HOME 句会案内 バックナンバー  

 2017年 1月号  2月号   3月号 4月号   5月号  6月号  7月号  8月号  9月号  10月号   11月号  12月号
 2018年  1月号  2月号 3月号  4 月号   5月号  6月号   7月号 8月号  9月号  10月号    11月号 12月号 
 2019年 1月号  2月号  3月号  4月号  5月号  6月号   7月号 8月号   9月号 10 月号   11月号  12月号
 2020年  1月号  2月号  3月号  4月号  5月号 6月号  7月号   8月号 9月号  10月号  11月号  12月号 
 2021年  1月号 2月号  3月号  4月号  5月号 6月号   7月号  8月号 9月号  10月号  11月号   

 11月号  2021年


伊藤伊那男作品     銀漢今月の目次  銀漢の俳句 盤水俳句・今月の一句   
 彗星集作品抄    彗星集選評  銀漢賞銀河集・作品抄  綺羅星集・作品抄
  銀河集・綺羅星今月の秀句 星雲集・作品抄  星雲集・今月の秀句    伊那男俳句  
銀漢の絵はがき 掲示板   主宰日録  今月の写真   俳人協会四賞受賞式
銀漢季語別俳句集


伊藤伊那男作品


主宰の8句












        
             

             
             

    

今月の目次








銀漢俳句会/2021/11月号









 
 

















銀漢の俳句 

伊藤伊那男 


◎河合曾良の謎⑸

 前回『おくのほそ道』の芭蕉と曾良が、あの時代に日光東照宮内に入っていること、越後村上城に入城していることなど、一介の俳諧師の旅としては異常な行動を紹介した。曾良の日記と併せて読むと、各地の港に寄り、鉱山の近くを巡っていることなど、漫遊の旅にしてはきな臭く、計画性もあることが解る。『曾良旅日記』の村上城の(くだり)などを見ると実際の旅の主役は曾良であるように思われてくる。曾良はその後俳諧からは距離を置いた節があり、芭蕉の葬儀にも公務を理由に参列していない。旅から二十五年ほど後に曾良の消息がある。幕府の九州方面巡検使の一員として対馬藩の調査に向かい、手前の壱岐島で出迎えの対馬藩士と交渉している。ここで死んだとされている。この動向から見ると、曾良は芭蕉との旅より以前から幕府の密偵役であったと見るのが自然である。芭蕉という俳諧師を担いでの探索の旅とみても不思議ではない。旅には水戸藩や大垣藩が大きく関与していた節がある。水戸家は御三家であり、大垣藩は松平家、曾良の出仕した伊勢長島藩も松平家と徳川一門である。芭蕉の仕えた藤堂家も徳川家の信任厚い譜代大名である。
 さて前出(8・9月号)の乾佐知子さんは大胆な仮説を立てている。曾良は徳川家康の六男松平忠輝の御落胤だというのである。忠輝は越後高田六十五万石の大大名であったが突然取り潰しに遭った。幽閉先を転々とした後、三十六歳の時、諏訪高島藩預かりとなり、以来五十六年間諏訪で過ごし、九十二歳で死んだ。失脚の理由は大阪冬・夏の陣での失策とされるが、大久保長安と共謀して幕府転覆を謀ったとか、妻が伊達政宗の息女五郎八(いろは)姫で、政宗との密接な関係を危惧したとか、五郎八姫がキリシタンで忠輝も信徒であったため、とか様々な説があるが真偽は不明である。
 曾良が落胤だとすると忠輝五十七歳の時の子となる。諏訪に幽閉されて二十年ほど経た頃で町人との往来も自由になっていた頃である。確証は無いが、状況証拠は沢山ある。そうであるとすれば不思議な行動が全てすんなりと説明できるのである。源義経が成吉思汗になったとか、源為朝が琉球王朝の祖になったという説があるが、こちらの方が遥かに現実的で信憑性が高いと思っている。
 私は芭蕉の母が、伊予宇和島城築城時の藤堂家の落胤だったという説を支持している。つまり芭蕉が仕えた蟬吟(良忠)とは従兄弟ということになる。そうみた方が芭蕉の生涯が自然に理解できるのである。この仮説に立つと『おくのほそ道』は徳川と藤堂の御落胤という最強の組合せの旅ということになるのだが……。(完)

















 



  

盤水俳句・今月の一句

伊藤伊那男  

空也忌のいつか殖えゐる星の数        皆川 盤水
    
空也上人は平安中期の天台宗の僧で、国家鎮護の仏教ではなく、民衆に口称念仏を広め、踊念仏の開祖となった。六波羅蜜寺を創建。奥州出立の日に「今日寺を出づる日を命日にせよ」と遺言したので、この日、陰暦十一月十三日を忌日としている。「いつか殖えゐる星の数」には信者が増えてゆく様子を重ね合わせているのかもしれない。六波羅蜜寺の空也上人立像は南無阿弥陀仏の六文字号を今も唱え続けている。(平成五年作『曉紅』所収)


 



 





彗星集作品抄
  伊藤伊那男・選

 鰻重を食うて人生折り返す           荻野ゆ佑子
 光悦寺風の梳くまで松手入           多田 悦子
 母の一歩父への一歩盆の道           武井まゆみ
 人偲ぶときは目を閉づ夜半の秋         杉阪 大和
 五十年抜けぬ訛や盆帰省            中山 桐里
 ゆらめきに芯あるごとく芋の露         市川 蘆舟
 泣き面の子を渡さるる夕端居          杉阪 大和
 虫送り武甲の風に声のせて           多田 美記
 深川の堀割淀む我鬼忌かな           島谷 高水
 ばつた跳ぶ音が先なる草千里          中野 堯司
 白桃むく生絹一枚剝ぐやうに          武田 花果
 墓洗ふ墓誌名一つづつなぞり          川島秋葉男
 大鍋の焦げつくほどに油蟬           中村 湖童
 此の針が十二を指して終戦日          南出 謙吾
 猿出る一騒ぎあり滝見茶屋           西田 鏡子
 普羅忌なり山河は木霊深くして         宇志やまと
 新地図に消えし生家や秋の蟬          小山 蓮子
 尺蠖のときどき空を掴みては          岡城ひとみ
 騎士道を貫き通すかぶとむし          夲庄 康代
 父母見しもこの青空か終戦忌          宮本起代子






















