の粕谷典海氏も数年前に松聖を務められた。この句はその父上、忠泉氏が務められた時の句と思われる。堅牢な写生句で豪雪地の火の祭典の凄味が伝わってくる。
                                (平成四年作『随處』所収)






         



  
 

彗星集作品抄

伊藤伊那男・選

借りたるが形見となりぬ秋扇       笠原 祐子
萩白し風にさらはれさうな母       相田 惠子
村芝居馬脚顔出し終りけり        久重 凛子
槍沢に下山を急かす稲つるび       多田 悦子
手放すと決めて最後の松手入れ      鏡山千恵子
唐辛子陽のたけなはの乾びかな      北澤 一伯
秋簾巻きあげしまま勝手口        渡辺 志水
稲刈りの一家総出と言ふふたり      大野 里詩
墓掃除しては祖父母に近付けり      津田  卓
子等来たり門火の意味を又子らに     小林 尊子
潮騒の時に間遠や秋扇          渡辺 花穂
けふもまた眼くされ祭雨もよひ      武田 禪次
ばたばたとくたばつてゆく夏芝居     中島 凌雲
熟柿着く十日待てとのメモつけて     志村 昌也
秋風を入れ頁繰る広辞苑         佐々木節子
装うて帯にとどめの秋扇         小林 雅子
秋扇うはさ話に風送り          五十嵐京子





         
           








彗星集 選評 伊藤伊那男


借りたるが形見となりぬ秋扇      笠原 祐子
夏の暑い最中、貸してくれた扇子を返さないままに持っていたのである。秋になった頃、その貸主があの世に旅立ったという知らせがくる。「秋扇」となって手許に残ったのである。「露の世」というが、人の世にはこんなことがある。下五に別の季語を入れてみよう。冬帽子、春ショール、春日傘・・・。秋扇が動かないようだ。 



萩白し風にさらはれさうな母      相田 惠子
細い枝をもった萩は僅かな風にも揺れる。母もそのような華奢な人なのであろう。この句を見ると永田耕衣の<朝顔や百たび訪はば母死なむ>を思い出す。季語が象徴的に使われているのである。 



村芝居馬脚顔出し終りけり       久重 凛子
 馬の脚の役割を演じた者が馬から出て挨拶をして終る。端役に光をあてる村芝居の良さである。さて句として少し滑稽味を保ったのが、句全体の中から「馬脚を露す=ぼろを出す」の慣用語があぶり出されるような面白さが生じることである。「馬脚顔出し」の表現に笑いがこみ上げる。



槍沢に下山を急かす稲つるび      多田 悦子
 槍沢は槍ヶ岳から南へ流れる梓川の上流部にあり、数段のカールの地形。登山者には親しみのある要路である。下山の途中の槍沢で雷鳴を聞いたのであろう。荒れる前に下山を急ぐ。「稲つるび」は稲びかりのことであるがわざわざこの言葉を使ったところが面白い。「つるび」が、稲の成長を促す農業と密着した言葉であり、山麓に広がる安曇野の豊かな稔りの風景が浮かび上がるのである。



手放すと決めて最後の松手入れ     鏡山千恵子
 住み馴れた家を手放すことになったのであろうか。だからこそ愛着のある松を丁寧に手入れする。そこに深い思いが窺われるのである。立つ鳥跡を濁さず、である。



唐辛子陽のたけなはの乾びかな     北澤 一伯
唐辛子を干しているのであろう。ちりちりと焦げるように乾いていく。そのようなことが如実である。「陽のたけなは」の把握が一句を立たせているのである。 



秋簾巻きあげしまま勝手口       渡辺 志水
 「巻き上げしまま」に下町の生活感が出ているようだ。 



稲刈りの一家総出と言ふふたり     大野 里詩
残された老夫婦だけの稲刈り。最近の農村の現実である。 



墓掃除しては祖父母に近付けり     津田  卓
 このようにして人は生き死にを繰り返していくのだ。



子等来たり門火の意味を又子らに    小林 尊子
 自分が言い聞かせたことを子が孫に伝達していく絆。



潮騒の時に間遠や秋扇         渡辺 花穂
人の去った海辺。手にしていた扇もいつしか秋扇に・・・。 



けふもまた眼くされ祭り雨もよひ    武田 禪次
芝明神の生姜市の別称。まただらだら雨が降る。 



ばたばたとくたばつてゆく夏芝居    中島 凌雲
かなり乱暴な作り方だが、これも夏芝居の一興か。 



熟柿着く十日待てとのメモつけて    志村 昌也
 「十日待て」が面白い。こういう事も俳句になるのだ。



秋風を入れ頁繰る広辞苑        佐々木節子
電子辞書をもってから広辞苑を捲るのは秋風だけ。 



装うて帯にとどめの秋扇        小林 雅子
「とどめ」がこの句を立たせている。 



秋扇うはさ話に風送り         五十嵐京子
噂話を煽るのか、鎮めるのか、秋扇にも役割が。 
   

残念な事だが、今月の彗星集は不作であった。銀漢賞の応募その他、皆が追い込まれていた結果であるかもしれない。だが、それにしても残念である。結局二十句を採ることができなくて、このような後記を書かざるを得なくなったのである。俳句は座の文芸であるけれど、つきつめれば孤高の文芸でもある。句会というものを経ずに出句しなくてはならないこの彗星集の投句は労苦を要するものであると思う。だが、だからこそ、また純粋に自分の思いを吐露する機会でもある。次の投句を楽しみにしたい。


















     
        







