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 8月号  2016年

伊藤伊那男作品 銀漢今月の目次 銀漢の俳句 盤水俳句・今月の一句  
彗星集作品抄    彗星集選評  銀漢集作品抄
  綺羅星集・作品抄  銀河集・綺羅星今月の秀句 星雲集・作品抄  
星雲集・今月の秀句   新連載  銀漢の絵はがき 掲示板 
 鳥の歳時記  銀漢日録  今月の写真 人生は夕方から楽しくなる


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伊藤伊那男作品


花茨         伊藤伊那男

簗組みて夜は星々梳くばかり
江ノ島を蓮華と囲む卯波かな
その岡のそののち知らず花茨
泥鰌鍋待つほどもなく煮え立てり
雨雲を角で探れる蝸牛
牛鳴けばまた柿の花こぼれつぐ
鶏小屋の菜切庖丁梅雨の錆
雨雲にあぢさゐの色せめぎ合ふ







        
             



今月の目次








銀漢俳句会/8月号



  
    
     
    







          





   


銀漢の俳句 

伊藤伊那男 

◎俳壇と歌壇

 某日出席した俳句関係のパーティーの来賓挨拶の中で歌人の佐佐木幸綱氏が次のようなことを仰った。「俳人と歌人はほとんど交流することが無く不思議だが、最近の作品を見ていくと昔と較べてその傾向は似通ってきているように思う。短歌は近時口語体で作る作家が増え、必然的に内容は砕けた方向に進んでいる。一方、俳句の方は俳味よりも文学的志向が強くなっているように感じている」と。一方は柔らかく、一方は堅くなってきている印象だと言うのである。そうそう、幸綱氏の祖父は佐佐木信綱で〈逝く秋の大和の国の薬師寺の塔の上なるひとひらの雲〉を教科書で知った。幸綱氏は日本酒一筋の酒豪で銀漢亭にも何度か寄って下さっている。
 さて私の育った「春耕」という結社は、句会が終われば必ず酒盛りとなり、句集が出れば盛大な祝賀会を開くという具合で、絶えず酒を絡めて親交を深めていたものだが、俳句の世界はおおむね似通っているようだ。一方短歌の世界は俳句ほど頻繁に酒盛りをすることもなく、歌集を出版しても祝賀会というよりも喫茶店で批評会を開く方が多いと聞いた。
 どうやら俳人の方が群れたがるようだ。やはり座の文芸である。酒場にしても鈴木真砂女の「卯波」や、高島茂さんの「ぼるが」には絶えず俳人が集まっていたものだ。先日「現代短歌新聞」五月号が届いた。「視点」というコラムに歌人の田村元さんが「歌人酒場待望論」を書いている。〈……大正の「ヨカロー」や「鳥又」、昭和の「赤い雪」のような、歌人が集う酒場が、現代の日本にもあったらいいと思うのだが、どうだろう。実は、俳句の世界には、すでにそんな店が存在している。神保町にある立ち飲み屋「銀漢亭」である。俳人の伊藤伊那男さんが店主で、俳人の集まる店として知られている。私も何度か訪れたことがあるが、いつ行っても俳人達が楽しそうに飲んでいるのだ。仕事帰りにふらっと飲みに行くと、そこに誰か一人は知り合いがいる。俳人にとっての「銀漢亭」のような店が、短歌の世界にもあってほしい。(中略)歌を詠むのは個人の営みだが、歌人たちが気軽に立ち寄ることができ、語り合える場があれば、創作の幅も広がるだろう。そんな場の一つとして、歌人酒場の誕生を夢見ている〉――こんな記事を見ると、老骨に鞭打ってもう少し続けなくてはならないかな、と思う。
 












 



  

盤水俳句・今月の一句


伊藤伊那男
:
安南に吾ありしとき竹夫人          皆川 盤水

不思議なことだが、この句は句集には未収録である。『風新俳句歳時記』で知った。先生は大連汽船に入社し、大連勤務のあと船舶運営会に派遣され、サイゴンに駐在。のちラオスに転勤し終戦を迎えた。句は若き日のサイゴン(現ホーチミン市)の思い出である。先生25歳の頃のことで何やら艶冶でもあり滑稽でもある。先生には戦争俳句は見当らない。戦時中の思い出でこんな句が出てくるのが先生の器の大きさである。
                                 (作句年不詳『風新俳句歳時記』所収) 













  

彗星集作品抄

伊藤伊那男・選

真つ新を日毎におろす祭足袋         夲庄 康代
折り癖に振り回さるる鯉幟          曽谷 晴子
江戸古地図城を攻めたる紙魚のあと      半田けい子
山祇の万古の風や御柱            戸矢 一斗
おほかたは読めぬ掛け軸お風入れ       半田けい子
万愚節マトリョーシカは子沢山        松川 洋酔
鑑真の一念ここに朴の花           松代 展枝
青芦や狩場の残る離宮跡           飯田眞理子
雨ながら長谷のにぎはひ筍飯         久坂衣里子
一木でこれほどまでの藤の花         志村  昌
母の日の母に訊きたる父のこと        堀切 克洋
老鶯や句座統ぶるかに虚子の墓        屋内 松山
屋号もて呼ばるる故郷夏まつり        松代 展枝
鏑矢を待つ初夏の馬場の木々         橋野 幸洋
ふらここの鉄鎖に浸むる今昔         坪井 研治
のぞき込む木落坂の残花かな         戸矢 一斗
更衣まだ細腕を頼られて           堀内 清瀬
飯噴けば遠い日見ゆる豆の飯         有賀 稲香
ペンギンを外に連れだす子供の日       坂口 晴子
手のひらに歩かせて買ふ子亀かな       五十嵐京子




















