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 9月号  2021年


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銀漢季語別俳句集


伊藤伊那男作品


主宰の8句












        
             

             
             

    

今月の目次








銀漢俳句会/2021/9月号













  





   



銀漢の俳句 

伊藤伊那男 


銀漢の俳句
◎河合曾良の謎⑶

 先月号で紹介した乾佐知子さんのことである。先祖の地は信州諏訪で旧姓は河西(かさい)。河西といえば先月略歴で紹介したが、曾良は高野家で生まれたあと二軒隣の母の実家である河西(かわにし)家で四歳まで過ごした、とある。河西を「かさい」と読むか、「かわにし」と読むかの違いであるが、乾さんの河西家が何かの事情で江戸に出たときに「かさい」と読み方を変えた可能性は十分にある。というのは乾さんの先祖の墓は諏訪の正願寺だといわれており、曾良の墓も同寺にあるからである。乾さんはそのような因縁から曾良に興味を抱き、手探りで曾良に纏わる謎を繙き始めたのである。以来十年以上連載を続け、今年一応の完結をみた。曾良について書き残されたものを丹念に集め、分析し、再構築をしていく。そうした作業の中から見えなかったものが見えてくるのである。三百年以上前のことなので新しい発見があるわけではなく、断定できる証拠があるわけではないが、状況証拠の蓄積によって、出自や職業など全体像が浮かび上がってくるのである。
 実は私は、松尾芭蕉について藤堂新七郎家の只の家臣ではなく藤堂家の血縁に繋がる人ではないかと思っているのである。もちろん証拠があるわけではないが、芭蕉の行跡を辿ると、芭蕉が藤堂家と血縁があったと考える方が納得のいく事例が沢山あるからである。
 芭蕉と曾良の謎のうち解り易い例を挙げてみる。
『おくのほそ道』の日光東照宮の段である。芭蕉は〈あらたふと青葉若葉の日の光〉の句を残し「御山に詣拝す。……(はばかり)多くて筆をさし置きぬ」と言葉を濁している。一方『曾良日記』を見ると「……日光ヘ着。雨止。清水寺ノ書、養源院ヘ届。大楽院ヘ使僧ヲ被(●「レ」点を入れる)添。折節大楽院客有(●「レ」点を入れる)之、未ノ下刻迄待チ御宮拝見」とある。解説をすると、浅草の清水寺(せいすいじ)からの密書を、水戸藩管轄の養源院に届けた。そこの僧の案内で東照宮の社務所である大楽院を訪ねる。東照宮改修に伴う絵師の調査団が入っていたので、済むのを待った上で東照宮を参拝した、というものである。幕府の基礎が固まりつつあるとはいえ、まだまだ藩の取りつぶしのあった時代である。一介の俳諧師が物見遊山で訪ねてきて、はいそうですかと神君家康公の墓所にお参りできる時代ではないのである。何らかの使命を持って、了解のもとに訪ねたのである。このように芭蕉と曾良の旅はいくつもの謎に包まれているのである。その根底に何があるのか。
 次回はそこに深入りしてみたいと思っている。













 



  

盤水俳句・今月の一句

伊藤伊那男  

海猫帰る空と海とに声残し            皆川 盤水


海猫は「ごめ」ともいわれ、各々の越冬地から繁殖地へ飛来する。これを「海猫渡る」といい、子育ての終わる秋に帰る。これを「海猫帰る」という。青森県八戸市の蕪島が一大繁殖地である。番の縄張は七〇㎝四方ほどで、それを越えると隣の番の容赦ない攻撃を受ける。過酷な掟である。育った雛を伴って各地へ帰っていく。「空と海とに声残し」は自然への挨拶のように思われてくる。同時作に〈海猫帰る宙に礁の波しぶき〉がある。 (昭和六十三年作『随處』所収)


 





 


  

彗星集作品抄
  伊藤伊那男・選

反芻の牛の重みの夏野かな            有賀  理
東京市神田区出生初鰹              畔柳 海村
涼しさは波の伊八の波の揺れ           森崎 森平
蚊遣焚く化物どもの楽屋でも           谷岡 健彦
あぢさゐと書けばインクの滲みさう        深津  博
プリン消え騒ぎのもとの冷蔵庫          鈴木てる緒
昨夜よりの雨の重さの天幕巻く          多田 悦子
岩礁の幣に一礼鮑海女              山元 正規
香水を吹きて閑居を紛らはす           山口 輝久
少年と同じ匂の夏野かな             山口 一滴
軽鳬の子の前のめりして付いてゆく        島  織布
南座の匂袋を土産とす              中野 智子
一炊の夢にとどかぬ三尺寝            伊藤 政三
払暁の眠りに満ち干時鳥             有賀  理
短夜のはず当直の長きこと            森 羽久衣
奈良町は鐘の余韻に水を打つ           中島 凌雲
頃合をはかる夜店の叩き売り           加藤 且之
枕経終へてはじまる蛙の夜            北澤 一伯















    
     

彗星集 選評 伊藤伊那男

伊藤伊那男・選

 反芻の牛の重みの夏野かな         有賀  理
放牧もしている夏野である。そこに貫録十分の牛を配したのである。画竜点睛という言葉がある。中国の故事で、壁画に白竜を描き、その睛(ひとみ)を書きこんだところたちまち白竜は天に上ったという。物事の眼目、最後の仕上げを言うのだが、俳句にも通じるものがある。この句では「牛の重み」が点睛である。「牛の重み」を点じて一句が成ったのである。そして「反芻」の措辞が駘蕩たる俳味を醸し出す効果を出している。盤石たる夏野である。 
 
 東京市神田区出生初鰹           畔柳 海村
 東京市が東京都に変わったのは昭和十八年。つまり句の主人公が生まれたのはそれ以前。ということは年令は七十八歳より上、ということになる。江戸っ子といえば神田、江戸っ子といえば初鰹ということになる。江戸っ子気質というのか見栄というのか、とにかく初鰹に大金を投じたのである。これも一種の文化である。それにしてもこの句、全部漢字で仕立てて寸分の狂いも無い。見事である。
 