銀河集作品抄

伊藤伊那男・選


黍嵐つのる呉越の国境         東京  飯田眞理子
朝顔やラジオの漏るる母の家      静岡  唐沢 静男
月山を消して山霧深くなる       群馬  柴山つぐ子
地蔵会の色もさすがの機の町      東京  杉阪 大和
水鳥の踵突き出し着水す        東京  武田 花果
遥拝の日輪濡るる終戦忌        東京  武田 禪次
浜木綿や一の鳥居は荒磯に       愛知  萩原 空木
母の良夜かすかに鳴れり鈴鋏      東京  久重 凜子
朝顔の佃に偲ぶ昭和かな        東京  松川 洋酔
白樺の皮干しゐるも盆用意       東京  三代川次郎
秋の声堂の詩仙が耳澄ます       埼玉  屋内 松山








   
   










綺羅星集作品抄

伊藤伊那男・選 

秋扇ひらきウイーンの風を恋ふ     埼玉  梅沢 フミ
母のふと鏡に映る白露の夜       東京  島  織布
ふと見たる鏡の堅さ白露かな      東京  曽谷 晴子
魚眼レンズに歪む大阪白露かな     大阪  末永理恵子
観音のうしろの正面蓮の実飛ぶ     埼玉  多田 美記
吾妻はやとささめくこともをとこへし  神奈川 谷口いづみ
利休居の底紅といふ火種かな      大阪  中島 凌雲
手慣れしを寂しと思ふ盆用意      東京  山元 正規
蓑虫の吹かれ近江の観世音       東京  朽木  直
漂着す椰子の実つばめ帰るなり     神奈川 大野 里詩
ふる里の変らぬものに虫の夜      東京  小林 雅子
秋扇たためど細くならざりし      東京  新谷 房子
鶏頭の紅のちからに寄りがたく     東京  中村 貞代
村中が歳を重ねて盆をどり       東京  松代 展枝
二周目は踊姿もそれなりに       東京  森 羽久衣
落し文あまた中央郵便局のごと     東京  多田 悦子

秋霖の匂ひ纏ひし竹箒         東京  相田 惠子
天の川かぶさるやうに寺泊       東京  有澤 志峯
崩れ初む熟柿の雨に打たれつつ     東京  飯田 子貢
流鏑馬を走り切つたる馬の汗      静岡  五十嵐京子
威銃止む間を雀忙しなく        埼玉  伊藤 庄平
身の内に寒さ閉ぢ込め寒鴉       東京  伊藤 政三
稲光有象無象を炙り出す        東京  大西 酔馬
秋蝶を入れて婚礼写真かな       東京  大溝 妙子
穏やかに寝む満月を簾越し       東京  大山かげもと
天高し帽子にゆるる羽かざり      東京  小川 夏葉
台風の報あり去年のままの庭      鹿児島 尾崎 尚子
心電図見つつ白衣の夜食かな      埼玉  小野寺清人
実朝の海に女波や千鳥啼く       神奈川 鏡山千恵子
百点を告ぐる稲刈る父母へ       和歌山 笠原 祐子
萩乱れ宛先不明の手紙かな       愛媛  片山 一行
海蠃まはし見せて佃に海見えず     東京  桂  信子
星月夜天に開きたる孔いくつ      長野  加藤 恵介
彼岸花咲くも傾ぐもますぐなる     東京  我部 敬子
ひと山を膨らませたる虫の声      高知  神村むつ代
潮招き風を自在に切り結ぶ       東京  川島秋葉男
蚯蚓鳴く闇へ聴き耳驢馬の耳      長野  北澤 一伯
秋風を閉ぢ込めてゐる巾着田      東京  柊原 洋征
雨のみで終はりし二百十日かな     東京  畔柳 海村
秋うららランチは少し遠くまで     神奈川 こしだまほ
柿右ェ門邸の掃かれて柿の秋      長崎  坂口 晴子
夕顔に佇めば風生れくる        千葉  佐々木節子
桐一葉まことしやかに散りたまふ    山口  笹園 春雀
喪の服のととのふ鏡秋暑し       長野  三溝 恵子
鎌腰に棚田の結へ集ひたり       静岡  澤入 夏帆
氷菓たぶただそのための銀座かな    東京  島谷 高水
秋燕故郷の空通りしか         兵庫  清水佳壽美
太閤の高きに登る一夜城        東京  白濱 武子
羽衣の松へ店張る甘酒屋        静岡  杉本アツ子
母好む甘き南瓜を甘く煮る       東京  鈴木てる緒
金銀の星ふる浜の千鳥かな       東京  瀬戸 紀恵
父見舞ひ子は短日の夜行便       愛媛  高橋アケミ
秋の山延命水を水筒に         東京  高橋 透水
飴色になりし踏み台盆用意       東京  武井まゆみ
コスモスの畑に囲まれ番外地      東京  田中 敬子
空蟬の爪の離さぬ此世かな       東京  谷岡 健彦
子らの部屋それぞれに秋灯しけり    東京  谷川佐和子
虫の声闇の形を定めけり        東京  塚本 一夫
ラヴェンダー畑のはづれの修道院    東京  坪井 研治
鬼やんま先達めける翁道        神奈川 中川冬紫子
生れ来し子に秋扇の祝ひ風       東京  中野 智子
没落の家紋宙舞ふ秋の蝶        東京  中村 孝哲
この南瓜馬車になるには重すぎる    茨城  中村 湖童
簾より漏るる昭和の歌謡曲       愛知  中村 紘子
西鶴を講ぜし恩師忌に偲ぶ       東京  沼田 有希
秋晴れや大鳥小鳥集ひたる       福岡  藤井 綋一
雨宿りした人と見る秋の空       東京  保谷 政孝
秋風と越えゆく峠牧水忌        東京  堀内 清瀬
爽涼や長袖のシャツ皺無くて      岐阜  堀江 美州
サーカスを引き連れてくる野分かな   パリ  堀切 克洋
稲妻に思はぬ癖を見破らる       埼玉  夲庄 康代
しんしんと霜夜の音を聴き更けぬ    東京  松浦 宗克
花野ゆくあまたの種をこぼしつつ    長野  松崎  正
おろし擂る音も馳走の初秋刀魚     東京  宮内 孝子
かなぶんの胸にとつつくを爪弾き    千葉  無聞  齋
秋雨やのらりくらりと日の暮るる    東京  村上 文惠
渓流の音を背にして走り蕎麦      東京  村田 郁子
柘榴割る赤心かくす術もなし      東京  村田 重子
握りしむ地蔵詣の菓子袋        埼玉  森濱 直之
たをやかに玉蜀黍の髭に風       愛知  山口 輝久
折鶴の端の歪みや敗戦忌        東京  山下 美佐
鰯雲船団のごと湾に入る        群馬  山田  礁
寝ることに力がゐると父夜長      群馬  山田 鯉公
声も輪も膨れて郡上踊かな       千葉  吉沢美佐枝
なつぎぬや衣桁にかけし博多帯     神奈川 吉田千絵子
つつましく己が影敷くこぼれ萩     愛媛  脇  行雲
底紅の底に透けたる生家の灯      東京  渡辺 花穂






