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 4月号  2016年

伊藤伊那男作品 銀漢今月の目次 銀漢の俳句 盤水俳句・今月の一句  
彗星集作品抄    彗星集選評  銀漢集作品抄
  綺羅星集・作品抄  銀河集・綺羅星今月の秀句 星雲集・作品抄  
星雲集・今月の秀句   新連載  銀漢の絵はがき 掲示板 
 鳥の歳時記  銀漢日録  今月の写真


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伊藤伊那男作品

追儺豆        伊藤伊那男

年の火に言葉あたためゐたりけり
七草を茶粥仕立てに宇陀の奥
家を出てはや松明けの歩幅かな
猪鍋の煮え立つまでを兜太論
荒御魂鎮めと言ひて牡丹鍋
次の間は魔界とも見えふぐと汁
追儺豆通りすがりに打たれたる
雪卸すことも三代御堂守







        
             




今月の目次









銀漢俳句会/4月号





      






          





   


銀漢の俳句 

伊藤伊那男 

◎花を詠む
 ある俳句総合誌から、好きな花について原稿用紙4枚のエッセイ執筆の依頼があった。私は花の句を詠むのが苦手である。師の皆川盤水先生から「伊那男さん、頼まれた原稿は断わってはいけないよ」と言われ、その教えを守ってきたのだが、一つの花についてそんな字数のエッセイが書けるかどうか……。困惑の末「桃の花」を選び、長女の名を「桃子」と名付けた理由などを長々と述べたりして字数を稼いで、ようやく書き上げた。(「俳句四季」四月号、花の歳時記)
 その機会に過去に作った花の句を拾ってみた。句集『銀漢』に29句、『知命なほ』に28句であった。今読んでみてまあまあの出来と思う句は〈雨を得てより火の色の牡丹かな〉〈獅子独活の花の先なる念珠関〉〈人形となる菊の束届きけり〉〈実朝の墓なれば白牡丹かな〉〈残菊のあまたの色を括りけり〉〈藤の花揺れてだんだん眠くなる〉〈稲の花一茶にありし貪と貧〉──以上『銀漢』より。
〈身を投ぐるやうに散りたる酔芙蓉〉〈散りぎはの白のきはまる梨の花〉〈朝顔の枯れ枯れ
                              
となほ咲きつげり〉〈満開といふさびしさの枇杷の花〉〈二上山(ふたかみ)へ羽化さながらの冬牡丹〉〈みづからの重さに崩れ夕牡丹〉〈咲き満ちて脈打つごとし夜の桜〉〈括りても括りても萩しだれけり〉〈ある朝付け火のごとく曼珠沙華〉〈はなびらの地に触るるとき影もてり〉〈滝壺の底は根の国さくら散る〉〈奥は雲中千本は葉桜に〉──以上『知命なほ』より。
 前掲ほとんどの句が一物仕立てか、それに近い句である。私は花を詠むとき、取り合わせではなく、その花だけを詠み切りたいと思う。その花の実態を摑み取りたいのである。そうなるとなかなか苦しくて、ついつい花を避けてしまうのである。
 花を詠んで凄味のある句といえば、何といっても

  
冬菊のまとふはおのが光のみ  水原秋櫻子


だと思っている。冬菊を突き詰めて観察し、その凜然たる孤高の美を抽出しているのである。読者にはこの冬菊の姿に、秋櫻子という俳人の潔癖で、芯の動かない人生が重なる。一物仕立ての句が寓意という二重性を持つ極致の句である。こんな句を一句残せたら……と思うのだが、道のりは遥かである。だからついつい花の句から逃げてしまう、ということであるかもしれない。

 














 



  

盤水俳句・今月の一句

伊藤伊那男


たんぽぽや池の上なる阿弥陀堂       皆川盤水

先生の生家はいわきの白水阿弥陀堂の裏手であったという。今は国宝の指定を受け、整備された境内であるが、先生の育った頃は荒れ果てていて、子供達の格好の遊び場であったようだ。先生は鳥の鳴き声がうまく、裏山で鳥黐を使って小鳥を絡め取ったりしていたという。先年訪ねて知ったが、その頃は池の水も干上がっていたという。多分一面のたんぽぽの原であったのであろう。そんな回想も先生の心の中で重なった句であると思う。
                                      (昭和59年作『寒靄』所収)                                      




 








    


  

彗星集作品抄

伊藤伊那男・選

二辺のみ使ふ炬燵となりにけり        福原 紀子
ひとの世に産湯湯灌や冬うらら        土井 弘道
震災の木にためらひの成木責         杉阪 大和
絵歌留多の函に手当の重ね張り        戸矢 一斗
花街の名残わづかに鳥総松          塚本 一夫
喫水の浅き六十路や宝船           橋野 幸洋
白昼夢見てか身振ひ浮寝鳥          坪井 研治
白息の硝煙めける城址かな          山下 美佐
背伸びして作務衣干す僧冬木の芽       森崎 森平
初鶏の明くるに早き鬨の声          小林 雅子
寒の鯉水の硬さへ身を通す          大野 里詩
凭れあひ温めあふかに毛糸玉         曽谷 晴子
初夢や伊豆大島が蓬莱に           金井 硯児
冬田打ち始め終りの影ひとつ         多田 美記
海境を離る初日の膨れやう          吉沢美佐枝
餅を搗く社の臼の年輪に           清水佳壽美
己が声確かむるかに寒烏           熊取美智子
受話器より移りさうなる風邪の声       中野 智子
風花や黒衣顔出す楽屋口           五十嵐京子
沈黙の力はみせず枯木立           中西 恒雄




           
           











