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9月号 2021年
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伊藤伊那男作品主宰の8句 今月の目次銀漢俳句会/2021/9月号 銀漢の俳句伊藤伊那男
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銀漢の俳句 ◎河合曾良の謎⑶ 先月号で紹介した乾佐知子さんのことである。先祖の地は信州諏訪で旧姓は 実は私は、松尾芭蕉について藤堂新七郎家の只の家臣ではなく藤堂家の血縁に繋がる人ではないかと思っているのである。もちろん証拠があるわけではないが、芭蕉の行跡を辿ると、芭蕉が藤堂家と血縁があったと考える方が納得のいく事例が沢山あるからである。 芭蕉と曾良の謎のうち解り易い例を挙げてみる。 『おくのほそ道』の日光東照宮の段である。芭蕉は〈あらたふと青葉若葉の日の光〉の句を残し「御山に詣拝す。…… 次回はそこに深入りしてみたいと思っている。 |
海猫は「ごめ」ともいわれ、各々の越冬地から繁殖地へ飛来する。これを「海猫渡る」といい、子育ての終わる秋に帰る。これを「海猫帰る」という。青森県八戸市の蕪島が一大繁殖地である。番の縄張は七〇㎝四方ほどで、それを越えると隣の番の容赦ない攻撃を受ける。過酷な掟である。育った雛を伴って各地へ帰っていく。「空と海とに声残し」は自然への挨拶のように思われてくる。同時作に〈海猫帰る宙に礁の波しぶき〉がある。 (昭和六十三年作『随處』所収) |
彗星集 選評 伊藤伊那男伊藤伊那男・選 反芻の牛の重みの夏野かな 有賀 理
東京市神田区出生初鰹 畔柳 海村
涼しさは波の伊八の波の揺れ 森崎 森平
蚊遣焚く化物どもの楽屋でも 谷岡 健彦
あぢさゐと書けばインクの滲みさう 深津 博
プリン消え騒ぎのもとの冷蔵庫 鈴木てる緒
昨夜よりの雨の重さの
岩礁の幣に一礼鮑海女 山元 正規
香水を吹きて閑居を紛らはす 山口 輝久
少年と同じ匂の夏野かな 山口 一滴
軽鳬の子の前のめりして付いてゆく 島 織布
南座の匂袋を土産とす 中野 智子
一炊の夢にとどかぬ三尺寝 伊藤 政三
払暁の眠りに満ち干時鳥 有賀 理
短夜のはず当直の長きこと 森 羽久衣
奈良町は鐘の余韻に水を打つ 中島 凌雲
頃合をはかる夜店の叩き売り 加藤 且之
枕経終へてはじまる蛙の夜 北澤 一伯
銀河集作品抄伊藤伊那男・選 奥嶺より寄する雨雲代田掻 東京 飯田眞理子
路地を出て路地に迷ひぬ傘雨の忌 静岡 唐沢 静男 父の日のぱぱと呼ばるる吾が子かな 群馬 柴山つぐ子 更衣着痩せし母のなほ細く 東京 杉阪 大和 詫状に添ふる重さや水羊羹 東京 武田 禪次 山寺の鐘楼古りて蟻地獄 万緑の中一光の瑠璃薬師 埼玉 多田 美記 夏シャツも着崩すことのできぬ父 東京 谷岡 健彦 残しある葉のよく匂ふ柏餅 神奈川 谷口いづみ 尊徳の像はいづくへ麦の秋 長野 萩原 空木 ひとひはじまる蚊遣火の灰捨てて パリ 堀切 克洋 太鼓橋より天神の藤の昼 東京 松川 洋酔 多摩川の風の明るし袋掛 東京 三代川次郎 綺羅星集作品抄伊藤伊那男・選
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確かに香水というものはほとんどが無色透明である。水と同じ色をしていながら、その威力は只事ではない。人を引き付け、本人を奮い立たせる、まさに「底力」。 |