   









     







銀河集・綺羅星今月の秀句

伊藤伊那男

秋の声堂の詩仙が耳澄ます       屋内 松山
一読、うまい!洛北、叡山西麓の石川丈山の居宅。三十六歌仙の像を狩野探幽に描かせ、これに詩を題して掲げたことからその名がある。「秋の声」は特定の物音というよりも秋の気配を感じさせる風雨の音、虫の声、葉擦れの音、せせらぎの音などを指す。その秋の気配に、三十六歌仙が耳を澄ませて聞き入っているというのだ。「詩仙堂」の固有名詞から「堂の詩仙」へ転換させた技には瞠目するしかない。あの開け放たれた座敷から作者も瀟洒な庭を眺めて耳を攲てているのだ。風雅な一句を楽しませて貰った。 


  

秋扇ひらきウィーンの風を恋ふ     梅沢 フミ
折り畳む扇は万葉集の時代に日本で作られ、それが中国に渡り、また西洋にも伝播していったようだ。かって遊んだことのあるウィーンの風景を思い出しながら秋扇を開いたのである。ウィーンには爽やかな風が吹いていたのであろう。洒落た仕上がりの句で、秋扇の句として類型のない発想である。 


  

母のふと鏡に映る白露の夜       島  織布
ふと見たる鏡の堅さ白露かな      曽谷 晴子
 「白露」は二十四節気の一つ。「陰気ようやく重り、露凝って白き」の意という。暑気も納まり空気も澄んでくる。おのずから内省的になる時期である。織布句は、白露の夜の鏡に、ふと母の顔を見た。自分の姿に母が重なったのであろう。白露という季節の変わり目に、鏡に心を投影させたのである。晴子句は鏡面に常よりも「堅さ」を感じた独自の感性。「ふと」「鏡」「白露」の三つの言葉を共有しながら、それぞれの思いを吐露しているのである。


  

魚眼レンズに歪む大阪白露かな     末永理恵子  
 これも白露の句だが、実に変った視点である。魚眼レンズであるから確かに風景は歪むのだが、
・・・。これが東京であれば、政治思想などが絡んでくるような警戒感を持つが、大阪となればこの歪みも滑稽感を伴ってくるのである。笑う直前の顔のような面白さ。「白露」と真面目に押えたところも楽しい。東京者には詠めない関西のユーモア。


  

観音のうしろの正面蓮の実飛ぶ     多田 美記
 子供たちの遊びに「籠目籠目籠の中の鳥はいついつ出合う・・・後ろの正面誰れ」の歌の本歌取りである。この観音を十一面観音と見れば、後ろの正面は暴悪大笑面ということになり、童謡では済まないある怖さを伴うようだ。そのまなざしの先が、蓮の池で、今しもその実の飛ぶ頃。写生句とも見え、心象句とも見え、脳裡に刻印された句だ。


  

吾妻はやとささめくこともをとこへし  谷口いづみ
 弟橘媛が海神の怒りをなだめるため海中に身を投じて日本武尊を救った。その媛を偲んで碓氷峠で「吾妻はや・・・」と嘆く。その故事から群馬県に吾妻郡があり、嬬恋村がある。実は箱根山の中腹にも碓氷峠があり、その方が真鶴半島との距離から見て妥当性がありそうな気がするが・・・さて。この句「ささめく」は、心が乱れ騒ぐという意味である。男郎花の取り合わせが巧みで、神話を題材にして秀逸。


  

利休居の底紅といふ火種かな      中島 凌雲
 堺に利休居跡という空地がある。奥に井戸の跡も残っていた記憶がある。「底紅」とは木槿のことである。韓国の国花で、この花を絡めた利休の小説・映画もあった。現在の利休居跡にこの花が植えられているのかどうか知らないが、「火種かな」の結びは見事である。栄達を極めた茶頭が秀吉の勘気に触れて切腹の最後を迎える。そんなことを暗示する。「火種」の措辞である。


  