彗星集 選評 伊藤伊那男



二辺のみ使ふ炬燵となりにけり        福原 紀子
少子化、核家族化が進んだ象徴のような句である。私は兄弟が3人いて5人家族で育った。祖父母は別居していたので、当時としては少ない家族構成であった。それでも五人家族であれば団欒の時間などは炬燵の一辺に子供が2人並ぶことになる。そのような時代を経てきた老夫婦だけの炬燵になった、というのがこの句である。時代を反映してること、「二辺のみ」の表現の斬新さが手柄である。

  
ひとの世に産湯湯灌や冬うらら        土井 弘道
一読ぎょっとする句である。人の世は生老病死という。確かにこのように産まれて死ぬ宿命である。句の「湯」のリフレインにはいささか驚いている。「湯」に迎えられ「湯」に見送られるのである。人の否応もない節理を詠むが「冬うらら」で納めたところがいい。そのような定めに得心する季語の斡旋である。

  
震災の木にためらひの成木責         杉阪 大和
東日本大震災から五年を経ようとしている。その間、気仙沼、いわきの津波の跡を目撃した。まだまだ復興には様々な難関が待ち受けているようだ。当然果樹も大きな被害を受けたことであろう。成木責は果樹を脅して豊作を約束させる行事だが、震災以降は脅し方も手加減しているという。

  
絵歌留多の函に手当の重ね張り        戸矢 一斗
家に伝わる百人一首の歌留多なのであろう。1年に1回の出番とはいえ少しずつ傷む。納める函も傷む。その函に以前紙を張って修理したのだが、また張り重ねて直したという。多分、一族の思い出が詰まった歌留多である。「重ね張り」の措辞でそのことが解るのである。

  
花街の名残わづかに鳥総松          塚本 一夫
不思議なもので花街の跡というものは、とっくに商売替えをしたとしても、どこかにその痕跡が残っているものだ。スカイツリーが出来た後は知らないが、旧玉の井界隈なども、よく見ると2階に丸窓のある建物が残っていて『墨東綺譚』の世界を垣間見る思いをしたものである。そんな街の様子であろう。「鳥総松」の季語が生きている。
  
喫水の浅き六十路や宝船           橋野 幸洋
「喫水の浅き」とはどういう事なのだろうか。恐らく積んである荷物が少なくなった、ということであろう。仕事の重圧、扶養の義務、などなど社会の勤めが徐々に減ってきたという事なのだと思う。60代はその過渡期ということである。「宝船」を詠んで珍しい句となった。

  
白昼夢見てか身振ひ浮寝鳥          坪井 研治
身震いをした水鳥からここまでの発想に至ったのは見事。

  
白息の硝煙めける城址かな          山下 美佐
幾多の戦禍の思い出がまだ消え去らない城跡である。

  
背伸びして作務衣干す僧冬木の芽       森崎 森平
きっちりとした写生句。取り合わせによる安定感がある。

  
初鶏の明くるに早き鬨の声          小林 雅子
元朝がまちきれないでフライングした鶏である。

  
寒の鯉水の硬さへ身を通す          大野 里詩
「水の硬さ」は発見。「身を通す」も独自性のある表現。

  
凭れあひ温めあふかに毛糸玉         曽谷 晴子
何種類かの毛糸玉。仔猫のかたまりのようでもある。

  
初夢や伊豆大島が蓬莱に           金井 硯児
「夢に見る」位にして季重りを避けるか。発想は見事。

  
冬田打ち始め終りの影ひとつ         多田 美記
やや舌足らずだが、終始一人であったところがいい。

  
海境を離る初日の膨れやう          吉沢美佐枝
海を離れると共に急に大きくなると。実感である。

  
餅を搗く社の臼の年輪に           清水佳壽美
臼の底の年輪、社の歴史という年輪が重なる。

  
己が声確かむるかに寒烏           熊取美智子
寒鴉には何か哲学的なものがあるか。孤高である。

  
受話器より移りさうなる風邪の声       中野 智子
はやく切らないとこちらまで罹りそうな臨場感が伝わる。

  
風花や黒衣顔出す楽屋口           五十嵐京子
歌舞伎の後見役。天気を心配して空を覗いたか。

  
沈黙の力はみせず枯木立           中西 恒雄
能ある鷹は爪隠すというが、枯木立も同様。




 


 
       














銀河集作品抄

伊藤伊那男・選


囀りの中に頻伽の声かとも       東京   飯田眞理子
避寒客松に貫一お宮めく        静岡   唐沢 静男
碧天に女神横たふ初浅間        群馬   柴山つぐ子
松過ぎの元へと戻す開かずの間     東京   杉阪 大和
襖絵の奥に貫主の綺羅座蒲団      東京   武田 花果
囀の隠岐にしあれば挽歌とも      東京   武田 禪次
泥鰌掘る泥の匂ひを山にして      愛知   萩原 空木
松過ぎて只の烏に鳴かれたり      東京   久重 凜子
雲に入る鳥の殿見て帰る        東京   松川 洋酔
しじまてふ耳の痛みや滝凍つる     東京   三代川次郎
その中に空海の道初山河        埼玉   屋内 松山







   
   














綺羅星集作品抄

伊藤伊那男・選 

囀に針の運びを合はせけり       東京   相田 惠子
桟に置く糊の寡多ある障子貼り     東京   伊藤 政三
読初の籠もよみ籠もち声和して     東京   上田  裕
茶帛紗の折り目折り目の淑気かな    埼玉   大野田井蛙
賀詞申す老いの苦言を綯ひ混ぜに    東京   大山かげもと
松過ぎの一升瓶の置きどころ      東京   影山 風子
蒲団干す電車の影の近さかな      大阪   末永理恵子
妻の出て妻の切りたる初電話      千葉   土井 弘道
クリスマスイブピンポンとピザが来る  埼玉   戸矢 一斗
易々と仇討の成る里神楽        大阪   中島 凌雲
毛糸解く想ひ出一つ消すやうに     東京   中野 智子
国引のごとく雑煮の餅をひく      東京   堀切 克洋
吾輩の手は要らぬとて障子貼る     千葉   無聞  齋
初夢を少し脚色して話す        東京   森 羽久衣
羽子板や縁談はねてはねられて     東京   山下 美佐
年酒酌む余生分け合ふ人のゐて     千葉   吉沢美佐枝

