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 5月号  2016年

伊藤伊那男作品 銀漢今月の目次 銀漢の俳句 盤水俳句・今月の一句  
彗星集作品抄    彗星集選評  銀漢集作品抄
  綺羅星集・作品抄  銀河集・綺羅星今月の秀句 星雲集・作品抄  
星雲集・今月の秀句   新連載  銀漢の絵はがき 掲示板 
 鳥の歳時記  銀漢日録  今月の写真



伊藤伊那男作品


ものの芽      伊藤伊那男

出郷の子にものの芽の総立ちに
凍返る高野詣の標石
都落ちとも引越の荷の雛
紙雛のことに女雛の凭れ癖
この羅漢涅槃このかた泣きどほし
泣き癖の雨のひと日を寝釈迦かな
金平糖にひと粒まぎれ春の星
根が生えて男やもめの春炬燵


                 


        
             




今月の目次






銀漢俳句会/5月号







          





   


銀漢の俳句 

伊藤伊那男 

◎絵に描いた「火事」は季語か?
 次に挙げる句は、ここ半年位の間に「銀漢」の句会や投句で目にしたものである。
 ① 白息のさぞ太からむ阿形像
 ② 篁の書初めのごと空撫でる
 ③ 人を待つふくら雀のやうに待つ
 ④ 半刻の霊場巡り遍路めく
 ⑤ 這ひ這ひの泳ぎ疲れし畳かな
 ⑥ ため息や金魚のもらす泡ほどの
これらの句に共通する問題点は何か? それは各句の季語を季語として認めてよいかどうかである。
① の「白息」──本来は人間の吐く息をいうのだが、〈朝若し馬の鼻息二本白し 西東三鬼〉があり、動物の白息も認められてきたようだ。では生き物ではない仏像の白息はどうなのか? 〈伐折羅吐きたまふ白息なかりけり 阿波野青畝〉があり、近い。ただし青畝句は白息が無い、と言っているのであり、掲句のように、太いだろう、とあたかも息があるように詠んだこととはやや違いがあるようで、季語性が疑われるのである。
 ②の「書初め」──竹林の揺れが、空に青く書初めのようだと比喩したのであり、人間が筆を持った書初めではない。
② の「ふくら雀」──人を待っている自分が着膨れてまるでふくら雀のようだという比喩であり、本来のふくら雀は目の前のどこにも存在しないのである。
 ④の「遍路」──四国八十八ヶ所や西国、坂東の観音霊場を巡るのが遍路である。この句は遍路になったような気分だなと言っているのであって、本来の遍路ではない。
 ⑤の「泳ぎ」──赤ん坊が畳の上を這っているのが泳いでいるように見えるということで、実際に海やプールなど水の中で泳いでいるわけではない。
 ⑥の「金魚」──ここで言う金魚の泡はあくまでため息の比喩であり、どこにも金魚はいないのである。
 このように疑わしいものは排除するという立場を取ればこれらの句を否定するのは簡単である。ただし俳句の作り方が多様化してきた現在、これらの句を全部否定してしまうことがいいのかどうか、私が常に悩むところである。
 さまざまな歳時記に載っている句に
 
映画館出て火事のポスター見て立てり  高濱虚子
がある。私にも
  
梅林を余白に洛中洛外図        伊藤伊那男

がある。これらの句の絵の中の「火事」「梅林」が季語であるかどうか? 一度各自で季語について再考して貰いたいと思っている。
 












 



  

盤水俳句・今月の一句

伊藤伊那男


おんばしら御幣(おんべい)切れて(うみ)へ飛ぶ       皆川盤水

今年は御柱祭の年に当たる。「御柱」は7年に一度しか使えない珍しい季語である。この年の諏訪地方は結婚式などもほとんど控えて祭に集中するという。先生が訪ねた昭和55年といえば、私はまだ俳句を始めていない。祭にも関心がなかった。ただ、たまたま郷里への往復で諏訪を通過して祭の真っ最中であることを知った。その時のこの地は強風が吹き募り、土煙が上がっていたことを憶えている。まさにその時の光景の句なのであろう。
                                     (昭和五十五年作『山晴』所収)                                        





 








  

彗星集作品抄

伊藤伊那男・選

ぶらんこの順番待つ子目で漕ぎぬ       半田けい子
紙風船飛んで富山の置き薬          有賀 稲香
田遊びや牛にも配る紙懐炉          中野 智子
捲りてはジョーカー捜す春炬燵        曽谷 晴子
振分の音のからびし凍豆腐          山田  礁
絵双六上がりの京にたたみ皺         五十嵐京子
魚は氷に上りて夫は枝落とす         島  織布
人攫ふ津波の浜や雁供養           高橋 透水
大根の名前いろいろ種袋           上田  裕
玄関に阿吽のごとく雪達磨          脇  行雲
腹に人乗せて若草山笑ふ           堀内 清瀬
星の色少し入れたる凍豆腐          山元 正規
春きざす干物の目にも潤ひが         金井 硯児
冬の鵙青畝生家をはみだしぬ         渡辺 花穂
海へ出るまでの奔流雪解川          森崎 森平
犀星忌闇を匂はす花あんず          五十嵐京子
夜神楽の大蛇のたうつ石見かな        津田  卓
ものの芽や罅深まりし晶子の碑        久重 凛子
桜湯の頃合ひみては話つぎ          曽谷 晴子
句碑濡れて下五際立つ春の雨         大野田井蛙
