彗星集 選評 伊藤伊那男



真つ新を日毎におろす祭足袋         夲庄 康代
「さら(新・更)」という言葉は、東京に出てきてから初めて耳にしたように思う。「真」が付くから全くの汚れの無い新品である。何日も続く祭だが、毎朝新しい足袋を下ろす。神に仕える氏子なら尚更のことであり、なんとも小気味の良い心意気である。「日毎におろす」だけでも通じるかもしれないが「真つ新」と被せて強調したところが思わぬ効果である。 

折り癖に振り回さるる鯉幟          曽谷 晴子
一年中折り畳まれている鯉幟である。簡単に折り癖が直るわけではなく、その折り癖のために鯉幟の泳ぎ方が違ってくるのである。どことなくぎこちない泳ぎは折り癖に振り回されている為である。では来年は畳み方を変えればどうか、と思っても大きなものでもあり、また同じになってしまうのである。来年もまた……。ほのかな滑稽感である。 

江戸古地図城を攻めたる紙魚のあと      半田けい子
 江戸時代は世界史の中の奇蹟と言っていいほど平和な時代であった。ほぼ二世紀半、全面戦争が無かったのである。幕末でさえ西郷隆盛と勝海舟の会談により町も城も戦火を免れた。この句はそうであるけれど、古地図の城は紙魚に攻められて危うい状態にある、というのである。城攻めを「紙魚」に転じたところが手柄である。

山祇の万古の風や御柱            戸矢 一斗
今年は七年に一度の御柱の年であった。いつから続いているのか明確ではないが、どうやら稲作を持ち込んだ弥生の神と狩猟に生きた縄文の神との融合が一連の諏訪の祭りの中から読み取ることができるようである。ここでいう「山祇(やまつみ)」は諏訪の神居山、守屋山のことであろう。句の眼目は「万古の風」。永遠に変わらぬ風が御柱に吹いているというのである。格調の高い句となった。 

おほかたは読めぬ掛け軸お風入れ       半田けい子
代々続く家か、お寺などであろう。蔵の中のお宝に風を入れるのだが、読めないものがほとんどで、またどれほどの価値があるのかも解らない。ともかく仕来り通りに虫干しをする。何代かに一人学識者が出て確認すればよいのだ。そんな悠久の時間を感じさせる句である。 

万愚節マトリョーシカは子沢山        松川 洋酔
ロシアの土産としてマトリョーシカを貰ったことがある。大きさの違う人形を入れ子式に同形にして納めていくのだが、最後は一つに納まる。実は箱根細工や鉄鉢料理の鉢などの日本の技からヒントを得たものである。さてこの句「子沢山」が面白いし、「万愚節」の季語の取り合わせが絶妙。 

鑑真の一念ここに朴の花           松代 展枝
朴の花の白さと孤高の風情が鑑真の生き方に合致。 

青芦や狩場の残る離宮跡           飯田眞理子
 江戸にも今に残る狩場跡がある。ただし青芦の叢の中。

雨ながら長谷のにぎはひ筍飯         久坂衣里子
奈良か鎌倉か……。どちらにしても筍飯が似合う門前町。 

一木でこれほどまでの藤の花         志村  昌
 その通りだが。ここまでぬけぬけと詠んだ手柄。

母の日の母に訊きたる父のこと        堀切 克洋
 母の日だからこそ、父との出会いの事を切り出せたか。 

老鶯や句座統ぶるかに虚子の墓        屋内 松山    
死してなお威厳を保つ虚子である。「統ぶる」に凄味が。 

屋号もて呼ばるる故郷夏まつり        松代 展枝
祭に戻って屋号で呼び止められる。これも味わい。 
 
鏑矢を待つ初夏の馬場の木々         橋野 幸洋
流鏑馬前の馬場の様子。珍しい場面で臨場感が。 

ふらここの鉄鎖に浸むる今昔         坪井 研治
自分の幼児の時と変らぬ鉄鎖。大勢の子どもの手の跡が。 

のぞき込む木落坂の残花かな         戸矢 一斗
下社の木落坂であろう。喧噪のあとである。 

更衣まだ細腕を頼られて           堀内 清瀬
まだまだ一家の柱。細腕が支えているのだ。 

飯噴けば遠き日見ゆる豆の飯         有賀 稲香
炊飯器からいつもと違う匂。郷里を思い出したか。 

ペンギンを外に連れだす子供の日       坂口 晴子
子どもの日の特別行事。どちらもよちよち歩き。 

手のひらに歩かせて買ふ子亀かな       五十嵐京子
掌に乗せてしまったらもう買うしかない。 


 


 

 











銀河集作品抄

伊藤伊那男・選


姫神の山に名残りの桜かな       東京   飯田眞理子
雲雀鳴く大室山頂雲ん中        静岡   唐沢 静男
母の日の母の言の葉吾も子らに     群馬   柴山つぐ子
争ひもすぐに飽きたる春の鴨      東京   杉阪 大和
祭太鼓古書街の路地震はせて      東京   武田 花果
春禽のこゑに明けゆく一の宮      東京   武田 禪次
突つ掛けのままの裏畑豆の花      愛知   萩原空木水
桂郎の里の田水よ昼蛙         東京   久重 凜子
虚子の墓訪ひたる古都の花祭      東京   松川 洋酔
石鹸玉割るだけの子もなかにゐて    東京   三代川次郎
筍が天王山の大地割る         埼玉   屋内 松山






   


















綺羅星集作品抄

              伊藤伊那男・選 

干してなほ風に勢ひの祭足袋       埼玉   伊藤 庄平
夏桑の迫り出してくる上州路       東京   伊藤 政三
いかなごの釘煮ときどき五寸釘      東京   大西 酔馬
若竹や我が背の丈を目で計る       神奈川  鏡山千恵子
紙風船軽さは息のやはらかさ       和歌山  笠原 祐子
いち年を焚き今日よりは夏炉なる     東京   桂  信子
ただ闇の辺りを拝む御開帳        東京   朽木  直
ハチ公のしつぽで待てる夏帽子      東京   島  織布
薔薇園の隅の隅なる鉢置場        東京   曽谷 晴子
春昼の納屋の四隅の小暗がり       埼玉   多田 美記
佐保姫の悪びれもせぬ遅参かな      東京   谷岡 健彦
糸遊や穴開くだけの石祠         埼玉   戸矢 一斗
明日よりの祭の道を掃いてをり      茨城   中村 湖童
菖蒲湯のタイルの目地の白きこと     東京   森 羽久衣