現世の濁りも隔て隙間貼る       宮城   有賀 稲香
拭き終へて日差しまぶしき畳替     東京   有澤 志峯
年縄の紙垂の折り目の戻りつつ     東京   飯田 子貢
白菜の髻ゆるむ昨夜の雨        静岡   五十嵐京子
御慶申しながら脈とる往診医      埼玉   伊藤 庄平
初めから数へ直して蕗の薹       埼玉   梅沢 フミ
切株に座し囀を聞き分くる       東京   大西 酔馬
クリスマス貧しき街へ星あふれ     神奈川  大野 里詩
白息のさぞ太からむ阿形像       東京   大溝 妙子
一寸ずりの歩幅をきざむ初詣      東京   小川 夏葉
それぞれに発ちし孫達七草日      鹿児島  尾崎 尚子
運び手の顔は隠れて畳替        埼玉   小野寺清人
じやんけんで負けて走りし焼芋屋    神奈川  鏡山千恵子
虎落笛仁王の胸にある深傷       和歌山  笠原 祐子
木の匙の軽さが指に七日粥       愛媛   片山 一行
炭を継ぎなべて承仕の僧無口      東京   桂  信子
薺打つ外泊許可の夫にかな       東京   我部 敬子
羽子板の凹みあの日の子のちから    高知   神村むつ代
髪に筆挿して訪ふ初天神        東京   川島秋葉男
にぎり飯よりにぎり締め雪つぶて    長野   北澤 一伯
東征に似て数へ日の峠越え       東京   柊原 洋征
終生を坂ある住処返り花        神奈川  久坂依里子
目礼といへど歳暮の辞儀深し      東京   朽木  直
煤逃げや逃げも逃げたり南都まで    東京   畔柳 海村
猪鍋を喰ふただそのための山歩き    神奈川  こしだまほ
カーテンのさ揺れに聡き目白去る    東京   小林 雅子
国境を指呼に置きたる鰤雑煮      長崎   坂口 晴子
晴れの日の晴れたる心日記買ふ     千葉   佐々木節子
踏台へ手渡す小さき鏡餅        長野   三溝 恵子
つつがなき身にはあらねど薺粥     静岡   澤入 夏帆
初薬師お礼参と致しけり        東京   島谷 高水
底冷の南都を睨む仁王尊        兵庫   清水佳嘉美
冬めける蓮田を分かつ常磐線      東京   白濱 武子
初詣三神を訪ふ鹿島立ち        東京   新谷 房子
宿の上げ膳据膳女正月         静岡   杉本アツ子
身のまはり細波立てて柚子湯かな    東京   角 佐穂子
吉野なる色香ほのかに葛湯かな     東京   瀬戸 紀恵
風花や肩の高さで見失ふ        東京   曽谷 晴子
初凪や舳先を沖へ始発便        愛媛   高橋アケミ
人形の目のみ残りしどんど果つ     東京   高橋 透水
煤逃の一歩や河内一の宮        東京   武井まゆみ
銀杏散る旋回の軸ぶれぬまま      東京   多田 悦子
遮断機のむかう師走の街のあり     埼玉   多田 美記
天井の龍の目と合ふ初薬師       東京   田中 敬子
古日記この空白に父逝けり       東京   谷岡 健彦
手術日の空ビリビリと寒日和      東京   谷川佐和子
聖夜劇星もひとこと台詞あり      神奈川  谷口いづみ
紅灯の巷に迷ひ宵天神         東京   塚本 一夫
売り出しの声太くなる年の暮      愛知   津田  卓
提燈の馬鹿の二文字や薬喰       東京   坪井 研治
木のあれば木にリボン結ひクリスマス  神奈川  中川冬紫子
早咲きの梅よ無窮の空ひらく      東京   中西 恒雄
雪女すつぽん空いて登場す       東京   中村 孝哲
役立たぬ河童は滅び沼涸るる      茨城   中村 湖童
初夢のちちははが問ふわが齢      東京   中村 貞代
真白なる軍手の父の山始        愛知   中村 紘子
見栄を切る髪が風呼ぶ獅子頭      東京   西原  舞
花冷や切れ長に描くこけしの目     東京   沼田 有希
僧堂の板木の窪み木枯し来       神奈川  原田さがみ
澤市の目薬供へ札所冴ゆ        兵庫   播广 義春
若水を汲むや男の誇りとし       福岡   藤井 綋一
蠟梅の香の金堂や曼陀羅絵       東京   保谷 政孝
影もまたうつらうつらと日向ぼこ    東京   堀内 清瀬
おでん鍋部下の訃報を飲み干して    岐阜   堀江 美州
初天神迷子になりし日の記憶      埼玉   夲庄 康代
自分から自分へ笑顔初鏡        東京   松代 展枝
白鳥の来て絵葉書の景満たす      東京   宮内 孝子
すみれの種撒いて花色忘じけり     東京   村上 文惠
身を濯ぐほどに降り来る寒月光     東京   村田 郁子
初鏡向かうに母も笑みをらむ      東京   村田 重子
賽銭の音は奈落へ冬深し        千葉   森崎 森平
影と影重ね合はせて冬木立       埼玉   森濱 直之
熱燗や昔麒麟の志           愛知   山口 輝久
寒卵取りて養鶏日誌書く        群馬   山田  礁
炬燵の母機織るやうに言葉つぐ     東京   山元 正規
日脚伸ぶ墨の香のこる経机       神奈川  吉田千絵子
また一句瞑れば浮ぶ初湯かな      愛媛   脇  行雲
皿小鉢重ね重ねて年惜しむ       東京   渡辺 花穂



















     







銀河集・綺羅星今月の秀句

伊藤伊那男

避寒客松に貫一お宮めく          唐沢 静男 
一読、面白い句だ。尾崎紅葉の小説『金色夜叉』は、金に靡いた許婚の鴫沢宮を、間寛一が高利貸になって復讐しようとする物語で、大当りを取った。熱海の海岸にその、お宮の松があるという。避寒で来た男女の客が、何だかお宮と貫一のようにも見えたという。とすると、この二人は危ない関係になるか?そんな想像を呼ぶ句である。「避寒客」と打出したところが何ともうまい!


