HOME 句会案内 バックナンバー  

 2017年 1月号  2月号   3月号 4月号   5月号  6月号  7月号  8月号  9月号  10月号   11月号  12月号
 2018年  1月号  2月号 3月号  4 月号   5月号  6月号   7月号 8月号  9月号  10月号    11月号 12月号 
 2019年 1月号  2月号  3月号  4月号  5月号  6月号   7月号 8月号   9月号 10 月号   11月号  12月号
 2020年  1月号  2月号  3月号  4月号  5月号 6月号  7月号   8月号 9月号  10月号  11月号  12月号 
 2021年  1月号 2月号  3月号  4月号  5月号 6月号   7月号  8月号 9月号  10月号  11月号  12月号 

 12月号  2021年


伊藤伊那男作品     銀漢今月の目次  銀漢の俳句 盤水俳句・今月の一句   
 彗星集作品抄    彗星集選評  銀漢賞銀河集・作品抄  綺羅星集・作品抄
  銀河集・綺羅星今月の秀句 星雲集・作品抄  星雲集・今月の秀句    伊那男俳句  
銀漢の絵はがき 掲示板   主宰日録  今月の写真   俳人協会四賞受賞式
銀漢季語別俳句集


伊藤伊那男作品


主宰の8句













        
             

             
             

    

今月の目次







銀漢俳句会/2021/12月号










 
 

















銀漢の俳句 

伊藤伊那男 


◎旅をするということ
 銀漢亭を閉じて自由の身になったので好きな時に一人旅をしてみようと思い立った。俳句の仕事は増えてきたが選句や執筆作業が一段落の付く月末月初が自由時間である。そんなことから五月は名古屋近郊、六月は沼津、七月は上田へ各々一泊旅行に出た。
 名古屋の目的は『おくのほそ道』の河合曾良が仕えた伊勢長島藩の直願寺である大智院を訪ねること。そのついでというと語弊があるが清洲城趾、桑名城趾、名古屋城趾、伊勢長島城趾の四つの城巡りも果たした。夜は名古屋の居酒屋「大甚」で寛いだ。沼津行は東海道五十三次の難所の一つ薩埵峠を歩いてみるのが目的で由比駅から興津駅へ歩き、電車で沼津へ出て泊まった。室鰺の干物で地酒を飲んだ。私が育った信州は多分安価なことが理由で真鰺より室鰺の干物が多く、懐しい魚である。上田行は大学の先輩で「知音」代表の行方克巳氏から志賀高原の蛍を見ようと誘われていて、それなら行程の途中の上田に一泊してから合流しようと思い付いたのであった。上田城は真田昌幸・幸村父子が、圧倒的な戦力を持つ徳川軍を二度にわたって撃退した名城である。何十年も前に池波正太郎のエッセイで知り、訪ねたいと思っていた蕎麦店の「刀屋」を訪ねることもできた。折角なので大盛りを注文すると、「四人前ありますよ」……と。
 一泊の旅は始めたばかりだが日帰りの旅としては高校同期の三人で関東近郊の城跡を月に一、二回巡っており、この一年間で二十ヶ所ほど訪ねた。鎌倉幕府滅亡から豊臣秀吉の小田原平定までの二百五十年間の関東の歴史は、私の中では混沌としていて一口に言えば空白地帯であった。この一年間の城跡巡りによって室町時代から戦国時代にかけての鎌倉公方、古河公方、関東管領上杉氏や太田道灌、北条早雲を始祖とする後北条家五代の席巻……などの極めて複雑な抗争史が徐々に解けてきた。関東の地理も頭に入ってきた。ビル街の地下に眠る歴史が少し見えてきたのである。
 七十歳を過ぎてからそのようなことをして何の役に立つのか、と思うことがあるが、知的欲求とはそのようなものなのであろう。過去の人々が何をしてきたのか、どういう決断をしたのか、などを考えたり知ることが無性に楽しいのである。そういえば私の父が七十歳を過ぎてからずっと英会話の勉強をしていた。田舎暮らしで英語を話す相手はおろか、日本語を話す機会も少ないのに何のために勉強しているのだろう、と私は首を傾げていたものであった。だが同じような年になって少し理解できるようになってきたのである。















 



  

盤水俳句・今月の一句

伊藤伊那男  

古書街に宵の雨あり年忘れ          皆川 盤水
    
「春耕」の編集、発行は神田の白凰社に委ねていた。同人相田惠子さんの夫君昭氏が社長であった。私は形だけだが編集長の肩書きを持っていたので、ここで先生とよく打合せをした。先生は時間があると古書店街を覗いていたようだ。〈古書街に肩叩かるる年の暮〉〈古書展に会ふ顔なじみ波郷の忌〉などもある。掲句には「神田ちよだにて」の前書きがある。春耕の現主宰蟇目良雨氏が経営していた割烹で、度々私もお供をしたものである。(平成九年作『高幡』所収)




 


 





彗星集作品抄
  伊藤伊那男・選

指折れど十そこそこの千草の名         山下 美佐
お互ひに手のひらの上敬老日          島  織布
阿修羅像秋思のほかの貌知らず         池田 桐人
義仲寺や芭蕉の風の門潜り           清水佳壽美
城跡の下に城跡地虫鳴く            山口 一滴
蛤の声をなくした雀かな            田中 敬子
留守電が息災を問ふ震災忌           橋野 幸彦
仰向けの歯科の椅子より鰯雲          三溝 恵子
郷土史に逃散ありし蚯蚓鳴く          塚本 一夫
大空へ逃げる形に鵙の贄            伊藤 政三
秋の風船板壁の乾く路地            田中  道
林檎捥ぎ日和は津軽富士に訊け         小野寺一砂
農道に重なる轍豊の秋             小泉 良子
湯のやうな水を詫びつつ墓洗ふ         保谷 政孝
鵙の贄即身仏のごと乾ぶ            伊東  岬
十六夜や父の席には父の影           津田  卓



 

  












    
     