髪切りて更衣とす床の母         東京   相田 惠子
念力で生きたる齢柿若葉         宮城   有賀 稲香
暮しの灯なほふくらませ春惜しむ     東京   有澤 志峯
衣更へて憂ひの軽くなりにけり      東京   飯田 子貢
縁側に野良着のままの柏餅        静岡   五十嵐京子
麦笛を甘嚙みゐれば少年期        東京   上田  裕
亡き父に杖をと藜育てゐし        埼玉   梅沢 フミ
青葉区の緑陰にゐて清々し        神奈川  大野 里詩
仲見世に担ぎ手の来る夕薄暑       埼玉   大野田井蛙
風車思ひもかけぬ色に止む        東京   大溝 妙子
菖蒲湯の菖蒲首筋切れむほど       東京   大山かげもと
老鶯や小石で落とす鍬の土        東京   小川 夏葉
湧水に梳かせて富士の水草生ふ      埼玉   小野寺清人
如何にせん遺影の母の更衣        東京   影山 風子
シャツに貝ボタン掛け換ふ更衣      東京   我部 敬子
芍薬園坐るでもなく香にひたる      高知   神村むつ代
剃り跡のざらつき午後の薄暑かな     東京   川島秋葉男
母の日の姥捨山に日の没す        長野   北澤 一伯
法輪の多しと見れば橡の花        東京   柊原 洋征
青鳩の海をそびらに円位堂        神奈川  久坂依里子
鰺フライの太つてをりぬ三ノ輪橋     東京   畔柳 海村
樟若葉ポストの上で書く手紙       神奈川  こしだまほ
年ごとに丈つめてゆく更衣        東京   小林 雅子
むつごろう恋のジャンプのやや斜め    長崎   坂口 晴子
白き帆のふゆる一湾夏来る        千葉   佐々木節子
水鉄砲あらぬ方より飛びきたる      長野   三溝 恵子
降りみふらずみ糠雨の茅の輪かな     静岡   澤入 夏帆
ひとところ群れゐて一人静かな      東京   島谷 高水
薫風の宇治に浄土の風めきて       兵庫   清水佳壽美
遅き日や靴持て上がる子規の家      東京   白濱 武子
紫蘇の芽の隣家の庭も我が庭も      東京   新谷 房子
葛城を燃えたたせたる山躑躅       大阪   末永理恵子
老鶯や背に前方後円墳          静岡   杉本アツ子
剪定の音メンデルの葡萄の木       東京   鈴木てる緒
緋牡丹に雨多き日の嘆きあり       東京   角 佐穂子
新緑の風や丹田透くほどに        東京   瀬戸 紀恵
花みかん咲くを待たずに農の妻      愛媛   高橋アケミ
御柱立ち鳥声の澄み渡る         東京   高橋 透水
木いちごの花や流刑の島けぶり      東京   武井まゆみ
御柱腹這ひに押す男綱          東京   多田 悦子
ままごとの一升もある花のちり      東京   田中 敬子
名城の天守無残や梅雨に入る       東京   谷川佐和子
湯あがりの童とみゆる甘茶仏       神奈川  谷口いづみ
永き日の漬物石の干されをり       東京   塚本 一夫
わらべ歌やがて揃へり蝌蚪手足      愛知   津田  卓
味噌蔵の麹目覚むる穀雨かな       東京   坪井 研治
遠足の列伸びきつて土手の風       千葉   土井 弘道
しばらくは富士山(ふじ)に寄り添ひ春の旅    神奈川  中川冬紫子
強東風のあるいは龍の息吹とも      大阪   中島 凌雲
百千鳥第二楽章かもしれず        東京   中西 恒雄
ファスナーの開閉難き更衣        東京   中野 智子
川よりも空に激流鯉幟          東京   中村 孝哲
熟れ麦の入り日の熱をとどめをり     愛知   中村 紘子
入学児お辞儀に開くランドセル      東京   西原  舞
多賀城址しのぶ昔や花あやめ       東京   沼田 有希
ふるさとを離れし月日井月忌       神奈川  原田さがみ
均等に分くる渋みや新茶注ぐ       兵庫   播广 義春
地震見舞文に添へらる新茶かな      福岡   藤井 綋一
薫風や床屋帰りに食ふカレー       東京   保谷 政孝
鈴懸の葉擦清しき夏に入る        東京   堀内 清瀬
逃水や妣を慕へば妣遠く         岐阜   堀江 美州
母の日のエプロンやはらかく解く     東京   堀切 克洋
いつまでも妹子はをさな豆の花      埼玉   夲庄 康代
雨雲を撥ね飛ばしたるねぶたの灯     東京   松浦 宗克
夏うぐひす海の膨るる切通し       東京   松代 展枝
錆深むハーモニカ吹く昭和の日      東京   宮内 孝子
雨足りて田蛙ぞ皆寝しづまる       千葉   無聞  齋
おもかげの夫の薔薇垣明るくて      東京   村上 文惠
ざくろの芽横一列の音符かな       東京   村田 郁子
手庇に光りて遠き夏の富士        東京   村田 重子
生贄の祭祀今なほ青葉雨         千葉   森崎 森平
蟇足の遅れて水に入る          埼玉   森濱 直之
索麺の光束ねて流したり         愛知   山口 輝久
をちこちに群れゐて一人静かな      東京   山下 美佐
半玉のお国訛りや桜茶屋         群馬   山田  礁
引潮の残す藻屑や鳥曇          東京   山元 正規
松の芯智恵子の空へこぞり立つ      千葉   吉沢美佐枝
田楽の串の青さや山暮るる        神奈川  吉田千絵子
帰郷して早も五年や柿若葉        愛媛   脇  行雲
小余綾の磯に青鳩待つ夕べ        東京   渡辺 花穂