    
     

彗星集 選評 伊藤伊那男

伊藤伊那男・選

鰻重を食うて人生折り返す         荻野ゆ佑子
きっぱりと、単純化の効いたいい句だと思う。丑の日に力を蓄える一番の馳走は鰻。適度な脂、甘辛い醤油、焦げ味……日本人が愛する最高の味覚である。単独の魚だけを扱う料理店がどの町にも存在するというのは鰻だけであろう。人生の折返し点で鰻を食うという意気込みが愉快である。さて人生の折返し点とは何歳であろうか。人によって違うだろうが、私は二十歳位までは獣のような人生だったので、二十歳から寿命までの真中、今だと六十歳位かな、と思っている。気持ちのいい句であった。

光悦寺風の梳くまで松手入         多田 悦子
 京都の北の郊外鷹ヶ峯に光悦寺がある。本阿弥光悦の芸術村跡である。書画、陶器、蒔絵、刀剣、茶道と江戸初期の総合芸術の聖地であった。句の「風の梳くまで」は実に知的で爽快な表現である。細い松葉の一本一本までを選別して松手入をしているという感じ、光悦の精神を象徴したような措辞であった。

母の一歩父への一歩盆の道         武井まゆみ
 助詞の「の」の使い方が微妙な句である。「母の一歩は(・)」が省略されているので母はまだ生きている。その母の盆の道は亡き父へ近づく一歩、と解釈すればいいのであろうか。もし「母へ一歩」であれば主語は作者で、亡き父母へ自分も一歩一歩近づいている、ということになるのである。私は老齢の母を見詰め、人生の節理を思う、この「の」がいいと思う。

人偲ぶときは目を閉づ夜半の秋       杉阪 大和
「秋の夜」は夜の全部を言うのだが、「夜半の秋」は夜更け、深夜を言う。秋意という言葉があるように虫の声や月明りに触発されて思索の深まるときである。人を偲ぶときは「目を閉づ」――しみじみとその所作を詠み取った。 

五十年抜けぬ訛や盆帰省          中山 桐里
信州にいた頃は「そうずら(・・)」とか「ちがうに(・)」などという方言を使っていたが、東京に出てからそれが恥ずかしくて、直すことを心懸けた。だが微妙なイントネーションなどは自分では解らなくても残ってしまうようで披講をするときなど、首を傾げられたり、笑われたりした。テレビ局の句会に入ったので尚更皆が敏感であったのかもしれない。人は故郷から抜け出せないものである。特に盆の帰省ともなれば親戚や旧友に取り囲まれるので、一時間もすれば元の木阿弥である。 

ゆらめきに芯あるごとく芋の露       市川 蘆舟
芋の葉に乗った露の粒は特別な動きである。球体が引き締って表面張力が強いような感じがするものだ。その様子を「芯あるごとく」と捉えたのは見事であった。 

泣き面の子を渡さるる夕端居        杉阪 大和
 やれやれと始めた夕端居も子守に変じる。これもよし。

虫送り武甲の風に声のせて         多田 美記
 「武甲の風」の固有名詞が風土色を際立たせている。

深川の堀割淀む我鬼忌かな         島谷 高水
下町育ちの龍之介だけに深川の景が似合うようだ。 

ばつた跳ぶ音が先なる草千里        中野 堯司
 草千里は地球激動の痕跡。先々を飛ぶばったがいい。

白桃むく生絹一枚剝ぐやうに        武田 花果
 生絹はすずしと読む。桃の皮の薄さはまさにその通り。

墓洗ふ墓誌名一つづつなぞり        川島秋葉男
戒名を丁寧に洗ふ。お陰様で生きていることの実感。 

大鍋の焦げつくほどに油蟬         中村 湖童
 上五中七全部を使った壮大な油蝉の比喩。鍋と油。

此の針が十二を指して終戦日        南出 謙吾
多くの同胞を失った敗戦を知らせる正午。緊迫感。 

猿出る一騒ぎあり滝見茶屋         西田 鏡子
滝見茶屋の椿事の一景。面白い場面を捉えた。

普羅忌なり山河は木霊深くして       宇志やまと
八月八日。山岳俳人の嚆矢の人だけに取合せが上々。 

新地図に消えし生家や秋の蟬        小山 蓮子
市町村統合で消える地名。生家も人手に渡ったか。 

尺蠖のときどき空を掴みては        岡城ひとみ
 尺蠖が時として見せる動きをよく観察した。

騎士道を貫き通すかぶとむし        夲庄 康代
兜虫にはそんな意識が無い筈で、そこが面白い。

父母見しもこの青空か終戦忌        宮本起代子
不思議だが終戦記念日の空は青空の確立が高いようだ。 

 










銀河集作品抄


伊藤伊那男・選

中国
店となる驢馬車の荷台西瓜売      東京  飯田眞理子
其処ここに手帚のある海の家      静岡  唐沢 静男
賑やかに三代揃ふ迎盆         群馬  柴山つぐ子
草刈つて道一杯を担ぎ来る       東京  杉阪 大和
梶の葉に濃き水茎の歌一首       東京  武田 花果
干梅の百箇に百の色生まる       東京  武田 禪次
裏山のさやぎに寝落つ帰省かな     埼玉  多田 美記
色悪の所作の涼しき最期かな      東京  谷岡 健彦
衝立が仕切るこもごも泥鰌鍋      神奈川 谷口いづみ
打水の躊躇うてゐる分れすぢ      長野  萩原 空木
夏雲となりゆくシャンパンの泡も    パリ  堀切 克洋
夕立来て水琴窟は鳴り通し       東京  松川 洋酔
合歓の花天使は石の翼もち       東京  三代川次郎












         