彗星集 選評 伊藤伊那男

伊藤伊那男・選

指折れど十そこそこの千草の名       山下 美佐
八千草というのは秋に咲く①様々な種類の草花、②一面にある沢山の草花、というところから付いた名称だと思う。掲句はその名を逆手に取って、千種類もあるというけれど、ちょっと数えてみたら、せいぜい十数種類の草花しか無いではないか、というもの。多いという意味の千なのだが、実際に数えてみる稚気がこの句の面白さといえよう。はっきりとした数を言わず「十そこそこ」と曖昧にしたところも余韻を残したうまさである。

お互ひに手のひらの上敬老日        島  織布
孫悟空が走り廻って地の果てまで来たかと思ったらお釈迦様の手の平の上だった、という話がある。日常会話の中でも「偉そうなことを言っているけれど所詮奥方の手の平の上にいるだけだよ」などと言う。夫人の管理の中、夫の管理の中、それが夫婦和合の秘訣であるのかもしれない。片一方だけではなく夫婦共にそうであれば誠に平穏である。そのようにして敬老の日を迎えたのであれば天晴! 

阿修羅像秋思のほかの貌知らず       池田 桐人
 私の若い頃の句に〈阿修羅仏眉根に春の愁ひかな〉という句がある。当時夜行バスに乗って何度も奈良へ行ったものである。並べてみると、どうやら私の句よりも掲出句の方がいいように思う。「秋思のほかの貌知らず」の思い切った断定には力が籠っている。私の句は眉根とまで言ってしまったけれど、やはり言い過ぎてしまっているように思う。「秋思の貌」までにして、読者にあの顔(かんばせ)を思い出させる方がいい。
 
義仲寺や芭蕉の風の門潜り         清水佳壽美
 晩年の芭蕉は近江の連中に最も親近感を持っていたようで、幻住庵で近江に眠る決心をしたと思われる。この句は義仲寺内の秋の季語としての芭蕉の葉を打つ風の出迎えを受けたという。それに加えて「蕉風」という俳諧の風も受けた、と重ねており、そこが見事である。

城跡の下に城跡地虫鳴く          山口 一滴
武人であれば誰でも必要とする場所はあるようで、中世の城は興亡の歴史の中で同じ場所での築城を繰り返していることが多い。発掘するとそれ以前の遺構が出てくるのである。「地虫鳴く」の季語の取合せが地下の歴史に思いを馳せる糸口となっている。

蛤の声をなくした雀かな          田中 敬子
機知のある句だが「蛤は(・)」で句が明解になるのでは?  

留守電が息災を問ふ震災忌         橋野 幸彦
 留守電の中に健康を気遣う声がある。たまたま震災忌。

仰向けの歯科の椅子より鰯雲        三溝 恵子
 歯科の診療台から窓外の鰯雲を見る状況の面白さ。 

郷土史に逃散ありし蚯蚓鳴く        塚本 一夫
先人は過酷な歴史を生きてきた。声なき声の蚯蚓。

  
大空へ逃げる形に鵙の贄          伊藤 政三
枝に突き刺された贄は逃げる形のままに乾びている。 

秋の風船板壁の乾く路地          田中  道
船板の廃材を使った塀であるか。夏の湿りを取る風が。 

林檎捥ぎ日和は津軽富士に訊け       小野寺一砂
上五に「ぎ」があるので切れてしまう。「林檎捥ぐ(・)」へ。

農道に重なる轍豊の秋           小泉 良子
 「重なる轍」で忙しかった収穫の様子が如実。

湯のやうな水を詫びつつ墓洗ふ       保谷 政孝
盆時といえども近年は強烈な残暑の中。

 
鵙の贄即身仏のごと乾ぶ          伊東  岬
「即身仏のごと」の比喩は合格。だが成仏したかどうか?  

十六夜や父の席には父の影         津田  卓
 今は亡き父上なのであろうか。十六夜に触発された幻影。
 






      

 







銀河集作品抄


伊藤伊那男・選

盆道としばし重ぬる札所道       東京  飯田眞理子
籠り居をへくそかづらに囲まれて    静岡  唐沢 静男
きつつきの人訪ふごとく戸を叩く    群馬  柴山つぐ子
田の色にまだ遅速ある葉月かな     東京  杉阪 大和
爪紅やこの世の小さき木歩句碑     東京  武田 花果
木歩忌や終焉の地の痩せ雀       東京  武田 禪次
色鳥の色のかけらの和毛かな      埼玉  多田 美記
悪党を持ち上げ囃す踊唄        東京  谷岡 健彦
洗ひ飯をんなふたり居なればこそ    神奈川 谷口いづみ
味噌汁の匂くるまで夕端居       長野  萩原 空木
わが顔の横顔知らぬ夜長かな      パリ  堀切 克洋
鮭缶に骨の犇く今朝の秋        東京  松川 洋酔
天牛や鋼の色の腹を見せ        東京  三代川次郎





   










         





綺羅星集作品抄

伊藤伊那男・選

定量も定性もなき秋思かな         神奈川 有賀  理
入り心地確かめられぬ墓洗ふ        長野  髙橋 初風
閉山の後も掘り継ぐ踊唄          大阪  中島 凌雲
地芝居や楽屋も仕切る由良助        神奈川 宮本起代子
秋蟬の穴の昏さや木歩句碑         東京  武井まゆみ
縁台は家族の方舟月を待つ         埼玉  池田 桐人
歯の生えし頃の歯の数生身魂        埼玉  戸矢 一斗
八朔のひひな飾るも室津かな        埼玉  大澤 静子
文弱の身にも薄れぬ日焼あと        東京  上田  裕
栃の実を晒す思郷のひと握り        東京  桂  信子
敬老の日の団塊の夕餉かな         長野  北澤 一伯
燃え尽きし手花火を嚙む水の音       東京  小林 美樹
石鹼の痩せ夏休み終りけり         東京  小山 蓮子
歳聞かれ聞こえぬふりの敬老日       東京  田家 正好
余りある一人のための夜業の灯       東京  辻本 芙紗
鶏頭の散華を知らぬ終のいろ        東京  橋野 幸彦
猪垣を見廻る老いの仕事とし        広島  長谷川明子

