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2016年 1月


 1月号  2016年

伊藤伊那男作品 銀漢今月の目次 銀漢の俳句 盤水俳句・今月の一句  
 第5回銀漢賞  彗星集作品抄    彗星集選評  銀漢賞銀河集・作品抄
平成26年優秀作品集  綺羅星集・作品抄   銀河集・綺羅星今月の秀句 星雲集・作品抄  
星雲集・今月の秀句 新連載  銀漢5周年の歩み  銀漢の絵はがき 掲示板  鳥の歳時記 
 銀漢日録  今月の写真



伊藤伊那男作品




新年号・主宰の一句

古稀近し溺るるほどに初湯張り     伊藤伊那男



主宰の八句

 去年今年          伊藤伊那男

 平穏は余白にありて暦果つ
 積み上ぐる皿だお椀だ年用意
 遺書となることもあるやも日記買ふ
 冬の雷愚痴のやうにも一茶の地 
 初旅の鳥居とみれば礼をして
 門礼のつもりが二献三献と
 焼芋が好きで金運には遠く
 葉牡丹の引き締りたる紅の渦







    







        
             


今月の目次






銀漢俳句会/1月号(5周年記念号)















   



銀漢の俳句 

伊藤伊那男 

庄内の旅

 出羽三山の旅は、この度も感慨深いものがあった。吟行会の前日、有志で60里越街道を少し歩いた。鶴岡と内陸の尾花沢方面を結ぶ当時の幹線道路で、最近、一部が復元整備されたのである。田麦俣集落から出発した。田麦俣には、多層民家と呼ばれる茅葺き屋根の独特の民家が二つ残っている。一つは民宿となっていて、かれこれ20年ほど前であったか、泊まったことがある。岩魚の形をした容器の岩魚酒が出て、その美味さに感嘆した。その同じ岩魚で3回ほど酒を煮てもらい、さすがに主人は「もう出ませんよ」と困惑ぎみであった。真暗闇の裏の田んぼに数匹の蛍が飛んだが、その数匹というところが味わいで、後にも先にもあれほど美しい蛍を見たことはない。60里越街道は山毛欅黄葉の中にあり、鳥肌が立つくらい美しかった。山毛欅の実を拾って食べたのも初めてのことであった。
 注連寺訪問も久々であった。以前、訪ねたあと、周辺一帯に地すべりが発生し、近隣の集落はほぼ壊滅し、注連寺だけが唯一、孤高の姿を保っていた。以前見かけた若い僧が跡を継いでいて、もう50歳絡みであった。時の経つのは早いものである。豪雪地帯なので10月末には寺は閉鎖し、里へ下りるという。周りの集落を失ったこの寺のことが少し心配である。
 手向の三光院は、句友・粕谷容子さんが健在で、句会にも加わって下さった。御子息の典海氏は、既に松聖の大役を務められ、実にいい風格を湛えておられた。2日間つきっきりでお世話下さり、三山神社では、宮野直生宮司にも会わせて下さった。
 句友というか大先輩の菅原庄山子さんは、もうすぐ92歳になられるというのに自分で車を運転して、注連寺まで駆けつけて下さり、丁度、収穫期に入った庄内柿を、何と、百個ほども下さった。庄内はしみじみ人情の厚い土地である。盤水先生がすっかり魅了されたことがよく解る。
 今度の旅で初めて知ったことがある。天台宗であった羽黒山が、明治維新と共に神道に変わった理由である。私は廃仏毀釈によるものと思い込んでいたのだが、幕末の歴史悲話があったようだ。鶴岡藩は、奥羽列藩同盟に入っていて、新政府に対峙したことが理由であるという。維新後、領地没収の沙汰を受け、羽黒山も幕府の庇護を受けた天台宗の棄教を迫られた結果、仏教から神道へ変えざるを得なかったのだという。祈禱の中に護摩焚などを残し、神仏混淆の独自の世界を構築し、山を守ったこの地の人々の苦労はいかばかりであったか……。旅は様々なことを教えてくれるのである。

 













           



 



  

盤水俳句・今月の一句

伊藤伊那男

乙字忌の海の荒ぶを見て旅す    皆川 盤水

 

大須賀乙字は福島県相馬郡(現・相馬市)の出身。隣のいわき生れの先生には親しい存在であったことを思う。乙字は河東碧梧桐門の有力作家であったが、その後独自の道を歩んだ。晩年の句に〈道遥かに荒海に沿ふ寒さかな〉と境涯を詠んだ。先生のこの句は乙字句への挨拶だったのではなかろうか。句集『銀山』のこの句の隣に〈勿来の関寒の田を打つ日射かな〉があり、帰郷の車窓から見た実感だったのであろう。                           (昭和44年作『銀山』所収














     

第5回銀漢賞


第5回銀漢賞



第5回銀漢賞
「数珠廻し」    多田 美記
「泣初」      谷岡 健彦

銀漢賞佳作
「町工場」     武井まゆみ

新人奨励賞
「武蔵野の田の移ろひ
          中村 宗男


銀漢賞

「数珠廻し」    多田美記

山笑ふ真中にひろぐ数珠廻し
石ひとつ山門とする花の寺
観音の百段の磴かぎろへり
耕しの一日を抜けて数珠廻し
観音と春の日に座す秩父人
朱印所の奥あけすけに春炬燵
大絵馬に藁のはみ出す雀の巣
銘仙の猿子に淡き春の塵
笈摺の白にまぎるる春の蝶
遅桜散るや大数珠たぐる手に
風光る車座に子の膝小僧
百八つの不揃ひの珠あたたかし
握り飯ほどの母珠南無うらら
のどけしや念佛の声褒め合ひて
大鉦の音頭の間に間椿落つ
永き日の峡の遊行の数珠廻し
数珠の輪のつつ抜けの空鳥帰る
直会の向かう武甲山の夕霞
春愁や麻紐通しの珠の傷
春惜しみつつ観音の厨子を閉づ


「泣初」    谷岡健彦

寒雷や受話器を取ればサイレン音
父の訃を聞きて喉より霜の声
放心の身体は湯ざめするがまま
いつかうに酔ひの回らぬ寝酒かな
漆黒のネクタイ結ぶ悴む手
もう物を言はぬ冷たき色の口
とめどなくなりぬ今年の泣初は
寒かろと母は毛布を亡骸に
遺影とす孫と凧揚げする顔を
新日記ほとんど白のまま遺品
死に水として含ませる寒の水
息白く弔詞を述ぶる通夜の客
柩には入れずに居間に冬帽子
冬薔薇の紅の移りて焼けし骨
冬夕焼父の白木の位牌染む
仏前に十年断ちし熱燗を
父の座に誰も座らぬ炬燵かな
凍星のどれが祖父かと尋ねらる
父の死を知らずに届く寒見舞
梅早し墓所を探しに出かければ

銀漢賞 佳作

「町工場」    武井まゆみ

去年今年仏間つづきの町工場
全身を使ひて洗ふ寒の鍋
工員へ同じ風分け扇風機
火傷せし手に確かむる夏賞与
半開きの住み込み部屋の昼寝かな
半ドンに社長の配る氷菓子
いくたびも払ふ算盤夜業の灯
なかなかに開かぬ押入れ十二月
集金へ目深に被る冬帽子
工場閉鎖それのみ記し日記果つ


