HOME 句会案内 バックナンバー  
2012年 1月 2月
 3月 4月  5月 6月  7月  8月 9月 10月 11月 12月
2013年  1月  2月 3月  4月  5月  6月  7月 8月  9月 10月  11月 12月
2014年 1月  2月 3月 4月  5月  6月  7月 8月  9月 10月 11月 12月
2015年 1月  2月 3月  4月  5月 6月 7月  8月 9月 10月 11月 12月
2016年 1月 2月  3月 4月 5月 6月 7月



 7月号  2016年

伊藤伊那男作品 銀漢今月の目次 銀漢の俳句 盤水俳句・今月の一句  
彗星集作品抄    彗星集選評  銀漢集作品抄
  綺羅星集・作品抄  銀河集・綺羅星今月の秀句 星雲集・作品抄  
星雲集・今月の秀句   新連載  銀漢の絵はがき 掲示板 
 鳥の歳時記  銀漢日録  今月の写真


フラッシュを使用しました。更新ボタンで再度動画になります。

伊藤伊那男作品



筍          伊藤伊那男

春宵のふくらんできし東山
黄泉へ行く母を包みし花衣
棒鱈の三日三晩を水責めに
東征の道逃水の皆逃げて
芋棒や法然様の寺を出て
地方版読むのが好きで啄木忌
次の店でも筍のお通しが
水分(みくまり)の鳥居に挙ぐる蟹の爪









        
             



今月の目次







銀漢俳句会/7月号













          





   


銀漢の俳句 

伊藤伊那男 

◎江戸風? 京風?
 たまに一人で飲みに行く店がある。綺麗な板前料理を出す。先日は客が少なかったので、久々御亭主とゆっくり話すことができた。この人は東京の老舗料理店で修業した方である。その当時の東京の割烹料理店は一口に言うと、いかに手を掛けた料理を出すかが眼目であったという。蒸したり、潰したり、捏ねたり、幾つもの材料を合わせたり、と素人にはできないことをするのが、板前の腕の見せ所であったという。それが江戸文化であったのだ。私の記憶では昭和四十年頃から、関西、特に京風料理が東京に進出してきたように思う。江戸風よりも軽い昆布出汁と淡口醬油で色も淡い。なるべく素材の持ち味を生かすことを主眼に置くこの関西料理が、あっという間に東京を席巻して今日に到っているのである。御亭主が、先日道場六三郎氏に会ったところ「鯛と蕪があったら何を作る?」と聞かれたという。一昔前であれば蕪を摺りおろして塩漬けの桜の葉で包んだ鯛を乗せた蕪蒸しなどが頭に浮かんだというが、今は鯛は只塩焼きにして蕪も直火で焼いて添える位にする、という。
 そんな話を聞いて、ああ俳句にも通じるものがあるな、と思った。そのように書くと読者は私が関西風の方がいいという結論に導こうとしているな、と思われるかもしれない。が……ちがう。どちらがいいかは個人の好みである。その時代の流行というものがあり、それはいつの日か入れ替わったりするものである。江戸好みということになれば宝井(榎本)其角を挙げてよかろう。
   
越後屋にきぬさく音や更衣
夕立や田をみめぐりの神ならば
今朝たんと飲めや(あやめ)の富田酒

 あっと驚かす斬新さと鯔背な切れ味、言葉遊びの巧みさはとてもとても真似のできるものではない。二句目は「ゆ・た・か」と豊作を祈る隠し文字がある。三句目は上から読んでも下から読んでも一詩を成す回文構成であり、その才知には舌を巻くしかない。
 要は流行に簡単に乗るのではなく、自分を表現するためにはどの方法が一番いいか、をよくよく考える事である。右顧左眄せずに、揺るがない自分の軸足を定めることが肝要である。













 



  

盤水俳句・今月の一句

伊藤伊那男
:

茄子の紺夕べ放せし犬かへる         皆川 盤水

中野坂上に住んでおられた先生の身辺詠である。昭和25年といえば、もちろん西新宿の副都心もなく、世の中は戦後の復興期の最中である。食糧確保のために庭を菜園にして茄子を植えておられたのかもしれない。犬も今のように家の中で飼うのではなく、放し飼いが当たり前の時代であった。こうした句からも戦後の東京の生活の一齣を垣間見ることができるのである。私が信州に生まれてまだ一歳になったかならないかの頃の句である。
                                         (昭和25年作『積荷』所収)
 













  

彗星集作品抄

伊藤伊那男・選

遺されしピアノの孤独鳥雲に         中西 恒夫
万歩計に歩かされをり四月馬鹿        鈴木てる緒
涅槃図の川となるまで象が泣く        堀切 克洋
人真似に倦みし日永のあうむかな       多田 美記
花詞種蒔くまでは知らぬなり         伊藤 政三
ひと雨にもう筍と言へぬ丈          半田けい子
近道は急な坂道夕桜             小山 蓮子
掛け違ふ釦もどかし寒戻り          中野 智子
湯上りの心地そのままおぼろ夜へ       武田 禪次
淡海の風まだ硬く初諸子           堀内 清瀬
自負心も劣等感も啄木忌           有賀  理
砂時計日永の砂をまた落とす         萩原 空木
兵馬俑展出て黄塵の街騒へ          山元 正規
暗雲のやうな我が影蝌蚪の国         唐沢 静男
荒縄でくくる豆腐や針供養          三代川次郎



















彗星集 選評 伊藤伊那男


遺されしピアノの孤独鳥雲に         中西 恒雄
私にも心覚えがある。娘二人が小学校時代に少しの期間弾き、そのあとは蓋をしたままであった。そして娘二人は嫁ぎ、妻は死に、調律師が来ることもなく、埃を被ったままの歳月であった。そのようなことを「孤独」の措辞に象徴したのが詩心である。「鳥雲に」に家を去っていった家族や月日の経過が読み取れるのである。幸い我が家のピアノは長女の家に引き取られ、今は孫たちが弾いており、孤独を免れたのであった。 
  