     







銀河集・綺羅星今月の秀句

伊藤伊那男

石鹸玉割るだけの子も中にゐて       三代川次郎
 こういう子がいる。私もそうであった。石鹸玉を吹く子を詠むのではなく、吹かれた先の動きに目が届いたところが珍しい。誰もが、ああ、そうだったよね、と思う。俳句はこうした死角を発見することが肝要である。

夏桑の迫り出してくる上州路        伊藤 政三 
信州の父の生家は養蚕農家であった。茅葺屋根の家のほとんどの部屋が蚕棚に占領された。村落中が桑畑であった。思えば五十年前との風景の違いは「桑畑」の有無だ、と今気付いた。上州ももちろん養蚕王国であった。長く伸びた桑の枝が道にも迫り出している。大きく撓っているのである。上州路の地名を効かせて臨場感のある風景の回顧である。余談だが〈桑の葉の照るに堪へゆく帰省かな〉は東京生まれの秋櫻子が席題で作った句だという。席題でこの臨場感とは!ちょっと嫌な話だ。
 
干してなほ風に勢ひの祭足袋        伊藤 庄平
祭足袋を詠んで、かってこんな句があっただろうか?その目配りには唸るしかない。もう祭は終わっているのである。干された大足袋が風に揺れているのだが、その足袋に祭の勢いが残っているようだというのである。神輿を担ぐ足取りの名残をそこに感じているのである。 

いかなごの釘煮ときどき五寸釘       大西 酔馬 
 一読愉快な句である。関西、特に神戸の方たちはこの時期競っていかなごの佃煮を作る。生姜や山椒の味などを使い各々家庭の味を出す。素人の料理なので、中には異常に大きなものも混入しているのであろう。そこを「五寸釘」と比喩したところが技である。
  
菖蒲湯のタイルの目地の白きこと      森 羽久衣
気持のよい仕立ての句である。菖蒲湯に合わせて風呂場を磨き上げたのである。目地まで白い。節句の祝いも気分が高まるというものである。具体的な「物」を詠んだこと、自分の感情を表に出さず、事実だけを述べたことがよいのである。結果として作者の喜びが伝わってくるし、新鮮な発見も共有できるのである。
 
明日よりの祭の道を掃いてをり        中村 湖童

祭の当日を詠まずに、前日を詠んだところがユニークである。よそからの見物人や親戚が来るかもしれないので丁寧に掃除をする。もちろん神様の通り道でもある。そうした町衆の心配りや配慮が感じられるのである。祭を視点を外して詠みとった佳品である。


糸遊や穴開くだけの石祠          戸矢 一斗
糸遊(かげろう)、陽炎とも書く。春、空気の密度分布に異常が起こり、物がゆらいでみえるのである。石祠は穴が開いているだけ。しかし目に見えない何かがありそうな不思議な句である。
 
春昼の納屋の四隅の小暗がり        多田 美記
納屋という空間の特徴をうまく掴んでいるようだ。農具や藁束などが隅に積まれている。春の日が伸びて納屋の中を照らすのだが、全てに届くわけではなく、四隅に暗がりが残る。そこを捉えた感覚は見事である。「春昼」の季語が動かない。しっかりと季感を捉えたのである。
 
ハチ公のしつぽで待てる夏帽子       島  織布
たとえば〈ハチ公の辺りで待てる夏帽子〉という句と較べたらどうであろうか。俳句の要諦はこの僅か三文字の「辺り」と「しつぽで」との違いである。「しつぽで」この句は強烈な印象を深めるのである。少し控え目に隠れるように待つ。そうした微妙な心理までが投影した句に変身するのである。そうした意味で記憶に残しておいてよい句だ。
 
いちねんを焚き今日よりは夏炉なる     桂  信子
意表を突く発想の句である。たとえば峠の茶店のようなところを想像してみよう。一年中「炉」を焚いているのである。岩魚など焼いていたりもする。昨日も焚いているのだが、今日からは「夏炉」に変わる。節目のない日常に、季節が変化を与えているのである。眼力のよさを称えたい句である。同時出句の〈阿夫利嶺や二ケ領かつて水敵〉〈月よりの人に逢いたく竹を植う〉も秀逸!

その他印象深かった句を次に
  

若竹や我が背の丈を目で計る        鏡山千恵子
紙風船軽さは息のやはらかさ        笠原 祐子
ただ闇の辺りを拝む御開帳         朽木  直
薔薇園の隅の隅なる鉢置場         曽谷 晴子
佐保姫の悪びれもせぬ遅参かな       谷岡 健彦











                 
    
   

 
 



 



星雲集作品抄

             伊藤伊那男・選


吾子の手に水ごと蝌蚪の囚はるる    愛知    住山 春人
スプーンを跳ね返したる氷菓かな    東京    梶山かおり
うららかや雲へと二人乗りリフト    東京    今井  麦
蜂蜜に溺るる心地春の夢        宮城    小田島 渚
味見でも酔へる梅酒の出来上がる    神奈川   上條 雅代
篝火の舞さながらに薪能        和歌山   熊取美智子
鉄鍋に大筍の腰湯かな         埼玉    池田 桐人
水蛸のあたま平らに市場這ふ      東京    小山 蓮子
徐に家系図を出す端午かな       東京    小泉 良子
水張つて蛙囃子を田へ招く       長野    髙橋 初風
噓までも父は生まじめ万愚節      神奈川   宮本起代子
衣更ふ養生訓などなかりけり      東京    半田けい子
少しづつすべて大きめ一年生      神奈川   多丸 朝子
衣擦れと紛ふ物音夕牡丹        埼玉    萩原 陽里
納豆に辛子たつぷり昭和の日      長野    守屋  明
富士山を持ち上げてゐる新茶かな    神奈川   有賀  理
慈しむかに薄き雨牡丹咲く       長野    唐沢 冬朱
石鹸玉色を絡めて吹かれをり      大阪    辻本 理恵
京菓子のくすめる色に春惜しむ     東京    橋野 幸洋
我が部屋に知らざる扉春の夢      神奈川   福田  泉

