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 10月号  2017年

伊藤伊那男作品   銀漢今月の目次 銀漢の俳句 盤水俳句・今月の一句  
  彗星集作品抄    彗星集選評  銀漢集・作品抄
  綺羅星集・作品抄  銀河集・綺羅星今月の秀句 星雲集・作品抄  
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 銀漢日録  今月の写真



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伊藤伊那男作品


主宰の八句

大暑         伊藤伊那男

橋に橋重ね大暑の日本橋
造り滝涸らする定期点検日
冷酒を吸ひ込んでゐる父の墓
現世の雨の大粒箱庭に
上京此の方働きづめの扇風機
形代に濁世の息を思ひ切り
炎昼に立つ軸足を定めかね
腐草蛍となり一隅いちぐうを照らす







        
             


今月の目次








銀漢俳句会/10月号

















   



銀漢の俳句 

伊藤伊那男 

◎渋谷の変遷

 井の頭線の高井戸、富士見ヶ丘、吉祥寺、東横線の学芸大学前……田園調布に住んでいたことのある私にとっては、何かにつけて渋谷が中継地点であった。渋谷は交通網では重要な位置付けだが、地形的に見ると、道玄坂や宮益坂を始め四方から水の落ち込む低地で、決して環境の良い土地ではない。井の頭線の一駅隣の神泉あたりから見る渋谷は、擂り鉢の底のようで、空気が澱んでいることがよく解る。「渋谷」という名称も褒められた字面ではない。そんな町だが学生時代から馴染んでいるので愛着がある。
 この町で飲むときには焼鳥屋に入ることが多い。一軒は井の頭線の吉祥寺寄り降車口に近い「森本」。世に知られた名店で、この店の柚子の効いたつくねの串を初めて食べたときには驚嘆の声を上げた。また冬場の鴨や鶉などのジビエの数々は目を見張るほど高価であったが、後悔したことはない。店員の動きは無駄がなく、自信を持った顔付きで「男の顔は仕事が作る」ということを教えてもらった。俎の上のちびた包丁について聞いたことがある。もともとは刃渡り30センチ位であったが数十年間研ぎに研いで15センチ位に短くなってしまったのだという。
 もう一軒は「森本」と井の頭線の高架を挟んだ向かい側の「鳥竹」である。大振りな串で、森本と較べたら遥かに安いし、もちろん味もいい。近時は若者や外国人で賑わっていてなかなか入れない。帳場にいる女将が好ましく、時々覗く。私は一階のカウンターで、焼く前の串の積まれた冷蔵ケースを見ながらエッセイの構想を練ったりする。
 もう一軒はNHKに近い「串玄」。私と同じ年齢の偏屈な親父さんが一人で焼いていて、客が一人もいないのに、知らない客が来ると、満員だと言って拒んでしまう。数年前、心臓疾患で生死の間をさ迷ったが、行き返った。世の中を斜めに見ている傾向はあるが、この人は金のことにも命のことにも恬淡としていて世俗を離れた純真さを感じさせるところがあった。客がいないのに備長炭を絶やさず、もちろん仕事は丁寧であった。だが今年、立ち退きを迫られて店を閉じた。行方は言わないし、私も聞かなかった。
 私も年を重ねたので昔ほど焼鳥が食べたいわけではない。行っても数串焼いてもらえばもうよくて、山かけや大根おろしで酒を飲んでいる。渋谷に通い始めた学生時代から丁度半世紀が経つのであるから当然である。その渋谷の地下は佐渡金山のように縦横に穴が掘られて変貌を重ねている。加藤楸邨に〈午後5時の道玄坂や雁わたる〉があるが、この雰囲気はもはや遠い昔である。
 


  








 



  

盤水俳句・今月の一句

伊藤伊那男

秋祭雲の白さの幟立つ             皆川 盤水

 
子供の頃の鎮守の杜の小さな祭を思い出す。農村では、やはり予祝の春祭よりも収穫の終わったあとの秋祭の方が盛り上がっていたように思う。田圃の稲の切株が匂い立ち、空はあくまでも澄み渡っていて、祭を予告する幟がはためくと気もそぞろになったものだ。青空に伸びた幟を「雲の白さ」と比喩で捉えたが、その清潔な把握に、今年も豊作であったことや村人の安堵の表情などが織り込まれているのだ。余分なことを言わない慎ましい句である。
                                (昭和48年作『板谷峠』所収)











  
彗星集作品抄
伊藤伊那男・選

朝顔市通りの尽きて引き返す        今井  麦
形代も妻へと凭れ厭はるる         川島秋葉男
胎のお子にもと菓子づと地蔵盆       桂  信子
口寄せの続きをいたこ夏炉辺に       小野寺清人
立膝で愛づのぼさんの糸瓜棚        大西 酔馬
三代を経て飴色の竹夫人          笠原 祐子
まくなぎを払ひ鑑真御廟前         五十嵐京子
気高さを涼しさとして如来像        松代 展枝
籐椅子の軋みに父の日々を識る       萩原 陽里
帯解てふ駅過ぎてより二重虹        秋津  結
形代を身震ひさせし吐息かな        谷口いづみ
食卓の隅は文机大暑来る          有賀 稲香
種を繋ぐ平家蛍の細き舞ひ         須﨑 武雄
星祭抱かれてつける願ひごと        島  織布
夕焼を横切つてゆく荒川線         夲庄 康代
太宰忌や腰落ち着かぬ高き椅子       朽木  直
若竹の勢を背ナに子規の墓         三代川次郎
曝書とて間口の狭き古本屋         末永理恵子
はにかみの少女うつれり花氷        渡辺 花穂
来信の風にいらへの落し文         中村 孝哲










       








彗星集 選評 伊藤伊那男

       
朝顔市通りの尽きて引き返す        今井  麦
俳句を始めた頃、早起きをして鬼子母神の朝顔市へ行った。かれこれ30年以上前のことだ。記憶は薄れてきたが、色や形の違う鉢を見て歩くと、思案のうちに市は尽きて又戻る。私もそうだったが、そのような客も多かったように思う。江戸時代、入谷で朝顔の栽培が盛んであったという。桜とは趣きを異にするが、花火のようにぱっと咲いて終る朝顔は江戸っ子好みであったのだろう。そうしたせっかちな雰囲気も句から浮き上がってくるようである。