津波来し位置に立つ碑や震災忌       埼玉  秋津  結
引潮の岬の晴れを鷹渡る          東京  飛鳥  蘭
体操ではじまるひと日小鳥来る       宮城  有賀 稲香
盆の月誘ひ合はせし谷中路地        東京  有澤 志峯
川に沿ひ流るる雲や秋はじめ        東京  飯田 子貢
新豆腐角を正しく沈みをり         東京  市川 蘆舟
月山の風に香を乗せ芋煮会         埼玉  伊藤 庄平
豊作の予祝の供物鵙の贄          東京  伊藤 政三
干網の光る鱗やいなつるび         神奈川 伊東  岬
今朝前歯抜けた子もゐて地蔵盆       東京  今井  麦
野面積のうねる猪垣熊野道         埼玉  今村 昌史
祠打つ山雨しとどや鵙の贄         東京  宇志やまと
今日生きて木賊で磨く花鋏         埼玉  梅沢 フミ
サイダーの泡かけ上る水平線        東京  大住 光汪
剝製のガラスの目玉秋の風         東京  大沼まり子
蟬の穴から繋がつて立石寺         神奈川 大野 里詩
姥捨の田ごとに違ふ落し水         埼玉  大野田井蛙
炎昼や駄菓子屋に並むブリキ缶       東京  大溝 妙子
フライパン焦げ付く兆し油蟬        東京  大山かげもと
曝涼や鎧兜を寺の縁            東京  岡城ひとみ
白樺の幹に別れの晩夏かな         東京  小川 夏葉
片方の靴に石ころ蚯蚓鳴く         宮城  小田島 渚
店先を大いに濡らし新豆腐         埼玉  小野寺清人
水面の堅きに耐へて水馬          神奈川 鏡山千恵子
大切子高野大寺大庇            和歌山 笠原 祐子
秋の風木彫りの熊の毛並にも        東京  梶山かおり
何食はぬ顔の人来て秋暑し         愛媛  片山 一行
まちまちの稲架の長さの棚田かな      静岡  金井 硯児
啄木の住みし床屋や秋灯          東京  我部 敬子
残暑見舞ロボット派遣しませうか      高知  神村むつ代
底紅やかつて炭鉱在りし町         東京  川島秋葉男
冷やかに墓石の並ぶ石屋かな        東京  絹田  綾
木歩忌や残る暑さの火焔めく        東京  柊原 洋征
櫓の音も絶えて露けき蚶満寺        神奈川 久坂衣里子
また一つ盆僧に聞く父のこと        東京  朽木  直
階段を一段ごとに生身魂          東京  畔柳 海村
秋暑し立ち居の度に声の出て        東京  小泉 良子
かなしみの面の並ぶお風入         神奈川 こしだまほ
蛇笏忌や訪ひしあの日も秋の雨       東京  小林 雅子
眠られぬ夜のつくづくと長きかな      青森  榊せい子
絵硝子にばらのひといろ浦上忌       長崎  坂口 晴子
ひぐらしや露天湯までの小暗がり      長野  坂下  昭
牧水の靡きのマント霧時雨         群馬  佐藤 栄子
百名山三座指呼する良夜かな        長野  三溝 恵子
声のなき虫籠闇に置けば鳴く        東京  島 織布
雨乞の其角の句碑の灼くるかな       東京  島谷 高水
朝顔の隙間を通す回覧板          兵庫  清水佳壽美
苧殻焚くそよぐ炎と語りつつ        埼玉  志村  昌
両髭を露に濡らして猫もどる        千葉  白井 飛露
みめぐりの神の息つく初涼かな       東京  白濱 武子
朝顔の早種となり五輪終ふ         東京  新谷 房子
一匹も釣れぬ埠頭に鰯雲          大阪  末永理恵子
送り火を囲む子の膝猫も来て        静岡  杉本アツ子
外湯より戻りし足に夜露かな        東京  鈴木 淳子
目礼をしつつ人過ぐ門火かな        東京  鈴木てる緒
重陽の菊なき酒や独り酌む         群馬  鈴木踏青子
順に閉づ朝顔一つまた一つ         東京  角 佐穂子
胸底に八月十五日の挽歌          東京  瀬戸 紀恵
故郷まで浚はれさうな秋夕焼        神奈川  曽谷 晴子
海霧を押し分けてくる漁師かな       東京  高橋 透水
かりがねの鳴き残したる風の町       東京  竹内 洋平
念仏を聞いてゐさうな茄子の馬       東京  多田 悦子
落人の守り続けし村歌舞伎         東京  立崎ひかり
清らかな言葉になりさう青りんご      東京  田中 敬子
豊の秋田舎の顔に戻るころ         東京  田中  道
駄菓子屋へ抜け道狭し赤まんま       東京  塚本 一夫
立ち戻る残暑の地図の現在地        東京  辻  隆夫
浮きのごと子ら浮いてくる川遊び      東京  辻本 理恵
夭折の姉を祀りて地蔵盆          愛知  津田  卓
塩烏賊の塩の戻しも盆用意         東京  坪井 研治
鵙の贄村に伝はる一揆の史         千葉  長井  哲
鵙日和竹釘を吐く宮大工          神奈川 中野 堯司
地続きに墓ある暮し葛の花         東京  中野 智子
三井寺にバスより降りる秋遍路       東京  中村 孝哲
ひまはりの忖度のなき高さかな       茨城  中村 湖童
白南風や犇いてゐる真帆片帆        埼玉  中村 宗男
庭を掃く箒の軽さ九月来ぬ         千葉  中山 桐里
熱き血の通つてゐさう彼岸花        大阪  西田 鏡子
踏まぬやう歩む道なる花野かな       東京  西原  舞
騒音に育つ木の実の御堂筋         東京  沼田 有希
稲の花会ふたび父の背の縮む        埼玉  萩原 陽里
旅雑誌置かれたままに夏終はる       東京  長谷川千何子
庭先のどくだみを干すひとつかみ      神奈川 原田さがみ
嗄れ声残し鴫立つ水田かな         兵庫  播广 義春
秋簾籠りゐるごとめぐらせる        東京  半田けい子
新しき何か始めん終戦日          東京  福永 新祇
仏壇を奥まで拭ひ魂迎           東京  福原  紅
べりべりと空より手繰る藪枯らし      東京  星野 淑子
合歓の花さては天女の忘れ衣        東京  保谷 政孝
姥捨山の千曲川へ急ぐ落し水        東京  堀内 清瀬
はうむりを終へて総出の田植かな      岐阜  堀江 美州
夜学子に持たす大きなにぎりめし      埼玉  夲庄 康代
日記果つ挟みしものにふくらんで      東京  松浦 宗克
手鏡に映してみたき秋思かな        東京  松代 展枝
連山の黄泉路を照らす大文字        京都  三井 康有
月今宵いつでも会へる距離に住み      東京  宮内 孝子
菩提寺に雲浮く秋の彼岸かな        千葉  無聞  齋
向日葵の皆我が家向く剣の如        東京  村上 文惠
白萩を供へ無沙汰を墓に詫ぶ        東京  村田 郁子
疫の世に読む方丈記雁渡し         東京  村田 重子
割箸に巻きやすさうな秋の雲        東京  森 羽久衣
一歳で逝きし妹苧殻箸           千葉  森崎 森平
星月夜いのち育む星あらん         埼玉  森濱 直之
赤とんぼ翅に安気の角度あり        長野  守屋  明
週一度開く診療所夜長の灯         東京  保田 貴子
八月大名多作多捨とて堂籠り        愛知  山口 輝久
聞いてすぐ忘れる名前草の花        群馬  山﨑ちづ子
磐井の地脅かしたる秋出水         東京  山下 美佐
家々のぼんやり灯る雨月かな        東京  山田  茜
常宿の灼けただれたる秋簾         群馬  山田  礁
人生の端居に似たる余生かな        東京  山元 正規
金太郎のその後を知らず菖蒲風呂      東京  渡辺 花穂
点眼の外れの多き夜の秋          埼玉  渡辺 志水






