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 3月号  2016年

伊藤伊那男作品 銀漢今月の目次 銀漢の俳句 盤水俳句・今月の一句  
彗星集作品抄    彗星集選評  銀漢集作品抄
  綺羅星集・作品抄  銀河集・綺羅星今月の秀句 星雲集・作品抄  
星雲集・今月の秀句   新年俳句大会   新連載  銀漢の絵はがき 掲示板 
 鳥の歳時記  銀漢日録  今月の写真



伊藤伊那男作品


白鳥湖         伊藤伊那男

混むといふことのかくまで白鳥湖
鼻毛抜きをればたまたま漱石忌
仕舞には汁粉で酒を飲むことに
臘八会魚板の音もつつましく
さう言へば赤穂の殿の畳替
峠路の空気の固さ鎌鼬
牝狐に騙されてまだ目が醒めぬ
煤逃のほんとは所払ひかも







        
             




今月の目次





銀漢俳句会/3月号









      












   


銀漢の俳句 

伊藤伊那男 

◎そして京都
 朝妻力さんの主宰誌「雲の峰」に五年ほど連載したエッセイ「そして京都」を一冊の本にしようということになった。私の自分史を、京都を軸に折々の俳句を絡めて、ほぼ編年体で綴ったものである。
だが所詮、市井の片隅で色々な失敗を重ねて生きてきた男の話である。果たして本にしてもいいものかどうか、忸怩たるものがある。ならば多少でも色を付けてみようと思い立ち、京都の歴史や食物などについてのショートエッセイを散りばめることにして、12月に30編ほどを一気に書き上げた。それらの記述に間違いがあってはいけないので実地検分をしたり、また気になっている史跡などもこの際訪ねておこうと、年末の3日間、京の町を歩き回った。
 若い頃、京都に2年ほど暮らしたが、もう40数年前のことになる。その間京都の町も変化したが、当然ながら私の身辺も変化した。証券会社に入社し、京都支店に配属された。電話帳、高額所得者リスト、京都市街地図などを渡されて証券営業がスタートした。その昭和47年にはまだほとんどの路面電車が動いていたのだが、今は全部廃止されている。もちろん今のような地下鉄網もなかった。株取引の一番の得意先は室町筋と呼んでいた繊維問屋の旦那衆であったが、着物離れが進んで、室町通りそのものが、ホテルや分譲マンションに変わってしまった。祇園界隈で舞妓姿を見掛けるが、たいがいは観光客の「ニセ舞妓」である。年末の京都では着物姿で連れだった女性を散見したが、会話を聞くと、中国語であった。
 私の身辺でいえば、妻と出会ったのは京都であったが、10年前に死んだ。昨年義母も死んだ。妻の父親代りの伯父も伯母もここ数年の間に死んでしまった。妻の実家は嵯峨野にあったが、年末で売却し、更地になったという。40年という歳月はそうしたものである。
 今度の旅で確認したことの一つに、平安時代と現在と較べて京都の町中の標高が2メートルほど高くなっているということがある。1,200年ほどの歴史の中で、繰り返された戦禍、洪水、火災、人の死が地面を底上げしてきたのである。
京都には歴史が重層していることは知っているが、まさに土地そのものが、ミルフィーユの薄皮のように層をなして積み上がっている町なのである。
 色々変わったけれど、もちろん変わらないものも多い。東山の佇まいや神社仏閣は変わらない。白髪頭を窓硝子に映しながら飲んだイノダコーヒーも相変わらず、うまい……。














 



  

盤水俳句・今月の一句

伊藤伊那男

集団就職野に恍惚と揚雲雀     皆川盤水

もはや若い人には理解し難い句である。その当時、特に東北地方から中学校を卒業した少年少女が集団就職の臨時列車で続々と上野駅に降り立った。それから半世紀以上を過ぎたが、彼らが日本の経済を底辺から支えたのである。句はみちのくの嘱目という。題材の選択や、「恍惚」の措辞の斡旋などに、先生の社会性俳句時代の名残があるように思う。「揚雲雀」を配して彼らの将来の幸せを祈念しているようである。時代を詠んだ句として記憶しておきたい。
                           (昭和35年作『積荷』所収)
                                          伊藤伊那男 


 













    


  

彗星集作品抄

伊藤伊那男・選



杜氏来る松尾詣でのその足で         小野寺清人
羽ばたきは寝返りに似て浮寝鳥        中島 凌雲
人の死のあつまつてくる師走かな       片山 一行
目貼して自縄自縛といふ気分         中村 孝哲
七転びしたまま年の瀬を渡る         武田 禪次
あの淡き辺りが故郷寒夕焼          伊藤 庄平
客席の小声の台詞聖夜劇           宮本起代子
冬菊の奥に秩父の観世音           谷岡 健彦
席一つ空いたままなる忘年会         飯田 康酔
味噌釜の貸し借り本家分家かな        多田 美記
さつき会ふ人にまた会ふ十二月        末永理恵子
残菊の一雨ごとの乱れやう          笠原 祐子
手に履かせみてブーツ買ふ年の暮       小山 蓮子
北辰の梢にかかり虎落笛           須﨑 武雄
居酒屋に時雨持ちこむ女傘          中野 智子
煙突を積木で作るクリスマス         清水佳壽美
桜炭灰となるまである木目          山﨑ちづ子
冬夕焼消ゆ定まらぬ色のまま         多田 悦子
抽出しのひとつが開かぬ長火鉢        五十嵐京子
息白く街にイエスを説きゐたる        屋内 松山












       
           