  
形代も妻へと凭れ厭はるる         川島秋葉男
少し前「濡れ落葉」という言葉がはやった。定年退職後にべったり妻に頼ってしまう男のことである。この句もその発想の延長で、形代までも凭れてしまった、という。「やめてよ」という妻の声も聞こえてきそうである。こういう滑稽句を見るのも楽しい。「ついて行きます下駄の雪」などという都々逸も思い出す。

  
胎のお子にもと菓子づと地蔵盆       桂  信子
京都勤務時代、大文字の送り火も終ったあと、各町内で地蔵盆が行われていて、私にとっては珍しいものであった。子供を大事にするのである。「お子」と呼ぶのも日常的であった。乳幼児の死亡率の高かった時代からの風習である。妊婦にもお土産の菓子袋を持たせるところが何とも好もしい。「お子にも」の京の口語を生かしたのが手柄である。

  
口寄せの続きをいたこ夏炉辺に       小野寺清人
死者の霊を呼び寄せる「いたこ」。終ったあとの団欒の場で、たまたま居合わせた参詣者に、言い忘れたことや供養の仕方などを話したのであろう。夏炉を挟んでのいかにもみちのくの庶民生活である。

  
立膝で愛づのぼさんの糸瓜棚        大西 酔馬
正岡子規の絶句は三句共糸瓜。子規の文机の前には今も糸瓜棚がある。作者はその文机越しに糸瓜棚を見上げたのであろう。だが立ったままでは見難いし、子規にも失礼である。そうかといって、寝転ぶわけにもいかず、中間を取って立膝になったのであろう。そんな逡巡の様子が滲み出た一句であった。

  
三代を経て飴色の竹夫人          笠原 祐子
皆川盤水先生の句に〈安南に吾ありしとき竹夫人〉という句がある。戦時中の回想句だと思うが、句集には載っていない。今回出版された『皆川盤水全句集』にも未収録である。では何故残っているかというと『風新俳句歳時記』の例句に載っていて知ったのである。私はこの句のとぼけた風韻が好きである。戦時下にも何としても楽しみを見つけようとする先生の前向きの明るさを嬉しく思うのである。さて、掲出句「三代を経て」が面白いところである。蔵の中に棄てられないまま残っていたのであろうか。

  
まくなぎを払ひ鑑真御廟前         五十嵐京子
盲の鑑真には見えなかったはずだ。生身の自分との対比。

  
気高さを涼しさとして如来像        松代 展枝
心頭滅却すれば火も自ずから涼し、だ。「気高さを」が決め手。

  
籐椅子の軋みに父の日々を識る       萩原 陽里
同居している父の所作を籐椅子の軋みで知るのである。

  
帯解てふ駅過ぎてより二重虹        秋津  結
この地名がなぜ必要なのか、解らぬままに脳を刺激した。

  
形代を身震ひさせし吐息かな        谷口いづみ
こんな時はやはり神妙な気持になるものだ。擬人化の妙。

  
食卓の隅は文机大暑来る          有賀 稲香
私もそんな生活であった。大暑であろうが淡々と続く。

  
種を繋ぐ平家蛍の細き舞ひ         須﨑 武雄
平家蛍だからこその「細き舞ひ」。脈々と続く生命。

  
星祭抱かれてつける願ひごと        島  織布
幼な子の願いを自分で竹に結ばせる。親子の絆。

  
夕焼を横切つてゆく荒川線         夲庄 康代
『三丁目の夕日』の雰囲気。荒川線で決った。
 
  
太宰忌や腰落ち着かぬ高き椅子       朽木  直
銀座のバーの止り木で残した写真からの本歌取り。

  
若竹の勢を背ナに子規の墓         三代川次郎
田端の墓は確かにその通り。「勢を背ナ」に子規を偲ぶ。
  
曝書とて間口の狭き古本屋         末永理恵子
古本屋もやはり曝書をするのであったか。

  
はにかみの少女うつれり花氷        渡辺 花穂
花氷を覗く少女が自分も映っていることに気付く。

  
来信の風にいらへの落し文         中村 孝哲
風聞に落し文が答える、小説的手法。




 












  


銀河集作品抄

伊藤伊那男・選

風筋に掛くる夏帯夕座敷         東京  飯田眞理子
下闇を出て吊り橋を下闇へ        静岡  唐沢 静男
畑のもの這ひつくばはせ男梅雨      群馬  柴山つぐ子
父の日の未だに父の部屋と呼ぶ      東京  杉阪 大和
通るたび花茣蓙の向きずれてをり     東京  武田 花果
鴨川の降りみ降らずみ鱧の皮       東京  武田 禪次
浜昼顔わたつみのこゑ漏らさじと     愛知  萩原 空木
蛍火の明滅の奥母ねむる         東京  久重 凜子
凄まじき貌晒したる祭鱧         東京  松川 洋酔
十薬の香に親しみて住み古りぬ      東京  三代川次郎
葉隠れに育つ青梅武家屋敷        埼玉  屋内 松山









   
   








綺羅星集作品抄

伊藤伊那男・選 

書き込みに青春のある曝書かな     東京  相田 惠子
大江山鬼の育てる夏炉の火       東京  橋野 幸洋
灰皿にくすぶる火種桜桃忌       埼玉  戸矢 一斗
微風などなくて昭和の扇風機      東京  畔柳 海村
風死すや港にバーの一二軒       東京  小山 蓮子
孑孑や川より低き町に住み       東京  塚本 一夫
造り滝登る途中の造り鯉        東京  飯田 子貢
虫喰ひの村誌に残る水喧嘩       東京  高橋 透水
小さき風大きく見せて破芭蕉      東京  沼田 有希
鰹木に雀のはづむ祭笛         東京  半田けい子
パリ祭や使はぬままのパスポート    東京  堀内 清瀬
心臓画像生き生き四万六千日      東京  大山かげもと
目玉にて舵を切りたる目高かな     宮城  小田島 渚
消えさうな消え無ささうな夏炉かな   東京  鈴木 淳子
太閤の栄華の町の大朝寝        大阪  中島 凌雲
牛の尾の振れ幅広く蠅を追ふ      愛媛  片山 一行
葛飾は末社おほしや風待月       東京  白濱 武子
梅雨の蝶切手だらけの封書来る     埼玉  大野田井蛙