感性の鋭い句である。常に抱いている猫が少し重い、という微妙な感覚を「梅雨の重み」と感じたのである。猫の毛が湿気を含む、ということがあるのかもしれないが、皮膚感覚なのであろう。真似のできない感性である。 |
私事であるが今年も気仙沼の畠山重篤氏の「海は山の恋人植樹祭」に行った。植樹とは気の遠くなる作業である。伊勢神宮でも数百年先を見越して植林を続けているという。今植えた木が緑陰を作るのは死後のこと。「黄泉に待たむ」がいい。人の行為の価値はそんな所にあるのだ、と思う。 |
「花王」という言葉がある。花の中で最もすぐれたもので、すなわち牡丹の異称である。牡丹の花の前で絵を描いているのだが、その僅かな間にも気品が増す、という。きっとそうなのだろうと思わせる説得力を持った句である。 |
牡丹の最も美しく咲いている時間は短い。その頂点の一瞬を「驕りの刻」と把握したのがいい。「驕」の字は馬が首を立てて勇み立つ様からきた字で、「奢」「傲」とは少し違い、気高さを含んでいる。牡丹だからこその措辞。 |
父の日で珍しい切り口の句だ。父はあの世でどんな暮しをしているのであろうか、ちゃんと友達もできているだろうか、金の不自由は無いのであろうか……その身近な発想が何とも愛情深いのである。親子の強い絆である。 |
今年も風鈴を吊るすのだが、それは去年と同じ風鈴であり、同じ位置であり、同じ音色である。まさに去年の延長線上にある。風鈴を外した前の日からの続きとして詠み取った発想は非凡で類例が無いように思う。 |
不思議な取合せの句である。針山の針が子供達のようでもあるが、針山という危険なものを配したことで、前途は洋々というばかりではなく、様々な困難があることも暗示しているかのようである。 |
「鳳梨」はパイナップルのこと。鎧を纏っているかのような形で、棘を持っていて危うい。そんな形状にもかかわらず、どこからともなく芳香を放つ。そのことを不思議がっているのだ。パイナップルの本意に迫った句である。 |
やったことは無いが袋掛けの作業はこうなのだろうなと思う。脚立、踏台に乗ってもまだ届かず、爪先立って背伸びをする。一連の動きを正確に伝達するのが写生の技法。それがきちんとできている好例句である。 |
この気分はよく解る。縁側に上る靴脱台に足を置くのだが、直接石に触れると足が汚れるので下駄の鼻緒の上に置く。履いているよりも風通しがいいのである。何の役に立つわけではないが、こういう細かい所作の発見が俳句の楽しみである。 |
キャベツ(甘藍)は明治に日本に入ったのだが、すっかり日常的な野菜となった。この句のようなキャベツはロールキャベツに合いそうだ。巻きが強くて抵抗するので、一枚ずつ傷付けないで剝がすのが難しいのである。 |
「空洞大き」が面白い。そういうカレーパンが確かにある。小人になって洞窟へ探検に入るような心地である。たった一つのカレーパンからそういう発想に羽搏くところがよく、俳句表現はまだまだ無限であると思わせてくれる。「麦秋」がカレーパンの色を思わせる。 |
その他印象深い句を次に
最近は見掛けないが、私の子供の頃の夜店や縁日などにはよくひよこが売られていた。可愛いのでつい買ってもらうのだが、たいていは死んでしまう。無事育っても全部牡で卵は産まない。つまり採卵用の鶏の雛を選別して、役に立たない牡の雛が売られていたのであった。和毛の色は黄色がかった白だった記憶だが「桃色の」と言われると、確かに肌色の方が勝っていて、桃色の方が正しいように思う。そこが哀れで買って帰ったのだということに、今思い至ったのである。「桃色」が発見であった。同時出句の〈重き口これがやませと陸奥の人〉〈寒立馬やませの吹きに抗はず〉も「やませ」の季語の本意を理解している句だ。 |