ベランダに都電みおろす鯉のぼり    東京    秋田 正美
運河ゆく海月と歩み同じうす      埼玉    秋津  結
盆栽の樹齢百年ぶな若葉        神奈川   秋元 孝之
あぢさゐの花の重たき仏間かな     東京    浅見 雅江
吹かれゆく蒲公英の絮旅の中      東京    荒井 郁子
生涯を故郷離れず柿若葉        愛媛    安藤 政隆
つつがなき富士の白さや五月晴     東京    井川 敏夫
更衣新人遂に電話取る         東京    生田  武
日に二度のバスの警笛豆の花      神奈川   伊東  岬
豆飯や寝起きの五感香りより      埼玉    今村 昌史
一点の雲無き下の田植かな       愛媛    岩本 昭三
朝掘りといふ筍の祝ひ膳        神奈川   上村健太郎
胎の子に食はするやうに鰻食ふ     シンガポール 榎本 陽子
麦笛を吹き遠き日を呼びもどす     埼玉    大木 邦絵
渡良瀬の広さ葭切鳴くばかり      埼玉    大澤 静子
息止めて根切虫てふものを見る     東京    大沼まり子
麦飯を食めば戦後のことどもを     群馬    岡村妃呂子
神楽坂上りつめれば江戸薄暑      神奈川   小坂 誠子
薫風のつらぬく比叡奥比叡       京都    小沢 銈三
諍ひに割つて入りし金亀子       埼玉    小野 岩雄
葉桜や午後の微熱を書き忘れ      静岡    小野 無道
夏めくや揺るるピアスを選びをり    東京    桂  説子
壺型の弁当箱に蛸の飯         静岡    金井 硯児
邪気抜けし身体並べて菖蒲の湯     東京    上瀬由美子
翡翠を見つけて得をしたやうな     東京    亀田 正則
行く雲や立夏を映す硝子窓       神奈川   河村  啓
玉鴫や連理の声を畝越しに       愛知    北浦 正弘
柏槙の露な亀裂春暑し         神奈川   北爪 鳥閑
風なくて干魚のごとき鯉のぼり     東京    絹田 辰雄
石南花に目指す山路を励まされ     埼玉    黒岩  章
外宮より尺蠖付けて宇治橋に      愛知    黒岩 宏行     
麦笛を吹きつつ父の後追ひし      東京    黒田イツ子
灰汁抜きの筍届く表年         愛媛    来嶋 清子
立山の空深々と雪の壁         群馬    小林 尊子
引鴨の真青の空の瀬音かな       東京    斉藤 君子
しばらくは金雀枝の黄が道標      神奈川   阪井 忠太
麦秋や古き良き日の小津シネマ     東京    佐々木終吉
山門の気遣ひの傘夕牡丹        群馬    佐藤 栄子
夕陰とやがてなる村花林檎       群馬    佐藤かずえ
若葉風母待つ家に急ぎけり       群馬    佐藤さゆり
羽衣のごとくほどけし桜漬       東京    島谷  操

さみだれの降る音も無くとめどなく   埼玉    志村  昌
尊徳の歌碑緑陰に標なす        東京    須﨑 武雄
老鶯の呼び鈴かとも切通し       東京    鈴木 淳子
高原の野菜畑や蝶に風         群馬    鈴木踏青子
業に藍の剣や杜若           埼玉    園部 恵夏
水かぶる神輿も人もはじける夕     東京    田岡美也子
たんぽぽや仲のいい子は二階下     山形    髙岡  恵
薫風や千年の杉神さびる        福島    髙橋 双葉
母の日や偲ぶ遺影の色褪せて      埼玉    武井 康弘
母の日や子が幸せで何よりと      広島    竹本 治美
宇治橋を渡る振袖風光る        三重    竹本 吉弘
校庭に続く球音風薫る         東京    田中 寿徳
蕗採りし音を束ねて風はこぶ      東京    田中  道
亡き父の眼鏡は丸く昭和の日      東京    辻  隆夫
天気良き日を見計らひ更衣       東京    辻本 芙紗
かはりたる蕎麦屋の暖簾夏来る     東京    手嶋 惠子
強風を味方につけて幟立つ       東京    豊田 知子
源氏の海白一面に卯波立つ       神奈川   長濱 泰子
揺れ零れ藤の匂ひとなりにけり     埼玉    中村 宗男
なきごとは五月の闇に放りけり     長崎    永山 憂仔
富士山の額になりたる植田かな     神奈川   萩野 清司
桐の花二階にたてば眼の高さ      東京    長谷川千何子
柏餅皿に残りし葉の開く        神奈川   花上 佐都
峰々が村の代田に収まれり       長野    馬場みち子
新緑や四方水音の深大寺        東京    福永 新祇
ゆつたりと夕餉の仕度日の永し     東京    福原 紀子
初夏の香を運ぶ迂回の三輪車      愛知    星野かづよ
老鶯の繁し名越の切通し        東京    星野 淑子
小判草触れて音なき流人墓       東京    牧野 睦子
蝌蚪群れて池に朝陽を集めたり     愛知    松下美代子
大南風の鼓動のごとく列島に      神奈川   松村 郁子
野火の烟たなびき富士を隠さむと    神奈川   水木 浩生
出番待つ馬を宥むる賀茂祭       京都    三井 康有
豆の花ここにもありし郷の富士     東京    宮﨑晋之介
せせらぎの音のみのして濃山吹     東京    宮田 絹枝
新緑を薬味に添へて蕎麦啜る      東京    八木 八龍
古寺や訪ふ人もなく秋隣        東京    家治 祥夫
聞き役となりし母の日小半日      群馬    山﨑ちづ子
薫風や砂場に声の集まりて       東京    山田  茜
母の日やお手伝ひ券空手形       静岡    山室 樹一
逃げ惑ふ蝌蚪の隠るる足の跡      千葉    吉田 正克
新緑や木洩れ陽集ふカフェテラス    神奈川   渡辺 憲二
灯しおく衣桁に明日の花衣       埼玉    渡辺 志水
青空があれば充分子供の日       東京    渡辺 誠子
江戸風鈴昭和の話題持ち来る      東京    渡辺 文子
