彗星集 選評 伊藤伊那男


ぶらんこの順番待つ子目で漕ぎぬ       半田けい子
ぶらんこの動きを目で追っている子供の様子を「目で漕ぎぬ」と捉えたところがいい。自分の順番が来るまでずっとそのようにして待っているのである。余談だが私は子供のころ、二台のぶらんこが交叉する隙間を縫って駆け抜けるという実に無謀な遊びをして、戻ってきたブランコに跳ね飛ばされた。一度は額を縫うほどの傷であったのに、又繰り返した馬鹿な少年であった。こちらの句は実に安らぎのある子供の生態である。 

紙風船飛んで富山の置き薬          有賀 稲香
 富山の薬売りと紙風船の組み合わせの句はさんざん読んできたけれど、この句はなおかつ意外性を持つ。薬売りが来て縁側から紙風船を飛ばして来訪を告げたようにも思えるし、薬売りが帰ったあと、土産の紙風船を膨らませて飛ばしたら薬箱のほうへ飛んだ、とも取れる。「飛んだ」の措辞が効いて、懐かしい風景を様々思い出させるのである。

田遊びや牛にも配る紙懐炉          中野 智子
「田遊び」は豊作の予祝の行事。東京でも板橋区に残るが、そこでは田起しの牛役が板に描いたお面を被って出てくる。寒夜の行事なのでその牛にも紙懐炉が配られたというのである。「牛にも」の省略にユーモアがある。「田遊び」も「紙懐炉」も季語であるが、この句では必然性があり、気にならない。「田遊びの」とする手もあるか。

捲りてはジョーカー捜す春炬燵        曽谷 晴子
「春炬燵」の物憂い感じが出ている。とりとめもなくトランプゲームをしていて、あれ、ジョーカーが無い、と捜す。あるいはゲームが終わって片付けている時かもしれない。炬燵の裾を捲ったりしてみる。暖まるというよりもたまり場としての「春炬燵」の季感が出ているのである。 
 
振分の音のからびし凍豆腐          山田  礁
 私の郷里伊那谷は凍豆腐の産地で、家で作ることもあった。藁縄で結わいて軒先に吊るとできる。振分けに吊るので乾燥した豆腐が触れ合う。「音のからびし」で完成間近ということが解る。「振分の」に実感が深い。

絵双六上がりの京にたたみ皺         五十嵐京子  
双六の上りは京都。ようやく辿り着いて、名所などが描かれた部分を見るとたたみ皺が目立ったというのである。おそらくは紙の真中が京都なので特に皺が尖って目立ったのかもしれない。

魚は氷に上りて夫は枝落とす         島  織布
七十二候に具体的な景を添えて実感を出した。春の到来。 

人攫ふ津波の浜や雁供養           高橋 透水
東北を襲ったあの大震災を悼む心と雁供養が重なっている。 

大根の名前いろいろ種袋           上田  裕
 確かに大根の種類は様々。種物屋で選択に迷っている。

玄関に阿吽のごとく雪達磨          脇  行雲
 仁王像のように玄関先に並べた。その対比が愉快である。

腹に人乗せて若草山笑ふ          堀内 清瀬
 全てを擬人化した面白さ。若草山の地名が効いている。

星の色少し入れたる凍豆腐          山元 正規
 夜は星に照らされているだけにこうしたこともあるか。

春きざす干物の目にも潤ひが         金井 硯児
 鯵の干物の目にも微妙な季節の変化が。視点がいい。

冬の鵙青畝生家をはみだしぬ         渡辺 花穂
 鳴声が?尾が?やや不明だが、冬鵙の孤高さがいい。

海へ出るまでの奔流雪解川          森崎 森平   
 雪解川の流れを追いかけてその変化を詠み取った。

犀星忌闇を匂はす花あんず          五十嵐京子
 犀星とその代表作を組み合わせて味わいを出した。
 
夜神楽の大蛇のたうつ石見かな        津田  卓
 ああ、石見にも夜神楽があった…。地名を生かした。

ものの芽や罅深まりし晶子の碑        久重 凛子
 碑は年輪を重ねたが「ものの芽」に晶子の活力がありありと。

桜湯の頃合ひみては話つぎ          曽谷 晴子
結納の頃か。両家が親戚になりつつある様子。

句碑濡れて下五際立つ春の雨         大野田井蛙
確かに、確かに。「下五際立つ」の把握が見事。 

    













銀河集作品抄

伊藤伊那男・選

風見えて野守が山火押しとどむ     東京   飯田眞理子
探梅や腹切やぐらたもとほり      静岡   唐沢 静男
浅春の野に落したる耳飾        群馬   柴山つぐ子
赤子入れ湯のやはらかき初湯かな    東京   杉阪 大和
麦踏みて麦の声聞くひと日かな     東京   武田 花果
沈むまで夕日見てゐる懐手       東京   武田 禪次
人波の渦のぶつかる寒の練り      愛知   萩原 空木
羽ばたけば風の促す巣立鳥       東京   久重 凜子
一枚が竜のごとくに吉書揚       東京   松川 洋酔
秩父嶺の屏風開きの初景色       東京   三代川次郎
子規庵といふは物芽の噴くところ    埼玉   屋内 松山

  
   


