    









銀河集・綺羅星今月の秀句


伊藤伊那男・選

色鳥の色のかけらの和毛かな        多田 美記
「色鳥」は江戸時代初期からある季語。秋に見る色彩豊かな鳥の総称である。その色鳥の落とした和毛を「色のかけら」と見た表現力は卓抜であり、核心を摑んだ。 


定量も定性もなき秋思かな         有賀  理
定量とは「成分物質の量を定めること」とある。定性とは「物質の成分を定めること」とある。つまり「秋思」とは何も定まったものが無い、人それぞれ、自分一人にとっても定まったものでは無い、と分析しているのである。こういう観点から季語を見た珍しい句であった。 


入り心地確かめられぬ墓洗ふ        髙橋 初風
 人の世の宿命を滑稽味を持って詠んでいる。作者と私は同年代だが、七十歳も過ぎるとこういう心境になってくるのだなと思う。俳句は人生の年輪が物を言う、というのが私の持論だが、若い人からは出てこない発想であろう。


閉山の後も掘り継ぐ踊唄          中島 凌雲
機知の効いた句である。昭和二十年代は石炭産業が花形で夕張、いわき、筑豊などに人口の流入があった。その後主力エネルギーが変わり、一気に衰退し、夕張などは市そのものが財政破綻してしまった。そうした歴史の中でも、残された人々がお盆になれば「炭坑節」を踊り継ぐ。「掘り継ぐ」の措辞の着想は非凡である。閉山のあとも「掘り継ぐ踊唄」――うまい!同時出句の<住吉の浜遠くして鰯雲>は、往古目の前にあった住吉神社の浜は干拓して遠のいたのだが、鰯雲は今も神社の上にある、という。季語の斡旋の巧みさである。


地芝居や楽屋も仕切る由良助        宮本起代子
 忠臣蔵の出し物で、四十七士を差配した主役の由良助が楽屋に戻ってもやはり仕切役であったという。劇中と楽屋という違う場面ながら、同じような役割を果たしているところを描いたのが手腕である。村芝居であるところがいい。


秋蟬の穴の昏さや木歩句碑         武井まゆみ
富田木歩は足萎えの俳人。関東大震災の折、友人新井声風が助けに来て、向島の土手まで来たが火の手に囲まれて死んだ。木歩忌は震災忌と同日である。木歩の句碑は三囲神社にある。周辺に蟬の穴が点在していたのであろう。蟬の穴が暗いのは当り前なのだが、木歩であればこその「昏さ」。木歩の悲しい人生を象徴しているのである。 


縁台は家族の方舟月を待つ         池田 桐人
縁台を「ノアの箱舟」と見たのがうまいところだ。一家して洪水を待つのではなく月を待つ。この展開も見事である。家族とは生存するための方舟である、というのだ。 


歯の生えし頃の歯の数生身魂        戸矢 一斗
なぞなぞに最初四本で二本になり、最後は三本になるのは何か?というのがある。はいはいをする嬰児、二本足の大人、杖を突いた老人が答である。この句は老人の歯がついに生え初めた赤子位に減ったことを言っている。知的な納め方である。同時出句の<素麵の残る一束秋の風>も味わいのある句であった。私の家でも秋になって気付くと少々の素麵が残っていて、冬を越したりしている。そんな所にさりげなく目が行った秀逸である。


八朔のひひな飾るも室津かな        大澤 静子
関東地方では見掛けないことだが、関西には「後の雛」といって旧暦九月九日に雛を飾る風習がある。また一部地域では「八朔の雛」といって旧暦八月一日に飾るところもあるという。室津は瀬戸内海に面した古い港町で交通の要衝として栄えた。雅な文化は今も受け継がれているのであろう。「室津」の地名が効果を発揮して動かない。 



 その他印象深かった句を次に

文弱の身にも薄れぬ日焼あと        上田  裕
栃の実を晒す思郷のひと握り        桂  信子
敬老の日の団塊の夕餉かな         北澤 一伯
燃え尽きし手花火を嚙む水の音       小林 美樹
石鹼の瘦せ夏休み終りけり         小山 蓮子
歳聞かれ聞こえぬふりの敬老日       田家 正好
余りある一人のための夜業の灯       辻本 芙紗
鶏頭の散華を知らぬ終のいろ        橋野 幸彦
猪垣を見廻る老いの仕事とし        長谷川明子