彗星集 選評 伊藤伊那男

 
杜氏来る松尾詣でのその足で        小野寺清人
松尾大社は京都でも最も古い神社。霊泉亀の井が湧くことから酒造家の守護神でもある。その山上に磐座がある。かねてから気に懸っていたその磐座を昨年末に登拝した。亀の井の奥から登ること三十分ほどか。もともとはこの磐座が御神体なのであろう。京は酒処である。特に伏見は酒蔵が櫛比する。今は杜氏が社員化したが、一昔前までは農閑期に杜氏が来た。京都なら但馬杜氏、能登杜氏などであろうか。まずは酒の神を訪ね、お祓いを受けるというところが奥床しい。「その足で」がうまい。
 
羽ばたきは寝返りに似て浮寝鳥       中島 凌雲
浮寝鳥の生態を良く観察した句である。鳥のことであるから、まさか「寝返り」はしないと思うのだが、羽ばたきの様子がそのように見えた、という観察の果ての発見である。「浮寝」「寝返り」の「寝」のリフレインが効果的である。
 
人の死のあつまつてくる師走かな      片山 一行
一読、おやっと思うのだが、そのあと納得する句である。喪中通知が十二月になると毎日届く。それによって友人の親の死などを知るのである。その様子が「人の死があつまってくる」である。この表現は出色である。

目貼して自縄自縛といふ気分        中村 孝哲
隙間風を防ぐための目貼が逆に「自縄自縛」となった。つまり籠の鳥のようになってしまった、というのである。なるほど目貼とはそうした感じである。四字熟語をうまく使って納得のいく句となった。

七転びしたまま年の瀬を渡る        武田 禪次
 「七転び八起き」の諺があるが、ついに起き上がることができないまま年末を過ごしている、という。この句の手柄は「年の瀬を渡る」の季語の斡旋のよさである。年の瀬の急流をなんとか渡り、さて起き上がれるのかどうか……。

あの淡き辺りが故郷寒夕焼         伊藤 庄平
故郷を離れた者の望郷心や一抹の悲しみが滲み出た句である。寒夕焼は寸劇の様に束の間空を染める。色も暗黒色になっていく。その中での淡い色のあたりが故郷だと思う。そこが望郷の念。「ふるさとは遠きにありて思ふもの、そして悲しくうたふもの」(室生犀星)である。

客席の小声の台詞聖夜劇          宮本起代子
子の台詞を心配した母が客席から祈るように呟く。

冬菊の奥に秩父の観世音          谷岡 健彦
秩父の小さな札所のあれこれが目に浮かぶようである。

席一つ空いたままなる忘年会        飯田 康酔
ちょっと気になるが、ひとつ空席のまま。さて誰の席か。
 
味噌釜の貸し借り本家分家かな       多田 美記
年に一度使うだけの大釜。私の故郷もそうであった。

さつき会ふ人にまた会ふ十二月       末永理恵子
如何にも師走の街の風景の一齣で忙しさがよく出た句だ。

残菊の一雨ごとの乱れやう         笠原 祐子
咲き残った菊に更に雨が……。二度三度と。乱菊である。

手に履かせみてブーツ買ふ年の暮      小山 蓮子
サイズというよりもデザインの確認か。女心である。

北辰の梢にかかり虎落笛          須﨑 武雄
北極星が梢にかかる。鮮烈な視覚に聴覚も鋭く加わる。

居酒屋に時雨持ちこむ女傘         中野 智子
「女傘」を出したことで短編小説的な感興も湧く。

煙突を積木で作るクリスマス        清水佳壽美
サンタクロースを呼ぶために煙突を作る一途さがいい。

桜炭灰となるまである木目         山﨑ちづ子
桜炭は佐倉炭のことで檪材。良質な炭の様子を捉えた。

冬夕焼消ゆ定まらぬ色のまま        多田 悦子
「定まらぬ色」に冬夕焼けの特徴がよく出ている。

抽出しのひとつが開かぬ長火鉢       五十嵐京子
銭形平次が困っているようなおかしさが……。

息白く街にイエスを説きゐたる       屋内 松山
都会の一風景。「息白く」の取り合わせで詩になった。




 


 
       














銀河集作品抄

伊藤伊那男・選


法燈を守る御堂の片時雨       東京   飯田眞理子
冬日あはあは水音に沿ふ天城みち   静岡   唐沢 静男
煤逃のあの世楽しと還り来ず     群馬   柴山つぐ子
横走りして山門の煤払        東京   杉阪 大和
蓮根掘る常磐線のひびく中      東京   武田 花果
竹生島ふいと失せたる片しぐれ    東京   武田 禪次
またぐらを伊勢の海風大根引     愛知   萩原 空木
鷹の待つ上昇気流吾も待つ      東京   久重 凜子
粕汁の出て閉店の合図かな      東京   松川 洋酔
冬灯秘仏に残る箔の色        東京   三代川次郎
北狐鳴くよ源二の地の涯に      埼玉   屋内 松山







   
   














綺羅星集作品抄

伊藤伊那男・選 

室咲きや我が晩学の古机        宮城  有賀 稲香
葱囲ふ白山麓の一戸かな        静岡  五十嵐京子
切通し越えれば別の虎落笛       神奈川 大野 里詩
父母よ小綬鶏のごと呼びたまへ     東京  大溝 妙子
遊ばせよ子連地蔵に木の実独楽     神奈川 鏡山千恵子
路地染むる短冊ほどの冬夕焼      東京  影山 風子
大仏の徳を賜る煤払          東京  川島秋葉男
義士会や声掛け合うて燻されに     東京  柊原 洋征
鳥雲に入る出郷の車窓かな       東京  朽木  直
島原の裏門に積む葱の束        大阪  末永理恵子
初鶏の鬨杉の秀へ布留の宮       東京  武井まゆみ
小春日に母をまるごとあづけをり    神奈川 谷口いづみ
切干で隙間を埋める荷の届く      東京  塚本 一夫
聞香の香の広がらぬ寒さかな      大阪  中島 凌雲
掛乞ひの銀行口座引落し        東京  中村 貞代
名ある寺名のなき寺も除夜の鐘     東京  堀内 清瀬
蒸鰈父は祖母恋ふ若狭恋ふ       東京  松浦 宗克
鏡にはうつらぬ余命漱石忌       東京  松代 展枝
ダンボールたたむ気配の三の酉     東京  村田 重子
百名山に洩れたる山も眠りけり     東京  山元 正規
セーターのほつれをさらに反抗期    東京  渡辺 花穂