万歩計に歩かされをり四月馬鹿        鈴木てる緒
最近のロボット技術の発達を見ると、もうすぐロボットが思考能力を身につけて、意志を持って人間を動かすようになるのではないかという恐怖さえ覚えるのである。この句は万歩計があるがために歩く、という逆転の発想である。「四月馬鹿」の季語を配した面白さだ。 
  
涅槃図の川となるまで象が泣く        堀切 克洋
これはまた大袈裟な!しかし涅槃図はもともと悲しみの最大の誇張である。象が鼻を振り上げて泣く図は目にしているが、それが川になるとはなかなかの発想である。悲しみの深さを誇張して滑稽感を醸し出した。 
  
人真似に倦みし日永のあうむかな       多田 美記
鸚鵡はつくづく不思議な鳥である。物真似は生き残るために必要な能力だったのであろうか。この鸚鵡、さすがにサービスに疲れてしまったのであろう。返事が遅くなったのかも知れない。まだまだ日暮れには時間がある。オウムの憂鬱は続くのである。 
  
花詞種蒔くまでは知らぬなり         伊藤 政三
誰が思いいたったのか知らないが各々の花に象徴的な意味を持たせた言葉が「花詞」である。薔薇は愛、菫は忠実、月桂樹は栄光など。もちろん複数の詞を持つ花もあり、いい加減でもある。そんな詞なので私は憶えるつもりもない。この作者も解説を見て知るのである。 
  
ひと雨にもう筍と言へぬ丈          半田けい子
 「雨後の筍」という言葉もあり、筍は一日に一メートル位伸びることがあるという。その成長ぶりを「もう筍と言へぬ丈」と詠みとったのがうまい。一雨で、もう竹になってしまったという変化を見事に捉えた。 
  
近道は急な坂道夕桜            小山 蓮子
意外にも坂の多い東京の様子が如実。夕桜に抒情。

掛け違ふ釦もどかし寒戻り          中野 智子
またぶり返した寒さに手許が狂う。微妙な季感を捉えた。 
  
湯上りの心地そのままおぼろ夜へ       武田 禪次
湯上りの体感を「おぼろ」ととらへた感覚のよさ。 
 
 淡海の風まだ硬く初諸子          堀内 清瀬
比良比叡の風はまだまだ手強い。「初諸子」の季節。 
  
自負心も劣等感も啄木忌           有賀  理
自負心は啄木。劣等感は作者の含羞か。 
  
砂時計日永の砂をまた落とす         萩原 空木
日永を持て余す倦怠感であろうか。「また」が効果的。 
  
兵馬俑展出て黄塵の街騒へ          山元 正規
黄塵の空に兵馬俑の隊列が重なったか。新旧の中国。
  
暗雲のやうな我が影蝌蚪の国         唐沢 静男
蝌蚪から見たとんでもなく大きな影。視点のよさだ。 
  
荒縄でくくる豆腐や針供養          三代川次郎
針供養の台に相応しい豆腐。鄙びた行事が偲ばれる。 



 

今回は15句ほどの選句であった。余白を貰って彗星集六月号の反省をしてみる。私の選句した①〈貌鳥や楊貴妃観音抱く山〉につき、貌鳥を郭公と断定したが、この季語には諸説があり、貌鳥を郭公と言い出したのは中西悟堂で、近年の指摘。『三冊子』で言う、貌のいい春の小鳥とした方が、この句の場合はよいのではないか? ②〈武甲嶺の風を加勢に春の山車〉についていえば、私が常日頃、単に春や夏を付けて季語にするのはよくない、と言いながら何故採ったのかと質問を受けた。
① についていえば私の不明とするところで、たしかに見目よき春の鳥とした方が味わいが深まりそうである。俳句には何年やっていても初めて知ることがあり、誤認していることも多い。是非遠慮なく気付いたことを知らせてほしい。それが私の勉強にもなるのである。②については、秩父地方は春祭りが盛んであることが念頭にあり、句全体に待ちに待った春の喜びの気持ちが漲っている力を感じたからである。「春の机」や「春の電車」のように無理矢理「春」をつけた作り方とは明らかに違うのである。

 


 


    













銀河集作品抄

伊藤伊那男・選

春北風に乗りくる木遣御柱       東京   飯田眞理子
剪定す水平線に足を掛け        静岡   唐沢 静男
いつもの顔ことしの桜愛でに行く    群馬   柴山つぐ子
校庭の白線無疵朝桜          東京   杉阪 大和
伏姫桜広げし袖の咲き満つる      東京   武田 花果
万物の点滴として芽吹雨        東京   武田 禪次
水筒の磁石なつかし春の山       愛知   萩原 空木
暮れ泥む浮巣のこゑの雛ならむ     東京   久重 凜子
薇のほどけ初めたる暗みかな      東京   松川 洋酔
たんぽぽや跡たひらかな国分寺     東京   三代川次郎
今昔の湖国や浮巣浮き沈み       埼玉   屋内 松山





   


















綺羅星集作品抄

              伊藤伊那男・選 

石鹸玉光を曲げて膨らめり        東京   飯田 子貢
椅子の背の褪せし古傷卒業期       静岡   五十嵐京子
囀れる森はだんだん大きな楽器      神奈川  大野 里詩
街中が大芝居めく桜どき         東京   大溝 妙子
佐保姫や旅の予約を検索す        東京   小川 夏葉
薬飲むために飯食ふ万愚節        埼玉   小野寺清人
井月の文字のごとくに散る桜       神奈川  こしだまほ
鷹鳩と化す浦上の鐘の中         長崎   坂口 晴子
全集のパラフィンの皺啄木忌       長野   三溝 恵子
浅間嶺は雪筋残す虚子忌かな       東京   新谷 房子
苗札の最後の文字は土の中        東京   武井まゆみ
刷子の字少女と思ふ四月馬鹿       東京   中村 孝哲
チューリップ散るといふより壊れたる   神奈川  谷口いづみ
花散りてより墨東の曇りぐせ       東京   塚本 一夫
屋上へ禰宜を招きて午祭         東京   堀内 清瀬

