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 12月号  2016年

伊藤伊那男作品 銀漢今月の目次 銀漢の俳句 盤水俳句・今月の一句  
彗星集作品抄    彗星集選評  銀漢集作品抄
  綺羅星集・作品抄  銀河集・綺羅星今月の秀句 星雲集・作品抄  
星雲集・今月の秀句   新連載  銀漢の絵はがき 掲示板 
 鳥の歳時記  銀漢日録  今月の写真 


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伊藤伊那男作品



爽やかに        伊藤伊那男

片雲の誘ひに伊那へ柿の秋
井月の杖の先々螇蚸跳ぶ
盆地の灯またたいてゐる白露かな
朱雀門入るやたちまち夕野分
頰の傷さへ爽やかに飛鳥仏
義仲寺のその墓の辺のきりぎりす
あの辺りならむ雨月の空を指し
太刀魚を焼くや背鰭は歯こぼれに


        
             





今月の目次









銀漢俳句会/12月号

   
      


   


銀漢の俳句 

伊藤伊那男 


◎七五三

 七五三の季節は終わったが、孫が7人いるので何度も七五三の祝いをしてきた。今回次女から私の空いている日の問い合わせがあり、その日永福町の大宮神社に集まった。その時まで、3人の男の子の内誰の何歳を祝うのか、知らずにいた。
 思い出せば私の育った時代は戦後の混乱期が続いていたので改まった七五三の祝いをしてもらった記憶がない。かすかに覚えているのは、医者であった父が毎月15日は休診日で、その日は決まって父の実家を訪ねる日になっており、だいたい私が保育園を休んでついて行った。秋の1日、父が「七五三のお参りに行こう」と、その村の鎮守社に二人で行った。服を着替えるわけでもなく、ただ2人で柏手を打っただけである。脇の道から石段を上がり、木曾山脈を一望する祠にもお参りした。その祠に錆びた大砲の弾が置かれていた記憶がある。日清、日露戦争時のものだったのであろう。多分5歳の時であった。
 さて、私の母の弟が「萬緑」同人であった池上樵人だが、その句集『山垣濤垣』の序文で中村草田男が取り上げたのは、

  
 山垣二重に一重はやさし七五三    池上樵人


である。「二」「一」「七五三」と数字を巧みに取り込んでいる。私の郷里、駒ヶ根市から赤石山脈を眺めると、前衛として伊那山地と呼ばれる千メートル台の山並みが見える。その裏側を秋葉街道が通っており、さらにその奥が三千メートル級の山脈が屏風のように拡がる赤石山脈(南アルプス)である。伊那山地は緑の樹木に被われて穏やかな稜線である。一方その奥の赤石山脈は塩見岳(しおみだけ)農鳥岳(のうとりだけ)仙丈岳(せんじょうだけ)甲斐駒ケ岳(かいこまがたけ)などの岩石を剥き出しにした峨々たる山脈である。七五三の頃には冠雪も始まっている。「一重はやさし」は母、何も言っていないが、二重目は峻厳な父の存在を暗示しており、伊那谷の七五三を余す所なく描き切った力作だと思う。
 さて私の話に戻るが、3人の孫の内誰の七五三であるかは神社の境内でその袴着を見てすぐに了解した。2番目の子であった。ただし迂闊なことに式の間中、その子は三歳だとばかり思い込んでいたのである。あとの食事会の席で五歳だと自然に解ったので、私の失態を悟られずに済んだのである。考えてみれば女児は三歳と七歳、男児は五歳で祝うというのが普通である。何とも締まらない祖父であった。〈七人の歳を誤算の七五三〉という駄句が浮かんだ。誤算は「五三」で、樵人の句より数字が一つ多い6個になるのだが、叔父が生きていたら叱られることは間違いない。
















 


盤水俳句・今月の一句


伊藤伊那男


どやどやと注連持ちこみぬ鮪船       皆川 盤水

私が入会する少し前から、年末29日前後に先生を囲んで三浦半島の三崎港へ納めの吟行をするのが決まりであった。先生は港に面した露店で自宅用の注連飾りを買うのが仕来りであった。海南神社や松本たかしの眠る本瑞寺などを散策し、まぐろ料理店の広間を借りて句会をし、鮪鍋などを囲んだ。句は「どやどや」という平俗な擬音を用いて臨場感を出している。〈葱鮪汁港灯れば海見えず〉〈海音す入り日惜しみて鮪売〉なども同時作。
                                     (昭和56年作『山晴』所収)
  








  

彗星集作品抄

伊藤伊那男・選


形ある水剥くやうに梨を剥く        梶山かをり
しばらくは置物となる大南瓜        大溝 妙子
戦歴は読めないままに墓洗ふ        清水佳壽美
舞茸の一つに籠を占めらるる        杉坂 大和
秋ともし付箋の多き福音書         小山 蓮子
藁塚の間に風のこゑ聞く衣川        武田 禪次
夏の果出逢ひはコインランドリー      榎本 陽子
万福寺庫裏の框に大南瓜          五十嵐京子
夜業の灯けふの消印得るための       多田 悦子
柿生れば腕が鳴るなり悪太郎        上條 雅代
語られぬ湯殿を訪うてだだちや豆      渡辺 花穂
日覆に買入れますと骨董屋         鈴木てる緒
屋敷林浮かせ一面豊の秋          大溝 妙子
落花生家系図どこで途切れしか       島  織布
その伊賀の庭にひともと芭蕉かな      中村 鼓童
居待月大徳利のよく転ぶ          大西 酔馬
騎馬戦の全騎吶喊運動会          鏡山千恵子
台風来同じニュースをくり返す       多丸 朝子
栗剥くや三人育てし母の腕         小田島 渚
車角取られなほ穴ごもる残暑かな      志村  昌
風鐸のさ揺れの空を燕去ぬ         松川 洋酔