泣き虫も雪虫もゐる夕間暮       東京  相田 惠子
江ノ電の揺れにまかせて小春かな    東京  有澤 志峯
立禅か行乞かとも枯木立        東京  飯田 子貢
雪来るとつぶやく息に窓曇る      埼玉  伊藤 庄平
罷り時逸して侍る忘年会        東京  伊藤 政三
二の腕にジャケツの厚み漱石忌     東京  上田  裕
一と二は詣でそこねて三の酉      東京  大西 酔馬
縄跳びの縄の高さや冬夕焼       埼玉  大野田井蛙
枯蓮や黙祷の首垂れしまま       東京  大山かげもと
山茶花の咲き満ち樹形ととのへり    東京  小川 夏葉
行く年に残せし想ひ数在りて      鹿児島 尾崎 尚子
寒波来る背中合はせの歯刷子に     埼玉  小野寺清人
柊の花や家居のつづく日日       和歌山 笠原 祐子
兎道終はるところの乱れかな      愛媛  片山 一行
律儀にも骨正月の集め汁        東京  桂  信子
とはに着ぬセーター眠る箪笥かな    長野  加藤 恵介
身ほとりのものの増えゆく炬燵の間   東京  我部 敬子
冬の日をさらり滑らせ大鉋       高知  神村むつ代
オペラ座の喝采のやみ年流る      長野  北澤 一伯
手ずれせる和紙の札入れ一葉忌     神奈川 久坂衣里子
大根稲架萎びて海の覗きけり      東京  畔柳 海村
都鳥の羽の先なる遠筑波        神奈川 こしだまほ
見返れば母影絵めく冬夕焼       東京  小林 雅子
笹鳴きのはじめ先師の百日忌      長崎  坂口 晴子
柴又はものの匂ひの小春かな      千葉  佐々木節子
脱がしたる子のセーターの温みかな   長野  三溝 恵子
廊曲る度に湯の香や枯木宿       静岡  澤入 夏帆
冬日和僧の法話に子の睡魔       東京  島  織布
忘年会少し距離ある人もゐて      東京  島谷 高水
落柿舎の笠を借りたき時雨道      兵庫  清佳 壽美

火事の夜やお(りょう)のごとく風呂出でぬ   東京   白濱 武子
夕暮はなぜに寂しい雪婆        東京  新谷 房子
しぐるるや町屋通りの細格子      静岡  杉本アツ子
初時雨山をまぢかの光悦寺       東京  鈴木てる緒
山眠る母子の旅をまた一つ       東京  角 佐穂子
切通し琅玕さやぐ神迎         東京  瀬戸 紀恵
置かれたる貨車もろともに冬枯るる   東京  曽谷 晴子
柿を剝くその傍に夫が居て       愛媛  高橋アケミ
閨秀を覗く心地や冬館         東京  高橋 透水
百合鷗すだく予科練跡の浦       東京  多田 悦子
目貼してみあかしを守る山の寺     埼玉  多田 美記
羽箒のこけしくすぐる煤払       東京  田中 敬子
三の酉にも執拗に蛇女         東京  谷岡 健彦
夕空のあくまでも澄み憂国忌      東京  谷川佐和子
母に手をそへて茶の花日和かな     愛知  津田  卓
不揃ひの簾となりて干大根       東京  坪井 研治

鳥雲に入りて変らぬ生計(たつき)かな      千葉  土井 弘道
枝えだのからめ取る鳥冬夕焼      埼玉  戸矢 一斗
対州は防人の島冬かもめ        神奈川 中川冬紫子
日矢さして降りみ降らずみはせをの忌  東京  中西 恒雄
息災の感謝を喜捨に社会鍋       東京  中野 智子
冬川に虜囚のごとき屋形船       東京  中村 孝哲
重かりき父の時代や外套や       茨城  中村 湖童
湯豆腐やいつしか父の角取れて     愛知  中村 紘子
瞬かす長き眠りの聖夜劇        東京  西原  舞
家持も佇ちしや沖の蜃気楼       東京  沼田 有希
踏み窪む夫の好みし落葉径       神奈川 原田さがみ
空風に戸袋響動む丁夜かな       兵庫  播广 義春
指を折る子ら数へ日を幾度も      福岡  藤井 綋一
極楽にきつと行けさう日向ぼこ     東京  保谷 政孝
富士山の裾へと千の懸大根       岐阜  堀江 美州
牡蠣剝くや海鳴りのまだ鎮まらず    東京  堀切 克洋
山手線の一駅ほどの冬夕焼       埼玉  夲庄 康代
息とどくまで近づけば冬木の芽     東京  宮内 孝子
夜鳴饂飩いささか学に倦みしとき    千葉  無聞  齋
瓦屋の来てゐる梯子十二月       東京  村上 文惠
風呂吹や熱し熱しと言ひつつも     東京  村田 郁子
波の花ちぎれ飛び来る能登間垣     千葉  森崎 森平
寝酒して羊の数はあやふやに      東京  森 羽久衣
故郷の隙間風ある暮しかな       埼玉  森濱 直之
枯蟷螂触るる物みな枯らしけり     愛知  山口 輝久
奥飛驒の厚き輪切りの干大根      東京  山下 美佐
鮫油皿に灯して島の冬         群馬  山田 礁
木の葉髪余生は風の吹くままに     千葉  吉沢美佐枝
渡り行く山やせて見ゆ神の旅      神奈川 吉田千絵子
補陀落へ渡る岬か冬鷗         愛媛  脇  行雲


