     





星雲集 今月の秀句

伊藤伊那男
    

吾子の手に水ごと蝌蚪の囚はるる      住山 春人
子供達はおたまじゃくしが好きである。音譜のような滑稽な形、懸命な泳ぎ方などが共感を呼ぶのであろう。子供がおたまじゃくしを捕えるのに「水ごと」掬う。蝌蚪は窪めた手の中に「囚(とら)はるる」。子供ながらの優しさを丁寧に詠み取っている。同時出句〈ざりがにをつりあげし子に子供の輪〉も楽しい句だ。「子に子供の輪」などはリフレインの使い方が巧みで臨場感がある。この作者は長らく子供を詠み続けてきており、その積み重ねの中の上澄みである。 


スプーンを跳ね返したる氷菓かな      梶山かおり
もはや俳句でしか使われなくなった「氷菓」――アイスクリーム、アイスキャンデー、シャーベットなどの総称である。この句はたとえば「ガリガリ君」のような氷の塊か、あるいは固すぎるカップアイスか‥‥。スプーンが使えない固さである。食べたいけれどしばらく待たねばならないもどかしさも籠る。蓋を取った瞬間を捉えて新鮮である。同時出句の〈あぢさゐの花となり初む浅みどり〉も対象をよく観察している。この写生の姿勢がいい。


うららかや雲へと二人乗りリフト      今井  麦
 伊豆吟行の折の大室山リフトの一景であろう。リフトの半ばから上は雲の中であった。その場面を離れても、たとえば結婚式の祝句に使ってもいいような一般性を持っている。この明るくおおらかな詠み方がいい。


蜂蜜に溺るる心地春の夢          小田島 渚
 「春の夢」という季語の本意に迫った感性の鋭い句である。このような比喩は習練によって育てられるものではなく、持って生まれた感覚なのであろう。見事である。 


味見でも酔へる梅酒の出来上がる      上條 雅代
きっと旨い梅酒なのであろう。旨いものを最大に旨いと思わせる表現が俳句の技である。味見だけで陶酔できるという。最少にして十分な表現。同時出句の〈青空を駆けてみせたる水馬〉も独自の視覚で機知の確かさを見せた。 


鉄鍋に大筍の腰湯かな           池田 桐人
家の中の一番大きな鍋を使っても半分位しか沈まない大筍。「腰湯」の擬人化でほのかなユーモアを醸し出すのである。同時出句の〈なじめざる祭ばかりや離郷して〉も故郷を離れた都会生活者の望郷の念がほのかに滲む。


徐に家系図を出す端午かな         小泉 良子
確かに、こんな日にこそ家系図を広げるのがふさわしい。まだ理解できない子供にも見せて、この家の跡取りとしての意識を持たせていくのであろう。同時出句の〈水動くところはたしてあめんぼう〉も素直な感動である。


噓までも父は生まじめ万愚節        宮本起代子
一昔前の父の肖像といった感じの句である。仕事一筋に生きてきて冗談なども言えないような父なのであろう。四月馬鹿の日に試しに噓を言ってみたのだが、ばればれ。 


少しづつすべて大きめ一年生        多丸 朝子
学生服が大き目である――というような句はよく目にする。が、この句は身につけるもの総てが大き目、というところが眼目である。服も靴もシャツも靴下も、半ズボンまでも‥‥と、おかしさが募るのである。「一年生」という下五の抑え方もいい。 


納豆に辛子たつぷり昭和の日        守屋  明
 昭和天皇の誕生日、四月二十九日が、平成の世に変ってから昭和の日という祝日に替った。激動の時代でもあった昭和だけに「辛子たつぷり」の措辞にそこはかとない感慨が籠っているように思われる。同時出句の〈晩年の顔ほころばせ新茶汲む〉〈茶袋を振りて新茶の音を聞く〉も新茶を配した味わいの深い句となった。


富士山を持ち上げてゐる新茶かな      有賀  理
 何とも壮大な句である。茶畑に噴き出した新茶の葉が富士山を持ち上げているようだ、という。茶摘前の茶葉を「新茶」と言ってよいのか?という意見が出るかもしれないが、このままでいい。新茶の入った袋の図柄と見てもいいし、喫している自分の心象風景とみてもよい。
その他印象深かった句を次に。

我が部屋に知らざる扉春の夢        福田  泉
慈しむかに薄き雨牡丹咲く         唐沢 冬朱
水蛸のあたま平らに市場這ふ        小山 蓮子
石鹸玉色を絡めて吹かれをり        辻本 理恵
京菓子のくすめる色に春惜しむ       橋野 幸洋















        

新連載 伊那男俳句  


伊那男俳句 自句自解(8)
          
  蕨餅三月堂の闇を出て


 奈良が好きで若い頃からよく通った。野村證券を辞めてオリックスに転職した折も、あと1週間勤めれば丸5年勤務となり、退職金の額も随分違うから、と上司に説得されたが、3月下旬に辞めて数日間奈良に遊んだ。27歳の時で、まだ俳句は始めていなかった。平成2年「春耕」創刊25周年記念賞の募集があったとき、奈良を詠もうと決めて、金曜日の新宿発奈良行きの夜行バスに乗った。土、日の丸々2日間20句の作句に没頭した。当時の「春耕」誌を繙いてみると、応募は134篇あり、2人受賞の1人に選ばれた。41歳であった。奈良は私にとって心身を癒される場所である。奈良公園の三月堂は不空羂索観音や日光・月光菩薩など天平仏の宝庫である。その頃、三月堂の拝観券を売る堂守の足元には炭火を熾した七輪が暖房具として置かれていて、火の始末を心配したものだ。二月堂との間にもしかしたら日本で一番古いかもしれない茶店があり、蕨餅が名物であった。