 












彗星集 選評 伊藤伊那男

  
形ある水剥くやうに梨を剥く         梶山かおり
なるほど!一番水に近い果物は何かといったら、確かに梨であろう。真っ白で、それも林檎などに比べて一番透明感がある。「形ある水」――何とも絶妙の表現である。ウイスキーのオンザロック用の真ん丸に削った氷があるが、同様に剥き終わった梨は水の塊。「水剥くやうに」も卓越した表現である。一つのものだけに焦点を当ててその特徴を見事に掴み取ったのである。 

  
しばらくは置物となる大南瓜         大溝 妙子
冬至南瓜という季語がある。その日に南瓜を食べると中風にならないと言われていた。伊那谷の父の生家の囲炉裏の近くに吊るしてあったし、土間にも置かれていた。そのように出番を待つ様子が詠み取られているのである。必ず食べられるまでの「しばらく」の打ち出しがいい。

  
戦歴は読めないままに墓洗ふ         清水佳壽美
太平洋戦争ではおびただしい人が戦地に散った。父の弟は商船大学を卒業と同時に航海で乗船した浅間丸で沈没、戦死した。祖父はことの外嘆き、屋敷畑に大きな碑を建てた。墓参りの度に碑を見たが、子供の私には読めなかった。そのような日本の至る所で起こった悲劇の家庭史が詠まれているのである。戦後七十年を経てその碑文も摩滅しつつあるのだ。 

 
 舞茸の一つに籠を占めらるる        杉阪 大和
まことに贅沢な句である。句友が月山麓で採ったという舞茸を届けてくれたことがある。それは一株で直径が30センチくらいでダンボールに収まっていた。採ったら嬉しさの余り踊りだした、という謂れが理解できる大きさと香りであった。一株で籠を占めるほどの舞茸!お目出度うございます。

 
 秋ともし付箋の多き福音書         小山 蓮子
 「福音書」とは新約聖書の中でイエス・キリストの生涯、言行を記録したもので、マタイ・マルコ・ルカ・ヨハネの四書をいう。秋灯の下、作者は教会でこの聖書を見たのであろうか。あるいはたまたま宿泊をしたホテルの引き出しの中の聖書で見たのかもしれない。「秋灯」の季語が生きていて、物語性を持った句となった。

   
藁塚の間に風のこゑ聞く衣川         武田 禪次
衣川は平泉を流れる川で、北上川へ注ぐ。衣川の館は義経の城館でここで義経主従はほろんだのである。今は田畑になっているのであろうか。その藁塚(にお)の間を通る風に、往時の軍馬の雄叫びを聞いたのかもしれない。 

  
夏の果出逢ひはコインランドリー       榎本 陽子
こんな出会いもあるか。「夏の果」の季語の効果。 

  
万福寺庫裏の框に大南瓜           五十嵐京子
お経も中国語で誦された支那風の寺との取り合わせの妙。 

  
夜業の灯けふの消印得るための        多田 悦子
今日中の消印を取るのが絶対至命の夜業。題材がいい。 

  
柿生れば腕が鳴るなり悪太郎         上條 雅代
 「柿」「鳴るなり」の子規の句を換骨奪胎した面白さ。

  
語られぬ湯殿を訪うてだだちや豆       渡辺 花穂
奥の細道を想起させながら「だだちゃ豆」の落ちがいい。 

  
日覆に買入れますと骨董屋          鈴木てる緒
いかにも骨董屋の店頭の様子が描かれていて実感深い。 

  
屋敷林浮かせ一面豊の秋           大溝 妙子
たとえば砺波平野辺りを思わせる。懐かしい日本の原風景。 

  
落花生家系図どこで途切れしか        島  織布
落花生を抜くと連なる莢の様子から家系図への連想へ。 

  
その伊賀の庭にひともと芭蕉かな       中村 湖童
芭蕉生家の芭蕉。「その伊賀の」の解き明かしが楽しい。 

 
居待月大徳利のよく転ぶ           大西 酔馬
 月が出るまでの間に何本もの徳利が空になる……。

  
騎馬戦の全騎吶喊運動会           鏡山千恵子
 運動会の一景を漢字を多用して活写した。

 
台風来同じニュースをくり返す        多丸 朝子
確かにどのチャンネルを回しても台風のニュース一色。 

 
栗剥くや三人育てし母の腕          小田島 渚
子沢山だけに剝く栗も多量であったことであろう。 

  
車角取られなほ穴ごもる残暑かな       志村  昌
 将棋に穴熊という戦法があった。負けそうな「残暑」。

  
風鐸のさ揺れの空を燕去ぬ          松川 洋酔
「さ揺れ」の措辞にその頃のいささかの哀愁が籠る。 



           
 







銀河集作品抄

伊藤伊那男・選


近江路の雨月となりぬ旅なかば     東京   飯田眞理子
茄子の馬四肢の太さも信濃ぶり     静岡   唐沢 静男
沢音の近づく磴や草紅葉        群馬   柴山つぐ子
鶏頭の襞にびつしり雨しづく      東京   杉阪 大和
蓮の実の飛んで井月訪ひし寺      東京   武田 花果
橋一つ渡れば禅定虫の闇        東京   武田 禪次
相乗りの母は隠れて茄子の馬      愛知   萩原 空木
出でて入り出でて母待つ良夜かな    東京   久重 凜子
同行の笠のほつれや秋遍路       東京   松川 洋酔
エイサーや金網越しに爆撃機      東京   三代川次郎
遷子の地なれや新蕎麦よくかをる    埼玉   屋内 松山