     







銀河集・綺羅星今月の秀句

伊藤伊那男

煤逃げのあの世楽しと還り来ず      柴山つぐ子
「還り来ず」の措辞からすると、この主人公は既にこの世にいない人、ということになる。あの世に行った夫は、ちょっと煤逃に出て、そのまま戻ってこないのである。浦島太郎の旅のようでもある。「煤逃」を詠んで異色な句である。おかしくもあり、悲しくもある。

セーターのほつれをさらに反抗期     渡辺 花穂 
「ほつれをさらに」がうまいところだ。反抗期というものを「物」に語らせているのである。小さな穴を拡大させてしまう。セーターだけでなく親との溝も拡大させてしまうのである。
 
鏡にはうつらぬ余命漱石忌        松代 展枝
漱石忌に対する取合せが見事な句である。鬱病になったり、胃弱であったりした漱石は四十九歳で亡くなった。「鏡よ鏡」と呼んでも鏡は余命を教えてはくれない。

義士会や声掛け合うて燻されに      柊原 洋征  
「義士会」は討入の日。「声掛け合うて」までは緊張感を引き摺っておいて、下五で「燻されに」と梯子を外してしまう愉快な仕立てに感心した。  

葱囲ふ白山麓の一戸かな         五十嵐京子
 一読胸に入る句で解説の必要はない。日本の美しい風景である。「葱囲ふ」という動きのある季語で冬に入る直前の山里の景を見事に捉えた。「一戸」の焦点の絞り方もいい。

ダンボールたたむ気配の三の酉      村田 重子
三の酉の様子が如実である。一時期私も店に熊手を飾ったが、三の酉に行くと半額位になる。効力は落ちるかもしれないが……。もう片付けに入っているのだ。

鳥雲に入る出郷の車窓かな        朽木  直 
日本で冬を過ごした渡り鳥は北へ帰り、作者はふる里を出て新しい仕事に向かう。出郷の車窓からは帰る鳥が見えて、作者と交差するのである。私もそのようにして東京に来た。

島原の裏門に積む葱の束         末永理恵子
京都島原には今も角屋、輪違屋の揚屋が残り、独特の雰囲気を残している。その裏門に葱の束を配して生活感を出したのが手柄である。島原の地名を生かした句だ。

百名山に洩れたる山も眠りけり      山元 正規  
さすがに登山愛好家の句である。深田久弥の選んだ『日本百名山』は深田の好みが濃く入っており、他に名山が山ほど存在する。「洩れたる山」の把握が実に見事である。

父母よ小綬鶏のごと呼びたまへ      大溝 妙子  
小綬鶏は「ちょっと来い」と鳴くという。作者は父母を偲んで、そのように命令形で自分を呼んでほしい、というのである。父母恋いの心が籠る。

切干で隙間を埋める荷の届く       塚本 一夫
私にもそうした思い出がある。郷里の母が送ってくる荷物の隙間にはこの句のように切干大根や干芋や凍豆腐、餅などが入っていた。形の柔軟な切干が一番適しているか。

大仏の徳を賜る煤払           川島秋葉男
大仏の煤払いである。この仕事に参加することで、ご利益を戴く。「爪の垢を煎じて飲む」という諺があるが、煤を浴びて幸を願う。「徳を賜る」がうまいところだ。

聞香の香の広がらぬ寒さかな       中島 凌雲
聞香(ぶんこう)」の道も奥の深いものであるらしい。茶道と重なるところがあるが、茶室での場面であろう。あまりの寒さに香も広がらないという。まさに感覚の犀利な一句。 

小春日に母をまるごとあづけをり     谷口いづみ
小春日の縁側かベランダか、母を委ねる。母はすっかりくつろいで静かに過ごしている。「まるごとあづける」にちょっと煩わしい母を置いてきたような面白さも潜むのである。

その他印象深かった句を次に
  

室咲きや我が晩学の古机         有賀 稲香
切通し越えれば別の虎落笛        大野 里詩
遊ばせよ子連れ地蔵に木の実独楽     鏡山千恵子
路地染むる短冊ほどの冬夕焼       影山 風子 
初鶏の鬨杉の秀へ布留の宮        武井まゆみ
掛乞ひの銀行口座引落し         中村 貞代
名ある寺名のなき寺も除夜の鐘      堀内 清瀬
蒸鰈父は祖母恋ふ若狭恋ふ        松浦 宗克




                 
    
   

 
 



 