綺羅星集作品抄

伊藤伊那男・選

白糸の瀧の縦糸縺れざる         神奈川 大野 里詩
片貝の内は乳色南吹く          埼玉  中村 宗男
嗚呼昭和九十五年終戦日         東京  沼田 有希
山椒魚泡を放つに小半時         東京  橋野 幸彦
鵲の橋を濡らせり宵の雨         広島  長谷川明子
メロン切る家族の数に一つ足し      岐阜  堀江 美州
なな色の洗濯ばさみ梅雨明くる      東京  森 羽久衣
講宿の切り火の音や御戸開        東京  飯田 子貢
小鮒釣りしかの川遠く虹の根に      埼玉  伊藤 庄平
河童忌や比呂志の声也寸志の音      東京  畔柳 海村
皿に盛る葡萄裸のマハに似て       千葉  白井 飛露
蛸壺を出て苦しみの形なす        東京  梶山かおり
野外映画尊徳像と並び見る        長野  坂下  昭
朝顔も児童も伸びの一途なり       東京  川島秋葉男

短夜の夢をきしませ列車過ぐ       埼玉  秋津  結
今日の姉すこしいぢわる麦こがし     東京  飛鳥  蘭
白玉や働き好きで話好き         宮城  有賀 稲香
大理石の床に貼りつく跣足かな      東京  有澤 志峯
渓流の音も山家の端居かな        神奈川 有賀  理
蚊帳に入り全うしたる川の文字      埼玉  池田 桐人
あめんばう水輪の芯を拡げたる      東京  市川 蘆舟
満開にならぬ花野の花盛り        東京  伊藤 政三
干網に光る鱗や月涼し          神奈川 伊東  岬
水分の神よりのぼる天の川        東京  今井  麦
大文字の一灯として我が護摩木      埼玉  今村 昌史
絵日記のクレヨン厚し百日紅       東京  上田  裕
白桃の芯のくれなゐ夜半の雨       東京  宇志やまと
母の夢見し日は母とくづざくら      埼玉  梅沢 フミ
蚊帳の環の寝所にのこる行在所      埼玉  大澤 静子
結ばるる点と線との星涼し        東京  大住 光汪
羅をマンタのごとくひるがへす      東京  大沼まり子
門口に残る焦げ跡魂迎          埼玉  大野田井蛙
ももしきの杜の深きに夏蚕かな      東京  大溝 妙子
記憶濃き八月朝餉の箸折れぬ       東京  大山かげもと
扇閉づ同じところで閊へたり       東京  岡城ひとみ
石段を川となしたる夕立かな       東京  小川 夏葉
虫籠にのぞまぬはうの虫ばかり      宮城  小田島 渚
夜の秋の孫の手といふ竹細工       埼玉  小野寺清人
夏霧の晴れて丹沢すぐそこに       神奈川 鏡山千恵子
国生みの島影を濃く大夕焼        和歌山 笠原 祐子
ラムネ飲むしばらく硬し喉仏       愛媛  片山 一行
加賀毛針とてか錆鮎はや二尾も      東京  桂  信子
きちかうの花弁一途の濃紫        静岡  金井 硯児
向島三句
焼夷弾降りし川面に秋の風        東京  我部 敬子
マッチ擦る蚊遣の匂ひきくために     高知  神村むつ代
苧殻焚く父の享年より老いて       長野  北澤 一伯
旧番地残る看板鳳仙花          東京  絹田  綾
沢蟹や山河に消えし天狗党        東京  柊原 洋征
軍港が父の生国夏終る          神奈川 久坂衣里子
風鈴の音にそれとなく知る間取り     東京  朽木  直
橋の人影絵のやうな夜涼かな       東京  小泉 良子
水狂言一等席の水浸し          神奈川 こしだまほ
洗濯挟みいくつ毀れて夏果つる      東京  小林 雅子
貝ボタン取れかけてゐる夏の果      東京  小林 美樹
むづかしき恐竜の名や夏休み       東京  小山 蓮子
花蓮の台座に夫の居るやうな       青森  榊 せい子
氷頭膾越の地酒の酔ひやすし       長崎  坂口 晴子
数学の追試も昔ソーダ水         群馬  佐藤 栄子
いつしかに亡き人隣る端居かな      長野  三溝 恵子
真四角の櫓に丸く踊りけり        東京  島  織布
ぼんやりと一日の過ぎぬ我鬼忌かな    東京  島谷 高水
蚤の市に王家の紋章巴里祭        兵庫  清水佳壽美
勝沼や如来の手にも葡萄房        埼玉  志村  昌
山襞の奥まで洗ひ梅雨明けぬ       東京  白濱 武子
収穫の胡瓜信州味噌つけて        東京  新谷 房子
幽閉の細川ガラシヤ夏薊         大阪  末永理恵子
遠巻きに神鹿座る薪能          静岡  杉本アツ子
日盛りの抜け道にせし百貨店       東京  鈴木 淳子
腹巻の子の絵本持ち来たりけり      東京  鈴木てる緒
自転車に弦草絡み帰省なし        群馬  鈴木踏青子
白雲や晩夏の忌日また来る        東京  角 佐穂子
流灯のたゆたふあたり潮境        東京  瀬戸 紀恵
七夕竹百の願ひのこゑ揺する       神奈川 曽谷 晴子
山に鳴り海なつかしむ貝風鈴       長野  髙橋 初風
歯応へにふるさとのあるトマトかな    東京  高橋 透水
炎熱の辻守る馬頭観世音         東京  武井まゆみ
下加茂のしのび包丁夏料理        東京  竹内 洋平
はみ出しの多き笹結ふ茅の輪かな     東京  多田 悦子
苔の花五十貫目の力石          東京  立崎ひかり
鮭のぼる地球の丸み腹で知り       東京  田中 敬子
木曾谷は美濃か信濃か星月夜       東京  田中  道
青春に匂のあらば草いきれ        東京  田家 正好
形代の仰け反るほどに息吹きぬ      東京  塚本 一夫
足裏に砂の記憶の夏の果         東京  辻  隆夫
店先の鳴らぬ風鈴と店番         東京  辻本 芙紗
仏間まで開け放ちたる祭鱧        東京  辻本 理恵
家苞をはうばう配る帰省かな       愛知  津田  卓
炎天のタール漂ふ引込み線        東京  坪井 研治
注文のメモの濡れゐる海の家       埼玉  戸矢 一斗
故郷いま村ごと老いて稲の花       千葉  長井  哲
風鈴といふ風の子を貰ひけり       大阪  中島 凌雲
歩荷の背晩夏食ひ込む荷嵩かな      神奈川 中野 堯司
先代の声音とまがふ盆の僧        東京  中野 智子
川風に思案さらはれ橋涼み        東京  中村 孝哲
島の子の脛の出てゐる浴衣がけ      茨城  中村 湖童
実に満つるみのりの重さ黒葡萄      千葉  中山 桐里
涼しさや雲中菩薩仰ぎゐて        大阪  西田 鏡子
水鱧や袂の通ふ長廊下          東京  西原  舞
母在りし頃のすいとん終戦日       埼玉  萩原 陽里
あとずさりすること知らぬ蝸牛      東京  長谷川千何子
朝曇今日の予定を三度変へ        神奈川 原田さがみ
奥駈の坊守る鬼の里涼し         兵庫  播广 義春
夕涼み釣果気にせぬ糸を垂れ       東京  半田けい子
背高きをまたも褒められ蚊帳を吊る    東京  福永 新祇
海の日や海の字母を抱いてをり      東京  福原  紅
巴里祭の余韻の街に旅終はる       東京  星野 淑子
空蟬の素早く命抜けゐたり        東京  保谷 政孝
腸を鷗に投げて沖膾           東京  堀内 清瀬
八月の窓開くるたび夜の匂        埼玉  夲庄 康代
炉開や洗ひ上げたる灰満たし       東京  松浦 宗克
手の届く所に地獄地蔵盆         東京  松代 展枝
袂から川風を入れ遠花火         京都  三井 康有
棚経の日の日帰りの里帰り        東京  宮内 孝子
あるじ待つ窪み籐椅子揺れにけり     神奈川 宮本起代子
くるぶしを風に吹かれて藍浴衣      東京  村上 文惠
水打てば日の匂ひ立つ庭の木々      東京  村田 郁子
晩夏光海に褪せたる木のデッキ      東京  村田 重子
身に入むや秘仏の頰に涙跡        千葉  森崎 森平
応援歌入道雲に届くまで         埼玉  森濱 直之
秋立ちぬ力ぬけたる庭の石        長野  守屋  明
波立てず音を立てずに蓮見舟       東京  保田 貴子
帰省とは昔の我に出逢ふこと       愛知  山口 輝久
やはらかき土のふくらみ茗荷の子     群馬  山﨑ちづ子
泥鰌鍋観音詣そこそこに         東京  山下 美佐
降るほどに山の宿りの流れ星       東京  山田  茜
軒の端に蛸壺重ね初嵐          群馬  山田  礁
燭ともす五色の紙垂や乞巧奠       東京  山元 正規
鳥獣戯画のうさぎ跳び出て月今宵     東京  渡辺 花穂
水替へて一泡吹かす水中花        埼玉  渡辺 志水