烏の巣見て見ぬふりで通り過ぐ      東京   相田 惠子
旅人となりて故郷の桜かな        宮城   有賀 稲香
東風吹くや岩の如くに眠る牛       東京   有澤 志峯
畦塗の仕上げに叩く入日の朱       埼玉   伊藤 庄平
御柱立てて神域新たなり         東京   伊藤 政三
横抱きに子を差し入れて花御堂      東京   上田  裕
桜蘂のこり少ない日を想ふ        埼玉   梅沢 フミ
大仏の半眼の先春の闇          東京   大西 酔馬
麦踏の母の消え入る入日かな       埼玉   大野田井蛙
顧問てふ名を負ふ裁議三月尽       東京   大山かげもと
靴底に貼り付く花弁西行忌        神奈川  鏡山千恵子
銘仙のもんぺ昭和の花衣         東京   影山 風子
瀬を下る一重の軽さ紙雛         和歌山  笠原 祐子
常温で溶ける春愁さらし飴        東京   桂  信子
マロニエの花咲くベルギー大使館     東京   我部 敬子
みなみからきたへ浪速の遅日かな     高知   神村むつ代
青き踏むイーゼル据うる処まで      東京   川島秋葉男
善人になりて目覚むる春の夢       長野   北澤 一伯
春愁の溶けゆく早さ忘れ潮        東京   柊原 洋征
吃水は親子の重み浮巣かな        神奈川  久坂依里子
実の大き写真ぶら下げ苗木市       東京   朽木  直
嵐電の向かひの席の花衣         東京   畔柳 海村
花冷えの顔を映して真間の井戸      東京   小林 雅子
また一人来て夕暮の花御堂        千葉   佐々木節子
大津絵のへうたんなまづ万愚節      静岡   澤入 夏帆
花筏入水の川にほぐれゆく        東京   島  織布
曽根崎の天神抜くる春の宵        東京   島谷 高水
春風を回す地球儀子規生家        兵庫   清水佳壽美
風生の桜あいにく曇り空         東京   白濱 武子
山笑ふ明日はさらに笑はんと       大阪   末永理恵子
うかうかとよはひななじふ花の冷     静岡   杉本アツ子
しやぼん玉母の帰りを待つ門に      東京   鈴木てる緒
会へばすぐ知己となりたる花の宴     東京   角 佐穂子
花に会ひ花に別るる旅衣         東京   瀬戸 紀恵
壺焼の肝の海色引き出せり        東京   曽谷 晴子
春宵や六十年をこの夫と         愛媛   高橋アケミ
花に見る遥かな過去とあしたかな     東京   高橋 透水
狛犬へ灯火絡ぐる植木市         東京   多田 悦子
母の忌を花の種蒔くひと日とす      埼玉   多田 美記
四万十の流されさうな浮巣かな      東京   田中 敬子
湯浴みにも駈けて行きたり修二会僧    東京   谷岡 健彦
擂鉢も姉のかたみよ木の芽和       東京   谷川佐和子
人形師からくり繰りて花の舞ふ      愛知   津田  卓
春雷の出入り自在や石舞台        東京   坪井 研治
クレヨンの肌色にある花の冷え      千葉   土井 弘道
ぶらんこを立ち漕ぐ海へ出るやうに    埼玉   戸矢 一斗
人形焼抱へおぼろの町通る        神奈川  中川冬紫子
平城京址かくもあまたの仏の座      大阪   中島 凌雲
松籟に舞ふ羽衣や鳥雲に         東京   中西 恒雄
まだ床に届かぬ足や入学式        東京   中野 智子
庭に余地なけれど覗く植木市       茨城   中村 湖童
開帳を見せむと吾子を肩車        愛知   中村 紘子
入学児お辞儀が揺らすランドセル     東京   西原  舞
汗の顔見て待たされしこと言へず     東京   沼田 有希
潮騒の遠く白魚舟帰る          神奈川  原田さがみ
ゆつくりと握る墨玉春深む        兵庫   播广 義春
ビール飲む乾杯の声ゆるぎなし      福岡   藤井 綋一
鍬の柄に艶蘇へる弥生かな        東京   保谷 政孝
蜆汁後ひととせの宮仕へ         岐阜   堀江 美州
褒めるより先に褒められ花衣       東京   堀切 克洋
花衣鏡のなかに始まりぬ         埼玉   夲庄 康代
旅心くすぐられゐるサングラス      東京   松浦 宗克
春の日を廻す少女の一輪車        東京   松代 展枝
岩礁をうちひく波と青鳩と        東京   宮内 孝子
新緑をとよもす成田千太鼓        千葉   無聞  齋
木蓮と気がつくまでの高さかな      東京   村上 文惠
春逝くは速し去りたる若き日も      東京   村田 郁子
藤房の光の粒となり垂るる        東京   村田 重子
霊峰の裾を燻して野焼かな        千葉   森崎 森平
窓拭きの大きな円弧清明節        東京   森 羽久衣
幸せは待つより探すクローバー      埼玉   森濱 直之
中天に塒あるらむ夕雲雀         愛知   山口 輝久
囀りに母の声かと目覚めたり       東京   山下 美佐
治聾酒てふ大義のもとにうけ重ぬ     群馬   山田  礁
山小屋を幾つも乗せて八ヶ岳笑ふ     東京   山元 正規
弘法寺の滝まだなさず紅枝垂       千葉   吉沢美佐枝
からくりの寄木細工や春の山       神奈川  吉田千絵子
鶯と日がな一日畑にゐる         愛媛   脇  行雲
藤の花菅家の遺誡長長し         東京   渡辺 花穂