 涼しさは波の伊八の波の揺れ        森崎 森平
武志伊八郎信由は宝暦二年安房鴨川に生まれた彫刻師。別名「波の伊八」といわれ多くの波模様を彫り評判が高かったという。作者は伊八の彫刻を目にして、その躍動感に涼しさを感じたのである。「涼しさは」という上五の打出しがうまく「波」の字の繰り返しも涼しさを演出している。 
  
 蚊遣焚く化物どもの楽屋でも        谷岡 健彦
お化け屋敷の一場面であろう。出番を待つお化けの楽屋にも蚊遣火が焚かれている。お化けが蚊に弱い、というところが句の面白さである。お化けも人の子である。「化物ども」と切り捨てたような言い方に効果があった。

 あぢさゐと書けばインクの滲みさう     深津  博
紫陽花は梅雨時の花なので、雨を配して詠まれることが多く、類想の山が生じる。そうした中で、この句は「インクの滲みさう」という類例のない比喩を用いたのが手柄である。「あじさゐが見頃です」などと手紙を書き出した途端、万年筆の青いインクが滲みそうになる、という。もう一度言うが、雨という言葉を使わずに雨と湿気を十分に感じさせる素晴しい句であった。 

 プリン消え騒ぎのもとの冷蔵庫       鈴木てる緒
 よく解る。度々私が張本人として摘発された経験を持つ。

 昨夜よりの雨の重さの天幕(てんと)巻く       多田 悦子
 一昔前のテントはこうであった。仕舞うのも重労働。

岩礁の幣に一礼鮑海女            山元 正規
八百万神の国である。自然への礼節がいい。

香水を吹きて閑居を紛らはす         山口 輝久
外出もままならない昨今、部屋に香水を吹いてみる。 

少年と同じ匂の夏野かな           山口 一滴
共に溌剌とした匂ということか。老人なら枯野か? 

軽鳬の子の前のめりして付いてゆく      島  織布
軽鳬の子の移動は風物誌になるほど。前のめりがいい。 

南座の匂袋を土産とす            中野 智子
京都南座の歌舞伎帰りか。和服の世界が生きている。 

一炊の夢にとどかぬ三尺寝          伊藤 政三
 邯鄲の夢にはとどかない、慌ただしい真夏の三尺寝だ。

払暁の眠りに満ち干時鳥           有賀  理
  眠りの深浅。短夜の明け方、時鳥に起こされる。

短夜のはず当直の長きこと          森 羽久衣
短夜とはいえ当直とあれば緊張感から長く感じられる。

奈良町は鐘の余韻に水を打つ         中島 凌雲
 夕暮を知らせる鐘か。余熱を鎮めるために水を打つ。 

頃合をはかる夜店の叩き売り         加藤 且之
値下げも頃合が大事、人出と時間を読んで始まる。 

枕経終へてはじまる蛙の夜          北澤 一伯
通夜か納棺か。僧が帰ったあとは蛙の合唱が始まる。 









 
 











銀河集作品抄


伊藤伊那男・選


奥嶺より寄する雨雲代田掻      東京  飯田眞理子
路地を出て路地に迷ひぬ傘雨の忌   静岡  唐沢 静男
父の日のぱぱと呼ばるる吾が子かな  群馬  柴山つぐ子
更衣着痩せし母のなほ細く      東京  杉阪 大和
詫状に添ふる重さや水羊羹      東京  武田 禪次
山寺の鐘楼古りて蟻地獄        東京  武田 花果
万緑の中一光の瑠璃薬師       埼玉  多田 美記
夏シャツも着崩すことのできぬ父   東京  谷岡 健彦
残しある葉のよく匂ふ柏餅      神奈川 谷口いづみ
尊徳の像はいづくへ麦の秋      長野  萩原 空木
ひとひはじまる蚊遣火の灰捨てて   パリ  堀切 克洋
太鼓橋より天神の藤の昼       東京  松川 洋酔
多摩川の風の明るし袋掛       東京  三代川次郎





   











         





綺羅星集作品抄

伊藤伊那男・選

無色透明にして香水の底力        東京  宮内 孝子
抱く猫も梅雨の重みといふべしや     大阪  西田 鏡子
植ゑし木の緑陰なすを黄泉に待たむ    埼玉  志村  昌
描く間に増したる気品白牡丹       長野  髙橋 初風
牡丹の驕りの刻の過ぎにけり       東京  竹内 洋平
父の日や彼の世の暮しぶりを問ふ     群馬  山﨑ちづ子
風鈴の去年のつづき鳴り初むる      長野  守屋  明
針山に針のあまたや子供の日       東京  宇志やまと
こんなにも厚き皮より鳳梨の香      東京  梶山かおり
踏台になほ爪立ちて袋掛         東京  小山 蓮子
夕涼み鼻緒の上に足を置き        東京  島谷 高水
甘藍の剝がされまいとする力       東京  山下 美佐
麦秋や空洞大きカレーパン        埼玉  戸矢 一斗
麦の秋(のぎ)の刺さりし農衣脱ぐ       神奈川 大野 里詩
やませ来る高炉の消えし鐡の町      千葉  長井  哲
青梅や藩校の意気引き継がれ       東京  福原  紅
梔子の花いちにちの無垢の白       東京  山田  茜
レース編むひと夜ひと夜を紡ぐかに    東京  保田 貴子
眩しさのかたまつてゐる避暑地かな    愛媛  片山 一行