        









銀河集・綺羅星今月の秀句


伊藤伊那男・選

白糸の瀧の縦糸縺れざる           大野 里詩
白糸の滝と呼ばれる滝は各地にあるようだ。私は軽井沢と箱根を知っている。いずれも幅が広くてそれほど高くなく、穏やかに絹の幕のように流れ落ちていた。その様子を白糸に懸けて「縦糸縺れざる」と詠み止めたのは「見立て」として卓見であった。同時出句の〈晩節にひと鞭入れて炎天へ〉には気力の保持を見る。〈偉人伝老いし結末夜の秋〉には豊臣秀吉などの晩年などを思う。そして読み手の誰もが、このあとの自分は?と思いを巡らせるのである。 


片貝の内は乳色南吹く            中村 宗男
 片貝といえば鮑であろう。栄螺のような巻貝なのだが、巻いた部分が少ないので一枚のように見える。掲出句は乳白色の艶を持つその内側に目を付けている。片貝は古来、片想いにも通じるものとして詠まれており、「南吹く」と合わせると、単なる写生句で終わらず、恋の句の面影も潜ませているように思われてくる。同時出句の〈印画紙の我が歯は黒し風入るる〉も工夫のある句だ。一昔前の写真フィルムのネガはまさにその通りで発想に機知がある。もっと捻って「我が髪白し」とする手もある。昔は白かったが、今なら黒い……。ちょっと読者を混乱させてしまうかな。


嗚呼昭和九十五年終戦日           沼田 有希
暦を開いてみたら確かに令和三年の今年は昭和に換算すると九十五年。昭和二十四年生れの小生も三つ目の年号に入っているわけで、往時茫々の感慨がある。やはり昭和最大の出来事は太平洋戦争の敗戦ということになろう。「嗚呼」の打出しにその実感がある。 


山椒魚泡を放つに小半時           橋野 幸彦
もし井伏鱒二の短編『山椒魚』が無かったら、この生き物をこの句のように哲学的に見ることは無かったことであろう。名作の影響力は大きいものである。この句は果してこうした実態があるかどうかは解らないが、深く頷いてしまうのである。緩慢な動きの山椒魚ならば泡ひとつ吐くにも小半時(三十分位)かかるのは不思議ではないような気がしてくる。俳諧味のある構成の佳句となった。


鵲の橋を濡らせり宵の雨           長谷川明子
「鵲の橋」というのは七夕の夜、牽牛星と織女星を会わせるために鵲が翼を並べて天の川に架けるという想像上の橋。宵に降った雨がその橋を濡らしてしまったのではないか、と作者は心配しているのである。はるかかなたの銀河の出来事に思いを馳せる……ここが詩の勘所。 

 

メロン切る家族の数に一つ足し        堀江 美州
メロンといえば今も最高級の果物。家族の数プラス一つに切るということは……仏壇に供えるのであろう。メロンだからこその取合せで、他の果物ではこの情緒は出ない。 


なな色の洗濯ばさみ梅雨明くる        森 羽久衣
洗濯ばさみもカラフルになったものである。ためしに我が家のものを数えてみたら五色あった。この句は「なな色」が決め手で、つまり虹の色の数である。まさに雨上がりの前兆。「梅雨明くる」の下五にぴたりと納まる仕掛けである。 


講宿の切り火の音や御戸開          飯田 子貢
「御(み)戸(と)開(びら)」が季語。修験の山の山開きで、本来日本の登山は信仰から来るものであった。私の知っている山開きは出羽三山で、講宿では人々は夜中の三時位から起床し始め五時前には法螺貝の音と共に出立した。修験の山は明治までは神仏習合。護摩焚や切り火などが習いであった。 