     







銀河集・綺羅星今月の秀句

伊藤伊那男

校庭の白線無疵朝桜            杉阪 大和 
多分春の運動会か何かの行事当日の早朝である。朝桜の季語に合わせた「白線無疵」に引き締まった清浄な空気が伝わってくる。一点の汚れもないのである。西村和子に〈運動会午後へ白線引き直す〉の名作があるが、対を成すような佳句である。 

 

水筒の磁石なつかし春の山         萩原 空木   
私の子供の頃その水筒が流行していた。アルミ製の水筒のキャップの上に磁石が嵌め込まれているのである。私の故郷など四方を山に囲まれているので磁石など無くても東西南北は明瞭なのだが、何度も確認したものである。一斉に芽吹く春の山を配して充足感がある。 

  

今昔の湖国や浮巣浮き沈み         屋内 松山
この湖国は近江、鳰の海であろう。大陸ともまた国内とも交通の要であった近江は数多の歴史を有する。到るところ史跡である。英雄達の興亡も激しかった。そこを「浮巣の浮き沈み」と重ねて捉えたところが出色である。浮巣は葦の茎に緩く結ばれており、水位に合わせて上下するようだ。目の前の実景と心の中の歴史への思いが融合したのである。 

  

屋上へ禰宜を招きて午祭          堀内 清瀬  
江戸には伊勢商人と稲荷と犬の糞が多いという狸言があった。今日ビル街に変った東京だが、稲荷社だけは撤去すると祟りがあるとして屋上に祀り上げていることが多い。稲荷社はそれほど減っていないのである。午祭には禰宜を屋上へ招く・・・これが今日の風景である。よい所へ目配りがあった!と感心の一句。  

   

刷子の字少女と思ふ四月馬鹿        中村 孝哲
「brush」を日本語にして「刷子」と書いた。もはや読めない人も多いと思う。この句は「刷子」の字を見て、はて女性の名前かな?と首を捻ったというのである。「四月馬鹿」を配して楽しい句に仕立てたのである。 

 

チューリップ散るといふより壊れたる    谷口いづみ
チューリップの花の特徴をしっかり捉えた句である。チューリップでしか成立しないのである。この花の散り様は無惨で六弁の一片がポトリと落ちて次々に続く。まさに壊れたように散るのである。「壊れたる」の断言を称える。 

 

浅間嶺は雪筋残す虚子忌かな        新谷 房子 
高浜虚子の忌は四月八日、釈迦の誕生日と同日である。浅間山には雪が残っているのだが、この山の特徴として縦縞が幾本も走っている。そこがこの句の眼目。浅間山の反対側の小諸には戦時中虚子が疎開をしており、だからこそこの固有名詞が揺るがないのである。 

  

全集のパラフィンの皺啄木忌        三溝 恵子
今も句集などで時々見掛けるが、パラフィン紙で巻いた本が箱に入っていたものである。時を経て、啄木忌にふとその歌集を本棚から取り出してみたのであろう。やや古びたパラフィン紙の隅には皺が寄っていたという。そのことで読み込んでいた愛蔵本であることが解るのである。「パラフィンの皺」への着眼が見事な写生句で、名詞だけで詠み切って、つまり自分の思いを「物」だけの提示で抑えて、心地良い抒情を醸し出した佳作である。 

 

 井月の文字のごとくに散る桜       こしだまほ  
井月の書技については芥川龍之介が「神技である」と感嘆したという。芭蕉の書体に似た崩し字である。さて散る桜を見て、その様子が井月の書体のようだという。この発想が特異な発見である。井月がこのように自然に詠まれ始めていることが嬉しい。 

  

街中が大芝居めく桜どき          大溝 妙子
本当に日本人は桜が好きなのだなと思う。皆がこの時期になると、そわそわしているのである。「大芝居めく」の把握はなかなか思い付くものではない。桜好きな日本人の特質を大きく掴み取って記憶に残る句となった。 
 
その他印象深かった句を次に
  
佐保姫や旅の予約を検索す         小川 夏葉
石鹸玉光を曲げて膨らめり         飯田 子貢
椅子の背の褪せし古傷卒業期        五十嵐京子
囀れる森はだんだん大きな楽器       大野 里詩
薬飲むために飯食ふ万愚節         小野寺清人
瀬を下る一重の軽さ紙雛          笠原 祐子
鷹鳩と化す浦上の鐘の中          坂口 晴子
苗札の最後の文字は土の中         武井まゆみ
花散りてより墨東の曇りぐせ        塚本 一夫
庭に余地なけれど覗く植木市        中村 湖童











                 
    
   

 
 



 



星雲集作品抄


             伊藤伊那男・選

しやぼん玉稀に二個付くままに飛ぶ   東京    小山 蓮子
箱根路を越ゆれば雨の実朝忌      埼玉    渡辺 志水
ひばり鳴く音符を散らしゐる如く    埼玉    中村 宗男
唐紙の雲母ふくらめる春の宵      東京    橋野 幸洋
一陣の風の見せたる浮巣かな      東京    半田けい子
吊橋を揺籃ほどに桜東風        長野    髙橋 初風
草萌のまだ雑草と決めかぬる      神奈川   水木 浩生
隠れんぼしたまま帰る春夕焼      埼玉    秋津  結
行く雲のとどまるところ春の山     埼玉    池田 桐人
我といふ影一つ置く春日差       東京    大沼まり子
熊汁の椀に残れる鉛玉         宮城    小田島 渚
御柱通りし後の凹みかな        東京    梶山かおり
遠足の旗を掲げて本丸へ        神奈川   上條 雅代
朝寝して未完の夢は置き去りに     和歌山   熊取美智子
春コート御苑の券の出て来たる     東京    小泉 良子
廃村の墓標となりし辛夷かな      神奈川   有賀  理
鞦韆や鉄気の匂ふ掌          東京    生田  武
筍の皮に値段の書かれをり       神奈川   河村  啓
ぐるり百八十度なる桜かな       東京    島谷  操
植木市根巻の藁に水を打ち       埼玉    志村  昌
俎板にたたき青柳起こしをり      東京    鈴木 淳子
海鼠食ふ浮世の不思議噛みしめて    東京    手嶋 惠子
春炬燵村会議員の選挙らし       長野    馬場みち子
読みさしに心を置きて西行忌      神奈川   松村 郁子