おほどかに飛鳥大仏若葉風        埼玉  秋津  結 
ハンカチを振れば自づと涙かな      神奈川 秋元 孝之
教会のアーチの薔薇も棘を持ち      東京  飛鳥  蘭
平凡な暮らし一番更衣          宮城  有賀 稲香
松落葉矢羽のごとく降り注ぐ       東京  有澤 志峯
植田へと校歌の山の水を引く       神奈川 有賀  理
ゆひの名の回覧板や溝浚へ        東京  飯田 子貢
向日葵の見送る駅や父母亡くて      埼玉  池田 桐人
白靴に旅の匂を待ち帰る         東京  市川 蘆舟
明易の峰より峰へ斧谺          埼玉  伊藤 庄平
海彦の遥けき記憶大南風         東京  伊藤 政三
やませ来る百の岬を泡立たせ       神奈川 伊東  岬
麦熟るる夕日の熱を吸ひつくし      東京  今井  麦
向かひ合ふ円座に座せば劇画めく     埼玉  今村 昌史
まだ声にならぬ声あげ鴉の子       東京  上田  裕
何告げんとて母夢に明易し        埼玉  梅沢 フミ
棚田植う武甲山を背にまはしつつ     埼玉  大澤 静子
割り落とす黄身の重さや五月闇      東京  大住 光汪
豆蔓のなほ探りゆく五月闇        東京  大沼まり子
小高きは嬥歌の山か虹二重        埼玉  大野田井蛙
天領の一枚大き植田かな         東京  大溝 妙子
冠省の文字濡れ残る梅雨便り       東京  大山かげもと
おほげさな音たて雨の蕗畑        東京  岡城ひとみ
髪型も軽くなりけり更衣         東京  小川 夏葉
手をつきて越ゆる七段雲の峰       宮城  小田島 渚
たそがれて点す手付きの袋掛       埼玉  小野寺清人
早起きの夫の汲みたる新茶の香      神奈川 鏡山千恵子
ハンカチの折り目心のありどころ     和歌山 笠原 祐子
暗がりへ四神かけこむ走馬燈       東京  桂  信子
百日紅葬列送る鴉かな          静岡  金井 硯児
孵化のごと泰山木の花生まる       東京  我部 敬子
孑孑の溺れさうなる雨となる       高知  神村むつ代
山女釣明けの明星木々の間に       東京  川島秋葉男
足すくむ生々とした五月闇        長野  北澤 一伯
釣銭の何やら湿る夜店かな        東京  絹田  綾
母の日や母に問ひたきこと増ゆる     東京  柊原 洋征
七曜は加速するかに日日草        神奈川 久坂衣里子
ぼうたんや大回廊を本堂へ        東京  朽木  直
母の日や花などつひぞ買はぬまま     東京  畔柳 海村
一人でも二人でもよき新茶かな      東京  小泉 良子
囀のあれば程なく雨あがる        神奈川 こしだまほ
母の通夜明易しとは知りつつも      東京  小林 雅子
船腹にバナナ眠らせ波路果つ       東京  小林 美樹
見抜かるる恋をしてゐる夏帽子      青森  榊 せい子
天草の手にのる遠さ袋掛         長崎  坂口 晴子
街の灯も点描めきて網戸越し       長野  坂下  昭
特攻の眠る御魂や知覧古茶        群馬  佐藤 栄子
家々のにほひを透す網戸かな       長野  三溝 恵子
二階へとこきこき膝が不死男の忌     東京  島  織布
夏蝶に暗峠で追ひ越され         兵庫  清水佳壽美
怪しげにシロップ五色夜店の灯      千葉  白井 飛露
大茅の輪括る鳥居をくぐりたり      東京  白濱 武子
二煎目の走り茶の香をしみじみと     東京  新谷 房子
幸村の兄の生涯柿の花          大阪  末永理恵子
内陣の仏の昏さ梅雨きざす        静岡  杉本アツ子
瀬戸内の小島を抜くる南風かな      東京  鈴木 淳子
済し崩しとなりし独りの更衣       東京  鈴木てる緒
蔓伸びて止まり木を得し茘枝かな     群馬  鈴木踏青子
蛍火へ里の思ひを重ねる夜        東京  角 佐穂子
楊梅の熟れし実踏みて罪ごころ      東京  瀬戸 紀恵
黒南風や車道の下の漁師町        神奈川 曽谷 晴子
次の風待たぬ間に散るえごの花      東京  高橋 透水
目薬のまなこを溢れみどりの日      東京  武井まゆみ
袋掛富士の頭の見ゆる日に        東京  多田 悦子
田の神の古びし注連や青蜥蜴       東京  立崎ひかり
葉桜や同窓生も白髪に          東京  田中 敬子
アルプスの風を加へて扇風機       東京  田中  道
蟇歩くうれしき時は跳んでみよ      東京  田家 正好
麦の秋窓広々と食堂車          東京  塚本 一夫
古茶淹るる妻と昭和を語りあひ      東京  辻  隆夫
ダービーに共に駆け出しさうな人     東京  辻本 芙紗
崩し食ふ谷間の茶屋のかき氷       東京  辻本 理恵
心経読み父命日の豆ご飯         愛知  津田  卓
葉桜や嗚咽こらへず母葬る        東京  坪井 研治
飛鳥仏拝す憲法記念の日         大阪  中島 凌雲
棲み古りし縁切寺のひきがへる      神奈川 中野 堯司
嵯峨野路はいづこも狭し柿の花      東京  中野 智子
緑蔭に老婆と三鬼談笑す         東京  中村 孝哲
新緑のどの木も違ふみどりかな      茨城  中村 湖童
夏帽子脱ぐやあぎとの紐の跡       埼玉  中村 宗男
大き雲三搔きで越ゆる水馬        千葉  中山 桐里
白のよく水面に映る菖蒲かな       東京  西原  舞
子規の忌の夕月ぽんとのぼりけり     東京  沼田 有希
朝顔の蔓の手繰りし朝かな        埼玉  萩原 陽里
叩かれてよりごきぶりの逃げ巧み     東京  橋野 幸彦
玉解いて飛び立つかまへ大芭蕉      広島  長谷川明子
端居して昔話の延々と          東京  長谷川千何子
生涯を信濃訛や梅を干す         神奈川 原田さがみ
大岩に食み跡著き鮎の川         兵庫  播广 義春
大田植路傍の石を神となし        東京  半田けい子
大磯に近づく車窓虎が雨         東京  福永 新祇
雨意の風総身の冷ゆる昼寝覚       東京  星野 淑子
大吉と出たるみくじや亀鳴けり      東京  保谷 政孝
高炉の火真闇に映えて明早し       神奈川 堀  備中
襞深き蛇笏の山河幟立つ         東京  堀内 清瀬
闇の底引き回しては牛蛙         岐阜  堀江 美州
更衣オセロの盤に白黒白         埼玉  夲庄 康代
いつの間に蓑虫架かる夕日中       東京  松浦 宗克
緑陰を抜けきし髪の湿りかな       東京  松代 展枝
祭太鼓島の火山へ響きけり        京都  三井 康有
夕餉までひとりで居たき端居かな     神奈川 宮本起代子
川音の洗ふがごとき朴の花        東京  村上 文惠
ダービーや夢と希望を鞭に乗せ      東京  村田 郁子
かはせみの一の矢二の矢蒼飛沫く     東京  村田 重子
通勤の茅の輪経由となりにけり      東京  森 羽久衣
横揺れの単線電車やませ来る       千葉  森崎 森平
国訛り戻る夜店の灯の下に        埼玉  森濱 直之
麦熟れて島の膨らむ播磨灘        愛知  山口 輝久
衣更へて檀家へ急ぐ蟬衣         群馬  山田  礁
商談の前に新茶を出されけり       東京  山元 正規
せせらぎに雨音重ね栗の花        愛媛  脇  行雲
レース編むひかりの粒を掬ひつつ     東京  渡辺 花穂
ふるさとを持たぬ子ばかり麦の秋     埼玉  渡辺 志水


