                






 

星雲集作品抄
伊藤伊那男・選
秀逸

おほかたは要なき遺品いわし雲     東京  清水 史恵
伊邪那岐の桃投げ疫病治めたし     東京  中村 藍人
石山の石の声聴く秋初め        神奈川 白井八十八
スカジャンの龍虎が踊る秋祭      神奈川 河村  啓
色変へぬ松に鎮もる泉岳寺       広島  塩田佐喜子
良夜なり諏訪湖に眠る武田菱      長野  中山  中
箱膳の四角い庭に菊膾         東京  伊藤 真紀
唐黍や醬油の立てる炭の音       愛知  住山 春人
いつの日か我も一星天の川       東京  倉橋  茂
鳴きやめば別の虫鳴く草の中      東京  北原美枝子
晩学や視界遮る山の霧         埼玉  小野 岩雄
爽やかや一筆箋で足る手紙       埼玉  深津  博
写真立のあたり華やぐ走馬燈      東京  荻野ゆ佑子
うすもので観たりうはなり打の能    千葉  平山 凛語
秋思とやころりころげるゆで玉子    東京  釜萢 達夫

考ふる葦にもなれず秋暑し       神奈川 日山 典子
戸籍のみまだ千代田区や震災忌     東京  水野 正章
秋刀魚焼く不動通りの総菜屋      東京  桂  説子
また会うて二度目の会釈秋日和     東京  田中 真美
生身魂いまなほ村の若大将       東京  小寺 一凡




星雲集作品抄

            伊藤伊那男・選

菊の香や聖観音の立姿         京都  秋保 櫻子
図書館の新書の匂ひ涼新た       東京  尼崎 沙羅
秋簾今日は仕舞ふと風に当つ      愛媛  安藤 向山
鳴かぬ蟬ひたすら幹を歩みをり     東京  井川  敏
芒揺る合間に低き管制塔        東京  生田  武
転勤を幾たび重ね鰯雲         長野  池内とほる
夏の蝶擬死ではなくて真の死      東京  石倉 俊紀
孫の顔知らぬ妻なり曼殊沙華      広島  井上 幸三
新米に絆深むる力あり         愛媛  岩本 青山
生御魂習はぬ経をとくとくと      長野  上野 三歩
詫状の書き出し迷ふ雨月かな      東京  上村健太郎
紅葉にも枯るる手前の侘と寂      愛媛  内田 釣月
菊日和兄妹揃ふ三回忌         長野  浦野 洋一
風神のあばれ八月去りにけり      埼玉  大木 邦絵
竹林を色なき風の抜け来る       東京  大島雪花菜  
獺祭忌階段軋む笹乃雪         神奈川 大田 勝行
群にゐて僻むことなし羽抜鶏      東京  岡田 久男
入道雲見上ぐる度に嵩増せり      長野  岡村妃呂子
故郷の盆路作り人任せ         神奈川 小坂 誠子
耳底に鳴くを何時まで秋の蟬      静岡  小野 無道
枇杷熟るゝ墨壺を巻く船大工      宮城  小野寺一砂
柿熟れて落つるばかりや村も老い    埼玉  加藤 且之
湯上りの衿ぬいていく良夜かな     長野  唐沢 冬朱
袖通す母の形見や菊日和        千葉  川島  紬
翅哀れ蟷螂池を越えられず       愛知  北浦 正弘
とんばうの影だけ部屋に侵入す     群馬  北川 京子
八木八龍君追悼
天高し加賀の偉才は龍となる      神奈川 北爪 鳥閑
現世の灯りは落し大文字        東京  久保園和美
雨が消す飛行機の音終戦日       東京  熊木 光代
刈られても尚刈られても秋あざみ    群馬  黒岩伊知朗
東雲の後光のごとしキャベツ畑     群馬  黒岩 清子
陵墓背に釣瓶落しの坂下る       三重  黒岩 宏行
群雀腕にあそばす案山子かな      東京  黒田イツ子
三浦武士眠る山城今日の月       神奈川 小池 天牛
ゆきはバス帰りは歩く秋祭       東京  髙坂小太郎
十字架を象る影や鵙の贄        千葉  小森みゆき
臍を噬む秋の蚊を打つ父忌日      宮城  齊藤 克之
安らかや免許返納秋日和        神奈川 阪井 忠太
夕映えに染めゆく風や秋刀魚焼く    東京  佐々木終吉
枝分かれしても真直ぐや吾亦紅     群馬  佐藤かずえ
父母を守るお墓周りの鶏頭花      群馬  佐藤さゆり
鬼灯をほぐす加減や指の先       東京  島谷  操
ねこじやらし抓めば種の飛び散つて   東京  清水美保子
花よりも日本酒が好き墓洗ふ      岐阜  鈴木 春水
残る蟬週三勤の再雇用         千葉  園部あづき
日暮時尾瀬はとんぼの国となり     埼玉  園部 恵夏
秋の雷思ひ残しを一気に吐き      東京  田岡美也子
おにぎりは山の形やとろろ汁      東京  髙城 愉楽
苧殻焚く青き炎に変はるまで      福島  髙橋 双葉
稲妻や雲間の中を貫きて        埼玉  武井 康弘
指先で音ひろひゐる踊かな       東京  竹花美代惠
霊棚の写真の祖父は正装で       神奈川 田嶋 壺中
鶏頭のごつんと咲ける脇街道      栃木  たなかまさこ
鬼灯を鳴らせば母の偲ばるる      神奈川 多丸 朝子
昼時も無事に過ぎをり震災忌      愛知  塚田 寛子
供花のみを花屋に頼み秋彼岸      広島  藤堂 暢子
忘るるを受け入れ始め鵙の贄      埼玉  内藤  明
盆棚を仕舞ひ座敷の広さかな      東京  中込 精二
青天に灯台遥か雁渡し         神奈川 長濱 泰子
木守柿老いし父の背みてをりぬ     東京  永山 憂仔
栖鳳の余白に聞こゆ虫の声       京都  仁井田麻利子
溢蚊の幽けき径や解脱門        東京  西  照雄
鵯の鳴けば上着のほしくなり      宮城  西岡 博子
行く雲に遅速の非ず秋の空       静岡  橋本 光子
前転を初めて出来て地蔵盆       東京  橋本  泰
梨剝けば手にも潤ひ増すがごと     神奈川 花上 佐都
稲妻や金継ぎされし楽茶碗       千葉  針田 達行
トロッコや黒部の秋へ飲み込まる    長野  樋本 霧帆
あいさつす一期一会や秋遍路      千葉  深澤 淡悠
墓洗ふ雨の助けを借りながら      長野  藤井 法子
新巻を捌く荒塩かき出して       東京  牧野 睦子
鶏頭花首に無数の種孕み        東京  幕内美智子
野分晴山の頂上摑めさう        神奈川 松尾 守人
新涼や目覚めの余韻楽しめり      愛知  松下美代子
盆提灯宿場の町の道なりに       東京  棟田 楽人
濁り酒心の澱の捨てどころ       東京  家治 祥夫
芳しき歪な光ラ・フランス       東京  矢野 安美
よく喋る角の床屋や鳳仙花       東京  山口 一滴
路地裏の簾を濡らす秋の雨       群馬  山﨑 伸次
昭和史を座右の書とす敗戦忌      神奈川 山田 丹晴
稲架襖あしで見つかるかくれんぼ    静岡  山室 樹一
溶岩原の浅間の峰も雁渡し       群馬  横沢 宇内
月並に重ねし馬齢獺祭忌        神奈川 横地 三旦
戸締りの手を止めしまま虫の声     神奈川 横山 渓泉
力尽き日晒しの瀬に鮭浮かぶ      千葉  吉田 正克
湧き水は山椒魚の嘆きかな       山形  我妻 一男
箒目を染めし白砂のこぼれ萩      神奈川 渡邊 憲二
迷ひ込む路地行き止り松手入      東京  渡辺 誠子
火祭の富士を隠せる火炎かな      埼玉  渡辺 番茶