星雲集作品抄

            伊藤伊那男・選

一陽来復軒にはづめる雀かな      東京   半田けい子
弾倉のばねの軋みや猟前夜       神奈川  水木 浩生
赤糸はとうにあらねど一葉忌      神奈川  宮本起代子
日記買ふ未知の月日は希望とも     埼玉   池田 桐人
我もまた十二月てふ歩幅かな      和歌山  熊取美智子
特急の全長見ゆる枯野かな       東京   小泉 良子
煤籠許してもらふ齢かな        東京   亀田 正則
夜祭や困民党の血が滾る        埼玉   萩原 陽里
山小屋のともしび加へ冬銀河      長野   髙橋 初風
外套のまま飲む上野ガード下      東京   今井  麦
山眠る峠の道を閉ぢてより       東京   梶山かおり
鰭酒の呪術の終ひ焔上ぐ        宮城   小田島 渚
ついと出るふるさと訛のつぺ汁     埼玉   中村 宗男
この日またかくあり明日へ寝酒かな   東京   福永 新祇
比良伊吹起伏のままに冬枯るる     東京   辻  隆夫
筑波嶺は富士より親し初明り      埼玉   大木 邦絵
鯨来る駿河の海のおほらかに      神奈川  河村  啓
権勢も枯葉の下に政子墓        神奈川  北爪 鳥閑
荒屋の重ね重ねの目貼かな       東京   佐藤 栄子
観音の笑顔につられ返り花       群馬   佐藤さゆり
初冬や錆の匂ひの道具箱        東京   竹内 洋平
霧湧けば見慣れし山も霊山に      神奈川  花上 佐都
笹鳴の二七日なる友かとも       東京   星野 淑子
友の訃に涙のページ古日記       東京   牧野 睦子
袖口のゆるきセーター着て無職     長野   守屋  明

鳶方の手さばき迅し冬囲        東京   秋田 正美
洗濯屋の蒸気のにほひ冬はじめ     埼玉   秋津  結
落石は寝返りの音山眠る        神奈川  秋元 孝之
補聴器に真盛りなる蟬の声       東京   浅見 雅江
サイレンを遠くに聞いて湯ざめかな   愛知   穴田ひろし
セーターに着替へてパパに戻る父    神奈川  有賀  理
沁み沁みと追弔和讃暮の寺       愛媛   安藤 政隆
アルマイトの鍋に歴史や冬料理     東京   飯田 康酔
街を過ぐ風さへ急ぐ年の暮       東京   井川 敏夫
煤払テレビの裏の画鋲三つ       東京   生田  武
寒雀翼にひびく明の鐘         群馬   伊藤 菅乃
大卒の鮪も並ぶ築地かな        神奈川  伊東  岬
擬宝珠にもそぼ降る雨や都鳥      埼玉   今村 昌史
ゆつたりと我も生きたし冬間近     愛媛   岩本 昭三
地吹雪や友と結びし命綱        神奈川  上村健太郎
鳥の声落葉を尽す一樹より       東京   大沼まり子
冬靄の一寸先に人の影         群馬   岡村妃呂子
都鳥夕凪橋を潜り来て         神奈川  小坂 誠子
御空より声明落つる寒念仏       埼玉   小野 岩雄
バス停にその名を残し紅葉坂      静岡   小野 無道
夕時雨三年坂の七味売         静岡   金井 硯児 
散りし夢捨てし夢あり落葉舞ふ     東京   釜萢 達夫
飛ばされて飛ぶしかなくて冬鷗     神奈川  上條 雅代
雪吊の琴の音めきて響くなり      愛知   北浦 正弘
猫歩く大正市場鰹の町         愛媛   来嶋 清子
落葉舞ふ朱塗りが映ゆる太鼓橋     埼玉   黒岩  章
懲りもせず三年先の日記買ふ      群馬   黒岩 清女
寒鴉我を見据ゑて翅振るふ       愛知   黒岩 宏行
足早の我は気短か亥の子突       東京   黒田イツ子
吾子来て山芋掘りの力かな       群馬   小林 尊子
蓮根屑浮かぶ泥田や遠筑波       東京   小山 蓮子
ピラカンサ紅き実散らす冬の庭     東京   斉藤 君子
柚餅子食ふ遠き会津の叔母の手の    神奈川  阪井 忠太
鉄瓶の湯気滾らせて冬に入る      東京   佐々木終吉
真夜中に削る鉛筆狐啼く        群馬   佐藤かずえ
庭石へ色を添へたる石蕗の花      東京   島谷  操
初雪の積もるでもなく降り止まず    埼玉   志村  昌
今に継ぐ背戸の氏神冬至梅       東京   須﨑 武雄
千枚田地を這つて来る虎落笛      東京   鈴木 淳子
熊の道歩みて谷を覗きけり       群馬   鈴木踏青子
煮凝のとくる刹那に香り立つ      愛知   住山 春人
防人に手を振る妹か落葉舞ふ      神奈川  関口 昌代
新米を双手に掬ふ匂ひかな       東京   副島 泰三
色なきが色とぞ思ふ冬の海       埼玉   園部 恵夏
我もまた伏して窓見る子規忌かな    東京   田岡美也子
面影の遠くなりゆく茨の実       福島   髙橋 双葉
氷見の宿鰤づくしなる一夜かな     埼玉   武井 康弘
牧場の馬の目優し一茶の忌       広島   竹本 治美
遠目にも光射すごと石蕗の花      三重   竹本 吉弘
初時雨街は昔の顔を見せ        東京   田中 寿徳
お互ひの犬をほめ合ひ冬帽子      神奈川  多丸 朝子
冬の雷渓谷の端に不動尊        東京   辻本 芙紗
真魚板に鱗のかたき寒の鯛       東京   手嶋 惠子
人生を小出しに語る年忘れ       東京   豊田 知子
清方の美人に出会ふ羽子板絵      神奈川  長濱 泰子
父親を叱りし夜のもがり笛       長崎   永山 憂仔
炬燵板孫の折紙散らかりて       神奈川  萩野 清司
両国をすぎしあたりの時雨かな     東京   長谷川千何子
登るほど海まつ青や新松子       神奈川  服部こう子
街の灯のいよいよ冴えて着陸す     神奈川  福田  泉
琅玕を見上げ落葉の切通し       東京   福原 紀子
せはしなく動く赤子と日向ぼこ     愛知   星野かづよ
地下街を出でて短日影もなし      愛知   松下美代子
冬燈こころの洞のあかりとも      神奈川  松村 郁子
鮟鱇のもの言わぬ口ひらきをり     東京   宮崎晋之介
色を変へ形を変へて冬木立       東京   宮田 絹枝
冬ざれの鎌倉山は遥かなり       東京   八木 八龍
仲見世に人のゆききや風車       東京   家治 祥夫
裸木の眺めとなりし浅間山       群馬   山﨑ちづ子
藪椿垂水の淵の白さかな        静岡   山室 樹一
冬来たる発掘調査遅々として      埼玉   渡辺 志水
それぞれの色をまとひて散る落葉    東京   渡辺 誠子
  悼 水木しげる
妖怪も冬籠りして喪に服す       東京   渡辺 文子