銀漢賞 新人奨励賞

「武蔵野の田の移ろひ」    中村宗男

細水の濁りに田芹摘みにけり
車座の握り飯食ふ田打かな
渋滞の先頭を行く耕耘機
代田水今日の終ひの日を浮かべ
白南風や水に全き畦木影
青田波末広がりのごと引きぬ
里山を抜け出でてより早稲の風
畦に置くラジオの語る豊の秋
歩を返す一歩にまたも蝗跳び
休耕の田にも千草のうねりかな 










    



  

彗星集作品抄

伊藤伊那男・選

鑑真の寺の柱の秋のこゑ         中村 孝哲
一日の留守に秋めく家の中        松代 展枝
案山子かと思へば歩き出しにけり     土井 弘道
山毛欅の実を噛んで翁の道巡る      朽木 直
峰々に菩薩の名あり初紅葉        池田 桐人
一つづつ音を選り分けひよんの笛     五十嵐京子
お会式の万灯煽る纏かな         塚本 一夫
針穴に糸通す間や月鈴子         西原 舞
どんぐりに昔むかしを拾ひけり      山元 正規
木の実降る辺りちからの地に充つる    大野 里詩
広沢の池は鏡に月を待つ         新谷 房子
てのひらにのせて微熱のからすうり    上田 裕
園丁の鋏の音も秋の声          屋内 松山
田面より剥がるるやうに稲雀       唐沢 静男
しあわせのこの家の嵩に柚子黄ばむ    大野 里詩
太極拳抱いては放つ秋の風        曽谷 晴子
だんじりを焚きつけるかに秋団扇     谷岡 健彦
散り敷きて散り尽くさざる金木犀     森崎 森平
しりとりは眠りの魔法十三夜       住山 春人
神木の枝を天井に村歌舞伎        多田 美記















       
           











彗星集 選評 伊藤伊那男


鑑真の寺の柱の秋のこゑ         中村 孝哲
唐招提寺は私の好きな寺だ。両眼を盲(めしい)になってまで波濤を越えて渡日した鑑真和上は日本の恩人の一人である。その塔頭の柱はエンタシスという、円柱の中ほどにふくらみのつけたギリシャの建築技法であったと思う。その柱に触れると、古代の声なき声が聞こえてきた、というのである。もちろん度々の再建により現在のすがたがあるのだが、そこから発せられるのは古代の声である。

一日の留守に秋めく家の中        松代 展枝
<秋来ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞおどろかれぬる 藤原敏行>の歌のように、かすかな風の動きにも耳をそばだてるのが日本人の感覚だ。待ちどおしい秋の到来である。この句も、たった一日だけ家を空けたのだが、戻れば家の中はどことなく秋の気配になっている、という。畳の冷たさであるかもしれないし、空気の透明感であるかもしれない。ともかく五感で察知する「秋」である。

案山子かと思へば歩き出しにけり     土井 弘道
確かにこんな情景はありそうだ。てっきり麦藁帽子などを被った案山子だと思い込んでいたら、いきなり動き出したのである。そんな驚きと滑稽感が素直に詠まれている。「かかし」の言葉は臭いものを焼いて動物を遠ざけた「臭し(かがし)」からきているようだが「案山子」という字の由来を私はまだ解らずにいる。

山毛欅の実を噛んで翁の道巡る      朽木  直
先般、山形県の六十里越街道を歩き、案内人の方から山毛欅の実というものを教わった。菱の実のような三角形の小粒なもので、歯で割ると白い果肉が出る。上質な甘味を持っている。今年は豊作だと聞いた。芭蕉も歩いたかもしれないという道を巡る。何とも豊かな時間の過ごし方であった。「山毛欅の実」という季語の初見である。

峰々に菩薩の名あり初紅葉        池田 桐人
何とも心温まる句である。実際の霊地であるか、架空であるかは問わない。見廻す峰々は菩薩の名を持っており、それが紅葉に染まり始めた、というのである。調べもよく、下五の座りもいい。

一つづつ音を選り分けひよんの笛     五十嵐京子
ひよんは蚊母樹(いすのき)の葉に寄生する虫の作る瘤で、抜けた穴を吹くと音を発するので「ひよんの笛」と呼ぶ。瘤は様々な形で音も異なる。そんな笛の試し吹きをしているのであろう。「音を選り分け」が勘所である。

お会式の万灯煽る纏かな         塚本 一夫
御命講の熱気ある一場面を臨場感を持って描いた。

針穴に糸通す間や月鈴子         西原   舞
針仕事の合間に聞く鈴虫。「糸通す間」が具体的。

どんぐりに昔むかしを拾ひけり      山元 正規
団栗に触発された思い出。詩的にアレンジした表現。

木の実降る辺りちからの地に充つる    大野 里詩
木の実の生命力をよく捉えた。上位にしてもいい秀逸。

広沢の池は鏡に月を待つ         新谷 房子
京都嵯峨野の名所。池が月を待つという見立て。

てのひらにのせて微熱のからすうり    上田   裕
日の温もりというよりも熟れた赤い色を微熱と見たか。

園丁の鋏の音も秋の声          屋内 松山
剪定の音も「秋の声」の一つだ。「音も」の効果。
 
田面より剥がるるやうに稲雀       唐沢 静男
一斉に飛び立つ雀の習性を「剥がるる」と見た眼力。

しあはせのこの家の嵩に柚子黄ばむ    大野 里詩
たわわな柚子の黄金色とその嵩を「幸せ」と捉えた。

太極拳抱いては放つ秋の風        曽谷 晴子
手の動きが目に見えない秋風を操る。巧みな句。

だんじりを焚きつけるかに秋団扇     谷岡 健彦
まだまだ暑い秋祭を煽り立てる見物人の団扇。

散り敷きて散り尽くさざる金木犀     森崎 森平
この花の散る様子、咲く様子を丁寧に捉えた。

しりとりは眠りの魔法十三夜       住山 春人
子どもを眠らせるためのしりとり遊び。十三夜がやさしい。

神木の枝を天井に村歌舞伎        多田 美記
花道の上に伸びた枝であるか。いい所を見た。

 







        











平成26年優秀作品集

     
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銀河集作品抄

伊藤伊那男・選

海光に出そろふ気多の新松子     東京   飯田眞理子
人見えて大室山頂秋のこゑ      静岡   唐沢 静男
お守りは三山神社小鳥来る      群馬   柴山つぐ子
橡降るや鎮守の杜を穿ちつつ     東京   杉阪 大和
唐橋のけふの波音新松子       東京   武田 花果
先づ箸をもつてのほかへ講の朝    東京   武田 禪次
首塚の井戸の吸ひたる秋のこゑ    愛知   萩原 空木
晩年の光陰早き白露かな       東京   久重 凜子
新米ににほひ立ちたる山河かな    東京   松川 洋酔
全集は質屋のままや鰯焼く      東京   三代川次郎
この音も山国讃歌落し水       埼玉   屋内 松山











   
   