             








星雲集 今月の秀句

伊藤伊那男

おほかたは要なき遺品いわし雲       清水 史恵
 断捨離という流行語があるように、死ぬ前に身辺の整理をする時代である。私も信州の実家の整理をしたけれど、大方は不用品で、トラック何台分かの処分をした。必要なものと愛着のあるものとは別である。愛着のあるものも二つ三つもあればよい。遺品の山に当惑して空を仰ぐと鰯雲というところに哀感がある。ほど良い距離の取合せ。


伊邪那岐の桃投げ疫病治めたし       中村 藍人
黄泉国の妻伊邪那美の醜い姿を見てしまった伊邪那岐は追われて、黄泉平坂で桃の実を投げて危うく難を逃れた。その桃の霊力で現今のコロナウィルスを直したいものだ、という句である。コロナということを言わず、古典に題材を取ったところに、安定感がある。時事俳句の見本。


石山の石の声聴く秋初め          白井八十八
芭蕉の『おくのほそ道』に〈石山の石より白し秋の風〉がある。そこから得た着想であろうが、構わない。芭蕉句は近江の石山寺の石よりもこの那谷寺の石の方がもっと白い、というもの。掲句は近江の石山寺だけにして、石の声を聴くという風雅な発想で「秋初め」の取合せが上々。 


スカジャンの龍虎が踊る秋祭        河村  啓
一応説明すると海軍基地横須賀で、ジーンズ製のジャンパーに刺繡を施したものを略してスカジャン。人気が高い。横須賀のどこかの祭でスカジャンで踊る人々。休暇の米兵なども混じっているのであろう。軍港の一景を捉えた。


色変へぬ松に鎮もる泉岳寺         塩田佐喜子
私の子供の頃、年末になると忠臣蔵の映画が上映され、テレビ時代にも大河ドラマを始めとして繰り返し上映されて視聴率が高かった。私も大学生になって上京し、泉岳寺を訪ねたものだ。この句は「色変へぬ松」の季語を得て磐石のものとなった。一途な忠義、褪せることのない人気‥‥というものが「色変へぬ」に投影されているからであろう。 


良夜なり諏訪湖に眠る武田菱        中山  中
諸説あるが、三方ヶ原の戦いで織田・徳川連合軍を撃破した翌年、西上を目指した信玄は、信州伊那駒場(下伊那郡阿智村)で病没したといわれる。遺体は甕に納めて諏訪湖に沈めたという。農業資源の少ない甲州の地でよくぞ奮闘した武将信玄。「良夜なり」に称賛の心がある。 


箱膳の四角い庭に菊膾           伊藤 真紀
 宿坊などに泊ると箱膳の食事が運ばれてくることがある。思えば私の祖父などの食事も箱膳であった。引出しの付いたその上が食卓になるわけだが、それを「庭」と見たのが眼目。菊膾の小鉢が生彩を放つ。いい構図の句である。


唐黍や醬油の立てる炭の音         住山 春人
 焼とうもろこしの醬油の焦げる匂いが伝わってくる句である。食物の句はいかに旨そうに詠めるかが胆で、この句はそれを果している。信州の高原の畑の一角とか、札幌の大通りの一景とかが読者の胸に甦るのである。


晩学や視界遮る山の霧           小野 岩雄
 現実の霧の風景と、目に見えない心の中の風景を混然とさせた句である。晩学は遅々として進まない。何かが解ったように見えてもすぐ霧が遮ってしまう、という嘆きを絡めた二つの意味を持つ「霧」である。


写真立のあたり華やぐ走馬燈        荻野ゆ佑子
走馬燈を掲げて魂を迎えると、遺影も何やら華やいでいるようにみえる。そういう作者の心の中の動きなのだが、「華やぐ」と断定したのが俳句的省略というものである。同時出句の〈指先のすべらぬものに梨の肌〉は梨の表皮の触感をよく捉えている。漆塗りの技法に梨地があるが、そんなことにも連想に及ぶ物の本意に迫った句となった。


