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 11月号  2016年

伊藤伊那男作品 銀漢今月の目次 銀漢の俳句 盤水俳句・今月の一句  
彗星集作品抄    彗星集選評  銀漢集作品抄
  綺羅星集・作品抄  銀河集・綺羅星今月の秀句 星雲集・作品抄  
星雲集・今月の秀句   新連載  銀漢の絵はがき 掲示板 
 鳥の歳時記  銀漢日録  今月の写真 



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伊藤伊那男作品


芭蕉の葉      伊藤伊那男

江ノ電の一車輛ごと潮浴びに
心眼でやつぱり見えぬ西瓜割
口癖は千代に八千代に生御魂
盆提灯草葉の陰へ火の廻る
十哲を煽つてゐたる芭蕉の葉
水分の神の配れる秋の水
炭坑節だけはどうにか踊れさう
着陸の機影被さる鯊の舟







        
             





今月の目次







銀漢俳句会/11月号



         
         




          





   


銀漢の俳句 

伊藤伊那男 

◎父のこと、兄のこと

 2歳上の兄は多摩センターのビルの中で耳鼻咽喉科の医院を開業していた。患者の選ぶ医者のランキングの上位に入っていたこともあり、朝、番号札を置くと10分位で1日分が無くなるという人気のある医者であった。その兄が、昨年会った時、そろそろ引退するよ、と言っていたが、本当に5月で医院を閉じた。「趣味も無いのにこのあと何をするの」と問うと「畑を耕して、蜜蜂を飼って、薫製を作ったりする」と言う。引退後誰もが考える典型である。「まあ飽きるまでやってみるよ」と。
 さて我々の父も耳鼻咽喉科の開業医であった。父も「忙殺」と言っていいほど繁忙の人生であった。朝6時位から患者さんが番号札を取りに来る。夜も急患が来るわ、往診要請の電話が鳴るわ、という日々であった。子供の多かった戦後のこと、夏休みなどは一日に200人を越える患者が来院し溢れて廊下の窓硝子が割れたこともあった。当然診療報酬の請求作業も大仕事であった。全て手書きの時代である。月の内10日間ほどは夜中までその作業に追われる。耳鼻科は1人当たりの点数が低く、数が勝負なのである。
 そういう生活なので、酒好きの父だが夕食時の晩酌の習慣は一切無かった。夕食の後も仕事に追われたからである。困るのはその反動であったのか、医師会の集まりなど気の置けない会があると大酒を飲んで豹変することであった。日頃無口で人と会っても目を伏せるような父なのだが、大酔を発した時は飯田線の電車の前に立ちはだかったり、自転車を漕いだままの姿勢で道に倒れていたりするのであった。私も兄も酒飲みだが、酔っても父のようにならないように、これだけは反面教師にしようと誓ったものである。
 父は私が結婚した頃であるから60歳位の時から海外旅行の楽しみを覚えて、盆と正月は必ず母を伴ってどこかの国へ行っていた。写真が趣味だったので、その楽しみのために働いていた感じである。私も、ドイツに留学していた兄一家を訪ねる旅や、北京やニューギニアなどの旅に同行したことがある。
 働き続ける父に私達は何度か引退を勧めたが、結局82歳の時、夜、患者が来て診察をしている最中、脳梗塞で倒れた。それから10年近く車椅子の生活を続けて死んだ。
 そんな父を見てきた兄は、まだ体力と気力が残っているうちに、好きなことをやっておこうと決心したようである。それもまた良し。だが私としては支えの一つが無くなった感じで淋しい。
 さて、いつまで銀漢亭を続けることになるのか………。

 











 



  

盤水俳句・今月の一句


伊藤伊那男

  
文殊詣り蒟蒻掘りし手を提げて       皆川 盤水


「山形県・亀岡文殊堂 四句」の前書のある内の一句。寺名は大聖寺(だいしょうじ)、大同2年(807年)徳一(とくいつ)上人が、中国五台山から伝来した文殊菩薩を安置したことに始まるという。実際に蒟蒻を提げているわけではなかろう。近隣の参詣客がそんな会話をしているのを耳にしたのであろう。この措辞で、周辺の地相や、親しみ深い寺相などが具体的である。同時詠は〈文殊詣り風出て溢る林檎の朱〉〈紅葉晴文殊詣りの鳶舞ふよ〉〈文殊詣りの老婆新米供へけり〉。
                                         (昭和45年作『銀山』所収)








  

彗星集作品抄

伊藤伊那男・選

消印は山頂局の夏見舞            多田 悦子
船名がそのまま四股名草相撲         小野寺清人
言ひ足りぬ事の増え行く帰省かな       山口 輝久
第一打探しつつ嗅ぐ草いきれ         播广 義春
蝮酒呑んで延命拒否の文           大野 里詩
百物語百の声色闇に消ゆ           五十嵐京子
寝かされて石棺ほどの花氷          多田 悦子
草ぐさの影立つころを切籠組む        桂  信子
夕鐘や石垣に暑はおとろへず         佐々木節子
錫杖の音が闇より夏芝居           戸矢 一斗
項灼く平和の鐘の深き黙           大山かげもと
石鎚山の峰は雲間に盆の道          村上 文惠
帰省子の東京弁は二日ほど          中野 智子
朝礼のやうな向日葵畑かな          鈴木てる緒
天上に観覧席が揚花火            上條 雅代
打水に来て雀らの大はしやぎ         笠原 祐子
いつの日も母は太陽茄子の花         宮本起代子
甚平と小銭で過ごす一日かな         塚本 一夫
ふるさとの手振り持寄る盆踊         池田 桐人
七夕や屋台で語る宇宙葬           池田 桐人


 