綺羅星集作品抄

              伊藤伊那男・選 
芋の露景色共々こぼれ落つ       東京   島  織布
彼岸花お七のいまはふと浮かぶ     東京   白濱 武子
空港は硝子の箱や秋の雲        東京   松代 展枝
秋灯下琴柱の影と糸の影        東京   飯田 子貢
評判の案山子に雀群れ来たる      神奈川  大野 里詩
声風のその後知らず木歩の忌      東京   渡辺 花穂
手にあます団子の粘り月の宴      東京   西原  舞
風なじむサーフショップの大芭蕉    東京   塚本 一夫
騒動のもとをたどれば生身魂      埼玉   戸矢 一斗
虫の闇織りあげてゆく曼荼羅図     高知   神村むつ代
海風にぴかぴかにされ椿の実      東京   武井まゆみ
昇段の免状増やす生身魂        東京   多田 悦子
それぞれの歓喜ごつたに芋煮会     東京   中西 恒雄
欲深をかついでゆくや大熊手      東京   沼田 有希
菊なます余力残して絞りけり      東京   堀切 克洋

秋雨に喪服のサイズなど思ふ      東京   相田 惠子
山霧や軒寄せ合うてこけし村      宮城   有賀 稲香
宿根木の夏空を漕ぐ盥船        東京   有澤 志峯
魂送煙しばらく軒を這ひ        静岡   五十嵐京子
風船葛吹かれ吹かれてもとどほり    埼玉   伊藤 庄平
ある窓は斜に巻かれゐし秋簾      東京   伊藤 政三
陵のあはひ玉虫の翅拾ふ        東京   上田  裕
陽射しまで優しと思ふ小さき秋     埼玉   梅沢 フミ
書き順に合はせて左大文字       東京   大西 酔馬
戸隠に降る蕎麦の花雪かとも      埼玉   大野田井蛙
扁額に見なれし文字や秋のこゑ     東京   大溝 妙子
夏の雨杖もて聖火走者たり       東京   大山かげもと
抱へたる本の重さよ秋暑し       東京   小川 夏葉
子規庵へ立待月の路地曲る       埼玉   小野寺清人
泣けぬ日よ玉葱たんとみぢん切り    神奈川  鏡山千恵子
朝顔や一日の雨に閉ぢずじまひ     和歌山  笠原 祐子
心音は指の先まで寝待月        愛媛   片山 一行
猿酒一杯でのる觔斗雲         東京   桂  信子
コスモスや足の長きは父親似      長野   加藤 恵介
猿田彦足駄踏ん張る秋祭        東京   我部 敬子
下駄の音響かぬやうに星月夜      東京   川島秋葉男
閂をかければ虫の音のとほく      長野   北澤 一伯
鯊の香の微か大川下り来て       東京   柊原 洋征
水鳥の唯我唯我と押合ふも       神奈川  久坂依里子
闇がかる壺の碑螻蛄のこゑ       東京   朽木  直
降り出しの泥の匂ひのゆだちかな    東京   畔柳 海村
合戦の一部始終が盆唄に        神奈川  こしだまほ
おほかたは無月と決めて待つ夕べ    東京   小林 雅子
天の川スパゲッティの渦の上      長崎   坂口 晴子
色鳥や庭の木椅子の古びたる      千葉   佐々木節子
屋号もて呼び合ふ里や秋桜       長野   三溝 恵子
二上山(ふたかみ)の森守るかに長元坊       東京   島谷 高水
上流に水守神社水澄めり        兵庫   清水佳壽美
濯ぎ干すシャボンの香り涼新た     東京   新谷 房子
青蜜柑夢見る頃を過ぎし手に      大阪   末永理恵子
手始めに藪からし引く庭手入      東京   鈴木てる緒
日あまねし秋蟬知らす雨あがり     東京   角 佐穂子
水鳥や禊の池に飛沫見せ        東京   瀬戸 紀恵
押入れのLP盤の秋湿         東京   曽谷 晴子
巫女舞ふや色なき風に吹かれゐて    東京   高橋 透水
遠くほどひかつて見ゆる露の玉     埼玉   多田 美記
苦瓜やかくれ上手の熟れしまま     東京   田中 敬子
敗軍の将を押しゆく佞武多かな     東京   谷岡 健彦
野分の報テレビに聞きて寝てしまふ   東京   谷川佐和子
遠めがね霧をつぶさにするばかり    神奈川  谷口いづみ
柔道のすべて一本涼新た        愛知   津田  卓
鬼灯をさげ墨堤の蹴とばし屋      東京   坪井 研治
語り継ぐ城の系図やいわし雲      神奈川  中川冬紫子
追わるるも懐くごとくに蚊の名残    大阪   中島 凌雲
子規庵の静かに混むも九月かな     東京   中野 智子
頰杖は晩年の癖思草          東京   中村 孝哲
SLの煙のやがて秋の雲        茨城   中村 湖童
小鳥網尾根反りあへる国境       神奈川  原田さがみ
深吉野やあきつ群れゐる夢の淵     兵庫   播广 義春

花野ゆく妻とのゴルフ負け続け     東京   保谷 政孝
色鳥や色ちりぢりに万華鏡       東京   堀内 清瀬
   鹿児島三句
秋の声西郷窟のがらんどう       岐阜   堀江 美州
盆提灯同じ家紋とすれ違ふ       埼玉   夲庄 康代 
鎌倉の谷戸に秘めたる冬ざくら     東京   松浦 宗克
そそめける琅玕色無き風にまた     東京   宮内 孝子
威銃麻酔に肺が堪え得るやと      千葉   無聞  齋
秋澄めり買うて吉野の陀羅尼助     東京   村上 文惠
霧立ちて思ひは遠き旅のこと      東京   村田 郁子
   村田脩先生の忌
流星や此岸の空をまつすぐに      東京   村田 重子
浅草に路地裏いくつ青簾        千葉   森崎 森平
流星の尾鰭をまたも取り逃がす     東京   森 羽久衣
留守番は秋風鈴の音ばかり       埼玉   森濱 直之
新涼なほ意馬心猿を持て余す      愛知   山口 輝久
迎火を焚きつけてゐる風数多      東京   山下 美佐
沈みてもなほ活火山霧の海       群馬   山田  礁
原爆忌ネガには黒き日の光       東京   山元 正規
二の腕に空気おもたき土用凪      神奈川  吉田千絵子
盆用意四国札所の軸掛けて       愛媛   脇  行雲
