燕の子校舎の窓は海に向く       宮城  有賀 稲香
読経の響く奈落や蟻地獄        東京  有澤 志峯
芭蕉玉解く藩校の雨障子        静岡  五十嵐京子
地下街に風を生みけり造り滝      埼玉  池田 桐人
青臭きころが我にもトマトにも     埼玉  伊藤 庄平
往来の人と目の合ふ端居かな      東京  伊藤 政三
錆釘に巻癖のまま古簾         神奈川 伊東  岬
霧吹いて箱庭の地を新にす       東京  上田  裕
月見草また逢へるよね生きてれば    埼玉  梅沢 フミ
生存を暑中見舞で確認す        東京  大西 酔馬
濃紫陽花雨読の窓を明るうす      神奈川 大野 里詩
周五郎周平と読み冷し酒        東京  大溝 妙子
高原のベンチのしめり時鳥       東京  小川 夏葉
泣きさうな空を泣かして桜桃忌     埼玉  小野寺清人
明け易や短き夢を二つ三つ       神奈川 鏡山千恵子
子の形父の形にハンモック       和歌山 笠原 祐子
日焼けしてことに睫毛の黒さかな    東京  梶山かおり
盆なれば墓守りらしく家にをり     東京  桂  信子
木下闇千本鳥居の冥界めく       東京  我部 敬子
帚木や昼の汽笛の広ごり来       高知  神村むつ代
割り込みの子は頭から夜店の輪     東京  川島秋葉男
裸婦素描研究会場大暑かな       長野  北澤 一伯
父知らず生くや沖縄慰霊の日      東京  柊原 洋征
卯の花やふるさとにまた逮夜の灯    神奈川 久坂依里子
一円百円中に指輪も造り滝       東京  朽木  直
短夜のどこかにラジオ深夜便      神奈川 こしだまほ
敦忌や触れなば零るるてんとう虫    東京  小林 雅子
芦茂る川の名変はるところかな     長崎  坂口 晴子
片白草ひとりの自由不自由も      千葉  佐々木節子
杉戸絵の拾得の笑み五月闇       長野  三溝 恵子
伸びるとき存外長き尺取虫       東京  島  織布
雪渓に胡麻ひと粒の影動く       東京  島谷 高水
神殿のきれいに填る茅の輪かな     兵庫  清水佳壽美
願ふ間も無く形代の川に溶く      東京  新谷 房子
蜻蛉生る天使より羽根多く持ち     大阪  末永理恵子
明易や寝台列車にひと夜揺れ      東京  鈴木てる緒
島唄の届く厨や守宮這ふ        東京  角 佐穂子
旅半ば青葉時雨を両の肩        東京  瀬戸 紀恵
あめんぼう水輪つかみて流さるる    神奈川 曽谷 晴子
母遠し思ひ出遠し麦の秋        愛媛  高橋アケミ
水にこゑ闇に声あり蛍飛ぶ       長野  高橋 初風
夕暮れはネオンの差して造り滝     東京  武井まゆみ
睡蓮のをちこちを向き午睡めく     東京  多田 悦子
摩天楼をうつし鏡に夏雲立つ      カナダ 多田 美記
藍の甕汗を飲みこむ藍の泡       東京  田中 敬子
重すぎる罪に形代すぐ沈む       東京  谷岡 健彦
この朝もケルンの霧らふ山開き     東京  谷川佐和子
陰膳めく夜食置きあり桜桃忌      神奈川 谷口いづみ
五月闇物の怪潜む京の町        愛知  津田  卓
もんどりの腹晒しをり濁り鮒      東京  坪井 研治
目に見えぬ重さに耐へて紫陽花は    東京  中西 恒雄
風鈴のよく鳴る日なり誰も来ず     東京  中野 智子
うつし世の待つのは男時計草      東京  中村 孝哲
明易し瀬音親しき釣の宿        茨城  中村 湖童
白湯飲みて冷房の身を癒しけり     東京  中村 貞代
黒南風の谷戸法難のうめきとも     埼玉  中村 宗男
ふれ合へる葉音かそけき夏柳      東京  西原  舞
夫の忌の仏事こまごま濃紫陽花     神奈川 原田さがみ
空梅雨に嘴つつき合ふ土鳩かな     兵庫  播广 義春
妻の居て新茶淹れたる良き時間     東京  保谷 政孝
カンナ燃ゆ烈火の午後を決然と     岐阜  堀江 美州
寝がへりを覚えて愉し夏座敷      東京  堀切 克洋
夕焼を絡め取りたる観覧車       埼玉  夲庄 康代
豊年の明日香にわたる風匂ふ      東京  松浦 宗克
牛どれも仏づらなり草矢打つ      東京  松代 展枝
雀躍の声に梅雨明け聴くあした     東京  宮内 孝子
床の間の百合の香ひそと子規の家    神奈川 宮本起代子
層雲を吹つ飛ばしゆく白南風ぞ     千葉  無聞  齋
瀬戸内の雲の真白や鰯干す       東京  村上 文惠
履き慣れぬ宿の借り下駄蛍飛ぶ     東京  村田 郁子
山開き身の丈ほどの杖を持ち      東京  村田 重子
流木の山積み幾つ海開き        千葉  森崎 森平
数学科出て正確に切る西瓜       東京  森 羽久衣
鼻唄も祭囃子となりにけり       埼玉  森濱 直之
禿頭は一子相伝帰省かな        愛知  山口 輝久
蝙蝠や帝都にありし地下通路      東京  山下 美佐
道をしへ疾くとく山は雨もよひ     群馬  山田  礁
動きゐて動かぬごとし大雲海      東京  山元 正規
比企ヶ谷暗きを灯す著莪の花      神奈川 𠮷田千絵子
老い母の手を取りくぐる茅の輪かな   愛媛  脇  行雲
西瓜の種貼りついてゐる盆の窪     東京  渡辺 花穂