     





星雲集 今月の秀句

伊藤伊那男

一陽来復軒にはづめる雀かな       半田けい子
「一陽来復」は「冬至」の副季語。今の暦の十二月二十二、二十三日頃で、太陽高度が最も低く、従って昼間の時間が最も短い日となる。この日を境に日が長くなるので「一陽来復」と称する。さてこの句、雀達はその日を察知したかのように「軒にはづめる」と囃したというのである。季語に合わせたお目出度い作り方だ。同時出句の〈二礼二拍手一礼松の色変へず〉は数字の斡旋もさることながら、季語の使い方が光る句であった。
弾倉のばねの軋みや猟前夜        水木 浩生
猟師が解禁日の前夜、銃の手入れをしたのであろう。弾倉のばねの具合なども見る。「ばねの軋み」と具体的に踏み込んだことで読み手の実感が深まる。「物」を詠むことの強さである。同時出句〈冬初め毛玉を取れば取るほどに〉〈真向に背骨を晒し山眠る〉も佳品であった。

赤糸はとうにあらねど一葉忌       宮本起代子
色褪せし匂ひ袋や一葉忌          同
一句目の「とうに」は「疾うに」――疾(と)っくの昔――の意である。「赤糸」の時代は過ぎたけれど、一葉忌になると思い出すなあ‥‥と言うのである。一葉忌だからこその情感である。二句目も端正な作り方であった。

我もまた十二月てふ歩幅かな       熊取美智子
師走という言葉があるが、「師ではない私もおのずから急かされる気分である」という句である。「十二月てふ歩幅」がうまいところで、他に入れ替る月はない。「十二月」という季語での記憶に残していい句である。

特急の全長見ゆる枯野かな        小泉 良子
「全長見ゆる」の把握がいい。草も枯れ、木々の葉も落ちて長い車輌の全部が一望できるというのである。枯野に突然出現して、あっという間に消える、科学の粋を集めた特急列車であるところが鮮烈である。

煤籠許してもらふ齢かな         亀田 正則
「もうお爺ちゃんはいいよ」と年末の大掃除を免除して貰えるのは何歳位であろうか。六十代ではまだ駄目。七十代の半ば位からであろうか。この句「かな」の切字で納めたところに「戦力外通知」を受けたような淋しさがあり、そこが味わいである。

山小屋のともしび加へ冬銀河       髙橋 初風 
真冬の晴れた深夜、全天に広がる冬銀河は凄絶である。子供の頃、物干台に蒲団を敷いて星を見ながら寝たことがあるが、露で濡れて叱られた。よく見ると山小屋に点る人工の灯も山の端に見える。その一点の灯を詠み込んだことで句が生彩を放ったのである。読後に残る抒情の良さだ。

筑波嶺は富士より親し初明り       大木 邦絵
富士山が三千メートル超、筑波山が千メートル未満と極端な高低差があるが、共に端正な単独峰であり、江戸の町からは両方が大きく見えたので、両雄として親しまれたという。埼玉県幸手に住む作者であるから、筑波山に親しみがあるようだ。新年の曙光を品格高く詠んだ。

鯨来る駿河の海のおほらかに       河村  啓
駿河国は気候も良く物成りもよく、恵まれた土地である。徳川家康が晩年を過ごした理由も解るような気もする。太平洋には鯨も寄せるのであろう。その穏やかな大景を「おほらかに」と捉えたところがいい。いかにも駿河である。

権勢も枯葉の下に政子墓         北爪 鳥閑
源頼朝の系譜は三代で絶えた。実の子や孫などが次々に政争の中で死に、北条家との間で苦しんだのではなかろうか。尼将軍とも呼ばれ、権勢の座にあったと言われるが、さて‥‥。この句、「権勢も」の「も」が効いている。その「も」に託されているのは「悲傷」であろうか。栄達と慟哭のいずれもが今は枯葉の下である。

笹鳴の二七日なる友かとも        星野 淑子
友の訃に涙のページ古日記        牧野 睦子
両句共、友の死の追悼句である。十四日を「ふたなぬか」と言う。舌足らずの笹鳴に友の声を偲ぶ。二句目はもはや「古日記」になったとはいえ、ありありと「涙のページ」は残っているという。心の籠った追悼の二句であった。  

その他印象深かった句を次に
袖口のゆるきセーター着て無職      守屋  明
荒屋の重ね重ねの目貼かな        佐藤 栄子
真夜中に削る鉛筆狐啼く         佐藤かずえ
観音の笑顔につられ返り花        佐藤さゆり
霧湧けば見慣れし山も霊山に       花上 佐都
初冬や錆の匂ひの道具箱         竹内 洋平

















新年俳句大会










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新年俳句大会入選句  伊藤 伊那男選

         『天』
          富士山に面を打ち込む寒稽古
         『地』
          初明り天の岩戸の開くかに
         『人』
          北山の枕詞として時雨る