銀河集・綺羅星今月の秀句


伊藤伊那男・選

無色透明にして香水の底力           宮内 孝子
 確かに香水というものはほとんどが無色透明である。水と同じ色をしていながら、その威力は只事ではない。人を引き付け、本人を奮い立たせる、まさに「底力」。


抱く猫も梅雨の重みといふべしや        西田 鏡子
 感性の鋭い句である。常に抱いている猫が少し重い、という微妙な感覚を「梅雨の重み」と感じたのである。猫の毛が湿気を含む、ということがあるのかもしれないが、皮膚感覚なのであろう。真似のできない感性である。


植ゑし木の緑陰なすを黄泉に待たむ       志村  昌
 私事であるが今年も気仙沼の畠山重篤氏の「海は山の恋人植樹祭」に行った。植樹とは気の遠くなる作業である。伊勢神宮でも数百年先を見越して植林を続けているという。今植えた木が緑陰を作るのは死後のこと。「黄泉に待たむ」がいい。人の行為の価値はそんな所にあるのだ、と思う。


描く間に増したる気品白牡丹          髙橋 初風
「花王」という言葉がある。花の中で最もすぐれたもので、すなわち牡丹の異称である。牡丹の花の前で絵を描いているのだが、その僅かな間にも気品が増す、という。きっとそうなのだろうと思わせる説得力を持った句である。 


牡丹の驕りの刻の過ぎにけり          竹内 洋平
 牡丹の最も美しく咲いている時間は短い。その頂点の一瞬を「驕りの刻」と把握したのがいい。「驕」の字は馬が首を立てて勇み立つ様からきた字で、「奢」「傲」とは少し違い、気高さを含んでいる。牡丹だからこその措辞。


父の日や彼の世の暮しぶりを問ふ        山﨑ちづ子
父の日で珍しい切り口の句だ。父はあの世でどんな暮しをしているのであろうか、ちゃんと友達もできているだろうか、金の不自由は無いのであろうか……その身近な発想が何とも愛情深いのである。親子の強い絆である。 


風鈴の去年のつづき鳴り初むる         守屋  明
今年も風鈴を吊るすのだが、それは去年と同じ風鈴であり、同じ位置であり、同じ音色である。まさに去年の延長線上にある。風鈴を外した前の日からの続きとして詠み取った発想は非凡で類例が無いように思う。 


針山に針のあまたや子供の日          宇志やまと
 不思議な取合せの句である。針山の針が子供達のようでもあるが、針山という危険なものを配したことで、前途は洋々というばかりではなく、様々な困難があることも暗示しているかのようである。


こんなにも厚き皮より鳳梨の香         梶山かおり
 「鳳梨」はパイナップルのこと。鎧を纏っているかのような形で、棘を持っていて危うい。そんな形状にもかかわらず、どこからともなく芳香を放つ。そのことを不思議がっているのだ。パイナップルの本意に迫った句である。


踏台になほ爪立ちて袋掛            小山 蓮子
やったことは無いが袋掛けの作業はこうなのだろうなと思う。脚立、踏台に乗ってもまだ届かず、爪先立って背伸びをする。一連の動きを正確に伝達するのが写生の技法。それがきちんとできている好例句である。


夕涼み鼻緒の上に足を置き           島谷 高水
この気分はよく解る。縁側に上る靴脱台に足を置くのだが、直接石に触れると足が汚れるので下駄の鼻緒の上に置く。履いているよりも風通しがいいのである。何の役に立つわけではないが、こういう細かい所作の発見が俳句の楽しみである。 


甘藍の剝がされまいとする力          山下 美佐
キャベツ(甘藍)は明治に日本に入ったのだが、すっかり日常的な野菜となった。この句のようなキャベツはロールキャベツに合いそうだ。巻きが強くて抵抗するので、一枚ずつ傷付けないで剝がすのが難しいのである。


麦秋や空洞大きカレーパン           戸矢 一斗
 「空洞大き」が面白い。そういうカレーパンが確かにある。小人になって洞窟へ探検に入るような心地である。たった一つのカレーパンからそういう発想に羽搏くところがよく、俳句表現はまだまだ無限であると思わせてくれる。「麦秋」がカレーパンの色を思わせる。


 その他印象深い句を次に

麦の秋禾(のぎ)の刺さりし農衣脱ぐ       大野 里詩
やませ来る高炉の消えし鐡の町         長井  哲
青梅や藩校の意気引き継がれ          福原  紅
梔子の花いちにちの無垢の白          山田  茜
レース編むひと夜ひと夜を紡ぐかに       保田 貴子
眩しさのかたまつてゐる避暑地かな       片山 一行