在原業平の『伊勢物語』の和歌〈から衣きつつなれにしつましあればはるばる来ぬるたびをしぞ思ふ〉を典拠にした巧みな句である。五七五七七の頭文字を取ると「かきつばた」となる仕掛けで、都に残してきた思い人を偲んでいるのである。句の方は、その思い人とはきっとこの杜若のような女人なのであろう、という。古典を踏まえて洒脱な句となった。 |
酒場に座った客が「とりあえずビール」という。すかさず店の者が「グラス二個ね」と奥へ通す。その合の手を打つような台詞がそのまま俳句になったのである。外人から見ると皆が一様に言う「とりあえず」という言葉は、ビールの銘柄と思っている人が多いという。こんな会話が俳句になるのであるから、何とも楽しいではないか。 |
構図の面白い句だ。私が写生の極致の句の一つと思っている句に〈鶏頭の影地に倒れ壁に立つ 林徹〉があるが、ふと同類の発想を思った。直角の壁というところが――壁はたいがい直角なので――少し弱いのだが、蟻が地面から直角に登る、あるいは横に歩いてきて壁の角を直角に曲がる、と実に面白い動きを捉えているのである。加えて景が鮮明なのは壁の色が白で蟻は黒いということ。色彩のコントラストもこの句の味わいなのである。 |
「銘々」がいい。時が経てば先祖代々に対して一椀のお供えということになるが、父母が身罷ってそれほど時間が経っていないのであろう。各々に供えることで作者の孝養の姿勢が解る。豆御飯という日常的なものであることもいい。毎日供えているのだが、今日はたまたま豆御飯であったという感じである。父母に季節を伝えているのである。 |
実に綺麗な仕上がりの句である。声だけが月明りの田を渡って作者の耳に聞こえてくる。青葉木菟は夏に渡ってくるフクロウ科の鳥で、ホーホーと二声ずつ鳴くのだが、この鳴き方が単調で、何とも物悲しいのである。 |
竹は伸びる時には一日に数十センチメートルも伸びるという。あれっと思ったらもう葉を付けて風に撓っている。その素早さをよく観察した句である。同時出句の〈桑の実の日向臭さをふふみたる〉は「日向臭さ」がいい。私も小さな頃よく食べたのだが、腹の減った時代でもたいして旨いものではなかった思い出がある。そんな感じが出ている句だ。 |
「油彩のごとき」の比喩がいい。水彩、木炭、墨、と表現の素材は様々あるだろうが、夏野原であればやはり原色の効いた油絵の世界ということになりそうだ。それも塗り立てというのがいい。触れれば手に付きそうな生命感。 |
西行と言えば桜。飛花を見、落花を浴びると、それは西行と同行二人の旅の思いがする。桜が詩歌の歴史と共に日本人の遺伝子に組み込まれていることを実証するような句である。 |
「コーヒールンバ」は私が物心の付く頃、昭和三十六年のヒット曲。西田佐知子の声で憶えているが、もともとはベネズエラの曲だという。あの頃の歌は半世紀以上を経ても憶えているものである。古いレコードの針が飛んでしまうほど父上は繰り返し聞いていたのであろう。「針飛んで」で一気に時代を遡る思いである。 |
伊那男俳句 自句自解(68) 穂屋祭日照雨に萱の匂ひ立つ
諏訪大社の神は複雑で難解である。大国主命が天孫族に豊葦原瑞穂国を譲ったが、子息の一人、建御名方命が抵抗し、最後に逃げ込んだのがこの諏訪の地であった。この地を出ないという条件で天孫族と和解した。出雲族の入る前の諏訪には先住の縄文系の守矢(洩矢)族がいたので当然ここでも争いが生じたのだが、出雲族が勝って諏訪の神・大祝(おおほうり)家となる。 一方守矢族は補佐役の 一茶忌のぼそぼそと蕎麦喰ひ終る