うすもので観たりうはなり打の能      平山 凛語
「後妻打(うわなりうち)」とは、本妻や先妻が後妻を妬んで打つこと。『源氏物語』の六条御息所はその恨みから怨霊となった。そのような筋書きの能を羅(うすもの)で観たという。夏に女性の着る薄くて軽い羅という季語を配したことで句の凄みが出た。


秋思とやころりころげるゆで玉子      釜萢 達夫
秋思とは所詮このようなもの、という比喩が面白い。深刻ではなく、すぐ忘れてしまうような秋思を実にあっけらかんと断定し、笑い捨ててしまったのが爽快である。
その他印象深かった句を次に

 

考ふる葦にもなれず秋暑し        日山 典子
戸籍のみまだ千代田区や震災忌      水野 正章
秋刀魚焼く不動通りの総菜屋       桂  説子
また会うて二度目の会釈秋日和      田中 真美
生身魂いまなほ村の若大将        小寺 一凡













伊那男俳句


伊那男俳句 自句自解(71)          
  
やや寒の幻住庵の厠かな

 芭蕉は『おくのほそ道』の旅を終えた翌年、元禄三年四月から七月までの約四ヶ月間、近江国膳所の幻住庵で過している。膳所藩士菅沼曲水(翠)が叔父の幻住老人の遺居を手直しして、義仲寺の無名庵に滞在していた芭蕉を招いたのである。芭蕉は近江芭門の温かな接待や、ここからの琵琶湖の眺望に心ひかれて近江に骨を埋める決心を固めたのではなかろうか。〈行く春を近江の人と惜しみける〉には深い心情が滲み出ている。芭蕉の死後のこととなるが、曲水は不正を働く家老曽我某を槍で刺し殺し、何も語らず自らも切腹した。剛直、潔白の人である。芭蕉は『幻住庵記』の中で「勇士曲水」と記しているが、その気骨の性を見通していたかのようである。曲水の墓も義仲寺にある。今の幻住庵は平成三年に再建されたものだが、なかなかの風情を保っている。さて私はその厠に入ったわけではない。やや寒の気候に触発されて、ふと芭蕉が痔を患っていたことなどを思い出したのである。

書割に夕日差し込む村芝居

 赤石山脈(南アルプス)と手前の伊那山地への間の山襞を縫うようにして秋葉街道が通っている。その中に大鹿村がある。旅役者が伝えたであろう歌舞伎を村人が覚え、二百五十年ほど伝承しているのが大鹿歌舞伎である。
 節廻しは太棹一本で進行する。最盛期には十三ヶ所の舞台があったというが、今は二つの神社で開かれる。歌舞伎は年二回定期公演がある。五月三日の興行では遅い雪が舞い、蕗の葉を翳したことがある。十月第三日曜日の興行は、日が傾くと俄かに肌寒くなり、枯葉が舞台に散り込む。弁当を拡げ、酒を酌み交し、子役のお鶴が出てくれば泣く。お捻りを投げる。実に素朴な地芝居である。今推進中のリニアモーターカーは赤石山脈を突き抜けて大鹿村を通り、飯田駅に止まるという。その膨大な土砂をこの大鹿村に吐き出す計画である。そのような中、大鹿歌舞伎はどう継承されていくのであろうか.。









     


 



俳人協会四賞・受賞式





更新で5秒後、再度スライドします。全14枚。







リンクします。


             


銀漢の絵はがき


挿絵が絵葉書になりました。
Aシリーズ 8枚組・Bシリーズ8枚組
8枚一組 1,000円

ごあいさつにご利用下さい。





 
        







掲示板










主宰日録  

  
9月

9月10日(金)
 農家の野菜買う。ピーマンの挽肉詰、谷中生姜の梅酢漬仕込む。13時から角川「合評鼎談」。リモート。

9月11日(土)
 ふと思いついて千葉、銚子へ。千葉は広い。錦糸町から特急で2時間近く。バスで犬吠崎へ。灯台から外川へ歩く。外川は「澪つくし」の舞台。駅近くの「外川ミニ郷土資料館」を訪ねると館長の島田泰枝さんが外川と銚子の昔の繁栄を語ってくれる86歳と。港町を2時間ほど散策する。博物館を開いている「〆印島長水産」に戻り、干物を家に送る。銚子電鉄で銚子の町に戻り、散策。飯沼観音を拝し、門前の「丼屋七兵衛」で鯖のヅケ丼。町は全く活気無く、シャッター通り。飲食店もほとんど無く、寂しさに驚く。結局コンビニでビールとつまみを買ってホテルへ。近くにラーメン店あったので、行ってみると早く消灯。コンビニでカップ麺とカップ酒。何とも淋しい銚子。駅前に猫が寝ている。

9月12日(日)
 早々に出立。鈍行を乗り継いで流山を目指す。流山電鉄に乗る。千葉は広い。銚子から3時間かかった。「江戸屋うなぎ店」に入り、青鰻(天然鰻のこと)のうな重。濃厚な江戸の味。宿場町を見る。近藤勇捕縛の陣屋址。赤城神社。「一茶双樹記念館」は一茶と交流のあった「天晴本みりん」の秋元家の復元屋敷。一茶は50数回訪ねてきた安息の地。市立博物館を見て、18時過、帰宅。

9月14日(火)
 広渡敬雄著『俳句で巡る日本の樹木50選』の書評「俳壇」11月号に2頁分書く。作句。夜、「火の会」8人。

9月15日(水)
 「信州伊那井月俳句大会」の結果来る。大溝妙子さん、伊那市長賞。三溝恵子さん上伊那俳壇賞受賞。

9月16日(木)
 俳人協会第28回「俳句大賞」最終選考(予選通過1,000句超から)。ハンバーグ作る。

9月17日(金)
 「俳句てふてふ」エッセイ(現代俳句協会の分裂)送る。調布市の「アカデミー愛とぴあ」の公開講座の件で成城駅前の「上島珈琲店」で担当の宝田氏と打ち合わせ。来年毎月教室を開くことに。沖縄で買った麩でフーチャンプルー。鰹の刺身など。