                






 

星雲集作品抄
伊藤伊那男・選

秀逸
桃色のひよこ売られし夜店かな        千葉  川島  紬
業平の()ひ人かくやかきつばた        広島  塩田佐喜子
学帽の白きカバーや更衣           東京  中村 藍人
取り敢へずビール一本グラス二個       東京  倉橋  茂
直角の壁に直角蟻の道            神奈川 河村  啓
ななそ路も戦なき世に黄砂降る        宮城  齊藤 克之
仏壇の父母へ銘々豆御飯           神奈川 田嶋 壺中
声のみの月夜田渡る青葉木菟         神奈川 白井八十八
ハンケチを干すや四方を引つ張りて      東京  清水美保子
もう風を捉へる高さ今年竹          東京  清水 史恵
黒南風に取り憑かれたる風見鶏        神奈川 大田 勝行
塗り立ての油彩のごとき夏野原        東京  山口 一滴
父の日の珈琲ルンバ針飛んで         東京  尼崎 沙羅
西行と旅する思ひ飛花落花          山形  我妻 一男
三枚の金属羽の扇風機            東京  生田  武

衣食住足りすぎかとも終戦日         東京  島谷  操
田に水を張れと回覧やませ来る        宮城  小野寺一砂
暑気払くすりくすりと茶碗酒         東京  久保園和美
灯を消せば網戸を透る夜の匂ひ        長野  池内とほる
浅草や酸いも甘いも傘雨の忌         静岡  山室 樹一




星雲集作品抄

            伊藤伊那男・選

戻り梅雨寝椅子の側の雨の音         京都  秋保 櫻子
河鹿きく土佐街道の橋の下          愛媛  安藤 向山
草笛を草笛らしき音色まで          東京  井川  敏
北山の峰の鬣夕立来る            東京  石倉 俊紀
幻を目に残しけり蜥蜴の尾          東京  伊藤 真紀
万緑や家のあたりも遠嶺でも         愛媛  岩本 青山
丹沢に白き雲浮き更衣            東京  上村健太郎
墨染の如く緑蔭極まれり           愛媛  内田 釣月
常念に坊主現れ田植かな           長野  浦野 洋一
小判草十両ほどを摘みにけり         埼玉  大木 邦絵
箱根路はあぢさゐの色やはらかし       東京  大島雪花菜
少年ら蛇口にかぶりつく炎暑         東京  岡田 久男
青嵐まだ序ノ口の反抗期           東京  荻野ゆ佑子
大いなる時の流れよ終戦日          神奈川 小坂 誠子
さみだるる秩父の山家黙のなか        埼玉  小野 岩雄
濃紫陽花株ごと揺らし電車過ぐ        静岡  小野 無道
卯波立つ岬の宿の双眼鏡           東京  桂  説子
梅雨空に湯屋が四棟恐山           埼玉  加藤 且之
渓流のしぶき夏めく色もてり         長野  唐沢 冬朱
とんばうの番巡りて尾を水に         愛知  北浦 正弘
ぶんぶんと昭和の音ぞ扇風機         神奈川 北爪 鳥閑
香水の減らぬ毎日過ごしをり         東京  北原美枝子
豆御飯羽田に向かふ便頭上          東京  熊木 光代
母の真似して居る幼児日焼止め        群馬  黒岩伊知朗
雨降ると目が物語る雨蛙           三重  黒岩 宏行
女郎蜘蛛の囲に捕はれし大日輪        東京  黒田イツ子
海亀に振舞ひ酒で帰しけり          神奈川 小池 天牛
短夜のあけて終りの来ない夢         東京  髙坂小太郎
初鰹箸いつせいの夕餉かな          東京  小寺 一凡
海原をぶつかりもせず海月浮く        千葉  小森みゆき
湯疲れに気を取り戻す籠枕          神奈川 阪井 忠太
蒲公英の綿毛夕日に溶け込めり        長野  桜井美津江
早苗束投ぐる音聞く遠浅間          東京  佐々木終吉
束ねても風吹き抜ける矢車草         群馬  佐藤かずえ
ばら園の殿堂入りのばら数多         群馬  佐藤さゆり
麦秋や手刈の谷戸田二毛作          東京  須﨑 武雄
香水と擦れ違ひたる通夜の列         岐阜  鈴木 春水
航跡の横一文字卯波立つ           愛知  住山 春人
逆立ちの三尾バケツに初鰹          千葉  園部あづき
埒沿ひに集ふ公達競べ馬           埼玉  園部 恵夏
帰らざる空白二年梅雨寒し          東京  髙城 愉楽
膝小僧の擦り傷いくつ青嵐          福島  髙橋 双葉
草笛や友と高音を競ひたる          埼玉  武井 康弘
くちなしや雨の匂ひを深くして        東京  竹花美代惠
蟇鳴くや沼の帳のうるし闇          栃木  たなかまさこ
ごちやまぜに灯る夜店やチョコバナナ     東京  田中 真美
教会の朝鐘間近明易し            神奈川 多丸 朝子
田を撫でて水無月の風吹きわたる       愛知  塚田 寛子
出目金の重たげな腹ひかりけり        広島  藤堂 暢子
近付けば近くの音あり大瀑布         埼玉  内藤  明
若き日の利休像なし竹の春          岩手  永井 むつ
邂逅の固き握手や雲の峰           東京  中込 精二
泡立てる白波寄せ来大南風          神奈川 長濱 泰子
牛は食む夏野まるごと牛は食む        長野  中山  中
ひたひたと雨浴びてこそ四葩かな       東京  永山 憂仔
夏惜しむ舟屋の陰の貝の殻          京都  仁井田麻利子
滑りつつ湖面を渡る山楝蛇          東京  西  照雄
空気ふるはし現はるる熊蜂          宮城  西岡 博子
盂蘭盆や山鳩を聞く父祖の墓         静岡  橋本 光子
今日もまた平熱の朝薄暑来ぬ         東京  橋本  泰
風の間に添木を探す瓜の蔓          神奈川 花上 佐都
風音も川瀬の音も夏野かな          長野  馬場みち子
あめんぼう水面の雲を乱しつつ        千葉  針田 達行
アカシアの花の落ち継ぐ千曲川        長野  樋本 霧帆
唄の名を忘れ草笛弾みたる          神奈川 日山 典子
薫風や十六歳の太子像            千葉  平山 凛語
香水のガツンと過ぎて有楽町         千葉  深澤 淡悠
どくだみを抜いて始まる地鎮祭        埼玉  深津  博
雨に咲き雨に散りけり夏椿          長野  藤井 法子
村中が鰻搔手に泥の中            福岡  藤田 雅規
菩提寺の泰山木の花観音           東京  牧野 睦子
日の神の淡き輪郭梅雨の空          神奈川 松尾 守人
一匹の蚊に敗北の真夜の閨          神奈川 松崎 雅則
釣糸の引く気配なし卯波立つ         愛知  松下美代子
鴨川の風を誘ふ鱧おとし           東京  水野 正章
流鶯の過ぎ行く寺や朝の行          奈良  三村  一
袋掛脚立の先に津軽富士           東京  棟田 楽人
故里へつながつてゐる夏の空         東京  八木 八龍
点々と群るる羊や草茂る           東京  家治 祥夫
覚えなき腕の青あざ夏はじめ         東京  矢野 安美
畑仕事はげめはげめとほととぎす       群馬  山﨑 伸次
瀬田の雨無事確かむる浮巣かな        神奈川 山田 丹晴
早苗束投げしところに逆さ富士        群馬  横沢 宇内
拭へずにハンカチの白押し戻す        神奈川 横地 三旦
軽鳧の子の散りては戻る親の元        神奈川 横山 渓泉
手水舎の水心地よき夏祓           千葉  吉田 正克
少年に戻る日々あり夏帽子          神奈川 渡邊 憲二
大空へ刻を積み上げ今年竹          東京  渡辺 誠子
槍の穂にくれなゐ差すやご来光        埼玉  渡辺 番茶



