手慣れしを寂しと思ふ盆用意      山元 正規
「手慣れし」の意味はなかなか深いのである。父や母が亡くなって自分が先祖供養の役割を務めるようになるのだが、そのような立場になってずい分月日が過ぎたなあ、という感慨である。自分も齢を重ねていく一抹の寂しさでもある。このようにして家の歴史を重ねていくのである。 


  

蓑虫の吹かれ近江の観世音       朽木  直
 近江も湖北の十一面観音の里を思い出す。戦火を逃れてかろうじて残った観音様を守る寺や、寺とも言えぬ建物で、電話をすると村人が鍵を持って来てくれるような所もある。そんな場所であれば、軒先に蓑虫が糸を垂らすこともあろう。連綿と仏を祀る村の「安息」を感じさせる句であった。

その他印象深かった句を次に
  

黍嵐つのる呉越の国境         飯田眞理子
漂着す椰子の実つばめ帰るなり     大野 里詩
ふる里の変らぬものに虫の夜      小林 雅子
秋扇たためど細くならざりし      新谷 房子
鶏頭の紅のちからに寄りがたく     中村 貞代
村中が歳を重ねて盆をどり       松代 展枝
二周目は踊姿もそれなりに       森羽 久衣
落し文あまた中央郵便局のごと     多田 悦子







                 
    
   

 
 



 



星雲集作品抄

          伊藤伊那男・選

葉書から風立ちてをり夏見舞      宮城   小田島 渚
朝顔の蕾明日を畳みをり        埼玉   池田 桐人
皇女を立ち濡らしたる露いまも     神奈川  久坂衣里子
形見とも云へぬ秋扇古鞄        神奈川  原田さがみ
日雷パズルの迷路ぬけ出せず      宮城   有賀 稲香
ラフランス悩ましき刃の当て処     神奈川  水木 浩生
無口なる夜学教師や藤村忌       神奈川  宮本起代子
風鈴の泣き納めかな蛇笏の忌      神奈川  上條 雅代
顎上ぐるだけの挨拶油照        神奈川  伊東  岬
地蔵盆兵児帯緩ぶ京の路地       埼玉   大野田好記
棹秤傾げば鰯一尾足す         埼玉   中村 宗男
干鰯浜の入り日に影長し        静岡   金井 硯児 
法話なほつづく気配や秋扇       神奈川  多丸 朝子
寒鴉驚く人に驚きぬ          東京   梶山かおり
蓑虫や雨の静けさ糸に吊り       神奈川  上村健太郎
カンナ咲く起立の声を聞くごとく    静岡   山室 樹一
染みひとつ心に残し夏終る       愛知   松下美代子
苦瓜の苦さにも慣れ金婚日       広島   竹本 治美
『罪と罰』半ばに栞秋深し       神奈川  河村  啓
百舌来るや胸に一事が凝りたる     長野   唐沢 冬朱
書きかけの暑中見舞と旅に出る     東京   今井  麦