彗星集 選評 伊藤伊那男



消印は山頂局の夏見舞            多田 悦子
山頂に郵便局があるというのは確か富士山だけであったか?夏だけ臨時に置かれる郵便局である。涼しさの極みの山頂から登頂の知らせとともに飛来する夏見舞いとは何とも楽しいではないか。富士山からであれば、ああ今あのビルの谷間に小さく覗くあの……という思いも一入である。
 
  
船名がそのまま四股名草相撲         小野寺清人
いかにも懐かしい句である。大相撲と違って、本来の季語の相撲である。たまに神社の境内に土俵を見ることがあるが、地域の人々の奉納相撲である。この句は海辺の半農半漁の神社であろう。即席でつける四股名が、経営する漁船の名前○○丸……。そんな呼び出しを受けて土俵に上がるのである。読み手の目にありありとその情景が浮かび上がる実感を持った句である。

  
言ひ足りぬ事の増え行く帰省かな       山口 輝久
学生時代の帰省時は、母にあれこれと東京の暮らしについて聞かれて、応えるのも面倒だったものである。ところが自分でも所帯を持ち、子供も出来たあたりから変わってくる。父母も年を取ってきて、帰省の度に父母の生活が心配になってくるのである。今度は逆にこちらから日々の暮らしのことなどを聞く。「また来るから元気でいてね」……と立場が逆転していく。「帰省」を詠んで珍しい句となった。

 
第一打探しつつ嗅ぐ草いきれ         播广 義春
ゴルフであろうか、第一打が大きく外れて草叢へ消える。探しに入ると今までは気が付かなかった草いきれが鼻を突く。都会生活ではなかなか感じなくなった草いきれが、こんな処にあったとは!という作者の感動である。そのあとも度々あるかもしれないが第一打だからこその面白さ。

  
蝮酒呑んで延命拒否の文           大野 里詩
延命治療を受けるかどうか、極めて難しい判断である。強烈な副作用を抱えるかどうか、とか、意識の無いまま生きる意味は?とか、様々な思いが巡ることになる。我々の年代あたりからそんな事が現実問題に浮上するのだ。私の義兄も、医者である兄も健康診断を受けない。知人の一人も余命0ヶ月宣告を受けた後治療を拒んで、その後も普通に暮らしている。各々私にできるかというと難しい。蝮酒などという、効くか効かぬか解らない物を持ってきて私に難しい問題を提示したのである。

  
百物語百の声色闇に消ゆ           五十嵐京子
夏の夜、百本の蠟燭のもと、一人ずつ怪談を語り、燭を消していく。最後の蠟燭を消すと本物の化物が出てくるというのである。句は百全部が違う声色で闇に吸い込まれていく、という。だんだん怖くなる様相を追ったのだ。

 
寝かされて石棺ほどの花氷          多田 悦子
なるほど石棺、比喩の奇想さは今までにない。

  
草ぐさの影立つころを切籠組む        桂  信子
盆の頃の長けた雑草の様子が如実。品格の高さを思う。

  
夕鐘や石垣に暑はおとろへず         佐々木節子
日が落ちて熱気の残る石垣。体感を読んで出色。

  
錫杖の音が闇より夏芝居           戸矢 一斗
だんだんと近づく錫杖の音に夏芝居の怖さが伝わる。

  
項灼く平和の鐘の深き黙           大山かげもと
祈りの深さ。祈りへの長さが伝わる真摯な句。

  
石鎚山の峰は雲間に盆の道          村上 文惠
四国第一の信仰の山。そこに続く盆の道である。

  
帰省子の東京弁は二日ほど          中野 智子
少し気取ってみせたものの、とてももたない帰省子。

  
朝礼のやうな向日葵畑かな          鈴木てる緒
校庭に整然と並んだ生徒たちの朝礼とひまわり畑が重なる。

  
天上に観覧席が揚花火            上條 雅代
観覧席と見るか、天上の父母を偲んでの事か。

  
打水に来て雀らの大はしやぎ         笠原 祐子
動物の擬人化(はしゃぐ)は好きではないが、これは可。

  
いつの日も母は太陽茄子の花         宮本起代子
「千に一つの無駄もない」というのは茄子の花と母。

  
甚平と小銭で過ごす一日かな         塚本 一夫
気の置けない町内だけで過ごす一日の様子が解る。

 
ふるさとの手振り持寄る盆踊         池田 桐人
都会の盆踊りの様子である。それぞれが故郷を思い出して。

  
七夕や屋台で語る宇宙葬           池田 桐人
こんなことも今日的情景。屋台の取り合わせの面白さ。
           
 








銀河集作品抄

伊藤伊那男・選

箱庭に阿羅漢として置く小石      東京   飯田眞理子
日蓮の置去り岩へ舟遊び        静岡   唐沢 静男
はたた神毛の国ぶりも語り草      群馬   柴山つぐ子
家系図の末端にゐて夕端居       東京   杉阪 大和
子規球場土用の鳩の集ひをり      東京   武田 花果
潮騒や砂地に残るをどり跡       東京   武田 禪次
一幅の「信濃の国」や夏座敷      愛知   萩原 空木
文月七日畳になじむ膝がしら      東京   久重 凜子
抱卵の貧しきからだ羽抜鶏       東京   松川 洋酔
存外に首たくましき羽抜鶏       東京   三代川次郎
幽霊の軸のひとゆれお風入れ      埼玉   屋内 松山




