 囀の隠岐にしあれば挽歌とも       武田 禪次
隠岐は遠流の地。天平年間に藤原田麻呂が初めての流罪人となり、のち小野篁、後鳥羽上皇、後醍醐天皇らが流されている。「隠岐百首」を残した後鳥羽上皇はこの地に甍去し、火葬塚もある。そのような地であれば、春の喜びを謳歌する「囀」さえも挽歌のようにも聞こえてくる、というのがこの句である。「隠岐にしあれば」------の詠嘆に抒情が濃い。  


松過ぎて只の烏に鳴かれたり        久重 凜子
 正月の鴉は「初鴉」、寒に入れば「寒鴉」。そのような季語を使わずに「只の烏」と詠んだところが愉快である。七日も過ぎて普通の生活に戻った頃、「只の烏」に鳴かれた、----つまり季語としての興味を失った鴉を詠んでいるのである。このあたりに深い俳味が潜んでいるようだ。


桟に置く糊の寡多ある障子貼り       伊藤 政三  
小さい頃私も障子貼りをしたものだ。大人になってからは一部屋だけある和室の窓の二枚ばかりの障子貼りを一、二度した程度である。そのような素人であれば糊の塗り方にもムラがあり障子紙も撓む。そんな様子が如実である。 


初夢を少し脚色して話す          森羽 久衣
よく解る!どんな夢を見たか、と聞かれ、折角話す以上は、ついサービス精神から話に色を付けてしまう。そんな人の性の出ている句である。「少し」であるところがいい。 


羽子板や縁談はねてはねられて       山下 美佐
思わず笑ってしまった句だ。羽子板の題でこのような句は初めて目にしたと思う。断ったり、断られたり---それも羽子板ならば、カンカンと、にべも愛想もなく終わる感じである。確かこの作者は独身。独身の間はこの句が代表作になるのでは-----。 


読初の籠もよみ籠もち声和して       上田  裕
万葉集に雄略天皇の<籠もよみ籠持ち掘串もよみ掘串持ちこの岳に菜摘ます児家聞かな名告らさね--->の歌がある。「読初」の句では様々な書物が詠まれている。それなりに味があるのだが、類想は免れない。だがこの句はそれを脱した感がある。正月に相応しい和歌であり、何よりも「声和して」の唱和するところがユニークなのである。 


蒲団干す電車の影の近さかな        末永理恵子 
臨場感のある句だ。「影の近さ」というところに短日の様子も如実である。干した蒲団を叩きに出ると目の前を電車が過ぎる。その音が読み手にも伝わってくるようである。地味な素材ながら「蒲団干す」の句で類例の無い句である。 

 

 妻の出て妻の切りたる初電話       土井 弘道
さてこの句、どんな情況の中のことなのであろうか。例えば外出中の作者が何かの用事で家に電話を入れ、妻が事務的に答えてすぐに電話を切った。切られた作者はそのあと、あっ初電話だったのだ、と思う。私はそんな風に解釈して夫婦関係などを想像して、笑ったのであった。 


毛糸解く想ひ出一つ消すやうに        中野 智子  
女性にはこのような感覚があるのであろう。毛糸を解いて思い出を消す。この作者なら恐らくずっと昔の回想であろうか。私ならもう少し情念を加えて<毛糸解きまた思ひ出を一つ消す><毛糸解く思ひ出一つ消したくて>---位にまで詠み切ってしまうところだ。


国引のごとく雑煮の餅をひく        堀切 克洋
                    やつかみずおみつのみこと
 これはまた大きく出たものだ。出雲の神、八束水臣津野命が対岸の新羅の地に網を打って引き寄せたという故事を踏んでいるのである。雑煮餅でこれほど雄大な句は初見。 

その他印象深かった句を次に

囀に針の運びを合はせけり         相田 惠子
茶帛紗の折り目折り目の淑気かな      大野田井蛙
賀詞申す老いの苦言を綯ひ混ぜに      大山かげもと
松過ぎの一升瓶の置きどころ        影山 風子
クリスマスイブピンポンとピザが来る    戸矢 一斗
易々と仇討の成る里神楽          中島 凌雲
年酒酌む余生分け合ふ人のゐて       吉沢美佐枝
吾輩の手は要らぬとて障子貼る       無聞  齋






                 
    
   

 
 



 



星雲集作品抄


             伊藤伊那男・選

初天神晩学の願深々と         神奈川  伊東  岬
初暦ごとりと時のうごきだす      東京   小泉 良子
古里の波音辿れ宝船          和歌山  熊取美智子
先生の猫が門礼受けてをり       神奈川  上條 雅代
子らを抱き上げて聖樹に星飾る     東京   大沼まり子
超音波めきて都会の虎落笛       東京   今井  麦
窮屈とふ幸せのある炬燵かな      埼玉   池田 桐人
シャンパンの栓が聖樹の鐘鳴らす    長野   髙橋 初風
鯛焼の鋳型の二匹そつぽ向く      宮城   小田島 渚
なまはげの御酒をいただく口は別    埼玉   中村 宗男
大川に逆波義士の討入り日       東京   半田けい子
部屋ごとに富士を飾るや初暦      東京   梶山かおり
福の字を大きく太く初硯        静岡   金井 硯児
をけら火の渦を早むる四条橋      東京   橋野 幸洋
それぞれに水源を抱き山眠る      東京   辻  隆夫
願かけし十日戎の笹の舞        東京   秋田 正美
去年今年ふはと越えたる傘寿かな    東京   浅見 雅江
単純なこの湯飲み好き一葉忌      兵庫   稲田 掃石
山宿の欄間の富士や初明り       埼玉   今村 昌史
児の描く丸の乱れもをけらの火     埼玉   小野 岩雄
雛の店ぬぐ靴にまでほの灯り      群馬   佐藤かずえ
歯の治療より清め初む年用意   ニューヨーク  武田真理子
子の嫁になる子も招き祝箸       広島   竹本 治美
半月の透きとほるまで蕪煮る      神奈川  福田  泉
ばらばらの家族の帰宅おでん鍋     愛知   松下美代子
松過の定家机に塵僅か         東京   宮﨑晋之介
煤払ふ一枚だけの表彰状        埼玉   渡辺 志水