綺羅星集作品抄

伊藤伊那男・選 

屠蘇受けて齢ひとつを吞み込めり     静岡   五十嵐京子
遠山をぬくめてゐたる冬日かな      東京   伊藤 政三
その縁のまろきがかなし絵踏板      東京   大溝 妙子
日の丸に代々の皺建国祭         和歌山  笠原 祐子
鳴物に鯛踊りたる戎笹          兵庫   清水佳壽美
三日はや矢立初めの橋渡る        東京   白濱 武子
白菜を切るテレビでは時代劇       大阪   末永理恵子
恵林寺の廊下の軋み牡丹の芽       静岡   杉本アツ子
大空といふふところへ巣立鳥       東京   武井まゆみ
まづ箸で花心をほどく牡丹鍋       東京   多田 悦子
道行をまた出だしから寒復習       東京   谷岡 健彦
まろびたるあれが雀の御慶かな      神奈川  谷口いづみ
伸ばさねば伸びぬ背筋や日脚伸ぶ     東京   塚本 一夫
初笑ひ夢に済ませたやうな気も      大阪   中島 凌雲
水脈分けて来る白鳥の胸の幅       岐阜   堀江 美州
蛇口より水のつぼみや春隣        東京   松代 展枝
絨毯に広ぐ積木の大都会         埼玉   森濱 直之
新海苔に母のたよりを炙りだす      東京   渡辺 花穂

下駄の音に春の兆しの渡月橋       東京   相田 惠子
春愁や京人形の目のうつろ        宮城   有賀 稲香
懐しき声も売り来し焼藷屋        東京   有澤 志峯
ラグビーの神の気儘を捻ぢ伏せて     東京   飯田 子貢
野仏の野火の灰積むたなごころ      埼玉   伊藤 庄平
二月の納豆の糸荒繰りに         東京   上田  裕
ものの芽の若草山にうつすらと      東京   大西 酔馬
阿夫利嶺の空を斜めに出初式       神奈川  大野 里詩
節分や母は米寿の豆拾ふ         埼玉   大野田井蛙
もて余し食む福豆の齢の数        東京   大山かげもと
パズルめく寄木の箱や春告鳥       東京   小川 夏葉
立春の陽を浴び命たしかむる       鹿児島  尾崎 尚子
国道へいのちの道の雪を掻く       埼玉   小野寺清人
春の草のびゆく影のやはらかし      神奈川  鏡山千恵子
寒餅といふ御八つあり故郷あり      東京   影山 風子
雪解道子の足跡も大人へと        長野   加藤 恵介
鳥雲に縁絶ゆれば訃の遠き        東京   桂  信子
草青む外野の狭き子規球場        東京   我部 敬子
四国山脈しみじみ深し春の闇       高知   神村むつ代
腰縄の長さ整へ雪卸           東京   川島秋葉男
帰りたる受験子都会匂はせて       長野   北澤 一伯
底冷や駅舎に紙垂の掛かる町       東京   柊原 洋征
寄せ書きの色紙の行方巣立鳥       神奈川  久坂依里子
寒餅を干す客間にも仏間にも       東京   朽木  直
九品の印それぞれに寒に入る       東京   畔柳 海村
大空にとんび生まるる初景色       神奈川  こしだまほ
甘き香を甲斐一国に桃の花        東京   小林 雅子
手を握るだけの応援受験の子       長崎   坂口 晴子
雪折のすさまじき夜を語りつぐ      千葉   佐々木節子
臘梅のほかは色なきふもと村       長野   三溝 恵子
一粒を十と数へて年の豆         静岡   澤入 夏帆
梅三分撫で牛の鼻光りたる        東京   島  織布
焚火果てあたたかな顔ちりぢりに     東京   島谷 高水
鷽替の往きも戻りも太鼓橋        東京   新谷 房子
風船の行き先知らぬ子の眠る       東京   角 佐穂子
竜宮を模する駅まで初電車        東京   瀬戸 紀恵
姉ゆゑに少しの我慢桃の花        東京   曽谷 晴子
悴むや師とも慕ひし人の訃に       愛媛   高橋アケミ
猟銃と一体となる指の先         東京   高橋 透水
餅花の色の他なき出羽の里        埼玉   多田 美記
普陀落の麓の修二会紙椿         東京   田中 敬子
青き踏む昔国分尼寺ありき        東京   谷川佐和子
大寒の柔道場の畳踏む          愛知   津田  卓
信玄の秘湯煙るや寒昴          東京   坪井 研治
冴返る弟子ひとりなる相撲部屋      千葉   土井 弘道
春暁や昨夜のラジオを消し忘れ      埼玉   戸矢 一斗
こごみ聴く水琴窟の春のこゑ       神奈川  中川冬紫子
探梅やさねさし相模の海ひかる      東京   中西 恒雄
薄氷を降り損ねたる雀かな        東京   中野 智子
亡き猫の障子の穴の余寒かな       東京   中村 孝哲
新聞を巻かれ売らるる寒の鯉       茨城   中村 湖童
同い年手に数へ合ふ年の豆        東京   中村 貞代
オリオンを焦がさむ如くどんどの火    愛知   中村 紘子
涅槃絵に声吸ひ込まる読経かな      東京   西原  舞
戦火知る銀座の柳青みたり        東京   沼田 有希
これやこの星宿山の寒椿         神奈川  原田さがみ
注連に四手掛かるみたらし冴返る     兵庫   播广 義春
名曲と思ふ校歌や卒業期         福岡   藤井 綋一
父母よりも少し永らへ蜆汁        東京   保谷 政孝
底冷えの聞きしに勝る京都かな      東京   堀内 清瀬
恋猫のたとへばかの子ほどの恋      東京   堀切 克洋
春暁や街の呼吸の膨れ初む        埼玉   夲庄 康代
頼朝像八重の桜の吹雪浴ぶ        東京   松浦 宗克
冴返る糸屑からむ庭箒          東京   宮内 孝子
桃咲くと古都フエ宮廷料理の宴      千葉   無聞  齋
刻告ぐる出湯の太鼓あたたかし      東京   村上 文惠
豆撒くや幼き児には飴礫         東京   村田 郁子
さみしらに風船空へ放ちけり       東京   村田 重子
雪掻きの富士をめがけて放りけり     千葉   森崎 森平
ぬかるみに足を取らるる納税期      東京   森 羽久衣
吐く息の捻れて果つる焼栄螺       愛知   山口 輝久
練切りに花を咲かせて小正月       東京   山下 美佐
溶岩山の荒星さすが凍豆腐        群馬   山田  礁
初天神叩いて渡る太鼓橋         東京   山元 正規
看経に和する寒禽甲高し         千葉   吉沢美佐枝
数へ日やふと口ずさむ童歌        神奈川  吉田千絵子
たましひを鎮むるごとく梅しだる     愛媛   脇  行雲

