綺羅星集作品抄

              伊藤伊那男・選 
十一面の仏めいめい秋に入る      東京   渡辺 花穂
焼酎はロック有線から演歌       東京   森 羽久衣
撒き餌に馴れ政商の夏の鯉       埼玉   戸矢 一斗
色鳥や一刃にひらくオムライス     東京   塚本 一夫
夜店閉ぢなほ鉄板の冷めやらず     東京   谷岡 健彦
南洲像見守る帰省列車かな       東京   多田 悦子
色鳥来そはかそはかと唱ふれば     東京   武井まゆみ
父だけに見ゆるものあり走馬灯     大阪   末永理恵子
往き戻る商店街の盆踊         東京   新谷 房子
虫時雨のせて仏のたなごころ      東京   上田  裕
音の出るサンダル嬉し夜店の灯     東京   伊藤 政三
木苺を包むフィガロや土曜市      東京   畔柳 海村
炎天をゆく町の名は雪の下       千葉   佐々木節子
迎火の消ゆれば路地もまた消ゆる    長野   三溝 恵子
地味なるも色鳥といふひとくくり    東京   宮内 孝子
ポロシャツの胸に鰐飼ふ暑さかな    東京   堀切 克洋
百物語終の一灯火(ほ)のはげし    静岡   五十嵐京子
夏の夕ひとりが嫌で街へ出づ      東京   朽木  直
路地裏をひつかかりては神輿ゆく    東京   曽谷 晴子

空ばかり捕まへてゐる捕虫網      東京   相田 惠子
かき氷崩せば青春見えかくれ      宮城   有賀 稲香
鬼灯市声まで濡るる通り雨       東京   有澤 志峯
集まり来川中島へ四方の霧       東京   飯田 子貢
振りかへる故郷は虹の根の辺り     埼玉   伊藤 庄平
節かたき木賊にわが身重ねみし     埼玉   梅沢 フミ
手が合へば踊の足の縺れけり      東京   大西 酔馬
遅れ来て子の手花火のけむりかな    神奈川  大野 里詩
口開けて見る海の日の水族館      埼玉   大野田井蛙
広重の紺青の空遠花火         東京   大溝 妙子
日の仕事二つと定め暑に耐ふる     東京   大山かげもと
はぐれ雲を繫ぐ直線夏燕        東京   小川 夏葉
七尾線影三輛を秋の野に        埼玉   小野寺清人
江の島の灯に透く波や夜の秋      神奈川  鏡山千恵子
大汗をひかす原爆資料館        和歌山  笠原 祐子
この島に戦闘機飛び花カンナ      愛媛   片山 一行
あやしげな系図をかけて猿酒      東京   桂  信子
足停めて鳴き止む蟬と黙のとき     長野   加藤 恵介
聖堂の深き静寂にゐて涼し       東京   我部 敬子
稲刈のとなりは田植それが土佐     高知   神村むつ代
遠浅に監視台差す海開         東京   川島秋葉男
泡立ち草ゆれる直系ひとりなり     長野   北澤 一伯
かつて海たりしが浄土蓮の花      東京   柊原 洋征
膕に正座の湿り広島忌         神奈川  久坂依里子
稲すずめ田の吹き出しの如くかな    神奈川  こしだまほ
里帰りカンナ昔のいろに咲き      東京   小林 雅子
櫓よりねむる踊り子抱き降ろす     東京   島  織布
踊りつつ母の踊をまなうらに      東京   島谷 高水
炎天に未だに伸びる被爆の樹      兵庫   清水佳壽美
筆吊りし大観旧居色鳥来        東京   白濱 武子
香煙の及ぶ鬼灯市にまで        東京   鈴木てる緒
日日草きのふをはやも忘れよと     東京   角 佐穂子
はつ恋は疾うに置き去り藤村忌     東京   瀬戸 紀恵
涼風を分け合ふ狭庭椅子並べ      愛媛   高橋アケミ
飴色に煮詰つてゐる麦藁帽       東京   高橋 透水
東なる嬥歌の山に夕の虹        埼玉   多田 美記
静けさを解くひぐらしの朝まだき    東京   田中 敬子
子の逝きて昭和も遥か魂祭       東京   谷川佐和子
過去帳に謎のなにがしお風入      神奈川  谷口いづみ
母白寿知るかのごとく色鳥来      愛知   津田  卓
四万六千日抜け仲見世のオムライス   東京   坪井 研治
己が影静かに回す扇風機        千葉   土井 弘道
青すだれ吊りてより生る路地模様    神奈川  中川冬紫子
遠泳の海引きずつて戻りけり      大阪   中島 凌雲
老斑も晩翠のうち竹婦人        東京   中西 恒雄
猫じやらしそこにのみ風あるらしく   東京   中野 智子
星月夜六輔の星歌ふごと        東京   中村 孝哲
覚えなき傍線があり書を曝す      茨城   中村 湖童
軽井沢サマードレスで迷ふ森      東京   西原  舞
信濃路は田毎の月の水落す       東京   沼田 有希
一周忌修めし安堵夏の月        神奈川  原田さがみ
蚊を打てぬ法事に数珠を爪繰れり    兵庫   播广 義春
蟬時雨生きよ生きよと励ましつ     福岡   藤井 綋一
ほうたるや平家は西へ西へ落ち     東京   保谷 政孝
七谷へ七度谺威し銃          東京   堀内 清瀬
千枚の隅を余さず青田波        岐阜   堀江 美州
公園の蛇口上向き夏の雲        埼玉   夲庄 康代
上高地いま秋冬の重なれる       東京   松浦 宗克
髪を切る合はせ鏡の中の夏       東京   松代 展枝
太鼓腹濡らしつつ食ふ西瓜かな     千葉   無聞  齋
多摩の地に落ちつく暮し夜の桃     東京   村上 文惠
八千草咲く花野を愛でて百寿かな    東京   村田 郁子
少年に恋の矢疾し青りんご       東京   村田 重子
無住寺の「求む住職」月見草      千葉   森崎 森平
白南風に島の球児の校歌かな      埼玉   森濱 直之
頑愚てふ褒め言葉あり夕端居      愛知   山口 輝久
男梅雨筑紫次郎を昂らせ        東京   山下 美佐
裏返る戸板へ悲鳴夏芝居        群馬   山田  礁
巴里祭や藤田画伯の丸眼鏡       東京   山元 正規
暮れなづむ川床に灯の入る貴船かな   神奈川  吉田千絵子
夏潮を分けて帰帆の大漁旗       愛媛   脇  行雲
