綺羅星集作品抄

伊藤伊那男・選 

恩師まこと清貧にしてねぶか汁     東京  沼田 有希
傘寿まで病みては生きて栗おこは    東京  保谷 政孝
吊り上げし牛若丸の菊人形       東京  松代 展枝
山猫軒茸狩りつつゆけさうな      神奈川 谷口いづみ
鰯雲未完のままのプラモデル      静岡  杉本アツ子
石蹴つて古図の街めく秋の暮      東京  朽木  直
菊まくらにでもしてくれと一抱へ    東京  桂  信子
小鳥来る凡夫はげますために来る    東京  中西 恒雄
秋冷を均すお寺の竹箒         東京  高橋 透水
雨月てふ月の滴り受けにけり      大阪  中島 凌雲
秋日傘傾きほどの愁ひかな       東京  相田 惠子
ミシン踏む母の音てふ夜なべかな    東京  有澤 志峯
松茸のにほひに重さあるごとく     東京  飯田 子貢
考へぬ目は濁らざり菊人形       高知  神村むつ代
無花果を割きて花咲く如きかな     東京  島谷 高水

地を染めて散華となりし彼岸花     宮城  有賀 稲香
ひとつには鍬の疵ある衣被       静岡  五十嵐京子
撫で肩も秋の袷も親譲り        埼玉  伊藤 庄平
月山の点景として柿なれり       東京  伊藤 政三
女郎蜘蛛また青天をつかみ寄す     東京  上田  裕
民話出でひとものけものみな月下    東京  大西 酔馬
昼ちちろ聴こえぬこゑで鳴くことも   神奈川 大野 里詩
金木犀香るその先文士村        埼玉  大野田井蛙
祝詞きく間も足冷ゆる湯殿山      東京  大溝 妙子
限りなく良きみくじ手に秋冷ゆる    東京  大山かげもと
穂先よりしたたる墨や文化の日     東京  小川 夏葉
この小道萩の葉やさし歩をとどむ    鹿児島 尾崎 尚子
一村を映してふるへ露の玉       埼玉  小野寺清人
身に入むや竹人形の竹の髪       神奈川 鏡山千恵子
東京をからめ捕りたる鰯雲       東京  影山 風子
大寺の甍をすべり出す月光       和歌山 笠原 祐子
鰭酒は海より海を連れ出せり      愛媛  片山 一行
雨の稲架肩の重さに耐へてをり     長野  加藤 恵介
来世へと紅葉の鳥居潜りけり      東京  我部 敬子
三山の風の焚出す芋煮会        東京  川島秋葉男
長寿村籾殻焼きの燻しの香       長野  北澤 一伯
高麗旧居設へも佳き月見の座      東京  柊原 洋征
大ぶりの珈琲カップなほ秋思      神奈川 久坂依里子
坐り良き石まづ選ぶ芋煮会       東京  畔柳 海村
終戦の日のラジオよりのど自慢     神奈川 こしだまほ
ぴちぴちと跳ねて園児の運動会     東京  小林 雅子
黒潮の海へつき出し飛魚を干す     長崎  坂口 晴子
二畝を騒がせてゆく芋嵐        千葉  佐々木節子
地に還る色になりきり落胡桃      長野  三溝 恵子
月を待つ篠井線のとある駅       静岡  澤入 夏帆
研ぎ方も自づと変る今年米       東京  島  織布
浄土とて枯れ免れず破れ蓮       兵庫  清水佳壽美
かにかくにロダンの深き秋思かな    東京  白濱 武子
竹林の風音をつれ落柿舎へ       東京  新谷 房子
虫を聞くけふとあしたの狭間かな    大阪  末永理恵子
柿右衛門の赤に熟れたる唐辛子     東京  鈴木てる緒
急く朝の一歩を止める照葉かな     東京  角 佐穂子
深秋の旅人として馬籠坂        東京  瀬戸 紀恵
刺繡糸一針ごとの夜長かな       東京  曽谷 晴子
退院を謝す宮神は留守なれど      愛媛  高橋アケミ
郷のもの供へ月待つ高麗家かな     東京  武井まゆみ
庭花火よこがほは亡き人に似て     東京  多田 悦子
月上げて武州紺屋の寝かせ甕      埼玉  多田 美記
高麗栗の導く先に高麗神社       東京  田中 敬子
切腹のときも厚着の菊人形       東京  谷岡 健彦
鰐鮫もうさぎも祝ふ神の旅       東京  谷川佐和子
子規庵を出で跨線橋いわし雲      東京  塚本 一夫
枝豆にひとつまみほど能登の塩     愛知  津田  卓
竜泉は路地多き町鰯焼く        東京  坪井 研治
花野から帰りてこころ花野かな     千葉  土井 弘道
漱石の墓に鏡子も残る菊        埼玉  戸矢 一斗
身に入むや人づてに聞く師の近況    神奈川 中川冬紫子
秋夕焼抜け道多き漁師町        東京  中野 智子
不意打の夜の挨拶ばつたんこ      東京  中村 孝哲
鴨来るや翁舟出の橋たもと       茨城  中村 湖童
偏屈も滋味のうちなり山の芋      東京  中村 貞代
袖口にカフスの重み秋の朝       東京  中村 紘子
赤い羽根帽子に賜ふ子の上目      東京  西原   舞
浮御堂千の仏に水の秋         神奈川 原田さがみ
ぢかた無き盆唄に泣く丁夜かな     兵庫  播广 義春
干柿を食べて幸せその昔        福岡  藤井 綋一
争ひて得たる田水を落しけり      東京  堀内 清瀬
秋天を分かつ陣跡関ヶ原        岐阜  堀江 美州
冷ややかに百科全書の革表紙      パリ  堀切 克洋
溜息の赤歓喜の黄山粧ふ        埼玉  夲庄 康代
厨より手をふきながら歌留多とりに   東京  松浦 宗克
秋刀魚食ぶ母美しき箸づかひ      長野  松崎 正
錦秋や黙せばことば忘れゆく      東京  宮内 孝子
秋深き古典から汲む叡智かな      千葉  無聞 齋
堰の上水なみなみと雁の空       東京  村上 文惠
牡丹の根分けて一と日の暮れんとす   東京  村田 郁子
おしなべて陰美しや月の宴       東京  村田 重子
運動会籠いつぱいのゆで卵       東京  森 羽久衣
手びねりの皿のいびつや初秋刀魚    千葉  森崎 森平
甲州は山勝ちにして猿酒        埼玉  森濱 直之
即身仏如何に聞きしか秋の風      愛知  山口 輝久
海坂藩七万石の豊の秋         東京  山下 美佐
日と月に影を貰ひて案山子立つ     群馬  山田 礁
啄木鳥や瞳の如き山上湖        東京  山元 正規
ちちろ鳴く昔日偲ぶ炭住に       千葉  吉沢美佐枝
祇王寺の風の音きく竹の春       神奈川 吉田千絵子
秋夕焼宮入りを待つ太鼓台       愛媛  脇  行雲
登高といふも信玄狼煙台        東京  渡辺 花穂







       

















     







銀河集・綺羅星今月の秀句

伊藤伊那男

恩師まこと清貧にしてねぶか汁     沼田 有希
 「直治先生逝く」の前書がある。「風」同人であった富田直治さんである。学生時代、慶應俳句会に所属。筋金入りの俳人であったが、句集を残さず、今年逝去された。同窓のよしみもあってか、私はずい分可愛がって戴いた。慶大OB句会に紹介して下さったし、巨人戦のチケットがあるからと東京ドーム球場に誘って下さったりした。庶民の気骨を持った句風で、知る人ぞ知る実力者であった。<筍飯テレビは女王晩餐会><家に入りまだ寒風の足どりなり>の句が鮮明に記憶にある。この句にあるように「清貧」な方であった。「ねぶか汁」にそのような人物像が彷彿する。作者は晩年の愛弟子の一人である。