星雲集 今月の秀句

伊藤伊那男

桃色のひよこ売られし夜店かな         川島  紬
最近は見掛けないが、私の子供の頃の夜店や縁日などにはよくひよこが売られていた。可愛いのでつい買ってもらうのだが、たいていは死んでしまう。無事育っても全部牡で卵は産まない。つまり採卵用の鶏の雛を選別して、役に立たない牡の雛が売られていたのであった。和毛の色は黄色がかった白だった記憶だが「桃色の」と言われると、確かに肌色の方が勝っていて、桃色の方が正しいように思う。そこが哀れで買って帰ったのだということに、今思い至ったのである。「桃色」が発見であった。同時出句の〈重き口これがやませと陸奥の人〉〈寒立馬やませの吹きに抗はず〉も「やませ」の季語の本意を理解している句だ。 


業平の思(も)ひ人かくやかきつばた       塩田佐喜子
在原業平の『伊勢物語』の和歌〈から衣きつつなれにしつましあればはるばる来ぬるたびをしぞ思ふ〉を典拠にした巧みな句である。五七五七七の頭文字を取ると「かきつばた」となる仕掛けで、都に残してきた思い人を偲んでいるのである。句の方は、その思い人とはきっとこの杜若のような女人なのであろう、という。古典を踏まえて洒脱な句となった。 


取り敢へずビール一本グラス二個        倉橋  茂
酒場に座った客が「とりあえずビール」という。すかさず店の者が「グラス二個ね」と奥へ通す。その合の手を打つような台詞がそのまま俳句になったのである。外人から見ると皆が一様に言う「とりあえず」という言葉は、ビールの銘柄と思っている人が多いという。こんな会話が俳句になるのであるから、何とも楽しいではないか。 


直角の壁に直角蟻の道             河村  啓
構図の面白い句だ。私が写生の極致の句の一つと思っている句に〈鶏頭の影地に倒れ壁に立つ 林徹〉があるが、ふと同類の発想を思った。直角の壁というところが――壁はたいがい直角なので――少し弱いのだが、蟻が地面から直角に登る、あるいは横に歩いてきて壁の角を直角に曲がる、と実に面白い動きを捉えているのである。加えて景が鮮明なのは壁の色が白で蟻は黒いということ。色彩のコントラストもこの句の味わいなのである。 


仏壇の父母へ銘々豆御飯            田嶋 壺中
「銘々」がいい。時が経てば先祖代々に対して一椀のお供えということになるが、父母が身罷ってそれほど時間が経っていないのであろう。各々に供えることで作者の孝養の姿勢が解る。豆御飯という日常的なものであることもいい。毎日供えているのだが、今日はたまたま豆御飯であったという感じである。父母に季節を伝えているのである。 


声のみの月夜田渡る青葉木菟          白井八十八
実に綺麗な仕上がりの句である。声だけが月明りの田を渡って作者の耳に聞こえてくる。青葉木菟は夏に渡ってくるフクロウ科の鳥で、ホーホーと二声ずつ鳴くのだが、この鳴き方が単調で、何とも物悲しいのである。


もう風を捉へる高さ今年竹           清水 史恵
 竹は伸びる時には一日に数十センチメートルも伸びるという。あれっと思ったらもう葉を付けて風に撓っている。その素早さをよく観察した句である。同時出句の〈桑の実の日向臭さをふふみたる〉は「日向臭さ」がいい。私も小さな頃よく食べたのだが、腹の減った時代でもたいして旨いものではなかった思い出がある。そんな感じが出ている句だ。


塗り立ての油彩のごとき夏野原         山口 一滴
「油彩のごとき」の比喩がいい。水彩、木炭、墨、と表現の素材は様々あるだろうが、夏野原であればやはり原色の効いた油絵の世界ということになりそうだ。それも塗り立てというのがいい。触れれば手に付きそうな生命感。 


西行と旅する思ひ飛花落花           我妻 一男
西行と言えば桜。飛花を見、落花を浴びると、それは西行と同行二人の旅の思いがする。桜が詩歌の歴史と共に日本人の遺伝子に組み込まれていることを実証するような句である。