     






銀河集・綺羅星今月の秀句

伊藤伊那男

はたた神毛の国ぶりも語り草         柴山つぐ子
以前、夏休みに毎年のように軽井沢に行ったが、帰路の関越道で必ずといっていいほど雷に会ったものだ。最近ではこもろ日盛句祭のあと「北軽句会」に寄るが、日暮れと共に雷鳴が響き、慌ててガーデンパーティーを畳むのが恒例である。上州の雷は必ず手荒な接待をしてくれるのである。そんな様子が隈なく語られている句である。


十一面の仏めいめい秋に入る         渡辺 花穂
近江湖北の一点に集中して十一面観音の秀作が残っている。各々に個性があり、もちろん頭上の十一面のお顔も各々である。その十一面が各々の秋に入るというのであるから何とも愉快な発想である。「秋思」という言葉などが自ら浮かび上ってくるのであり、その余韻がいい。


  

焼酎はロック有線から演歌          森 羽久衣
言葉遊びの句はあまり好きではないが、この句には唸るしかない。「焼酎はロック」となれば氷塊を浮かべたグラスということになるが、そのあとの「有線から演歌」とあると、演歌に呼応するのはロックンロールミュージックということになる。「ロック」の二重性。そのような無用なことに頭脳を使って酒を飲んでいるのだと思うと、可笑しい。


撒き餌に馴れ政商の夏の鯉          戸矢 一斗
私はどちらかといえば写生派なのだが、このような句も嫌いではない。多分紀国屋文左衛門の屋敷が始まりと言われる清澄庭園あたりの嘱目であろう。これらの庭園は明治時代に財閥の手に渡っている。そのような歴史を皮肉な目で詠み取っているのである。「撒き餌に馴れ」がうまい。


色鳥や一刃にひらくオムライス        塚本 一夫
何とも色彩の美しい句だ。最近流行のオムライスで、炒めたご飯の上に乗せたオムレツの峰に刃を当てると重力で開いてご飯を覆うのである。外には色鳥が飛翔する。


夜店閉ぢなほ鉄板の冷めやらず        谷岡 健彦
私の思い出では夜店の終わりは悲しかった。次第に屋台の灯が消えていく。焼烏賊の匂い、アセチレンガスの匂いも消えていく。ただ烏賊や焼きそばの鉄板はそう簡単には冷めない。そんなところに目を止めたのは見事である。作者の夜店への思いも「冷めやらず」に重なるのである。


  

南洲像見守る帰省列車かな          多田 悦子
南洲は西郷さん。私より少し前の時代、東北よりの集団就職の列車が続々と上野駅に若者を送り込んだ。その歴史を西郷像は見ていたのである。今、その方達も含めて夏季休暇で古里に帰る列車を見送っているのだ。列車は新幹線に変わり、地下からの発車となったが・・・・・・。そのような半世紀の激動の歴史を詠み留めたのである。


  

色鳥来そはかそはかと唱ふれば        武井まゆみ
般若心経にも繰り返し唱えられる「娑婆詞」。梵語であり、その意味は「功徳あれ」「成就あれ」という祈りの真言である。その祈りを聞きつけたように色鳥が飛来する。「そはかそはか」のリフレインが何とも心地良い。同時出句の〈海の日を竜宮城にゐる思ひ〉も心和む。


父だけに見ゆるものあり走馬灯        末永理恵子
蝋燭の火の熱で回る走馬灯は風情のあるものであった。回転する絵に、様々な思い出などが想起するのである。「父だけに見ゆる」は、父にしか分からない思い出、あの世まで黙して持ってゆく思い出、ということであろう。もちろん一緒に見ている作者にもそのような思い出があるのである。父子こもごもの思いの籠る走馬灯である。


 往き戻る商店街の盆踊           新谷 房子
写生句の良さを思う。作者の心象などは一言も語ってはいない。一本の商店街を踊りの列が行き、同じ道を戻ってくる。ありありと生活感の満ちた小さな商店街の様子が目に浮かぶのである。駄菓子屋、八百屋、その誰彼の顔なども・・・・・・。読者各々の心の中の商店街に響き合うのだ。

  その他印象深かった句を次に

時雨のせて仏のたなごころ          上田  裕
音の出るサンダル嬉し夜店の灯        伊藤 政三
木苺を包むフィガロや土曜市         畔柳 海村
炎天をゆく町の名は雪の下          佐々木節子
迎火の消ゆれば路地もまた消ゆる       三溝 恵子
地味なるも色鳥といふひとくくり       宮内 孝子
ポロシャツの胸に鰐飼ふ暑さかな       堀切 克洋
百物語終の一灯火のはげし          五十嵐京子
夏の夕ひとりが嫌で街へ出づ         朽木  直
路地裏をひつかかりては神輿ゆく       曽谷 晴子





                 
    
   

 
 



 



星雲集作品抄

             伊藤伊那男・選

今朝秋の詰り溶けたるペンの先     東京   梶山かおり
缶麦酒次々開けよ山の家        東京   今井 麦
光君に再びまみゆ夏期講座       神奈川  宮本起代子
色鳥のこぼれ極楽往生院        東京   半田けい子
軒雀おどろく二階囃かな        東京   橋野 幸洋
ダンプカー丸ごと灼けて峠越え     長野   髙橋 初風
吹き上がる茣蓙に石置く海の家     東京   小山 蓮子
上州の空暮れなづむ麦埃        埼玉   大澤 静子
浦からの風を枕の昼寝かな       神奈川  伊東  岬
鍼のごと燈明澄みぬ今朝の秋      埼玉   池田 桐人
向日葵にまぎれし吾子の笑顔かな    愛知   住山 春人
傷舐めし日々や昭和の子等の夏     東京   辻  隆夫
田の出来を言ひて新盆見舞かな     東京   星野 淑子
夏風邪の子を温めたり冷したり     長野   守屋  明
滝浴びる無垢の棒なり修行僧      埼玉   渡辺 志水