      






     







銀河集・綺羅星今月の秀句

伊藤伊那男


書き込みに青春のある曝書かな      相田 惠子 
私ごとだが、読書好きな少年であった。日本文学全集などを結構真面目に読んでいて、国語だけは全く勉強をしなくても良く出来た。乱読だったので筋書きなどはすっかり忘れてしまったが、そのことは今もって私の糧になっていると思う。私も本に書き込みをしたし、抜き書きなどもした。掲出句はそのような書物を曝書して、若書きの文字に感慨を深めたというのである。「青春のある」がうまい!

  

大江山鬼の育てる夏炉の火        橋野 幸洋
酒呑童子の窟があったという大江山は一般的には丹後地方といわれるが、京都市西京区大枝にもその名の山があり、京との位置関係から見てこちらの方が実感がある。源頼光の鬼退治伝説に題材を取って、空想を駆使した楽しい句に仕立てたのである。頼光がひたひたと寄せてくるのも知らず夏炉に寛いでいる場面ということになろうか。
灰皿にくすぶる火種桜桃忌        戸矢 一斗
同時出句に〈頬杖を知らず知らずに桜桃忌〉〈線香の向きをてんでに太宰の忌〉〈梅雨闇のトカトントンといふ響き〉があり、一回の吟行でこのように作句できるというのは力のある証だ。中では掲出句が一番だと思う。「くすぶる火種」に薬、女、自殺……とスキャンダルを繰り返したこの作家の人生を凝縮させているのである。


微風などなくて昭和の扇風機       畔柳 海村
そう、そうだった!と、頷く。今のように「弱・中・強」などというこまやかな調節機能は無かったように思う。ただぶんぶん回るだけであった。その分頑固親父のように信念をもっているような親しさや信頼感も覚えたものである。「微風などなくて」の一途さに大きく頷くのである。


風死すや港にバーの一二軒        小山 蓮子
小さな港町の夕凪の頃ということになろうか。早々と「バー」に灯が点る。「バー」という言葉は今はほとんど使うことは無くなったが、「カウンターのある洋風酒場」である。プラスチック製のステンドグラスがあったりしたものだ。何やら小林旭がギターを抱えて出てきそうな趣きがある。句全体が安普請の書割めいたおかしさである。


孑孑や川より低き町に住み        塚本 一夫
足立区、葛飾区など海と川の近い辺りの嘱目であろう。昭和三十、四十年代は台風が来れば、町中が浸水したニュースがよく流れたものである。当然「孑孑」などが湧く水溜りが沢山あったことであろう。「川より低き町に住み」のフレーズが何とも決っていて、たとえば〈――や根岸の里の侘び住ひ〉のように、色々な季語が填りそうで、試してみた。「金魚・釣忍・蝙蝠や・蚊遣火や……」。不思議なことに「孑孑」以上のものはない。そこが勘所。


造り滝登る途中の造り鯉         飯田 子貢
全部が造り物という面白い句である。造り滝の途中に造り物の鯉が配されている。よく軸物などに描かれる「鯉の滝登り」の立体版である。謂れは「鯉が黄河にある竜門の急流をさかのぼって竜となるという伝説から、人の立身出世すること」を言う。「造り」を二つ重ねたところは技があり、どことなく嘘臭いおかしみが滲むのである。


虫喰ひの村誌に残る水喧嘩        高橋透水
少し前までの農村では「水争・水喧嘩・水番」などの言葉は生きていた記憶がある。私の友人も水番のアルバイトをしていた、という。綴られてきた村誌には繰り返された水争いの記録が残されているのである。「虫喰ひ」の措辞に実感が籠る。

  

小さき風大きく見せて破芭蕉       沼田 有希 
こういう作り方もあるのか、と感心した句だ。風雨に叩かれて傷み、破れた芭蕉の葉である。大きな葉の割には薄いので、少しの風にも大袈裟なほどに揺れ動く。その特徴を「大きく見せて」と捉えたのである。破芭蕉をよく観察したからこそ季語が動かないのである。

その他印象深かった句を次に

葉隠れに育つ青梅武家屋敷         屋内 松山
鴨川の降りみ降らずみ鱧の皮        武田 禪次
通るたび花茣蓙の向きずれており     武田 花果
鰹木に雀のはづむ祭笛          半田けい子
パリ祭や使はぬままのパスポート     堀内 清瀬
心臓画像生き生き四万六千日       大山かげもと
目玉にて舵を切りたる目高かな      小田島 渚
消えさうな消え無ささうな夏炉かな    鈴木 淳子
太閤の栄華の町の大朝寝         中島 凌雲
牛の尾の振れ幅広く蠅を追ふ       片山 一行
葛飾は末社おほしや風待月        白濱 武子
梅雨の蝶切手だらけの封書来る      大野田井蛙












           

 
 