小鮒釣りしかの川遠く虹の根に        伊藤 庄平
 私も郷里を離れて久しい。年を取ると共に郷愁は募るものである。鮒の川は今はどうなっていることか、虹の向こうの根の辺りがそうかもしれないと……満点の故郷賛歌。


河童忌や比呂志の声也寸志の音        畔柳 海村
面白い趣向の句である。芥川龍之介の忌日に合わせて二人の子息の名前と特質を的確に捉えている。比呂志は俳優・演出家、也寸志は作曲家・指揮者。私の子供の頃活躍していた記憶がある。優秀な血脈である。龍之介には京都の旅に洋書を三冊持参したが、行きの汽車の中で全部読み切ってしまい時間を持て余したという逸話がある。天才の遺伝子を継いだ二人である。 


皿に盛る葡萄裸のマハに似て         白井 飛露
スペインの画家フランシスコ・デ・ゴヤに「裸のマハ」がある。皿に置いた葡萄がその絵に似ているというのだが、何とも独得、仰天の発想である。こう言われてみるとそうだと思う。葡萄の豊満さとその形状はまさしくマハ! 


 その他印象深かった作品を次に

蛸壺を出て苦しみの形なす          梶山かおり
野外映画尊徳像と並び見る          坂下  昭
朝顔も児童も伸びの一途なり         川島秋葉男










                






 

星雲集作品抄
伊藤伊那男・選
秀逸
戦忌家族の数の皿ならべ        広島  塩田佐喜子
再会の日傘を高く上げにけり      東京  清水 史恵
通草もぐ空の青さも握りしめ      宮城  齊藤 克之
木々光る御山洗の礼返し        千葉  川島  紬
雨蛙雨意知らせんと喉ふるふ      東京  中村 藍人
共白髪過ぎて薄毛の夕端居       長野  樋本 霧帆
鉄路いま根室に至る夏の果       埼玉  渡辺 番茶
石庭の渦も沸き立つ油照        神奈川 白井八十八
尺蠖の身の丈程の一歩かな       千葉  園部あづき
夏やすみビー玉のいろ海のあを     宮城  小野寺一砂
かなぶんの(かばね)や後翅たたまれず     長野  池内とほる  
菅公の無念今なほ日雷         埼玉  小野 岩雄
神棚へ湯気のぼりけり泥鰌鍋      愛知  住山 春人
網膜に飛蚊のほどの渡り鳥       愛知  北浦 正弘
動かざる父の端居の威厳かな      長野  中山  中





星雲集作品抄

            伊藤伊那男・選

盆僧の声流れ来る厨かな        京都  秋保 櫻子
生温き教師の返事晩夏かな       東京  尼崎 沙羅
疎まれて世に役立ちてどくだみ草    東京  井川  敏
住職の読経続きぬなめくぢり      東京  生田  武
茄子の牛兄弟八人姉妹二人       東京  石倉 俊紀
川波も上げ潮佃祭かな         東京  伊藤 真紀
ホースもて車のやうに牛洗ふ      広島  井上 幸三
轟々と峡かけ下る夏の川        愛媛  岩本 青山
ほぼ水と同じ密度や西瓜食ふ      長野  上野 三歩
海辺より夕陽差し込む夏座敷      東京  上村健太郎
山里の水澄む頃を恩師逝く       愛媛  内田 釣月
蕎麦の花ふはり浮かぶや茜雲      長野  浦野 洋一
茄子揉みて掌薄き紫に         埼玉  大木 邦絵
野の草も野花も供花や敗戦忌      東京  大島雪花菜  
斑鳩の礎石を渡る秋の蝶        神奈川 大田 勝行
にはとりの砂浴びてゐる炎暑かな    東京  岡田 久男
梅雨晴間今とばかりの散歩かな     群馬  岡村妃呂子
庭草を投げ入れてより盆の花      東京  荻野ゆ佑子
志高く持ちたし遠青嶺         神奈川 小坂 誠子
マニキュアの爪で剝きゐる水蜜桃    静岡  小野 無道
蛍火の音符のやうに飛びにけり     東京  桂  説子
聞きもせず語らぬ父の墓洗ふ      埼玉  加藤 且之
設へは桶にほほづき木曾の宿      長野  唐沢 冬朱
仇討の名残狂言果てしかな       神奈川 河村  啓
心身の緩みしままの盆休み       神奈川 北爪 鳥閑
鳴り止まぬニュース速報送り梅雨    長野  北出 靖彦
かなかなに辿り着きたる視線かな    東京  北原美枝子
地蔵盆夢の続きは親の背に       東京  久保園和美
曇天の大向日葵に喰はれさう      東京  熊木 光代
風鈴屋立てば音色の大合唱       東京  倉橋  茂
夕立あとカーテンゆらす風の来て    群馬  黒岩伊知朗
吾子の舌青鬼のごとソーダ水      群馬  黒岩 清子
転居した玄関になほ鉾粽        三重  黒岩 宏行
もて余す一人の一日蟬しぐれ      東京  黒田イツ子
紀州出の漁師の裔や秋鰹        神奈川 小池 天牛
皮厚き西瓜食べしを懐かしむ      東京  髙坂小太郎
陶枕の倒るる音に夢途切れ       東京  小寺 一凡
頭より高きリュックや青嶺行く     千葉  小森みゆき
身に沁むや真闇に過る下駄の音     神奈川 阪井 忠太
空返事のみの背中や夕端居       長野  桜井美津江
編笠や三味の音震ふ風の盆       東京  佐々木終吉
こめかみの静かな痛み原爆忌      群馬  佐藤かずえ
(はちす)田の守り続ける観世音       群馬  佐藤さゆり
李麗仙
アングラの女王死せり水中花      東京  島谷  操
空蟬の踏んばつてゐる余力かな     東京  清水美保子
白南風の抜くる家並や海鼠壁      東京  須﨑 武雄
帰省して餓鬼大将に目を逸らす     岐阜  鈴木 春水
乾びし巣軒に残して帰燕の日      埼玉  園部 恵夏
鴨川を見下ろす葭簀茶屋の風      東京  田岡美也子
秋の田のなかにぽつんと古墳かな    東京  髙城 愉楽
七度目の迎火を焚く闇匂ふ       福島  髙橋 双葉
雪渓に登る足跡光りをり        埼玉  武井 康弘
羊羹のすかし模様や京簾        東京  竹花美代惠
拾はるる事無き願ひ落し文       神奈川 田嶋 壺中
かりがねや辛酸多き偉人伝       栃木  たなかまさこ
前掛けのままに卓着く冷奴       東京  田中 真美
朝顔や曇りの日には一と日咲き     神奈川 多丸 朝子
一人旅まづサングラス取り出せり    愛知  塚田 寛子
初盆を終へていよいよ独り居に     広島  藤堂 暢子
炎昼や影に力の満ちてをり       埼玉  内藤  明
特急を待つ鈍行の残暑かな       東京  中込 精二
甲斐の国山脈迫る晩夏光        神奈川 長濱 泰子
夏草のにほひあの日の甦る       東京  永山 憂仔
地蔵盆提灯並ぶあじき路地       京都  仁井田麻利子
浅草の電気ブランや夏深し       東京  西  照雄
夏草やパークゴルフの球探し      宮城  西岡 博子
生きる為食のありけり冷素麵      静岡  橋本 光子
夏休みラジオ体操背伸びから      東京  橋本  泰
盆支度線香立ての灰ふるふ       神奈川 花上 佐都
クレヨンの青そのままや夏の峰     長野  馬場みち子
零余子飯朝餉にのぼる御師の宿     千葉  針田 達行
友逝きて蛍袋の半開き         神奈川 日山 典子
まだ消えぬ一点のあり大文字      千葉  平山 凛語
退屈は幸福なのか秋の暮        千葉  深澤 淡悠
炎帝の加勢をしたる室外機       埼玉  深津  博
梅雨晴間足跡ふかし山の畑       長野  藤井 法子
祭囃子耳聡き子の飛び出せり      東京  牧野 睦子
賑はひも砂浜へ消え初秋と       神奈川 松尾 守人
初咲きの色を教へよ百日紅       神奈川 松﨑 雅則
神世から夕日誘ふ蜆舟         東京  水野 正章
朝の寺新茶呼ばれる散歩かな      奈良  三村  一
舌に濃きしるしの色や氷水       東京  棟田 楽人
あなかしこ宮司の袖に夏落葉      東京  八木 八龍
海峡を一跨ぎして雲の峰        東京  家治 祥夫
人はみな大鍋の底炎天下        東京  矢野 安美
梅雨晴間行く先々に傘忘れ       東京  山口 一滴
簾越し行き交ふ人を眺めをり      群馬  山﨑 伸次
サングラスマッカーサーとヘップバーン 神奈川 山田 丹晴
先に逝きしともがら数ふ盆の月     静岡  山室 樹一
雪渓の大海原に我一人         群馬  横沢 宇内
初秋や書肆は小高く本を積み      神奈川 横地 三旦
雷雲や着きし電車の濡れてをり     神奈川 横山 渓泉
姪の手を引きて路地行く地蔵盆     千葉  吉田 正克
山国の言葉美し囮鮎          山形  我妻 一男
書を閉ぢて一日を閉づ秋の蟬      神奈川 渡邊 憲二
五時半に新聞の来て蟬しぐれ      東京  渡辺 誠子



