大仏の供花に混じりし西瓜かな     神奈川  北爪 鳥閑
馴染みたるシャツ繕ひて夏山へ     群馬   鈴木踏青子
夏めくも暗き影ある歌舞伎町      東京   八木 八龍
銘々の持つ物決めて墓参        京都   三井 康有
手花火を一歩後ろで見守れり      愛知   星野かづよ
旅の荷に多分使はぬ半ズボン      東京   福永 新祇
一輪の宗旦木槿鶴首に         東京   辻本 芙紗
帰省子に隣の犬の大騒ぎ        福島   髙橋 双葉
あと数本箸にかからぬ心太       東京   鈴木 淳子
田を渡る水争ひのしやがれ声      埼玉   志村  昌
もうひとり兄がゐたらし庭花火     神奈川  上條 雅代
天牛の鳴きてこの世を波立てる     愛知   松下美代子

胎内を巡る涼風善光寺         東京   秋田 正美
みささぎを訪ねたづねて夏薊      埼玉   秋津  結
告別式色なき風に背を押され      神奈川  秋元 孝之
しばらくは夕日を支ふ合歓の花     東京   浅見 雅江
蟬時雨蟬土砂降と言ふべきや      愛知   穴田ひろし
競ひあふやうに熟れゆくトマトかな   東京   荒井 郁子
稲妻は稔り割り振る阿弥陀くじ     神奈川  有賀  理
この家に九人の祖霊迎へ盆       愛媛   安藤 政隆
片陰をゆつくり歩む谷中かな      東京   井川 敏夫
雨上がり踊太鼓のいや弾み       東京   生田  武
唄止むも抜け難き輪の踊かな      埼玉   今村 昌史
水中花鏡は裏を眺めをり        千葉   植竹 香節
開け放つ法事終へたる夏座敷      神奈川  上村健太郎
見落せるゴーヤたぢろぐ程赤し     埼玉   大木 邦絵
力ある雲をそびらに百日紅       東京   大沼まり子
秋の蟬疲れ知らずに鳴き通す      群馬   岡村妃呂子
大鯉の一閃盆の月毀つ         東京   岡本 同世
好物の茄子の馬にて夫帰る       神奈川  小坂 誠子
富士一つみづうみ一つ爽やかに     京都   小沢 銈三
七夕や来世の夫とすれ違ふ       宮城   小田島 渚
痩せ鰹家苞となる糶のあと       埼玉   小野 岩雄
尺取りや擬せる小枝に角二つ      静岡   小野 無道
夏日影街のはづれにキネマ館      静岡   金井 硯児
蜩の懐しさあり響あり         東京   亀田 正則
故郷は遠くにあらじ稲光        長野   唐沢 冬朱
躾糸外せぬままに土用干し       神奈川  河村  啓
高枝の石榴の割れに鳥の嘴       愛知   北浦 正弘
房総に真向ふヨット空広し       東京   絹田 辰雄
一声の唸り大きく秋蚊くる       和歌山  熊取美智子
うづくまる最終打者や夏終る      愛媛   来嶋 清子
夜の蟬腹みせ六脚まげしまま      愛知   黒岩 宏行     
夜店の灯幼は硬貨にぎりしめ      東京   黒田イツ子
青空へ玉虫の色消えにけり       東京   小泉 良子
故郷の音聞きたくて遠花火       群馬   小林 尊子
ゆるやかな疎水の流れ里の夏      東京   斉藤 君子
添水聴き怠惰の我を引き戻す      神奈川  阪井 忠太
火の山の木々の声聴く避暑の家     東京   佐々木終吉
仏前へ今日の報告ちちろ鳴く      群馬   佐藤 栄子
淋しさと違ふ白持つ韮の花       群馬   佐藤かずえ
朝曇街を見守る観世音         群馬   佐藤さゆり
背伸びするごと開きたる蓮の花     東京   島谷  操
巻き戻す正午はあの日終戦日      東京   須﨑 武雄
松ヶ枝の影の浮き立つ盆灯篭      神奈川  鈴木 照明
あのかどを曲れば海へ夏休み      埼玉   園部 恵夏
涼しさは町の長屋の長さかな      山形   髙岡  恵
胡瓜もぐ働くことの喜びに       埼玉   武井 康弘
鈴虫やこゑ静まれば声の欲し      東京   竹内 洋平
山の日は故郷の山想ひ出し       広島   竹本 治美
空蟬となりてもつかむ枝の先      三重   竹本 吉弘
朝の道朝顔かぞへつつ曲がる      東京   田中 寿徳
朝蟬や乾かぬ羽の声ならん       東京   田中  道
秋扇にひと雨欲しき話など       神奈川  多丸 朝子
水茄子の水を湛へし丸さかな      大阪   辻本 理恵
螺子切れのブリキの玩具夏盛り     東京   手嶋 惠子
おしやべりの間をぬつて鳴る江戸風鈴  東京   豊田 知子
町毎に上がる花火や旧街道       神奈川  長濱 泰子
硝子器に銀の匙鳴る夏料理       埼玉   中村 宗男
ヒバクシャの語りや熱き片蔭に     大阪   永山 憂仔
街中の道路狭しとねぶたゆく      神奈川  萩野 清司
捨てがたき栞そのまま曝書かな     東京   長谷川千何子
水守りの去んでひたすら青田濃し    神奈川  服部こう子
先祖皆乗せるに足りる太き茄子     神奈川  花上 佐都
助手席にのり初採りの西瓜かな     長野   馬場みち子
病葉を落とさぬやうに水をやる     神奈川  福田  泉
風鈴の市に立ち寄り風を聴く      東京   福原 紀子
居留地に残る教会藤は実に       東京   牧野 睦子
苧殻焚くひたすら不備を詫びながら   神奈川  松村 郁子
竜胆の空よりも濃く茶臼岳       東京   宮﨑晋之介
うつせみの色即是空力こぶ       東京   宮田 絹枝
思ひ出とはならぬ歳月広島忌      広島   村上 静子
奥能登や薄暮の中の冬椿        東京   家治 祥夫
降りもせず音を残してはたた神     群馬   山﨑ちづ子
蜩の鳴き声近き長湯かな        東京   山田  茜
妻呼ぶも返事の遅き大暑かな      静岡   山室 樹一
梅の実のたわわなる下父母眠る     千葉   吉田 正克
かなかなかな七堂伽藍黄昏れて     神奈川  渡邊 憲二
サングラス涙を隠すものと知る     東京   渡辺 誠子
夫よりの伝言やもと落し文       東京   渡辺 文子