父の日の珈琲ルンバ針飛んで          尼崎 沙羅
「コーヒールンバ」は私が物心の付く頃、昭和三十六年のヒット曲。西田佐知子の声で憶えているが、もともとはベネズエラの曲だという。あの頃の歌は半世紀以上を経ても憶えているものである。古いレコードの針が飛んでしまうほど父上は繰り返し聞いていたのであろう。「針飛んで」で一気に時代を遡る思いである。 

その他印象深かった句を次に

 

衣食住足りすぎかとも終戦日          島谷  操
暑気払くすりくすりと茶碗酒          久保園和美
田に水を張れと回覧やませ来る         小野寺一砂
灯を消せば網戸を透る夜の匂ひ         池内とほる
浅草や酸いも甘いも傘雨の忌          山室 樹一























伊那男俳句


伊那男俳句 自句自解(68)
          
穂屋祭日照雨に萱の匂ひ立つ

 諏訪大社の神は複雑で難解である。大国主命が天孫族に豊葦原瑞穂国を譲ったが、子息の一人、建御名方命が抵抗し、最後に逃げ込んだのがこの諏訪の地であった。この地を出ないという条件で天孫族と和解した。出雲族の入る前の諏訪には先住の縄文系の守矢(洩矢)族がいたので当然ここでも争いが生じたのだが、出雲族が勝って諏訪の神・大祝(おおほうり)家となる。                 
一方守矢族は補佐役の神長官(おおほうり)家として残った。以上が神話の一説である。後々大祝家は戦国大名になって武田信玄に滅ぼされる。神長官(じんちょうかん)守矢家は今七十八代としてその血脈が繋っているという。紹介したのは一説であり、真相は霞の中である。さて御柱祭はさておいて、御頭祭、蛙狩、御射山祭(穂屋祭)など諏訪の祭は縄文色が濃厚である。神は出雲でも、文化は神長官家が主導権を持っていたのだと思う。穂屋祭は八ヶ岳山麓に薄で屋根を葺いた穂屋を作り放生などを行う八月の行事。たまたま旅の途次、穂屋を実見したのである。

一茶忌のぼそぼそと蕎麦喰ひ終る

 一茶忌は十一月十九日。一茶に〈椋鳥と人に呼ばるる寒さかな〉がある。晩秋になると江戸の町民は「そろそろ椋が来る頃だ」と言う。この椋とは、農作業を終えた信州や越後の農民が峠を越えて来る出稼労働者のことである。服装も粗末で、訛がうるさく、米屋や風呂屋の重労働に就くので腹が減り、よく食べる。まさに椋鳥と似ているのである。信州人の私としては悲しい俳句である。一茶は何の頼りもなく十五歳で江戸に出ているので、様々な辛苦を味わったことだと思う。象徴的な逸話としては句友の札差、夏目成美の向島の別宅に泊った折、たまたま窃盗事件があり、一茶も疑われて禁足の屈辱を受ける。一家を構えることも叶わず中年を迎える。そのような一茶の人生を思ったとき、ふとこの句が浮かんだ。江戸の片隅で一茶が蕎麦を啜っている姿を想像すると「ぼそぼそ」の措辞となる。喋る相手もいなくて、俳句だけが口をついて出る。そんな日が多かったのではないか。















     


 



俳人協会四賞・受賞式





更新で5秒後、再度スライドします。全14枚。







リンクします。





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銀漢の絵はがき


挿絵が絵葉書になりました。
Aシリーズ 8枚組・Bシリーズ8枚組
8枚一組 1,000円

ごあいさつにご利用下さい。






 
        







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「銀漢」季語別俳句集


26

拡大します。
銀漢季語別俳句集
待望の『季語別俳句集』が3月に刊行されました。



2021/3/25   更新













主宰日録  

  
6月

6月9日(水)
思い立って皇居東御苑。昨日だったか、今日からだったか、久々、開苑と聞いて。天守台の風佳し。多聞櫓で守衛さんから話を聞く。三の丸尚蔵館を見て、新装した将門塚。あまりにも明る過ぎないか? 気仙沼大島の菊田志尚さんから取り寄せた海鞘、抜群のうまさ! 里芋を煮る。鰯の酢〆。

6月11日(金)
「俳句」8月号、井上弘美句集『夜須礼』一句鑑賞。「櫟」誌上講演会の準備。ここ3日ほど毎日海鞘を食べている。梅漬に紫蘇を入れる。梅雨明けに干すことに。莉子の友人3人泊。

6月12日(土)
宮坂静生主宰の「岳」10句選、一昨日が締め切りであることに気付き、送る。大蔵第二運動場にてコロナワクチン第1回目の接種。痛くも痒くもなく終わる。酒は控える。夜中に目覚めると指先に弱い電気が当たったような反応があったが、それだけ。

6月14日(月)
10時15分発、新宿バスタ発、富士急ハイランドバス停へ。高部務氏、迎えに来てくれて、富士急ハイランドのレストランで昼食。パスタとコーヒー。雨。河口湖の別荘、別棟を借用。去年2回訪ねており、3回目。今回、夫人は茶道の指導で多忙の様子で不在。角川合評鼎談の下調べや「櫟」誌上講演会の準備など。緑に囲まれて、鶯、郭公の声も。18時半、「しゃぶしゃぶ はやし」に案内していただく。戻ってテラスで星空を見ながら歓談。

6月15日(火)
6時半、起床。快晴。テラスで朝食。高部氏の最新作(小説)のゲラ刷りを読む。俳人協会「第60回全国俳句大会」の本選委員にて、一次選考後の1,500句ほどから最終選に入る。庭の山椒の実を摘み、仕込み処置。午後から山雨。19時、富士急ハイランドのレストラン。天麩羅、刺身、海鮮丼。戻ってテラスで歓談。

6月16日(水)
朝食後、富士山駅に送って貰う。大月経由で酒折宮、甲斐善光寺。甲府に出て甲府城跡。駅裏の「甲斐ほうとう 小作」に入り、1人打ち上げのビール。鶏モツ煮、「七賢」の冷酒、南瓜のほうとう! 1時間ほどいて客1人。この「小作」にして……。中央線鈍行で寝て帰宅。