嵐電の花散らさじとくぐり抜く     東京    秋田 正美
笹舟を一気に流す春の水        神奈川   秋元 孝之
蜂蜜の固まつてゐる花の冷       東京    浅見 雅江
一つひとつ振つて選みし種袋      愛知    穴田ひろし
教科書の表紙新し花辛夷        東京    荒井 郁子
このあたり古代官道桜狩        愛媛    安藤 政隆
逃水や己が姿を見る如し        東京    井川 敏夫
連なれば色の重なる鯉幟        群馬    伊藤 菅乃
青鷺や闇を濡らして飛び立ちぬ     神奈川   伊東  岬
瀬音近く山盧の裏の菫かな       東京    今井  麦
開山忌稚児の列追ふ胡蝶かな      埼玉    今村 昌史
長閑さや鳥影を追ふ島の猫       神奈川   上村健太郎
ぶらんこや押して止めてと果てしなく  シンガポール 榎本 陽子
日蝕のごとく翳りぬ大野焼       埼玉    大木 邦絵
子の部屋の一つ空きたる弥生かな    埼玉    大澤 静子
浅間より湧き水流れ花わさび      群馬    岡村妃呂子
ふる里の寺は無住に彼岸入       神奈川   小坂 誠子
しづかさの横川路に入る暮春かな    京都    小沢 銈三
父母の終ひ供養や鳥帰る        埼玉    小野 岩雄
春の燈に思ひの丈のままならず     静岡    小野 無道
あめつちを匂ひたたする穀雨かな    静岡    金井 硯児
春雷の余韻に浸る内湯かな       東京    亀田 正則
陽炎を負うて駈け来る児をまてり    長野    唐沢 冬朱
春の昼揺るる電車に魂離る       東京    菊地日髙見
笹路の朝の雫に小瑠璃鳴く       愛知    北浦 正弘
延命の支柱数多や老桜         神奈川   北爪 鳥閑
歳重ね拝む長さの彼岸かな       東京    絹田 辰雄
石けんの匂ひするなり日向ぼこ     群馬    黒岩 清女
風呂帰り乾かぬ髪に桜東風       愛知    黒岩 宏行     
おんおんと海峡鳴かせ涅槃西風     東京    黒田イツ子
鼈甲の母の形見や花映る        群馬    小林 尊子
旅衣花いろとなる花の下        東京    斉藤 君子
春袷妻は少女のごとくあり       神奈川   阪井 忠太
花冷や酒蔵の錠錆びにけり       東京    佐々木終吉
ほほゑめる父の写真の春埃       群馬    佐藤 栄子
夕暮に溶け込んでゆく桜かな      群馬    佐藤かずえ
キャベツ植う土黒々と光りをり     群馬    佐藤さゆり
発破音絶えし()甲山(こう)や鳥帰る      東京    須﨑 武雄
行く春や浜の苫屋に網の山       神奈川   鈴木 照明
雨上がり春椎茸に力瘤         群馬    鈴木踏青子
ペンキ屋のペンキまみれや風光る    愛知    住山 春人
春の旅一期一会の仏たち        埼玉    園部 恵夏
春の宵ひとり歩きといふもよし     東京    田岡美也子
聞く筈もなき夫の声花吹雪       福島    髙橋 双葉
ペダル踏む並木通りや背にさくら    埼玉    武井 康弘
捺印の書類の嵩よ亀鳴けり       東京    竹内 洋平
辛夷咲く空見えぬ程満開に       広島    竹本 治美
近づけばうるさきほどの揚雲雀     三重    竹本 吉弘
見上ぐればふと柔らかき柳の芽     東京    田中 寿徳
朝寝して三文払ふ夢の中        東京    田中  道
春昼や遅れがちなる路線バス      神奈川   多丸 朝子
たてよこの縁の切れ目卒業歌      東京    辻  隆夫
砂抜きの足らぬ馬鹿貝ばかり喰む    東京    辻本 芙紗
日曜は早めの夕餉春夕焼        東京    豊田 知子
空砲の低き谺や富士焼野        千葉    長井  哲
散り際の桜見事に金婚式        神奈川   長濱 泰子
薫風も共に活けたり華道展       東京    長谷川千何子
鞦韆や職退きもはや十余年       神奈川   萩野 清司
若鮎の驚きやすき尾鰭かな       埼玉    萩原 陽里
境内の奥に闇あり春燈         神奈川   花上 佐都
笑みに笑み声には声を青き踏む     東京    福永 新祇
生けるものみな集ひ合ふ花万朶     東京    福原 紀子
胸元に幼子眠る午後長閑        愛知    星野かづよ
潜きては浮巣の手入れ鳰        東京    星野 淑子
花冷の真間の継橋十歩ほど       東京    牧野 睦子
騒がしき世の中なれど蜆汁       愛知    松下美代子
黒谷へ急ぐ坂道鐘朧          京都    三井 康有
黒猫の闇に融け合ふ朧かな       東京    宮﨑晋之介
巣立ち鳥寂とわらしべ残しをり     東京    宮田 絹枝
花冷えの朝に固めのゆで卵       神奈川   宮本起代子
手の平の硬く老いたり啄木忌      長野    守屋  明
古の皇子のごとくに若菜摘む      東京    八木 八龍
揚羽蝶そらの深みへ沈みゆく      東京    家治 祥夫
もの言うて風向き変はる四月馬鹿    群馬    山﨑ちづ子
春眠や夢の続きは昼餉後に       静岡    山室 樹一
暫くは忙しなき日々蝌蚪の池      神奈川   渡辺 憲二
母親のどこかつかまり入園児      東京    渡辺 誠子
しんがりはまろびつ走る巣立鳥     東京    渡辺 文子