公園の梢の凧よ十日過ぐ        埼玉   秋津  結
しぐるるや鍍金の残る弥勒仏      神奈川  秋元 孝之
吹く風のやや角の取れ春隣       愛知   穴田ひろし
牡蠣食へば窓辺に湾が見えにけり    東京   荒井 郁子
雑煮餅伸びて今年は吉ならむ      神奈川  有賀  理
母愛でし牡丹ひと株寒肥す       愛媛   安藤 政隆
見慣れたる庭の松の木初景色      東京   飯田 康酔
団欒の家族のごとき福寿草       東京   井川 敏夫
終電の無き時刻表去年今年       東京   生田  武
一族の集ふ宴や福寿草         群馬   伊藤 菅乃
去年今年生かされて又生きんかな    愛媛   岩本 昭三
大山に岳友と来て初日の出       神奈川  上村健太郎
読初や隣で眠る吾子二人      シンガポール 榎本 陽子
初暦まるめなほして正しけり      埼玉   大木 邦絵
ベランダで栗鼠も餌待つお元日     群馬   岡村妃呂子
六文で渡れぬあの世年暮るる      神奈川  小坂 誠子
年男たる老猿に年新た         静岡   小野 無道
愛着の尻皮付けて雪山へ        東京   亀田 正則
手描きして漕ぎ出す先や宝船      長野   唐沢 冬朱
手水舎の陽射しを掬ふ初参       神奈川  河村  啓
山車を曳く子等のかけ声春の風     愛知   北浦 正弘
冬日和見過ごしさうな採茶庵      神奈川  北爪 鳥閑
三猿や餡雑煮食べ半世紀        愛媛   来嶋 清子
慈しみ米磨ぐ水の冷たさよ       群馬   黒岩 清女
石段の蝋燭伝ひ初詣          愛知   黒岩 宏行     
成人の日の鐘を打つ晴れ着かな     東京   黒田イツ子
幼な子に親が手を添へ餅搗けり     群馬   小林 尊子
先触れの波のうねりや寒怒濤      東京   小山 蓮子
旅先の寺の庭先名の木枯る       東京   斉藤 君子
一口に広がる香り寒造         神奈川  阪井 忠太
鶏鳴やお日様集め寒卵         東京   佐々木終吉
心から順に繕ふ初鏡          群馬   佐藤 栄子
いつ止むか長引く咳の寝正月      群馬   佐藤さゆり
鯛焼の屋台に燦と大漁旗        埼玉   志村  昌

足音に毀れさうなる初氷        東京   須﨑 武雄
地鳴めく寒行僧の列続く        東京   鈴木 淳子
神隠し今もあるらむ里吹雪       群馬   鈴木踏青子
丸々とどこが頭か寒雀         愛知   住山 春人
つくづくと見詰め八十路や初鏡     神奈川  関口 昌代
山茶花ややがて入るべき墓を掃く    東京   副島 泰三
美しく綴りゆきたし新日記       埼玉   園部 恵夏
人日や粥も忘れて街の中        東京   田岡美也子
亡き夫の呼ぶ声をきく初寝覚      福島   髙橋 双葉
どこからも見ゆる灯台春隣       埼玉   武井 康弘
元朝やねぢの足らざる掛時計      東京   竹内 洋平
湯冷めして洗濯の音遠く聞く      三重   竹本 吉弘
遠くより吾に問ひ来る冬の星      東京   田中 寿徳
一太刀に兜切られし鮪かな       東京   田中  道
二重跳び上手に出来て冬うらら     神奈川  多丸 朝子
改めて順確かむる初湯かな       東京   辻本 芙紗
一人居の声出してみる初鏡       東京   手嶋 惠子
指そろへ子らの気取りて屠蘇祝     東京   豊田 知子
片付けに厭きて目の行くシクラメン   神奈川  長濱 泰子
母の手になますの匂ひ年迎ふ      長崎   永山 憂仔
ビルの間に遠富士覗く初仕事      神奈川  萩野 清司
残心を的に止めて弓始         埼玉   萩原 陽里
この町はむかし色街切山椒       東京   長谷川千何子
鶏の高足踏んで恵方道         神奈川  服部こう子
訪ふ当ても訪はれる当てもなき五日   神奈川  花上 佐都
嬉しくもしかつめ顔で年酒汲む     東京   福永 新祇
二人居て語る事なき掘炬燵       東京   福原 紀子
幸せの数ふくらんで火鉢かな      愛知   星野かづよ
粧ひの前は見ぬ振り初鏡        東京   星野 淑子
葉に紛れ日差しに紛れ蠟梅花      東京   牧野 睦子
年用意目線の高きところから      神奈川  松村 郁子
日向ぼこ意地も気負ひも忘れけり    京都   三井 康有
目眩する空ごと動く冬雲に       東京   宮田 絹枝
人の日に不義の芝居を見てをりぬ    神奈川  宮本起代子
雑煮食ふ故なき望み抱きつつ      長野   守屋  明
街角に木やり聞きつつ初吟行      東京   八木 八龍
雁風呂や津軽の宿はあたたかき     東京   家治 祥夫
吾子からは夢と一文字賀状来る     群馬   山﨑ちづ子
年守るや父母の戒名声に出し      静岡   山室 樹一
岩洗ふ波と戯るゆりかもめ       千葉   吉田 正克
けふも待つ郵便受けに小鳥来る     神奈川  渡辺 憲二
初夢や団らんの日の父母もゐて     東京   渡辺 誠子
七草をそらんじ居れば祖母の顔     東京   渡辺 文子