6月17日(木)
「NHK俳句」7月号「復活開店!『銀漢亭』」知人等へ送る。4句会ほど選句。

6月18日(金)
10時半、JR衣笠駅(三浦半島)、「伊那北会」。歩いて衣笠公園。ここは鎌倉時代の三浦一族の本拠地。三浦氏は結局、執権北条氏に滅ぼされる。眺望絶佳。あと、金沢文庫に出て称名寺。10年くらい前、「銀漢」で田中敬子さんの作ってくれた旗を掲げて来た記憶。今は参道の茶店もなく寂れている。金沢文庫見学。文書類ながら国宝多数。歴史的には「かねさわぶんこ」。あと、駅前で打ち上げ。洋風居酒屋、焼鳥屋など盛況。あれ? 神奈川県は酒類提供自粛だったのでは?

6月19日(土)
雨。合評鼎談の準備。今日はリモート。2時間半、疲れる。

6月20日(日)
「銀漢」8月号の選句追い込み。舞茸と豚肉の豆鼓炒め、甘辛唐辛子とジャコ炒め。海鞘の塩辛など作る。

6月21日(月)
「銀漢」7月号発送日にて、久々に編集部の方々の顔を見たくて発行所へ。あと、今日から酒の提供OKになった「魚勝」へ顔を出す。少しの酒で酔う。

6月26日(土)
ここ数日、「銀漢」8月号の選句没頭。昨日、選句稿を花果、直、妙子さんに投函。このあと選評。農家の野菜買いに。モロヘイヤが出始める。鮎、手に入れて山椒煮九尾。

6月29日(火)
「銀漢」八月号の選評全部終了。ふと思いついて西新井大師に行ってみる。初めての事。一駅だけの電車面白し。梅雨晴間。あと浅草に出て雷門横の「ときわ食堂」で小酌。鯵フライは絶品!

6月30日(水)
思いついて9時過出発。小田急線で小田原、JRで熱海乗り継ぎ、沼津乗換で昼に由比。東海道由比宿を歩く。「正雪紺屋」など。港に寄ったあと、薩埵峠へ向かう。庄屋の「小池邸」他あちこちに宿場の面影あり。枇杷の栽培地。14時半頃、峠。曇天にて富士山は心に描く。下って興津宿。清見寺。JRで沼津へ戻り、「沼津グランドホテル」投宿。町を覗き、「半蔵」という店に入ってみる。太刀魚の刺身、室鯵の干物、天城鶏の刺身。ビール。酒は「白隠正宗」「磯自慢」。あと焼鳥屋で少々。

7月

7月1日(木)
9時間ほどは寝たか。ゆっくり風呂。雨。沼津港まで歩いてみる。太刀魚の味醂干し、釜揚げしらす他を土産に。御殿場線に乗る。14時半、帰宅。郵便物たくさん。

7月2日(金)
雨続く。屋内修一氏より、来年の「天穹新年会」の講師依頼を受く。「第30回 信州伊那井月俳句大会」応募句、1,400数十句、7月7日締め切り。NHK学園の「夏の誌上俳句大会」応募句、,5,000句、締め切り7月9日……とこれは大変。慶應「丘の会」誌に「コロナ禍の俳句」千字送る。

7月3日(土)
二子玉川の庁舎にて、2回目ワクチン接種受ける、「信州伊那井月俳句大会」の選終える。

7月5日(月)
昨日、今日とNHK学園の俳句大会の選句、選評。これは実に力仕事。「銀漢」8月号校正武田氏へ送る。

7月6日(火)
「成城クリニック」へ。右目に傷。薬もらう。昼寝。夜、家族、ヴーヴクリコ、チョコレートケーキなどで誕生日の前夜を祝ってくれる。

7月7日(水)
72歳の誕生日。割合、落ち着いた生活ができていることに感謝。14時、谷中の政三さんの店「夕焼け酒場」。一斗さんと打ち合わせ。15時頃からばらばらと20人位集まり、私の誕生日祝いをしてくださる。半分位がワクチン接種済みの感じ。20時、お開き。

  7月8日(木)
4句会ほど選句、選評。「岳」句会の7月号からベストテンの選句。

7月9日(金)
14時、江東区深川江戸資料館小劇場。ユネスコ無形文化遺産登録推進協議会。「天為」の内村恭子さんの誘いで、その後の小泉武夫先生の講演を聞きたくて行く。「発酵は力なり、俳句も力なり」。小泉先生のファンにて、楽しく聞く。あと神保町の「魚勝」に寄り、小酌して帰る。

7月10日(土)
晴れながら蒸し暑い。いづみ、展枝、井蛙さんが誕生祝いをしてくれるとて、目黒雅叙園のロビーに13時半、集合。百段階段を見る。50年前に来た記憶あり、見事な建物。大円寺を見て中華店でビール。16時から予約してくれていた「たつみや」。その後、行き当たりばったりで「若菜」という店。目黒の秋刀魚焼を食す。帰宅直後雷と豪雨。
















         
    






今月の季節の写真/花の歳時記



2021/9/21撮影  アザミ    HACHIOJI 





花言葉    ●報復 ●守護 ●満足 ●触れないで ●人間嫌い

△彼岸花
多年草で花を楽しめる季節が長い薊(アザミ)の花名由来は、薊(アザミ)をとろうとしたものがそのとげに驚き興ざめしてしまうという意味合いの「あざむ」が語源だといわれています。また、沖縄の一部の地方では、トゲのことを「あざ」と呼ぶことからトゲの多い木という意味合いの「あざぎ」が由来だとも言われています


シュウメイギク アメリカデイゴ モミジアオイ ブラシノの木 千日紅
センニンソウ カンナ 吾亦紅 ムラサキゴテン ハナミズキ
彼岸花 シオン 葛の花 彼岸花 アザミ






写真は4~5日間隔で掲載しています。 
2021/9/22








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