     





星雲集 今月の秀句

伊藤伊那男
    

しやぼん玉稀に二個付くままに飛ぶ     小山 蓮子
しゃぼん玉の句は沢山見てきたし、自分でも何度も作ってきたけれど、こういう句を見ると、まだまだ作る余地はあるのだな、と思う。やはり写生の目の確かさである。無心な目の強さである。今はほとんど目にしなくなったが、鶏卵を割ってみて黄身が二つ入っていた時のような、ほのかな感動を覚えた。ささやかな発見である。「稀に」などという措辞の斡旋には余裕とユーモアも感じられるのである。同時出句の〈しやぼん玉空色になり空に消ゆ〉は抒情のよろしさ。 


箱根路を越ゆれば雨の実朝忌        渡辺 志水
実朝忌は陰暦一月二十七日。享年二七歳であった。北条氏の覇権が絡む複雑な政治状勢に嫌気がさして和歌の道に邁進したのではなかったか。箱根は実朝の和歌のエリアである。峻険なこの山の気象の変化を詠んで実朝の人生をも浮かび上らせる秀逸で調べの美しい句となった。 
ひばり鳴く音符を散らしゐる如く      中村 宗男
 「音符を散らしゐる如く」―¬―いかにも雲雀である。雲雀でしか使えない表現である。「散らす」に雲雀の鳴く空の高さが解る。そして‥‥美空ひばりという歌手のことにまで想像が及ぶのである。同時出句の〈つま立ちの小さきかかとや春の虹〉もうまい。「かかと」という微細なところへの目配りが非凡である。「春の虹」だからこその「つま立ち」である
 
唐紙の雲母ふくらめる春の宵        橋野 幸洋
「雲母」を「きら」と読む。京都の一条下り松あたりから比叡山へ通じる道を「雲母坂」(きらら坂)と呼ぶことでその読み方を知った。この句は襖の紙に散らせた雲母の粉末が「ふくらめる」ように見えたという。それは「春の宵」に発する気分である。句全体に「おぼろ」がかった、仕上りの典雅な句となった。
 
草萌のまだ雑草と決めかぬる        水木 浩生
庭に生えた草々の芽を毟っていて、さて、この芽は雑草であるのか、名のある草であるのか、と抜くのに迷う。もう少し育つのを待って、はっきりしてから決めよう、と思う。そんな庭の瑣事が句になるところが俳句の面白さである。同時出句の〈花まだき鞄に入れる山家集〉も「山家集」が動かない。桜の咲く前から西行を慕うのである。 

隠れんぼしたまま帰る春夕焼        秋津  結
子供の頃を思い出す句だ。その頃の遊びはほとんど野外であった。至る所に子供がいたものだ。遊びの途中で夕飯に呼ばれて帰ってしまう子供もいる。淡々とした「春夕焼」を配したところに郷愁が募る。同時出句の〈百済仏に会ひにゆく道きぎす鳴く〉は季語の斡旋の効いた句である。その鋭声が聞こえてくるようで、句を引き締めている。
 
御柱通りし後の凹みかな          梶山かおり
読後、おかしさが込み上げてくる句である。それはそうだろうと思うし、いやいや驚くような凹みなんだろうなとも思う。つまり平凡なようでもあり、新鮮な発見のようでもあり……。先日私も下社の木落坂を実見し、また寝かされている八本の柱をしげしげと見たが、この凹みは深い実感なのだと思う。実感に発した俳諧味である。同時出句の〈野遊びを取り巻くやうに摩天楼〉も都会を詠んで秀逸。

筍の皮に値段の書かれをり         河村  啓
確かにこんな売り方もある。散策の途中の農家の庭先などの筍か。マジックインキで直接書きなぐってある。こういうことが句に成ることが嬉しい。ありのままのことを伝えるのが一番強いのである。眼力の確かさが支えである。
 
海鼠食ふ浮世の不思議嚙みしめて      手嶋 惠子
海鼠は不思議である。〈尾頭のこころもとなき海鼠かな 去来〉の通り奇妙な生き物。海鼠も不思議だけれど、この世のことも不思議なことばかり‥‥。そんな感慨である。 

 

春炬燵村会議員の選挙らし         馬場みち子
いかにも村会議員の選挙である。春炬燵を囲んであれこれと語り合う。出がらしのお茶と漬物などが出ているのであろう。実に珍しい題材を思い付いたものだ。「春炬燵」の取合せで村の様子までが鮮明になったのである。 
 その他印象深かった句を次に。
俎板にたたき青柳起こしをり        鈴木 淳子
植木市根巻の藁に水を打ち         志村  昌
ぐるり百八十度なる桜かな         島谷  操
読みさしに心を置きて西行忌        松村 郁子
鞦韆や鉄気の匂ふ掌            生田  武
廃村の墓標となりし辛夷かな        有賀  理
小綬鶏や今朝の味噌汁一寸濃い       萩原 陽里
















        

新連載 伊那男俳句  



伊那男俳句 自句自解(7)
          