     






銀河集・綺羅星今月の秀句

伊藤伊那男

芋の露景色共々こぼれ落つ         島  織布
里芋の葉の上の露が周囲の景色を映す。飯田蛇笏に〈芋の露連山影を正しうす〉の名句がある。当初私は芋の露に連山が映っている景かと思ったが、山本健吉は「『芋の露』は眼前の平地の光景であり、かなりの拡がりを持った眺めでもある。広葉の露に、秋の季節の爽涼を感じ取ったのである」(『現代俳句』)と述べるのみで、私のような瑣末な解釈はしていない。さて掲出句は芋畑の周辺の景色を万華鏡のように転がしながら零れ落ちたというのである。一粒の露にだけ焦点を絞って、これも見事な芋の露の句である。


彼岸花お七のいまはふと浮かぶ       白濱 武子
「いまは」―「今は」「今際」は、今は限り、の意味で死にぎわ、臨終のこと。「お七」は「八百屋お七」のこと。彼岸花を見た作者は、八百屋お七の最後の場面を思い浮かべたのである。若気の恋慕から大火を起し、火刑に処せられた。一叢の彼岸花からの連想がここまで及んだことを称えたい。


  

空港は硝子の箱や秋の雲          松代 展枝
確かに確かに……どこの空港に行っても見上げるほどの高さまで硝子窓が広がっている。そのことは誰もが感じているのだが、ではこのように詠めたかというと、詠めた人はいないのではないか、と思う。窓越しに沢山の飛行機の発着が見え、大きく広がる空には秋の雲が浮かんでいる。鰯雲、鯖雲……巨大な水族館のようでもある。ともかく「硝子の箱」はユニークな発見である。 


秋灯下琴柱の影と糸の影           飯田 子貢 
 「琴柱」は琴の胴の上で弦を支える「人」字形の道具。その琴柱(ことじ)とその上に張られた弦(糸)の影がそれぞれ明瞭に立て掛けた琴の胴に映っている。糸の影までが明らかなのである。「秋灯」だからこそ読み手にも透明感が伝わるのである。


  

評判の案山子に雀群れ来たる        大野 里詩
一読、何とも楽しい句である。普通の人が考える反対のことを詠んで、唸らせるのである。最近は案山子祭などもあり、ファッションショーのような案山子も立つ。わざわざ見物人も来るのだが、それを聞きつけた雀達も寄って来るというのである。本来の案山子の役割を全く無視した句の作り方で意外性を見せてくれるのである。同時出句の〈帰省子の急ぐ鉄路や胸軋む〉は、本来は鉄路が軋むのだが、帰省子の「胸」が軋んだと言う。郷里へ帰る胸の高なりが重なって実感を深めている。また〈雨吞んでほほづき一夜火のいろに〉も一夜で色付いた鬼灯が、まるで前夜の雨で「酔った」ようだという見立て。各々見事、見事。 


  

声風のその後知らず木歩の忌        渡辺 花穂
もし、新井声風という人がいなかったら、富田木  歩が今我々の記憶に残る俳人であったかどうか。浅草の資産家の子息であった声風が木歩との友情を深め、関東大震災の劫火の中を隅田川の岸辺まで避難させたが、結局木歩は川を渡ることは出来ず、焼け死んだ。木歩の記録を残した声風はその後、どんな俳句を作ったのか、いや俳人であることを続けたのか・・・・・・私も知らない。ただ俳壇史に十分な役割を果たしたのである。 


  

手に余す団子の粘り月の宴          西原  舞
月見団子の様子をよくよく観察したな、と感心した句である。米粉で作った団子は少し時間が経っても触ると指に吸い付くような粘りが残っている。食べたあと皆、一様に指を舐める。そんな様子を捉えたのである。月見団子を類例の無い視点で詠んだ発見の句となった。


  

風なじむサーフショップの大芭蕉      塚本 一夫 
「芭蕉」というと、私などどうしても松尾芭蕉が絡みついてくるのだが、この句はそうした固定観念を断ち切った視点で生まれた句である。サーファーの集う海辺のモダンな店の芭蕉葉が風にそよいでいる。現代の一景に芭蕉を持ち込んだ手柄である。思えば、「芭蕉」という名前も言ってみれば「吉本ばなな」のような奇抜な名前であったのだ。 


  

騒動のもとをたどれば生身魂        戸矢 一斗   
「生身魂」とは本来生存している父母を饗応する儀式を言うのだが、今日の俳句では、奉られる「人」を詠むことが主流になった。この句、何かにつけて問題を起こす生臭い年寄りが主人公である。身近にもいる、いる! 