星雲集 今月の秀句

伊藤伊那男

敗戦忌家族の数の皿ならべ         塩田佐喜子
この句から想像されることは、今の場面ではなく、戦後間もなくの食料事情が悪い頃。副食が少ないので、皿は各自一枚でいいこと、また皿も寄せ集めで模様が違うかもしれないこと‥‥などが頭に浮かぶ。深読みするとまだ戦地から戻ってこない家族の陰膳の数も入っているのかもしれない。そういう物語を読み手の側で勝手に解釈するタイプの句である。卓袱台を囲んでいた頃の淋しいけれど温かな光景を思い出す。


再会の日傘を高く上げにけり        清水 史恵
 ある程度歳を取った女性同士の再会の場面であろうか。待ち合わせの場所でお互いに傘を上下して知らせ合う。喜びの所作が日傘の動きで表現されていて気持ちがいい。同時出句の〈風鈴の舌外されし通夜の席〉もさりげない気配りに奥床しさが感じられる。


通草もぐ空の青さも握りしめ         齊藤 克之
通草の実は旨いとは思わないが、山道などで見付けると、まさに秋を発見したような嬉しい気分になるものだ。「空の青さも握りしめ」の措辞にそのような気持ちの高ぶりが籠められているようだ。


木々光る御山洗の礼返し           川島  紬
「御山洗(おやまあらい)」とは陰暦七月二十六日の富士閉山の頃降る雨を言う。登山者の穢れを洗い清める雨。句はそのお礼として樹海の木々が美しく光って応えたという。洒落た発想。 


雨蛙雨意知らせんと喉ふるふ         中村 藍人
雨蛙が、待望の雨が来るぞ、来るぞと仲間に知らせようとする。その為の喉を震わせる瞬間を捉えたのである。擬人化を用いたので、あたかも鳥獣戯画の俳句版のような構成となった面白い手法の句となった。 


共白髪過ぎて薄毛の夕端居           樋本霧帆
共白髪どころか、毛が無くなりつつある夫婦の端居というのであるから滑稽で、しかしいとおしくもある。二人並んでいるのであるから仲がいいのだ。同時出句の〈呼び鈴を押せば現るあつぱつぱ〉なども飾らない市井人の生活を詠んで愉快である。 


鉄路いま根室に至る夏の果           渡辺 番茶
根室本線は滝川から根室を結ぶ全長四百キロメートルを超える長い鉄路。学生の頃札幌から夜行列車で行った記憶がある。作者は晩夏の旅をしたのであろうが、根室が終着駅であることと「夏の果(●)」の季語の響きが一抹の哀愁を醸し出しているのである。 


石庭の渦も沸き立つ油照            白井八十八
仕事で京都の夏を何年か過したが東京よりも遥かに蒸した記憶がある。異常気象の今は尚更である。枯山水の石も熱を持ち、砂に描いた箒目の渦は沸き立って目眩がするほどだ、という。「渦も沸き立つ」が独自の表現であった。 


 尺蠖の身の丈程の一歩かな           園部あづき
 このようにきちんと言われると、きっとそうなのだろうと思う。身体をもち上げて進む一歩が丁度尺蠖の身長ほど‥‥と。一物仕立で下五まで叩き込まれると、この一歩の距離に納得するしか無い句の強さを持つ。同時出句の<重箱の箸鉛直に鰻食ふ>も「鉛直」の措辞が面白い。ただし理解され難い言葉なので同義語の垂直―箸垂直に鰻食ふーでよいのでは?