 
星雲集作品抄
伊藤伊那男・選

秀逸
蚊遣香一足早く路地暮るる        東京  小泉 良子
紙魚住みて古地図の街を熟知せり     神奈川 栗林ひろゑ
天井の龍呼び覚ますはたた神       埼玉  大澤 静子
夕星のみるみる点る帰省かな       東京  宇志やまと
呼ばれても木から下りぬ子雲の峰     神奈川 多丸 朝子
貴船より少し貰ひて造り滝        埼玉  渡辺 志水
呼び水となれる水撒きあとの雨      長野  守屋  明
黒南風の吹き残したる魚臭かな      東京  橋本  泰
折らぬやう渦より外す蚊遣香       埼玉  萩原 陽里
作り滝計算されし音立つる        東京  辻本 芙紗
滴りの蔓に絡みて留まれり        静岡  金井 硯児
浮標(ブイ)めぐる老いの抜き手や海開      静岡  小野 無道
草いきれここが我が家のあつた場所    東京  岡本 同世
蕗の皮剝けども残る心地して       東京  今井  麦
ひとり占め嬉しくもなき西瓜かな     東京  伊藤 真紀
ウインドーのマネキン水着着付中     埼玉  志村  昌
喜びの谺返り来山開き          神奈川 長濱 泰子
単衣着て立ち居姿に芯とほる       東京  宮﨑晋之介
夜濯ぎに旅の余韻も廻りけり       大阪  永山 憂仔
虹の色数へて足らず街の空        東京  絹田 辰雄
知らぬまに山と溶けあふ青田かな     愛媛  岩本 昭三
立ち尽す葵は終の一花まで        広島  長谷川明子
さばしれど滾ることなき造り滝      神奈川 中野 堯司

     




星雲集作品抄

            伊藤伊那男・選
竹筒をつつけば皿に水ようかん      東京  秋田 正美
九段坂弓押し立てる薄暑かな       埼玉  秋津  結
紫陽花の色も香りも雨の中        神奈川 秋元 孝之
水槽に張り付く子の目目高の目      東京  朝戸 る津
夫ふつと闇に消えゆく蛍狩        東京  浅見 雅江
たわわなる七夕竹に結ぶ恋        東京  荒井 郁子
雑踏を遠く置きたる夜涼かな       神奈川 有賀  理
落雷の火柱たちし芋畑          愛媛  安藤 向山
風死して瀬戸の暮色の重かりき      東京  井川  敏
朝涼し発車メロディ遠くより       東京  生田  武
打水に足止めされし縄のれん       高知  市原 黄梅
打水や盛塩残し石畳           神奈川 伊藤やすを
終映のドア肩で押すサングラス      埼玉  今村 昌史
山頂へ風の道あり山開き         神奈川 上村健太郎
初蟬の声寂として遠く消ゆ        愛媛  内田 敏昭
夕立の風吹き土の匂ひかな        長野  浦野 洋一
向日葵に寝過しの顔みられけり      埼玉  大木 邦絵
白百合の震への止まぬ蕊の先       東京  大沼まり子
山開き神官の背に手を合はす       群馬  岡村妃呂子
紫陽花のひと日ひと日をいとほしむ    神奈川 小坂 誠子
街角をさつと曲れば金魚玉        京都  小沢 銈三
生垣の日日に新たな牽牛花        埼玉  小野 岩雄
お七夜に里より届く洗鯉         神奈川 上條 雅代
朝まだき雷鳥飛びて岩陰に        東京  亀田 正則
見下せば太古は海の夏木立        長野  唐沢 冬朱
散骨の父住む空や沖縄忌         神奈川 河村  啓
源氏でも義仲好み蛍舞ひ         長野  神林三喜雄  
鷺草の群ぬれそぼつ夜明けかな      愛知  北浦 正弘
虫干しの書に囚はれの身となりぬ     神奈川 北爪 鳥閑
膝並ぶ幼心地の涼み台          和歌山 熊取美智子
古池の主になりたる目高かな       愛知  黒岩 宏行
茅の輪潜り故郷の香に浸りけり      東京  黒田イツ子
大花火束の間浮かぶ湾全景        神奈川 小池 天牛  
豌豆の莢飛び出して豆ご飯        群馬  小林 尊子
右左夏越の祓念を入れ          神奈川 阪井 忠太
子を叱るやはらかき声合歓の花      長野  桜井美津江
狛犬の尾の渦巻きや苔の花        東京  佐々木終吉
我の黙夫の黙しや夕蛍          群馬  佐藤 栄子
目の前に小鳥の顔や夏館         群馬  佐藤かずえ
名付け子の健康祈る星祭         群馬  佐藤さゆり
納棺の蓋のぴたりと夏終る        東京  島谷  操
地に降りて天道虫の珠となる       東京  清水美保子

あらひ鯉織部の皿の渦のうへ       千葉  白井 飛露
滝落ちて心奈落へ滝つぼへ        神奈川 白井八十八
ひと月をかけ咲き上がる立葵       東京  須﨑 武雄
線路越え昭和の街のかき氷        群馬  鈴木踏青子
蝙蝠の影に斬らるる夜道かな       愛知  住山 春人
総持寺
初蟬や禅寺を守る火伏の木        埼玉  園部 恵夏
青葦や橋桁にあと尺五寸         山形  髙岡  恵
空蟬や触れなば落ちぬ枝の先       東京  髙城 愉楽
蜘蛛の囲を虹色にして雨上がる      福島  髙橋 双葉
夕焼に浮き出してくる浅間山       埼玉  武井 康弘
夕凪やときをり妻のとほくなり      東京  竹内 洋平
引出しの奥若き日のサングラス      広島  竹本 治美
浜昼顔波の近きを知らぬまま       三重  竹本 吉弘
短夜や一幕物の夢に酔ふ         神奈川 田嶋 壺中
物干しの一本の竿蒸し暑し        東京  立崎ひかり
麦茶一杯乞うて話を始めけり       東京  田中 寿徳
放課後の校庭の声風死せり        東京  田中  道
空いまだ青み残して夕蛍         東京  辻  隆夫
雨音の隙間を埋めし遠蛙         大阪  辻本 理恵
昨日より明日をよき日に罌粟の花     東京  手嶋 惠子
海の日の空の青さは海の青        東京  豊田 知子
配管工管の中にて昼寝かな        神奈川 萩野 清司
朝採りの胡瓜に花もつけられて      東京  長谷川千何子
昼寝子は風の隙間に笑ひをり       長野  蜂谷  敦
背の帯をポンとひと打ち半夏生      神奈川 花上 佐都
戦前のいろ残る書にきららかな      長野  馬場みち子
目覚むるは雨打つ音と遠郭公       長野  平澤 俊子
冷素麺八束分の泡立てり         神奈川 福田  泉
浴衣着て父の渋面真似てみる       東京  福永 新祇
黒南風や肩の関節痛む頃         東京  福原 紀子
涼しさや薩摩切子の色重ね        神奈川 星野かづよ
女王花百の雄蕊を俯かす         東京  星野 淑子
相模灘二つに割つて日雷         神奈川 堀 英一
かんかん帽永井荷風の墓の辺に      東京  牧野 睦子
一湾に音の遅るる遠花火         神奈川 松尾 守人
内向きに心渦巻くかたつむり       愛知  松下美代子
川風や蕪村石碑へ散松葉         京都  三井 康有
オホーツクは雲海の先鈍色に       東京  宮田 絹枝
汐の香の包む茅の輪の祓ひかな      広島  村上 静子
にごり池清めんと蓮群れにけり      東京  八木 八龍
むさし野は冬の茜に富士の影       東京  家治 祥夫
鳴き龍を起こす拍子木堂涼し       東京  保田 貴子
捨てられぬ写真の山の黴匂ふ       群馬  山﨑ちづ子
河鹿鳴く山門前の陀羅尼助        東京  山田  茜
短夜の夢の続きを待ち侘びる       神奈川 山田 丹晴
西日差す画室に名画らしきもの      静岡  山室 樹一
水盤の静謐時を写しけり         高知  山本 吉兆
稜線の影もぼんやり炎天下        群馬  横沢うだい
雲の峰蛇口の水を頭から         神奈川 横地 三旦
サングラス外した顔に丸二つ       千葉  吉田 正克
白糸を紡ぎ綾なす滝しぶき        神奈川 渡邊 憲二
郭公の声に高原らしくなる        東京  渡辺 誠子
旅に居て蓮の開花に目覚めけり      東京  渡辺 文子