  その他印象深かった句を次に
  

虫の闇織り上げてゆく曼荼羅図        神村むつ代
海風にぴかぴかにされ椿の実         武井まゆみ
昇段の免状増やす生身魂           多田 悦子
それぞれの歓喜ごつたに芋煮会        中西 恒雄
欲深をかついでゆくや大熊手         沼田 有希
菊なます余力残して絞りけり         堀切 克洋







                 
    
   

 
 



 



星雲集作品抄

             伊藤伊那男・選

目の穴の合はぬ面買ふ秋祭       埼玉   大澤 静子
ひと振りし秋の風鈴をさめけり     東京   半田けい子
抜け出でし穴の奥へと蟬時雨      埼玉   池田 桐人
秋燈や何もなき日の日記書く      東京   小山 蓮子
鳥よりも人がびつくり威し銃      長野   髙橋 初風
雨音の傘差しかくる苧殻の火      埼玉   中村 宗男
不知火や記紀の語らぬ修羅の海     東京   橋野 幸洋
桃切つて直方体の残りけり       東京   梶山かおり
作品を押し戴くや敬老日        神奈川  上條 雅代
青春の足跡のごとケルン積む      埼玉   萩原 陽里
鳩吹くや如何に吹くかは知らねども   東京   今井  麦
腰砕け気味に踏ん張る茄子の馬     長野   守屋  明
大輪の面影残し芙蓉閉づ        京都   三井 康有
井月の里とききけり露の宿       神奈川  上村健太郎
草の実やふるさとといふ泣きどころ   埼玉   小野 岩雄




天の川探す外湯や佐渡の宿       長野   馬場みち子
百合鷗夫も八十路の波に乗る      東京   浅見 雅江
売る人もときにもの買ひ草の市     東京   大沼まり子
朝刊にふたたび燃ゆる大文字      京都   小沢 銈三
岐阜提灯房のかすかに揺れたかに    大阪   辻本 理恵
秋茄子の焼茄子が好き今日も食ぶ    群馬   佐藤かずえ
夏休み友の家にもただいまと    シンガポール 榎本 陽子
新米を撒饌として頂きぬ        和歌山  熊取美智子
抽出しの輪ゴム溶け出す晩夏かな    東京   星野 淑子



もろこしの風になびける大地かな    東京   秋田 正美
杜鵑草咲くや小町の化粧井戸      埼玉   秋津  結
五街道踏破して見る鰯雲        神奈川  秋元 孝之
ちちろ鳴く銀河鉄道停まる里      神奈川  有賀  理
切子吊り七人で読む正信偈       愛媛   安藤 政隆
流星へ願ふ危篤の友のこと       東京   井川 敏夫
新蕎麦の出羽の歯応へ板に盛る     東京   生田  武
一村を香炉となせり金木犀       神奈川  伊東  岬
炎天に千鈞の脚踏み出す        埼玉   今村 昌史
新米の甘き香りが居間に充つ      愛媛   岩本 昭三
荘を出で吾が影を得し秋日向      千葉   植竹 香節
守宮鳴く地震に目覚めし枕辺を     埼玉   大木 邦絵
蕎麦の花風に波うつ月明り       群馬   岡村妃呂子
粗見えてからが夫婦と衣被       東京   岡本 同世
椋鳥の群れて蚕の村寂れ        神奈川  小坂 誠子
てんとむし空に放てり牛の角      宮城   小田島 渚
亡き祖父の月命日の栗おこは      静岡   小野 無道
破芭蕉風いたぶるもなほ縋る      静岡   金井 硯児
空広く秋吉台に鰯雲          東京   亀田 正則
梶の葉の願ひ一つの揺れてをり     長野   唐沢 冬朱
ひと房を仏と分ける葡萄かな      神奈川  河村  啓
雲の幕あがる舞台や山紅葉       愛知   北浦 正弘
新涼の朝陽門へみらい線        神奈川  北爪 鳥閑
時候文ためらひつつも残暑とす     東京   絹田 辰雄
施餓鬼寺読経の切れ目風通る      愛媛   来嶋 清子
城灯り岐阜提灯の川の町        愛知   黒岩 宏行
修験者の呪文呑み込む那智の滝     東京   黒田イツ子
住む人のなきがごとくに秋簾      東京   小泉 良子
鈴虫の声に合はせし天の息       群馬   小林 尊子
故郷の遠き想ひ出芋煮会        東京   斉藤 君子
何なさむ八月の吾の誕生日       神奈川  阪井 忠太
秋草や姫川沿ひを塩の道        長野   桜井美津江
野良猫の退屈さうな秋日和       東京   佐々木終吉
軍服の遺影見つめる終戦日       群馬   佐藤 栄子
麻物の裾へ別れの処暑の風       東京   島谷  操
火祭や富士黒ぐろと鎮もれり      埼玉   志村  昌
舟を待つそれぞれの手に秋扇      千葉   白井 飛露
仕来りの所作教へつつ魂迎       東京   須﨑 武雄
扁額のやさしき文字や草の花      東京   鈴木 淳子
パレットに混ぜし絵具や野分雲     群馬   鈴木踏青子
天の川子に教はりて目をこらす     愛知   住山 春人
釣果無し埠頭を渡る秋の風       埼玉   園部 恵夏
みちのくに那智の分霊滝落つる     山形   髙岡  恵
紙芝居棒読みする子ちちろ鳴く     福島   髙橋 双葉
跳ね踊る上へ下へとねぶたかな     埼玉   武井 康弘
ポケットの一会の名刺秋思かな     東京   竹内 洋平
夢二の忌大和なでしこにはなれず    広島   竹本 治美
眠る子の重みを腕に星月夜       三重   竹本 吉弘
今日もまた朝顔の笑み朝の道      東京   田中 寿徳
地球蹴るその足長くきりぎりす     東京   田中  道
長き夜羊をいくつ数へしか       神奈川  多丸 朝子
頂を越えて信濃も野分かな       東京   辻  隆夫
無雑作に積まれし上の秋団扇      東京   辻本 芙紗
セルを着て日射しの中に消えし母    東京   手嶋 惠子
弟の便りもなくて蚯蚓鳴く       東京   豊田 智子
最果てへ目指す鉄路や葛の花      神奈川  長濱 泰子
振り向けば大山見ゆる稲田かな     神奈川  萩野 清司
晩学の墨すりへらす夜長かな      東京   長谷川千何子
握り飯ひとつが昼餉終戦日       神奈川  花上 佐都
涼しさを抱きしめてゐる枕かな     神奈川  福田  泉
銅鑼叩き秋の声聴く関羽廟       東京   福永 新祇
ほほづきの朱が遊びを膨らます     東京   福原 紀子
色たがふ葡萄対なす瑠璃の皿      東京   藤田 雅規
澄んだ目の命いただく秋刀魚かな    愛知   星野かづよ
花芒活けて野の風立つごとし      東京   牧野 睦子
茄子の馬ふらつく足で父母乗せて    愛知   松下美代子
芋茎炊き食むいにしへの一ページ    神奈川  松村 郁子
幽かなる鉄路の響き星月夜       東京   宮﨑晋之介
雨粒を抱へてゐたる木槿かな      東京   宮田 絹枝
先代の早や七回忌菊膾         神奈川  宮本起代子
こぼれたるビーズの光星月夜      広島   村上 静子
踏み入らん月下に香る中華街      東京   八木 八龍
路地裏に香具師も仮寝の年の市     東京   家治 祥夫
カーテンにまとはる風や秋近し     群馬   山﨑ちづ子
朝夕の秋の足あとそこかしこ      東京   山田  茜
故郷に父を残して泡立草        静岡   山室 樹一
鱗雲母の絵手紙恙なし         神奈川  渡邊 憲二
残暑まだどかと居座る石畳       埼玉   渡辺 志水
老い先はかたりことりと秋暑し     東京   渡辺 誠子
毛筆に秋の麗を伝へ来る        東京   渡辺 文子


