     







銀河集・綺羅星今月の秀句

伊藤伊那男

水脈分けて来る白鳥の胸の幅        堀江 美州
「胸の幅」の把握がうまいところだ。白鳥だからこその措辞であり観察の目が効いている。水脈・白鳥・その胸、と眼前に大きく迫ってくる技法で臨場感を高めているようだ。無駄な言葉がなく真正面から対象物と向き合っている姿勢がいい。 

 

蛇口より水のつぼみや春隣         松代 展枝 
眼目は「水のつぼみ」である。ちょっと緩んだ蛇口から水が滴る。その滴りが「蕾」のようだという。いや蕾だ、と断定しているのである。加えて季語の斡旋が適確である。春の予感が蕾と
微妙に絡むのである。例えば替りに「夏初め」「今朝の秋」などを入れてみると、「春隣」の方が遙かによいことが解るのである。 

絨毯に広ぐ積木の大都会          森濱 直之
「大都会」に持ち込んだところがうまい!積木はおおむね立方体。幼児が積むだけでビル街が出現するのだ。それが絨毯の上であることで更にこの句が輝きを増すのである。というのは冬場なので外で遊べないことが解るし、空飛ぶ絨毯の話にも想像が浮かぶからである。 

  

新海苔に母のたよりを炙りだす       渡辺 花穂  
「炙りだす」の発想に拍手をしたい。昔、蜜柑の汁で紙に書いて火鉢で炙ると文字や絵が浮き上がったことを思い出す。新海苔を炙ったら、もしかしたら母からの便りが浮かんでくるかもしれない-----。切ない思慕の句である。
 
初笑ひ夢に済ませたやうな気も       中島 凌雲
「初笑ひ」とはいい言葉である。笑いがなくて何が人生か?人は笑うために生きているのだ、と思う。恐らくそうした古人達の思いが年の始めの笑いを特別なものと考えたのであろう。その初笑いを、おや、夢の中でもう笑ってしまったような気がする、と首を捻る。句には何だか損をしたような思いもする滑稽感が滲むのである。
 

伸ばさねば伸びぬ背筋や日脚伸ぶ      塚本 一夫
この句の十五文字の内に「伸」の字を三回組み込んだリフレインが芸である。年と共に身体は固くなるもので、私など起き抜け直後には階段をトントンと降りることはできない。一段ずつ両足を置く。それを見た孫が「あっじいじがおかしい!」と母親に告げる-----。ともかく伸ばさねば伸びぬ、なのだ。「日脚伸ぶ」の斡旋がなんとも愉快である。 

  

日の丸に代々の皺建国祭          笠原 祐子
敗戦の後遺症で日本神話を学校教育から外して今日に到る。『古事記』や『風土記』などの中に必ず、日本人の原点やアイデンティティが潜んでいるのだが黙殺されてきたのである。建国記念日が紀元節であり神武天皇即位の日であることを私の世代でもほとんど知らないままである。そんな中でこういう句を見ると嬉しい。「代々の皺」に、長く続いてきた家であり、先祖を大事にして、節々の祈りを欠かさないということが解る。まさに折り目正しい句なのである。 

大空といふふところへ巣立鳥        武井まゆみ  
大空を「ふところ」と見たところがいい。鳥にとっては空が「ふところ」―—という発想は新鮮である。鳥にとって最も親しめる、安心できる場所が「大空」なのである。 

  

まづ箸で花心をほどく牡丹鍋        多田 悦子   
先般誘いを受けて秩父で遊び、牡丹鍋を囲んだ。禪次さんが事前に店に本物の猪を用意するように念押ししていたのである。驚嘆に価する旨さであった。深紅の肉は牡丹の花弁のように盛られている。その「花心をほどく」最初の箸である。うまいものを、うまそうに描写した句である。 

 

道行をまた出だしから寒復習(かんざらい)        谷岡 健彦  
寒復習に「道行」を配して味わいを深めた。ここでいう道行は浄瑠璃や歌舞伎の中の旅行の場面で、相愛の男女のかけおちである。多くの場合心中の結末につながる旅である。それゆえに「寒」が響くのである。加えて「また出だしから」に何度も悲痛の場面を繰り返す悲しみの果てのほのかなおかしさも醸されているのである。

その他印象深かった句を次に 
   

その縁のまろきがかなし絵踏板       大溝 妙子
屠蘇受けて齢ひとつを呑み込めり      五十嵐京子
遠山をぬくめてゐたる冬日かな       伊藤 政三
白菜を切るテレビでは時代劇        末永理恵子
恵林寺の廊下の軋み牡丹の芽        杉本アツ子
まろびたるあれが雀の御慶かな       谷口いづみ
鳴物に鯛踊りたる戎笹           清水佳壽美
三日はや矢立初めの橋渡る         白濱 武子










                 
    
   

 
 



 