【銀漢賞】 『数珠廻し』多田 美紀 
           耕しの一日を数珠廻し

【銀漢賞】  『泣初』谷岡 健彦
           寒かろと母は毛布を亡骸に

【佳作】    『町工場』 武井 まゆみ
           去年今年仏間つづきの町工場

        【新人奨励賞】 『武蔵野の田の移ろひ』 中村 宗男
           渋滞の先頭を行く耕運機













新連載 伊那男俳句  


 伊那男俳句 自句自解(3)

飛驒越えの鰤町に着く大晦日

 俳句を始めた当初は、誰もがたいがい郷里の風景などを思い浮かべて作るものである。私も今は教える立場になったが、初心者の頃は故里の風景や風習、父母のことを詠んだ。しかし何年かすると思い出の種が尽きる。生命保険の外務員が、まずは親兄弟、親戚、友人を加入させるようなもので、しばらくするとそのつては尽きる。そのあとは自分の力で新規開拓をしなくてはならないのだが、俳句も同様である。
 さて掲句、年末になると伊那谷に富山で塩を打った「飛驒越えの鰤」が魚屋に並んだ。一昔前は一旦高山に運んで塩の再調整をしたあと、歩荷が背負って野麦峠などを越えて入ったという貴重品であった。この鰤の切り身を酒粕だけで煮たものが伊那谷の大晦日の年取り魚である。ただし極めて高額だったため塩鰤一本を手に入れることができたら、その家は、まずは良い1年であったということになる。そんなことを思い出して作った句である。
 
 秋祭桶に跳ねたる田鮒かな

 伊那谷の秋祭の頃、必ず出る料理に、田鮒の甘露煮があった。その季節になると魚屋の桶に生きたまま売られていた。2㎝位のこの鮒を、酒、醤油、砂糖に生姜などを加えて甘辛く煮る。小さな鮒ながら腸にしっかりと苦みがあった。この鮒は水田で養殖し、落し水の頃が収穫時期となる。田の水を抜く頃、知り合いの農家に呼ばれて見に行ったことがあるが、一枚の田から馬穴何杯もの鮒が揚った。今も秋になるとこの田鮒のことを思い出す。
 さて、その当時は冷凍、冷蔵設備はまだ普及していなかったので、海の魚はすべて、塩、味噌、酒粕などに漬けた塩蔵品であった。干鰯、塩烏賊、塩鮭、干鱈・・・鮭などは焼くと真白な塩を噴いたものだ。秋刀魚も塩物であり、1本を2人で分けた。祖父は頭も骨も全部食べた。生魚となると川魚ということになるが、何といっても鯉が一番で、私達の頃には結婚披露宴のメインディッシュは筒切りにした鯉のうま煮であった。
  














       
  
  
   


 




銀漢の絵はがき


挿絵が絵葉書になりました。
Aシリーズ 8枚組・Bシリーズ8枚組
8枚一組 1,000円

ごあいさつにご利用下さい。



    







       














掲示板













 




鳥の歳時記


     


目白








キビタキ


















             
 
  







銀漢亭日録

伊藤伊那男

12月

12月15日(火)
14時、発行所「門」同人会へ貸し出し。あと、鳥居真里子さん他5人店。店は「雛句会」12人。そこへ野村證券時代の京都の同期生、東塚君他来店。「雛句会」メンバーの何人かと知り合いで盛り上がる。居合わせた松山さんは野村の兄弟会社・大和銀行だったので、ロンドン支店時代の共通の知人もいたようで、これまた盛り上がる。麒麟さん。

12月16日(水)
「三水会」5人。「春耕神保町句会」あと12人。あと餃子屋。

12月17日(木
「銀漢句会」あと23人、忘年会。伊那北の同期、丸山君等が5人。大王製紙の総務部長以下5人、忘年会のあと、来春入社予定の今泉礼奈(アルバイト)の顔を見に来店。

12月18日(金
発行所「蔦句会」選句へ。あと7人忘年会。堀切克洋君帰国、「金星句会」へ。あと6人。皆川文弘さん来店。盤水先生の父上のこと、兄弟のことなど聞く。東塚君3人。

12月19日(土)
12時半、鶴見駅。「銀漢」の年末吟行会。43名参加。總持寺見学。修行僧に1時間半ほど案内してもらい、あと境内散策。16時、横浜中華街。3句出して、句会までの間、松山、禪次、酔馬さんなどと「梅蘭」の焼きそばで紹興酒二本空けてしまう。隣の「揚州飯店」にて句会と忘年会。19時まで。あと有志で「馬さんの店」。結局……ヘトヘト。

12月20日(日)
朝、豚汁大鍋一杯作る。今日、成城学園の親仲間、K建設の国領の別宅で忘年会。何と500坪。7家族30人。途中寝る。

12月21日(月)
店、「演劇人句会」8人。松山さん、真砂年、山崎祐子さん……。21時半、閉める。

12月22日(火
「萩句会」選句へ。あと11名、店にて忘年会。対馬康子さん、現俳協の教室のあと5名で来店など……。

12月23日(水)
25日までに「銀漢」2月号の原稿を仕上げなくてはならないが、ハウスキーパーの中根さんが「今日しかないんだから」と私の部屋の清掃。そうこうしているうちに杏さん一家が来て、昼から家族忘年会。16時位に酔って寝てしまう。夜から巻き返し。

12月24日(木)
昨夜は深夜2時まで、今朝は昼まで、同人評、会員評、彗星集評と集中して書き上げる。これで奈良行きの目処立つ。店、クリスマスイブに用事のない面々10人程。クリスマスの題で2句。席題で2句の句会。22時閉店。