     





星雲集 今月の秀句

伊藤伊那男

目の穴の合はぬ面買ふ秋祭         大澤 静子
 面白いところに目を付けたものである。秋祭の縁日の面売りの露店の一景である。買ってはみたものの被ってみると自分の目、あるいは子供の目と面の目の位置が合わない。俳句独得の仄かなおかし味で、視点の良さである。同時出句の〈露けさの白毫ひかる廬舎那仏〉〈この辺りむかし吉原ほうせん花〉、各々季語の斡旋のよろしさである。


ひと振りし秋の風鈴をさめけり       半田けい子
いかにも秋の風鈴である。もう取り外して仕舞うのだが、その名残にひと振り鳴らしてみる。そこはかとない哀惜の情が漂うのである。同時出句の〈玄室に消えゆく秋の蛍かな〉は秋の蛍をあたかも古代人の魂のように見たのである。〈御供物に富士のごと積む今年米〉は「富士のごと積む」の比喩が具体的でよい。雪にたとえられる米、米にたとえられる雪だけに富士の比喩が尚更生きるのである。


抜け出でし穴の奥へと蟬時雨        池田 桐人
目の付け所が出色である。「蟬時雨」と雨にたとえられている蟬の声が地面に降るのだが、抜け出した蟬の穴にも降る。どれほどの深さか解らないが地中深くまで……。人が気付かなかった所を詠んだのである。同時出句の〈拭きこみし板間の艶や走り蕎麦〉も美しい視点である。山形の蕎麦街道あたりの古い農家を使った蕎麦店などが目に浮かぶ。 


桃切つて直方体の残りけり         梶山かおり
 直方体とは「相隣る面がすべて直角に交わるような六面体」とある。桃は私の好物だが、食べ方が若干面倒なのである。包丁を入れると種を包む直方体が残る。もったいないのでそれを齧ると歯に繊維が詰まるのである。そのようなことを面白く思い出す句であり、丸い桃と直方体の種の対比が斬新である。同時出句の〈木瓜の実の好き勝手なる膨れやう〉も対象物をよく見詰めた句といえよう。大きさもまちまちで、でこぼこな木瓜の実の様子が如実だ。


作品を押し戴くや敬老日          上條 雅代
敬老日に訪ねた年寄から折紙か手芸品の何かを貰ったのであろう。所謂素人細工であるから貰っても別に嬉しいものではない。でも敬老の日でもあり、年長者の手作りの品でもあり、断わるわけにもいかないのであろう。うやうやしく押し戴くのである。滑稽さが滲む。


腰砕け気味に踏ん張る茄子の馬       守屋  明
お盆も何日かした頃の茄子の馬なのであろう。皮にも弛みが出てきているのである。腰砕けになりながらも何とか踏ん張っている。まだ先祖の霊を送り帰す仕事が残っているのである。擬人化を効かせて味わいを深めた。 

 

天の川探す外湯や佐渡の宿         馬場みち子
松尾芭蕉の〈荒海や佐渡に横たふ天の川〉が念頭にある、本歌取りの句である。佐渡に来て、この句を思い出し露天風呂で天の川を探すのである。芭蕉は新潟の本土から天の川を望み、作者は佐渡に横たわっている筈の天の川を真上に探す。これも俳句という文芸の楽しみ方の一つである。 
百合鷗夫も八十路の波に乗る        浅見 雅江


百合鷗は都鳥のこと。隅田川に浮く百合鷗を見て、夫も何とか八十路を生きていると思う。「波に乗る」の措辞が愉快である。百合鷗と夫を一緒にしてしまうという、やや乱暴な発想が、類例の無いおかしさを醸し出したのである。 


売る人もときにもの買ひ草の市       大沼まり子
盆の行事に供える品々を売るのが草の市。蓮の葉や真菰の筵、苧殻など植物から作る品物が多いので「草の市」の名が付いたのであろう。この句は露天商が、別の店から買物をしたという。そんなやりとりを見逃していないところがいい。一つの発見である。「ときに」の措辞が味わい。 