かなぶんの(かばね)や後翅たたまれず     池内とほる
金亀虫の死骸をよく見ると翅のうしろの方が畳み切れないままであったという。着地した途端の死であったのか‥‥どこか無念の残る最後である。見たものを有りの儘に詠むという写生の基本を実践して真実味のある強さ。 


菅公の無念今なほ日雷             小野 岩雄
大宰府に流されて悲憤の内に死んだ菅原道真は京都に次々に雷を落とし震撼させた。今も雷があると道真を思い出す人がいるのであるから凄い伝承である。 


神棚へ湯気のぼりけり泥鰌鍋          住山 春人
 浅草駒形の店内風景であろうか。正面に大きな神棚がある。大広間の沢山の鍋からもうもうと湯気が上がり、店内に漲る活気が伝わってくる。「神棚」が決め手。

その他印象深かった句を次に

にはとりの砂浴びてゐる炎暑かな        岡田 久男
庭草を投げ入れてより盆の花          荻野ゆ佑子
仇討の名残狂言果てしかな           河村  啓
かりがねや辛酸多き偉人伝           たなかまさこ
前掛けのままに卓着く冷奴           田中 真美
動かざる父の端居の威厳かな          中山  中











伊那男俳句


伊那男俳句 自句自解(70)          
  
豆撒くや身に一匹の鬼育て

 子供の頃、節分の豆は父が先頭に立って撒いた。私も家庭を持った時、やはり先頭に立って撒いたものだ。鬼は想像上の怪物で様々に形を変えて現れる。鬼には外にいる鬼と人間の内面に棲む鬼との二つがある。人は生きている限り様々な悪事を働くものだ。悪事には刑法に律される犯罪があり、商法上の犯罪もある。一番厄介なのが道徳上の裏切り、嘘、約束の反故、友情や恋愛上の不実など。意識的に行われることもあり、無意識のうちに行ってしまうこともある。ここが難しいところである。私も数々の過ちを犯してきた。仕事で忙殺されていた頃は忘れていたものが、今頃夢の中で思い出されて目が覚めてしまうこともある。冷静に考えると今だって毎日何らかの罪を犯しているのかもしれないのだ。親鸞上人の悪人正機説はこうした人間の弱点が出発点なのだろう。ともかく人は誰でも心の中に鬼が潜んでおり、育てており、何かの時に顔を出す厄介な存在なのだと思う。

あたたかや近江も奥の観世音

 滋賀県の奥、余呉湖周辺には何故か観音像、それも十一面観音が多く残っている。比叡山の影響下にあり、信心深い土地柄だが、ここだけに十一面観音が多い理由はよく解らない。幾度も戦禍に遭っているのだが、その都度土に埋めたり、池に沈めたりと村人が守り抜いて今日に残った。石道寺、鶏足寺などの他、もともとあった寺が廃寺になってしまい、村落の集会場のような所に祀られていたりもする。訪ねると参拝希望者は電話をするように、とある。電話をすると当番だという腰の曲ったお婆さんが鍵を持ってきて開けてくれる。人々の思いが温かいのである。観音像はそれぞれの持ち味があるが、何といっても完璧ということばが当てはまるのが渡岸寺(向源寺)の十一面観音である。檜の一本造りというが歴史に磨かれて鋼のように漆黒である。まみえると粛然として背筋が伸びる。気品と慈悲だけではなく、内省を促す澄明な気を発している。









     


 



俳人協会四賞・受賞式





更新で5秒後、再度スライドします。全14枚。







リンクします。


             




haishi etc
↑link







銀漢の絵はがき


挿絵が絵葉書になりました。
Aシリーズ 8枚組・Bシリーズ8枚組
8枚一組 1,000円

ごあいさつにご利用下さい。






 
        








掲示板













               
 
     

「銀漢」季語別俳句集


26

拡大します。
銀漢季語別俳句集
待望の『季語別俳句集』が3月に刊行されました。



2021/3/25   更新













主宰日録  

  



8月

8月7日(土)
午前9時前のJALで那覇へ。家族7人とプードル犬のバニラ。レンタカー。北谷の沖縄そばの「浜屋」での昼食。名護の「フレッシュミートがなは」。16時頃、古宇利島のコテージ着。今日から15日迄滞在。前面海、設備よし。今日は私が料理。島らっきょ、おくら、焼肉など。夜、台風襲来。

8月8日(日)
昼過、今帰仁村今泊のフクギ集落を散策。テラスで早めの夕食。私のフーチャンプルー好評。沖縄の珍しい魚の刺身を4種類ほど。早めに就寝。

8月9(月)
台風過。10時半頃から海。ここの海の碧さは素晴らしい。私は島一周の散歩・浮輪で海に浸る。上って2時過ぎから一眠りしたら20時。この生活が続くと危ない。

8月10日(火)
6時半、出発。辺戸岬へ。奥間から先へ行くのは初めてのこと。沢木欣一の句碑〈夕月夜みやらびの歯の波寄する〉を訪ねる。恩納の沖縄そばの「なかむら」。ここの出汁は抜群。名護の「フレッシュミートがなは」などで大量の買物。15時くらいから酒盛り。一眠りすると21時。再び寝る。これが続いたら人間は駄目になる……。

8月11日(水)
家族は知人のいるホテルで遊ぶとてバニラと私が留守番。静かな1日でこれも嬉しい。ゆっくり風呂。読書。夜、アグーのしゃぶしゃぶ。ゴーヤーチャンプルー、島らっきょ、海ぶどうなど。三日月と金星が美しい。

8月12日(木)
朝、古宇利大橋散策。往復4㎞位か。選句など。午後、成城仲間。歯科一家4人来島。食事会。近くの養殖場の車海老沢山塩焼など。テラスの海風が心地良い。