傘寿まで病みては生きて栗おこは    保谷 政孝
作者の元職場の仲間に聞くと、一時期土色の顔色になりいつ死んでもおかしくないと思ったという。その後も病気のデパートのような人生を歩まれたようだ。ところが元気で、何よりも声が力強い。心臓が止まっても口が動いているのではないかとも。結局、明るくいつも前向きであることが命の源になっているのだと思う。この句なども精一杯明るく生きてきた人の活力に満ちている。「栗おこは」がいい。 


吊り上げし牛若丸の菊人形       松代 展枝
吊り上げた菊人形という発想が斬新である。五条大橋の弁慶との戦いの場面である。菊人形の句は手を変え品を変えて詠まれ続けているが、まだまだこのような句が生れてくることが嬉しい。 


山猫軒茸狩りつつゆけさうな      谷口いづみ
宮沢賢治の短編小説から材を得ている句。山猫軒という食堂を訪ねていくのだが、だんだんとその料理の食材が「自分」である・・・と解っていく、ちょっと恐い話。この句は茸狩りをしてついつい山に深入りしていく様子が、山猫軒に近づいているようだと見た豊かな発想である。さて「ゆけさうな」がいいか、「ゆきさうな」がいいか?


 鰯雲未完のままのプラモデル     杉本アツ子
「鰯雲」というと私は、秋の感傷が混じった過ぎ去った少年の日々が目に浮かぶ。そんなことからこの句が一層印象深いのである。「未完のままのプラモデル」とは何であろうか。途中で病気になってしまったのか、もう興味が無くなってしまったのか。違うことに関心が移ったのか。句から少年期の理由のない感傷や成長を思うのである。 


石蹴つて古図の街めく秋の暮      朽木  直
 急激に暗む秋の暮。にわかに目の前の街が時空を越えて、まるで古地図にある街のように思えてきたというのである。「秋の暮」に触発された男の感傷なのだが、石を蹴ることによって発生する、という発想がいい。「逢魔が時」と古来恐れられた時間帯の心理状況をうまく捉えている。

  

菊まくらにでもしてくれと一抱へ    桂  信子
既にでき上っている菊枕ではなく、「菊枕にでもしてくれ」という前段階であるところが異色である。「菊膾にでもしてくれ」でなく、菊枕であるところが風雅である。こんな場面に立ち合ってみたいものである。 


小鳥来る凡夫はげますために来る    中西 恒雄
 小鳥が渡ってくる理由を、「凡夫はげますために」という。この勝手な解釈がなんとも楽しい。季語を思い切り自分の中に取り込んでしまったのである。そこが俳句という形式の自在さで、この奔放な発想を称えたい。


 秋冷を均すお寺の竹箒        高橋 透水
独自の発想をもった句だ。寺の境内であるから参道があったり、石庭があったりする。作務僧が長い柄の竹箒で清掃をするのだが、落葉を集めるのではなく、「秋冷を均す」ためなのだという。ただの清掃が「詩」に昇華したのである。「秋冷を均す」――今まで見た事のない表現だ。 


雨月てふ月の滴り受けにけり      中島 凌雲
「雨月」であるから生憎の雨で真暗闇である。その雨粒を「月の滴り」と見たのである。月は見えないのだが、雨粒は月の放つ雫なのだと。何とも気持の良い句である。俳人は雨月であれば雨月を楽しんで詠む。楽しんで詠むので、このような果実を得たのである。 

 その他印象深かった句を次に
  

秋日傘傾きほどの愁ひかな       相田 恵子
ミシン踏む母の音てふ夜なべかな    有澤 志峯
松茸のにほひに重さあるごとく     飯田 子貢
考へぬ目は濁らざり菊人形       神村むつ代
無花果を割きて花咲く如きかな     島谷 高水









                 
    
   

 
 



 



星雲集作品抄

          伊藤伊那男・選
漁火が沖に一都を良夜かな       神奈川  伊東  岬
その後の行方は知れず菊枕       神奈川  水木 浩生
小津映画見ての帰りに秋刀魚買ふ    埼玉   志村  昌
満月に都心小さくなりにけり      東京   梶山 かおり
校庭の小ささを知る運動会       東京   宮崎 晋之介
水澄むや去りゆく今を映しつつ     長野   髙橋 初風
妻よりも妹の欲し獺祭忌        埼玉   池田 桐人
曼珠沙華茎透明にうすみどり      宮城   小田島 渚
朝冷えのボストン港に紅茶買ふ   ニューヨーク 武田 真理子
稲架馬の脚それぞれに踏ん張れり    長野   守屋  明
新しき眼鏡ことさら秋気澄む      神奈川  宮本 起代子
雨けぶる兄山妹山くづれ簗       東京   半田 けい子
目に見えぬ雨に濡れをり秋海棠     東京   星野 淑子
秋晴れや田舎教師の一周忌       福島   髙橋 双葉
エピローグまで十頁螻蛄の夜      東京   竹内 洋平
籐椅子に染み込んでゐる波の音     東京   浅見 雅江
毬開けて栗の子離れ親離れ       神奈川  有賀  理
天城より風来る頃の新酒かな      静岡   金井 硯児 
縫ひ針の点呼取りたる夜なべあと    和歌山  熊取美智子
曼珠沙華ひと塊の黄泉の色       愛知   住山 春人