朝刊にふたたび燃ゆる大文字        小沢 銈三
大文字の火をこんな風に詠んだ句はかつて無かったと思う。そう断言してもいいと思う。八月十七日の朝刊に昨夜実見した大文字の写真が掲載されている。それを「ふたたび燃ゆる」と詠んだのである。実際に見た大文字と新聞紙面の大文字である。作者は京都在住の方。やはり生活の一部としてこの行事に接している方の独自性のある句だ。 
その他印象深かった句を次に。


岐阜提灯房のかすかに揺れたかに       辻本 理恵
秋茄子の焼茄子が好き今日も食ぶ       佐藤かずえ
夏休み友の家にもただいまと         榎本 陽子
井月の里とききけり露の宿          上村健太郎
鳩吹くや如何に吹くかは知らねども      今井  麦
青春の足跡のごとケルン積む         萩原 陽里
新米を撒饌として頂きぬ           熊取美智子
抽出しの輪ゴム溶け出す晩夏かな       星野 淑子


















        

新連載 伊那男俳句  



伊那男俳句 自句自解(12)
           
雪眼鏡置けば雪山映しけり


 私の育った伊那谷は降雪量が少なかったのでスキーはできず、もっぱらスケートであった。校庭や田圃に水を張れば即ちスケートリンクになった。スケートは鼻緒の付いた下駄作りだが、板の下に刃が付いており、足袋を履いて真田紐で固定させるのである。スキーは大学時代から始め、志賀高原や八方尾根で度々滑った。結婚後中断していたが、子供達が育った四十代から再開し、正月は家族で野沢温泉などで過ごした。その結果であったか、長女は高校時代、大回転の選手であった。掲出句は滑降を一休みしてレストランのバルコニーのテーブルにゴーグルを置くと、その反った鏡面に周囲の雪嶺が映ったのである。眼鏡に凝縮された山河である。眼前の大きな雪嶺と鏡面の小さな雪嶺の対比が新鮮であった。子供達が育ったあとスキーの機会はなかったが、数年前に孫達と久々軽井沢で滑った。その孫の一人がスキー部に入り相当な腕前だという。さて私は……もう引退である。

  
蟬捕りの子が東大の裏門に


 41歳の時、超結社句会「塔の会」に入会した。盤水先生が強引に掛け合ったようで、そのことは10年後私が俳人協会新人賞を受賞した時、座長の岡田日郎先生が「本当に嬉しいよ。盤水翁から頼まれた時は困ったんだよ」と打ち明けてくれた。「塔の会」は草間時彦、鷹羽狩行、原裕、岸田稚魚……等16名の精鋭俳人で始まった超結社句会である。入会して暫くした頃、東大総長の有馬朗人先生を本郷キャンパスに訪ねることになった。早めに総長室に入った木内彰志さん達と、有馬先生が不在であるのを見て、黒革の総長の椅子に代わる代わる座った。句会は三四郎池の向かいのレストランで開いた。掲出句を見た有馬先生が「裏門からは不正入学だから堂々と赤門から入って下さいよ」と笑って下さった。その当時、「塔の会」では私が一番の若手であった。その無名の私が、俳句総合誌でしか知らない著名俳人達と句座を囲むことができたのはまさに僥倖であった。師恩である。
 












  
  
   


 

 

銀漢の絵はがき


挿絵が絵葉書になりました。
Aシリーズ 8枚組・Bシリーズ8枚組
8枚一組 1,000円

ごあいさつにご利用下さい。


    
       


   
            
             











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鳥の歳時記


     



木菟





























             
 
  







銀漢亭日録

伊藤伊那男


8月

 8月28日(日)
11時より、高幡不動大師堂にて、皆川盤水先生の七回忌法要。棚山波朗、池内けい吾、蟇目良雨、柚口満、朝妻力さんと私が参加。あと直会の席に川澄祐勝大僧正が挨拶に来て下さる。あと、皆川文弘さんを加えた仲間で「増田屋」。しこたま日本酒を飲んで帰宅して一眠り。

8月29日(月)
店、藤森さんの「闇句会」8人。大型台風上陸か、と。

 8月30日(火)
池田のりをさん、古稀の誕生会。10数名集まる。羽久衣さん幹事。3句出し句会も。伊那谷の上農高校の方々4人。同窓会の打ち合わせとて来店して下さる。

9月

9月1日(木)
敦子デー。カウンター賑わう。奥、「十六夜句会」あと11人。山崎祐子、山田真砂年、土肥あき子さん、「いわき海の俳句全国大会」の反省会。

 9月2日(金)
店、「大倉句会」あと16人。

 9月3日(土)
9時のあずさ号乗車。上諏訪に井蛙さん迎えてくれて伊那。「潮」にてローメンの昼食。14時過ぎ、伊那市駅に15人集合。バスにて清水庵、吉祥寺、井月の墓、塩原家の句碑などを見る。「串正」にて句会。途中、「高遠句会」の加藤恵介、三溝恵子さんが来て下さり宴会に。井蛙さんの友人のラーメン店に寄り、ホテルセンピア泊。

 9月4日(日)
7時半までゆっくり寝る。晴。10時、「井月俳句大会」。13時から1時間半、「句から覗いた井月〜酒と食べ物」の題で講演。姪夫婦も聞きにきてくれる。あと、当日句発表。武田禪次さん選者。「銀漢」勢の活躍目立つ。親睦会あり、あと「門」にて電車の時間まで飲む。飯田線、あずさと飲み続ける。ああ……。

9月5日(月)
「あ・ん・ど・うクリニック」。店、畔柳海村、武田禪次句集出版記念会。〈正風を聞き止めてゐる端居かな〉〈神酒提げて居留守の神を詣でけり〉。50名程集まる。差し入れの食品も多く、亭主助かる。

 9月6日(火)
午前中、10月号の校正。さすがに店閑散。橋野さん、会社仲間3人で。22時過ぎ閉める。

9月7日(水)
「きさらぎ句会」あと9人。「宙句会」あと9人。伊那の小池百人君、出張で寄ってくれる。飛露さんと三浦昇さん。三浦さんは日経新聞OBで、私の伊那北同窓。亡くなった守屋君の2年先輩と。