     





星雲集 今月の秀句

伊藤伊那男

今朝秋の詰り溶けたるペンの先        梶山かおり
私は万年筆派でモンブランを二本机上に置いている。古歌に「風の音にも驚かれぬる」と秋の到来を知る微細な感覚が詠まれているが、この句は秋到来を知る現代感覚である。ボールペンでもこんなことがありそうだ。同時出句の〈路地ごとに違ふ欠け方大花火〉は高層化した都会の路地の様子が如実である。また〈子規球場鋭角に飛ぶ蜻蛉かな〉も「鋭角に飛ぶ」が発見で、各々いい感覚を発揮している。


缶麦酒次々開けよ山の家           今井  麦
いかにも麦酒好きの人の句。「次々開けよ」の命令形が楽しい。解放された夏期休暇の気のおけない仲間か家族かとの団欒の様子が目に浮かぶ。同時出句の〈一センチ短めに髪切りて夏〉は男の私には解らないが、女性にとっては髪の一センチは大きな変化なのであろう。二句共人事的な句で、作者の個性がはっきりと浮き立つ。


光君に再びまみゆ夏期講座          宮本起代子
光君はもちろん光源氏のこと。源氏物語は長編なので一夏で終るわけにはいかず、今年の夏も続きが始まっているのであろう。「再びまみゆ」が眼目で、物語の人物ではあるが、あたかも実在の人物に再会するような表現に持ち込んだのが手柄である。同時出句の〈文を待つだけの一日や雨の月〉も、現代というよりも古典の世界へ自分を置いたような典雅な雰囲気である。〈アイライン上手に引きて帰省かな〉は都会生活に少し馴れてきた女性の心象の面白さ。


色鳥のこぼれ極楽往生院           半田けい子
「極楽往生院」――京都大原の三千院の本堂のことであろう。すぐ立ち上がれるような姿勢の阿弥陀三尊が迎えてくれる。「極楽」はこの世を去って極楽に生まれることをいうが、この清浄の地に色鳥が色を散らせているというのであるから何とも華麗である。引き算ではなく、足し算で成功した句である。


軒雀おどろく二階囃かな           橋野 幸洋
二階の窓を開放して祭囃を演奏する。秩父夜祭や祇園祭などで私も何度か目にしている。確かに句のように軒を借りている雀達には迷惑な一日である。そこを見逃していないのが非凡な目である。同時出句の〈海空のあをのあはひの立ち泳ぎ〉の「あをのあはひ」の措辞、〈虫干の一日ラジオはテロの報〉の「テロの報」の斡旋、と各々の独自の視点を称えたい。


上州の空暮れなづむ麦埃           大澤 静子
なるほど「麦埃」と思う。麦を収穫し、麦打ちをした時に出る埃である。上州は麦の生産地。夕暮まで埃まみれに働いているのである。固有名詞の斡旋もいいし、一日の労働を格調高く謳い上げている。同時出句の〈父母は同じふるさと蛍草〉〈虫干や一葉きりの父の文〉も父母を偲んだ品の良い抒情句である。


向日葵にまぎれし吾子の笑顔かな       住山 春人
向日葵は子供の好む花だ。花が丸くて人の顔に見えるところが親しまれる要因であろうか。その向日葵の花の中に吾子の顔がまぎれている、というところが童話的な発想である。同時出句の〈天牛の触角ゆるき弧を描く〉は天牛をよく観察した労作で「ゆるき弧」がいい。〈蟬の声おはりは少し投げやりに〉は観察の上に「投げやり」という主観を加えたところが味わい。


大仏の供花に混じりし西瓜かな        北爪 鳥閑
西瓜のような大きなものも大仏の前に置かれたら、供花に混じるほどの存在でしかないのである。それだけ大仏の大きさが実感できるし、供花の束も大きいのだ。比較する二つの物の取り合せの面白さである。


馴染みたるシャツ繕ひて夏山へ        鈴木踏青子
私にも覚えがあるが、気候の変動もあり、常に危険な登山には服装にこだわるものである。妻が「もう捨てたら」と言ってもそうはいかない。繕って着続けるのである。そんな山男の心情が籠った、実感のある句である。
その他印象深かった句を次に。


夏めくも暗き影ある歌舞伎町         八木 八龍
銘々の持つ物決めて墓参           三井 康有
天牛の鳴きてこの世を波立てる        松下美代子
手花火を一歩後ろで見守れり         星野かづよ
旅の荷に多分使はぬ半ズボン         福永 新祇
一輪の宗旦木槿鶴首に            辻本 芙紗
帰省子に隣の犬の大騒ぎ           髙橋 双葉
あと数本箸にかからぬ心太          鈴木 淳子
田を渡る水争ひのしやがれ声         志村  昌
もうひとり兄がゐたらし庭花火        上條 雅代
夏風邪の子を温めたり冷したり        守屋  明














        

新連載 伊那男俳句  



伊那男俳句 自句自解(11)
          