扇風機労作の句に首を振る       東京   秋田 正美
初潮のうねり及べる小名木川      埼玉   秋津  結
二度三度目覚むるもまだ長き夜     神奈川  秋元 孝之
秋風や膝抱いて聞く母の愚痴      東京   浅見 雅江
かなかなの声も閉ぢ込め窯詰むる    愛知   穴田ひろし
道祖神手を握り合ふ野分なか      神奈川  有賀  理
失せしものふつと出てくる野分あと   愛媛   安藤 政隆
立ち枯れの木にきつつきの穴の数    東京   飯田 康酔
秋草を活くる母の背偲ばるる      東京   井川 敏夫
秋時雨ボンタン飴を噛む記憶      東京   生田 武
魂迎ふ風のそよぎを声と聞く      長野   池内とほる
百日紅残更多き花の数         群馬   伊藤 菅乃
広島忌籠の玉子の身じろがず      兵庫   稲田 掃石
青瓢刈る大仰な鋏もて         東京   上田  裕
赤とんぼ羽に夕日をのせて飛ぶ     千葉   植竹 節子
りんご箱の机なつかし秋灯       埼玉   大木 邦絵
露草の露の身飾るひと雫        東京   大沼まり子
小芋食ぶ指でひとおし口の中      群馬   岡村妃呂子
前略もなく忽然と秋に入る       神奈川  小坂 誠子
道しるべ仮名でさがのと爽かに     京都   小沢 銈三
紫苑愛づその草丈の低からず      静岡   小野 無道
新涼や未明布団を手繰り寄せ      東京   亀田 正則
詩ならず鳥の啄む式部の実       愛知   北浦 正弘
窓際に広がる迷路蔓荔枝        神奈川  北爪 鳥閑
鯊釣るをパントマイムを見るやうに   和歌山  熊取美智子
幹にまで染み込むやうな蟬の声     埼玉   黒岩  章
野分後煙たゆたふ大浅間        群馬   黒岩 清女
人混みにひと息吐いて秋扇       愛知   黒岩 宏行
かなかなや山路の暮れは足早に     東京   黒田イツ子
使ひもす香り失せたる秋扇       東京   小泉 良子
秋祭小さな村に太鼓鳴る        群馬   小林 尊子
配達は風委せなり落し文        東京   小山 蓮子
色鳥の渡り半ばや旅やどり       東京   斉藤 君子
凛々しさの少年棋士や秋高し      神奈川  阪井 忠太
爽やかに遺墨の文字の色淡し      東京   佐々木終吉
つくつくし母との会話きりもなく    東京   佐藤 栄子
水引草誰と繫がる赤い糸        群馬   佐藤かずえ
秋暑し遠く見ゆるは剣岳        群馬   佐藤さゆり
煙にまくつもりなけれど焚火たく    東京   島谷  操
久々の青空なれば梨を買ふ       埼玉   志村 昌也
常しへにあれ産土の法師蟬       東京   須﨑 武雄
物置の出し入れ半ば秋半ば       東京   鈴木 淳子
将門の郷に竜巻炎暑の日        群馬   鈴木踏青子
虫の夜と思ふばかりの一人の夜     東京   角 佐穂子
朝顔の紺の深さへ子の瞳        愛知   住山 春人
女医の問ふ「百引く七は」昼の虫    神奈川  関口 昌代
山里の冷気を啜る走り蕎麦       東京   副島 泰三
おしろいの花あでやかに闇の画布    埼玉   園部 恵夏
頂上にホテルを乗せて山粧ふ      長野   髙橋 初風
竜淵に潜み『魔の山』読了す      福島   髙橋 双葉
鬼やんま風を切つたる富士の里     埼玉   武井 康弘
軒陰にしのび来たりし秋の夕      三重   竹本 吉弘
遠花火音を留守居の友とせり      東京   田中 寿徳
タイプ音社内駆けたる野分来る     東京   辻本 芙紗
持てぬほど能登朝市の長南瓜      愛知   津田  卓
簡単服素足の母の遠き日々       東京   手嶋 惠子
墓洗ふ墓の頭の暑きかな        千葉   土井 弘道
重たさを少し擡げて梨を捥ぐ      埼玉   戸矢 一斗
水澄むや白鳥号の足見えし       東京   豊田 知子
はにかめる詩想に触るる夕爾の忌    東京   中西 恒雄
みんみん蟬日暮れ惜しみて輪唱す    神奈川  長濱 泰子
蔵人の鯔背な声を乗せて秋       長崎   永山 憂仔
石庭に散る塔頭の八重桜        東京   西原  舞  
此岸より彼岸の界曼珠沙華       埼玉   萩原 陽里
駆けのぼる祭囃子や男坂        東京   長谷川千何子
倦怠の身に桃の香の染み渡る      神奈川  花上 佐都
ちちろ鳴きつげる丁夜を町流し     兵庫   播广 義春
ポケットのこづかひ鳴れり地蔵盆    神奈川  福田  泉
伊那街道秋水いくつ渡りしか      東京   福永 新祇
ゴルフ場はもと古戦場鬼やんま     東京   福原 紀子
茄子の馬素麺掛けて鞍となす      愛媛   藤田 孝俊
すすきの穂抱つこ紐から手が伸ぶる   愛知   星野かづよ
ゴーヤ熟れ空より真紅の種こぼす    東京   星野 淑子
合唱のときに輪唱虫しぐれ       東京   牧野 睦子
寒雷や天迫り来る能登の海       東京   松田  茂
曇天に余白のほしき白露かな      神奈川  松村 郁子
大空を持つて行きたる野分あと     東京   宮崎晋之介
雨音の止まぬ一日の夜長かな      千葉   三好  彩
尾道の路地裏暗し鰯雲         千葉   森崎 森平
かたまりて咲きても寂し女郎花     長野   守屋  明
清明の空に真白き天守閣        東京   八木 八龍
笛の音の一節ごとの里神楽       東京   家治 祥夫
秋雨に出番待ちゐる外箒        群馬   山﨑ちづ子
流木の人の形や神の留守        東京   結城  爽
稲妻の呼び覚ますかに吉野ヶ里     埼玉   渡辺 志水
芋の葉の露転ぶほど太りけり      東京   渡辺 誠子
好物のとろろ汁とて仏前に       東京   渡辺 文子





                        










     





星雲集 今月の秀句

伊藤伊那男

葉書から風立ちてをり夏見舞      小田島 渚
俳句と西洋詩の違いは何かというと、西洋詩はもっぱら個人の感性や自我を中心軸に置くという点、俳句は自然を中心軸として座の人々との共通認識を大事にする、ということであろうか。明治時代以降、俳諧連歌から発句が独立し、座の文芸としての意識が希薄化し、西洋詩の影響が加わり融和して、現在の俳句形態になっていったのだと思っている。ただし蕪村は江戸時代に、既に時代を先取りした特殊な存在であると思と思うが、そのことはさておき、この句は西洋詩に近い個性の際立った句といえよう。暑中見舞の葉書から涼しい風が立っている、という。堀辰雄の『風立ちぬ』や軽井沢の風景などにも連想の及ぶ豊かな感性である。同時出句の〈日輪のほどけし南瓜スープかな〉などに到ってはもっと個性の際立ちがある。 



朝顔の蕾明日を畳みをり        池田 桐人
朝顔の花に端正な畳み目がある、という句はいくつも目にしている。だが、蕾に明日開花するための畳み目があるという句は無かったと思う。しかも「明日を畳む」と詩的昇華をしたところが技倆である。同時出句の〈琅玕に指痕残る白露かな〉もレベルの高い句である。「琅玕」とは美しい竹の意で、もともとは中国の青碧色の硬玉からきた美称である。無垢の竹幹に残る人間の指の跡。「白露」の季語を配合して品位の高い句に仕上げた。 



皇女を立ち濡らしたる露いまも     久坂衣里子
「ひめみこ」と読む。万葉集の時代に頭を巡らせたのである。思い人を待つ「われ立ち濡れし‥‥」などというフレーズの歌も浮かび上がる。その歴史の一齣から、下五に到ると「露いまも」と現在の「我」に戻る。この転換がうまいのである。 