     





星雲集 今月の秀句

伊藤伊那男

初天神晩学の願深々と           伊東  岬
乗初や車窓に映る古稀の顔          同
二句目から見ると作者は古稀の年。学問の神である天神さまに「晩学の願」をかけたという。「深々と」にこの作者のひたむきな誠実さを窺うことができる。この晩学、俳句であろうか。そうであるならば嬉しいことだ。確かまだ句歴は短いが、最近ではコツを摑みはじめてこられたように思う。同時出句の〈柴又に戻らぬ遊子鳥雲に〉はフーテンの寅からの連想句であるが、こういうタイプの句が出てくるのも向上の証であろう。「鳥雲に」の斡旋がいい。 


初暦ごとりと時のうごきだす        小泉 良子
「初暦」の句では類型が無さそうなユニークな句である。掛けた途端に即座に「時」は動き出すのである。「ごとり」とは本当は音が立つわけではなかろうが、そうかもしれないと納得してしまう。同時出句の〈日記買ふ余生をあるがままに生き〉も、一度の人生、それでいいのだ!と思う。余生といっても、長生きしそうな方であるが‥‥。 


古里の波音辿れ宝船            熊取美智子
 心地良い抒情感に溢れた句である。元旦の夜宝船の絵を枕の下に敷いて寝ると、目出度い初夢を見るという。作者はふるさとの波音を聞きたいというのである。「辿れ」の命令形が句を際立てているようだ。同時出句の〈日向ぼこ自づと位置の決まりをり〉〈招かるる声に温みの夕焚火〉なども出色の句であった。自ずと決る日向ぼこの位置、声に温み、各々の把握が独自の発想である。


先生の猫が門礼受けてをり         上條 雅代
一読、夏目漱石の『吾輩は猫である』を素材にしたものであろう。年賀の客を漱石先生の猫が玄関で迎えているのである。何とも楽しい句で、空想の幅の広さを称えたい。同時出句の〈生きてゐることのみわかる年賀状〉は、印刷した同じ文面で毎年来るだけの付合いの相手で、近況も家族構成も不明なことなどが解る面白さ。〈その次は犬のわりこむ初電話〉もやはりユーモアに溢れている。 


窮屈とふ幸せのある炬燵かな        池田 桐人
今のように小さな子供にも一室づつ与えられる時代と違い、我々団塊の世代の子供時代は、兄弟も多く、折り重なって寝ていたものだ。炬燵も満員。しかし、だからこそ家族関係も緊密であった。「窮屈とふ幸せ」――確かに今こそ必要とされるキーワードである。 


シャンパンの栓が聖樹の鐘鳴らす      髙橋 初風
クリスマスイブに抜いたシャンパンのコルク栓が聖樹に吊した鐘に当たったという。機知の効いたうまい句である。同時出句の〈煤逃げや猫を捜しに行くと云ひ〉は、煤逃げの言い訳に、家出した猫を捜してくるから、と言う。そのあたりに家族の力関係も浮かび上り楽しさが増す。 


なまはげの御酒をいただく口は別      中村 宗男
現在は大晦日の行事だが、もとは小正月のものであったため、新年の季語とされる。訪ねた家で子供達を威嚇したあと、お礼の振舞酒を戴くのだが、面にある口ではなく、面をずらして飲んだという。よくよく観察をしたものである。俳句は人が見逃していたものを発見するのが肝要。 


歯の治療より清め初む年用意        武田真理子
えっ、これも年用意?と驚いてしまった句である。手元の歳時記を開くと、大掃除、餅搗き、床飾り、松迎え、年木樵、春着の支度などとある。歯の治療も入るとは!これも現代風景であろう。柔軟な発想を褒めたい。 


人の日に不義の芝居を見てをりぬ      宮本起代子
例えば「女殺油地獄」など道義に外れた芝居を見たというのである。「初芝居」という季語があり、当然めでたい出し物が定番である。この句あえてその裏を突いて七日――人の日――に人非人の出てくる芝居を見たというのである。まさに芝居がかった作句で、唸らされた。 

  

煤払ふ一枚だけの表彰状          渡辺 志水
「一枚だけの表彰状」におかし味が出た。多分それほど誇るべき表彰でもないような気もしてくる。だが丁寧に拭い、また梁に掛ける。そこはかとないペーソスも籠る。  

その他印象深かった句を次に


願かけし十日戎の笹の舞          秋田 正美
去年今年ふはと越えたる傘寿かな      浅見 雅江
単純なこの湯飲み好き一葉忌        稲田 掃石
山宿の欄間の富士や初明り         今村 昌史
児の描く丸の乱れもをけらの火       小野 岩雄
雛の店ぬぐ靴にまでほの灯り        佐藤かずえ
子の嫁になる子も招き祝箸         竹本 治美
半月の透きとほるまで蕪煮る        福田  泉
ばらばらの家族の帰宅おでん鍋       松下美代子
松過の定家机に塵僅か           宮崎晋之介

















        

新連載 伊那男俳句  


 伊那男俳句 自句自解(4)