  絵日傘に入りたる母の小ささよ


 母は大正11年、駒ケ根市の古い商家の生まれである。戦後は没落したが、母が育った頃は番頭さん女中さんが大勢いて、学校の送迎も女中さんが付いたという。当時は町から何人も行かない伊那高女にも通った。田舎のお嬢さんであった。この町よりもっと山奥の出身で、医師になった父と見合い結婚し、戦後は母の親戚筋の土地の割譲を受けて耳鼻咽喉科医院の裏方を切り盛りし、私達子供3人を育ててくれた。母は私から見ても綺麗な人であった。兄と較べて出来が悪く、奇矯な行動もある私のことをいつも心配していたようだ。思えば読書好きな私のために町にある二つの書店から欲しい本を付けで持ち帰れるようにしてくれたのは、今の私の基盤を作ってくれたように思う。反対に就職後も頼めば遊興費まで送ってくれたのは私を駄目な息子にしてしまったが・・・・・・。帰省して東京へ戻るときはいいと言っても、その姿が小さくなって見えなくなるまで見送ってくれた。

  
月山の胎内に入る茸採り


 盤水先生の第二の故郷ともいえる出羽三山周辺に、最終的には三基の句碑が建つのだが、その間何度となく羽黒を訪ねた。常宿は手向集落の三光院である。芭蕉主従は『おくのほそ道』の旅で羽黒に8日ほど逗留しているが、宿の前の道を幾度も歩いたことは間違いなく、感慨深いものがあった。月山は天照大神の弟の月読命を祀る山である。夜―冥界―を司る神である。月山に登拝して死の世界を体験し、湯殿山に下りて再生を果たすのである。周辺は月山筍を始めとする山菜の宝庫で、秋も茸が豊富である。初めて訪ねたこの旅は丁度茸の最盛期であったようで、往く道々でそれらしい姿を見掛けた。各々が秘密の場所へひっそりと隠れるように岨道に消えるのである。その日の句会でこの句を出した。後日どの新聞であったか、先生が三山のエッセイを書いて、私の句を添えてくれた。まだ俳号が本名「正徳」の時代であった。「胎内に入る」は神の山が私に授けてくれた措辞だ。

 






  
  
   


 

 

銀漢の絵はがき


挿絵が絵葉書になりました。
Aシリーズ 8枚組・Bシリーズ8枚組
8枚一組 1,000円

ごあいさつにご利用下さい。


    
       


   
            
             











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鳥の歳時記


     




ハヤブサ











水鳥











         






             
 
  







銀漢亭日録

伊藤伊那男


7月

 7月31日(日
6時起き、今回は二日酔いなし! 快晴。4回来ているのに初めてホテルの温泉に入る。快適。ゆっくり朝食。10時に出て、隣の懐古園を丁寧に歩き、千曲川を眼下の四阿で1時間ほどうとうと。これほど気持ちの良い川風は久々。蝉の声、虫の声。12時、銀漢の仲間と合流し、「草笛」で胡桃蕎麦。13時、「ベルウィンこもろ」にて句会。筑紫磐井、中西夕紀さんと。終って「銀漢北軽井沢句会」の車2台の迎えをいただき、嬬恋村、柴山つぐ子さんの山荘。武田編集長夫妻と合流。北軽句会の皆さんの大歓待を受け、山盛りの御馳走でガーデンパーティー、あと慌ただしく五句出し句会。24人。軽井沢駅へ送っていただき、帰京。北軽句会の皆さんの至れり尽せりの接待に感謝。皆さん、疲れが出ませんように。

8月

8月1日(月)
彗星集がまだ。選句済ませる。発行所「かさゞぎ俳句勉強会」、角川源義と。あと13人。政三さんが気仙沼の魚加工品と酒。

 8月2日(火)
9月号の原稿全部終る。店、開店以来初めての出来事! 20時過まで1人の客もなし。20時半閉める。頭を冷やさないといけないので近隣の親しい店、A店、B店、C店を梯子する。それにしても1人の客も来なかったのは14年の歴史で初めて。ああ……。

 8月3日(水)
「神田古本まつり俳句大会」の選句。400句弱から11句選ぶ。選評800字。店、「宙句会」あと10人。「きさらぎ句会」あと5人。22時半、閉めて帰宅すると、桃子夫婦が起きていて1時間ほど一緒に飲む。

 8月4日(木)
午前中、整体。左肩ほぐす。「草樹」元代表・小山徳夫さん依頼の句集『春港』の鑑賞に取り掛かる。それにしてもこの暑さ、ついつい昼寝など。

 8月5日(金)
小山さん句集評、字数間違って大幅書き直し。店、群馬の鈴木踏青子先生訪ねて下さる。店、客少なかったのでゆっくり話。21時過、「大倉句会」あとの21人雪崩れ込む。

8月6日(土)
10時、運営委員会。昼、久々、「いもや」の海老定食。13時、「麹町区民館」にて「銀漢本部句会」。夏休み突入でいつもより少なく45人。あと中華料理店10数名で暑気払い。

 8月8日(月)
「信州伊那井月俳句大会」で1時間半の講演予定あり。さすがに準備が必要にて構想を考える。店は閑散。

8月9日(火)
東京、今年最高気温と。「あ・ん・ど・うクリニック」。3週間分の降圧剤もらう。店「火の会」7人。

 8月12日(金)
「俳壇」10月号へエッセイ。「俳句年鑑」へ5句。一応店を開くがお盆休みで閑散。山形の菅原庄山子さんからだだ茶豆到来。初物。

 8月13日(土)
10月号のエッセイを考えながらオリンピックのニュースなど見る。午後、久々、青山梅窓院の妻の墓参。蝉時雨。14時、新橋汐留口「十六夜句会」の吟行に招かれる。日本テレビを中心とした伊達藩邸跡地を巡る。46階の展望台からの俯瞰もいい。新橋ステーション跡。新橋の居酒屋にて句会と親睦会。大阪の辻本理恵さんも参加して12人の吟行。あと大野田さんと「信州伊那井月俳句大会」講演の画像について依頼。