形見とも云へぬ秋扇古鞄        原田さがみ
御主人の最後を看取られたと聞いた。遺品の鞄の中から使いふるした扇子が出てきたのであろう。綻びた扇であり、形見の品とも言えないのであるが、それだけに愛着も深い。夫と過ごした思い出が開いた扇子から浮かび上がってくるのである。余情の滲む句となった。 



ラフランス悩ましき刃の当て処     水木 浩生
洋梨が更に進化した「ラフランス」。あの独特の形なので、林檎などと違って皮を剝くためのナイフの入れ方に少し迷う。ぐるりと回してみたりする。その誰もが覚えのあるところを詠み取った手柄だ。同時出句の〈宗祇忌の錆の入りたる草葉かな〉は品位の高い句だ。「錆」が宗祇という俳諧の祖を的確に暗示しているのである。宗祇忌は陰暦七月三十日。 



無口なる夜学教師や藤村忌       宮本起代子
若い時代の島崎藤村の詩は清烈だが、明るさはない。そのあとの小説の時代は一口に言えば暗い。写真などを見ても、冗談など言いそうもない雰囲気である。そんな人物像が偲ばれる句である。信州の僻村で育った暗さである。この句の教師もきっと面白くない授業をするのであろう。 



地蔵盆兵児帯緩ぶ京の路地       大野田好記 
鰯という魚をよく詠んだ句だ。少し前までは鰯は一尾づつ買う魚ではなく、笊盛りで買ったものだ。その時代の思い出の句であろう。行商人の棹秤の傾いた分、一尾乗せて均衡を保つ。そんな様子を活写しているのである。



棹秤傾げば鰯一尾足す         中村 宗男
 鰯という魚をよく詠んだ句だ。少し前までは鰯は一尾づつ買う魚ではなく、笊盛りで買ったものだ。その時代の思い出の句であろう。行商人の棹秤の傾いた分、一尾乗せて均衡を保つ。そんな様子を活写しているのである。



寒鴉驚く人に驚きぬ          梶山かおり
意外な近さに寒鴉が羽繕いをしていて驚くことがある。その驚いた様子に呼応して、今度は鴉の方が驚く。そんな都会風景を捉えたのである。同時出句の〈白露かな上着の袖に通ふ風〉も古風な作りでありながら現代風景だ。 



蓑虫や雨の静けさ糸に吊り       上村健太郎
蓑虫の一部始終をよく観察したことを褒めたい。その上で独自の視点も織り込んでいるのである。雨の静けさを「糸に吊り」はなかなかの把握である。 

その他印象深かった句を次に


カンナ咲く起立の声を聞くごとく    山室 樹一
染みひとつ心に残し夏終る       松下美代子
苦瓜の苦さにも慣れ金婚日       竹本 治美
『罪と罰』半ばに栞秋深し       河村  啓
百舌来るや胸に一事が凝りたる     唐沢 冬朱
書きかけの暑中見舞と旅に出る     今井  麦
















           
  

  
   


 


銀漢の絵はがき


挿絵が絵葉書になりました。
Aシリーズ 8枚組・Bシリーズ8枚組
8枚一組 1,000円

ごあいさつにご利用下さい。



    


        














掲示板



















 




鳥の歳時記


     



寒鴉









冬鴎


















  


             
 
  







井上井月/漂白の俳人


『漂白の俳人・井上井月』伊藤伊那男著

 伊藤伊那男主宰の近著『漂白の俳人・井上井月』が平成26年12月25日に(株)KADOKAWAから刊行されました。近年俳人としての井上井月に対する位置づけの見直しが進む中で、伊藤主宰は井月の俳句を通して謎の多い実像に迫る試みをされます。井月の人となりを知る一書として、また井月俳句への入門書として高い評価を得ております。著名な文人、俳人の方々が、いろいろな機会にこの著書を取り上げて紹介されております。是非、読んで頂ければ存じます。

 読売新聞夕刊版・井上井月の記事(2015/4/4)
そのまま忘れられておかしくない男が今、なぜか熱い。北村皆雄さん(72)の映画『ほかいびと伊那の井月』(2011年)の公開後、復本一郎編『井月句集』(岩波文庫)が出版され、作品を味わいやすくなった。伊藤伊邦男『漂泊の俳人井上井月』(角川学芸出版)、北村さんの『俳人井月』(岩波現代全書)など初学者向きの本も相次ぐ。記事から抜粋。
△PDFへリンクします。



記事全体画像。拡大画像に。


△『漂白の俳人・井上井月』伊藤伊那男著

画像上で拡大します。



 帯の紹介文から・・・
ひたすら芭蕉を慕い、山頭火に影響を与え芥川龍之介を唸らせた明治初期の俳人・井上井月。だがその正体は長い謎だった。酒好きで、家も財産も持たず、伊那を約30年放浪した男の知られざる素顔を、近年発見された日記、資料、俳句から探る。唯一の入門書。


画像上出拡大します。
 ひたすら芭蕉を慕い,山頭火に影響を与え、芥川龍之介を瞠目させた。その謎多き生涯を俳句と資料でたどる。井月の素顔が分かる唯一の入門書。135句の名句鑑賞付き。
              KADOKAWA HAIKU 『俳句』4月号から・・。