  
井月の墓どこからも雪解風


 伊那谷で育ったけれど、俳句を始めるまで、井上井月という俳人のことは全く知らなかった。俳句を始めたことを知った父が、広辞苑と『井月全集』を送ってくれた。句集の扉に井月の墓の写真があった。その写真と伊那の風景の連想から掲出句が浮かんだ。句会に出したところ盤水先生から随分褒めていただいた。そのあとの酒席で仲間から井月のことや墓の様子などを問われた。ところが井月の句や人生をほとんど知らないし、墓も実は知らない。しどろもどろにその場は繕ったが、写生を重んじる結社の一員としては恥ずべきことであり、次の休日に墓を訪ねた。井月が今ほど知られていない時のこととて、地元のタクシーの運転手も場所が解らず途方に暮れた。それから30年近くを経て、井月は全国区の俳人として評価が高まってきた。私も『漂泊の俳人 井上井月』を執筆したし、今年の第25回信州伊那井月俳句大会では講演をすることとなった。全てはこの句が出発点ということになる










  
  
   


 





人生は夕方から楽しくなる

             





画像上でリンクします。
2016年6月10日 毎日新聞東京夕刊掲載記事。


 201年6月10日付東京毎日新聞夕刊に伊藤伊那男主宰の大写しの写真が掲載去れました。鈴木琢磨氏の署名入り記事で「銀漢亭」の亭主としてまた「銀漢」主宰としての活動を紹介あうる洒脱な文章に思わずl心が波立ちます。












  
  
   


 



銀漢の絵はがき


挿絵が絵葉書になりました。
Aシリーズ 8枚組・Bシリーズ8枚組
8枚一組 1,000円

ごあいさつにご利用下さい。


    
       


   
            











掲示板

















 




鳥の歳時記


     



花鶏

























             
 
  







銀漢亭日録

伊藤伊那男

5月

5月3日(火)
6月号の会員評、大溝さんへ送る。14時、太田うさぎさん宅へ。「銀漢亭」アルバイトとコアな客の集い。料理と酒を持ち寄り。15人。20時過ぎまで。皆、よく飲む。これで連休の前半終了。

5月4日(水)
4月の店の月次表。あっ、大変! 月末の支払い忘れていた! 雑用や礼状。終日家。

5月5日(木)
同人評、彗星集評仕上げ、送付。やっと6月号の原稿終了。14時、杏一家来てガーデンパーティー。バーベキューなど。12人。

5月6日(金)
10時、トヨシマクリニックにて胃カメラ検査。久々店。「大倉句会」あと21人! 

5月7日(土)
10時、玉川学園前駅。「早蕨句会吟行会」に呼んで戴く。男12、女14人。玉川大学キャンパスに始まる尾根道を散策し鶴川の谷戸へ抜ける。新緑の田園風景佳し。農家の筍、筍飯など買う。鶴川の「山内農場」という店を開けてもらい昼食、句会など。17時前から宴会。武田、杉阪さんも同道。「早蕨句会五周年記念号」も出て和気藹々。あと寿司店で二次会の接待を受ける。久重さんに感謝。

5月8日(日)
連休の疲れが出たか、10時間ほど寝た様子。礼状、通信。畔柳海村句集の句稿再点検。

5月9日(月)
店、群馬の鈴木踏青子さん、学士会館のパーティーの途中に抜け出して寄って下さる。お元気。発行所「かさゝぎ俳句勉強会」、あと12人。今日は上田五千石の句の勉強会と。雨となる。

5月10日(火)
「火の会」9人。他、閑散。

5月11日(水)
発行所「梶の葉句会」選句。夜は「きさらぎ句会」、あと店へ11人。国会議員のT先生。伊那の小池君。駒ヶ根出身の後輩、落語家真打の春風亭愛橋君と。水内慶太さん一派などなど。

5月12日(木)
発行所「十六夜句会」、あと11人。広渡敬雄さん5人。清人、洋、宗一郎、麒麟、岡山の黒岩君。皆川文弘さん。賑わう。「現代短歌新聞」5月号の「視点」の欄に田村元さんが「歌人酒場待望論」を書き、その中で、俳句の「銀漢亭」のような店が歌壇にも欲しいと。

5月13日(金)
閑散。仙台の浅川芳直君(「駒草」)、「群青」「いつき組」の幌谷魔王さん。2人とも学生。訪ねて来てくれる。

5月14日(土)
快晴。10時、運営委員会。11時、(株)北辰社株主総会。13時、ひまわり館にて「銀漢本部句会」、58人。あと、テング酒場に20人程、親睦会。畔柳海村さんの句集の打合わせち序文書くのに当たっての聴取。武田編集長、馬場龍吉さんと共に。

5月15日(日)
宮澤、富山の美術館の写真展から戻り、新宿で映画のトークショー。折り返し富山へ。G7環境大臣会議絡みの企画。海村句集の序文の構想、エッセイなど。疲れがたまっていて寝たり起きたり。16時、桃子が早い夕食にして飲もう! というので、カラスミ、鮪、明日葉、とろろ芋など用意。酔いが早く寝る。

5月16日(月)
明日、大腸内視鏡検査にて食物注意せねばならぬ。店、「演劇人句会」11人。「橘」の佐怒賀直美主宰、「海程」の五島高資さん、他五名で、神田明神の薪能見たあと寄って下さる。五島さんと話すのは初めて。今日はお粥少々。酒飲まず。