8月14日(日
すっかり夏休みモード。中川さん来て、髪短めにカットしてもらう。エッセイ一本。桃子は宮沢りえさんの舞台へ。莉子は「Hey!Sey!JUMP」のコンサートにて、男の子二人と留守番。17時から1人で宴会スタート。

 8月15日(月)
9時、羽田空港ターミナル。「つるとんたん」のうどんの朝食。11時45分のガルーダ・インドネシア航空搭乗。桃子一家と7人で。雲の峰を眼下にシャンパン。昼食はアスパラガスのスープ、ステーキ、赤ワイン、チーズ。映画「ヒマラヤ」を見る。ジャカルタ スカルノ ハッタ国際空港でトランジット2時間。バリ着正午前。クタの「ラマ ビーチ リゾート アンド ヴィラズ」に入る。三室取り、桃子夫妻の部屋はプール付き。18年振りのバリ島。

 8月16日(火)
時差1時間。皆寝ている筈にて八時、1人で朝食へ。レストランにいるだけで楽しい。バリのコーヒー佳し。プールサイドでのんびり。案内人のカトゥー来て、今後の打合せ。海辺の散策。家族は三つ編やネイル。昼食は町のレストランへ。サテ、カルボナーラなどでビール、ワイン。戻って寝る。夜、中華海鮮レストラン。烏賊、海老の炒め物など。ナシゴレンうまい。

8月17日(水)
インドネシアの独立記念日。カトゥーの子供の熱が下がらないと、替わりに昨日一緒に夕食を食べたニョマンが運転、ウブドへ。途中、バロンダンス劇場に寄る。安易に笑いを取ろうとして駄目。ウブドのサレンアグン宮殿、市場など見て稲田の見えるレストランにて昼食。タマン・アユン寺院へ。夜、「魚SUSHI・TEI」日本と変わらぬレベルの和食。

 8月18日(木)
NHKのテレビへようやくたどりつく。「とと姉ちゃん」。9時からゆっくり朝食。11時、宮澤と2人、ニョマンの案内でタナロット寺院へ。海の中の寺院にてはだしで潮を渡り、聖水を受ける。帰路、チャングーという稲作の田園の町を通る。欧州人のリゾートになっている。戻ってプールサイドで10月号の選句。夜、成城仲間の新関さん一家4人合流。「フーラマ」にて食事。唐辛子の効いた中華料理で私は駄目。

8月19日(金)
2家族は象・イルカと遊びに。私はホテルに残る。寝たり起きたり選句をしたり。18時過ぎ、ホテルの裏のクタの海の入日を見に。19時、「ポピーズ バリ」。18年前に来た有名店。まずまず。

8月20日(土)
「とと姉ちゃん」見る。八時半、朝食。「カルフール」に買物へ。戻ってプールサイド。16時発、ウルワツの岬へ。断崖のパワースポット。夕暮のケチャダンスを見学。戻って数日前に行った海鮮中華店。島の焼酎アラック。

 8月21日(日)
5時起き、選句、エッセイ。7時、朝食さっと食べて出発。サヌールから船。小1時間のレンボガン島へ。シュノーケルを楽しんでから上陸。前面にバリ本島を見てビール。数時間ぼんやり、うとうと。16時、船でサヌールへ戻ると海岸は大凧コンテスト真只中。夕食は、「魚SUSHI・TEI」へ。2回目。設備のいい大レストランで味もいい。鰻重、カツ丼、海老天、うどん、寿司、その他。日本酒は随分高いので注文せず。あとは日本の居酒屋並の価格。

 8月22日(月)
9時前、朝食に行くと、子供達はもうプールに入っている。今日は選句選評などをやらねば……。夕方、ジンバランの海辺のバーベキューへ。海老、烏賊、魚など。このあたりも18年前の記憶にあるが、様変りに展けている。今日で新関一家4人帰国。我々はあと1日。日本は台風直撃で大変と。

 8月23日(火)、24日(水)
10月号の原稿書き続ける。16時、チェックアウト。18時、デンパサール国際空港発、ジャカルタ経由で羽田へ向う。ジャカルタで2時間半待ちは辛いところ。夜食は天ぷらうどん、朝は西京焼などの和食9時半、羽田着(40分遅れ)。午後、店の点検。発行所へ選句稿届ける。

8月25日(木)
今日から店。常連の方々、カウンターに。奥、「東大学生俳句会」青木ともじ君他5人の句会。鈴木琢磨さん。菅原庄山子さんよりだだ茶豆沢山到来。

8月26日(金)
発行所「門」同人会へ貸出し。店、稲垣さんの句会五人。あと「金星句会」後の7人。水内慶太さんよりだだ茶豆沢山。

 8月27日(土)
14時、日本橋「鮨の与志喜」にて「纏句会」。あと土瓶蒸、煮鰹、秋刀魚の塩焼、握りずし。酒は「磯自慢」。あと、「吉池」で干物仕入。店に納める。帰宅して桃子、孫と歓談、小酌。宮澤は日帰りで春日大社のシンポジウムのパネラー。




           










           
△『漂白の俳人・井上井月』伊藤伊那男著
          
  
    






今月の季節の写真/花の歳時記



2016年11月25日撮影  雪とのコントラスト   TOKYO/HACHIOJI



       
24日の都心は1962年以来54年振りの降雪。そして、1875年以来初めて,11月の積雪でした。
八王子は8㎝の降雪を記録。原因は温暖化とTVは伝えています。


11月号にに紹介した花たち。
   
 
十月桜 茶の花 藤袴  穭田    
           
ハナミズキ 仙人草  銀杏  初雪    
           
八王子の風景           
画像上で拡大します。


写真は4~5日間隔で掲載しています。 

2016/11/26

更新


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