  武甲嶺を指さしてゐる春著の子


 昭和の終る頃、正月3日は盤水先生を囲んで秩父吟行をするのが習わしであった。行先はほぼ決っていて秩父神社に詣でたあと11番札所常楽寺を訪ねる。日頃はこれといって目立つものもない寺だが、3日は元三大師で賑わっている。本堂では経典の転読の声が響き、薬缶に沸かした甘酒が振舞われるのだが、実にうまい。また祈願札を付けた笹竹も無料で配られるのである。帰りは住宅地を巡るとたいていどこかで獅子舞の巡回と会うことができた。先生は獅子の口に千円札の祝儀を咥えさせて御満悦であった。そのあと料理店に上り、猪鍋などを囲んで初句会を開いた。少人数で先生を囲んでの会は今から思えば貴重な経験であった。私はこれをきっかけに秩父が好きになり、以来しばしばこの地を吟行することになる。独得の歴史、山襞に囲まれた農村風景、祭の数々、札所・・・。
 掲出句はレッドアロー号を降りたった西武秩父駅のプラットホームの一景である。

  
筒切りの鯉肥えてをり蔦紅葉


 私の育った頃の伊那谷では魚店といっても生の海の魚は無く、生魚といえば水槽で泳いでいる鯉であった。仕入れて泥を吐かせているのである。買うときは丸々一匹を潰してもらう。鯉は鰓の下の鱗の何枚目かの辺りに苦玉と呼ぶ胆嚢があり、これを取り出してから鱗も内臓もそのままに筒切りにする。これを味噌汁にしたのが「鯉濃」。醤油で煮たものが甘露煮である。今はどうなのか知らないが、親戚や友人の結婚式に出席する機会の多かった昭和五十年代の伊那谷の披露宴でのメインディッシュはどこも鯉の甘露煮であった。当時鯉は最大の馳走であったのだ。私は内臓が好きである。上質の鯉は火を通すと肉も内臓もむっちりと盛り上る。秋から冬にかけてが最も脂が乗る。掲出句はそんな季節の到来を詠んだものである。妻が妊娠したとき、ともかく滋養がつくのは鯉だから食べさせろ、と言われたが、東京の魚屋で生きた鯉などを見付けることは無理なことであった。











  
  
   


 



銀漢の絵はがき


挿絵が絵葉書になりました。
Aシリーズ 8枚組・Bシリーズ8枚組
8枚一組 1,000円

ごあいさつにご利用下さい。


    
       


   
            











掲示板














 




鳥の歳時記


     



青鳩











老鶯













             
 
  







銀漢亭日録

伊藤伊那男

4月

4月4日(月)
広渡敬雄さん、銀行時代の仲間で6人。発行所「かさゝぎ俳句勉強会」あと13人。22時半、閉めて「大金星」。店長の井上さんと日本酒の話など。

4月5日(火)
店、佐藤文香さん、小学館から出版の新著『俳句と遊べ』を持って来てくださる。中に〈俳句に興味のある成人の方は神保町の居酒屋「銀漢亭」に行ってみては。マスターが伊藤伊那男さんで、店の奥で句会が行われていることも……〉の記載あり。対馬康子さん。あと文弘さんなど。カウンター賑わう。文弘さんより、いわき「丸市屋」の魚貝類の乾物セットいただく。盤水先生がよく土産に使ったものと。

4月6日(水)
店、「きさらぎ句会」あと9人。てる緒さん復帰。「宙句会」あと11人、などなど。帰宅したら桃子も丁度同窓会から戻ったところで、四方山話で少し飲む。

4月7日(木)
「十六夜句会」あと10人。

4月8日(金)
毎日新聞・城島徹さん。駒ヶ根出身の共同通信社論説委員の伊藤祐三さんと。伊藤さん、小中高の私の後輩。駒ヶ根応援団でもある。漫画家の本間康司さんと3人。九州大学のOB俳句会の方々、句会あととて8名程で寄って下さる。

4月9日(土)
成城仲間から京洛西の朝掘り筍四本到来。錦市場「かね松」の特上品。食べないからと廻ってきたもの。処理が面倒だからかもしれない……。宮澤のゴルフコースイーグル賞の筍も。下拵えをし、出汁も取って、あとは娘に任せて麹町区民館へ。「銀漢本部句会」51人。あと中華料理店にて親睦会。家、杏一家来ていて、筍パーティー。若布と炊き合わせたものを贈り主に届けたと。

4月10日(日
筍ごはん、筍の穂の汁などの朝食。終日家。エッセイ書きなど。夜、家族揃い、筍と若布炊き合わせ。筍ご飯。明日葉のおひたし、トンカツなど。

4月11日(月)
発行所校正、編集会議。「月の匣」水内慶太氏と編集委員の方々。閑散。敦子、小石さんと「大金星」。

4月12日(火)
「火の会」私を入れて9人。他、閑散。

4月13日(水)
9時45分予約で、先日の健康診断の結果を聞く。血糖値やや高く、甘い菓子禁止。塩分も控えて、運動を! と。胃カメラ、大腸カメラも勧められて検査予約。この際調べます。「梶の葉句会」選句、14人。店、てる緒さんがバニラを連れて来店。2年前、鈴木家に移籍したヨークシャテリア。店暇だったので4時間ほど遊んでいたか。ローストポークと人参の食事きれいに食べて帰る。

4月14日(木)
週末の行事用に娘2人から頼まれて、ローストポーク、鮑酒蒸しなど仕込み。店、松代展枝さん誕生日にて聞きつけた有志集まり、カウンター賑わう。他は閑散。熊本で地震発生。亮介君、水疱瘡。華子のヘルペスが移った模様。

4月15日(金)
井上弘美さんから到来の句日記『顔見世』を開くと銀漢亭が2回顔見せ。〈なかんづく銀漢亭の瓜膾〉(6月28日)〈蔵本を銀漢亭に新走り〉(9月27日)。武田禪次句集『留守詣』出来上がる。店、藤森荘吉さんの「閏句会」7人。