分去(わかさ)に地蔵一体秋深し         東京   秋田 正美
路地裏に影踏みする子秋の雲      埼玉   秋津  結
図書館へ読書の秋と独り言       神奈川  秋元 孝之
水澄みし故郷で数ふ捨田かな      愛知   穴田ひろし
無花果に晴天三日甘さ濃く       愛媛   安藤 政隆
工場と背中合はせの刈田かな      東京   井川 敏夫
愛らしき名に足を止め今年米      東京   生田  武
転勤もこれが最後か零余子飯      長野   池内とほる
木せいの花をごはんにおままごと    群馬   伊藤 菅乃
鳴きながら伸び縮みする雁の棹     兵庫   稲田 掃石
秋の蚊の忘れし頃の痒みかな      東京   今井  麦
みちのくの果てまで熟るる稲穂かな   愛媛   岩本 昭三
冬仕度終へて夜汽車の人となる     神奈川  上村健太郎
忙中に閑あり飛来の鴨を見に      埼玉   大木 邦絵
かの人を遠き地に置く良夜かな     東京   大沼まり子
山粧ふ硫黄の強き湯釜かな       群馬   岡村妃呂子
聞き手ありし日の懐かしき夜長かな   神奈川  小坂 誠子
植物園動物園も落葉降る        京都   小沢 銈三
鎌の研ぎ急きて山田の稲を刈る     静岡   小野 無道
接心の猶も夜を研ぐ鹿の声       神奈川  上條 雅代
嬰児の首が据りて秋高し        東京   亀田 正則
まるで手で雲こじあけて今日の月    長野   唐沢 冬朱
秋風に部屋を渡して外出す       神奈川  河村 啓
白鳥の首柔らかく捩るなり       愛知   北浦 正弘
谷紅葉ケーブルカーの十五分      神奈川  北爪 鳥閑
二日雨二日さはやか血圧計       愛媛   来嶋 清子
昨日より今日より明日紅葉狩り     埼玉   黒岩  章
天高くブランコも児も空の中      群馬   黒岩 清女
山閑かきのこを踏みて陣の跡      愛知   黒岩 宏行     
身に入むや御祓の鈴背に受けて     東京   黒田イツ子
大振りの月見団子も高麗家なる     東京   小泉 良子
ぽろぽろと落つる零余子を夕飯に    群馬   小林 尊子
注連寺磴の湿りや黄葉降る       東京   小山 蓮子
我が影を追ふごと低く秋の蝶      東京   斉藤 君子
新米を炊き上げてまづ握り飯      神奈川  阪井 忠太
喝采のやうに雨音黄葉散る       東京   佐々木終吉
おひさまの機嫌伺ふ晩稲刈       東京   佐藤 栄子
抜け道の百番観音秋時雨        群馬   佐藤かずえ
秋寒や鐘の余韻の注連寺        群馬   佐藤さゆり
かけ声の威勢におされ年の市      東京   島谷  操
穂薄や素描のやうに暮れし尾根     東京   須﨑 武雄
下駄箱に愚痴のひとつも夜学生     東京   鈴木 淳子
こほろぎのすだく医局に句集置く    群馬   鈴木踏青子
新蕎麦や神田勤めの友も逝き      神奈川  関口 昌代
インドラの東征の果て秋麗       埼玉   園部 恵夏
挨拶も心地よくなり月涼し       東京   髙橋 華子
露けしや独り暮しの夕餉どき      埼玉   武井 康弘
菱の実や祖母在す頃食みしきり     広島   竹本 治美
ぱたぱたと自己主張して秋簾      三重   竹本 吉弘
木犀の香り求めて回り道        東京   田中 寿徳
水澄めり水面に揺るる木々の色     神奈川  多丸 朝子
草の実や一点染めし白きシャツ     東京   辻本 芙紗
捨つるものすべて捨て終へ月仰ぐ    東京   手嶋 惠子
親方のいまだ凛々しき九月場所     東京   豊田 知子
灯台に秋風白し美保関         神奈川  長濱 泰子
こほろぎや夜更けの駅の灯の消えて   埼玉   中村 宗男
人の縁切れて結んで小鳥来る      埼玉   萩原 陽里
砂時計ときおちきりて秋の暮      東京   長谷川千何子
新米と聞けば旨しや菜なくも      神奈川  花上 佐都
新そばの蕎麦湯おかはりしたりける   神奈川  福田  泉
大鍋に山川入るる芋煮会        東京   福永 新祇
江の島の鳶の出迎へ海の秋       東京   福原 紀子
電線の残るばかりや去ぬ燕       愛媛   藤田 孝俊
子に幾度布団をかくる夜寒かな     愛知   星野かづよ
菩提寺の振子時計も秋気かな      東京   牧野 睦子
柔らかに内外つなぐ秋簾        愛知   松下美代子
銭湯の初湯に貰ふ干支の飴       東京   松田  茂
発熱の不意が常なり寒露の日      神奈川  松村 郁子
曼珠沙華音なき雨の高麗郡       東京   宮田 絹枝
美術の秋今日のオムレツスパニッシュ  千葉   三好  彩
渡し舟悲恋の野菊の碑の遠き      東京   八木 八龍
初あかね夜間飛行の機首の下      東京   家治 祥夫
金秋や神の湯を踏む湯殿山       群馬   山﨑ちづ子
宵闇やその寸前のほの暗さ       静岡   山室 樹一
旅の茶屋空見上ぐれば小鳥来る     千葉   吉田 正克
参道をこつこつ母の彼岸かな      神奈川  渡辺 憲二
秋冷を肩に感ずる目覚めかな      埼玉   渡辺 志水
門を出て誰待つとなく萩のころ     東京   渡辺 誠子
くしやみして帰宅の合図我が君は    東京   渡辺 文子         


















     





星雲集 今月の秀句

伊藤伊那男

漁火が沖に一都を良夜かな       伊東  岬
豊かな抒情句である。漁火の一群が沖合にあり、あたかも都市の灯火のようにもみえる。松本たかしに〈海中に都ありとぞ鯖火もゆ〉があるが、これとは別種の趣とみていい。海上の二つの明りの対比である。良夜にかかわらず操業するところも現代風である。同時出句の〈七賢の歓喜の響く竹の春〉も、竹林の七賢人が、青々と生気を取り戻した「竹の春」を喜ぶ、という文人好みの見立てで、異色の句域に踏み込んでいる。〈芋の露流るる筋を同じうす〉は対象物を凝視した貴重な発見である。 


その後の行方は知れず菊枕       水木 浩生
ほとんどの人が菊枕の体験は無いのだと思うが、作句意欲をそそられる季語である。しばし楽しんだあとの菊枕はどうするのであろうか。私なら戻して菊膾にしてしまうかもしれない。ともかく来年まで残すものではないし、さて、末路はどうなるのであろうか。少し大袈裟な表現に、滑稽味も醸し出されてくるようだ。 


小津映画見ての帰りに秋刀魚買ふ    志村  昌
 カメラのアングルを変えずに淡々と庶民の生活を描きとる小津映画は、今もファンが多い。画面の夕餉の秋刀魚の皿などに触発されて、帰路秋刀魚を買う。庶民生活を描いた映画を見たあとの庶民の姿である。そこが面白い。同時出句の〈菊枕祖母の語りし日露戦〉は、日本が勝利した戦争であったことから菊枕の配合が合致している。太平洋戦争だったら芋雑炊になったところだ。〈我が生の余白をいかに秋の暮〉は、もし「余白は(●)いかに」なら私は採らないが「余白を(●)いかに」は生き方を自分で決めようという意志が詠まれており、能動的なところが嬉しい。


満月に都心小さくなりにけり      梶山かおり
 月が大きい、と言わずに、都心が小さくなった、と意外な角度から満月を詠んだところがいい。先般のスーパームーンと呼ばれた、月が一割ほど大きく見える現象に触発されたのかもしれない。こういう句を見たら老練の俳人もたじたじとすることであろう。それは無垢の目の強さである。同時出句の〈亀虫の仏の前で打たれけり〉は出羽三山注連寺で説法を聞きながらの嘱目だが、人間界にも通じる寓意も含まれるような面白味を持つ。


校庭の小ささを知る運動会       宮崎晋之助
大人となって小学校を訪れると、何もかもが小さくて奇妙な感覚になるものだ。この句は運動会で改めて校庭を眺め、あんなに広かった校庭だったのに、実はこの広さだったのだ‥‥という感慨。読み手も各々、子供の頃の運動会の色々な場面を思い出し、共有するのである。


水澄むや去りゆく今を映しつつ     髙橋 初風
「水澄む」の季語で、はっとさせられた句であった。川の流れを見たのであろう。当然ながら、一瞬にして次の水が我が身を映す。『方丈記』の「川の流れは絶えずして元の水にあらず‥‥」の無常感を思うし、私は虚子の〈去年今年貫く棒の如きもの〉などにも思い至るのである。同時出句の〈捥ぎたての林檎の熱が手に伝ふ〉も私自身、身近に体験した信州の秋を思い出させてくれた句であった。 


朝冷えのボストン港に紅茶買ふ     武田真理子
 1773年、ボストン茶会事件があり、アメリカ独立戦争の契機になった――と昔習った。その時は東インド会社の茶船を襲って焼き払ったのだが、作者は紅茶を買う。「朝冷え」の季語に心象を投影しているのであろう。海外詠でその地の歴史を俳句に絡めるのは極めて難しいのだが、実にうまく織り込んで成功した句である。