     













星雲集 今月の秀句

伊藤伊那男

蚊遣香一足早く路地暮るる        小泉 良子
一昔前の下町の生活などが偲ばれる句だ。周辺の町が開発され始め、道も拡幅し夜も明るくなっていくのだが、木造の住宅地の一角は夜に入るのが早い。開けっ放しの窓からは蚊遣火の香りが路地に流れる。隣人同士がお互いの家庭の事情を知り合っていた時代であった。「一足早く」の措辞が変貌し始めたあの時代の町の様子をよく伝えている。同時出句の〈冷酒や船の灯進むとも見えず〉は実にいい取合せである。晩酌の窓から見る船を「進むとは見えず」と捉えたが、寛ぎのひと時を伝えて過不足が無い。読後に心地良い抒情の余韻の残る二句であった。


紙魚住みて古地図の街を熟知せり     栗林ひろゑ
受験勉強をしている頃、覚えた辞書を食べてしまう、という猛者がいる、などという噂を耳にしたことがある。この句の紙魚も古地図に巣喰って動き廻り、食べ廻り、町の構成に精通してしまった、というのである。伸びやかな想像力である。「熟知せり」の結びが見事。同時出句の〈走馬燈夫居る国へ走り出す〉も哀惜を籠めた想像、〈夏のブイ浮きくたびれて暮れにけり〉
のブイの擬人化、と柔軟な発想を見せてくれた。


呼ばれても木から下りぬ子雲の峰     多丸 朝子
私もこのような子供であった。よく木に登ったし、屋根の上にもいつも登っていた。時々、伊那谷を囲む山々の向うに何があるのか‥‥などと思った。そんな事を思い出させてくれる句だ。「雲の峰」の季語の斡旋で、何やら立志伝の趣きも出た。同時出句の〈傘立に杖もまじりて梅雨の寺〉も観察の効いた句だ。


呼び水となれる水撒きあとの雨      守屋  明
打水が呼び水となって雨が降った、という。打水の句でこのような発想の句を知らない。「呼び水」が発見だ。同時出句の〈梅雨晴間妻はそつなく陽を使ふ〉も梅雨晴間の季語で類例は少ない。〈草引くや雑念の根の抜くるまで〉も禅僧の心地か。各々独自の作風を見せてくれた。


黒南風の吹き残したる魚臭かな      橋本  泰
黒南風は梅雨最中の陰鬱な南風。句は午後の港の風景であろう。糶あとの魚臭は風が吹いても消えないで残っているという。一年中そうであるのかも知れないが、「黒南風」の季語で殊に印象深いのである。ちなみに句の季語を「白南風」に変えたら‥‥凡句である。黒南風だからこそ効果が増幅するのだ。同時出句の〈青梅の育ちつつあり落つるあり〉も対象物をよく観察した句である。


滴りの蔓に絡みて留まれり        金井 硯児
我慢して「物」を見た句だな、と思う。写生の訓練のできた句だ。滴りが岩に生える植物を伝わって落ちるのだが、ある滴りは蔓に絡んでしばし留まったりしているという、一つの発見である。同時出句の〈日盛や鴉の影のより黒く〉〈日日草豆腐屋の朝せはしなく〉は各々季語の本意をしっかりと具現化している。


ウインドーのマネキン水着着付中     志村  昌
一読苦笑を禁じ得ない。私よりももっと年上の作者だが俳句の題材としてこのようなことに興味を抱く、というのが嬉しいのである。俳句には心の投影があるのだな、と思う。同時出句の〈小さきほど高価となれる水着かな〉にはもっと笑ってしまう。なかなかの眼力なのである。


喜びの谺返り来山開き          長濱 泰子
今も唯一の女人禁制の霊山は大峰山。五月三日が戸開式。そのような信仰に発したものと、北アルプスのウェストン祭のように近代登山に発するものとがある。句は「喜びの谺」が眼目。山好きの気持ちを一言で代弁しているのである。ヤッホーの谺が響き渡る気持ちのよい句となった。


作り滝計算されし音立つる        辻本 芙紗
珍しい発想の句である。今や作り滝もコンピュータ制御によって「音」までも管理されているのであろう。「計算されし音」は私などのアナログ思考にはない、新しい感覚である。同時出句の〈帯の中ひと日の汗を秘めにけり〉も顔には一切気配を見せない凛然と振舞う女性を描いて見事。