8月13日(金)
朝、1時間ほど島内散策。11時、「ピザ喫茶 花人逢」へ。戻って古宇利ビーチ。浮輪で1時間半ほど揺れる。夜、車海老焼き。沖縄の魚の手巻寿司など。星が綺麗。

8月14日(土)
快晴。今日は島内のトケイ浜へ。家族はシュノーケリング。私は浮き輪でぷかぷか。昼まで遊ぶ。昼寝。17時半、近くのイタリア料理店から取り寄せた夕食。

8月15日(日)
5時起、古宇利大橋の上で日の出を待つ。6時5分、終戦記念日の旭日を仰ぐ。家族はバナナボートに乗りに。私は休息。15時過、古宇利島を後にする。少し時間があったので国際通りなどを走ってみる。これが夏の那覇?というほど閑散たるもの。家族は東京へ。私はANAで関空へ向かう。10時半着。一駅先の「関空エアポートワシントンホテル」へ投宿。

8月16日(月)
6時起。JRで大阪へ。電車から見る大阪の町も楽しい。梅田から阪急で四条。いつもの「からすま京都ホテル」に荷を置き、歩いて東山の大谷さんへ。妻の実家。牧野家の墓。妻の分骨の祖廟を拝す。お盆にて墓参客多し。新京極の馴染みの酒場。うざく、海老フライでビールと酒。一時間で切り上げて錦市場。鰻、肝、鯉のうま煮、鮎塩焼。大丸の地下でぐぢの塩焼、鮎も買い足し。16時、室町の妻の従姉妹の女流画家・川村悦子さんの仕事場へ。和田ちゃんも来て3人で会食。19時半に切り上げて、京都御苑へ。蛤御門から大文字の送火を拝す。六ヶ所の点のみの点火。消えるまで見る。21時過、ホテルに戻り、すぐ就寝。

8月17日(火)
中信美術館の川村悦子展を見る。悦子さん立派な画家になった!三条の「イノダ」で休憩。叡電で修学院離宮へ。半世紀ぶり。豪雨の中、見学者は私1人。宮内庁の案内人に申し訳ない位。上の離宮はやめて引き返す。町に戻って「たつみ」、鱧の落し、小鮎の天婦羅、きずしなど。あと錦市場の牡蠣の「だいやす」でも少々。

8月18日(水)
11時桂離宮。ここも半世紀ぶり。優美、繊細、意表を衝く構図、美の極致。町を散策してまた「たつみ」。鱧、小鮎、海老天、きずし……。4時半の新幹線に乗り、長い旅の終り。

8月20日(金)
夕方、近所の一家来て、庭で宴会。仙台の「司」から取り寄せた中舌。野菜物は、私が何品か。夕風に涼しさがある。

8月23日(月)
大量の見事な茗荷到来。刻み茗荷。八丁味噌汁など楽しむ。同人の小田島渚さん、「兜太現代俳句新人賞」受賞の快挙。

8月24日(火)
13時、王子駅。「伊那北会」3人。飛鳥山の渋沢史料館の見学、晩香盧、青淵文庫も。あと日本橋の袂から、「日本橋クルーズ」の45分コース。江戸城の石垣や櫓を楽しむ。

8月25日(水)

夜、次女杏。宮澤事務所の新しい社員O嬢、旧知の鮎ちゃん来て夕食。菜食主義者やダイエット派ばかりにて野菜料理。

8月26日(木)
10月号の原稿全部終了。各担当者へ送付。松本の俳誌「りんどう」へ650号記念祝句2句送る。〈信濃路に花期永くあれ濃竜胆〉 NHK俳句11月号「復活!開店『銀漢亭』一句旬菜・冬野菜編」のゲラ校正など。

8月27日(金)
「WEP俳句通信」124号へ作品16句。昼、ヘアメイクの中川さん来て、カットして貰う。

8月28日(土)
「櫟」年次総会の選句。夕方、成城仲間二家族が来て、庭でバーベキュー。野菜料理は私が数種。

8月29日(日)
12時、高幡不動尊の盤水先生の墓参。清人さんと待ち合わせ。そのまま政三さんの夕焼け酒場。14時から親睦会。清人さん調達の刺身類、烏賊焼、ヴーヴクリコで乾杯。

8月30日(月)、31日(火)
家族は北海道旅行。バニラと3日程留守番。「加舎白雄俳句大会」の選。染筆の短冊、窪田英治氏へ送る。「櫟」誌へ選句、色紙染筆八枚、写真その他送る。

9月

9月1日(水)
「香雨」誌より依頼の若井新一句集評、5枚ほど書きあげる。確認の為、若井氏へ送る。「銀漢」10月号の校正。

9月2日(木)
雨。「一遍上人忌俳句大会」選句。若井新一さんより秋茄子沢山届く。焼茄子、沢山作り置き。マーボ茄子。

9月3日(金)
今日も雨。角川へ歳時記の井月忌の例句送る。NHK俳句11月号「復活!開店『銀漢亭』の最終校正。

9月5日(日)
エッセイなど。17時、成城仲間のN家へ。伊勢「豚捨」の網焼用牛肉持参。海鞘、焼茄子、甘唐煮なども。

9月8日(水)
一昨日から11月号の選句。夜、京都で買った湯葉などを使った鶏鍋。「岳」9月号の10句選送る。


















         
    






今月の季節の写真/花の歳時記



2021/11/21撮影  姫蔓蕎麦  HACHIOJI 





花言葉 「愛らしい」「気が利く」「愛らしい」「思いがけない出会い」


△姫蔓蕎麦
ヒメツルソバは小さく金平糖のような愛らしい花をさかせます。その様子から、「ヒメ」とつけられたと考えられます。花の名前には「ヒメ」が付くものが多いです。植物界では、「小さい」という意味となります。



ナツハゼ 薄紅葉 ミヤギハギ 南天 茶の花
シマトネリコ 真弓 紫紺野牡丹 案山子 零余子
コムラサキ 八つ手 ハイビスカス ネリネ はぜの木
石蕗の花 姫蔓蕎麦






写真は4~5日間隔で掲載しています。 
2021/11/26








HOME

漢亭日録 



 
Z