一茶忌は十一月十九日。一茶に〈椋鳥と人に呼ばるる寒さかな〉がある。晩秋になると江戸の町民は「そろそろ椋が来る頃だ」と言う。この椋とは、農作業を終えた信州や越後の農民が峠を越えて来る出稼労働者のことである。服装も粗末で、訛がうるさく、米屋や風呂屋の重労働に就くので腹が減り、よく食べる。まさに椋鳥と似ているのである。信州人の私としては悲しい俳句である。一茶は何の頼りもなく十五歳で江戸に出ているので、様々な辛苦を味わったことだと思う。象徴的な逸話としては句友の札差、夏目成美の向島の別宅に泊った折、たまたま窃盗事件があり、一茶も疑われて禁足の屈辱を受ける。一家を構えることも叶わず中年を迎える。そのような一茶の人生を思ったとき、ふとこの句が浮かんだ。江戸の片隅で一茶が蕎麦を啜っている姿を想像すると「ぼそぼそ」の措辞となる。喋る相手もいなくて、俳句だけが口をついて出る。そんな日が多かったのではないか。 |
6月 6月9日(水) 思い立って皇居東御苑。昨日だったか、今日からだったか、久々、開苑と聞いて。天守台の風佳し。多聞櫓で守衛さんから話を聞く。三の丸尚蔵館を見て、新装した将門塚。あまりにも明る過ぎないか? 気仙沼大島の菊田志尚さんから取り寄せた海鞘、抜群のうまさ! 里芋を煮る。鰯の酢〆。 6月11日(金) 「俳句」8月号、井上弘美句集『夜須礼』一句鑑賞。「櫟」誌上講演会の準備。ここ3日ほど毎日海鞘を食べている。梅漬に紫蘇を入れる。梅雨明けに干すことに。莉子の友人3人泊。 6月12日(土) 宮坂静生主宰の「岳」10句選、一昨日が締め切りであることに気付き、送る。大蔵第二運動場にてコロナワクチン第1回目の接種。痛くも痒くもなく終わる。酒は控える。夜中に目覚めると指先に弱い電気が当たったような反応があったが、それだけ。 6月14日(月) 10時15分発、新宿バスタ発、富士急ハイランドバス停へ。高部務氏、迎えに来てくれて、富士急ハイランドのレストランで昼食。パスタとコーヒー。雨。河口湖の別荘、別棟を借用。去年2回訪ねており、3回目。今回、夫人は茶道の指導で多忙の様子で不在。角川合評鼎談の下調べや「櫟」誌上講演会の準備など。緑に囲まれて、鶯、郭公の声も。18時半、「しゃぶしゃぶ はやし」に案内していただく。戻ってテラスで星空を見ながら歓談。 6月15日(火) 6時半、起床。快晴。テラスで朝食。高部氏の最新作(小説)のゲラ刷りを読む。俳人協会「第60回全国俳句大会」の本選委員にて、一次選考後の1,500句ほどから最終選に入る。庭の山椒の実を摘み、仕込み処置。午後から山雨。19時、富士急ハイランドのレストラン。天麩羅、刺身、海鮮丼。戻ってテラスで歓談。 6月16日(水) 朝食後、富士山駅に送って貰う。大月経由で酒折宮、甲斐善光寺。甲府に出て甲府城跡。駅裏の「甲斐ほうとう 小作」に入り、1人打ち上げのビール。鶏モツ煮、「七賢」の冷酒、南瓜のほうとう! 1時間ほどいて客1人。この「小作」にして……。中央線鈍行で寝て帰宅。 6月17日(木) 「NHK俳句」7月号「復活開店!『銀漢亭』」知人等へ送る。4句会ほど選句。 6月18日(金) 10時半、JR衣笠駅(三浦半島)、「伊那北会」。歩いて衣笠公園。ここは鎌倉時代の三浦一族の本拠地。三浦氏は結局、執権北条氏に滅ぼされる。眺望絶佳。あと、金沢文庫に出て称名寺。10年くらい前、「銀漢」で田中敬子さんの作ってくれた旗を掲げて来た記憶。今は参道の茶店もなく寂れている。金沢文庫見学。文書類ながら国宝多数。歴史的には「かねさわぶんこ」。あと、駅前で打ち上げ。洋風居酒屋、焼鳥屋など盛況。あれ? 神奈川県は酒類提供自粛だったのでは? 6月19日(土) 雨。合評鼎談の準備。今日はリモート。2時間半、疲れる。 6月20日(日) 「銀漢」8月号の選句追い込み。舞茸と豚肉の豆鼓炒め、甘辛唐辛子とジャコ炒め。