5月17日(火)
画像は毎日新聞夕刊掲載記事は鈴木琢磨記者でした。画像上でリンクします。
堀切克洋君が中村草田男のご息女・弓子さんと会ったというので、私の叔父・池上樵人が草田男の弟子だったと伝えてくれと言うと、最早、弓子さんから「なんと、なんと、池上樵人さんは私の幼年時代から大学生の弟子として拙宅に出入りしていらっしゃり、亡くなられるまで近しい方で、言ってみれば、親戚の叔父さんというような感じの親しい方でした」との返信あったと。昼、トヨシマクリニックにて大腸内視鏡、20数年ぶり。ポリープいくつか取ったと。帰宅してお粥。雨。店、毎日新聞の鈴木琢磨記者、熊本のミュージシャンと。

5月18日(水)
畔柳海村句集の序文7枚ほど。鈴木忍さんの手伝い日。NHK OBの水津さん、今井聖、水内慶太、合谷美智子、今泉礼奈、松川洋酔さん。出版関係社の方……その他。「三水会」6人。「宙句会」13人。

5月19日(木
ヘアメイクの中川さん来てくれて調髪。「銀漢句会」あと17人。

5月20日(金)
「蔦句会」あと5人。奈良の深川知子さん、弟の入沢さんと。あとは閑散。

5月21日(土)
正午、丸の内の日本工業倶楽部にて復本一郎さんの「鬼」20周年記念祝賀会。俳文学者や太田治子さんなど俳人のパーティーとは少し違う顔ぶれ。15時過ぎ、日本橋「鮨の与志喜」に滑り込み、「纏句会」選句。鰹の叩き、金目鯛煮付、穴子焼、握り。三越一階ホールにて宮澤の写真展開催中にて皆で見学。あと有志でワインレストラン。帰宅すると、幼稚園の運動会あと四家族位が集まっており、参加。いやいや昼から飲み続けの1日。

5月22日(日)
休養日。寝たり起きたり選句したり。「俳句」7月号に16句出句(主に御柱祭)。

5月23日(月)
三輪初子さん夫妻、宮澤の写真展あと寄って下さる。池田のりを、敦子、清人、羽久衣さんなど。閑散。

5月24日(火)
「萩句会」選句。店、伊那北高校九年先輩の市川さん、漫画家の橋爪まんぷさんなど5名。対馬康子さん久々。山田真砂年さん。全体閑散……ああ……。

5月25日(水)
NY在住の月野ぽぽなさん、伊那北の仲間(私より16歳下)5人ほどと。先輩の井ノ口さん、北村監督、井蛙さんも加わる。「雛句会」13人。その他賑わう。久々。

5月27日(金)
14時、鳥居真里子さんの「門」同人会に発行所貸し出し。16時、「春耕烏山句会」の面々8名来店。かねてから銀漢亭へ来たかったと。嬉しい事。杉阪さん指導の会。皆川文弘さん、6月号の盤水先生のルーツのエッセイ読んだと。「金星句会」あと7名。半田けい子さん句友の橋本さんと。

5月28日(土)
金融会社時代の同窓会。去年は36人集まったが、さすがに今年は15人。その分、思い出話にも熱が入る。15時から20時過ぎまで盛り上がる。片付けた後、割烹Kに寄り、エッセイの構想など。こういう時間が好きである。

5月29日(日)
13時より、「草樹」創刊5周年祝賀会。アルカディア市ヶ谷。武田編集長と。16時から二次会もあり酩酊。

5月30日(月)
店、藤森壮吉さんの「閏会」8名。広渡敬雄さん、青木さん、忍さん他。登山打ち合わせと。水内慶太、水香さん。山田真砂年さん。

 5月31日(火) ←画像上でリンクします。
9時過、トヨシマクリニック。胃・腸検査の所見。胃はピロリ菌発生。腸はポリープ七つ取ったが良性。あとは血糖値要注意の他はOK。検査、意義あったと。ピロリ菌退治の投薬受け、一週間禁酒の要あり。さて、いつから始めるか非常に難しい設定である。先日、漫画家集団の展示会でクミタリュウさんが私の似顔絵に〈豆撒くや身に一匹の鬼育て 伊那男〉を添えた作品の展示あったと聞いたが、何とその現物が届く。私が句を入れるためのものも含め3枚。
毎日新聞鈴木琢磨記者。夕刊の「人生は夕方から楽しくなる」の企画で私を取材したいと。金曜日、カメラマンと来る事に。1頁、カラー写真入りと。松川洋酔さん73歳誕生祝。27人集合。水内慶太さんも。その慶太さんから月山筍到来。柴山つぐ子さんから野蒜と蕗到来。柚口満さんから青山椒。



















           
△『漂白の俳人・井上井月』伊藤伊那男著
          
  
    






今月の季節の写真/花の歳時記



2016年8月26日撮影  浜栲  TOKYO/HACHIOJ






花言葉    愛の喜び

△浜栲(ハゴウ)
漢方薬としても利用され、実を乾燥させてものを蔓荊子と呼ばれ、鎮痛、解熱、強壮などに効果がある。茎葉は入浴剤にすると神経痛、肩こり、筋肉痛などに効果がある。以前は葉や樹皮に香りがある事から、お香や線香の材料に使われていた。香煙を仏にささげた「浜香」が  語源になっているとか・・。平安時代の貴族は疲労回復や安眠のために、実を集め枕に入れて寝たそうです。海浜にある花のようですが、とある民家の八王子にさいていました。


△北軽井沢で撮影した花シリーズ
北軽井沢で撮影した花シリーズを掲載させたいただきます。(7月31日~8月1日)標高1,100M 
   
背高泡立ち草  瑠璃玉薊    擬宝珠  花豆  嬬恋村キャベツ
  以上、北軽井沢で撮影しました。 
 ベルガモット 花笠菊   姥百合  マツムシソウ  
         
紅葉葵  浜栲       
画像上で拡大します。


写真は4~5日間隔で掲載しています。 

2016/8/24
更新


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