9月18日(土)
 角川「合評鼎談」の準備。今日は餃子120個ほど作る。孫に包ませる。

9月20日(月)
 敬老の日だけれど留守番をしてくれと。皆各々出かけて犬のバニラと留守番。劇団四季の劇場が有明に移り、開場間近とて孫の怜ちゃん稽古で忙しい。夜、近所のN家。仲間の誕生日祝と、ついでに小生の敬老の日祝いと。自由が丘のテツ君の店の料理をテイクアウト。

9月21日(火)
 10時半、東武線東松山駅。伊那北会。松山城跡と吉見百穴へ。松山城跡散策。藪蚊多く難儀。吉見百穴は30年振り位か。土産物店の大澤さんと話。百穴は大澤家の所有地と。川越に出て2軒ほど巡る。

9月22日(水)
 13時、リモートで角川「合評鼎談」。これで12回終わる。残るは年間の総集編。かなり負担のある仕事だったので、あと駅前に数日前にできた居酒屋。ホッピーを注文した途端、拡声器を持ったおじさんが来て、恥を知れ! と叱られる。まだ緊急事態宣言下。

9月23日(木)
 第63回「奥の細道」羽黒山全国俳句大会(出羽三山神社)の選句。角川「合評鼎談」の校正。

9月25日(土)
 選句追い込み。劇団四季「ライオンキング」の劇場、有明の移転。26日が杮落としで今日のゲネプロに怜輔出演と。

9月28日(火)
 14時、発行所。一斗さん「春耕」の乾さんと打ち合わせ。あと知り合いの店で小酌。

9月29日(水)
 農家へ野菜仕入れ。彗星集書いて11月号の原稿終了。「春耕」45周年特集蟇目良雨論を書き上げる。到来の鮪10キログラム超か。一部切ってどうにか冷蔵庫へ納める。その一部だけで手巻き寿司パーティーできてしまう。

9月30日(木)
 有明の四季劇場。怜ちゃん出演日にてライオンキング観劇。有明地区は鉄腕アトムの未来都市のよう。

10月

10月1日(金)
 台風接近。終日雨。「奥の細道」羽黒山全国俳句大会の子供の部2,000句超の応募あり。17句選。

10月2日(土)

 午後、発行所。『神保町に銀漢亭があったころ』出版の打ち合わせ。武田、川島、柊原、戸矢、馬場氏。あと古書店など散策。「ランチョン」が開いていたのでビール。牡蠣フライ、牡蠣のコキール、牡蠣チャウダー。あと馴染の店覗く。

10月3日(日)
 午前中、「銀漢」11月号の校正作業に没頭。

10月4日(月) 角川「合評鼎談」の総仕上げ。1年間のベスト30句の選。読者欄ベスト30句も。

10月5日(火)
 高速バスにて富士吉田。高部務氏の出迎えを受ける。「手打ちうどん麺工房一樹」という吉田うどんの店にて昼食。馬肉、キャベツ、煮ごぼうなど入った腰の強いうどん。別荘の別棟で1人の時間。夜、「しゃぶしゃぶはやし」で豚しゃぶ。戻って暖炉の炎を見ながら小酌。静かな夜を楽しむ。

10月6日(水)
 快晴。空気の味が違う。高部氏の作ってくれた朝食をベランダで食す。氏はゴルフに行き、私はベランダで書き物と作句など。昼、富士山麓の雑茸2種ほど入手。鶏肉、白滝、ごぼうなども。夜、茸と鶏もも肉のすき焼きなど。暖炉の炎を見て酒。22時就寝。夜の雨。

10月7日(木)
 9時間ほど寝たか。清々しい朝。昨夜の茸のすき焼きの残りで丼。大月に出て、岩殿山へ登ろうとしたが、登山道崩落で通行止め。裏から廻る道があるが往復5時間かかるとて断念。各停の中央線で帰る。怜輔君、11歳の誕生日にて、伊勢「若柳」の網焼き用牛肉取り寄せて庭にてお祝いの会。夜、地震。


10月8日(金)
 10時半、常磐線馬橋駅。伊那北会。流山電鉄で小金城趾を歩く。流山に出て先月私が歩いた、一茶、近藤勇関係の旧蹟を案内。16時半、「江戸屋うなぎ店」に入り、鰻肝、白焼で酒。最後うな重。

10月10日(日
 11時半前、上田駅。喫茶店などで講演のおさらい。12時、大輪寺にて「加舎白雄231回忌 全国俳句大会」。本堂で1時間少々、井月・曾良の信州の俳人2人について話す。政三さん、まほさんが飛び入りで聴きに来てくれる。17時、「松茸村」というこの季節だけ開く山の中にある料理店「丸光園」に案内していただく。仲寒蝉さん、幹事の窪田英治さん他10数名。鍋、茶碗蒸、土瓶蒸、天ぷら、吸物。松茸ごはんはお土産にしてもらう。上田プラザホテルへ投宿。まだ20時前にて駅前で小酌。1人の反省会。作句など。






















         
    






今月の季節の写真/花の歳時記



2021/12/25撮影   芙蓉の実   HACHIOJI 




   

    
△芙蓉の実
ヨウ(芙蓉)の花の果実が、割れて飛んで行った後の姿を枯芙蓉といって冬の季語にも。
こんな姿を美しいと感じる感性を昔の日本の人は持っていた。枯れても、尚、美しさを保ち、枯芙蓉となって季語にまでなっているフヨウ(芙蓉)の実。何時か枯れても、尚凛としたものを持ち続ける・・・。

銀杏黄葉 ラッパ銀杏 サクラマンテマ オオイヌフグリ 秋明菊の絮毛
コセンダングサ ツツジ 枇杷の花 背高泡立草 霜の背高泡立草
黄梅 霜の仏の座 冬紅葉 クリスマス・リース クリスマスケーキ
芙蓉の実






写真は4~5日間隔で掲載しています。 
2021/12/25








HOME

漢亭日録 



 
Z