 

稲架馬の脚それぞれに踏ん張れり    守屋  明
先般、稲刈り直後の出羽を訪ねたのだが、稲架掛けの風景がない。収穫と同時に籾にして乾燥室に入れてしまうので、干す必要がないのだという。私の子供の頃は稲架は遊具の一つであった。「それぞれに踏ん張る」が実に共感できる把握である。 
その他印象深かった句を次に
妻よりも妹の欲し獺祭忌        池田 桐人
曼珠沙華茎透明にうすみどり      小田島 渚
新しき眼鏡ことさら秋気澄む      宮本起代子
雨けぶる兄山妹山くづれ簗       半田けい子
目に見えぬ雨に濡れをり秋海棠     星野 淑子
秋晴れや田舎教師の一周忌       髙橋 双葉
籐椅子に染み込んでゐる波の音     浅見 雅江
毬開けて栗の子離れ親離れ       有賀  理
天城より風来る頃の新酒かな      金井 硯児
縫ひ針の点呼取りたる夜なべあと    熊取美智子
曼珠沙華ひと塊の黄泉の色       住山 春人























新連載 伊那男俳句  


 
新連載
伊那男俳句 自句自解(1)

  ふきのとう取りたる嬉しさ春は間近に 
  

 冒頭からこんな句でスタートするのは恥ずかしいのだが、小学校高学年だったか、中学生の頃の句であるから勘弁してほしい。だが中学生だったとすると、季語も重なっているし、発想も稚拙である。万葉集にある志貴皇子の<石激る垂水の上のさわらびの萌え出づる春になりにけるかも>を、どこかで憶えて、その本歌取りをしたのだと思う。子供の頃から食べ物や料理に興味があった。人一倍食い意地が張っていたのが原因である。例えば兄や従兄弟と争って、玉蜀黍や菓子などを両手に一つづ摑み、一つは口に咥えて確保したものの、手が使えないので食べることができず、祖母から「本当に欲どしい子だ」と言われたりもした。さて信州の春が待ち遠しくて、毎年蕗の薹の出る場所を今か今かと見に行ったりした。二つ三つ採ると、輸入コーヒーの空缶で作った自分用の鍋で味噌汁を作って、みじん切りにした蕗の薹を浮かべてその苦みを楽しんでいたものだ。

  
木犀の香のまろやかに犬ねむる
      

 高校三年生か大学一年生の頃の句であったと思う。母の弟、つまり叔父に「万緑」同人の池上樵人がいて、信州に来たとき、高遠町の絵島の囲み屋敷や墓などを案内したことがある。その時樵人が呟いた<絵島の墓風花夕べの風花へ>というような句が頭の中に残り、自分もちょっとやってみようかなと思った・・・ような気がする。田園調布の下宿にいた頃、この句や月の句などをいくつか作って、どこかの俳誌の添削欄に送ったことがある。きっと名のある先生であったのだろうが、懇切な添削をして、励みなさい、続けなさいなど励ましの言葉を添えて返してくれた記憶がある。一回で終ってしまったが、あの時に俳句の世界に入っていればまた違った人生があったのかもしれないと思う。学生時代は茶道をしていたし、小説を読んだり詩を作ったりしていたので、残念ながら俳句というジャンルにはそれほど興味を抱くことが無いままに過ぎたのである。








         
  
  
   


 

「銀漢俳句会」5周年の歩み


楽しくなければ俳句じゃない 「銀漢俳句会」五周年の歩み


 平成28年1月で銀漢俳句会の機関誌『銀漢』は創刊5周年を迎えます。伊藤伊那男主宰の元に志を同じくする俳人が集い、句座が開かれ、自然発生的に俳句結社の結成に至りました。
主宰は設立趣意書で『俳句は「いのちのうた」であると思っている。作者の人生が、その人生観が滲み出るかどうか、その思いを伝達することができるかどうかである。そのためには絶えず写生の訓練を必要とし、客観写生と品位のある抒情の融合を目指す。若者には無垢と野心が、熟年者には蓄積された経験と知恵がある。それぞれの人生の上質な上澄みが句の中から浮き出てくるかどうかを研鑽し合っていこう。初めの一歩は小さくとも、足許を固めて俳句という登山道を励まし合って、楽しく真剣に歩み、お互いを尊重し合い、人生を明るく豊かにするための俳句結社を目指す』という趣旨を述べられました。
銀漢俳句会は主宰の趣意書通りに、尚且つ「楽しくなければ俳句じゃない!」を実践して歩んでまいりました。5周年に際し皆様との歩みを振り返ってみたいと存じます。

【5周年を振り返って 銀漢俳句会の胎動 】

 平成21年7月18日、新宿の高層ビルで伊藤伊那男主宰の第二句集『知名なほ』の出版記念パーティがあった。この頃、主宰を中心に二つの大きな句会があった。一つは現在も主要句会の一つ「銀漢句会」。もう一つは主宰の勧めで伊那北高校の同級生が立ち上げた超結社の「湯島句会」である。この会は5人の俳句未経験者で始めたのだが、結成1年半後には既に40名を超える句会になっていた。この二つの句会を中心に前述の『知名なほ』出版記念パーティは開催されるのだが、当初、主宰は「第二句集の出版パーティはあまり類がないし、気が進まないなぁ」と言っておられた。パーティの幹事達は「先生、10年前の第一句集『銀漢』の上梓パーティを知らない者ばかりですよ!お祝いをさせて下さい」と迫り、主宰の「じやぁ!やるなら仮装もありの楽しい会にしよう!」という言葉をいただいたのだ。結局パーティは来賓も含め、110名が集い、「仮装もあり」で大いに盛り上がり、心からお祝いをしたのである。
 このパーティを期に、句集『知名なほ』に貫かれた「いのちのうた」を謳い上げる主宰のテーマと、「楽しくなければ俳句しゃない!どうせやるなら最短で上達しよう」と情熱溢れる指導に感銘した者たちは、主宰とともに一つの結社で切磋琢磨し、歩んで行きたいと思うに至ったのである。 
 平成22年5月 皆川盤水先生に新結社設立のお許しをいただき、設立準備委員会が結成される。しかし、この3ヶ月後に盤水先生は天寿を全うされたのである。(合掌)
設立の趣意は先述の通りであり、この趣意を貫くために7月に銀漢俳句会設立発起人会が開かれ、10月には運営委員会を立上げ、編集部、句会指導部、総務部、事業部、システム部、企画部を組織化し、各句会、総会などの主要活動を決定した。
同年11月 第1回本部句会が開催され、主宰と参加者45名の緊張と興奮が伝わる一日となった。
同年12月 「銀漢」創刊号が刊行され、会員120名、購読会員・贈呈を含め300冊が発送された。本誌の編集理念は、「会員の為の俳誌」「全員参加の俳誌」を作ることであった。もう一つの特色は「競詠欄」があること。主宰は後に「この競詠欄(彗星集)は同人、会員の別なく無記名にて投句する真剣勝負である。結社の実力を問われるとともに選者たる私も真剣勝負なのである。天体に出現する一段と輝く彗星のような句に挑戦して欲しい」との檄を添えられている。
表紙、挿画はすべて北澤一伯氏、デザインは馬場龍吉氏にお願いしたが、「銀漢」のロゴは伊藤伊那男主宰の直筆である。このロゴに決定するまで主宰は毛筆、万年筆、割り箸を斜め切りにしたものなどで300以上も習作され、腕が痛いと洩らされていた。
平成23年1月 「銀漢俳句会」設立祝賀会が梅の蕾がまだ固い湯島天神で開催され、来賓を含め140名が参集。和服姿の方も華を添えられ、賑々しく晴れやかな吉兆の船出の宴となった。(通巻1・3月号に掲載)
同月、ホームページが佐々木終吉氏の尽力で立ち上がり、現在アクセス数は40,000を超えている。
平成23年2月 主宰を囲んでの第一回座談会「いのちのうた」が雪の舞う中銀漢発行所に若手会員5名(平均年齢36歳)が参集して開催された。銀漢俳句会を将来は背負っていくであろう若手と主宰の対談は白熱した。現在この5名はすでに中核を担った同人となっている。(通巻1・4~6月号に掲載)
第2回座談会は同年5月「主宰と各年代の方々の対談」(通巻1・8~9月号に掲載)。第3回を同年9月に「―萩から銀漢―として主宰と萩句会で学ばれた方々の対談」(通巻1・11月号~通巻2・一月号に掲載)。同年3月 第4回座談会――皆川盤水先生を語る――が開かれ盤水先生のご子息の皆川人氏と甥御さんの皆川文弘氏が参加され盤水先生の知り得なかったお人柄や趣味、仕事のことなど満載の座談会となった。この座談会の文末に、主宰は―盤水先生の俳句を検証していくことが仕事、先生の俳句工房まで理解しておきたい―と結ばれた。創刊号から続けられている表紙2の「盤水俳句・今月の一句」の鑑賞はその一環であると。また、平成26年に実施された、いわき吟行、翌年の出羽三山吟行も同じ意味が含まれている。(通巻44号?通巻60号に掲載)