星雲集作品抄


             伊藤伊那男・選

星座組む大空近し凍豆腐        長野   髙橋 初風
麦踏みの飛び飛びにある踏み残し    東京   今井  麦
影薄く大寒の底行き交へり       宮城   小田島 渚
寒柝の拍子揃はぬ曲り角        埼玉   中村 宗男
天井の竜の鱗や凍返る         東京   橋野 幸洋
決裂となりしか鴨の陣を解く      埼玉   大木 邦絵
下萌や後ろ脚より仔牛立つ       東京   小山 蓮子
東京に雪の見てゐし歴史あり      埼玉   小野 岩雄
鴛鴦の付かず離れず間合良し      埼玉   渡辺 志水
潮騒や松隆々と恵方みち        東京   半田けい子
公魚の穴場穴ごと譲らるる       神奈川  上條 雅代
嵐山枯れて素直な山となる       京都   小沢 銈三
星わらべと名づけたき花いぬふぐり   東京   大沼まり子
新社員辞儀の角度もばらばらに     東京   荒井 郁子
手と足を一緒に出して入学す      東京   浅見 雅江
奈良坂の石の仏や春の猫        神奈川  上村健太郎
列そろへ丈もそろへて若布干す     静岡   小野 無道
春風や肩甲骨は我が翼         東京   梶山かおり
覚悟には笑ふ所作あり別れ雪      長野   唐沢 冬朱
編みかけのマフラーまたも姉の恋    東京   田岡美也子
湯たんぽの湯より始まるくらしかな   東京   福原 紀子
教室に雪合戦の名残りかな       静岡   山室 樹一

梅の香や下駄音高く昌平坂       東京   秋田 正美
紅のこる吸殻浮べ冬運河        埼玉   秋津  結
観光船横浜に春連れてくる       神奈川  秋元 孝之
沈黙も言葉のひとつ冬終る       愛知   穴田ひろし
凍豆腐大豆の色に戻りたる       神奈川  有賀  理
あなうれし立春大吉酒の名も      愛媛   安藤 政隆
気を許すことなかれ寒また戻る     東京   飯田 康酔
開花聞き急ぎ湯島の梅見へと      東京   井川 敏夫
凍返る影に力のなかりけり       東京   生田  武
深剃りの頬に風あり春浅し       埼玉   池田 桐人
福は内子の居ぬ庭に豆まばら      群馬   伊藤 菅乃
散り際の紅を濃くして藪椿       神奈川  伊東  岬
正論は相入れぬかやおでん酒      兵庫   稲田 掃石
小言めく父との酒や蕗の薹       埼玉   今村 昌史
重なりて山又山の山笑ふ        愛媛   岩本 昭三
立春の吾子の一歩の我が元へ      シンガポール 榎本 陽子
戸口ごと柊挿して門跡寺        埼玉   大澤 静子
針供養感謝しながら豆腐刺す      群馬   岡村妃呂子
大梵鐘除夜を静かに待ちてをり     神奈川  小坂 誠子
万葉の仮名で書く文桃の花       静岡   金井 硯児
洞窟に沈みし碇月朧          東京   上瀬由美子
まんさくの花の捩れをいとほしむ    東京   亀田 正則
若布汁丈の乱れを切り揃へ       神奈川  河村  啓
雲とれて富士の裾野の茶摘かな     愛知   北浦 正弘
海舟の愛でたる池や返り花       神奈川  北爪 鳥閑
雪かきの勢ひのまま隣まで       東京   絹田 辰雄
白菜の光の滋味をこぼしけり      和歌山  熊取美智子
木蓮の蕾膨らむくもり空        埼玉   黒岩  章
悴む手やうやく開く露天の湯      愛知   黒岩 宏行     
白神岳(しらがみ)の神の嚔かしづり雪       東京   黒田イツ子
大粒の星の現れ節分会         東京   小泉 良子
ふるさとの小樽の街や雪灯り      群馬   小林 尊子
白鷺や川面に光る嘴の先        東京   斉藤 君子
見渡して甍の波や奈良の春       神奈川  阪井 忠太
湯の宿や浸れば春星溢れをり      東京   佐々木終吉
風花の幼帝ひらり千木の先       群馬   佐藤 栄子
揚舟の文字の色々椿東風        群馬   佐藤かずえ
春一番洗濯物が宙を舞ふ        群馬   佐藤さゆり
巣立鳥少女はいつか適齢期       東京   島谷  操
春浅しパズルの解けぬ日曜日      埼玉   志村  昌
畷ゆく春は名ばかり麦二寸       東京   須﨑 武雄
まだ軽きうちに一筋雪を搔く      東京   鈴木 淳子
風花や刃物売り出す山の町       群馬   鈴木踏青子
水温む大き音立て靴洗ふ        愛知   住山 春人
女正月煮染む近江の赤こんにやく    神奈川  関口 昌代
踏み入れば獣の匂ひ冬の山       東京   副島 泰三
しもつかれふと思ひ出す初の午     埼玉   園部 恵夏
祖母の髪思ひ出させる椿の実      山形   髙岡  恵
雪のこと母のこと訊く電話口      福島   髙橋 双葉
早春の雲の手前に平林寺        埼玉   武井 康弘
新雪の光を割りて朝刊来        東京   竹内 洋平
義父の書の軸の見守る冬座敷      広島   竹本 治美
初雪の掃き跡硬き夜明け前       三重   竹本 吉弘
久闊の友より便り福寿草        東京   田中 寿徳
あといくつ籾殻さぐる冬林檎      東京   田中  道
何もかも加齢と言はれ冬ごもり     神奈川  多丸 朝子
駅頭に母子像春を待つ如く       東京   辻  隆夫
節分の鞄に忍ぶ鬼の面         東京   辻本 芙紗
縮緬雑魚ちらすぬく飯春の雪      東京   手嶋 惠子
熱燗や昔話は満開に          東京   豊田 知子
薄氷の抽象画めく水たまり       神奈川  長濱 泰子
別れてふすきまに入りて春愁ふ     長崎   永山 憂仔
奥美濃や六腑にしみる牡丹鍋      神奈川  萩野 清司
吊橋の十歩の揺れや冴返る       東京   長谷川千何子
福豆も齢の一割だけ食べる       神奈川  花上 佐都
働ける腰の痛みや小正月        神奈川  福田  泉
霜焼の子らの原つぱこのあたり     東京   福永 新祇
妹は僕が守ると鬼は外         愛知   星野かづよ
寒晴を呵呵大笑の閻魔かな       東京   星野 淑子
梅東風や背伸びして絵馬高く掛く    東京   牧野 睦子
行き先は風に尋ねよ巣立鳥       愛知   松下美代子
下萌や夕日に向かふ世田谷線      神奈川  松村 郁子
梅の宮牛を撫でつつ願掛くる      京都   三井 康有
潮騒の常よりかたく実朝忌       東京   宮﨑晋之介
残像の光と影や凧揚ぐる        東京   宮田 絹枝
喪の人に丁寧に書く寒見舞       神奈川  宮本起代子
蝋梅のそこだけ日差し残しけり     長野   守屋  明
永日の栄華を醸す岩崎邸        東京   八木 八龍
怪談をせがむ子寝かす蚊帳の中     東京   家治 祥夫
解けて又重なり合うて軒氷柱      群馬   山﨑ちづ子
思ひ出の葉書の束や冬日和       東京   渡辺 誠子
山笑ふ画帳も入れて小旅行       東京   渡辺 文子