その他印象深かった句を次に。

単衣着て立ち居姿に芯とほる       宮﨑晋之介
立ち尽す葵は終の一花まで        長谷川明子
夜濯ぎに旅の余韻も廻りけり       永山 憂仔
さばしれど滾ることなき造り滝      中野 堯司
虹の色数へて足らず街の空        絹田 辰雄
源氏でも義仲好み蛍舞ひ         神林三喜雄
知らぬまに山と溶けあふ青田かな     岩本 昭三
ひとり占め嬉しくもなき西瓜かな     伊藤 真紀






















銀漢亭こぼれ噺



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2017/4/17 発売されました。
 





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 仕事で接した京都、
京都生まれの妻と結婚してからの京都、
俳句を始めてからの京都、
妻を亡くしてからの京都・・・・・。
京都は味わいも深みも変化させながら、
いつしか喜びと悲しみの交叉する街となってきた。
「京都」を軸に、人生と俳句について綴った
著者はじめての自伝的エッセイ。


        















伊那男俳句  


伊那男俳句 自句自解(22)       
    
降り立ってまだ揺れてをり船遊び

 25年ほど前、春耕編集長の蟇目良雨さんの企画で、東京湾の船遊びをした。昔、東京パラダイスで賑わったという須崎の船宿から乗船した。船では年増と若手の芸妓さん二人の組合せで座を盛り上げてくれる。船で揚げる天麩羅などの料理が所狭しと並び、酒盛りをしながらお台場あたりまでゆるゆると回遊する。納涼舟は江戸時代から盛んで、浮世絵にも大川(墨田川)の遊舟の様子などが残されている。そんな遊びがコンクリートジャングルに変貌した東京にもしっかり残っているのは嬉しいことである。酒が入ったせいもあるが、遊船を終えて地に降り立つと、身体がふらついていたような気がした。不安定な船の中にいた時は何ともなかったのに、揺るがない陸に上った瞬間の方が揺れを感じた、という錯覚を詠んでみたものである。同乗した高木良多先生が、後の句会の折、発見のある句だと褒めてくれた。なかなか褒めてくれない先生なので尚更記憶に残る句となった。


  
まだ逃げるつもりの土用鰻かな


 この句を作った平成5年は、経営に参画していた金融会社が立ち行かなくなっていた。倒産は免れ難く、そうでなくても役員は解任されることとなる。子供達はまだ小さいし、生活を維持できるかどうか、という不安もあり、精神的に悪い状態であった。また翌年に大腸癌が発覚するが、体調も悪かったことを思い出す。バブル崩壊のあと、銀行も厳しい状況に追い込まれ、その救済のため、国は債権回収機構を作り、不良債権をそこに移した。平成の鬼平と言われた中坊公平社長が陣頭指揮を執り、我々への追求も厳重であった。そうした中で、句会に出ることが私にとっては救いのひとときであった。句を作った当時は、仕事のことは意識していなかったつもりだが、あとから振り返ってみると、何とか生き残る道はないだろうか、と足掻いていた気持ちが反映していたように思う。俳句は「物」を詠むものだが、「物」に託した作者の心情が投影するものでもある、と思う。














  
        


 



銀漢の絵はがき


挿絵が絵葉書になりました。
Aシリーズ 8枚組・Bシリーズ8枚組
8枚一組 1,000円

ごあいさつにご利用下さい。



    

















掲示板



















 
             

銀漢亭日録

伊藤伊那男


 7月

  7月17日(月)
9時、四条烏丸交差点の長刀鉾の出発を見る。マクドナルドのハンバーガーの朝食。何年振りか。四条通を河原町へ進み、辻回しなどを見る。「インパルス」という店で一休み。私は珈琲。他の仲間はビール。店の前にて放下鉾、船鉾を送り、巡行は終了。12時半、「酒蔵玉乃光」に入り、この旅の打上げ。最後、卵かけごはんを食べてしまう。16 時過ぎの新幹線で爆睡。

7月18日(火)
高野清風さんより伊藤庄平さん、春の叙勲で瑞宝重光章を受賞していたと。店、岡本同世さん、「復興いわき 海の俳句全国大会」の報告を聞く。山田真砂年さん、体調崩している様子。

7月19日(水)
「三水会」5人。伊那北一年後輩の中田女医、三島さん(私の実家の隣組)も来て合流。あと井蛙さん他と「ふくの鳥」に寄る。

7月20日(木)
店、三田俳句丘の会(慶応)あと行方克己、池田のりを、柊原洋征、坪井研治さん。「銀漢句会」あと18人。

7月21日(金)
「蔦句会」選句。あと9人。あと閑散。

7月22日(土)
午後、御徒町吉池にて仕入。14時、日本橋「鮨の与志喜」にて「纏句会」。12人。あと焼茄子、鰻の卵とじ。題に出た皮剝のフライ。握り鮨、最後に皮剝の肝付き握り。酒は「吉野川」。お開きあと、久々、渋谷「鳥竹」。飲みながらエッセイ一本。成城学園前に下りて、必要な買物あるかと桃子に電話すると、植松家他と焼肉屋にいるからおいでというので合流し、本格的に飲み直し。子ども入れて13人。交通事故で一ヶ月間入院していた植松君復帰。元気!