平成23年3月11日は未曽有の東日本大震災が発生し多くの方が被災された。このため3月の本部句会は休会とした。また有志による追悼句集が作成され「銀漢」(通巻5号)に「祈りのうた」として掲載された。

 同年6月には第1回目の鍛練句会が青梅の御嶽山にて開催されたが、主宰は案内書で「俳句だけを考え熱中し1泊2日で計50句を作る吟行に挑戦しませんか?奥多摩の茅葺屋根の講宿に籠って、これでもかという位俳句を作ります。事前投句を入れて計50句、きっと何かを摑むことができる筈です」と述べられた。この「俳句漬けとなれ」のお達しは微塵の狂いもないもので、御嶽駅に午前10時半に集合して、第1日目の最終句会が終ったのは午前12時半。翌朝は早朝から句会の為、作句は寝しなに布団の中であった。しかし、翌朝4時30分には、句材を求めて散策に出る人、大広間で句作に励むひとなどまさに俳句漬けで、急遽入った太神楽を鑑賞のあと昼の句会も行い計50句の文字通り鍛練句会となった。(通巻1・7~8月号に掲載)

結成初年度に銀漢俳句会の句会となったのは以前から既存の句会に加え新設の句会が多数立ち上がった。なかでも銀漢萩句会の結成は、40名ほどが一度に入会されるという大きな出来事であった。故村田脩先生が結成された「萩」は村田主宰のご逝去により、平成22年通巻250号で終刊となった。その際、村田主宰の奥様村田郁子さんと、お嬢さんの角佐穂子さから伊那男主宰に「萩」の会員の方の受け皿にとのご依頼があったのである。伊那男主宰の感慨を「銀漢」(通巻1・2月号)から抜粋してみる。『師系の異なる結社であり、しかも海のものとも山のものとも解らぬ、できたての小結社に多くの方々が参加して下さり、身の引き締まる思いだ。(中略)こうして「萩」の方々と共に学ぶことができるのは、不思議なえにしというしかない。これほど俳句冥利に尽きることはなく、秘かに感涙したのである。「萩」俳句会は、「平明にして高貴な文芸としての俳句をめざす」ことを標榜しておられた。「高貴」というところに脩先生の俳句姿勢と高潔な生きざまがあるように思う。脩先生のご冥福をお祈りすると共に、その俳句精神を尊重していきたい。

主宰は結社立ち上げに強い意志もってあたられた。そして、主宰の俳壇における幅広い人脈が良き縁も得たのである。また、多方面からの助言や支えがあってこその立ち上げであった。                  
                                  (文責:川島秋葉男)























銀漢の絵はがき


挿絵が絵葉書になりました。
Aシリーズ 8枚組・Bシリーズ8枚組
8枚一組 1,000円

ごあいさつにご利用下さい。



    






        














掲示板




















 




鳥の歳時記


     






























             
 
  







銀漢亭日録

伊藤伊那男

10月

10月13日(火)
店「火の会」8人。羽久衣さん友人と。

 10月14日(水)
銀漢賞選句。伊那の井月カレンダーの一句鑑賞を送る。その他、雑用に追われ「梶の葉句会」を失念。慌てて選句。店は予約なく閑散。水内慶太、夏緒さんなど。

10月15日(木)
「銀漢句会」あと18人。のりを、宗一郎、小石、有二さんなど。賑やか。

10月16日(金)
部屋に黒い蜘蛛が一匹棲んでいて、時々机に顔を出す。殺さずに見ている。ハロウィンまでは……。店、俳句愛好家という稲垣さん一党六名。ORIX時代の部下6人など。

10月17日(土)
10時、運営委員会。昼、「いもや」の天ぷら。これ食べると満腹で眠くなるのだ……。「銀漢本部句会」53人。新参加者2名。あと、「上海庭」にて親睦会。

 10月18日(日)
宮澤は早朝から鶴岡へ。「うみやまあひだ」上映初日の挨拶へ。終日家にて雑務、執筆。夜、久々、桃子、孫達と夕食。

10月20日(火)
14時、鳥居真里子さん句会に発行所貸し出し。19時より、店、「炎環」の山岸由佳さんの現代俳句協会新人賞受賞の祝賀会。その前、窪田明さん、池内けい吾さんと見え、句集の最終校正。伊那北高校同窓・唐沢由枝さんなど、南箕輪町の町会議員さんなど7名寄ってくれる。皆川文弘さんが高校同期で俳句に興味ありという2人を案内して下さる。

 10月21日(水)
坪井研治さんが長年の友人と来店。慶應大卒とのことで、卒年、学部、クラスなどを聞き合うと、何と私の同級生の田家君。奥さんも同級生の増田さんと!美人であった。夫人の顔は覚えているが、田家君の思い出は無い……。「天為」編集部の福岡るぴさんの還暦祝いの会。他結社の方も来て10数名。高校同期の定例会「三水会」、7名。あと、対島康子さん、展枝、いづみ、好記、敦子さんと餃子屋。

 10月23日(金)
「春耕」の「朱鷺」の句を選句。店、気仙沼の和人さん上京にて清人さんが牡蠣を取り寄せ生で蒸して好評。20人程か。発行所「金星句会」あと5人。

10月24日(土)
東京駅発8時過ぎの新幹線にて新高岡。高岡にて武田さん、大溝さんと合流。森羽久衣さんの車にて加賀藩菩提寺・端龍寺。ガイドさんにたっぷり案内して貰う。あと国府跡……雨晴海岸を経て氷見へ。「割烹 秀月」あともう一軒。雨、激しかったり止んだり……北陸! ホテル信貴館泊。23時就寝。健全!