4月16日(土)
京都の和田ちゃんより京の筍到来。湯がいて送ってくれる。家族は学校仲間の国領別宅の竹林の筍パーティーへ。私は次女の三男の1歳誕生会へ、高井戸。鮑の酒蒸しなどを土産。そのあと18時、日暮里本行寺の「月の匣」創刊6周年の記念祝賀会に山田真砂年さん他とゲストで。あと西日暮里のカラオケスナックで二次会。2曲歌ってしまう。岐阜の若山さん鶴岡の小萩さんなど久々。

4月18日(月)
「演劇人句会」8人。「天為」「秋」の青柳飛さん、米国から2週間帰国。飛さんはアメリカ俳人協会の会長に就任。小川洋、宗一郎、小石さん他、「天為」の方が駆けつける。龍正君に水疱瘡飛び火。

4月19日(火)
予約客の少ない日。18時半、北辰社の決算打ち合わせ発行所で。店閑散。洋酔さん。22時閉める。

4月20日(水)
「三水会」4人と淋しい。青柳飛さん、前米国俳人協会会長リー・ガーガさん、ジャパンタイムズの前選者デービット・バーレさんと。武田花果さんも加わって下さる。

4月21日(木)
太田うさぎさんアルバイトに入ってもらう。割烹着と白いゴム長のコスチューム。「銀漢句会」あと20人。長崎の坂口晴子さん参加。

4月22日(金)
「金星句会」あと5人。明日、伊豆行きにて21時半閉める。

4月23日(土)
「伊豆吟行会」。踊り子号にて伊豆高原駅。40名。大室山、城ヶ崎海岸。泊まりは熱川温泉「ホテルカターラ」。私には露天風呂付きの部屋を用意してくれる。部屋で二次会。

4月25日(月)
二日酔い、気持ち悪くて起床。14時、文化放送「ゴールデンラジオ」の私を取り上げてくれたコーナー「ザ・ゴールデンヒストリー」を聞く。何やら気恥ずかしく。店閑散。22時閉める。

4月26日(火)
12時から三越劇場にて映画「うみやまあひだ」の上映と宮澤と伊集院静さんのトークショー。坂口晴子、半田けい子、松代展枝さん、伊那北高校の先輩など来て下さる。鉄の芸術家クマさんの奥様と挨拶。戻って「萩句会」選句。店、山崎祐子、土肥あき子、杉阪大和さん。閑散。22時閉めて1人「大金星」で小酌。

4月27日(水)
「雛句会」12人。堀切君、フランス留学時の友人と。日下野由季さんなども。青柳飛さんと「天為」の方々。久々繁忙。22時閉めて「ふくの鳥」で飛さんを囲む。

4月29日(金)
6月号の選句稿は、昨日手渡し、郵送したものの、選評、添削などは出来ず、資料と原稿用紙を持って11時の特急あずさに乗る。3日間ほど信州へ。快晴。新緑の山々が鮮烈。甲斐駒、八ヶ岳は山頂に雪を残す。小淵沢にはまだ桜が!従兄の家に着くと次のもので酒盛り。煮いかと胡瓜の酒粕和え、帆立貝の紐の煮付け、干し椎茸の含め煮、筍と身欠き鰊と山椒の葉の煮物、独活と若布の酢物、わらび、こごめのおひたし、するめと数の子の麹漬け、キャベツと塩いか……ああ、信州である。
あと、「焼鳥ママ」。吉川雅治、田中昇さん来てくれる。あと毎日新聞の城島さんに教えてもらったニッカバー「河」を訪ね、小田切さんに挨拶。もうすぐ開店50年になるという。この小さな町でウイスキーを売って半世紀は凄い! いい顔である。生家跡を訪ねてみる。今は遠い親戚が済む。酒が廻って食欲中枢が麻痺したのかファミレスでハンバーグライス食べてしまう。ホテル「プレモント」泊。カップラーメンを食べようとお湯を沸かしたところで寝てしまう。食べなくて良かった!

4月30日(土)
8時起床。快晴。タクシーで産土神の大御食神社(通称美女ヶ森)を参拝。従兄弟の家にて朝食。伊那まで送ってもらう。喫茶店「門」にて添削教室を書く。13時半、伊那市駅に井蛙さん迎えに来て貰い仲仙寺へ。見事な山寺で、南アルプスの眺望絶佳。美すずの大野田さんの家で夕食。酒盛り。22時就寝。

5月

5月1日(日)
6時起床。原稿少々。朝食。登山の昼食用意。天気良好。9時、杖突峠近くの登山口に武田さん他7人と合流。諏訪の神居山・守屋山登拝。往復4時間。新緑が眩しい。あと前宮、神長官守矢史料館、本宮を巡る。建御柱前の熱気が籠る。御柱の穴を掘っている。宿は「かんぽの宿諏訪」。眺望絶佳。登った守屋山も見える。諏訪の神々の話に盛り上がる一夜。

5月2日(月)
5時起床。温泉。5時半発。春宮、秋宮、木落し坂を巡る。木落し坂の急角度を上下から見て絶句。寝かされている八本の柱も見る。宿に戻って朝食。部屋にて3句出しの句会。家の予定あり、あずさにて帰宅。


















           
△『漂白の俳人・井上井月』伊藤伊那男著
          
  
    






今月の季節の写真/花の歳時記



2016年7月20日撮影    山百合  TOKYO/HACHIOJ




花言葉    「威厳」「甘美」
    
△山百合
英語では「golden-rayed lily(黄金の舌状花のあるユリ)」と呼ばれ、
歴史を紐解くと、江戸時代の末期の外国人居留地があった横浜などで、
日本特産のヤマユリは外国人に大変気に入られていたことが文献に。ヤマユリは愛知県にある鳳来寺山に自生するところから鳳来寺百合とも呼ばれているとか・・。

写真は4~5日間隔で掲載しています。 

2016/7/22
更新


HOME

漢亭日録