鮟鱇の煮詰まつてゆく海暗し


 鮟鱇鍋の作り方には二つの方法がある。一つは江戸風と言うべきもので、すき焼きの割下のような甘めの醤油味の汁仕立て。神田須田町の「いせ源」が知られている。もう一つは鮟鱇の揚る茨城県の大洗海岸辺りの食べ方。それは脂が滲み出るまで肝を空炒りして味噌仕立てにする、「どぶ汁」である。各々に味わいのある鍋である。さて、この句は私の句の作り方としては珍しく、かなり抽象的な仕立てである。決して海の近くで鍋を囲んだわけではなく、煮えている鍋から連想した心象風景である。鮟鱇は吊るし切りにされる。七つ道具といって骨以外は全部鍋に入る。深海に潜んでいたこの魚が迂闊にも引き揚げられ、吊るされて皮を剥がされ、身を刻まれて今鍋の中で煮詰まっていく。そんな運命を思ってふと口をついて出てきたのが、「海暗し」であった。これは多分成功した方の例だが、その後、このような写生を離れた作り方は私には合わないようで、ほとんど残っていない。

  
軍鶏鍋の煮えたぎりをり秋扇


 上野は池之端に軍鶏鍋屋がある。いかにも池波正太郎が暖簾を分けて出てきそうな木造二階建てである。私がよく通った昭和の終わり頃は客席は二階だけで一日三組の客しか取らなかった。階下からは軍鶏の骨を叩く音が聞こえてくる。料理は浅い鉄鍋に骨から取ったスープを張り、先ずはそのスープを若干の塩を加えて戴く。そのあと肉、肝、軟骨ごと叩いた団子などを煮る。他に入れるものは焼豆腐と千住葱だけである。それを大根おろしと生醤油だけで食べる。確か三歳までの雌しか使わないと聞いた。ひと通り食べたあと残ったスープをご飯にかけ、これも残った大根おろしの汁を乗せる。その頃の私は大食漢で、何度もご飯のお替りをした。度々二階へお櫃を運んできたお婆ちゃんが、私に「両国から来たお人みたいですね」と驚いていた。店には空調設備は一切なく、夏は団扇か扇子、冬は鍋の熱が頼りとなる。この時は残暑の頃、窓を開け放っても暑さ一入の夜であった。









  
  
   


 




銀漢の絵はがき


挿絵が絵葉書になりました。
Aシリーズ 8枚組・Bシリーズ8枚組
8枚一組 1,000円

ごあいさつにご利用下さい。



    

       



         










掲示板












 




鳥の歳時記


     


河鴉








コウノトリ













             
 
  







銀漢亭日録

伊藤伊那男

1月

 1月3日(日)、4日(月)
家族は信州のスキー場へ。寒中見舞いの宛名書き。「新年俳句大会」選句その他、雑用。4日は一歩も家を出ず。酒も抜く。

 1月5日(火)
仕事始め。洋酔、硯児、酔馬、小花、徳永、展枝……全体閑散。

 1月6日(水)
寒中見舞ざっと250枚くらいか、投函。やや風邪気味。要注意。東吉野「天好園」のお孫さん、まりあさん来店。国会議員のT先生、新年の挨拶に。「『銀漢』! 12、1月号を読んでいない」と買って下さる。「宙句会」あと14人。若者多く、伸びてきている。

 1月7日(木)
「十六夜句会」あと11人。環順子さん、池田のりをさん。閉店の頃、うさぎさん来たので敦子さん他と餃子屋にちょっと寄る。

 1月8日(金)
店、「大倉句会」あと19人。長崎から、永山憂仔さん上京。差し入れの樽酒を開ける。昔の仕事仲間の神村君、旧長銀のKさん、旧興銀のKさんと。

1月9日(土)
10時、運営委員会。「本部句会」会場は、全国家電会館にて、散歩がてら向かう。新年大会用の色紙、短冊などを買い、神田明神を目指すが行き着けず、東大龍岡門に迷い込む。湯島天神を参拝して会場へ。59名。あと、「はなの舞湯島店」にて親睦会、20名ほど。やや風邪気味。

1月10日(日)
「春耕同人句会」で中野サンプラザ。終わる頃、「山暦」主宰・青柳志解樹先生がわざわざ挨拶に来て下さる(同じ会場で句会)。あと、「炙谷」で親睦会。

1月11日(月)
風邪気味にて休養。夕方、杏一家来て、佐賀・武雄温泉の湯豆腐。からすみ、かなり干し上がり、最終、整形段階。

 1月12日(火)
「春耕」同人、窪田明さん句集『桜川』の句評6枚。今朝、東京、初雪があったと。寒い。店、「火の会」8人。ORIX堀尾君3人。「俳人協会賀詞交換会」あとの本井英、山田真砂年、池内けい吾、柚口満さんなどが寄って下さる。発行所は、2月号の最終校正と編集会議。水内慶太さんより、寒風干しの鮭一本到来。巨大。

 1月13日(水)
「梶の葉句会」選句。あと、店にて多田美記さん、「銀漢賞」受賞の祝い、12人。あと「きさらぎ句会」7人。事業部「5周年記念祝賀会」の打ち合わせ。三輪初子さん誕生日にて有志で祝う。あと、井蛙、いづみ、展枝さんと「大金星」にて「五周年記念祝賀会・新年会」の余興の打ち合わせ。凄い事になりそう。

 1月14日(木)
店、閑散。カウンターに馴染みが点々……。元ORIXで今ケンコーコーポレーションの佐藤さん久々。

 1月15日(金)
「蔦句会」選句。あと店に5人。楯の川酒造の菊本さん、藤枝さん来店。楯野川は、私が薦めている酒の一つ。昨日に続き閑散。21時、閉めて「ふくの鳥」へ。いづみ、展枝、羽久衣さん、追って対馬康子さん合流。いづみさん「俳壇賞」30句で上位に入っており、祝う。