  10月25日(日)
6時起き、快晴。7時発、能登部町の羽久衣さんの実家へ。母上にお目にかかり、朝食をいただく。前方後方墳の能登王の墓をはじめとする30数余の古墳に圧倒される。あと、羽咋神社を参拝し金沢駅へ。「春耕」一門と合流し、3台のバスにて兼六園、千里浜などを廻り、能登ロイヤルホテルへ。朝妻力、禪次さんと同室。2句出し句会。19時より祝宴。祝辞。部屋にて二次会。丁度十三夜と。羽久衣さん畑のピーナッツ茹でて届けてくれる。

10月26日(月)
9時発、近くの、「春耕」波朗主宰の菩提寺・明蓮寺にて句碑除幕式。〈能登はやさし海の底まで小春凪〉除幕の綱を引く。本堂にて祝賀会。金沢に出て解散。禪次、坪井さんと近江町市場の寿司屋。福正宗をしこたま飲む。駅ビルのおでん屋に寄る。19時前の新幹線に乗車。

10月27日(火)
「OPUS」より依頼の同人評、昨日が締め切り日にて大急ぎで執筆。200ページ分。「俳壇年鑑」のアンケートが未着とて、能登で催促受け、出す……、ばたばたと。ひまわり館「萩句会」選句へ。店、宮澤と伊勢神宮の河合宮司。河合様、銀漢へ基金置いて行って下さる。新年号のエッセイのお願いもしてあり、恐縮。「街」の方3人、対島さん……、全体は閑散。

 10月28日(水)
礼状数枚。選句遅れている。店、「雛句会」10人程。文弘さん、山崎祐子さん……など。

 10月29日(木)
正午、発行所「銀漢賞」予選。7編ほどに絞り、再読へ。桃子の誕生祝いに隠岐島の生牡蠣、大小合わせ60個ほど注文。これは絶品の岩牡蠣。冷凍技術も最良のもの。店、鈴木忍ママの日。NHK、OBの水津幸一さん。水内慶太さんが鯖鮓、穴子鮓、蟹二杯を手土産に。1975年のワインも。

10月31日(土)
午後、日本橋で大溝さんに星雲集選句の稿渡す。あと「纏句会」13人。題の「からすみ」「シシャモ」「鰤大根」と握り。家は3日続きでハロウィンの集いとて9家族、5家族、5家族が来訪。


11月
11月1日(日)
「春耕同人句会」を休み、12月号の選句、原稿書きなど。17時、京王プラザホテルロビーの喫茶室にて「銀漢賞」最終選考会。大和、禪次、唐沢静男、飯田眞理子の5人。終わって「土風炉」にて慰労会。

 11月2日(月)
午前中原稿。銀行で手間取る。店、倉田有希さん幹事の写真展の展示作業を待たせてしまう。写真展の方々、櫂未知子さん久々。発行所「かさ〻ぎ俳句勉強会」あと12人。閉店後、櫂未知子、阪西敦子さんと餃子屋。

 11月3日(火)
終日家。「銀漢」12月号の原稿書き続ける。夕方から桃子の38歳の誕生祝い。隠岐島の牡蠣。ステーキ、とっておきの台湾の巨大からすみなど。ヴーヴクリコ。この娘もいい年になった……。

11月4日(水)
末子の七五三祝いとて家族は明治神宮へ。私は仕事があるので不参加。快晴。お手伝いの中根さん、私の部屋のもの全部洗濯する! と。店、「宙句会」あと九人。「きさらぎ句会」あと9人。野村證券京都支店の同期の東塚君久々。

11月5日(木)
昼迄雑用。店、北村監督他。井月顕彰会の面々。3月の「井月忌の集い」の打ち合わせ。その他賑わう。

 11月6日(金)
「銀漢賞」選考評。新年号からの新企画「自句自解」数編。出版予定の『そして京都』の再構成作業。駅への途路、「そば処 増田屋」から出てくる小澤征爾さん親子見かける。皆川文弘さんから贔屓の店だと聞いていたが、確かに……。店、「大倉句会」あと14人。山崎祐子、山田真砂年さん、来年の「いわき海の俳句大会」の打ち合わせ。

11月7日(土)
9時前の新幹線にて京都へ。「雲の峰」年次総会の講師。京都駅にて土産の玉乃光雄町を買い、丸太町の「竹邑庵太郎敦盛」あつもりそば2斤! この会に来る時はいつもここ。「ほんまに食べはりますか? 生卵二つ入りますけど」「はい、食べます」。「雲の峰」にて「井上井月こぼれ話」四十分ほど。二年ぶりのこの会、楽しいこと! 力さんに感謝。最近、会員になられた住田潮さん、大学同期と判明。筑波大教授のあと慶應教授。奥様はバイオリンの住田眞理子さんで、食事会の前に演奏してくださる。宴会のあと例によってラウンジで句会。題「椎の実」で一句出し。〈椎の実を食べ倍ほどの殻散らす〉

11月8日(日)
雨。酒のダメージ僅少。今日は伏見稲荷の大祭とて、宮澤が京都へ向かっている。このところ行き先が重なる。バス二台で出発。賀茂神社の御祖社・御蔭神社へ。八瀬の奥。葵祭の前に御霊を下鴨神社に移す。世界遺産でもある。近江坂本へ。日吉神社門前の「芙蓉園」にて昼食。穴太積みの中。西教寺へ。四十年程前に比叡山横川から駆け下りて訪ねた記憶あり。明智光秀の墓所。天台宗盛宗の総本山。紅葉見事。霧の中の比叡山根本中堂へ。ここも久々。紅葉の中。17時過ぎまで。京都駅にて解散。「雲の峰」の方々に感謝。すぐ町中の某茶店に行き、京都時代の仲間W女と酒盛り。「グジ」その他、慌ただしく。19時ごろの新幹線にて帰宅。

 11月9日(月)
店、武田禪次さん、長井さんなど。もともと三菱商事の仲間だが、今井麦さんを通じて、結局「銀漢」で俳句を始めるという顔合わせ。一ヶ月前に客として来店した橋野さんが、入会申し込み書を持って来店してくださる。以上、2件とも何とも嬉しい話。

 11月10日(火)
12月号校正。店、俳人協会での講演会あとの本井英、行方克己、山田真砂年、谷岡健彦さんなど。フジテレビ時代の松岡みどりさん。「火の会」六人。

 11月11日(水)
初子さんと長さん。ORIX時代の仲間5人。40年程前のことを懐かしく思い出す。閉店間際、角川「俳句」鼎談あとの高野ムツオ、田島健一、阪西敦子さん来店。高野さんは尊敬する作家。23時30分まで、話に加わる。














           
△『漂白の俳人・井上井月』伊藤伊那男著
          
  
    






今月の季節の写真/花の歳時記

番外編


2015年1月25日撮影   鴨の陣   TOKYO/HACHIOJI






△湯殿川の鴨たち・・・

八王子。自宅近くの「湯殿川」。
全長約9キロの距離。此処の川辺で「花の歳時記」の画像のシャッターをきっています。通勤時で6年間通っていますが、この写真は偶然撮れました。以前何度かチャンスがありましたが・・。


写真は4~5日間隔で掲載しています。 

2016/1/26 更新


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