     





星雲集 今月の秀句

伊藤伊那男


星座組む大空近し凍豆腐          髙橋 初風
信州伊那谷に住んでおられる方である。私の郷里でもあるが、冬の夜空は凄絶である。まさに手に取る近さに星座がある。凍豆腐、寒天、氷餅などの産地である。そうした大景を端正に捉えている句だ。同時出句に〈御神渡なきや女神が熱を出し〉は暖冬の諏訪湖を捉えて類型がない。また〈逃水は女神の涙すぐ乾き〉も発想の斬新さに驚く。「凍豆腐」の句をあげたが、この後者の機知の効いた句群がこの作者の本来の持ち味であるようだ。

麦踏みの飛び飛びにある踏み残し      今井  麦
どことなく滑稽感の残る句だ。一所懸命に踏んでいるのだが、どこかに踏み残しがある。そこだけ根が浮いているのである。古老からは、おいおい!駄目だよ、と叱られる。そんな麦踏み体験の様子が彷彿とする。同時出句の〈病歴の春夏秋冬納税期〉も領収書を揃えながら一年間の家族の病歴を回顧する。〈鶯餅とんがつたとこから齧る〉はやや乱暴な作り方だが、説得力を持つ。


影薄く大寒の底行き交へり         小田島 渚
「大寒」を鋭い感覚で捉えている。確かに日差しも弱く、人や物の作る影が不鮮明なのである。万物の生気がやや弱っている時候を的確に摑み取ったようだ。同時出句の〈藁縄の跡の歪みや寒の餅〉には写生の目が、〈近づけば遠退きてゆく冬桜〉には抒情が‥‥。


決裂となりしか鴨の陣を解く        大木 邦絵
鴨の陣にもこうしたことがあるのだろうか。権力の拮抗があるのかもしれない。鴨のことを詠んでいるけれど、人間の世界にも通じる寓意を含んでいる句である。同時出句の〈かいつぶり歩けば別の鳥かとも〉も意外な句であった。私はかいつぶりの潜る所しか見ていないのだが、別の面を見せてくれたのであろう。観察の目がいい。 


下萌や後ろ脚より仔牛立つ         小山 蓮子
仔牛はこのように立ち上がるのであろうか。「下萌」の季語の斡旋がよく、瑞々しい命の誕生の讃歌のような句になった。同時出句の〈泥付きしまま葦の芽の尖りけり〉も凜として萌え出る命を捉えて出色である。いずれも対象を観察する目が丁寧である。写生の目の確かさである。 


東京に雪の見てゐし歴史あり        小野 岩雄
思えば東京になる直前に桜田門外の変があった。日本が欧米に追い付こうとした頃、二・二六事件があった。東京に雪の降りしきる日の出来事である。その外にも雪の中で数々の事件があったことであろう。作者は東京の雪を眺めながら、様々な東京の歴史を想起するのである。 


鴛鴦の付かず離れず間合良し        渡辺 志水
鳥の中でもっとも仲良しといわれる鴛鴦なのだが、こう言われると、やはりそうかもしれない……と思う。それなりの距離を取って、相手に踏み込まず、矩を越えず、というのが睦ましさの秘訣であるのかもしれない。この句も一物仕立てで対象を詠み切ったことにより、人間の生態にも投影する寓意を持つのである。


公魚の穴場穴ごと譲らるる         上條 雅代
 公魚釣は今も氷湖の風物詩である。やはり長年の経験で培った穴場があるのだろう。ともかく場所の確保だけではなく、氷を穿つやっかいな作業がある。ところが、その穴ごと譲り受けたというのである。穴場、穴のリフレインが巧みである。同時出句の〈知らぬ顔どれも試験に受かりさう〉も実感がある。「合格」の副季語と理解できる。


嵐山枯れて素直な山となる         小沢 銈三
京都の名勝の一つである嵐山も、さすがに冬ともなれば日頃見せない素顔を見せることがあるのだろう。作者は京都に暮らす方なので、微妙な変化に気付いたのである。ちょっとだけ隙を見せた京都である。 