海鞘の塩辛など作る。 6月21日(月) 「銀漢」7月号発送日にて、久々に編集部の方々の顔を見たくて発行所へ。あと、今日から酒の提供OKになった「魚勝」へ顔を出す。少しの酒で酔う。 6月26日(土) ここ数日、「銀漢」8月号の選句没頭。昨日、選句稿を花果、直、妙子さんに投函。このあと選評。農家の野菜買いに。モロヘイヤが出始める。鮎、手に入れて山椒煮九尾。 6月29日(火) 「銀漢」八月号の選評全部終了。ふと思いついて西新井大師に行ってみる。初めての事。一駅だけの電車面白し。梅雨晴間。あと浅草に出て雷門横の「ときわ食堂」で小酌。鯵フライは絶品! 6月30日(水) 思いついて9時過出発。小田急線で小田原、JRで熱海乗り継ぎ、沼津乗換で昼に由比。東海道由比宿を歩く。「正雪紺屋」など。港に寄ったあと、薩埵峠へ向かう。庄屋の「小池邸」他あちこちに宿場の面影あり。枇杷の栽培地。14時半頃、峠。曇天にて富士山は心に描く。下って興津宿。清見寺。JRで沼津へ戻り、「沼津グランドホテル」投宿。町を覗き、「半蔵」という店に入ってみる。太刀魚の刺身、室鯵の干物、天城鶏の刺身。ビール。酒は「白隠正宗」「磯自慢」。あと焼鳥屋で少々。 7月 7月1日(木) 9時間ほどは寝たか。ゆっくり風呂。雨。沼津港まで歩いてみる。太刀魚の味醂干し、釜揚げしらす他を土産に。御殿場線に乗る。14時半、帰宅。郵便物たくさん。 7月2日(金) 雨続く。屋内修一氏より、来年の「天穹新年会」の講師依頼を受く。「第30回 信州伊那井月俳句大会」応募句、1,400数十句、7月7日締め切り。NHK学園の「夏の誌上俳句大会」応募句、,5,000句、締め切り7月9日……とこれは大変。慶應「丘の会」誌に「コロナ禍の俳句」千字送る。 7月3日(土) 二子玉川の庁舎にて、2回目ワクチン接種受ける、「信州伊那井月俳句大会」の選終える。 7月5日(月) 昨日、今日とNHK学園の俳句大会の選句、選評。これは実に力仕事。「銀漢」8月号校正武田氏へ送る。 7月6日(火) 「成城クリニック」へ。右目に傷。薬もらう。昼寝。夜、家族、ヴーヴクリコ、チョコレートケーキなどで誕生日の前夜を祝ってくれる。 7月7日(水) 72歳の誕生日。割合、落ち着いた生活ができていることに感謝。14時、谷中の政三さんの店「夕焼け酒場」。一斗さんと打ち合わせ。15時頃からばらばらと20人位集まり、私の誕生日祝いをしてくださる。半分位がワクチン接種済みの感じ。20時、お開き。 7月8日(木) 4句会ほど選句、選評。「岳」句会の7月号からベストテンの選句。 7月9日(金) 14時、江東区深川江戸資料館小劇場。ユネスコ無形文化遺産登録推進協議会。「天為」の内村恭子さんの誘いで、その後の小泉武夫先生の講演を聞きたくて行く。「発酵は力なり、俳句も力なり」。小泉先生のファンにて、楽しく聞く。あと神保町の「魚勝」に寄り、小酌して帰る。 7月10日(土) 晴れながら蒸し暑い。いづみ、展枝、井蛙さんが誕生祝いをしてくれるとて、目黒雅叙園のロビーに13時半、集合。百段階段を見る。50年前に来た記憶あり、見事な建物。大円寺を見て中華店でビール。16時から予約してくれていた「たつみや」。その後、行き当たりばったりで「若菜」という店。目黒の秋刀魚焼を食す。帰宅直後雷と豪雨。 |
△彼岸花 多年草で花を楽しめる季節が長い薊(アザミ)の花名由来は、薊(アザミ)をとろうとしたものがそのとげに驚き興ざめしてしまうという意味合いの「あざむ」が語源だといわれています。また、沖縄の一部の地方では、トゲのことを「あざ」と呼ぶことからトゲの多い木という意味合いの「あざぎ」が由来だとも言われています |