 1月16日(土)
「纏句会」西村和子さんゲストの予定だったが、ヘルぺス罹患とて休み。13人。題の鮃の刺身見事! 鯛の子と若筍煮、子持ちやりいか煮など。酒は「開運」。あと渋谷で小酌。帰宅して宮澤と酒盛り。伊集院静氏より妻の命日にと鳩居堂のお香届く。

1月17日(日)
「春耕新春俳句大会」選句10句、洋酔さんに送る。応募970句。「銀漢新年俳句大会」用の短冊、色紙など沢山書く。13時半、池袋駅発レッドアロー号で秩父。午前中から行っている「武蔵野探勝句会」中心メンバーに秩父神社で合流。十三番札所に寄り、割烹「かつら」。昔、盤水先生と寄った店。禪次さん手配で猪鍋。何ともうまい。5句出し句会。あと「猪鍋」で2句。17人。19時25分のレッドアロー号で帰る。

1月18日(月)
雪。「新年俳句大会」の挨拶考える。店、「演劇人句会」11人。佐藤文香、北大路翼さんなど。

 1月19日(火)
13時、「俳句界」松木佳子さん、写真家・山根衣里さんと銀漢亭に待ち合わせ。3月号の「セレクション結社」の写真撮影。店の中、近くのビルの前など。店、閑散。最後に石寒太先生、森さん他、毎日新聞の方々。伊那の「井月俳句大会」の折、山頭火を交えたシンポジウムの企画を北村監督と打ち合わせたのでその報告と。

1月20日(水)
高校同期の「三水会」10人。あと何とか客途切れず。「新年会」用の衣装到着。笑ってしまう。

1月21日(木)
妻・光代の丸10年目の命日。店、杉並の家の改修工事してくれた名古屋さん。一平さん、会社に出るのは今週までと。「銀漢句会」あと20人。

 1月21日(土)
「銀漢五周年記念祝賀会」東京ドームホテル地下宴会場「シンシア」。内輪だけの会ながら、120人集まる。第二部の宴会では、真っ赤なスパンコールのジャケットで入場する。あと銀漢亭に30数名集まり、二次会。

1月24日(日)
光代の満10年の忌の偲ぶ会。兄夫婦、義妹夫妻に来てもらう。佐賀の温泉豆腐を中心とした料理。手製のからすみ、鮪刺身、鰤の酒粕煮、その他でもてなす。郷里・駒ヶ根の応援隊(観光大使)として市報へのメッセージなど書く。

1月24日(月)
九州の永淵惠子さん、NHK俳句大会で大串章特選を取り、上京とて、店に寄って下さる。
〈一歳をあやす百歳小鳥来る〉
「一」が題と。「俳句」鼎談あとの高野ムツオ、青山茂根、村上鞆彦さん。村上君、「俳人協会新人賞」受賞。おめでとう!

 1月26日(火)
「萩句会」選句へ。店、超閑散にて、20時前には閉め21時に帰宅。家族と食事。こんな日があってもいいか……。京都のWさんから来た九条葱と油揚の炊き合わせ。うまい! 伊那谷の従兄弟から餅、するめの糀漬、野沢菜など到来。嬉しく。

1月27日(水)
「雛句会」11人。「角川新年会」のあとの山田真砂年、今井肖子、本井英、水内慶太、祐森水香、しなだしん、黒川悦子、小川洋、竹内宗一郎、天野小石……さん他。

1月28日(木)
日経新聞の丸田さん仲間と。丸田さんは伊那北高校の後輩。「井月忌の集い」のちらしを北村監督が届けて下さる。

 1月30日(土)、31日(日)
終日家。「銀漢」3月号の同人評、会員評、彗星集評、添削教室。その他仕上げる。「俳句四季」4月号の花の歳時記に桃の花について四枚なども。集中した二日間。30日は夜、家族で食事。タン塩、からすみ、鯖ずしなど。31日は朝から桃子と孫2人苗場へ。夜、宮澤と孫2人と取り寄せたふぐ料理と鰭酒など。

2月

2月1日(月)
早朝から宮澤と孫2人苗場へ。「かさゞぎ俳句勉強会」あと11人。今日は岸田稚魚と。全体閑散。

2月2日(火)
開店以来の閑散。客2人で20時にすぐ閉める。都営新宿線の中で肩を叩かれ振り返ると伊那北同期の○○君。彼のことはよく解っているのだが、名前が出てこない。二駅で別れたが、名前を思い出そうと新宿駅の「三﨑丸寿司」で、酒を飲みながらあれこれと……。もう一軒。そうだ、田中則明君! 同期で一、二を争う秀才であった。

 2月3日(水)
「きさらぎ句会」あと9人。「宙句会」あと12人。その他まずまず賑わう。家族、苗場から戻る。

2月4日(木)
「十六夜句会」あと7人。城島さんと学生。環順子さんグループなど賑わう。

2月5日(金)
「大倉句会」あと18人。羽久衣さん持ち込みの蕪鮨何ともうまし! 片山一行さんから宇和島のじゃこ天も。

2月6日(土)
三笠書房の押鐘会長と荒木町で河豚を食べる約束であったが、昼頃、連絡があり、体調不良とて中止に。エッセイ二本ほど書き、16時から早々と酒盛り。自家製のからすみ、信州から来た漬物など。一旦、寝たあと宮澤が帰宅したのでもう一度酒盛り。こんな休日は久々とのこと。この生活が続いたら危ない。















           
△『漂白の俳人・井上井月』伊藤伊那男著
          
  
    






今月の季節の写真/花の歳時記



2016年4月23日撮影      ライラック    TOKYO/HACHIOJ 



花言葉     「思い出」「友情」「謙虚」


 △ ライラック
ライラックは、フランス語由来のリラ(lilas)とも呼ばれます。サンスクリット語で暗青色を意味する「ニラ(nila)」がその語源になっているようです。花びらは4枚ですが、5枚になっている花を見つけて黙って飲み込むと、愛する人と永遠に過ごせるという言い伝えがあります。

2016/4/24更新


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