9月8日(木)
「春耕」50周年記念賞71編の選句大変! 展枝さんの「極句会」第1回、10人。大王製紙の方々5人。志村昌さん、今泉礼奈さんの縁。その他賑わう。

9月10日(土)
10時、運営委員会。13時、ひまわり館にて「銀漢本部句会」53人。あと「テング酒場」にて親睦会15人ほど。編集部は私のエッセイ集出版の最終打ち合わせ。

9月11日(日)
兄から、手製の豚肉の燻製、乾燥ハーブなど到来。夕方から杏さん一家来て家族食事会。さんまの味噌漬、焼き茄子、カラスミなど私の手製。モツ鍋。近所の子3人来ていたので15人。

 9月12日(月)
莉子、昨日、手が痛いと言っていたが、指の骨折。ドッジボールで突き指だった由。全身麻酔で手術と! 店、「かさゞぎ俳句勉強会」(角川春樹)あと13人店へ。

9月13日(火)
発行所、鳥居真里子さんの超結社句会に貸し出し。その間、編集部は店で校正作業。店「火の会」7人。

9月14日(水)
発行所、「梶の葉句会」選句へ。「月の匣」水内慶太氏3人。清人、うさぎ、近江、近恵さんなど奥で句会。

 9月15日(木)
山田春生句集『大志』感想文六枚。「春耕」11月号へ送る。店、竹内宗一郎さん誕生日前夜祭とて「天為」の方々中心に集まり、ヴーヴクリコ二本空く。「銀漢句会」は200回とて句会後、20人来店。ヴーヴクリコ二本。皆川文弘さん、麒麟、村上鞆彦さんなど。

9月16日(金)
「トヨシマクリニック」ピロリ菌治療の結果、撃退! と。発行所「蔦句会」あと店へ6人。坪井夫妻、私の大学時代の同級生益田良子さん夫妻を案内して下さる。夫君も同級生だが記憶が薄い。

9月17日(土)
正午、大船駅にORIX時代の上司、中野さんと落ち合う。「観音食堂」にて昼食。13時、玉縄学習センターにて7名の方々と句会。「銀漢」への入会申込を受ける。あと、藤沢に移動し、料理店「わかさ」にて親睦会。御馳走になる。

9月18日(日)
午前中、新宿歴史博物館。「信州高遠藩 歴史と文化」展、初日を見学。戻って選句など。

9月19日(月)
終日家。夕方家族で食事。刺身、カラスミ、空心菜炒めなど。「敬老の日なのに作らせちゃって……」と桃子。「敬老の日は70歳からね」とも。

 9月20日(火)
皆川丈人さんより電話あり、同人の土井弘道さん、今朝逝去と。体調悪いと聞いていたが、まさか! 8月に胃癌発覚。ステージ4と。丈人さんと同じトーメン勤務の縁で紹介された方。台風通過で客少なく、20時半閉店。

9月21日(水)
「三水会」5人。高校同期がこうして毎月集まってくれるのは嬉しい。都庁に勤めていた井上君から内部の話など聞く。閑散。

9月22日(木)
彼岸中日。18時、「セレモ我孫子駅ホール」にて土井弘道さん通夜。午前中に弔辞依頼あり、あわてて用意。「銀漢」から10数名弔問。あと、近くの居酒屋で偲ぶ。

 9月23日(金)
14時、「門」同人会に発行所貸し出し。あと「金星句会」。終わって5人店。

9月24日(土)
14時、日本橋「鮨の与志喜」、「纏句会」11人。あと茄子と万願寺唐辛子の煮物、土瓶蒸、題の太刀魚の塩焼き、握り。18時、新宿センタービルの「安倶楽」。ORIX時代の仲間が10人集まるとて声が掛かったもの。30年振り位に会う方々も。嬉しく!

 9月25日(日)
連日の酒疲れ。1日家。選句など。夕方、杏さん一家来て、食事会。秋刀魚12匹焼く。

9月26日(月)
「あ・ん・ど・うクリニック」。店、ニューヨークの中川手鞠さん帰国とて、秋葉男さん音頭で「天為」の方々など7人。カウンターで句会。奥は「演劇人句会」8人など。

 9月28日(水)
隣家の金木犀の巨木、家中が匂いに包まれる。11月号の選評急がねば……。店、「雛句会」16人。宮澤他成城パパ仲間7人など。

 9月29日(木)
朝、秋葉男さんに添削教室FAX。同人投句選を花果さんに渡す。あと2本残っている。店、「閏句会」7人。

9月30日(金)
志水さん宛同人集選評投函。礼状、通信など7、8人に便り。月末の支払失念。酒屋へ詫びの電話。「春耕」50周年記念号へ10句。店、三ヶ月に1度の「白熱句会」。水内慶太、井上弘美、藤田直子さん。有文社の多田英治さん訪ねて来て下さる。




           











           
△『漂白の俳人・井上井月』伊藤伊那男著
          
  
    






今月の季節の写真/花の歳時記



2016年12月19日撮影  枇杷の花   TOKYO/HACHIOJI



  
花言葉   「温和」「治癒」「あなたに打ち明ける」「内気」「ひそかな告白」
         
△枇杷の花
12~2月に白い小さな花を咲かせ、結実して6月に収穫期を迎えます。
葉は、アミグダリンやクエン酸を多く含み、鎮痛作用があるとされています。

12月号にに紹介した花たち。
 
 
姫蔓蕎麦 柊黐 真弓 八手  南天  
           
枇杷の花        
画像上で拡大します。


写真は4~5日間隔で掲載しています。 

2016/12/20

更新


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