△KADOKAWA
「俳句」
2015年5月号 新刊サロン・コーナー. 242ページ
『漂白の俳人・井上井月』
「深い理解への第一歩」
相馬智様の紹介文です。


画像上で拡大します。




△KADOKAWA HAIKU
2015年3月号/俳人の時間から

画像上で拡大します。2015/6/5
巻頭3ページに写真が掲載されています。
新作5句
「奈良晩冬」が紹介されています。




△KADOKAWA HAIKU
2015年4月号/俳句の好きの集う居酒屋。P.140~145。

画像上出拡大に。
△俳句好きの集う居酒屋
銀漢亭で句会/火の会















銀漢亭日録

伊藤伊那男

9月


 9月6日(日)
7時30分、朝食。やや酒残る。9時過ぎ、「いなっせ」第24回「信州伊那井月俳句大会」。伊那市長へ学校図書として『漂泊の俳人 井上井月』21冊を贈呈。曽谷晴子さん、伊那市長賞、角川『俳句』賞を受ける。宮坂静生先生の講演後、当日俳句の披講。唐沢静男君選者。「銀漢」の仲間、大活躍。あと打ち上げ。あと、町の「門・やません」にて時間調整の酒盛り。大野田好記君に上諏訪迄送ってもらい「あずさ」にて帰る。車中昏睡。

9月8日(火)
「火の会」10人。終日雨。能村研三さん「沖」の方々と。

 9月9日(水)
台風襲来。11時、杉並年金機構に寄る。「梶の葉句会」、編集部最終校正作業は台風で中止。店閑散。

9月10日(木)
13時30分、飛鳥蘭さん他、超結社の方8人の句会に発行所貸し出し。編集部最終校正は喫茶店で。あと武田さん仕事仲間3人で。伊那北先輩・井ノ口さん。閉店後、清人さん、洋酔さん他8人で餃子屋。

 9月11日(金)
北辰社の打ち合わせ6人。「大倉句会」あと11人など。俳句に興味ありとて訪ねて来てくれた方あり。嬉しい限り。居合わせた朽木直さんが対応。

 9月12日(土)
朝、地震に起きる。10時、運営委員会。昼、「いもや」の海老天。この頃、胸焼けなし。13時20分より「銀漢本部句会」何と、64人となり、大混雑。収容限界状態。句評の時間10分しか取れず。18時、日本橋公会堂にて本庄康代さんの「ジャパトラ」公演。見事! あと10数名で「バーミヤン」で酒盛り。

 9月13日(日)
10時、発行所。来年の「銀漢」誌5周年に向けての拡大編集会議。杉阪さん、馬場龍吉さんに入っていただき、10数名。アンケートの集計結果など踏まえて討議。久々、杏一家来て英二郎君の37歳の誕生日を祝う。宮澤の映画受賞祝いに伊集院さん、阿川さんから到来した牛肉5キロのブロックあり、焼く。

 9月14日(月)
先般、近くの「沖積舎」で全国俳誌協会の色紙、短冊頒布会があり、私にも染筆を依頼されたので、色紙と短冊を一枚ずつ出した。あまりの字のひどさにうんざりして、案内のチラシは店に貼ったものの、誰にも声を掛けなかったし、私もその展示会には行かなかった。終了後、連絡が入り、私の色紙、短冊が売れたという。えっ、本当? あの稚拙な色紙を2万円で買う人がいるの? 不思議である。店、閑散。22時、閉める。帰ればいいのに、近くの酒場に寄ってしまう。

  9月16日(水)
駒ヶ根「水車」の宮澤宏治さんより、伊那谷の葡萄到来。見事。店、竹内宗一郎さん(「街」編集長)の誕生会。10名程。池内けい吾さん、愛媛のすだちを届けて下さる。別に柚口満さん、みどり、洋さん。「三水会」8人など。あと「ふくの鳥」へ6人。

9月17日(木)
「銀漢句会」あと16人。凌雲君、大阪から来る。村上鞆彦、西村麒麟、阪西敦子さんなど。池田のりを、三輪初子さん。山田真砂年さんより「雲」主宰・鳥居三朗さん逝去と聞く。句集『てっぺんかけたか』が先週届き、一昨日礼状を出したのだが、その前の逝去であった! 何と、露の世……。

9月18日(金)
「蔦句会」あと6人。渡辺さん夫人と。「湯島句会」のメンバー。いつの間にか結婚している。展枝さんの兄上逝去と。

 9月19日(土)〜23日(水)
五連休。今回は特に遊びの外出も句会もなく、休養。1日は杏さん一家も来てバーベキューパーティー。松茸、ステーキ、秋刀魚など焼く。

9月24日(木)
店、「雛句会」8人。広渡敬雄さん3人。「天為」の方々、稲垣恭司さんグループ、池田のりをさん、「知音」の小沢麻結さん他。

9月25日(金)
主宰仲間の三ヶ月に1度の「白熱句会」。歯に衣着せぬ意見交換に刺激受ける。発行所「金星句会」のあと6人。

 9月26日(土)
隣家からせり出している金木犀およそ6・7メートルはあろうか。満開にて家の中まで香りが届く。14時、日本橋「鮨の与志喜」にて「纏句会」。くもこのあんかけ、土瓶蒸し。題の落鮎の山椒煮。酒は「船中八策」。あと握り。トラットリア・イタリアにて杉阪、武田、屋内氏と次期同人推挙の件などの打ち合わせ。やや風邪気味。

 9月27(日)
11月号、原稿など。16時半、娘に呼ばれて酒盛りに。ちょっと早過ぎないか。海鞘、明石の蛸、鰤カマ塩焼、いくらと大根おろし、栃尾の油揚げなど。日本酒。