7月23日(日)
久し振りに1日家に居る日。午後、杏子一家来宅。遅い私の誕生祝いと杏子の退院祝い。巾着茄子の焼茄子、南瓜煮、海鞘と胡瓜、その他私の料理。鰤しゃぶなど。

7月24日(月)
「銀漢一八句会」二階発行所で。あと6人店。藤森荘吉さんの「閏句会」11人。「演劇人句会」あと9人など.久々繁忙。

7月25日(火)
「萩句会」選句。そのあと15名、納涼会で店へ。

7月26日(水)
武田編集長より「銀漢8号」発送完了と。「雛句会」11人。毎日新聞の森さん『銀漢亭こぼれ噺』面白かったと。近々、記事書いてくださるとのこと。羽久衣さん、俳人協会の若手句会で知り合った近藤さん(春燈)と。中島八起氏(春耕)句集、無事近々刷り上がると。環さん。

7月28日(金)
発行所「門」同人会へ貸し出し。「金星句会」あと5.閑散。

 7月29日(土)
9時56分発のあさま号にて佐久平経由で小諸へ。「こもろ・日盛俳句祭」のスタッフ。銀漢からは、谷岡、井蛙、麦さん。昼、「笊蕎麦 刻」のあい盛の大盛。満足。句会、20人の教室。窪田英治さんとスタッフ。顔合わせパーティーあと、町の「花むら」。奈良の「南柯」グループ、真砂年さん一派、行方克己、土肥あき子さんなど。終ってホテル。和音さんの部屋にて持参のシャンパンワイン戴く。和音さんとは隠岐以来の知己。

  7月30日(日)
6時起、昨日の当日募集句、60数名分の選。温泉。朝食。部屋にて「銀漢9月号」の選句。11時半、北国街道を歩き虚子庵。「笊蕎麦 刻」にて蕎麦。13時半より句会。真砂年、あき子さんと3人スタッフ。
15時半、迎えの車に井蛙、麦と乗車。「北軽井沢句会」の柴山つぐ子山荘へ。例によって横断幕で大歓迎してくださる。日帰りで、展枝、まゆみ、芙紗、中野智子、天野小石、うさぎさん合流。山荘の庭にテントを設けて大パーティー。小雨の中。あと5句出し句会。21時5分、軽井沢から新幹線。車中も酒盛り。

7月31日(月)
「銀漢9月号」添削教室書き、秋葉男さんへFAX。店、学生時代の先輩で元野村證券副社長のTさん夫妻。私のエッセイ集の出版祝とてバカラのグラス二客持参して下さる。根室の母上が末期癌で、東京に引き取り、4月に亡くなったが、付けていた読書ノートの最後の本が、私のエッセイ集であったと。著者名に伊那男の名前に添えて私の本の名が記してあると。
店は祇園祭吟行メンバーの反省会で11名集合。祭の余韻を楽しむ。結局祇園祭絡みでは句会5回、計18句出したことになる。帰宅してバカラのグラスでコニャック。
8月

8月1日(火)
閑散。「宙句会」あと6人。水内慶太さん。

8月2日(水)
閑散。パリの伊藤恵子さんと友人。「きさらぎ句会」あと七人。久々、23時に位に帰宅すると、グアム嶌のアキ子さんと子息のシオン君来ていて、久闊を叙す。

8月3日(木)
朝、「あ・ん・ど・うクリニック」。彗星集選評書き9月号の原稿終了。店、「十六夜句会」あと15人。対島康子さん久々。

8月4日(金)
桃子と孫3人沖縄へ。台風で欠航の可能性ありとて、明後日の出発を早めて今出発。店、サンフランシスコの青柳飛、ニューヨークの中川手鞠さんと「天為」の方々。「大倉句会5周年記念誌」完成。句会あとその祝賀会。料理、酒持ち寄り30名。堀下翔さん。

8月5日(土)
10時、運営委員会。昼、「いもや」の海老天。「銀漢本部句会」55人。あと「はなの舞」にて暑気払いの会。

8月6日(日)
「春耕同人句会」。中野サンプラザ。棚山主宰復帰。あと「炙谷」にて親睦会。

8月7日(月)
昨日、早く寝たので4時起床。武田花果さん句集の序文(跋文にするか)書き上げる。店、青柳飛さん(米国俳人協会会長)が前会長David.G.Lamove氏と。岩手県俳人協会事務局長二階堂光江さん。勉強会あとの「かさゝぎ俳句勉強会」メンバー11人。「銀化」梅田津さん他3人勉強会。

8月8日(火)
店「火の会」10人。台風5号迷走で閑散。

8月9日(水)
「梶の葉句会」選句。店、明日から一週間休みにて、常連が寄って下さる。水内慶太氏4人。三輪初子さん。22時、店を閉めて8人程で「天鴻餃子」でしばしの別れの宴。

8月10日(木)
11時半発のANAにて沖縄へ。ほとんど眠って。旭橋のホテルユクエスタ。今日は一人。早速、半ズボンで牧志公設市場二階「きらく」でオリオンビール、島らっきょ。その後も近隣を散策しつつ、3軒ほど飲み歩くがどうも満足のゆくものなし。1人で大きな店に入りたくないし、1人で肉は食べる気がしないし……。久米島の車海老の看板の店に入ると、季節が終わったとて生は無し。何とも、トホホ。

8月11日(金)
5時過起。「高遠句会」の平澤俊子さん逝去の報を受ける。田中敬子さん句集の序文の構想。ホテルで朝食。小さいが気持ちのよいホテル。天気よし。昼、家族迎えに来てくれて泊港。ターミナル二階の食堂で色々な定食取って昼食。泡盛。14時の船にて20分程の距離、ナガンヌ島へ。津波が来たら瞬時に終わりそうな無人島で、簡素なバンガローあり。家族が海に入っている間、昼寝。入日を見てバーベキューの夕食。泡盛。バンガローに戻って酒盛り。周囲はおびただしいヤドカリ。鯵刺が鳴く。














           
△『漂白の俳人・井上井月』伊藤伊那男著
          
  
    






今月の季節の写真/花の歳時記



2017年10 月18日撮影 姫蔓蕎麦   HACHIOJI



花言葉   「愛らしい」「気が利く」「愛らしい」「思いがけない出会い」

        
姫蔓蕎麦
海辺に自生する「ツルソバ(蔓蕎麦)」という植物に似ていて、それよりも小さい事に由来します。

今月の紹介した花々・・・・・。


 千日紅・ファイヤーワークス  ファイヤークラッカー   トウゴマ  雁来紅  猫の髭
 
サンタンカ  ペンタス  赤のまま  姫蔓蕎麦  

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写真は4~5日間隔で掲載しています。 



2017/10/23 更新



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