12月25日(金)
本年営業最終日。早めに店に入り掃除。何やかや年を惜しむ仲間が来てくれる。

12月26日(土)
7時半頃の新幹線。何と指定席の隣に朽木直さんが! 新大阪から乗り継いで近鉄平岡駅。河内一ノ宮・枚岡神社に参拝し、ここから暗峠越え。峠の茶屋で、車で来た朝妻力さんと合流。南生駒駅で下りて「ホテルフジタ奈良」へ。17時、「蔵」2階にて句会23名。茨木和生先生差し入れの極上鮒鮓を、今年は朝妻さんに包丁を持参してもらい私がスライスする。5句、2句の句会。23時、倒れるように眠る。

12月27日(日)
目が覚めると7時。大慌てで準備。茶粥などの朝食を摂り、8時過ぎの近鉄にて壺阪山駅。タクシーで壺阪寺拝観。五百羅漢の山道を歩いて高取城址へ向かう。城址は壮大な山城。その規模に圧倒される。城を下りるだけでも3キロほど。途中、阿波野青畝生家を探し、覗く。帰路の近鉄電車の中で何と! 茨木和生先生とばったり会い、一同感激。17時、「一条」にて句会。19時半まで。あと「南柯」主幹・和田桃さんの店「アッジェ」。歌う。10数名。

12月28日(月)
六時起き、7時45分から、春日大社、南円堂、若草山など巡る。9時半「ガスト」で句会。最後まで残ったのが15人。あと山下美佐さん他六人で京都・松尾大社に直行し、松尾山のご神体へ登拝。往復1時間位か。ご神体は磐座。「からすま京都ホテル」へ。町にてW女、E女と忘年会。生ガキ、雲子、ナマコ、刺身、コッペ蟹、出し巻き、かき揚げ、鯖寿司、グジ、雑炊。あと鴨川のほとりのバー。

12月29日(火)
快晴。蕪村終焉の地確認。信長が襲われた頃の本能寺(中京区油小路蛸薬師界隈)へ行くと前の家の村田茂雄さんという方が出て来て説明してくださる。『おこしやす京都』の著者。六角堂のへそ石、京都文化博物館(年末休館)、「イノダコーヒー三条店」。秀次一族惨殺の地・瑞泉寺。叡山鉄道にて三宅八幡宮。早良親王を祀る御霊神社。小野毛人墓。折しも時雨。金福寺・蕪村墓など。16時過ぎ、「たつみ」にて小酌。「大丸百貨店」にて丸餅、鰊蕎麦、白味噌などを買い、錦市場を歩いていたらM&Mとばったり。ホテルで宅急便作り、家に送る。ホテル近くの酒場二軒ほど。2軒目の「古雅」鮎の山椒煮佳品。

12月30日(水)
6時起き。千本丸太町上ルの平安京大極殿跡などを散策。戻って「ヴィヴィアン室町」へホテルを移動。恭仁京跡へ行こうとJRに乗るが、関西線と間違えて奈良線に乗車。それはそれでよし、と桃山で下車。明治天皇と昭憲皇太后の桃山御陵参拝。素晴らしい墓所。近くの乃木神社も。203高地攻略の司令部の民家が移築されている。桃山城を外から。近くに桓武天皇陵墓もありお参り。帰路、伏見稲荷を覗くが、ものすごい人出。半分は中国人。町に戻ると15時過ぎ。さて、今からやっている店は……「たつみ」で小酌。新京極に出ると「スタンド」がやっていたので寄る。錦市場を歩いて牡蠣の「大安」で小酌。22時過ぎには眠ってしまう。

12月31日(木)
5時半起床。京都について思いついたエッセイ2つほど書く。また既に書いたエッセイについてチェック、訂正など。大谷祖廟。牧野家の墓参。妻の分骨の地。西本願寺を訪い、1時間ほど。昼の新幹線で帰宅。郵便物の整理など。家族で酒盛り。紅白歌合戦。

1月

1月1日(金)
「春耕賞」選評出し忘れており、朝、書いて投函。昼、おせち料理で新年の宴。伊勢「せきや」。酩酊して昼寝。杏さんと雅人(3人目の子)来る。雅人高熱にて英君の実家へ行けず2人だけこちらへ。年賀状整理。からすみの酒漬け終わり、干し始める。

1月2日(土)

11時、家族で池上本門寺。初詣のポスターが宮澤の写真で、来年用の撮影のため。同行す。快晴。戻って年賀状の整理など。酒盛りをしてまた寝てしまう。まあ、正月である。

「かさ〻ぎ俳句勉強会」
















           
△『漂白の俳人・井上井月』伊藤伊那男著
          
  
    






今月の季節の写真/花の歳時記



2016年3月26日撮影   立金花      TOKYO/HACHIOJI

  

     花言葉   「必ず来る幸福」 「富」 「贅沢」

リュウキンカ [立金花]春を告げる花
「立金花」というのは、茎が立っていて金色の花をつけるところからきた名である。
別名をヤチブキともいう。
この名は、葉の形が蕗の葉に似ており、湿ったところにはえるところからきている。
北海道では・・・
△正式名称は「エゾノリュウキンカ(蝦夷立金花)」。アイヌ語では「プイ」 と呼んでいる。分布域は国内では北海道を中心に、本州北部一部 山間部でも多少見られる。北海道では「やちぶき(谷地蕗)」と呼ばれている。
私の田舎は北海道の農家だったので子供の頃、雪解け頃になると谷地に自生しているこの蝦夷立金花を食用にしていました。地元では「谷地蕗」と呼んでいました。
「春の花」ということで終わるのですが、このやちぶきをおいし く食べる人も多く、ギョウジャニンニク、たらの芽などとともに春の「山菜」 という分類に含むことがあります。


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漢亭日録 



2016/3/27  更新