9月28日(月)
「演劇人句会」、阪西敦子さん、磐田から疾平太郎の被り物の土産。郷里駒ヶ根市は磐田見付神社の人身御供を助けた霊早太郎の地。共通の伝説が残る。

9月29日(火)
何とも!閑古鳥。

 9月30日(水)
「おお! 月見句会」と天野小石さん誕生会。38人程集まる。遠くは坂口晴子さんも。3句出し五句選。薄や団子など飾る。皆、大酒飲み。

10月

10月1日(木)
都民の日とて、朝、孫達がいる! 店、「十六夜句会」あと9人。西村麒麟夫妻、村上鞆彦さんなど。

 10月2日(金)
柴山つぐ子さん法事で上京とて寄って下さる。対馬康子さん、夕方、文部大臣室に呼ばれ、句集及び長年の俳句活動に対する表彰を受けたと。同行した天野編集長と来店。何と! おめでとうございます。ヴーヴクリコで乾杯。洋酔さん、水内慶太さん来合わす。発行所「大倉句会」あと14人親睦会。伊那谷の小学校時代の友人から来月10数人で上京予定にて「銀漢亭」に来たいと。但しその日、私は京都にて、残念ながら……。

 10月3日(土)
天気良し。久々、何ともない休日にて、午後、二駅先の狛江を散策。泉龍寺、弁天池、古墳など。戻って昼寝。沖縄豚(アグー)とキャベツ味噌炒めなどの夕食。ラグビーの対サモア戦を見る。勝つ!

10月4日(日)
次女の長男、小学校運動会にて久々、高井戸へ。午前中応援。13時、中野サンプラザにて「春耕同人句会」。「炙谷」にて親睦会。あとホルモン屋。「未来図」の飯田冬眞、篠崎央子さん合流。記憶不明瞭ながらもう一軒、1人で飲んだ……様子。

10月5日(月)
酒、残っている。店、「かさ〻ぎ俳句勉強会」あと14人。肖子さん、じゃがいも沢山持って来てくれる。真砂年さん、清人一派、日本酒の会あと、など。

 10月6日(火)
古市枯声さんより、秋刀魚、沢山到来。早速、朝食に塩焼き2本。近恵さん誕生日。六、七人集まる。

10月7日(水)
俳句をかじって「銀漢亭」を知ったという方、神保町の馴染みの店が閉店し飲み仲間に相談したら勧められてという方などが来て嬉しいこと。「宙句会」あと7人。「きさらぎ句会」あと9人など。

 10月8日(木)
「春耕賞」の選。59通。上位十編送る。続いて「銀漢賞」選句に取りかかる。73編の応募。店、閑散。

10月9日(金)
今泉礼奈幹事の東大学生俳句会の句会7人(竹内宗一郎さんゲスト)など。

10月10日(土)
上越新幹線・羽越本線を乗り継ぎ昼過ぎに鶴岡。武田さんの息女・菅原真理子さん夫妻の迎えを受ける。盤水先生の御長男丈人さん、甥の文弘さん、角川「俳句」の元編集長・鈴木忍さんとも合流。総勢17名程で田麦俣へ。ここから六十里越街道山船頭人協会・帯刀春男さんの案内を得て2時間程、橅林の中の復元された街道を散策する。夜、鶴岡の「たかもり」にて宴会。地元のあべ小萩さん(「月の匣」同人)に参加してもらう。芋煮他旨し! 宿泊は湯田川温泉「九兵衛旅館」。湯、良し。少し晩酌。

10月11日(日)
朝湯。朝食豪華。8時発、庄内神社。丙申堂など見学。11時、「寝覚屋半兵衛」にて麦切。迎え酒。禅寺・善宝寺。12時45分、鶴岡駅にて銀漢の仲間を迎え、三光院の粕谷典海さんの案内で湯殿山。注連寺に菅原庄山子さん来てくれて庄内柿沢山! 差し入れあり。庄山子さん92歳間近と。自分で車を運転されている。あと、三光院へ。久々、粕谷容子さんにお目にかかる。お元気! 18時30分、五重塔のライトアップを見る。宴会。部屋にて二次会。

 10月12日(月)
8時発、月山八合目へ。橅黄葉の中。下りて出羽三山神社参拝。宮野直生宮司のお講話を聞く。来週、娘婿の宮澤の監督映画「うみやまあいだ」の上映が鶴岡であるが、何と三山神社でチケット沢山購入してくださったと。感謝!















           
△『漂白の俳人・井上井月』伊藤伊那男著
          
  
    






今月の季節の写真/花の歳時記



2015年12月21日撮影    丸葉車輪梅    TOKYO/HACHIOJI
丸葉車輪梅が咲いていました。暖冬のせいでしょうか。


丸葉車輪梅の実





花言葉     純な心」

△マルハシャリンバイ(丸葉車輪梅)
和名の由来は、花が梅に似ていて、葉が枝先に車輪状に集まることからきている。樹皮は奄美大島の特産品である大島紬の染料に使用される。
奄美大島では「テーチ木」と呼ばれ、このチップを煮込んで染液を作る。
また、沖縄の芭蕉布という織物の染料としても利用されている。
芭蕉布は、琉球藍の紺絣と車輪梅の赤茶絣を利用して縞模様を表現している。
丸葉車輪梅(まるばしゃりんばい) ... 学名 Rhaphiolepis umbellata (車輪梅) Rhaphiolepis umbellata var. integerrima (丸葉車輪梅)・実(み)はブルベリーの  ような形。バラ科 シャリンバイ属。
開花時期 は4月から6月頃ですが、咲いていました。

写真は4~5日間隔で掲載しています。 

2015/12/22 更新


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