手と足を一緒に出して入学す        浅見 雅江
緊張しきった入学児の様子が如実である。名前を呼ばれてぎこちない動作が出たのだ。はらはらしながら見守る親の様子なども思われてほほえましい一景である。                                       

                   その他印象深かった句を次に 


奈良坂の石の仏や春の猫          上村健太郎
列そろへ丈もそろへて若布干す       小野 無道
春風や肩甲骨は我が翼           梶山かおり
覚悟には笑ふ所作あり別れ雪        唐沢 冬朱
編みかけのマフラーまたも姉の恋      田岡美也子
湯たんぽの湯より始まるくらしかな     福原 紀子
教室に雪合戦の名残りかな         山室 樹一
















        

新連載 伊那男俳句  


 伊那男俳句 自句自解(5)
          
  鮒鮓や夜の底深き(うみ)の国

 酒の肴で好きなものを挙げてみろ、と言われたら、私の第一位は鮒鮓である。最初に食べたのは高校生の時である。なぜ伊那谷でそんなものを食べたのかというと、隣村の同級生の家を訪ねた折、滋賀県出身の父上の食卓に鮒鮓があり勧められたのである。うまい!と思った。良い鮒鮓は腹一杯に蜜柑色の卵が詰まっている。今気が付いたが、そういえば鮒鮓の切り口は滋賀県の形に似ているのではないだろうか。卵の部分が琵琶湖で、包んでいる腹の皮は大津などのある湖南、背骨の方は伊吹山や湖北の山並----。
 近江は国宝、重要文化財の数が日本有数でありながら、真中に湖があるために、当時は交通が不便であった。そのためか観光客も少なく夜の闇は深かった。宿の窓の向こうには真暗な湖が広がっていた。「湖」は「うみ」とは読めないが、言葉遣いに厳しい岡田日郎先
                                          
生は、古来「淡海」と呼ばれていた琵琶湖の歴史に鑑みて例外として「(うみ)」と読んでもいいかなと仰っていた。
 
 青北風や潮の匂ひのヌード小屋


 俳句を始めてしばらくした頃、高木良多先生の郷里が千葉県佐原であると聞いて一人で訪ねたことがある。町の中に色街の跡と思われる一画があり、ストリップ劇場もあった。ただしその時は入ったわけではない。帰路その風景を思い出して「沼の匂ひのヌード小屋」というフレーズが浮かんだ。沼の多い土地を巡った結果だが、独立した一句に仕立てるなら、漁師町にでも設定を変えた方がよさそうである。すると「潮の匂ひの」に変わる。折しも秋のことである。秋の風の季語の中では「青北風」あたりか-----。そんなことから徐々にこの表現に整っていったのであった。
 昔丨―それは学生時代のことだが、仲間で旅行をした折、紀州白浜温泉のさびれたストリップ劇場を覗いたことがあった。また、建て替える前の浅草フランス座も最後はあちこちの座席が毀れかけているほどすたれていた。そんな情景も重ね合わせて成った句である。句集によくもこんな句を載せてしまったものだ-----。










  
  
   


 




銀漢の絵はがき


挿絵が絵葉書になりました。
Aシリーズ 8枚組・Bシリーズ8枚組
8枚一組 1,000円

ごあいさつにご利用下さい。



    

       



         










掲示板













 




鳥の歳時記


     



笹五位









ホトトギス















             
 
  







銀漢亭日録

伊藤伊那男


2月

2月7日(日
午後、家で宮澤事務所の新年会。長女がメイン料理は取り寄せてあるが何か作ってほしいというので、鶏の香草焼、じゃが芋とベーコンのカリカリ炒めなどを作る。午後、中野サンプラザで「春耕同人句会」あと、「炙谷」にて親睦会。帰宅すると、新年会続いており、少し参加。

  2月8日(月)
事業部、新年大会企画のご苦労さん会。12人。大野田井蛙さん幹事で、酒、食物など持ち寄りあり。私も加わって酒盛り。橋野さん、俳句仲間の女性2人と来店。あと、井蛙さん他7人程で餃子屋。

2月9日(火
「火の会」8人。男は大塚凱君のみ。国会議員のT先生、「銀漢」2月号求めに。皆川文弘さん、先般質問した盤水先生のルーツや系図など調べてきて下さる。

 2月10日(水)
伊那出身の福沢さん(上農高校)、井蛙さん。たまたま会ったが親戚であることが解る。「俳壇」パーティーあとの水内慶太氏と「月の匣」の方々。山田真砂年さん、藤田直子さんなど。

2月11日(木)
午後、孫の華子のピアノ教室の音楽会。成城ホール。歌、「エリーゼのために」。夕方、焼肉店「山五 成城店」にて幼稚園の親仲間と会食。大人13人、子ども10人。

 2月12日(金)
休みの合間にて閑散。坪井さんと久々話。22時閉める。発行所は校正、あと編集会議。

2月13日(土)
10時、発行所にて「運営委員会」。午後の「銀漢本部句会」は、麹町区民館和室、55名。あと、「さくら水産」にて親睦会。10数名。帰宅すると孫がチョコレート菓子を沢山作っている。

 2月14日(日)
不穏な天候。高幡不動尊に着く頃には晴れる。盤水先生の墓参り。「春耕新年俳句大会」。あと祝宴。乾杯の発声。佐野の島田ヤスさんより、御子息の文夫さん作の皿、トマトなど戴く。佐渡の山城やえさんお元気。あと恒例の蕎麦屋にて2次会。朝妻力さん、唐沢静男君……。

2月16日(火)
阪西敦子さん○歳の誕生会。何と、超結社で30人ほど集まる。大西酔馬が肝入り。酒の持ち込みも多数。19時から22時半近くまで。

2月17日(水)
宮澤、ジャマイカへ撮影に。8日間程と。店、「三水会」5人。「俳句」4月号「取り合わせ研究」の特集に「私が採る句、採らぬ句」2枚程。「俳句四季」四月号へ「花の歳時記―桃の花―」のエッセイ4枚。武田さんに依頼し「銀漢」の30句の桃の句を集めて貰う。

2月18日(木)
「麻」の草野大作さん(池上椎人の「美林会」の仲間)。そこそこ忙しく。21時、「銀漢句会」あと21人。

2月19日(金)
「蔦句会」あと4人。清人さん、鈴木忍さん他。井蛙さん来たので「大金星」に行き、守屋山登山のことなど、

 2月22日(月
毎日新聞の鈴木琢磨さん、来月、宝島社から出る『大衆酒場の達人』という本に「銀漢亭」のことに触れたと。堀切克洋君、パリで句会をしていた方と吟行あと、店にて句会。後から、日下野由季さん合流。「鹿島吟行」あとの武田さん達。日経新聞の丸田さん(高校後輩)など。閑散。

 2月23日(火)
「萩句会」選句へ。皆川丈人さん近くに来たとて、声かけてくれる。18時から、清人さんの中央大学離島研究会OBの集い。気仙沼から、牡蠣、ナマコ、ホタテなど到来。九人。他の客少なく。そこへ坪内稔典さんとそのお弟子さんたち10数名来店。近くの沖積社での集いのあとと。焼酎一升空けたあと、句相撲をするとて私も呼ばれて「皿」の題で。1回戦で敗退す。武田編集長、メタルワンの女性OB5人と来店(秋田正美、長谷川千何子、まゆみ、美佐……)。

2月24日(水)
「雛句会」10人。来月から、相沢文子、太田うさぎさんに店に1日ずつ入って貰うことになる。皆川文弘さん。伊那出身の福沢さん、ウェルネスの日下女史と。

2月25日(木)
鈴木てる緒さん久々。店閑散。22時半閉めて、井蛙、てる緒、いづみさんと「大金星」に寄る。

 2月26日(金)
店、「白熱句会」にて慶太、直子、佐怒賀、徳夫、哲彦さん(弘美さん休み)。発行所「金星句会」あと6人。客は、あっ俳人だけ……。

2月27日(土
13時、日本橋。喫茶店で作句など。14時、「与志喜」にて「纏句会」。あと、焼蛤、若筍と若布炊き合わせ。題の「魴鮄」の煮魚。握り。酒は「天狗舞」。あと、禪次、秋葉男さんと『そして京都』出版についての打ち合わせ。孫の男子二人インフルエンザ。龍正はB型で入院。亮介はA型と。家、厳重警戒中。早めに寝る。

 2月28日(日)
4月号の原稿。華子の合唱団発表会で、風邪の孫2人と私が留守番。夜、スキヤキなどを用意。

2月29日(月
彗星集選評送り、4月号の執筆終了。店、「日本伝統俳句協会」の藤森さんの句会8人。「南風」の津川絵理子さん5人。明日の村上鞆彦君のお祝いに上京と。「炎環」のはるかさん、「毎日俳句大賞」の会あと2人で。

3月
3月1日(火)
超閑散。21時過ぎに閉めて「天鴻餃子房」にいるところへ、朝妻力さんより電話あり、「銀漢亭」の前にいると。「俳人協会総会」と「村上鞆彦さん俳人協会新人賞祝賀会」のあとと。天鴻に来てもらう。力、宗一郎、小石、しなだしん、清人さん。

3月2日(水)
朝妻力、三代川次郎さん、ゼロックス社OB会あと。「天好園」のまりあさんも。柴山つぐ子、中川冬紫子さん浅草の帰りと。「宙句会」あと7人。

 3月3日(木)
店カウンター、雛祭とあって、敦子、文子、肖子、うさぎ、文代、小石、恵……と並ぶ。藤井公認会計士久々。昔の仕事仲間。発行所「十六夜句会」。これも全部女性の句会。終わって十人店へ。あと10名程で餃子屋。男は私と井蛙。

3月4日(金)
「大倉句会」あと17人。あと「大金星」一人。何と! グジの唐揚げがある。隣の若いカップルに、バブルはどうして起こったか、どうして終わったか……などの講義。カップルの片割れが……美人であった。

 3月5日(土)
スクワール麹町にて「第三回井月忌俳句大会」。北村監督の金子兜太へのインタビュー映画、実に感動的。俳句大会は、選者12人の内の7人の特選を「銀漢」が取る。親睦会のあと、伊那の白鳥市長他と2次会。ヘトヘト。

3月6日(日)
中野サンプラザ八階にて「春耕同人句会」。あと、13階スカイルームにて、窪田明句集『桜川』出版記念会。祝辞。あと、20階にて2次会。帰路、新宿でちょっと飲んでしまう……。

3月7日(月)
櫂未知子さん友人と。発行所「かさゝぎ俳句勉強会」あと13人。中島凌雲君出張で来て参加。松山さん、その他。櫂さん「5時間居ちゃった! 」と。井蛙さん、井月忌の会の報告を信濃毎日新聞、中日新聞などに送ってくれる。















           
△『漂白の俳人・井上井月』伊藤伊那男著
          
  
    






今月の季節の写真/花の歳時記



2016年5月23日撮影  斑入りのバラ  TOKYO/HACHIOJ





花言葉  『満足』
    

写真は4~5日間隔で掲載しています。 


2016/5/24
更新


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